「書きかけの歳時記」
2005/02版 その2

(since '05.04.25)

この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。

取扱上の注意

[前日へ続く]

2005/02/11 (金) <くうはくのいちにち>

そんなわけで [日常]

徹夜のまま買い物に出掛け、なんだかんだで 19 時頃寝たのであった。


気になること [FreeBSD / PC]

作業をしていて気になったことがある。ていうかむしろ問題あり。

うちの machine は基本的にすべて固定の IP を振っているが、最近は server 以外に対してはそれを DHCP で行なっている。IPv4 だけの場合は client で割り当てた方が話は早いんだが、address の割り当てが変わるとどのみち DNS の設定を変更しなければならない。当然ながら MAC address base なので、NIC を積み替えると DHCP server の設定を変えなければならないのだが、IPv6 を併用している場合は DNS の設定も同時に変えなければならない。BIND も DHCPd も同じ server で動いているので、それだったら server 側でまとめて処理してしまったほうが話が早い。DHCP server を WIDE 製から ISC 製に切り替えて以来、BIND と DHCPd との連携の恩恵を享受できるようになったので、なおさらだ。

で、今までその運用で問題が発生したことはなかったんだが、今回何度か reboot をかけている過程で気になる現象を確認した。新しく組んだ Athlon64 machine の M/B は ABIT AV8-3rd Eye。これには onboard で VIA GbE NIC(VT6122)が載っている。かつて VIA の NIC と言えば「安かろう悪かろう」の代名詞だったのだが、先日 GbE NIC の比較 test を行なった際の結果では性能と安定性に定評のある BroadCom BCM series に負けず劣らずの性能を見せてくれた(少なくとも BroadCom の AC1002 よりはまともなようだ)。そこで今回はそれをそのまま使っているのだが、FreeBSD の起動 script 内で DHCP client が走った後に表示される ifconfig(8) の結果では「status: no carrier」となってしまう(Link 速度の表示も cable を繋いでいないときと同じものになる)。実際には正しく address の取得もできてる*1し、IPv6 address も生えている。そして、起動後しばらくして ifconfig(8) を実行してみると、

        media: Ethernet autoselect (1000baseTX )
        status: active

と正常に表示される。なんなんだ、これ‥‥。今まで同じ NIC を使った GbE-PCI(玄人志向)を i386 machine に積んでみた限りでは、こんな現象が起こった記憶はないんだが‥‥。

まあそれは実害がないのでいいんだが、より深刻な問題が発生している。5.3-RELEASE の配布 site から fetch した package から入れた software を update しようとして portupgrade を動かしたときのこと。portupgrade 自身が使用している lang/ruby18 が新しくなっているので compile が始まった。無事に compile が終了し、古い version を uninstall し、新しいものを install する段で、実行が止まってしまう。最初は何か水面下で忙しく動いているのかと思って見ていたのだが、どうも様子がおかしい。結局 ^C で止めるしかなかったのだが、そうすると即座に install script が中断されて旧 version を書き戻してくれるので、別に OS が刺さっていたりするわけでもない。

最後に実行されている command を眺めていて、妙なことに気が付いた。Command line で渡されているいろいろな変数のうち、SYSTEMVERSION の値がおかしい。それだけでなく、「SYSTEMVERSION= -j 3"」と、quote が釣り合っていない状態になっている。本当にこのまま shell に command line が渡されれば、shell が「改行後もまだ行が続いている」と判断して入力待ちになっても不思議ではない。ざっと見てみた限りではおかしな様子は見られない。どこにこんな定義が‥‥。

さらに、pkgdb が ports index を作成しているときのこと。かなり時間がかかるのはいつものことだが、その途中に

"/usr/ports/Mk/bsd.port.mk", line 2810: warning: duplicate script for target "checksum" ignored

と表示された。‥‥これって、もしかしてなんかの file が壊れてる? ruby18 が install できない件にも関係してたりして‥‥。

*1: Install 中とは別の IP を割り当てているので、「install の際に取得した IP address が /etc/rc.conf に残っていて、それが設定されているだけ」というオチではない。



2005/02/12 (土) <さむい>

あさ [日常]

6 時頃目が覚める。


5.3-RELEASE/amd64 machine の install の続き [FreeBSD / PC]

見に行ってみれば、X.Org を compile していた Athlon64 machine は devel/gettext の compile のところで option 選択画面を表示して止まっていた。うぐぅ‥‥。

気を取り直し、option を選択して続行。‥‥しかしなんというか、体感的には AthlonXP 2800+ の現 server 機のほうが速いような気がするな。まあ、Athlon64 3000+ と AthlonXP 2800+ とだと、実 clock は AthlonXP のほうが上だしなぁ(それぞれ 1.8GHz と 2GHz)。Athlon64 機が 5.3-RELEASE-p5/amd64 で server 機は 4.10-RELEASE-p3/i386 と OS も違うので、一概に CPU 性能の違いとは断定できないけど。

で、ruby18 の update をもう一度やってみる。やっぱり、

--->  Installing the new version via the port
===>  Installing for ruby-1.8.2_2
===>   Generating temporary packing list
===>  Checking if lang/ruby18 already installed
./miniruby ./instruby.rb --dest-dir=""  --make="make"  --mflags=" -j 3"  --make-flags=" ARCH=amd64 OPSYS=FreeBSD OSREL=5.3 OSVERSION=503001 PORTOBJFORMAT=elf SYSTEMVERSION= ARCH=amd64 OPSYS=FreeBSD OSREL=5.3 OSVERSION=503001 PORTOBJFORMAT=elf SYSTEMVERSION= -j 3" --mantype="doc"
mkdir -p -m 755 /usr/local/lib/ruby/1.8 /usr/local/lib/ruby/1.8/amd64-freebsd5
install -c -p -m 0755 ruby18 /usr/local/bin/ruby18
./miniruby ./ext/extmk.rb --dest-dir=""  --make="make"  --mflags=" -j 3"  --make-flags=" ARCH=amd64 OPSYS=FreeBSD OSREL=5.3 OSVERSION=503001 PORTOBJFORMAT=elf SYSTEMVERSION= ARCH=amd64 OPSYS=FreeBSD OSREL=5.3 OSVERSION=503001 PORTOBJFORMAT=elf SYSTEMVERSION= -j 3" install

と表示したところで止まってしまう。よくよく見てみたら quote の対応が壊れているわけではなかった。しかし、SYSTEMVERSION に渡されている内容が --mflags= のものとかぶってるのも気になるんだが、そもそもこの変数はどこから取得してるんだ? ‥‥って、よく見てみたら「SYSTEMVERSION=」が 2 回出現してるし。むぅ。

2 回目の SYSTEMVERSION の定義に空白が含まれてるにも関わらず quote されていないのにも引っ掛かる。i386 での実行結果を比べてみるか‥‥。

i386 で試してみる前に、ちょっと Makefile を追い掛けてみた。--make_flags= で渡されているのは MAKEFLAGS 環境変数。で、これは Mk/bsd.port.mk の中で組み立てられていた。で、実行が止まってしまったときの --mflags= の内容をもう一度よく見てみると、MAKEFLAGS の内容を 2 回繰り返したあとに --mflags= の内容を連結したものと同じであることがわかる。子 process として起動する make への変数の渡しかたによっては別に不思議な現象ではないし、なぜそうなっているか想像もつく。うーん。根本的な問題ではなさそうだな‥‥。

もう一度実行してみて top(1) で見てみた。‥‥ miniruby が動きまくってた (__;

さらに調べてみたら、同じ問題にぶち当たった人がいる模様。freebsd-ports ML でネタになっていたらしい。で、そこに流れていた Makefileに差し換えて試してみたところ、すんなりうまくいった。差分を取ってみると、こういうこと↓らしい。

--- lang/ruby18/Makefile.orig   Sat Feb  5 13:59:24 2005
+++ lang/ruby18/Makefile        Sat Feb 12 10:09:14 2005
@@ -58,12 +58,10 @@
 LATEST_LINK=   ruby-devel
 
 .include 
-.if ${OSVERSION} >= 502102
 RUBY_ENABLE_PTHREAD?=  public demand
-.endif
 
 .if defined(RUBY_ENABLE_PTHREAD) && ${RUBY_ENABLE_PTHREAD} != "no"
-CONFIGURE_ARGS+=       --enable-pthread
+CONFIGURE_ENV+= CFLAGS="${CFLAGS} ${PTHREAD_CFLAGS}" LDFLAGS="${LDFLAGS} ${PTHREAD_LIBS}"
 
 # There seems to be a bug in either gcc or libpthread that gets
 # (mini)ruby to malfunction..
@@ -149,6 +147,9 @@
        ${MAKE} -f Makefile ${RUBY_VER:S/.//} RUBYDIR=${WRKSRC}
 .endif
        ${TOUCH} ${CONFIGURE_WRKSRC}/${CONFIGURE_SCRIPT}
+
+post-configure:
+       ${ECHO_CMD} -e "#define _REENTRANT 1\n#define _THREAD_SAFE 1\n#define HAVE_LIBPTHREAD 1" >> ${WRKSRC}/config.h
 
 post-install:
 .if defined(STRIP) && ${STRIP} == -s

pthread 廻りの動作に違いが? とりあえず問題は解決したが、何か別のところで踏みそう‥‥。

ところで、-miniinst な ISO image の中に sysutils/portupgradenet/cvsup-without-gui が動く最低限の packages が一緒に入っているとすごくうれしいんですが‥‥ m(__)m > core さん


あさごはん [日常]

てなことをしつつ、10 時頃弁当を買ってきて喰う。

「ゆふ森謹製地鶏みそ」は本日無事に喰い終わりました :-)

通り道の自販機で買ってきた「びんちょうタン 備長炭焙煎珈琲」(AGF)を食後に飲みつつ一息。ツーか仕事しろ > 俺


やっぱり踏んだ [FreeBSD]

いやーな予感はしてたんだが、pkgdb -F を走らせると

--->  Checking the package registry database
[Updating the pkgdb  in /var/db/pkg ... - 59 packages found (-0 +8) .ruby18 in free(): error: page is already free
Abort (core dumped)

と言って落ちるようになってしまった。ダメじゃん‥‥‥ (__;

仕方がないので、元の version に戻した。しくしくしく。これはうっかり portupgrade をかけると大変なことに‥‥!!


