この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。
取扱上の注意
・ ある人の諸般の事情に茶々を入れているうちに個人的にも興味がわいてきたので(すんませんねー、好奇心旺盛な質なんで (^^;)、息抜きがてらちょろちょろと調べてみた。
・ やっぱり、墨東地区は便利な場所なわりに安いよねぇ。うちなんか、東京駅八重洲北口からの直線距離が 3.1km しかなかったりする(爆)。結構住みやすい街なんだけどな。治安もいいし。物価も(なぜか)安いし。駐車場が 2〜3 万するのが痛いが、すぐそこの隅田川を渡った台東区側と比べるとそれでも 1 万円くらい安かったりするし、下手なところと比べるとそもそも家賃そのものが差額で駐車場代が出てしまうくらい安かったりするので‥‥。
・ 21 時前、何となく出掛けてみたりする。
・ しばらく目的地付近をうろうろ。自転車を押してややゆっくり歩き、時間を計ってみたり。
・ 自分が歩いた道を確認したいなーと思っていたら、駅前(というか、正確には駅の横にある生涯学習センター前)に住居表示案内板があった。生涯学習センター前にはなぜかおっちゃんが 2 人、うろうろしながら何やら周囲に目を光らせている。
・ 前に割と排気量の大きめな二輪車が置いてあって邪魔なんだが、それ越しに身を乗り出すようにして見ていたら、うろうろしていたおっちゃんのうちの 1 人が近寄ってきた。
「どちらへ行かれるの?」
「ああ、今ちょっと歩いて時間を計ってたんで、道を確認してたんですよ」
「あ、そうなの。」
・ 会話は一旦途切れたんだが、おっちゃんはまだ隣に立ったまま。せっかくだから、突撃インタビュー。
「この辺り、治安はどうですか?」
「治安‥‥治安ねぇ。」
悩んではる。なんか、すっごく聞きなれない言葉に戸惑ったような顔をしてるなぁ。
「ああ、ドロボーが多い!」
「えっ、そうなんですか?」
「そこにさ(と言いながらセンターの前を指さし)、自転車停めとくじゃない?」
「ええ」
「そんでさ、ちょっと中に入ってでてくると、もうないんだよ。すぐなんだよ? ほんの 10 分くらい」
「はー」
まあ、駅前だしなぁ‥‥。
「あとさ、自転車のここに(と handle 付近を指さし)なんか入れとくじゃない?」
「ああ、前籠ですか」
「そうすっとさー、すーぐ持ってかれちゃうんだよ」
「ははー」
それはあまりに不用心なような気がしますが (-.-;。ていうか、さっきの「自転車が‥‥」っての、鍵はちゃんとかけてたんだろーな?
「で、頭に来て、こないだ袋に石入れて籠に置いといたんだよ。そしたらそれ、持ってっちゃった (^^)」
「あははは、まんまと持っていきましたか (^^;」
「そーなんだよー (^^)」
「あははは〜」
なんとゆーか、のどかな話だ (^^;。
「まあ、そんな感じなんで、よく考えたほうがいいよ〜」
‥‥もう終わり? それだけですか?! (-.-;
「あっ、でもねぇ、そこに(と目の前の建物を指さして)ディスカウントストアがあるじゃない?」
「ありますねぇ」
「んで、こっちに行くと(と右の方を指さして)、生鮮食料品の店*1があるし、」
「ええ、ありますねぇ」
「だからねぇ、便利はいいよ」(← 原文ママ)
「なるほど。」
‥‥まじめな顔で慌ててフォローを入れるほど危険な地域なようには全く聞こえなかったんですが。なんかこう、ほんとにのどかだな。さすが下町と言うか、何と言うか (^^;。
・ そんなことを話していたら、今度は警官がやってきた。おっちゃんは猛然と抗議し始める。なんでも、まさに目の前に置いてある二輪車がこのところずっと問題になっていたらしい。
「公道の路上だし、車が通ると危ない*2し、一番問題なのは、この地図の前にあること。こないだも婆ちゃんが見辛そうにしてたんだよ。今この人もそうやってみてたんで(とこちらへ向いて)、それで『どちらへ行かれるの?』って声かけたんだよ」
「ああ、なるほど (^^)」
いやぁ、気さくというか、親切というか。さすが下町ですな :-)。
・ すると、もう一人のおっちゃんも寄ってきて、「この間も別の人(= 警官)に言ったら、『警告を貼って、3 回貼ってもダメだったら、持っていく』と言っていたのに、何度貼っても効きやしないし、持って行きもしない」「昼になるとなくなって、夜になると置いてあるから、きっと近くに住んでるに違いない」「以前もナンバーから紹介してもらったら、当該の住所に該当する人は住んでいなかった」などと 2 人で訴えている。何となく途中で目で訴えられたりしたので、「昼にはなくて夜になると置いてあるってことは、近くに住んでる人だろう。駅に来るのに乗ってきてるんだったら、逆になるはずだ」と同意しておいてみたり。
・ なんのかんのと言っていたら、持ち主がやってきた。「すぐ横の建物に住んでいるのだが、建物に駐輪場がないので、ここに置いている」とのこと。普通、そういうのは「どこに置いていいか」と大家に確認するもんじゃないのか? すると先に寄ってきたほうのおっちゃんが、
「あそこに空いてるところ(= 角の内側の路肩にある余地)があるよ! そこの建物、ここ(= 持ち主が住んでいる建物)の大屋さんのだよ。(置いてもいいかどうか)訊けばいいじゃない。」
‥‥をを、把握してる (^^;。さすが下町。話からすると、この近くの人みたいだしな。「顔が見える街」ってやつですな。地域 community がまだ機能してるという。
・ あとから寄ってきたほうのおっちゃんも自転車で帰っていったし、私も一声かけて退散する。もう一度目的地まで行ったあと、キコキコと帰る。それにしても、なんか「重大事件」の基準が危険な街と根本的に違うよ‥‥。
*1: 既に営業時間は終わっていたが、スーパーがあった。
*2: 現場は路側帯のないやや細い道の曲がり角。案内板の場所は角の外側ではあるが、隅ではなく、角を曲がろうとした車の頭が一番膨らむあたりにある。道自体はそのすぐ先で行き止まりなんだが、奥に駐車場がある関係で、私がいた 15 分ほどの間にも数台の車が通過した。
・ 予約してあったカイロへ。今年に入って初めて。今年もよろしくー。
・ 終わったあと、またブラブラと。うろうろしたり、時間を計ったり、写真を撮ったり。夕暮れ時だったのだが、ちょうど夕食の買い物時間帯と重なっていたせいか、周辺の商店街の状況がよく判った。これだけ活気のある商店街って、いいね :-)。スーパーを中心に、今となっては懐かしい風情の店が狭い路地の両側にびっしりと立ち並んでいる。「八百屋」とか、「肉屋」とか、「魚屋」とか、「総菜屋」とか、「てんぷら屋」(!)とか。付近はお婆ちゃんとか小さな子供連れのお母さんとかで大変なにぎわい。旧き佳き「昭和」のたたずまいが、そこにはあった。
・ 商店街で焼き鳥を喰ったり、ちょっと(徒歩で 5 分くらい)離れた別の商店街でたい焼きを喰ったり。たい焼きはうちの近所にある浪花屋と同じ系統で、皮が薄くパリッとしていて、中に餡こがたっぷり入っているもの。もちろん尻尾まで餡が入っている。1 個 130 円。
・ 行きと同じ経路では芸がないので、ちんたらと「オリンピック 墨田文花店」へ。工具やサンスベリヤ用の栄養剤を買って、帰宅。帰りは所定速度での運転。‥‥もうすっかり暗くなり、寒さで筋肉が萎縮しているので、腰に来るなぁ‥‥。
・ ずっと我慢していたのだが、ついに辛抱できなくなった。ひとこと言いに行かねばならない。
・ 自転車で走っていき、さっそくひとこと。
・ 腰の周辺はやはりかなり固くなっているという。一方、肩のほうは、痛みを感じるのは専ら左なんだが、触った感じでは左右ともに同じ状態らしい。以前によそで左の首から肩にかけての筋を痛められ、その影響がまだ残っているようなので、その関係で左側だけ痛みを感じるのかも、という話に。
・ ところで、前回・今回と灸を併用したところ、状況がいい。そこで、今後は灸を中心にしつつ、鍼を併用していく方針に。
・ そんなこんなで、今回もまたじっくりやっていただいた m(__)m。
・ Chiken Place 蔵前店でチキンカレー。
・ そのまま客先へ。
・ 会議。先方は結構あっさりと考えていたらしい。方向性は一致していたので、その方針で。
・ 作業に入る前に、同じ floor の販売機 corner へ coffee を買いに行く。この販売機にはくじが付いていて、当たると全額が払い戻し。今年の最初の会議の前に買ったらいきなり当たってしまい(毎日出社してる人たちでもなかなか当たらないらしい)、「今年一年の運はこれで使い果たしました!」とか言っていたのだが、
‥‥を? ありゃ、当たった‥‥。なんか、2 週連続で当たられるとすごく不気味なような(爆)。当たったのはうれしいんだけど、千円札で買って、そのお釣りは既に出てきているので(しかも百円玉 9 枚で)、財布がずっしりと重くなってしまった (^^;。
・ そのあと作業。会議で「早急に解決すべき課題」が提示されたので、それに対応。Code の問題ではなく「環境」の問題なので、対応自体はすぐに終わったのだが‥‥その件でほかの担当者から相談を受けたりもしたけど、「根本解決には時期尚早」という結論に達して、「見掛け上要求仕様を満たしている」という水準で当面様子を見ることにする。
・ さらに、作りかけで持っていった code を commit し、細かな不整合を取り除いていく。‥‥こんなもんかな。
・ 作業の合間に、何人かの人に名刺を渡してみる。また作ったよー。餘部版と〔いそかぜ〕版を set で渡す。そのあとうだうだと無駄話。
「この列車がねぇ、好きだったんですよ。九州方面に行くと、帰りはわざわざ小倉で一泊してまで必ずこれに乗って」
「これはいつ乗ったんですか?」
「去年の夏の長崎に行った帰りに」
「ああ、さだまさしですね」
「さだといえば、年末の忘年会でね、出席者に怒られたですよ。『この間、電車の中で≪解夏≫を読んでたら、ボロボロ泣きそうになりましたよ!』って。もう、『どうしてくれるんですか!』という勢いで」
「『げげ』って、なんですか?」
「『夏が解ける』って書く、仏教用語なんですが、そういう title の小説があるんです」
「へー」
「私に怒られてもねぇ。書いたのはさだまさしだし (^^;。で、『じゃあ、これを見なさい』と言って映画化された DVD を貸したら、観てやっぱり泣いたらしい」
「あー、最近映画とか見て泣いてないですねー」
「まあ、私はこないだ別の方面の DVD 見て泣きそうになってましたけどね」
「え、何を見たんですか?」
「特急〔あさま〕の前面展望 DVD。」
「(爆死)」
「もおねぇ、『ああっ、ロクサンが動いてる! ああああ、協調運転で峠を登ってるよ‥‥!! ;_;』って」
「まあ、『フランダースの犬』とか見て泣いてるよりはいいと思うけどねー」
「‥‥それって、普通は逆なんじゃないの? (-.-;」
会話の相手の 2 人はどちらも民間人なんだけど、どうして私が「逆だろ」とか突っ込む立場に (^^;。
・ さらに、別の team の人たちとは某 H な会社のとある CPU のネタで盛り上がってみたり。
「Processor 関係の人にはあの CPU の名前は禁句ですね」
「むしろ NG word でしょう」
「昔、展示会で型番を言ったときの説明員の表情が忘れられません」
「もはや封印された存在なので、今の若い H 社員は逆に知らないから、怖いもんなしかもしれませんけどねー」
「(爆死)」
とかそんな。
・ 22 時頃離脱。いつものように「四季」で定食を喰って、2234 発の特急泉岳寺行に乗る。‥‥ 600 形だ! らぶりー :-D。
・ 乗り心地のいい cross seat を堪能したあとの乗り継ぎは、通勤特急成田行。‥‥Long seat は腰に響く‥‥ T_T。
・ 浅草橋で下車。這々の体で帰宅。
・ 「AIR」、DV では録れてたけど、D-VHS はなんかおかしい‥‥。先日の「BS 世界のドキュメンタリー」もそうだったのだが、本来あり得ない LS3 mode で記録されていることになっている。いよいよ deck がおかしくなったか‥‥? そろそろ pot を買わないとダメかなぁ。
・ ところで、第 1 話を見たとき、main heroin の声を聞いて「なんか聞き覚えないけど、うまいなあ。誰だろ」と思っていたのだが、staff role を見て引っくり返った。ともぞうかよ! @_@;
・ いつも元気な役ばかりだと思うんだけど、そういう時って、うまいにはうまいんだが、ちょっとなんか過剰な演技が耳についてたんだよな。本人の character は(少なくとも営業的には)元気系なんだが、こういう静かな役の方が、本当は向いてるんじゃないのか?