はたらけー [仕事]

というわけで、仕事の続き。

‥‥ようやく原因がわかった‥‥。

ある component の仕様書と code を作った担当者が undocumented な parameter を official な parameter の中に混入し、それをこっそり使っていた。F/W ではこの parameter を IPC で渡すのだが(CPU core が異なるため)、Unix へ移植した version には IPC がなくて基本的に変数渡しなので(なにせこちらは 1 process だ)、ごっそり削除した*1 IPC の code 内にその parameter が隠れていて、気付くのが遅くなってしまった。

こんな事態になった理由として、その担当者は magic number が大好きで(正確に言うと「macro 定数を全く使わない」)、その人が書いたりいじったりした code には immediate な数値定数がゴロゴロしているので、それがなんの値を示しているのかは code と動きを追い掛けていかないとわからない、というのも大きい。普通は何かそれの示している意味がわかるような macro 定数を定義するのが当たり前だと思うんだけどねぇ。ていうか、最初から復数人でいじることがわかってる source なんだから*2、むしろそれは常識だろう。その人が code を追加したら私が移植版の code をそれに合わせて modify するというのも、最初から説明してあったし、その本人も把握している。処理の流れにしてもそうなんだが、ほかの人が読んで解るような code を書いてくれ‥‥ (-.-#

他の場所にも謎の数値が山盛りになっていていい加減くさくさしていたところでもあるし、いよいよ問題提起するか‥‥。といっても、今度の打ち合わせには出られないんだった。うぐぅ‥‥。

ようやく「0 で除算して落ちる」という現象をとっちめたので、先へ進む。今度は segmentation fault で落ちるようになった。先日ある module を担当者が大きくいじっていたので、こちらは何となく察しが付く。Debug trace を有効にして実行してみると、案の定。これは F/W と移植版で memory mapping が異なることが原因で、元々それを吸収するための library と service 関数を用意してあったので、モゾモゾと code を追加。

なんとかそれらしく動くようになった。しかし、動きがおかしい。想定の倍の出力を吐いていて、その結果も妙。出力自体の format は正しいので、何らかの理由で同じ data を繰り返して処理してしまっているのだろう。まだ mapping の調整が足りない様子。まあ、どこをいじっていたのかは予想がつくので、これは trace を追えば割と容易に発見できるだろう。ようやく先が見えてきた。

*1: 正確に言えば、この IPC 部分の code は私が暫定的に実装していた code をその担当者が全面的に書き換えたものだったので、単純に「削除した」というのとは事情が異なる。

*2: もともと 3 人で開発していて、おおよその動作ができあがったところに、ある機能を実装するためにその人があとから参加してきたという事情がある。


[FreeBSD / PC]

気を良くして、5.2.1-RELEASE が起動しない件を追求してみる。

BTX loader で落ちるということは、かなり初期でもうダメだということ。5.2.1-RELEASE 関連では「ata(4) にかなり致命的な問題がある。特に SATA で顕著」という話をよく聞くが、そもそも OS が起動する前でまだ BIOS の支配下にある時点での話なので、とりあえず無関係。

DVD drive 空の data が壊れてんのかなーと思って ATA cable を変えてみるが、変わらない。‥‥ 実は memory が死んでるとか? でも、server として使ってるときにはそんな気配は出ていなかった。

とりあえず現象を絞り込むべし、と video card 以外の card を PCI slot から抜いてみると‥‥動いた‥‥ (__;。NIC と sound card は関係ないだろう、とさしてみるが、大丈夫。‥‥昨日買ってきた SATA card かよ‥‥。

試しに、card だけ slot に挿し、drive の data cable を抜いてみた。起動画面を見てみると、「drive がないので BIOS を install しなかったよん」というよくある message が出て‥‥起動するんですが。ということは、この SATA card の BIOS が有効になると BTX loader がおかしくなるということに。なんだそれ‥‥ ;_;

このままだとどーにもならんので、他の手を考えるか。つっても、HDD を買ってくるか他の SATA card を買ってくるかしかないんだが。しくしくしく。


B 装置不調 [自転車]

実は昨日アキバに行ったとき、後輪の brake につけてある brake booster の固定ネジが折れているのに気が付いた。一昨日どこかを走っているときに「ちゃりん」という音がしたのは、どうやらそれだったらしい。先週「だいぶん錆びてきた*3なぁ。そろそろ折れるかな」と思っていただけに、予想していた事態。

前回ネジを交換したのがいつだったかググってみたところ(爆)、こんな記述が見つかった。この時点で「1 年以上もっている」のだから、2002/10/22 に交換して以来ということになるらしい。そりゃあもってるわ @_@;

というわけで、今回も鉄製に交換することに。予備があったはずなので探してみると、2 本残っていた。使い切る前にまた買ってきておかないとなぁ。今の時点で残りが 2 本しかないので、今回交換すると予備は 1 本になってしまう。前回交換したのは左右同時だったはずなので、もう片方もそろそろ折れて不思議ではない。まあ brake 力が弱くなる(というかかったときの状態になる)だけなので、気付いていさえすれば、運転に支障はないんだけども、「緊急事態」ってのはいつ起こるか判らないし。

それにしても、ますます stainless 車体の鉄道車輛に対する不安が増すわけですが‥‥。

折れたネジを抜こうと思ったが、錆びてるだけあって、ちっとも廻らない。まあ、当然だな。

でもって、drill でごりごり。‥‥芯を抜く前に battery がなくなった (-.-;

*3: 今は鉄製の黒染ネジを使っている。以前は stainless のネジを使っていたのだが、素材に弾性がないせいか、錆びはしないが 1 ヶ月ともたずにバキバキ折れていたのだった。しばらくはそれでも stainless を使い続けていたのだが、とうとう嫌気がさして鉄製に変えたところ、全く折れなくなった。


かいもの [PC / 日常]

またぞろアキバへ。何店か廻ってみた結果、WonderCity で Promise SATA II 150 TX4 を購入。Bulk より retail のほうが安いという不思議。

途中に小物を買ったり、思いがけない人物とバッタリあったり。日中も寒かったけど、日が落ちると途端にぐっと寒さが増す。ぶるぶる。

ついでにエフ商会で point card を活用して DV tape と D-VHS tape を買い足す。

帰り道に森の治療院へ。鍼を打ってもらう。このところ座りっ放しだったし、しかもまた寒くなってしまったので、すっかり腰が‥‥。

向かいのマクドでバーガーを 2 つ買って帰宅。もぐもぐ。


敗北風味 [FreeBSD]

早速 SATA 150 TX4 を SATA II 150 TX4 に差し換えてみる。

‥‥もっと酷くなった。HDD を繋いでおくと、loader が起動した瞬間に reboot してしまう。BIOS が install されていなければ無害なのは同じ。むぅ‥‥。

しかも、HDD を接続しない状態で見ていたら、driver が対応していないらしく、device が認識されていない。ちなみに、SATA 150 TX4 のほうは(support list に載ってるだけあって)認識はされている。loader さえちゃんと動いてくれれば、どうやら使えそうなんだが‥‥。

念の為に 5.3-RELEASE-p5-i386.miniinst.iso でも試してみたが、全く同じ結果。仕方がないから UIDE100 な drive でも買ってくるか‥‥しくしく。

時々気絶しながら amd64 な machine の状況を見、さらにでかいブツの compile を仕掛けたあと、しょんぼりしながら 25 時頃寝る。



2005/02/13 (日) 曇のち晴れ <雪は結局降らなかった>

あさ [日常]

9 時頃目が覚める。


5.2.1-RELEASE-p11/i386 の install の続き [FreeBSD / PC]

5.2.1-RELEASE が boot できない件。ふと思い立って、FD から boot するとどうなるか試してみることにした。もしもに備えて、FDD は買ってきてある。FD も遥か昔の release の install floppies が見つかったので、これを潰すことに。

4 枚見つかったうちの 1 枚が物理的に死んでたりして焦ったが、なんとか残りの 3 枚は無事。kern.flpmfsroot.flp と、念の為に drivers.flp も書き込む。

FDD を繋いで、boot。‥‥あっさり起動。SATA I/F も HDD も認識している。てことは、BTX loader に何かがいますか? (-.-;

あとはさっくりと DVD drive から install 完了。‥‥ FDD は偉大だ。しくしくしく。もっとはやく試していれば、散財は避けられたものを‥‥。まあ、HDD を買い足す前でよかった。

さっそく system source と ports を更新し、compile 開始。‥‥こいつ(Athlon XP 1600+)にすら体感で Athlon 64 3000+ は負けてるような気がするが、多分気にしたら死にます。Compiler のできがよくないのかなぁ? > amd64


予報では雪が降るとか言ってましたが [日常 / FreeBSD/amd64]

なんか底冷えがする。寒いのう。腹が減ったが、外に出掛ける気がしない。

まあ、そういっていても仕方がないので、出掛ける準備。外に出ている間に時間のかかる処理をやらせておこうと、amd64 な machine 上で必要な software を compile。‥‥遅い気がしたのは、気のせいだったようだ (__;<.tt>。正直すまんかった > Athlon 64

風呂に入る。‥‥最後のせっけんがいよいよちびてきてもはや手で持てないほどに。みすずちん、ぴんち。 俺、大ぴんち。船橋屋は「お中元の時期まで入らない」とか言ってるし、そもそもそれまで店がもつかも疑問なので(爆)、帰りに多慶屋でも覗いてみるか‥‥。


悲しい最後 [PC]

5.2.1-RELEASE を入れた machine でも compile。‥‥ make buildworld をかけるとすぐに internal error で compiler が落ちる。落ちる個所は区々なので、source のせいというわけではない。cvsup 中も止まったりはしなかった。負荷が上がると落ちるというのは、signal 11 臭いな‥‥。

Server として運用してるときにそんな現象が起きていた記憶はないが、念の為に 一旦 DIMM を抜いて挿し直す。Boot しなおして compile の続きを実行するが‥‥状況変わらず。もう一度落として CPU clock と memory 廻りの BIOS 設定を check。大丈夫そうなので、設定画面を抜ける。‥‥ boot しませんね? つーか POST 画面も出ませんが。

M/B の manual には「起動しないときは何度か電源 off → on を繰り返せ。それでもダメなら Insert key を押しながら電源を入れると default 値で起動する」と書かれているのだが、どうにもならん。仕方がないので、CMOS clear jumper で初期化。‥‥今まで何台も使ってきたけど、こんな事態は初めてだな‥‥。

電源 on。‥‥無事に起動した。とりあえず、時計の設定だけ直して、設定終了。‥‥また POST に進まない。

仕方がないので、また CMOS clear jumper で初期化して起動。‥‥こんどは「CMOS の checksum がおかしいので default 値を使用しますよ?」と message を出力して止まった。なんですと? 「F1 で続行するか、DEL で設定に入れ」と言われているのだが、key に全く反応しない。

電源を切って入れ直す。‥‥同じ。何度やっても同じ状況。CMOS の backup 用電池を一旦抜いていれ直したりしてもダメ。‥‥いよいよ M/B が故障かよ?!

いい M/B でした! T_T

先日 server 機を切り替えて引退するまで、case の入れ替えと引っ越しのための移動でそれぞれ数時間程度停止したのを除いて、数年間ずっと無停止で働き続けてくれた。ありがとう。さようなら。‥‥「数年間電源入れっ放し」という machine は今までにも何台かあったが、 M/B の故障で除籍というのは初めて*1だな‥‥。SATA card 買いに走り回ったりして、オチはこれかよ (-.-;。Coffee の自販機で 1 月ちょっとで 3 回も当たってしまったツケがここに!

ああもう、仕方がないから M/B を買いに行くか‥‥。せっかくだったらあと 2 日早く壊れてくれれば、SATA card を買う金で M/B が買えたのに。‥‥最初からそうしとけという話もあるが、そこそこいい M/B だったし。貧乏性のなせる業‥‥。

*1: 他の machine は、箱詰めされたまま文字通り「お蔵入り」になっているか、さもなければ他の人にドナドナされていった。


物色 [PC]

そんなわけで、夕方からまたアキバへ。CPU と DIMM は何となく大丈夫そうだったので、Socket A な M/B を買うことにする。今の case をそのまま使うなら ATX M/B だが、幸か不幸かちょうど Micro ATX 用 case が 1 つ余ってるし、どうせ組み替えるならでかい machine は増やしたくないので、Micro ATX だな。

ちょっと値段を調べてみたが、さすがに最近の M/B は標準的に SATA I/F が載っている。全くもって買ってきた SATA card が無駄になるが、無理に SATA なしの M/B を選んでも chip set が KT266 あたりまで古くなる上にせいぜい 2k 円程度しか違わない。いまさら KT266 もないだろう。


お買い物、でもその前に [FreeBSD/amd64]

いよいよ出掛けるので、最後に処理対象の data が入っている HDD を繋ぎ変え、処理を‥‥そうそう、まだ入れておかなきゃならないのがあったんだ。‥‥うげ、

multimedia/transcodemultimedia/mjpegtools も i386 でしか動かないですと?! @_@;

肝心なのがそれかよ! ‥‥ダメじゃん‥‥ ;_;


最後の散財(であることを祈る) [PC]

M/B にだいたいあたりをつけて、出発。

通り道だし、faith を覗く。‥‥ふむ。

さらに tsukumo eX. へ。‥‥ふうむ。

Micro ATX は実質的に KT400 か KT400A しかないので(KT266 は既に除外)、基本的にはどれを お使いになっても、同じようなもんですが たいして変わらない。どれでもいいと言ってしまえばそれまでなんだが、逆に決め手がない。GIGABYTE の M/B は実績もあるし価格も手頃なんだが、今回使おうと思っている case をお蔵入りにした要因(M/B の電源 connector が遠い)は後継 model でも変わっていない。唯一 SiS chip set の製品もあったが、SATA I/F が動くかどうか判らない。

ここまで来て冒険はしたくないので、結局 KM400A + VT8237 な VA-20(ABIT)になった。‥‥先日組んだ Athlon 64 machine も ABIT。今回死んだ M/B も ABIT だったので 1 増 1 減なんだが、ともあれ、最近どうも ABIT づいてるな。

ついでにテクノハウス東映に行ってネジ set を補充。あと、千石で工具を。

普段は覗かないのに、ふと向かいの sofmap を覗いてみた。‥‥を、ThinkPad 用の AC adapter が 1,680 円?! ThinkPad 用の AC adapter は主なもので 2 系統あるが、ドンピシャで s30 の系列ではないか! 前々から 1 使い足そうと思っていたのだが、すばらしい! Club IBM に注文出すのをやめておいてよかったよ。(爆)

ほくほくしながらねぎしで定食を喰って帰宅。

帰る途中に多慶屋によって牛乳石鹸<青箱>を購入。3 個入り(バスサイズ)が 200 円、 6 個入りが 320 円。両方手にとって表示を読みつつ少し考えた結果、3 個入りを 5 個買ってきた。考えている途中にオバハンが横から聞こえよがしに「6 個入りのほうが安い! こっちを買わなきゃ!!」と言いながら 6 個入りを持っていったが‥‥さて、ここで問題です。3 個入りのほうは 1 個当たり 135g、6 個入りは 1 個 85g。どちらが安いでしょう?(爆) 「個数」に騙される客って、結構いるんだろうなぁ。


気を取り直して [PC / FreeBSD]

早速組み込み開始。CPU と DIMM は旧 machine から移植。PCI slot の card 類も抜き取る。Onboard で NIC が載っているが、100M の VIA なんて使う気にならないので、NIC も移植。‥‥さっくり完了。

問題は boot device の指定。Boot device は onboard SATA I/F にぶら下がった disk。それだけなら話は簡単なのだが、さらに data 用の UATA100 な disk が標準 IDE port に繋がる。普通なら優先 device は UATA100 のほう。

Athlon 64 machine で使った ABIT AV8 には「UATA と SATA のどちらから boot するか」という設定があるのだが、VA-20 にはない。で、boot device の設定には「FD/CD-ROM/HDD-0/HDD-1/HDD-2/HDD-3/SCSI」しか選択肢がない。ここで言う「SCSI」というのは要するに「拡張 boot ROM 経由で access する I/F」を示すはずで、選択肢からしても SATA I/F が RAID 機能をもっていることからしても SATA I/F が拡張 boot ROM をもっているのはほぼ間違いないから、「SCSI」に設定してみる。

‥‥無事に boot しました!:-) さっそく make buildworld kernel を実行。‥‥動作も良好っぽい。

選択したり日記を書いたりしてるうちに、無事終了。一旦 reboot して make installworld。これもさっくり終了。やれやれ‥‥。さて、いよいよ software の大量 compile を開始ですよ?