・ 京王相模原線の運賃が高いのは、建設費償還のためにキロ程に応じて運賃が加算されてるから。このへん参照。ちなみに、この加算は NT 線認定に関係するものなので、京王多摩川から先にだけ適用されることに注意*1。南大沢駅が橋本よりあとに開業したのも、NT 線認定の絡み*2があったはず。
・ 〔はくつる〕廃止の代案なら、上りであれば〔北斗星 2〕号、下りは(運転されていれば)〔エルム〕という手がなくはない。どちらも青森でどうやって時間を調整するかというのが大きな問題だけど(爆)。〔北斗星 2〕号は時間の関係で食堂車が利用できないし(朝食は可能)、〔エルム〕にはそもそも食堂車すらありゃしないが、どのみち〔はくつる〕にも食堂車は以下略。‥‥「ゴロンとシートがないじゃん」と言われれば、確かにそのとーりなんだが (__;。
・ 一方、〔いそかぜ〕 廃止の余波でいまだに tension が低空飛行(というか墜落直前)な俺。動き廻ったりしてむりやり持ち上げようとはしてるんだが、そのせいで逆に空回りも甚だしい。これは当分立ち直れないな‥‥。ごめんなさいね > ご迷惑をおかけしている方々
・ 「汽車旅」が完全に過去のものになるのもいよいよ目前だ。その日が来たら、私はいったいどうなるのだろう。
*1: 相模原線は調布〜橋本間だが、調布〜京王多摩川間に以前からあった路線を延長する形をとったため、新規着工区間だけが対象になっている。京王多摩川までの線路が以前からあったのは、多摩川の砂利採取が目的だったはず(相模線の寒川支線とか、西武多摩川線とか、東急玉川線の砧支線なんかと同じ)。
*2: NT 線に認定されると様々な優遇措置があるのだが、認定される区間はニュータウンへの延伸部分が主で、ニュータウンを突き抜ける場合は「ニュータウンの区域から出た最初の駅」までが対象。南大沢は多摩ニュータウンから外れたところにあるので、先にこの駅を作ってしまうと南大沢〜橋本間が対象外になってしまうので、当初は駅を作らなかった(そうすると橋本までの全区間が NT 線の対象になる)と言われている。
・ 5.3-RELEASE を入れていた desktop の disk のうち 1 台がしばらく前からおかしかったので、取り外して通電してみる。‥‥Motor が回っていない。Controller は回そうとしているのだが、motor が固着してしまっている模様。ST380021A(Seagate Barracuda ATA IV)なんて、買ってから 2 年も経ってないんじゃないか‥‥?
・ Test をしていて、ふと xdm から login できなくなっていることに気付く。gnome-session は実行されるものの、何かの原因で落ちてしまっているようだ。昨日まではそんなことなかったし、少し前から disk の調子がおかしかったので、昨日 portupgrade をした際になにかの binary が壊れてしまったに違いない。
・ Rebuild する前に念の為 cvsup をかけてみる。‥‥しばらくして様子を見に行ってみると、なんと panic して固まっていた。いよいよ disk がやばいらしい。とりあえず fsck をかけるために reboot し、dmesg を眺めていたら、これも ST380021A だった。むぅ。
・ 完全に回らなくなったほうに disk には、確か deck から吸い上げた DV stream しか入っていなかったはずなので、それほどの impact はない。Master の tape は残ってるし。ただ、数時間分に渡る stream を、しかも複数の tape から吸い上げたものだったので、もう一度やろうという気にはならない。なにより、dvview で編集した cue sheet が失われてしまったのが、痛い。容量の関係で編集後の stream は別の disk(これは今のところ問題なく動作している)に保存してあったので、それが不幸中の幸いであった。こいつも早いところ tape に書き戻しておかないと‥‥。それには 5.2.1-RELEASE の machine を復活させねばならない。ぐぅ。
・ やっぱり、最近は HDD が確かに安くなったけど、その分耐久性も落ちてるよな‥‥。定期的に disk を丸ごと copy して交換しなければならない時代がやってきたのかもしれない。もはや HDD も消耗品だ。
・
Unix で使ってるから cp でも scp でも tar でも cpio でも dd でもとにかく copy して差し換えてしまえば何てことないが、Windoze だとそうはいかないよな。みんな machine の調子がおかしくなることを前提として使ってるし、もしおかしくなったら当たり前のように再 install してるし。根気あるよなあ‥‥。
・ Scan 開始。
・ Scan よーし。
・ 合間に、昨日 書き忘れて いたことを補完してみる。少しは明るいネタも書いておかないとねぇ (^^;。つい忘れがちになるんだが、こんなときだからこそ!
・ 何となく腹が減ったので、いつもの弁当屋で唐あげ弁当。ちなみに、この辺りをうろうろしていると「森の治療院」のある人に目撃される危険がある*1わけですが、気にしてはいけません!(爆)
・ 明日から旅行なのに、card の枠がないことにふと気付く。しかも今日は金曜日。今日中に銀行に行っておかねば‥‥!!
・ ‥‥銀行行ってきた。すっきりした :-)。
・ 銀行に行った帰りに郵便受けを覗いたら、不在連絡票が入っていた。‥‥を、ソニー SS からですよ? WV-DR9 の修理が上がってきたらしい。旅行の出発に間に合いました!:-D ‥‥ちゃんと直ってるんだろーなー (-.-;。
・ 「発送の前に、一度連絡する」ということになってたはずなんだが‥‥と思いつつ家に戻ってみると、‥‥をを、留守電に何か入ってる(爆)。どれどれ。
「お見積りのご連絡をしましたが、お返事をいただけなかったので、そのままご返却とさせていただきます。それでよろしいかどうかご連絡をいただけますでしょうか」
‥‥見積もりの連絡なんて来てませんが (-.-;。そもそも、有償修理ってこと? 前回と同症状の再発で、ギリギリ(修理内容の)保証期間内だったはずなんだが‥‥。
そのすぐあとにも留守電が入っていた。
「担当者に確認しましたところ、ヘッドそのほかを交換して修理完了となっております。先ほどの留守電の内容は破棄していただきますようお願い致します。まもなくお届けできると思いますので、もう少々お待ち下さい。申し訳ございませんでした」
‥‥どうやら、連絡に行き違いがあったようで、既に修理が完了していたらしい。しかも、保証範囲と認定されている模様。あー、びっくりした (^^;。
・ 早速ヤマトの運ちゃんに電話。18 時前には持ってきてもらえるとのこと。その時間に来てくれれば、しゃぶりに行く前に copy を取る時間はありそうだ。どきどき。
・ それにしても、腰が痛いなぁ‥‥。日記の補完も全然進みませんよ‥‥? ← 仕事はどーした
*1: 目の前を走っている〔門 33〕の車内から弁当を買っているところや自転車で走っているところをしばしば目撃されてるらしい (^^;。
・ 今年はもう 2 回 coffee が当たっちゃったからなぁ。‥‥いつもだと(旅行の場合は特に)致命的な天候には襲われないんだが(沖縄では台風すら逃げてった)、これはもうだめかもわからんね。
・ ‥‥実際のところは、結構気楽に構えてたりして (^^;。なるようになるし、なるようにしかならないし。
・ どちらかっていうと、このところの信越地方の記録的な大雪のほうが気掛かりなんだが‥‥。上越線と只見線なんか、除雪のためのウヤまで発生してるし (__;。旅程の確保もそうだが(こちらはもう帰ってくればいいだけという状況で当該区間を通過するのである程度どうにかなる)、新潟県中越地震の被災地域にまともに重なっているのが問題。なんとか仮設の建設が終わって一段落つくまで雪が降らなかったのは是も非もなく幸運だったが、だからといってそのあとがこの大雪では、さすがにたまらないだろう。暑さや寒さに弱い仮設に暮らす人たちの健康はもちろん、雪下ろしができない被災地域の建物も心配だ。
・ あと、懸念がもう一つ。計画段階とは上越線の状況が変わっていて、不通区間がなくなったのはいいものの、当該区間は単線運転の上速度制限もかかっているので、運転時刻に変更が発生している。現場が何しろそういう状態なので、我々が行くまでに復旧している可能性は極めて低い。最悪の場合はシヨシに乗変かなぁ‥‥。
・ 1706 時、配達完了。ありがとー
・ 早速開梱。‥‥修理明細書には、確かに不思議なことが書いてある。「お客様ご連絡欄」には「見積もりに対する返答がないので一旦返却」という旨が書かれているが、そのくせ「交換部品・補充部品名」欄には部品が 2 つ(うち一つは head)。請求額は 0。なんかよくわからん‥‥。
・ そして本体を取り出すと‥‥なんつーか、修理に出すたびにほかのどこかの調子が悪くなって帰ってくるんだが(前回は早送り button の反応がおかしくなった)、今回は前面 panel の動きが妙に重い。そしてなんといっても、前面端子部のふたが壊れている(片方の足が折れてしまっている)。いくらなんでも、外観から一目でわかる破壊ってのは酷すぎるんじゃないか? モノも(持った指に臭いが移るほど)すっげータバコ臭いし。明日は SS に担ぎ込んでいる余裕がないので、帰ってき次第再々々修理だな‥‥ (-.-;。勘弁してくれよ‥‥。
・ ところで、こんな場合、一部部品を user が交換すればすむような場合でも、やっぱり全体を持っていかなきゃならないんだろうか‥‥。とりあえず、実機を担いでいく前に、写真を撮って相談しに行ってみよう。
・ 少し早めに出て、錦糸町駅近くの北斎通り沿いにある am/pm で copy。am/pm は full color copy の値段が A3 でも変わらないので重宝する(よそは普通 A3 だけ単価が高い)。
・ 錦糸町駅北口地下駐輪場に駐車。アルカキット内のくまざわ書店で時刻表と観光 guide book を買い、無料駐輪権*2を取得。
・ 地上をてくてく歩いてテルミナへ。‥‥いつも思うんだが、ここは本当に南北の行き来が面倒くさい。地上でも高架でもいいので、南北自由通路を作ってくれないものか‥‥。アルカキットからテルミナ駐車場のビルへ橋をかけてくれるのでもかまわないんだが。
・ つきじ植むらの店頭に接近したところで、塩兄から入電。「いま○○(← 音声が途切れて聞こえなかった)なので、15 分ほど遅れます」。時間調整のため、一旦ヨドバシに降りて買い物。
・ 15 分経った頃再び店頭へ。‥‥いないなー。少し待ったあと、「もう店内に入っているかも」と思って電話をかけてみるが、呼び出し音は聞こえるが反応がない。さらに少し待っていると、電話がかかってきた。
「どんな状況でしょう?」
「あんた、どこにいる?」
「もう中に入ってますが」
「なんだとう。」
・ てなわけで合流。
「『もう入ってるかも』と思って電話かけても、出やしねーし!」
「ええっ、電話なんかかかってきてませんよ!」
「着信履歴見てみれ!」
「‥‥あ、ほんとだ」
全然気付いてなかったらしい。なんだかなー (__;。
・ まあ、そんなこんなで、内川さんと 3 人でしゃぶりまくる。話題の中心は家の話。「某商店街の 1,000 万の売家は事実上借地権を 1,000 万出して買うようなものだ」とか、「なぞのカレー屋の近くの物件が萌え萌え」「都心の億ション並みの値段だよねー」「同じくらいの値段で 5 階建ての一軒家ですよ?! しかも、floor 面積は 100 平米超」とか、「押上周辺、いいよねー」とか。やあ3には力強く押上をお奨めしていきたい。‥‥そいや、不忍池のほとりに建ってるっぽい怪しい形のビルげな写真が。
・ しゃぶりまくって、久々に余裕を持って退散。ごちそうさまー :-D==。デザートを待つ間に塩兄には周遊きっぷと〔あさかぜ〕の寝台券を引き渡し。
・ いつものように tommorow に流れる。おもむろに塩兄が note PC を取り出したかと思うと、このところの旅行の写真を開陳し始める。‥‥一部に川とか駅前とかの写真があるけど、専ら車輛と駅名票と駅弁の写真しかありませんが?
五「これだけ鉄な写真を撮っておいて、まだ『鉄じゃない』とか言い張ってるしなぁ」
塩「たまたま写ってただけです」
五「目立つので?」
塩「ええ」
君な、その言い訳は出雲大社でも使ってたよね。ほとんど各駅毎に駅名票を取っておいて、まだ言い張るか (^^;。
・ そして、嬉々として旅行に使った切符の写真を見せる。「東京都区内 → 東京都区内」、5 日間有効で 9k 円強の片道切符。
五「あのなあ、そんな切符買ってる時点で民間人じゃないっつーの」
塩「えー。だって、この方が安いじゃないですか」
五「それは紛れもない事実なんだが、民間人はそもそもそういう切符を組もうとも思わないって」
塩「そうですかねぇ」
内「普通は単純に往復切符買って終わりだよね」
五「そうそう」
塩「え〜。行きと帰りでおんなじところ通ったって、おもしろくないじゃないですか!」
五「民間人はそんなこと気にしないってば!」
内「そうだよ。何も考えずに往復するって!」
塩「そうかなぁ‥‥」
五「やあ3ですら、濃くなってくるまで、京都に帰るとき、単純に新幹線で往復してたじゃないか!」
塩「あ〜‥‥‥」
いい加減に自分が民間人でなくなってしまったことに気付けよ (^^;。
五「最初の頃は、切符をまとめてバサッと渡すと『どの時点でどの切符を使ったらいいか、わかりません』とか言ってたのに、今じゃ自らこの有り様ですよ!」
内「へぇ〜」
塩「(ぷるぷるぷる)」← 否定できないらしい
塩「私、押し寿司好きなんですよ」
五「‥‥なんか、(駅弁が)買うもの買うもの、みんな押し寿司ばっかりだねぇ」
塩「自分で言うのもなんですが、ほんとに押し寿司ばっかり。‥‥あっ、これは違いますね」
五「その駅に押し寿司系がなかっただけなんじゃないの?」
塩「‥‥ああ、そうだったかもしれません」
五「でもあれだよね、いつぞや磐越西線から〔いなほ〕に乗り継いで北に向かったとき、俺が平目の押し寿司喰ってたのに、あんた、別のなんかを喰ってたよね」
塩「あー、そういえばそうでしたね。‥‥まあ、たまにはそういうこともあります」
五「普段はひんぬー好きでも、たまにはぱよっぱよがいいと思うこともある、と」
塩「‥‥そういうことです (^^;」
・ そんなこんなで 23 時過ぎまでうだうだして、離脱。3 人一緒に半蔵門線の改札まで行き、解散。おつかれさーん。
・ まだアルカイーストの通り抜けができたので、そのまま地下づたいに駐輪場まで行き、自転車を回収して、帰宅。うう、寒いのう。
*2: アルカキット内の任意の一店舗で一度に 500 円以上買い物をすると、その日一日の駐輪が無料になる。ただし、北口でのみ有効で(南口地下駐輪場では無効)、駐輪時に予め「アルカキットで買い物をする」と告げなければならない(一旦料金を払ったあとでの払い戻しはない)。
・ ‥‥元気だねぇ、きみら (^^;。
・ こないだ「20cm を超えた」と書いた芽はいよいよ 30cm になろうかという勢い。もう「芽」とは書けなくなってきた。もう一方の葉も依然として伸び続けている。
・ いい加減に気温が低くなってきているので、水やりは完全にやめてるし、できるだけ fan heater を廻して温度を維持するようにはしてるんだが、数日家を空けるとなると、それもままならない。かといって、電暖をつけっ放しにしていくのもなぁ。だいじょぶかね、あんたら‥‥?
・ 12 時頃起きる。さあて、支度だ。
・ 外は雨。うーん。
・ 録画予約、よーし。今回は震災関連の番組が多いので(明後日でちょうど 10 年だ)、3 台の deck を使っても program 数がぎりぎり。
・ しっかし、いつも思うんだが、1 本の tape に 6 時間 50 分も録画できるのに、予約が 6 program しかできないってのは、やっぱり設計上の不備だよな‥‥ > WV-DR*。一方で、NV-DV10000 のほうも一度登録した予約を編集することができなくて、割と使い勝手が悪い。早く PC から録画予約を control できるようにしないと‥‥と数年前から思い続けている俺。
・ サンスベリアは、結局寝室へ移動。部屋の状況から見て oil heater は停めたくないし、連続運転に不安も感じなくなったので、こうするのが一番よさそう。
・ 去年の長崎で買ったヒゲそりが見つかりません! びーんち。急遽、普段使っているビゲそりに充電開始。
・ そういえば、寝室の窓の結露はこのところ以前よりましな状態に。
・ Oil heater を使い始めた当初はかえって物凄くなったりもしたのだが、部屋全体が十分暖かくなってからは、落ち着いてきたように思う。とりあえず、「朝起きたら、窓を滝のように水が流れ落ちた跡が!」ということはなくなった。これだけでもだいぶんありがたい。特に、heater に近い側の窓は結露の量も少なめになってきた。予熱運転に切り替わって heater の通電が止まっていることも多くなった。周囲へ直接放熱しないので、ごく近くに置いてあるものの表面温度の上昇もわずか。
・ サッシ枠の結露は相変わらず物凄いが、これは断熱 tape など別の手段で防護しないとどうしようもない。
・ 上から下まで full 装備で、まずはソニー秋葉原 SS へ。
・ 修理の件については「部品欄が正しい*1ので、間違いなく終わっている。『見積もり』の件は、入力誤りだろう」とのこと。前面端子部の蓋については、「一度見てみないとわからないので、もう一度持ち込んでもらえないだろうか」とのことだった。持ち込むのは旅行から帰ってからになるので、2 週間くらい先になることを伝えると、とりあえず、今回の修理伝票に「1/15 破損指摘あり」の証明をしてくれた。
・ 太昌園の lunch にはびみょーに間に合わない風味だったので、ねぎしでがっつり。Counter 席だったのだが、お代わりをしようとしたら脇で待ち構えられてみたり (^^;。顔が割れたりはしてない(はずな)のだが、「肉ととろろはあまり減っていないのに、ごはんが早くも空に!」という喰いっぷりに、「こいつは喰うぞ」と目をつけられた風味 (__;。
・ ちんたらと帰投。出発前に鍼を打ってもらおうかと思って「森の治療院」へ行ってみたら、今日は結構混んでいて、順番を待っていると間に合わなくなりそうだったので、断念。予約をしていけばよかったんだけど、何時に行かれるか不透明だったので‥‥。
・ ついでに船橋屋へ回ってせっけんを買い足そうかと思ったのだが‥‥全然商品がねぇじゃん。完全に縮退の loop に落ち込んでるな‥‥。いい店でした! ← まだ潰れてません
*1: 請求額は 0 だが、社内の DB には当該の部品代が計上されていた。
・ 1825 時に家を出る。外に出てみたら、雨は小振りになっていた。らきい。今のうちに駅まで行くのだ!
・ ぽてぽてと歩いて両国駅東口へ。荷物を背負ってると 9 分くらいかかるな。
・ 1838 発の三鷹行きはやや遅れてやってきた。秋葉原で 1844 発のケホに乗り換え。東京までは 3 分。
・ 1847 時、東京着。10 番線ホームに上がると、そこには塩兄の姿が。程なく品川方から〔あさかぜ〕が入線。ホームにはいかにも葬式鉄っぽい連中がパラパラと。つーか、発光すんな、馬鹿。
・ ともあれ、早速乗り込む。荷物を所定の個室に置くと、程なく放送が。
‥‥えーと、いつの時代の話なんでしょうか (^^;。どうやら自分では気付いていないらしく、訂正はなかった。
・ いつもの〔銀河〕だとすぐに車掌がやってくるのだが、今日の〔あさかぜ〕 A1 は車掌の乗っている両端の車*2から離れているせいか、やってくる気配がない。とりあえず弁当と飲み物を買いにホームへ。〔やまぐち〕号が運転される前日発の列車だと新山口(旧小郡)手前で車販があるが、今日は下関まで全区間車販なし。
・ そんなわけで、何食わぬ顔をして定刻に発車。結局雪は降らなかったな。なるようになるのさ! :-)
・ 東京を出てすぐに案内放送。まだ有楽町辺りにいるのに
ってのもまあどうかと思ったが、ともあれ、久々に聞く長距離列車ならではの放送が続く。この風情がたまらないんだよなぁ。
・ 〔銀河〕だと次は品川に停まるんだが、〔あさかぜ〕はあっさり通過する。〔銀河〕ですら通過する新橋や川崎には見向きもしない (^^;。逆に、〔踊り子〕なんかだと大船までの普通列車との違いが新橋・戸塚に停まるかどうかだけだったりする。さらに横浜以後も、〔銀河〕は大船の次は小田原まで、〔あさかぜ〕は大船さえも通過して熱海まで停まらない。停車駅だけで見れば、〔あさかぜ〕は〔こだま〕より少ない。「特別急行」の面目躍如。
・ 品川を通過するとまもなく、車掌がやってきた。改札かと思ったら、「とりあえずこれをお渡し致します。またあとで伺いますー」と言って、入浴 set*3 だけを置いていった。そういえば、このテの物は普通、寝台上に set してあるよな。なんでわざわざ持ってきたんだろ。準備をする時間がなかったとも思えないんだが‥‥。ちなみに、〔あさかぜ〕の場合、A1 の乗客は同車にある shower が無料で使える(出湯時間は他の有料 shower と同じく 6 分)。
・ それにしても、「A1『シングルデラックス』の中でも最も広い*4」とされるだけあって、〔あさかぜ〕の A1 は広々としている。寝台幅も広く、〔銀河〕の解放 A 寝台並みにゆったり*5。〔北斗星〕の 2 段式 A2 のように「個室で、室内面積が広いというだけで、横になってしまえば寝台幅は B 寝台と同じ」というボッタクリ A 寝台とは一線を画している。しかも、枕はフワフワで、掛け布団も「毛布」ではなく本当の「布団」だ! 羽毛ですか、これは?
・ 室内には VHS の tape もかけられる monitor が設置されていて、持ち込んだ video tape や video 放送を見ることができる。また、奇・偶番の個室間の仕切り壁には貫通用の扉が設置されている*6が、解放した際に相手の個室が丸見えにならないよう、curtain が付けられている。扉から 20cm ほど離れたところに扉を取り囲むように付けられているところを見ると、更衣室としての利用も考慮されているのだろうか。そしてもちろん、通路の上部は荷物置き場になっている。通路上の荷物置き場は国鉄時代の寝台車(や、その構造を踏襲して改造された個室寝台車)に共通の仕様だ。こういった気遣いが嬉しい。JR 型の車輛は確かに小綺麗にはなっているもののこのような気配りがない。「サンライズエクスプレス」の B1 「シングル」などはその典型だ。
・ 室内は個室の部屋割りを減らした際に内装が更新されている。押さえ部分にアルミ素材やそれを止めるネジが露出している辺りはいかにも国鉄っぽいが、壁材や床のカーペットなどは冷たさを感じさせずかつ落ち着いた仕上がりで、高級感がある。むしろ curtain rail がやや浮いた感じだが、2 重 curtain にもなっており、実用上なんの不都合もない。照明は通常の天井灯の他に読書灯と壁灯。壁灯は洗面台のある側の壁に、半反射型照明が取りつけられている。足下灯はなし。洗面台は種車から変更されていない模様。ひげそり用の concent もついている。洗面台の上には大形の鏡が取りつけられている。
・ そして極めつけは、bed の電動機構だ。寝台使用時の想定方向は通路側に頭を向けるもののようだが、bed の全長の内そちらの側の 1/3 くらいが button 操作で斜めに 50°ほどせり上がるようになっている(電動式、無段階。介護用 bed のようなものを思い浮かべてもらうと解りやすいだろう)。これは素晴らしい! この状態で bed に座っていると、ちょうど窓を向くことにもなる。‥‥なんか、下手な安宿より居心地がいいんですが‥‥。
・ 寝台側の壁面には空調や照明の操作 panel がある。目覚まし時計の設備もここ。通常の寝台車の操作 panel よりかなり高い位置にあり、完全に横になっているときには届かないが、座席としての使用時や、bed 面を起こしているときには、ちょうどいい場所になる。欲を言えば、この操作 panel の下あたりに小さな table が付いていれば最高だったんだが‥‥それはいくらなんでも求め過ぎだよな (^^;。むしろそこに table があれば、そのまま座席としても利用可能な気さえする(実際には尻がだんだん痛くなってくるが)。
・ 〔あさかぜ〕の現在の編成は A1 以外すべて解放 B なのでその点では見劣りするが、こと A1 に関しては、「日本の豪華寝台特急の元祖」の意地をみる思いだ。‥‥〔あさかぜ〕廃止後、この車は廃車なのかな。もったいないなぁ‥‥。
・ ところで、こういうギミックが付いてたりすると、
とか思ってしまうのは、私だけですかね (^^;。まあ、仕込むのは簡単だけど、現場の人(特に車掌)が嫌がりそう*7だよなぁ(爆)。
・ 川崎付近で、改札をする車掌の声が後ろの方からだんだん近づいてきた。あと数人で私の番! というところで、「あっ、すみません。またまいりますんで! 申し訳ございません〜」という声が聞こえ、車掌が去ってしまった。きっと「次は俺だ!」と待ち構えていた人がいたんだろう。気持ちはよく解る (^^;。
・ 果たして、程なく横浜接近の放送が。まあ、そうだよね。
・ 横浜を発車したあと、今度は逆方向から改札をする声が。私の個室はちょうど車輛の中央付近なので、どちらからも遠いんだよね (^^;。
・ そして、いよいよ車掌が登場。
‥‥別に待ち構えてた訳じゃないんだけどなぁ (^^;;。乗車券と料金券を渡して
「いつもこんなに混んでるんですか?」
と聞くと、「心底驚いた」という顔付きで
「今日は個室が満席なんですよ〜 (@_@;」
・ この車掌さん、広島車掌区の方らしいのだが、妙にふれんどりーなのであった。
「いつもだと先ほどの入浴用品も寝台に set しておくんですけど、マニアが」
そこでかぎ状にした人指し指をクイッと手元に引く仕草をして、
「‥‥やっちゃうんでね、発車後にお配りしてるんです (^^;」
「あ〜、なるほど‥‥。しょうがねぇなぁ (-.-;」
馬鹿は死ね。つーか、「葬式鉄」は滅んでくれ、ほんとに。切実だぞ。
・ そして、きっぷに入鋏(当然ですが stamp です)した後、それと共にまず shower card を渡される。おう、〔あさかぜ〕の専用品ですか。
「これは shower の card です。先ほどお渡しした set をお持ちになって、この車輛のあちらの端にある shower 室へおいで下さい。お湯は全部で 6 分出ます。これ(と個室の施錠器を指差し)とはちょっと違うんですが、やはり lock がありますので、それをかけたあと、この card を card reader に入れてください。お湯は途中で止めることもできますので、適当に出したり止めたりしてお使い下さい。3 分くらい使って、『あっ、忘れ物をした』と行って shower 室の鍵を開けると、残りの時間は無効になります。ですから、shower をご利用の際は
お使い下さい ;-)」
‥‥さっき隣の人に同じようなことを話しているのは聞いてたが、そんなにノリノリじゃなかったでしょ (^^;。なんか気に入られた?!