まずは(packages を作成する関係で)devel/libtool13textproc/expat2converters/libiconvdevel/gettextdevel/gmakelang/ezm3net/cvsup-without-gui の順に install。念の為に cvsup をかけて、lang/ruby18databases/ruby-bdb1sysutils/portupgrade と install。

あとは X.Org から一気にどーっと。5.2.1-RELEASE 系ではそのままだと error message を出して compile できない*2ので、message に従って /etc/make.conf に「X_WINDOW_SYSTEM=xorg」を追加し、compile。‥‥しかし、やっぱり 5.3-RELEASE/i386 と違って特に何もしなくても install できるし、core も吐かないよな > ruby18。やっぱり amd64 ってまだ buggy? (-.-;

そのあとはいろいろ compile させながら仕事。そして、「gcc-3.4.4 が compile できない」という意外な落とし穴でハマる。一つには POSIX pthread library の library file 名が libpthread.* ではなく libthr.* だというのが理由だったが、それ以外にも GCC が内部で使用する library の build で configure が正しく実行されなかったり別のところではなぜか CPP の path が /lib/cpp になってたりと謎な挙動が続く。ちょうど同時に 5.3-RELEASE/amd64 でも同じものを compile してたんだが、そちらは何も問題なし。どこかで不整合が起きてると思うんだが‥‥。究明してもしょうがないので、adhoc に手当てしてゴリゴリと続行。

途中で風呂に入る。ふえ〜。‥‥また浴槽の中でうとうとして溺れそうになる。ぶはぁっ。きけんきけん。

腹が減ったので、昼御飯を買いに行く。ついでに電気代を払ってみたり。

なんだかんだでいつの間にか 29 時を廻っている。そりゃあ眠いわけだ‥‥。

なんとなく compile はうまく行っているようなので、GCC の件を調べてみたら、後藤さんが全く同じ現象でハマっていたらしい*3。この mail への follow-up はなかったようなんだけど、どうしたんだろ。5.3-RELEASE が登場したら自然消滅したのかな?

30 時頃寝る(予定)。 結局 31 時頃寝た。

*2: このころは default が XFree86-4 だから。

*3: ちなみに、この mail の問題は当該 directory 内で ./configure を実行するととりあえず回避できる(config.h の内容が正しくないために stdlib.hlimits.hstring.h が include されないのが原因)。ただ、これを回避しても別のところであと 3 回くらい逃げを打たないと全体の compile は通らない。



2005/02/14 (月) <打って変わって篭る>

あさ [日常]

10 時頃目が覚める。


にっちゅう [仕事]

しごと。大 trace 大会。

しかし寒いなぁ。

そして腰が痛い。さらに左肩(というか首の左側の筋)が痛い。明後日から旅行なのに、大丈夫か‥‥?


生命の神秘 [雑感]

某 game(← ネタばれ注意)で「交通事故のあと 3 年間意識不明」という situation があったが、米国で事故による脳挫傷のため 18 歳の時から意識不明だった女性が 20 年後に意識を取り戻して両親に電話をし、ついに直接対面を果たしたという報道が。

本人はやはり 3 年くらいしか経っていないと思っていて、「実は 20 年経っている」と訊いたときは大変驚いたらしいが、本当にこういうことってあるんだねぇ‥‥。

今後のリハビリや社会復帰は辛く苦しいと思うが、周囲の人たちの励ましを支えに、なんとか乗り越えて欲しいと思う。


Buggy? [FreeBSD/amd64]

日記を読んだ茂兄ぃ(aka CCS さん)から mail が。やっぱりまだ amd64 は安定してないらしい。

なんか大量に commit が入ったらしいんだが、さすがに amd64 は最新を追わないとダメかなぁ。私は -RELEASE しか使わない人なんだが、さすがに amd64 の完成度がまだ低いという気はしていて、この状況なら -RELEASE にこだわってもあまり意味はないかもしれない。

いずれにせよ、このところいろいろ compile していた感じでは、どうもやっぱり同じ cost をかけるなら Athlon XP の方が速そうなので、Athlon 64 はヒトバシラー向けかも。

一方、一念発起して 4.10-RELEASE 環境用の X.Org も server 上で compile。‥‥やっぱり、体感上は Athlon 64 3000+ より Athlon XP 2800+ のほうが速いような気がする。割とあっという間に終わってしまって拍子抜け。当然 package も作ったので、折りを見て作業用 machine も XFree86 から切り替えよう。5.3-RELEASE 機は既に X.Org を使っているので、時々不整合が発生している。‥‥もっとも、5.3-RELEASE 機自体が近々家の中から消えそうな気はするが(爆)。


よる [日常]

N スペの再放送をつけながら仕事をしてたらさすがに腹が減ってきたので、閉店直前の漢陽楼別館に駆け込んで定食。

帰ってきて気が付いた。月詠とまじかるカナンの録画をしそびれた。月詠は毎回びみょーに変わる OP movie しかもはや興味はないし、まじかるカナンは録画はしてるものの 1 度も見てないので、まあいいや。

それより、「原爆の夏 遠い日の少年 〜元米軍カメラマンが心奪われた一瞬の出会い〜」(BS-i で 11 日に放送されたもの)の地上波再放送*1があることを知らなかった。定食を喰ってるときに店の TV に流れてきて初めて気付く。これは痛い‥‥。帰ってすぐに録画開始。最初の 1/4 ほどを録り逃す。11 日には BS-i のものを DV で録ってあったのだが、3DWPro を通して録画していると明るい場面で flicker が出るし、そもそも 1125i 放送を 525i に変換して録画すると荒れが目立つ。地上波で放送してくれれば、と思っていたのだ。

BS-i で再放送してくれないかなぁ‥‥ちうか、POT 買え > 俺

28 時半頃寝る。

*1: ただし、尺がだいぶん短いので、再編集したものらしい。



2005/02/15 (火) <いろいろ準備の日>

あさ [日常]

8 時頃目が覚める。‥‥むぅ。

少々仕事。

出発準備をしつつ、日記を補完。1/18 分が完了。19 日分も途中まで書いた。諏訪神社には神様が山のようにおわします。


ひる〜よる [日常 / 仕事]

今週は会議に出られないので、臨時に客先へ。‥‥ムチャクチャ暖かいなー。

昼に出て、Chicken Place 蔵前店でカレー。そのあと TL 浅草橋で乗車券類を受け取る。お世話になりました m(__)m

客先へ。いじっていった source を commit。さらによくわからない点を担当者に質問。‥‥なんですとー (-.-;

Suggest を元にさらに source を修正。‥‥また一歩進んだが、それ以上は別の担当者が書いた code を読み込まないと動きがわからん‥‥ (__;

睡眠不足が祟ってもーろーとしてきたので、20 時頃離脱。

出発前の最後の鍼を打ってもらいに森の治療院へ。ちくちくちく。首筋と腰が物凄かったわけだが、

「寝不足でも酷くなりますので、気をつけてください。」

あい‥‥ (__;

じてんさで帰宅。


帰ってみれば [WV-DR9 修理]

ソニー SS から電話が。「修理が上がってきたので、宅配便でお送りしたい。ご都合のよろしい日や時間帯を打ち合わせたいので、またご連絡する」と留守電が! えらいっ! ‥‥欲を言えば、あと 1 日早いと最高だったなぁ‥‥ (^^;

うーん、明日直接取りに行くかどうか、悩ましい。なんか、雨とか言ってるしなぁ‥‥。状況次第か‥‥。


ばんあれんたいでー [日常]

他の人の日記を読んでて気付く。そういえばそんなものもあったねぇ。

いや、バン・アレン帯はじゅーよーですよ? うちう線に気をつけよう。Memory 内の bit 化けとか! 最近は中性微子の衝突でも data 化けが起きるくらい rule が微細化されてきてるからなぁ。


しんや [旅行準備 / 日常]

そういえば写真を吸い上げ忘れていたので、せっせと吸い上げ。

あと、きっぷを scan。

着替えを準備。‥‥えと、

靴下が足りません。

しょうがないなぁ、24H な JeansMate に買いに行くか‥‥。

てなわけで外に出る。今日受け取った切符は帰りがけに写しを取っておいたのだが、以前に手配した分の写しを取っていなかったので、ついでにコンビニに寄って写しを取る。

腹が減ってきたので、久々に両国駅前の松屋へ。「角煮カレー」なる見慣れないものがあったので、どんなもんだべと思って頼んでみると、かつての「角煮丼」の具がカレーに乗ったものだった。まんまだな (^^;

そのほかに生野菜と、寒いので珍しく豚汁変更券なんか買ってみる。‥‥どうやら、豚汁は 1 人前の出汁と具に味噌汁を足してレンジアップするものらしい。

最初に生野菜が出る。程なくして角煮カレーが登場。「豚汁はもう少々お待ち下さい」。‥‥カレーと野菜を喰い終わっても出てきませんな。

お茶をゆっくりと飲みながら豚汁が出てくるのを待つ。店員の若いあんちゃんは怪訝そうにこちらをみている。お茶も飲み干したので、「豚汁はまだ時間がかかりますかね?」と訊くと、あんちゃんはハッと思い出して奥にすっ飛んでいく。‥‥深夜の一人勤務で疲れてる上に、さっきまでよくわけのわからない客がいて、すっかり忘れてたらしい (^^;

捧げ持つようにして豚汁のどんぶりを持って来るや否や、「遅くなりましたので、この分はご返金致します」。別に急いでて喰えなかったわけでもないし、結果的にちゃんと出てきたんだから、なにもそこまでしてもらう必要はないので、「ああ、いいっすいいっす。」と断って喰い始める。‥‥あんちゃんは向こうの方で何かモゾモゾしてたが、しばらくして「これ、豚汁の分です。お返ししますので」と恐縮しきった様子で私の目の前に 150 円を置いた。もう一度断ったのだが、どうも折れてくれないので、あまり無碍にするのもかえって不安にさせるかなと思い、ありがたく懐へ。あんちゃんはほっとした様子で奥に戻っていった。‥‥よっぽど強面に見えたのかしらん。(爆)

豚汁を喰い、お代わりをついでもらったお茶を飲み干し、「ごちそうさーん」と言いながら席を立つ。あんちゃんは頭を下げながら「どうもありがとうございました!」。‥‥深夜勤務は大変だよな。がんばれ。