・ そして今度は個室の card key を示され、
「ちょっとご説明させてください。よろしいですか?」
と廊下に出るよう促される。で、一通りの操作を実演したあと、
「開けるときが少々固くて取手が浅いですから、
ご注意下さい ;-)。
‥‥なんか、妙に嬉しそおだな (^^;。
・ 「では、やってみてください」と card を手渡され、「見るとやるとでは大違いですからねぇ〜」というセリフを BGM に (^^;、試してみる。他の個室でもこうやって説明してたようだから、そりゃあ時間がかかるよね。同じように card key を使用する他の列車でもここまで懇切丁寧な車掌はみたことがないが、確かにこのテのものに慣れていない人は戸惑うだろう。実際、近くの個室では「使い終わった card はどうすればいいのか」と訊いていた人もいるようだし。ちなみに、card key のほうは列車の写真入りのもの。
・ 一通り説明が終わると、車掌さんは個室内を掌で指しながら
‥‥なんか、ノリがやっぱり変だよ (^^;。隣の人に対するものとは明らかに違うんですが。なんかイタズラっぽく笑ってるし。
・ 個室へ入りしな、「ご苦労さまですー」と声をかけると、一瞬ハッとした後、帽子の鍔をつまんで一礼された(車掌の乗客に対する正式な答礼だね)。最近、こういう風に声をかけるとハッとされたあとに丁寧に礼を返されることが多い。その度に、世の中が荒んでるなと思う。列車の場合に限らず、むやみに愛想が悪かったりなぜか異様に偉そうだったりする客が多いからな。もはや、こんなことくらいで車掌に感動されるようになってしまった‥‥。
・ その後は熱海と静岡に停車。どちらも案内放送が入るのに違和感がありまくり (^^;。よく考えればまだ 22 時前なわけで、〔銀河〕に感覚が慣れすぎてるんだな*8 (^^;。静岡の発車直後、最後の放送が入る。放送再開は 0601 時頃(と放送で言っていた「頃」という割に時刻を 1 分単位まで言うのは、一種の伝統だな (^^;)。ちなみに、以前静岡電車区に留置されていたサロ 165-106 は、今回確認できなかった。他の編成も結構帰ってきていたので、隠れて見えなかったのかな? ‥‥もしかして、いなくなったんじゃぁ‥‥。解体されていないことを祈る*9‥‥。
・ 静岡停車前の 2115 時、非常通報鳴動。なんだろ。2118 に警報が停止したので、車掌が駆け付けたのだろう。静岡停車時にも特殊な扱いがあったようには感じられなかったので、大したことがなかったか、誤操作だったのかもしれない。
・ 日記を書いている間に浜松停車。2343 時現在、名古屋に停車中。日記も追い付いたし、そろそろ寝るかな‥‥。
・ ‥‥と思ったのだが、小腹が空いたので、買ってあった東京駅名物「チキン弁当」を喰う。‥‥えっ、「朝飯はどうするんだ」って? もう一つ買ってあるんだよん。予定の行動なのだ! :-D
・ 弁当を喰っていたら、2358 時、またも非常通報発報。発報元は shower room。うーむ。
・ 今度はなかなか警報が止まない。しばらくして、9 号車にいるはずの車掌まですっ飛んでいった。車掌室の中の人は本当に大変だ‥‥。
・ 便所に行きがてら、隣のラウンジカーを偵察。車内を見ると、一目で種車が食堂車であることが判る。ていうか、調理室はほとんどそのままだし(一部は潰して電源機器室になっている)。〔出雲〕でも思ったんだが、せっかくだから電子レンジを解放してくれると嬉しいんだけどな。食堂だった部分の一部はやっぱり電源機器室に。そして、調理室と逆側の車端部には、B 寝台の乗客用の shower room が。
・ さらにオロネの便所へ。‥‥をを、壁の下半分がタイル張りだ。いろんな意味で、列車の中じゃないみたいだよ‥‥。
・ そんなこんなで、00430 時、米原着。004515 時発車。そろそろ寝るか‥‥。
*2: 銀河の場合、A 寝台車であるオロネ 24 に車掌室があり、これが編成端であることもあって、1 人乗務でも 2 人乗務でもここには必ず車掌がいる。一方〔あさかぜ〕のオロネ 25300 は 4 号車のスハ 25300 が電源車であるためか 3 号車に連結されている。用を成さなくなったからか、元々車掌室があったと思われる場所が現在 shower room に。
*3: ビニール製の防水ポーチの中に、towel、石鹸、shampoo、conditioner、shower cap、櫛、ひげそり、歯ブラシ、ゴミ袋が入っている。
*4: 部屋割りを変更し、個室の数を減らして面積を大きくしている。結果として、原型のオロネ 25 に較べて定員が減少している。
*5: そのまま bed に腰掛けると壁まで到底届かず寄りかかれないので、座席としての想定位置である窓際には折り畳み式の肘掛けに挟まれて 10cm ほどの厚さの背当てが壁に付けられている。足の短い私はそれでも腰が浮いてしまうのだが、これ以上背当てが厚いと就寝時に支障してしまうので、「適宜枕を併用してください」というところだろう。〔北陸〕の A1 や〔北斗星〕の 2 段式 A2 の下段などは寝台を撥ね上げると sofa になる構造になっているが、寝台として使用するときに寝台面がやや高くなってしまうほか、撥ね上げるのにそれなりの力が必要になるため、ちょっと面倒。
*6: 不使用時は施錠されているので、相手に勝手に開けられる心配はない。
*7: そういうものは、機関区や車掌区などに昔から「自動起床装置」として実在する。横川の「碓氷峠鉄道文化むら」で EF63 の運転講習を受けると、講義を行なう部屋の脇に操作盤の実物があるが、これはその建物が旧横川機関区(末期は高崎機関区横川派出)のものだった名残。
*8: 〔銀河〕は横浜発車直後にその日最後の放送が入る。熱海や静岡に停まる頃には、当然のように日付が変わっている。
*9:
最終日の急行〔東海〕と下りの大垣行きに充当されたグリーン車の内の 1 輛で、他の車輛が数ヵ月とおかずに浜松へ回送ののち解体されたのに対し、この 1 輛だけはわざわざ編成から引き抜いた上で保留車として存置されていた。本来用途の運用はあり得ないし、かといって編成を組んでいた車輛はすべて解体済なので、event 用としても使えるとは思えない。廃止を目前にわざわざグリーン車の帯を復活させたものでもあったので、てっきり保存するものだと思っていたのだが‥‥。
・ おはよう放送で目が覚める。‥‥んあー、目覚ましかけとくの、忘れたよ‥‥。放送の頭が切れてしまった。
・ 広島で車掌が交代。お疲れさまー。交代した車掌は、放送の度にオルゴールを鳴らす人 (^^;。ちなみに、今日の編成は機械式オルゴール。‥‥〔あさかぜ〕の編成で電子式に変更されているものがあるかどうかは知らない。
・ ふと machine を見ると、Air-H" の card が圏外表示になっていた。おいおい、いくらなんでも広島の市街地でそれはないだろう‥‥と card を抜き差しすると、強電界表示になった。時々あるんだよな、この card ‥‥。
・ 広島では機関士も交代したらしい。引き出しがいきなり滑らかになった。ここまでもそれほど衝撃は大きくなかったが、今度はほとんど感じない。職人技だぁー。
・ 岩国付近で、外が明るくなってきた。〔あさかぜ〕の A1 は通路が海側にあり、〔北斗星〕の 2 段式 A2 のような通路側の小窓もないので、朝日は見られない。車窓風景も海側の方がおもしろいのだが、それでも個室を山側に向けているのは、上り列車の富士山対策か?
・ 岩国からは、いわゆる「ヒルネ」*1が可能な区間。‥‥へぇ、〔あさかぜ〕ではラウンジカーを指定してるのね。本来立席特急券は着席の権利がない*2のだが、寝てる客を無理やりたたき起こして座ろうとする利用者もいるので、寝台利用者にとってはありがたい措置。
・ そんなわけで、日記を書いたり、mail を読んだり。
・ そして machine が突然刺さる。書いていた日記もパア。最初から書き直し。うー、やっぱり 5.3-RELEASE は不安定すぎる‥‥。ATA の DMA は殺してみたのだが、単に遅くなっただけで、やっぱり突然死する。5.2.1-RELEASE に戻すかな‥‥。
・ 徳山を発車。‥‥え? 車販があるの? 昨日、放送で「ない」って言ったじゃん。‥‥実際、放送のすぐあとに手持ちで車販が廻ってきた。950 円の幕の内しかないとのことだが、一つ買い込む。
・
小郡 新山口発車後、shower room が空いたので、shower を浴びる。‥‥サーモスタットが安定しないな。
・ Shower を浴びてさっぱりしたあと、もう一つの東京駅名物駅弁「かつ弁」を喰う。あさごはん。
・ そして、あと 3 分で下関到着‥‥という時に、また発報。なんなんだ‥‥。
*1: (寝台の有効時間帯を外れた)区間を指定して、立席特急券による乗車を認めるもの。寝台特急に固有の取扱で、なぜか寝台急行には設定がない。乗車可能な号車も指定されていて、寝台の使用開始前に「ヒルネ」の扱いがある車では、発車時点でリネン類が set されていない(「ヒルネ」区間を抜けたあとに set される)。
*2: 「たまたま空席があれば座ることができる」というもの。発売額こそ自由席特急券と同額だが、原則として全車指定席の列車に着席できないことを前提として)発売されるもの(一種の便宜乗車)でもあり、その点が効力上の最大の違い。
・ 下関に所定で到着。4 番。まずは編成を押さえる。ちょうど編成全部の車番を押さえた頃、隣の 3 番に電車が。あ、クモハ 123 だ。‥‥後ろになんか付いてる! をを、105 系ですよ! 下り方からクモハ 123-6 +クハ 104-24 +クモハ 105-531 の編成。うーむ、まるで荷電時代のような運用 (^^;。車輛の特性をよく生かしてるなぁ。
・
いつものように「ふく寿し」を買おうと思ったが、ホームの売店は閉まっているので、写真を撮りながら改札へ。‥‥うあ、4 番線の発車案内、次は夕方(16:43)ですか? 2 本目に下りの〔いそかぜ〕が表示されている。うぅ。3 番線に至っては「6:22」とか表示されている。それって明日じゃん!
・ 改札で下車印を押してもらう。ふと隣に「みどりの窓口」があるのが目に入る。時刻は 1010 時。‥‥気付くと 2/16 発の下り〔さくら〕の B1 寝台券を手にしている俺が。これはランタンフェスティバルに行けということ? むしろ〔いそかぜ〕に別れを告げに行けと? ちなみに、1010 時点にして、個室番号は 2 番だった。もし通常と同じ発売順だとすると、最後の 1 席ということ。早っ (-.-;。
・ そうこうしているうちに直近の九州方面行き接続列車が発車。もともと 2 本見送って中津行に乗るつもりだったので気にしない。荷物を背負ってとぼとぼ移動。乗り換えの案内は直近の列車しかないのだが、改札から一段昇った乗り換え通路には時刻表も発車案内表示もありゃしない。2 つ隣の 7・8 番ホームは上り列車用風味だったので、5・6 番ホームに上がってみると‥‥果たして 5 番の案内表示器に記載が。表示器は各番線毎に先発・次発の 2 本分が表示でき、さらにそれぞれ単独で電照を点灯できるらしい。目的としている列車の案内に照明が入っていないのは、既に止まっている 6 番の行橋行が先に発車するためらしい。
・ Escalator を上がっている途中に発メロが聞こえてくる*3。ホームに上がると同時に、新山口始発の中津行が到着。先に発車する行橋行が接続を取っているので、九州に直通する旅客を含めて大部分が下車。何しろ 15 分も停車するので、車掌も「門司・小倉方面へお急ぎの方は、向かいの行橋行に」と案内してるし。われわれはがらがらになった車内に乗り込む。
・ 程なくして、一旦車内灯が消え、MG 停止。数秒後に再起動。乗継ぎ後の起動試験?