キコキコと自転車に乗って帰宅。家に帰り着く直前からポツリポツリと雨粒が落ちてきた。‥‥いよいよ降ってきたかな。帰り着くまでもってくれたのがありがたい。

帰って切符をまとめる。‥‥今回は少ないな。「ご案内」とか酉の「クレジットカード利用票」を含めて 20 枚、厚さにして 4mm ほどしかない。一旦帰ってくるまで足掛け 1 週間も行ったきりとは思えない。

客先から帰ってすぐに始めた memory card の吸い出しがようやく終わった。‥‥あと 2 枚もあるんですが。とりあえず次のやつを吸い出し始める。吸うだけ吸わせといて、今日はもう寝るか‥‥。明日も昼頃には起きて支度やらなんやらしなくちゃならない。

忘れないうちに、battery の充電を set。最近は結構 battery がもつから、つい予め充電しておくのを忘れるんだよな‥‥。以前は帰り着くころには枯渇しつつあったので、帰ってすぐに充電してたんだが。


じしんがぐらついた [日常]

2830 頃寝る。

そして、うとうとしかかった 2846 時付近に地震でたたき起こされる。NHK をつけつつ被害状況を確認。一部の CD や DV tape の山が崩壊した他には被害なし。東京の公式震度階は 3 だが、4 に近かったぞ。なにしろ、揺れのために階下に停めてある bike の盗難防止 buzzer が鳴動したくらい。

震源は茨城県南部。最大震度は 5 弱だったらしい。

2930 時付近に TV を消して寝る。うにゅう。



2005/02/16 (水) 雨のち曇/途中一時雨 <〔さくら〕&〔あさかぜ〕号で行く ランタンフェスティバルとさよなら〔いそかぜ〕号 tour・1 日目>

ひる [日常]

13 時頃起きる。

‥‥雨だねぇ。予報通り。

準備再開。

鉄道各線は今朝の地震の影響で遅れが出ていたらしい。結構な揺れだったしな。震度 4 を観測したところも多い。特に常磐線方面

‥‥祟られてないよね? (-.-;

どきどきどき


回収 [WV-DR9 修理]

完全装備でソニー SS へ。本体の他、交換部品がてんこ盛りで返却。

修理品を抱えた男性と共に counter の外まで出てきた女の子は、私の足下を見て「あっ、違った」。‥‥他の人の修理品だったのかと思ったが、そうではなく、私が荷台に当てる板を抱えていたのを見て、台車か何かと勘違いしてたらしい。

「‥‥お車ですよね?」「いえ、自転車なんですけど」という謎の会話が発生。そりゃあ、「宅配便で送ります」と言っていたものをこの雨の中自転車で取りに来るとは思わないわな (^^;。修理品を抱えた男性は「濡れちゃいますね‥‥」と渋面。そこで「一応袋は持ってきたんですが、入りますかね」と東京都認定ゴミ袋を取り出して渡す。ちゃんと持ってきてあったのだよ (^^)。‥‥本体だけなら 45l でもよかったんだが、「もしや」と思って 70l を持ってきてあったのは、正解だった‥‥。返却部品を入れた箱がでかかったので、70l の袋でちょうどピッタリ。むしろギリギリ。

「どうもお世話様でしたー」と受け取って自転車へ。出口のところまで見送りに来たまま様子を見ていた女の子が飛び出してきて、荷物を縛り付けるのを手伝ってくれた。その途中「お近くなんですか?」と訊かれたが‥‥訊きたくもなるだろうな (__;

なんとか無事に縛り付けて、離脱。いやいや、お手数をお掛けしました m(__)m

キコキコと帰宅。出発してから 35 分で任務終了。


準備続行 [旅行準備]

ついでなので、緑一丁目交差点角の「ジュウゴ」へ靴を買いに行く。

一旦帰り、撥水 spray を吹く。風呂場に持ち込み、浴室乾燥機で乾燥。

腹が減ったので、いつもの弁当屋で唐あげ弁当大盛。雨はほとんど止んできた。よしよし。出発の頃には上がってるといいなぁ。

引き取ってきた WV-DR9 を rack に設置。‥‥外板がすげーきれいだな (^^;

録画予約を設定。‥‥完了。つか、いい加減に POT 買わないと‥‥。


磐越西線復旧 [旅行一般]

このところ只見線が止まっている。除雪を諦めたらしく、大白川〜只見間で bus 代行。当然ながら只見〜大白川間は代行なし。こりゃあ、さすがにダメだな‥‥。

一方、土砂流入で運休していた磐越西線。先日不通区間の bus 代行が開始されたばかりだが、一転して今日の夕方から運転再開。新潟支社、頑張った! T_T

只見線の迂回はやむを得ないとしても、「迂回先も bus 代行」という最悪の事態は回避できた模様。やれやれ‥‥。


出発 [まち]

予定より 5 分ほど遅れて出発。

総武線で秋葉原へ。ケホに乗り換えて東京。


最後の〔さくら〕 [列車]

ホームに上がると、既に入線済。ぎりぎりで入線 scene には間に合わなかった。30 秒くらい遅かった?

荷物を個室に突っ込み、弁当を買いに出る。やっぱり東京駅弁と言えばチキン弁当(¥800-.)は外せない。長丁場なのでもう一つくらい買っておきたいが、何にしようか‥‥と眺めた結果、紅鮭押寿司(¥450-.)を choice。

ついでに編成を押さえてみる。

← 11 号車
(スハネフ 24 101][オハネ 15-2(白文字)][オハネ 15-1246(白文字)][オハネ 15-2005][スハネフ 14 5)(オハネフ 25 155][オハ 24 704][オハネ 25 242][オハネ 25 136](オハネフ 25 210][カニ 24 16)

4 号車のオロネ 25 は 14 系への改造工事のため欠車中。品川からの牽引機は例によってこのあとの〔あさかぜ〕のカマ(EF66 48)。

東京駅を定刻に発車。そして、車内放送。

「列車は、1 号車から 11 号車までの 11 輛編成で運転しております。なお、4 号車は連結しておりません。」

‥‥それは「11 輛編成」とは言わない*1のでは‥‥ (-.-;

さらに放送は続く。

「なお、〔はやぶさ〕号の1 号車から 3 号車までと、〔さくら〕号の 9 号車から 11 号車までは、明朝の下松から先、座席車としてご利用いただきます。作業員が寝具類の片付けに伺いますので、ご協力をお願い致します」

‥‥それって、禁煙の解放 B 寝台全部じゃん! @_@; ‥‥以前はヒルネ扱いの車輛はもっと少なかったはず。廃止効果による多客対応か?!

いつのまにか熱海。‥‥ここの発車案内表示って、東京のと違うのね。東京駅は 2 個列車扱いで〔さくら〕と〔はやぶさ〕の表示が交互に出る。一方、熱海は寝台特急 mark が左端に、その右に「寝台特急」と表示され、その右に「さくら」と「はやぶさ」が 2 段表示。同じ束管内でも違うんだなぁ。ていうか、熱海の表示の方がいろいろな意味で貴重という気が。

熱海を出ると、急に発車時の衝撃が強くなる。‥‥やっぱり、東海の機関士は下手だ‥‥。

夕方からずーっと眠かったので、早々に横になる。途中で tape 切れの音で目が覚めて tape を入れ替える。程なくしておやすみなさい放送。時刻は 21 時。さすがに発時の早い列車はおやすみ放送も早いね。‥‥って、もう静岡過ぎてるじゃん! 大津まではもう何時間もありませんよ?! ←〔銀河〕じゃないので心配すんな

それにしても、車内がちっとも落ち着かない。個室を出たり入ったり、通路の自動 door*2 が引っ切り無しに開いたり閉まったり。2 番の個室は一番端なので、車内の撮影やらなんやらに勢を出すヲタか? (-.-; 自動 door の動作音は結構気になる‥‥。

深夜、どこかで前線とすれ違ったらしい。雨音を聞いた記憶はあるが、夢現だったのでどこだかはよくわからない。

ふと目が覚めると、大阪に停まっていた。ホームでは「さくら・はやぶさ号」の発車案内放送が流れている。うーん、V を廻しておけばよかった‥‥と思っているうちに発車。

しかし、前回の〔あさかぜ〕でも思ったが、やっぱり西の機関士はうまいよ‥‥。発車時の衝撃が全くない。停車中にちゃんと連結器をのばしてるだけじゃなくて、力行のノッチ捌きが素晴らしい。むむぅ。

幸せに寝る。ぐぅ。

*1: 電源車を含めれば確かに 11 輛だが、旅客案内上は普通電源車を輛数に含めない。

*2: 〔さくら〕〔富士〕に使用している「ソロ」は、居室部分の通路の両端にある扉が電動の自動 door。



2005/02/17 (木) 山陽路: 曇だが時々晴れ間も/福岡: 曇ところにより小雨/佐賀〜長崎: 曇 <〔さくら〕&〔あさかぜ〕号で行く ランタンフェスティバルとさよなら〔いそかぜ〕号 tour・2 日目>

みめい [列車]

‥‥早く寝たせいで変な時間に目が覚める。なんとか寝続けようと努力したのだが、もうダメだ‥‥。

というわけで、4 時半に起きた。腹が減ったので、昨日買った紅鮭押寿司を喰う。まくまく。

せっかくなので、昨日の日記の続きを書く。ついでにぐるぐる。‥‥片道 101km 以上の乗車券*1の乗車変更は、乗り越しの場合、原券の着駅から別途乗車券を買うのと同じこと*2になる。

西条〜八本松間で上りの客レとすれ違う。‥‥今日は時刻表を持ってないので何だかは不明(爆)。

セノハチ*3を難なく通過。‥‥しかし、山陽区間は本当に線形が悪いな。平地がほとんどないことも原因なんだけど、「ミスター 10 パーミル」氏*4の呪いとも思えてくる (__;

*1: 途中下車ができる時点で間違いなく 101km 以上。100km 以下だと当日限り有効で途中下車前途無効。

*2: 原券の着駅を基準に乗り越し区間の運賃計算をやり直すので、「着駅方式」または「打切り計算」という。ちなみに、原券が 100km 以下の場合、原券の発駅から運賃計算をやり直し、差額(不足額)を支払う。これを「発駅方式」という。

*3: 山陽本線瀬野〜八本松間に存在する難所。現在の旅客列車は難なく通過してしまうが、貨物列車にはまだ辛い区間で、今でも補助機関車(補機)の連結があったはず(多分)。峠の下の駅(瀬野?)で機関車を連結し、登りきったところで走ったまま補機の切り放しを行なうことで有名。

*4: 国有化前にこの区間を建設した山陽鉄道の社長。蒸気機関車による高速運転を実現するため、線形を犠牲にしてでも全線の勾配を 10‰ 以下に押さえることに拘ったため、「ミスター 10(テン)パーミル」と揶揄された。一部の区間ではあまりにも線形が悪く、それが原因で事故が発生した地点もあり、そのような区間では一部付け替えも行なわれたが、基本的には今でも当時のままの線形。


あさ [列車]

そうこうしているうちに 6 時半。おはよう放送。解放 B 寝台車の乗客の動きが慌ただしくなる。‥‥もうすぐ片付けられちゃうしな。

徳山発車後の 7 時頃、「5 号車ロビーカーの車販 space で車内販売を開始した」との放送が入る。早速財布を持って通路に出たら、前寄りから作業員の方がやってきた。〔はやぶさ〕編成側で寝台解体*5作業が終わり、〔さくら〕編成側に取り掛かるらしい。

作業の写真を撮ったあと、5 号車へ。あなご飯が辛うじて 2 個残っていたので、それを 1 つ。そのほかに sandwich とお茶と coffee を買って撤収。

ところで、おはよう放送のあとの下松から、急に発車時の衝撃が大きくなった。連結器ものばしてないしな。‥‥寝台使用時間帯特有の気遣いだったってことかしらん? でもやっぱり、東海よりは丁寧。

個室に戻って一息。程なく 小郡 新山口。‥‥誰か小郡の駅名改称を提唱したバカをコロシテください。‥‥留置線にいろいろ停まっている。‥‥あっ、マヤが! 隣にはレールクリーニングカーもいます!! ← 事実誤認。「萩開府 400 年」の装飾をした〔みよし〕色のキハ 58 もいるが‥‥その記念すべき年に萩を経由する唯一の特急〔いそかぜ〕が廃止されるとは、なんという皮肉。

まずは sandwich からモグモグ。‥‥あっ、車輛基地に原色風味の 0 系がいます! 6 連ということは、今度の記念列車に使うやつかな?

ところで、〔SL やまぐち〕号の展望客車の色がぶどう色 2 号ではなかったとは、知らなかったよ‥‥ (__;

とかやってるうちに下関着。まずはふく寿司を get。カマの切り放しと引き上げを見損なったが気にしない。関門用の EF81 409*6 の連結作業を撮影して、1 号車に駆け込む。

*5: 〔あおもり〕号とは違い、リネン類を片付けるだけだが‥‥。

*6: 元々関門用として配備された stainless 車体の車は 300 代。400 代車は老朽化した EF30(関門専用機)の置き換え用に増備された鋼製車体の車(だったと思う)。


九州上陸 [列車]

門司までそのまま 1 号車に。どこぞのヲタが傍受した列車無線を speaker から大音量で流していてうるさいことこの上ない。

一方、九州の機関士は荒い。‥‥門司側で地上に出てから架線柱を見ててもやっぱり「交直転換」の標識は見当たらないが、わざわざここだけ付け替えるんだから、やっぱり門司駅構内で切り替えてるんだろうなぁ。

門司では同じホームの隣に〔いそかぜ〕が控えていた。‥‥小倉で門司方から入線してくるのは、ここにいたからなのね。

EF81 409 を切り放し。下り方のずーっと先に引き上げていく。よく見ると、そこにここから先の牽引機が控えているのがわかる。‥‥もっと手前に引き上げ線があれば、カマの付け替えに 5 分もかからないんだろうけどね。下関でもずいぶん遠くまで引き上げていくしなぁ。

EF81 が引き上げた隙を突いて(というか引き上げる EF81 を追い掛けるように)、〔いそかぜ〕が小倉へ向かって出ていった。〔いそかぜ〕をやり過ごしたあと、ED76 94 が接近、連結。

また個室に戻る。小倉駅では隣のホームに〔いそかぜ〕がいた。‥‥何やら、ソレゲな連中が山ほど。ところで、私が〔いそかぜ〕の指定を取ったとき(発売から数日後)には私を含めて 3 席しか売れてなかったのに(これはだいたいいつもどおり)、先日ふと空席照会をかけてみたら、なんと満席だった。出発前から既に後悔。うぅ。こわいよーこわいよー

個室でまったり。せっかくだから、鳥栖の分割 scene も見に行ってみるか。鳥栖を出てからも 2 時間くらいゆっくりできるし。

香椎駅は高架化によってかなり狭くなり、それによって発生した広大な土地は再開発するらしい。博多手前では車掌が乗り換えることの案内放送が。乗り換えてくる車掌のことも「よろしくお願い致します」と、ずいぶん丁寧な放送。東京からの長い乗務、お疲れ様でした m(__)m

博多に到着。腹が減ってきたので、今朝車販で買ったあなご飯(徳山駅弁/¥920-.)を喰うことにする。

喰っている間に列車はどんどん南下。旧線跡っぽいものを見る。ところで、車内の写真を撮りまくっている連中が多いのだが、〔さくら〕側ばっかりで、〔はやぶさ〕側にほとんどいないのは、どういうことだ? 気持ちは解らんでもないが、〔さくら〕は列車がなくなるものの車輛は〔はやぶさ〕〔富士〕で健在。むしろ〔はやぶさ〕は列車は残るが現在使っている車輛は用途廃止なんですが。そこんとこ OK?


さよなら〔さくら・はやぶさ〕 [列車]

鳥栖に到着。6 番。ホームはえらいことになっている。私は当初の目論見通り分割部の連結面に陣取る。

分割作業を撮影。作業中、5 番に「白いかもめ」が到着。先に出ていく。

作業もたけなわの頃、車内放送が入る。‥‥なんかおかしいなと思ったら、〔はやぶさ〕編成の車掌だった。回路ジャンパを抜く前だったので、「お乗り間違えのないようご注意下さい。この列車は〔はやぶさ〕号、熊本行です」という放送が〔さくら〕編成の車内にも流れる。背後で一部騒然。

〔はやぶさ〕が遠ざかるのを見届ける。さようなら。何本か隣の線路の数十 m 向こうには「さくら・はやぶさ」の HM をつけた交流機が停まっている。あれが牽引機かな‥‥と思っていると、分割作業を終えた作業員さんが旗を持って歩いていき、step に乗る。尾燈は片側のみ。やはりそうらしい。近くに渡りはないのになぜわざわざ分割部の近くに停まっていたかと言えば、分割作業員が誘導も行なうため、作業員の移動距離を長くしないためらしい。

程なく、カマがゆっくりと下り方に移動していく。有効長が長い上にホームが曲がっているので、カマの姿は完全に見えなくなる。

しばらくして、カマが接近してきた。3m 手前で一旦停止。そして連結。手前の 1 エンド側には年季の入った HM が付いていた。列車の先頭に当たる 2 エンド側には、新しめの HM。以前に〔さくら〕の廃止が決まった途端に HM を盗む馬鹿が発生したらしいが、いっぺん死ね > 当該馬鹿

連結作業中に今度は〔リレーつばめ〕が 5 番に到着。先に発車していく。本来鹿児島線は外側*7なのだろうが、〔さくら〕がまだ停まっているので、この列車だけ逆なのかもしれない。

しばらくして、定刻より微妙に遅れて発車。渡りを渡って長崎本線に入る。

*7: 鳥栖駅の下り方の配線がそうなっている。内側は直進すると長崎本線(上に上がって鹿児島本線の上り線を跨ぐ)。外側は鹿児島本線。下り方に双方向の渡りがある。


長崎本線 [列車]

分割後の編成、放送設備の調子が悪い。Chime も歯欠けで音が抜ける。もしかして、こないだの帰りと同じ車輛かな?