・ 発車までは間があるので、飲み物を買ったり。‥‥なんか変な物があるなぁ。とりあえず買ってみますよ? (^^;
*3: なぜかこの辺りでは列車の接近時に発メロを鳴らす。そして、発車時は bell (-.-;。
・ しばらくがらがらだった車内は、発車直前になって急に混んできた。1033 時に所定で発車してみると、前から 3 輛目のこの車はちょうど座席が埋まる程度の乗車率。
・ そして、小倉でほとんど空になる (^^;。隣のホームにはキハ 47 が。
・ ところで、久々に電車で関門 tunnel を越えたのでしげしげと見ていたのだが、以前に関門 T の門司方にあった dead section*4 はなくなっていた。門司停車中も、門司を発車してからも、section らしきものはない(というか、交流専用車が走ってるんだから、少なくとも鹿児島線側にはないよな)。ということは、下関停車中に一旦 MG が落ちたあのときに地上切替をやっていたということだ。知らなかったよ‥‥。少なくとも EF30 の引退までは確かに門司駅構内に section があったはずなのだが、いつの間に変わったのだろう? まあ、JR 西日本と九州の分界点は下関だから、どうせ乗務員も交代するんだし、その時に交直切替も済ませてしまった方が合理的ではある。‥‥てことは、黒磯は「唯一の地上切替駅」ではなくなってたんだね (^^;。‥‥真偽のほどは如何に?!*5
・ 門司と言えば、発車してまもなくの右側の留置線に plate を剥がされた EF81 や DE10 が‥‥廃車になったのだろう。しくしく。
・ ともあれ、列車は日豊線へ。すぐに西小倉へ停車。〔いそかぜ〕乗車のための基地(= 開拓した常宿)の最寄り駅だ。そんな関係もあって、明るい時間に到着し、かつホーム側から駅前をしげしげと見たのは初めて (^^;。‥‥だいぶん整備が進んできたな。
・ 列車は鹿児島線とわかれて一路南へ。〔あさかぜ〕車内で買った幕の内をやっつける俺。こののんびりした感じがたまりません! ‥‥腰が悪くなければ、普通列車でまったりと旅をするのもいいんだけどなぁ。
・ 下曽根付近で晴れ間が。しかし、白くない〔ソニック〕の通過待ちを終えて走り出すと、すぐにまた曇ってしまった。ところで、この列車の車掌、長〜い文を一気に言い切ろうとするので途中で息が続かなくなり、結果として息継ぎの位置がかなり変。落ち着け。
・ 行橋ではホームの向かい側に下関で見送った編成が停まっていた。折り返しでまた下関行になるらしい。しかし、この辺りの普通列車は塗色こそ九州色だが国鉄型ばかりなので、なんかホッとする。
*4: Tunnel を抜けるとすぐに門司駅構内なのだが、かつては勾配を昇りきってからホームへ入るまでの僅かな平坦区間に交直 section があった。
*5: 乗っていたのは九州の 415 系(分オイ)だったんだけど、「実は battery + SIV が搭載されていて室内灯は消えないようになった」ということはないよね‥‥? でも、下関で MG が落ちたときは室内灯が消えたしなぁ。
・ 中津では隣のホームに乗り換え。階段を降り、通路を歩いて、また昇る。ホームへの昇り口には列車毎の編成案内図があるのだが、〔ソニック 17〕号が見つからずに一瞬あせる。よく見たら、「白いソニック」は当たり前のように「白いソニック 〜 号」と書いてある (^^;。もうすっかり定着してるし、時刻表にも「『白いソニック』で運転」とか書いてあるくらいなんだから、正式な列車名を〔白いソニック 〜 号〕としてもいいんじゃないかな? 〔雷鳥〕と〔サンダーバード〕の例もあることだし。
・ 乗車位置に荷物を置いたあと、一旦改札外へ。駅前には諭吉っつぁんの銅像が。改札前の土産物屋は高架下であるにも関わらず入口上に瓦屋根を葺いてあり、雰囲気を演出している。
・ 「白いソニック 17」号は定刻にやってきた。所定の席に座る。
・ 中津を出てまもなく、10m ほど離れた左の線路脇に小さな橋が現れた。どう見ても鉄道のガーダーだ。その両側はいかにも「築堤」という感じの土手が続いていた。慌てて振り向いてみると、築堤は日豊線の線路から離れて街中のほうへヘロヘロと消えていた(途中からは舗装されて完全に道路になっているようだ)。一方、ガーダーから南側は、次第にこちらに近づいてきて、「以前はポイントで合流していました」という雰囲気のまま本線の線路に吸い込まれて消えていた。こんなところに廃線跡なんてあったっけ?
・ しばらく乗っていたら「ずいぶん揺れますねぇ」と塩兄がぼやく。まあ、さっきまで乗ってたのが 415*6 だから、なおさらねぇ (^^;。しかし、振子制御の同期はほぼ完璧だし、885 系はかけるところにはしっかり cost をかけてる*7し、線路自体も緩和曲線がしっかり効いてるので、振子車輛にしては滑らかに走っている。‥‥少なくとも、山陰地区のキハ 187 とは全然違う。
・ すぐ後ろの席のお子様がうるさくて仕方ないので、一つ前の空いている席に移動して座る。
*6: やっぱり、なんだかんだ言っても国鉄型の車輛には安定感がある。
*7: 内装も天然木を多用しているのでそのままだとかなりの cost 高になるのだが、その代わりに設計など自社でできる部分は徹底的に自社で行なうことで cost を圧縮し、最終的にそれまでの形式とあまり変わらない cost で建造できたらしい。
・ 別府に着くころには雨は完全に止んでいた。いつものように駅前高等温泉へ。一人 300 円で、洗面器と towel を貸してくれる。石鹸は浴室内に備え付けてある。貸し bath towel も 50 円であるので、手ぶらでも大丈夫。
・ 二人とも腹は全然減っていないので(そりゃそうだ)、その分湯船でぐったりする。あとから入ってきたおっちゃんに「車で 15 分くらいのところにある共同浴場はいい!」と熱弁をふるわれるが、ただでさえ声が浴室に響くのにしゃべり方があまりはっきりしないので、ほとんど聞き取れなかった。おっちゃんは一頻り喋り終わると、さっさと出ていってしまった (^^;。
・ だいぶんぐったりしたが、まだ 30 分ほど時間があるので、2 回の休憩室でぐんにょりすることにする。大きな荷物は風呂に入っている間 2 階への階段の余地に預かっておいてくれるのだが、それを担いで 2 階に上がろうとしたところ、おばちゃんに「わざわざ持っていかんでもいいよ。必要なもんだけ持ってって」と力強く止められる (^^;。ありがたくお言葉に甘えることにする m(__)m。
・ 2 階で「ふく寿し」を平らげ、少々まったりした後、出発。お世話様でしたー。ちなみに、さっきのおっちゃんは 1 階で今度は counter のおばちゃん相手にはぁはぁしていた (__;。
・ 以前に乗ったときは結構発車直前に入線してきたような記憶があるのだが、発車の 5 分ほど前にホームに上がってみると、〔ゆふいんの森 4〕号は既に入線していた。前回乗ったのは確か〔ゆふ DX〕登場の前だったので、運用が変わった可能性は大いにある。ちなみに車輛は「I 世」(キハ 71 系。つまり、連結部に渡り廊下のない type)。とりあえず荷物を所定の座席に置き、車内外の写真を撮る。
・ ほぼ所定で発車。列車は別府湾を左に見ながら大分へ向かう。今回はなぜか手配時点で 4 号車に全く空きがなかったため、後ろ向きとなる 1 号車(キハ 71-2) 1 番に乗った。座席は当然進行方向に向かって set されているが、せっかくなので逆向きにして、後方展望を楽しむ。
・ この車も種車は国鉄型だが(先頭車はキハ 65、中間車はキハ 58 らしい)、無理やり重くて重心の高いハイデッカーの車体を載せたので、椅子はいいのだが、下回りはかなりヘタっている。左右に車体が揺れるとガコガコいってるし、Rail の継ぎ目などのちょっとした上下動では重さを支えきれずにデシン!と鳴いて、乗り心地はあまりよろしくない。‥‥ I 世だしな(-.-;。
・ 列車はほぼ所定に大分へ。ここでは 9 分停車。ホームでは客室乗務員が camera を持った乗客の記念写真を撮ってあげたりすることもあるのだが、今回はやってなかったな。まあ、それをネタに客室乗務員をナンパする馬鹿がいたりするし(実話)。私は、駅名票の写真を撮ったあと、きっぷを持って改札へ向かう。
・ いつもは北口に向かうのだが、ここは駅前がだだっ広いもののあまりおもしろくない。そこで、怪しげな通路の向こうにあるためいつもは敬遠している南口に行ってみることにした。ホームから連絡通路に降り、端から延びる人気の少ない通路を数十 m 進むと、昇る階段があった。それを昇ると‥‥幅の広い通路からは想像のつかないほど小さな改札口が @_@;。
・ 混雑時は 3 本通路が開くようだが、閑散としている今は改札の通路は有人窓口前の 1 本しかない。窓口に初老の駅員さんがいる。すみませーん、途中下車印をお願いしますー。
「あー、はい。‥‥どこに押しますかねェ」
「あ、どこでもいいですよ。空いてるとこなら」
「こ〜う(ときっぷの左上をさした指を右方向へ動かし)、順番に押す人もおるしねぇ」
規則上の取扱のことかと思ったので*8、
「ああ、ほんとはそうですねぇ」
と答えると、判子を stamp 台にペタペタ当てたあと「ん〜」と悩んでいた駅員さんは、
「はい (^^;」
と、その判子を差し出してきた (^^;。あれっ、あたしが押すんすか?!
・ 本当に重なってさえいなければどこでもよかったので、空いていたところに「ぺた」と押して「はい、すみませんー」と判子(実は駅名小印だった)を返すと、「あ、ほんとにどこでもよかったのね?!」といった感じで受け取った駅員さんは、
「いやぁ、お客さんの中には、降りた順にきれーいに並べて押してくれっちゅう人もおるんで」
と苦笑していた (^^;。「ああ、なるほどねぇ」と思わずこちらも苦笑。
・ お手数をお掛けしましたー、と言って駅前に出る。‥‥出るったって、改札の前にはごく小さな駐車場のようなものがあるだけ。北口に較べてなんとつつましい (__;。その駐車場の隅には小さな商店があり(駄菓子屋か古くからのパン屋といった風情だった)、その向こうはもう住宅地。
・ 商店の店頭に自販機があったので、pet bottle の飲み物を買う。振り返って駅舎の写真を撮る。‥‥ちんまい建物だなぁ。信号場か保線区の詰所と言われれば「なるほど」と思う程度。
・ 高々数分のことだったので、当然改札担当が交代しているはずもない。改札に行くと、先ほどの駅員さん。きっぷを見せながら「どうもー」と通ると、にこにこ笑いながら軽く頭を下げつつ「ありがとうございます〜」。なんか、いいすな :-D。
・ 再び怪しい通路を通ってホームへ戻る。車輛の写真をまた何枚か撮って、車内へ。
・ ところで、手配時に発売初日から満席のままとなっていたため、担当者から「本当にお客さんが乗っているか見てきてください」と依頼を受けた (^^; 4 号車*9だが、ホームから見た限りでは若い番号(つまり連結面寄り)に少々乗っているほかは、がらがらだった。少なくとも、確保に失敗した運転台直後には客の気配すらない。大分を出ると、我々が下車する由布院まで停車しない。うーむ、なんだったんだろう‥‥ (-.-;。
*8:
本来は乗車券の左下から右方向へ順に押す(んだったと思う)。家に帰れば確認できるのだが。 確認してみたところ、旅客営業規則と旅客営業取扱基準規程の第 2 節「乗車券の効力」には途中下車印の様式などや「表面の余地がなくなった場合」についての規定はあったが(規程 144 条「途中下車印の押なつ方」)、具体的な押捺位置の規定はなかった。
*9: あまりにも状況が妙だったので、「団枠で押さえているにしてもおかしい」と感じたらしい。
・ 大分を定刻に発車。分岐器を渡って、久大線に入る。大分駅の高架化工事で分岐部分には既に高架橋が現れつつあり(結構高い位置にある)、その関連で分岐部の線路はその高架の隙間を縫うように付け変えられている。道床が新しいので大変目立つのだが、それ以前に線形がかなり変。
・ ところで、後ろ向きに乗っているとどうなるかというと、当然後部乗務員室にいる車掌(男性)と客室乗務員(女性で車掌業務の補助と売店や車内販売の業務を行なう)が視界に入るわけだが‥‥この客室乗務員の動きがなんかおかしい。放送はそつなくこなすのだが、ふと乗務員室内を行ったり来たりしてみたり、階段を登って客室内へ入り、乗務員室の扉を閉め‥‥ると見せかけてまた戻っていったり。駅構内で分岐器をわたるときには派手に左右に吹っ飛んでいる。挙げ句には、客室内に入って乗務員室の扉に鍵をかけようとして忍び錠を差し込むのはいいのだが向きがおかしいのでうまく鍵穴に入らず、しかも鍵穴の手前には一枚 cover があってよく見えないので、やたらと四苦八苦してみたり。小柄な人が目の前でちょろちょろ動き廻るのはなんか気になるんですが。とにかく、落ち着け (^^;。まだ不馴れなのか?
・ 大分を発車して少ししたところで、客室乗務員(落ち着きのない人とは別の人)が「いつもご乗車ありがとうございます」と一礼しつつ、「どうぞ」とおしぼりを配り始める。まあ、常套句なわけだが、こういうセリフを聞くと、脳内で「なぜワシがいつも乗っていることを知っている、貴様!」とか言う声(CV: しゅしょー)が響くんですがドウスレバ。ちなみに、おしぼりを配ってくれたのは、ちんまいショートの人でした。ていうか、〔ゆふ森〕の客室乗務員はたいがいちんまい人ばっかりだな。なぜ?
・ そんなこんなで、進行方向左手(つまり我々からだと右手)に川を見下ろしながら、ぐいぐいと由布院へ向けて登っていく。久留米方が結構な距離を使って登り詰めていくのに対し、大分方はその何分の一かの距離で登っていくので、結構急だ。Engine はずっと変速段でうなりを上げる。相変わらず台車はガコガコデシンと言っている。III 世のほうが当然新しく、「power もある」ということになっているのだが(キハ 200 系 base だったはずで、最高速度が向上されているのがふれこみ)、だったら III 世を全区間走破する運用にいれないのはなぜだろう。‥‥速度は出るけど、急坂に弱いとか? それとも、大分地区に国鉄型の車輛が多いことと関係がある*10とか? でも、新幹線の開業と同時に肥薩線に投入された観光列車用の車輛はやっぱり国鉄型の改造車だな。〔あそ〕や〔九州横断特急〕に使用しているのも、わざわざ四国から買い入れた*11キハ 183 だし。‥‥ JR 九州型の DC って、速度は出るけど勾配に弱いのか? もしかして。
・ とか、ビュッフェで買ってきたコーヒーセットをパクつきながらボンヤリと考えているうちに、だいぶん登ってきた。大分を出たときには晴れていた空が、何だか薄暗い。‥‥なんか、雪降ってない?
・ さらにぐいぐい登っていく。‥‥やっぱり、雪が降ってるな。それはそんなに暗くないんだが。まあ、「由布院辺りは多分雪では」と思っていたので、それほど驚きはしない。昨年の 3 月頭に通ったときも、この辺りだけ吹雪いてたし。
・ 約 1 時間で、由布院に到着。荷物をまとめて降りようとすると、乗務員室の仕切り扉のところでモゾモゾしていた客室乗務員(ちなみに、さっきおしぼりを配ってくれた人だ)が、
「降りられるんですか‥‥?」
と声をかけてきた。体勢のせいもあってか、何か上目使いです。あうっ。(← ?)