肥前山口で長時間停車。隣に佐世保行の〔みどり〕*8が入ってきた。その最中に連結器を延ばされてちょっとびびる。結局、長崎本線系統の「ハイパーサルーン」車って、それぞれの列車の専用編成にしちゃったのね。‥‥そりゃ、3 階建てとかで走ってると、車輛の色でも変えておかないと誤乗が絶えないよなぁ。

〔みどり〕を見送ったあと、発車。小腹が空いてきたが、昼御飯にはちょっと早い。しばらくぐったりする。洗面所に髭を剃りに行ったあと、到着までまだ 1.5H あるので、再び浴衣に戻ってみたりする。

やや遅れて肥前山口発。車掌からわざわざ「この先は単線なので運転停車が何度かある。ご了承を」という旨の放送が入る。こんなの、今まで入ってたっけ?

と思っていたら、交換待ちの時、通常なら「列車行き違いのため少々停車致します」とか放送が入るのに、何も言わなかった。つまり、そういうことらしい。

それにしても、鳥栖からの機関士はまた丁寧。ちゃんと発車前に連結器を延ばすし、発車時の衝撃がほとんどない。ていうか、停車の瞬間に自弁を緩めて単弁だけで停まるのも、それはそれでどーかという気がしなくもなかったり (^^;

肥前鹿島を出て、いよいよ電波状況が厳しくなってきた。何せ、ここはかつてとある人が(mailer の設定が悪かったこともあって)ちっとも mail を送ることができずにいらいらしていた区間だ。沿線の菜の花畑が綺麗。そういえば、長崎では桜が今週末に見頃とか言ってたっけなぁ。

肥前飯田で運転停車。ちょくちょく停まるな。次の諌早までの所要時間がやけに長いと思っていたら、こういうことだったらしい。前回下り〔さくら〕に乗ったとき*9はすっかり寝てたので、気が付かなんだ。上りの「白くないかもめ」と交換。

肥前大浦でも運転停車。上り「白いかもめ」と交換。昼になったので、下関で買った「ふく寿司」(¥830-.)を喰う。

湯江でも運転停車。ほんとに多いな。「白いかもめ」に追い抜かれる。沿線の梅が綺麗。

諌早はあっさり発車。構内上り方に「試運転」の幕を出したオハネフっぽい何かをぶら下げた交流機(〔あかつき〕の HM 付)が止まっているのを目撃。何やってたんだろ。

最後に長崎 tunnel 内の肥前三川(信)で「白くないかもめ」と交換。

所定より約 3 分遅れで長崎着。ありがとう。さよなら、〔さくら〕。

*8: この〔みどり〕は「白くないかもめ」と併結。つまり、ここでも 1 本追い越していっている。

*9: 去年の夏。大阪宴会のあと、京都から乗った。四国の南方で突然発生して中国地方を横断した台風 22 号の影響で 1 時間 57 分延で到着したことは、ごく一部で非常によく知られている。‥‥ああ、あれもまだ日記が途中のままだ‥‥ (__;


長崎 [まち]

ホームに降りてみると、結構暖かい。下関とか門司とか鳥栖でも上着を着ずに車外へ出て寒さを感じなかったんだが、長崎もだ。逆に上着を着てると暑く感じるくらい。

長崎駅の留置線にはオロネ 25 っぽい車輛が 2 輛転がされていた。車番は既に「オロネ 15-3002」と「オロネ 15-3004」に改番済。改造工事が終わったものらしい。最終日の下り〔さくら〕が到着したらここで組み込んだあと大分に回送するのかしらん。‥‥だとすると、あと 1 輛は? もしや、最終日の上り〔さくら〕に通路扱いで連結するのかな。

〔さくら〕が着いたホームの向かい側には前回博多から長崎まで乗った top number 編成(SM1)が停まっていた。その奥には〔あかつき〕編成が寝ている。

さらに、隣のホームにはキハ 66 5 + キハ 67 5 の編成が。‥‥ここへ来て、一部日記の記述に感じていた猛烈な違和感の正体に思い当たる。

「SSL」といえば「SEA SIDE LINER」に決まってるじゃないか!! (-.-#

実車にもちゃんと「SSL」の logo mark が入ってるし。

ともあれ、改札を出る。有人通路の女の子に「下車印お願いしまーす」とゾーン券を差し出したら、「下車印ですね〜」と言いながら入鋏し(= 改札印を押した)、「はい、どうぞ」。

「いや、あの、下車印を‥‥」
「え? あ、下車印ですか! えと、えと、(あせあせ)‥‥(とんとん、ぺったし)すみませんでした、どうぞ (^^;;
「ど〜も〜 (^^;

‥‥着いていきなりこれかい(爆)

気が付いたら財布の中には 73 円しか入っていなかったので、アミュプラザ 2F の ATM corner で reload。ついでに 3F のメトロ書店で時刻表を買う。既に小型の時刻表しか残っていなかったので、せっかくだしと九州内のみの時刻表を買う。

2F からそのまま deck に出て、電車乗り場へ。ちょうど停まっていた正覚寺下行に乗り込む。小銭がなかったので両替をお願いすると‥‥をを! うわさの「百円玉が 5 枚入った小さな紙袋」を 2 つくれました! :-)

出島電停で降りて歩く。今日から 3 日間の宿は「ペンション出島の木」。Check in 予定時刻は 18 にしてあったのだが(この時間はまだ check in できないことになっていたから)、とりあえず荷物だけ預かってもらおうと‥‥あれ、鍵が閉まってる。

「ご用の方は」と書いてある interphone で呼び出す。名前を言って、「荷物を預かっていただけますか」と訊こうと思ったら、「ちょっと待ってください」と言って切られてしまった。ううむ。

しばらくして、お婆ちゃんが出てきた。「18 時ってことになってたのに‥‥」とぶつぶつ言いつつも、部屋の鍵を渡してくれた (^^;。いや、荷物を預かってくれるだけでよかったんですが‥‥。

ともあれ、部屋へ。‥‥多分、この宿では一番いい部屋なんだろうな。眼下に出島が。眼下と言うか、目の前に出島の復元建築物が。


伊王島 [まち]

早速、最低限の荷物と着替えだけ持って宿をでる。そのまま川沿いにてくてくと大波止の桟橋へ。

当初は荷物を預けるだけのつもりだったのだが、一旦部屋に上がることになってしまったので、結局、1355 発の便には間に合わず。‥‥次の便は 1530 時か‥‥。あと 1 時間以上あるが、まあ止むをえん。長崎港に 1745 着の便で戻ってくる予定だが、それでも現地で 1.5H ある。

というわけで、専用 booth で ticket を購入。念の為、次の便が 1530 時であることを確認する。渡された ticket は 2 枚。「使い方はご存じですか?」と訊かれたので、「いえ、初めてなんですが‥‥」と言って説明してもらう。『日帰り送迎チケット』と書かれた 1 枚は「ゆき」の乗船券で、下船時に係員に引渡す。もう 1 枚は『ご入浴チケット』。温泉施設の counter でこの ticket を渡して入場するが、その際に帰りの乗船券をもらえる仕組み。ふむ。

まあ待ってる間に日記の続きでも書くか‥‥と思い、とりあえず待合室の bench で ticket の写真を撮るという怪しすぎる行動に出ていると、先ほどの counter の女の子がわざわざ booth を出て隣までやってきて、「すみません」と声をかけてきた。ぼ、ぼくはなにもしてませんよ?!

「あのー、20 分に、hotel で持っているちぃ〜さな(← ここは身振り付き)船が出るんですが‥‥ (^^;
「あ、そうなんですか?! @_@
「乗られます?」
「はい、乗れるなら! :-D
「では、ご案内します (^^)

ちなみに、その時点で 1417 時。なんといい timing!

見れば、別の女の子が台車に荷物を積んで岸壁に向かおうとしていた。「こちらですー」ということで、くっついていく。

長崎〜伊王島・高島間を運行している長崎汽船の高速艇は目の前の大きな浮き桟橋から出るが、女の子はその手前を左に。そして、隣の小さな浮き桟橋には、「やすらぎ伊王島号」という船が。‥‥さっきの女の子の gesture だと cruiser くらいかなと思っていたのだが、結構大きいじゃないですか (^^;

果たして、目指す船はそれだった。船のところではあんちゃんが待ち構えていて、台車から荷物を船内へ。次いで「どうぞー」と言われたので乗り込む。ちなみに、この船に乗るときは ticket は前渡しらしい。

操舵席の脇の階段を降りて客室へ。座席は結構座り心地がいい。席に着くと、すぐに出港。ていうか、客は私一人ですか (^^;

前方展望のない構造なので、左の窓を眺めつつ行く。湾内を出るとにわかに速度を増し、動揺もやや大きくなるが、非常に滑らか。海も凪いでるし。

やがて、前方に怪しげな島が見えてきた。高台になんか天主堂っぽい建物が建ってるし、海辺には hotel のような建物が。そこに吸い寄せられるように近づいていったと思うと、急に速度が落ちた。やはり‥‥伊王島であった。

約 20 分で到着。‥‥高速船と変わりませんな。「お疲れ様でしたー」という声に席を立つ。「どうもお世話様でしたー」「ありがとうございましたー」

桟橋へ。‥‥人影がありませんねー。しかし、市内とは打って変わって寒い。桟橋からその前の広場にかけてが南国ムードを醸し出す造りになってるんだが、こう寒いとそれが逆に何か寒々しい。

香焼へ行く「やすらぎ伊王島号」の出港を見送り、さて、温泉はどっちかな‥‥と思っていると、今度は長崎行の「コバルトクイーン 1 号」が接近してきた。ついでなので、接岸から出港までを眺める。