「はぁい」
「またのご乗車をお待ちしてます‥‥」
‥‥なぜに半泣きのような笑顔ですか? 扉に指でも挟んだとか (^^;。
・ 客席の向きは default では当然列車の進行方向なので、降りる前に椅子の向きを戻しておく。えい。
「ああっ、いいですいいです、そんな!(あせあせ) ‥‥ありがとうございます m(__)m」
ううむ‥‥反応が natural だな (^^;。若い娘(こ)だしな。(謎)
・ Deck まであと 2m というところで、猛然と客が乗り込んできた。こちらが deck に向かって荷物を背負って歩いているのに、全く構わず突進してくる。ちなみに、おばはんではなく、若い女性 2 人組。仕方がないので脇に寄って*12やり過ごそうとしたが、他の客も次から次へと乗り込んできて埒が空かない。時間は刻々と過ぎていく。このままだと、「乗車が済み次第発車」ということにもなりかねない。外には塩兄の姿が見えたので、電波を飛ばして「まだ降車客がいる」ということを車掌に知らせてもらおうと思ったのだが、反応がない。仕方がないので、
「すみません! 降ろしてください!」
と声を上げると、ようやくピタッと動きが止まった。‥‥なんだかなー (-.-;。
・ 這々の態でホームへ。まあ、結論から言えば、乗車が済んでからも数分は余裕はあったのだが、荷物を背負ってなおかつ脇に避けている状況では発車時刻の確認など不可能なわけで。むぅ。
*10: かつて、労使間の力関係によってこのような現象が各地に見られた。有名なのは千葉(房総)地区。動労の力が強かったからなのだが、その動労千葉地本で「鬼の〜〜」と言われた人物が国鉄改革のどさくさで今や JR 東日本全体を裏から支配する立場にいるというのは、皮肉と言うか何と言うか。
*11: もっとも、JR 九州は当然財政が厳しいので、「新造する予算が出なかっただけ」という可能性も高いのだが‥‥。
*12: さらにどうでもいいことだが、たまたま私が避けた場所が最初の 2 人組の席だったらしい。2 人組は、早く座りたいものの、私を避けさせてしまったのもあとからの乗車客を車内に引き込んでしまったのも自分達なので、複雑な顔で別の席のところに突っ立っていた。まったく‥‥。
・ とりあえず列車の発車を見送る。上着には粉雪がパラパラと降り注ぐ。やっぱり雪だねぇ。
・ 改札へ。No latch なせいもあって、出口には既に駅員がいない。仕方がないので、有人の出札口で声をかけ、下車印を押してもらう。
・ 駅前に出ると、宿からの迎えの車が待っていた。お待たせしましたー。荷物と共に車内へ収まり、発車。車を運転する男性と
「雪が降ってるんで驚かれたでしょう」
「前にも 3 月初めにこの辺りを通りかかったら吹雪いていたので、今回も雪かなーとは思ってたんですが、列車で峠の辺りまで登ってきたら急に雪が降ってきましたねぇ」
「ああ、湯平からこの辺りはいっつもそうですー。この降りだと、明日の朝には一面真っ白かもしれません。ようやく正月の雪が融けたところなんですけどねぇ」
「そうですかぁ」
「うちは源泉かけ流しで、沸かし直しもしていないので、こうも寒いと、お湯をじゃんじゃん出さないと」
「ああ、湯船の温度が‥‥」
「そうなんですよ (^^;;」
とか話しているうちに、今夜お世話になる「柚富の郷 彩岳館」に到着。
・ まずは玄関の正面にある食堂に案内され、お菓子とお薄で接待されつつ、check in の手続きをする。そのあいだに、宿の方が荷物だけ先に部屋に運んでいってくださった m(__)m。‥‥おおう、重そうだ。すみませんねー (^^;。
・ 宿は湯布院の盆地の外れの高台に建っていて、窓際の席からは盆地と由布岳を一望。雪は先ほどよりやや強くなってきた。お茶を出してくれた仲居さんに話しかけられる。
「高速 bus でいらしたんですか?」
「いえ、列車で」
「ああ、じゃあ、新幹線と特急で」
「いえ、夜行で来たんです」
「あれ! そうなんですか?」
「ええ、下関まで寝台特急で来て、そこからまた乗り継いで、別府から〔ゆふいんの森〕に」
「ああ、いいらしい*13ですね、〔ゆふいんの森〕! あらー、じゃあ、のんびりと」
「そうですねー」
「夜行だと、結構時間がかかるでしょう?」
「んー、でも、寝てれば着きますしねぇ。それに、そのゆったりとした時間の流れが好きなんですよ」
「ああ、そうですよねぇ。私も修学旅行で乗りましたよ、夜汽車!(以下略)」
「で、来月一杯でその下関までの寝台特急が廃止になっちゃうんですよ」
「あら! そうなんですか?!@_@‥‥じゃあ、最後に乗りに?」
「そうなんですよ」
「あらー、残念ですねぇ」
「そうなんですよねぇ」
「じゃあ、あれですか、camera で撮ったりとか」
「ええ、そうです」
「いいですよねぇ、のんびりとした汽車旅。なんか、小説とかでもありますよね? 『これこれに乗って、これに乗り換えるとどこそこに何時に着くから』とかって。それでアリバイが成立するのしないのと」
「ああ、あります、あります」
「西村京太郎でしたっけ?」
「ええ、西村京太郎は量産してますねぇ。新しい列車とか出ると、とりあえず人を殺しますからねぇ」
「そんな感じですねぇ (^^)」
「最近はさすがにネタが尽きてきたようですけどねぇ」
「そうなんですかぁ。私、結構好きなんですよ、ああいうの。おもしろいですよねぇ」
「ええ、旅行の行程組んでても、puzzle のような楽しさがありますね」
「お好きなんですねぇ。じゃあ、camera で撮ったりもするんですか?」
「ええ、まあ、ちょぼちょぼと」
「あの、さっきの荷物に重〜いのがあったんですけど、それですか?」
「ええ、そうなんですけどね (^^;」
「あらー、また私は大事なものでも入ってるんじゃないかと思いましたよ。金塊とか!」
「いや、いくらなんでも、それは (^^;」
「もう、もしそうだったら、どうしようかと思いました! ‥‥持って逃げちゃったりして」
「逃げますか (^^;」
「もしかすると、奪い合いになってるかもしれませんよ?! ‥‥この(雪の)降り方だと、明日の朝には一面真っ白になってるかもしれません。そしたら、雪の上に点々と血痕が」
‥‥ピンと来ましたよ? ええ、そりゃあもう。
「‥‥それは、あれじゃないですか? 『火曜サスペンス劇場』とか、そういうのの観過ぎでは 」
「それです! 『サスペンス』! ‥‥もう、観過ぎですねぇ (^^;。大好きなんですよ」
「あはははは (^^;」
「も〜う、やんなっちゃいますねぇ。へ〜ぇ。‥‥じゃあ、途中で駅に停まる度に写真を撮ったりとか」
「いや、video camera なんで、もうずっと廻しっ放しに」
・ と話していたところへ、荷物を置きに行ってくださっていた仲居さんたちが戻ってきた。そして、そのうちの 1 人が寄ってきて、
「なんか、リュックが物凄く重かったんですけど、何が入ってるんですか? 何か大事なものとか (-.-;」
「ああ、video camera とか tape が」
「あの、汽車旅が好きなんですって! で、寝台特急が今度なくなるらしいんで、それに乗られたんですって!」
「はあ、そうなんですかぁ。‥‥なんかもう、私はてっきり金塊でも入っているのかと」
「いや、だからそれは (^^;」
「もしそうだったら、このまま背負って逃げちゃおうかと思いましたよ」
「ほらほら、みんな狙ってますよ?! やっぱり、明日の朝には血痕が! ‥‥もう、いやですねぇ、田舎のおばちゃんはみんな考えることが一緒! (^^)」
「あはははは」
うーん、間がないなー (^^;。つか、なぜそんなに異様に盛り上がってますか?! > 宿の方 (^^;。さっきから笑いが絶えないので、お抹茶を飲む隙がないんですが‥‥ (^^;;;。
・ しばらくして、「お話ししてると切りがありませんね (^^;。そろそろお部屋にご案内しましょう」と、案内される。それはいいが、「‥‥お荷物がなかったら、どうします?! あれ、宿の者が 1 人見当たらない!」って‥‥ (^^;。
・ 案内されつつ進む。食堂を出て、すぐ左手に。一旦扉を開けて屋外に出ると、屋根と壁で覆われた渡り廊下が。すぐに突き当たりがあり、左手に降りていくと浴室棟。今夜お世話になる宿泊棟は正面に建っているが、玄関へは突き当たりを右手から廻り込む。渡り廊下は雪深い地域らしく隙間のない構造で、障子の入れられた窓が設けられている。まるでお寺の建物の中にいるかのような、落ち着いた雰囲気。
・ T 時を右に折れるとすぐに通路は左に折れるが、その角に飲み物の自販機が。「街中と同じお値段になっておりますので、どうぞご利用下さい」。すばらしい (^^)。ここまでは入浴のみのお客さんも来ることを想定しているらしく、自販機の傍らには「これより先 御宿泊以外のお客様は 御遠慮下さいませ。」という札が立てられていた。
・ 緩やかな階段を下っていき、突き当たりをまた左に折れると、宿泊棟の入口。ここの壁は繋がってはおらず、建物の外のちょっとした庭が見える。屋根伝いではあるので、横から雨や雪が吹き込まない限り濡れる心配はない。
・ いよいよ宿泊棟の中へ。入ってすぐ玄関があり、ここで靴を脱ぐ。棟内は廊下を含めて基本的に裸足。この辺りの造りや建物の外観は日本家屋的。下駄箱には草履が備え付けられていて、館内は基本的にそれを履く。当然浴衣で行き来 OK。
・ 玄関を入ってすぐの広間には 1 階の各客室と 2 階への階段が面している。我々の部屋は 2 階とのことで、玄関から正面に見えている階段を登っていく。階段の造りや天井から下がる照明、階段部の吹き抜けにある窓などは洋風。各客室の入口も引き戸ではなく、広間に向かって開く auto lock の扉。この和洋折衷感は、明治・大正期などに高原に別荘や洋館などの造りを髣髴とさせる。いい雰囲気だ。客室は 1 階と 2 階にそれぞれ 4 部屋づつ。非常にこじんまりとした造りだ。このような宿泊棟が本館を挟んだ反対側に 2 棟あり、全部で 24 室しかない。
・ 客室に案内される。室内は完全に和風。便所は室内にあるが、風呂はない。温泉地でも部屋に風呂が付いている宿は非常に多いが、実際に利用したためしはなく、風呂が自慢な宿だけあって、この割り切りは潔い。大きく取ってある窓からはやはり由布岳と湯布院の盆地が一望でき、特に由布岳は正面に大きく見える。真下には浴室棟の屋根があり、露天風呂からの湯気も立ち上っている。いい感じ。由布岳には実は山頂が 2 つあり、この宿から観る由布岳はその両方にほぼ等距離なのだそうだ。駅方面からだと 2 つが重なって見えるので、いわば横から眺める格好になる。当然山容は横に拡がって見えるので、一層迫力ある眺めを堪能できることになる。「眺めのいいお部屋を取ってきました!」と仰るだけあって、到着時は山頂が雲で隠れていたものの、この眺めは素晴らしい。
・ 一通り室内の設備を案内される。
「金庫はここにあります。お食事の間にお布団を敷きに入らせていただきますので、貴重品は念のためにこちらにお入れ下さい。特に金塊とか!」
まだ引っ張りますか (^^;。ちなみに、冷蔵庫は空で、「お買いになったものを冷やしたり、ご自由にお使い下さい」。
・ この時点で 16:20 付近。食事は 18 時半頃に設定してもらって、その前に散歩に行き、食事前に軽く一っ風呂浴びることにする。「お散歩に行かれますか?」と訊かれたのでそのつもりと答えると、
「ここは街外れなので、近くというとあそこの(とすぐ眼下に見えている森を指して)「宇奈岐日女神社」くらいですねぇ。あの辺り(ともう少し先のほうを指差して)には金鱗湖という湖があって、その周辺が街の中心部ですが、ちょっと遠いですよ」
と教えてくれた。
・ そして、
「床の間にはお花が飾ってあります。ほら、この血のように赤いバラが! (^^)」
‥‥すいません、そのネタから離れてください (^^;;;。オチがそれかい。
*13: 列車名の通り、地元と JR 九州は〔ゆふいんの森〕と湯布院の温泉を set で売り出し中なので、宿の方は当然〔ゆふ森〕のことは知っている。
・ 夕暮れも近づいてきたが、せっかくなので散策に出掛けることにする。小雪は相変わらず降っているが、なんとか傘は要らない程度。
・ 今回持っていった guide book は「るるぶ」。綴じ込みの「湯布院おさんぽ MAP」には今回の宿が記載されていない。「湯布院周辺」という小さな広域地図*14を見ると、ギリギリで「おさんぽ MAP」の範囲からはみ出していることが判る。一方で宿の方に教えていただいた「宇奈岐日女神社」は「おさんぽ MAP」に記載されているし、幸いなことに眼下に見えているので、当たりをつけて歩いていくことにする。
・ 宿の敷地内の庭にある源泉と思しきものをみつつ、横の道に出る。そのままずるずると坂道を降りていき、病院の角で下の道へ。「芽生え荘」の前を通って緩やかな坂をさらに降りていくと、正面に鳥居が見えた。果たして宇奈岐日女神社であった。
・ せっかくなので、お詣りする。山裾に接した境内には参道沿いに巨木が立ち並んでいて、神秘的な雰囲気を醸し出している。塩兄も「ずいぶん樹齢が高そうですねぇ」と感嘆している。倉庫のような建物が高床式になっているのは、雪害を避けるためだろうか。奥行きの長い境内をさらに進んでいく。
・ 門をくぐると、右手に防腐処理された巨大な切株が 3 つ展示されていた。91 年 9 月の台風 19 号で倒れてしまった御神木のうち、特に太いものを存置しているという。樹高は最大 55m、樹齢は最高で 600 年と推定されるそうだ。
・ 本殿は池に囲まれていた。大きくはないが、背後に森を控え、静かで荘厳な雰囲気に満ちている。お詣りをして、籤を引く。
・ 境内を出て、神社の敷地に沿った道を右手に進む。分かれ道のあたりに、「ほたるの里」という石碑が建っていた。傍らには境内から流れ出てくる清水が。水辺には草が繁っていて、いかにも螢が住んでいそう。