さて、いよいよ温泉。〔さくら〕には shower 設備がないので、風呂が楽しみ。ところで、伊王島は「健康づくりの島」を標榜してるようですね? 端から端まで歩いて 10km くらいか。貸し自転車もあるらしいので、もう少し暖かい季節に廻ってみてもいいかも。

桟橋の真ん前に立っている案内看板は「→」を指している。そちらに歩いていってみると、何やら銅像が。‥‥観光開発会社の社長だそうな。「炭鉱の閉山で閉塞していた島を resort 開発で見事に生き返らせた」ということらしい。

その銅像の背後に、広い芝生の中を延びる通路が現れた。‥‥うーん、地中海のかほり (^^;。なんというかこう、「寒空」に「温泉」に入りに来たというのとは見事に噛み合わないというか、まぁ‥‥。

みょーなでじゃぶを感じつつ通路を歩いていく。横では鳩の集団が寒さで真ん丸になりながら必死に何かをついばんでいる。眼前の建物との gap が‥‥。

「ここは『サンストリート』*10でしょうか」という感じで建物の間を抜けていくと、一番奥に何やらそれげな建物が。‥‥はっきりとここだとは書かれていないが、送迎 bus っぽいものが目の前に止まってるし、「長崎温泉 やすらぎ伊王島」の logo が入った垂れ幕があるし、他に人が入れそうな建物もないので(爆)、きっとここだろうと中に入る。

2 重になった自動 door を通り抜けると、目の前にようやくそれとはっきり判る案内板が立っていた。大浴場は「ゆゆ」というらしい。右前方奥へ‥‥とのことだが、これまたそちらの目標物がはっきりしない。右手奥にある売店入口をなんとなく避けて(爆)通路を進むと‥‥おお、これか。

建物内通路の右側に「ゆゆ」の案内板が。右を見ろ、ということなのでそちらを見ると、屋根がついた屋外通路が延びていた。歩いていくと、通路の左側が足湯になっている。この足湯はご自由にどうぞ、ということらしい。

突き当たりにそれっぽい建物が。早速入ってみると、左手に counter があった。入口で靴を脱いで上がり、counter で ticket を渡して帰りの乗船券と towel 一式を受け取る。Counter には航路の時刻表が掲出されていた。

Counter 右手の案内表示に従って脱衣所へ。しかし、他の建物の造りが南国風味なのに対して、この建物だけは徹底して和風ですな。壁も木だし。脱衣所の便所は車椅子対応になっていてかなり広々。

すぽーんと服を脱いで早速浴室へ。‥‥なんていうか、普通だ(爆)。この建物だけはしっかり温泉してます! 事前の恐れは完全に杞憂だった模様 (^^;。むしろ普通すぎてちょっと肩透かしを喰らった気分。← 何を期待してたんだ?

時間はたっぷりあるので、露天風呂にじっくり漬かる。露天風呂からは海を一望。対岸にはほぼ正面に稲佐山が見える(市内から見えるのとは逆側)。外が寒いせいもあってか、露天風呂の温度はじっくり漬かるのにちょうどいい。熱すぎもせず温くもない。露天風呂の壁際には足湯もあり、湯船に使って熱くなったらここで一休みできる。‥‥今日は寒くてとても外に出てはいられないが (^^;

さらにはサウナも堪能。サウナ室の一番奥は外壁に接していて窓があり、露天風呂から見るのと同じ海を眺めることができる。壁には砂時計(10 分計)が 3 つ*11。砂時計を使って 10 分間頑張ってみたり。

散々堪能しまくって風呂を出る。‥‥まだちょっと時間があるので、massage を試してみようかしら。脱衣所の整備に入ってきた女の子に場所を訊くと、宿本体の廊下に戻ってさらに奥とのこと。

足湯の前を通って屋内廊下へ。廊下に突き当たったところを右に行く。扉を開けて抜けるとすぐ右側に階段があった。この階段を登るらしい。ちなみに、扉の手前の右側には laundry corner が。全自動洗濯機と乾燥機が 3 組み置いてある(内 1 組は女性専用)。線材の自販機もあったが使用停止中で、front 向かいの売店で販売しているらしい。

階段を登ってすぐ左手に massage corner が。船の時刻まで 30 分ほどなので、15 分の physical massage をお願いする。「お急ぎのご用が?」と訊かれたので、1726 分発の船に乗ることを伝えたら、納得していた。15 分程度ではあまりしっかり施術できないので、もっと時間をかけることを奨めようとしたのだろう。

腰と肩を重点的に。‥‥腰のほうは急には良くならないが、首の筋が痛いのはだいぶん軽くなった。ありがたい :-)。通常 100 円かかるという会員券の発行が現在無料とのことで、自動的に発行されると共に会員価格摘要で 1 割引。1,350 円。いや、お世話様でした。船に乗ることを言ってあったので、「玄関を出た正面に送迎 bus がいるので、それに乗ればすぐです」と案内してくれた。

逆の経路で front 前に戻る。途中、売店で中華まんを買う。玄関を出ようとしたところで、bus が出ていくのが見えた。少し待ったが、1 台で廻しているらしく(そりゃあそうだ)、あらわれる気配はない。出港までまだ 8 分ほどあるので、歩いていくことにする。

建物群を抜けて芝生の広場まで出たところで、道路を bus が戻ってくるのが見えた。急いで玄関前に戻る。Bus が玄関前に着くのとほぼ同時に到着。急いで bus に乗る。

Bus はすぐに発車。2 分ほどで桟橋に着く。お世話様でしたー。余裕をもって船に乗り込む。今度は「コバルトクイーン 1 号」。

なんとなく 2 階席へ。全面展望があったが、これまたなんとなく左側に陣取る。双胴船だけあって、船体の動揺はほとんど感じない。

所定に長崎港(大波止)へ。こちらは下船時に ticket を回収。

*10: 総武線亀戸駅東口の南側にある複合商業施設。雰囲気がそっくりです、ええ。

*11: あと 3 つ space があるが、壊れていた。


大波止界隈散策 [まち]

船を降りて、岸壁沿いに出島方向に歩く。‥‥突然「精霊流し」が聞こえてきてびっくり。見れば、入港中に追い越した遊覧船が隣の船着き場に着いたところだった。なぜ「精霊流し」なのかは不明。誰かの趣味か? (^^; ‥‥しかし、やっぱり声が若いなぁ。

さて、当初予定ではこのまま宿へ向かってちょうど 18 時頃到着する予定だったのだが、check in は済ませてしまっているので、急いで戻る理由は何もない。そこで、前回歩いていなかったリンガーハット以南の臨港鉄道跡を見に行ってみる。

まずはリンガーハット(と「とんかつ浜勝」)の建物の南側へ。‥‥やっぱり、「カーポート出島」(立体駐車場)の敷地と建物の curve がいかにもそれっぽい。この駐車場の東端に沿って線路が延びていたのだろう。それが正しければ、その南側は JA のビルが線路跡の直上に建っていることになる。

JA ビルの前を通って南側へ。南側の駐車場の敷地も東側が curve を描いている。その先はホンダクリオ店の建物の裏手方向へ向かっている。この駐車場もヤードと臨港線の跡らしい。道を挟んだ南側の線路跡と思しき空間は建物の建設工事中だった。こうして次第に廃線跡はその痕跡を消していくのだろう。

とりあえず状況は掴めたので、宿へ戻ることにする。大通りを横断し、路地に入って出島跡方向へすすむ。新聞社の建物の角を曲がって電車通りへ。1810 頃部屋に着く。1F は明かりこそついていたがやはり無人。


新地中華街界隈 [まち]

少々部屋でぐったりした後、どうにも腹が減ったので、食事に出る。Guide book で夕食を検討してみたが、卓袱などは複数人で行ったほうが良さげ。ランタンフェスティバルの湊公園会場も近いので、チャンポンでも喰おうと新地中華街へ向かう。

玄武門から中華街へ入る。頭上には一面に赤いランタン(ボンボリ)が下がっていてとても綺麗。

江山楼へ行ってみるが、30 分以上の待ち行列発生中。待つのは構わないが、暇潰しのネタが何もない。どうせなら日記でも書きながら待っていたほうがいいので、とりあえずそのまま湊公園へ向かう。

湊公園はかなりの人でごった返していた。Stage では中国雑技団の演技が行なわれていて、広場は人で一杯。ていうか何も見えません。また明日来ることにして、適当に写真だけ撮って離脱。

また中華街を抜け、西側から出る。‥‥中華街の中央から西側だけ極端に人が少ないのはなぜだろう。

一旦宿に戻り、PC を持って再び中華街へ。‥‥再度江山楼へ行ってみるが、なんとなーく予期するところもあるので、今夜は見送ることに。隣の王鶴が妙に空いていたのだが、guide book ではそれなりに良さそうな評価だったので、入ってみる。

皮蛋(¥315)と特製チャンポン(¥945)と杏仁豆腐(¥367)を頼んでみる。‥‥皮蛋、まあまあ。チャンポン、soup に大量に投入された胡椒の味が強すぎる。杏仁豆腐、‥‥缶詰か? これ。空いている理由が良く解った。



2005/02/18 (金)


2005/02/19 (土)


2005/02/20 (日)


[後日へ続く]

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この日記は、GNSを使用して作成されています。作製者の GORRY さんに感謝 m(__)m