・ そのまま境内沿いの道を北東に歩いていく。道の両側には宿が点在している。ふと気付いてみると、いつの間にか雪は止んでいた。さすがに寒いので顔の皮膚が突っ張っているが、てくてくと歩いていく。
・ しばらく歩くと、細い川に行き当たった。道路の左側に未舗装の細い道が分かれて登り坂になっているが、少し登ったところで川に沿って左に折れていっている。案内板が立っていたのでそれを見てみると、その細い道は川沿いの遊歩道だった(「ゆふいんぼちぼち散歩道」)。肝心の道路は川に向かって下りになっていて、水面ギリギリの高さで川を渡っている。案内板によると、その名も「しずみ橋」。いわゆる「沈降橋」や「沈下橋」などと呼ばれるものだ。
・ さらに歩いていくと、仏山時というお寺があった。辻馬車も停まるらしい。覗いてみたいところだが、薄暗くなってきて camera の CCD の感度が厳しくなってきたので、先を急ぐことにする。
・ お寺さんのすぐ先にいい雰囲気の平屋の木造建築が。そば屋さんらしい。建物には「竹苑」という看板が。なかなかうまそうな店なんだが、宿に帰ると夕食が待っている。後ろ髪を引かれつつも今回は通過。うぅ。
・ そのすぐ先にはお茶屋さんが。まさに「茶屋」というにふさわしい建物。日中はこちらで一休みできるのだろう。
・ 左手に謎の構造の民宿を見つつ先へ進むと、両側を鬱蒼とした木立に囲まれる。あまり広い道ではないのだが、もうだいぶん空も暗くなってきているので、車が結構な勢いで走り抜けていく。適宜待避しつつ、先に進む。
・ やがて、木立の隙間に水面が見えてきた。目的地である金鱗湖*15だ。道から一段低くなっている湖畔には神社があり、湖の中にその鳥居が建っているのが見える。そろそろ digital camera の感度が厳しくなってきたので、とりあえず先へ。
・ 湖畔を見渡す位置に建っている「ペンション 豊の国」の前を通り抜けると、左手に湖が開けた。湖面には湯気が見える。
・ 道が湖面の高さに降りたところの湖畔に、草葺き屋根の建物が建っていた。共同浴場「下ん湯」*16だ。外観は農村の旧い日本家屋のようで、いい感じ。
・ 「下ん湯」の手前には湖に流れ込む水路があった。道の下をくぐって山側から流れ込んできていて、湯気がもうもうと立ち上っている。温泉が流れ込んでいるらしい*17。どうやら、「朝靄」というわけでもないのに湖に湯気が漂っている理由は、これのようだ。
・ 水路が湖に流れ込む直前の場所には石の板が渡されていて、その上には立派な屋根が設けられている。手を入れてみると、湖の水と混じって、ちょうどいい温度。夕方ということもあって楽しんでいる人はいなかったが、湯気が漂う湖面を眺めながら足湯で寛ぐことができるようになっている。時間があるときにのんびりしてみたいなぁ。
・ ほぼ正面に桟橋のようなものが見えるので、道路に戻り、そちらに回り込んでみる。「下ん湯」と道を挟んで住民専用の共同温泉が建っていた。そば屋さんの脇の通路から木組みの deck に出ると、湖面を一望できた。左手には先ほどの「下ん湯」。露天風呂では何人かが湯を楽しんでいた。正面の方向には「豊の国」と神社の杜。右手には「亀の井別荘」の灯が見える。
・ Deck と「下ん湯」の間の湖面では水鳥がのんびりしていた。近くで温泉が流れ込んでいるので、この辺りの湖水は一年中暖かい。湖の中には魚影も見えるが、これだけ寒いにも関わらず、魚の動きは結構活発だ*18。やはり、水が暖かいからだろう。
・ Deck の脇には餌箱がある。あたかも鴨が一羽餌をついばんでいた。気付いてみると、その方向から周期的に激しい水音が聞こえる。なんだろうと思って観察していると‥‥どうやら魚のようだ。餌をついばんでいる鴨へ割と大きな魚影が 1 つゆっくりと近づいていき‥‥鴨の辺りで急速反転。この水音だったらしい。要はおこぼれをいただいていたと (^^;。
・ 日が落ちたようで、周囲が急に暗くなってきた。写真を撮るのも限界。宿に戻ることにする。山の方は曇っているが、頭上の空は晴れている。月がきれい。行きとは違う route を通ろうと川沿いの遊歩道を歩いていくが、街灯もろくにないのに月明かりで十分明るい。「しずみ橋」のところで宿から歩いて来た道に戻り、てくてく歩いて宿へ。行きは写真を撮ったりしていたので 30 分ほどかかったが、帰りは 20 分ほどだった。
*14: ちなみに、「宇奈岐日女神社」は「周辺」と「おさんぽ MAP」の両方に記載されていて、位置もほぼ一致しているので、両者を見比べる際の目安になる。余談だが、今回の宿の近くの landmark としては「旅館めばえ荘」も両方の地図に記載されているが(ちなみに「おさんぽ MAP」に記載されている宿の中で「周辺」でも記載されているのはここが唯一だ)、「周辺」のほうに記載されている場所は明らかに間違いだ(実際の場所は「おさんぽ MAP」と一致している)。わざわざここだけ記載しているのにその場所が間違っているのは、なぜだろう。
*15: 元は「岳ん下ん池(たけんもとんいけ)」(= 由布岳の麓の池)と言われていたそうだが、明治 17 年に大分の儒学者毛利空桑が「下ん湯」に漬かりつつ湖面を眺めていたところ、湖面を飛びはねた魚の鱗が夕日に映えて金色に輝いていたことから、「金鱗湖」と名付けられたという(案内板「金鱗湖について」の記述より)。
*16: 入浴可能時間は 900〜2300 時。1 人 200 円で誰でも入浴可能。ただし、混浴。ちなみに「下ん湯」という名前は元々「岳ん下ん湯」といい、「由布岳の麓(= 下)の湯」という意味だそうだ(案内板「金鱗湖について」の記述より)。
*17: この水路は「ハエ川」といい、常に 30℃ 以上あるそうだ。この川は金鱗湖の水源の一つ。ちなみに、ほかの水源は天祖神社境内の湧水と湖底深部(といっても最大で約 2m しかない)の湧水だという(案内板「金鱗湖について」の記述より)。
*18: 普通なら、水底の一番深いところに集まってじっとしているところだ。蛇足だが、寒いときに魚が一番深いところに集まるのは、水は分子構造上の理由で 4℃ の時に最も密度が高くなる(= 重くなる)ので、一番深いところに行けば(全体が 4℃ を割り込まない限り)最悪でも 4℃ の水温が保たれるから。
・ とにかく風呂。雪はすっかり止んでいたものの、さすがに体が冷えてしまった。部屋は十分暖まっているので、外から帰ってきた直後は耳に血流が急激に戻ってじんじんした。塩兄が悲鳴をあげている。
・ 浴衣に着替えて、浴室棟へ向かう。改めて建物を見てみると、いろいろなところに材質の古さが感じられるのだが、建物自体の造りは(木材の角が丸くなっていないなど)割と新しい*19。不思議な感じ。ちょうど「古材を使って新築しました」という雰囲気。清潔感があってなおかつ使い込まれた古い木材特有の落ち着きと温もりがある。
・ 浴室は男女別(露天を含めて混浴ではない)。2 つある浴室(両方に露天風呂が併設)は日替わりで入れ替わるそうで、今日の男湯は「望岳の湯」。体を洗い、早速露天風呂へ一目散。‥‥おお! 寒いだけあって、湯気で視界が真っ白です!! (^^;。
・ もう夕食の時間帯にかかっているせいか、風呂にほかのお客さんはいなかった。ゆったりと露天風呂を一人占め。お湯の温度もちょうどよく、じっくり漬かるには最高。ふと気付けば、またちらちらと雪が降ってきた。極楽極楽‥‥。ここの露天風呂は、一部に屋根がかかっているが、基本的に屋根はない。本当の露天風呂。暖かい湯に漬かりつつ、ポツリポツリと頭の上に落ちてくる雪の冷たさが心地好い。
・ ところで、この「望岳の湯」には、露天風呂の浴槽が 2 つある。小さな札が立っていたので見てみると、大きな浴槽(宿の page に写真が出ているのはこれ)のほうは単純泉とのこと。そして、隣の「天空の湯」(今日は女湯だ)と接した湯船は炭酸水素塩泉で、豊富に含まれる鉄分のせいで湯船の岩が真っ黒に染まっている。
*19: 宿の公式 page によると、今年で創業 6 年目だそうだ。建物が新しいのも頷ける。
・ 風呂から上がって、いよいよ夕食。温泉宿の楽しみと言えば、やはり風呂と食事です! :-D==
・ 席に案内されると、まずは冷たいものから set されていた。暖かいものは、食事の進み具合いに合わせて都度運ばれてくるという。酒の飲めない私は、いつもだと飲み物はたいがいウーロン茶なのだが*20、menu を見たところ「柚子はちみつジュース」なるものがあったので、珍しくそれを頼んでみる。「お散歩は、神社まで行かれたんですか?」と訊かれたので、
・ そんなわけで、食事開始。「柚富会席」とのことで、「御品書」が添えられていた。
小鉢 | 守口大根酢漬け |
前菜 | 鮎昆布巻 鯛黄身寿司 千社唐 鶏松風 海老旨煮 子持昆布 焼栗 |
椀 | 蟹つみれ 菜花 |
お造り | 間八 鯛 みる貝 烏賊 |
煮物 | 海老芋万十 合鴨 |
替り | 宝楽豆腐 |
焼物 | 湯葉ステーキ 芽キャベツ 相良麩 |
強肴 | 牛豆乳しゃぶしゃぶ |
揚物 | 小ふぐ 巻湯葉 松笠くわい ふきのとう |
酢物 | 赤貝 分葱 独活 |
留椀 | 白御飯 香の物 |
デザート | メロン りんご いちご |
いや、うまかった :-O===。「豆乳しゃぶしゃぶ」は、普段慣れ親しんだ (^^; 「豆水*21」を使ったものではなく、本当に豆乳そのままという濃さのものを固形燃料で加熱するもの。火力があまり強くないので、膜を張ったり固まったりはしない。そのほかの料理も手間暇をかけて作られていて、実にうまい。「柚子はちみつジュース」も、甘みがあまり強くなくさっぱりとした上品な味。
・ 食事をしていると、どこからともなく子供の騒ぐ声が聞こえてくるのだが、近くには見当たらない。よくよく観察してみると、食堂は我々がいる 1 階のほかにどうやら 2 階にも席があり、子供連れはそこに収容されているらしい。1 階には専ら 2 人組の客ばかり(カップルとか、夫婦連れとか、女性同士とか)。我々は子供連れの喧騒に巻き込まれずにすむし、あちらはあちらであまり気兼することなく食事ができるので、これはなかなかうまい手だ。
・ 室内が暖かいので気付かなかったのだが、いつの間にか、窓の外では結構本格的な雪が降っていた。ほかのお客さんも食事を終えつつあり、だいぶん席が空いてきたので、「デザートは眺めのいい席でどうぞ」と窓際の席に案内される。
・ 街の明かりを見渡しつつ、目の前ではしんしんと降り続ける雪が浴場の灯に照らされている。「この勢いだと、今夜中に結構積もるかも」という。実際、眼下に見える屋根や木々の枝は既に真っ白。昨年 2 月にこの辺りを通ったときも結構雪が降っていたので、「雪の降る中で露天風呂」というのを実は結構期待していたのだが、我々の担当の仲居さんは「今夜、家に帰れるかしら」と心配している。たしかに、宿は盆地の縁を少し登ったところにあるので、どこへ行くにも下り坂。しかも、散歩の帰りに登ってきたときに息が荒くなるほどの急坂だ。外は結構寒いので、路面が凍結すると、確かに危険。ううむ。「もしかすると、朝になってみたら、真っ白に積もった雪に埋もれて倒れているかもしれません。そして、点々と血痕が!」って、どうもそのネタから離れませんな (^^;。
・ しばらくまったりした後、部屋に引き上げる。いやあ、ごちそうさまでした m(__)m。
*20: 大抵の宿では、soft drink といえば、ウーロン茶のほかには炭酸飲料しかなかったりするのが最大の理由。
*21: 豆乳と昆布出汁を合わせたもの。
・ 食事の間に、部屋には布団が敷かれていた。特筆すべきは、部屋に案内された際の説明にもあったのだが、寝間着用の浴衣が別に用意されていること。今まで温泉宿には何度か泊まっているが、このような service はここが初めて。寝ている間にはどうしても寝汗をかくので、朝になってそれを着たまま風呂に行ったりするのはなかなか微妙なのだが、寝間着が別にあれば、そのようなことは気にしなくていい。翻せば、「宿にいるときは浴衣が正装。寝間着は別に用意してあるので、ゆったり寛いでください」ということなのだろう。見てみれば、寝間着用の浴衣は(柄も違うのだが)生地自体がやや薄手になっている。「普段着用の浴衣」は風呂や食堂など屋外へ行くときにも着用するので、それと同じ厚さの生地で作った浴衣では睡眠中は逆に暑くなる。これはすばらしい :-)。
・ しばらく部屋でぐったりした後、再び風呂へ向かう。
・ 風呂は 24 時までなのだが、かなり遅い時間に行ったせいか、やはりほかのお客さんはいなかった。露天風呂でまったり。ふぅ〜、極楽じゃ‥‥。
・ しばらく漬かっていると、雪はいつの間にか弱い雨に変わっていた。これで仲居さんの帰り道も安心だろう (^^;。
・ 「天空の湯」との境にある壁からは打たせ湯も落ちてきている。しばらく打たれてみたり、また湯に漬かったり。むぁー。
・ 暑くもぬるくもない絶妙な温度の湯を堪能して、途中で飲み物を買いつつ、部屋に引き上げる。ちなみに、宿泊棟から宿の外へは本館の lobby を経由しないと出られないのだが、本館は毎日 0 時から 6 時までは閉鎖される模様。塩兄によると、「後に飲み物を買いに出ようとしたら、宿泊棟の玄関も施錠されていた」との由(もちろん建物の中からは解錠できる)。基本的には、風呂には入れない時間帯はすべての建物が施錠されるということらしい。
・
明日の朝はややゆっくりだが、とっとと寝ることにする。エアコンの温度が少し高めだったので、リモコンで調整。ちなみにエアコンの本体は部屋の上部の通風口内部(ちょうど広縁の天井裏)にあり、エアコンの受光部もそこにある(運転中は LED がついている)。では、おやすみなさい‥‥。
・ 下関でうっかり〔さくら〕の指定を取ってしまったので、 tour の title が変わりました!(爆)
・ ふと目覚める。時計を見ると、0648 時。まだ早い‥‥。
なにっ? ‥‥ほんとだ!! 時空のゆがみが?!
・
朝食は 9 時にお願いしてあったので、慌てて食堂へ。Check out は 11 時だが、お風呂は 10 時までなので、急いで 口で吸え 食事。
・ 40 分ほどで朝食を終え、風呂へ。夜の清掃を境に男女で浴室が入れ替わっているので、昨夜とは別の風呂(「天空の湯」)。内湯はあまり変わらない。露天風呂は、昨夜の浴室(「望岳の湯」)が 2 種類の浴槽(泉質が異なる)だったのに対し、こちらは 1 つ(炭酸水素塩泉)。‥‥浴槽の真ん中に「見ざる・言わざる・聞かざる」の小さな石像があるのだが、なぜなんだろう (^^;。
・ 風呂から出て、「ラウンジ」へ。「ラウンジ」という名前から受ける印象とは裏腹に、ちょっとした庭園を見渡す和室。真ん中には囲炉裏もある。無料の coffee*1をいただきながら、しばしまったり。
・ 部屋に戻って出発準備。外を見ると、深夜に雨が降って雪は融けていたのに、屋根にはうっすらと雪が。湯布院を経由する高速 bus も始発から運行を見合わせているらしい。あのあと、また雪になったのか?*2
・ あらためて部屋の周囲を観察すると、隣の部屋からは木立が邪魔で由布岳がよく見えないし、裏側の部屋は窓が逆を向いているので、論外*3。1 階の部屋は由布岳に向いた窓も浴室棟に遮られていて下界の眺望がない。結局、我々が泊まった建物にある 8 部屋のうち、由布岳や里のようすを見渡せるのは今回泊まった 1 部屋だけらしい。
・ 歯を磨きながら忘れ物を check し、部屋を出る。
・ Front で精算。昨日の夜「帰れるかしら」と心配していた仲居さんと行き合ったので「帰れました?」と訊いてみたら、「大騒ぎしたのに、結局雨になっちゃったので、なんてことありませんでした (^^;」。よかったよかった (^^)。
・ 駅までの送迎車は他のお客さんを送りに行っているとのことなので、待っている間に横の売店で土産を買う。会計をしていたところにちょうど車が帰ってきた。
・ 送迎の車に乗り込む。お世話になりましたー。
・ 結論。実にいい宿だ。また来よう‥‥(← ぐっと拳を握り締める)
*1: 朝は coffee を無料で飲める。
*2: 精算の際に聞いた話によると、深夜に雨が雪になったらしい。
*3: と言っても、由布岳に向いていない部屋は「庭園側」として料金が数千円安く設定されているので、「由布岳は風呂や食堂から眺められるからいい」と割り切って愛用するお客さんも結構いるらしい。
・ 駅前で降ろしていただく。お世話様でしたー。荷物を背負って駅舎に。
・ 由布院駅は no latch ではあるが列車別改札を行なっていた。〔ゆふいんの森 2〕号は既に入線していたが(というか、つまるところ〔ゆふいんの森 1〕号が折り返すだけ)、車内整備のため「乗車可能になるのは 1145 頃」だという。それまで 15 分ほど時間があるので、荷物を置いたまま駅前をブラブラする。
・ 駅前には赤と白のツートンで塗られた bonnet 型の自動車が停まっていた。「スカーボロ」という観光自動車らしい。夏場はこのほかに「観光辻馬車」が運行されるが、冬場はこちらのみになる。Classic な感じがよさげ。
・ 駅舎から正面の通りを見た右角の土産屋の前を通りかかったとき、「地どりめしあります」という貼り紙に気が付いた。呼ばれて中に入ってみる。探してみると、レジの正面に置かれていた。炊き込みご飯で作ったおにぎり 2 個に漬物が付いたものだった。値段は 350 円(だったと思う。320 円だったかな?)。もちろん買い込む。
・ 乗車可能になったあとも、発車までは 15 分ある。どうせ時間があるので、それまでホームにある足湯を試してみることにする。駅舎内で「入浴券」なるものを販売しているので、購入。‥‥170 円なので、要するに入場券を買うようなものなのだが、代金と引き替えに渡されたものは「券」の類いではなく、名入の towel であった。これがどうも「入浴券」代わりらしい。記念にもなるし、これはいいやねぇ :-D。
・ いよいよ乗車開始。どうせ全席指定なので、焦って乗っても全く意味はない。急いで乗りたい人にはさっさと先に乗ってもらい、あとからゆっくり乗り込む。
・ 席に荷物を置いた時点でも、まだ発車までは 10 分以上ある。再びホームに出て、足湯に漬かる。‥‥いやー、いい感じだぁー :-)。
・ 最初はほかにも 5〜6 人ほど楽しんでいる人たちがいたが、発車の 5 分くらい前になると、すっかりいなくなってしまった。発車の 3 分ほど前に上がり、写真を撮りながら編成の最後尾から車内へ入る。
・ 月曜日であるにも関わらず、車内は半分くらいの席が埋まっていた。我々の席は一番前の車の最前列。つまり展望席*4。車内を通り、席に戻る。途中の売店で弁当を買おうと思ったが、発車直後ということもあって忙しそうだったので、とりあえず後回しに。
・ 由布院駅構内に積雪はなかったが、駅を出て程なく軌道上にも雪が。数分後に tunnel を抜けると、軌道は既に真っ白であった。車窓の地面も白い。雪も降っている。
・ 再び売店へ。コーヒーセットと「ゆふいんの森弁当」を買って席に戻る。
・ 席に戻る頃には、列車は峠を越えていた。やがて、野矢で運転停車。軌道上はもちろん、ホーム上も真っ白。そして、〔ゆふいんの森 3〕号と交換。やがて列車は再び走り出した。
・ 雪景色を見つつ、飯を喰い始める。まずは「地どりめし」から。‥‥これは、うまい。炊き込み御飯はとてもふっくらとしていて、とてもジューシー。かといってベトベトもしていない。これはたまらない。結構ボリュームもあって、小食な人ならこれだけでお腹一杯だろう。実にお買得。途中下車してでも買いに行く価値があると思う。おすすめ。
・ 引き続き、「ゆふいんの森弁当」をもぐもぐ。「献立はたえず変化します」というだけのことはあり、前回とは微妙に献立が異なっている。相変わらず芸が細かい。
・ 豊後森まで来ると、白い車窓にも土の黒が混じるようになってきた。空にも所々青空が覗いている。さらに天ヶ瀬に近づくと、車窓からはすっかり雪が消え、日も差してきた。
・ すっかり空は晴れ、右手に渓谷を見ながら列車は走っていく。やがて日田に停車。新旧の気動車が大勢休んでいた。
・ 無量塔(むらた)の P ロールをパクついている間に、列車はどんどん坂を下っていく。夜明で日田彦山線と別れ、筑後大石を過ぎると、線形が極端によくなり、直線が目立つようになる。筑後川沿いの平地を右手に見下ろしつつ、農地の中を真っ直ぐに延びる線路。しばらく走ると少しだけ緩い curve を曲がり、また真っ直ぐに走っていく。ふと気付くと、やや強く雨が降り出していた。Wiper を間歇運転しつつ、列車は久留米を目指す。
・ いつしか周囲は住宅ばかりになり、列車は大きく右へ曲がる。雨は止んでいた。左から鹿児島線の線路が寄り添ってきて、程なく信号停車。進路が開通していない。鹿児島線の線路を〔リレーつばめ 8〕号が追い抜いていったが、まだ進路は開かない。しばらく停まっていると、やがて前方から〔リレーつばめ 13〕号が走り抜けていった。やや遅れているようだ。
・ 〔リレーつばめ 13〕号が通過すると、進路が開通した。鹿児島線の下り本線に進入し、ホームに接近する。ホーム手前の分岐器で下り本線を支障しない進路を通って中線に渡り、3 番に入線。2 分遅れで到着。
・ 久留米は結局 2 分遅れで発車。鹿児島線を北上していく。鳥栖では約 1 分延。「キハ 200 系の下廻りを使っている」とされるだけあって、足は速い。走行も安定している。
・ 鳥栖を出ると、また晴れてきた。複線の重軌条区間を快調に走っていく。走りは快調ではあるが、ここまで来ると車窓の面白味は今一つ。
・ 博多にはほぼ所定。おつかれさーん。博多は気持ちよく晴れている。
*4: おば Q とは違って「展望席下さい」と言っても買えません (^^;。
・ 次の〔かもめ 25〕号までは 40 分以上あるのだが、駅周辺にあまりおもしろいところはないし、駅舎内で時間を潰す気にもならない。腹が減っていればホームでラーメンを喰う時間はあるのだが、あいにく腹もそんなに減っていない。筑紫口には大型量販店もあるが、とりあえず買い物もない。そのまま隣のホームの〔リレーつばめ 49〕号やら折り返しの〔ゆふいんの森 5〕号の写真を撮ってみたり。
・ でもって、下りの〔リレーつばめ〕の行き先が「鹿児島中央」になっていることに初めて気付く。営業上は〔リレーつばめ〕と〔つばめ〕ってあくまで一個列車の扱いなのね。そういや、時刻表でも微妙な書き方になってるしな。‥‥いくらなんでも無理があると思うけどな。
・ 〔かもめ 25〕号は隣の 3 番ホームから出るので、適当に移動。‥‥ 1435 頃入線してきた。おや、top number 編成ですよ。どうも発車の 15 分前を乗車開始の標準にしているようで、まだ車内には入れない。外から写真を撮りながら、うろうろ。1・2 番ホームに移動して編成全体を撮し込んでみたり。
・ 乗車開始。これもまた指定席なので、並んでいる人たちの後ろからのんびり乗車。
・ 車端部の席を取ってあったので、席と壁との間に荷物を押し込み、のんびり座る。‥‥と見せかけて、発車の前に飲み物を調達。しっかり 2 号車を確保したので、肘掛けから電源を取って日記を補完してみたり。
・ 所定に発車。‥‥やたらとガタピシ揺れる。塩兄も「やっぱり揺れますよ」とぼやいている。確かにねぇ。まあ、台車の直上である上に、その台車がガコガコ言ってるからなぁ。だいぶん下廻りがへたってるようだ。しかし、いくら top number 車とはいえ、経年劣化と言うには早すぎるんじゃ? (-.-; やっぱし、安っぽいのかな。
・ そうこう言っているうちに鳥栖に到着。いよいよゾーン券に突入。空はきれいに晴れ渡っている。勢い余って車販で coffee と ice cream を買ってみたが‥‥抹茶味を買ってみれば、普通の「Aya」ですかそうですか。担当工場はどこだか判らないが、製造者欄に「江東区新砂」とか書いてあると、解ってはいてもさすがにガックリ。
・ 気を取り直して飲み食いしていると、いつしか日差しは徐々に夕焼け風味に。里(信)ではいつものように上りの〔かもめ 30〕号と交換。こちらが先に停車したので、小さな湾の向こうに見える線路を眺めていると、やがて岬を廻って「白いかもめ」が姿を現した。通過を待ち、発車。
・ 肥前大浦を過ぎて少し行くと、いよいよ長崎県。線路が海岸沿いに出ると、雲仙の姿が見えた。いつもながら、地元の街を火砕流で飲み込んだとは思えないほど、穏やかな山容。元々「守り神」として崇められていた山でもある。もう二度とあのような災害が起こらないよう祈るばかり。
・ 夕暮れに近づいて、日差しもだんだん赤みを帯びてきた。そして、この辺りで気絶。ぐぅ。
・ ‥‥目が覚めてみれば、喜々津であった。終着の長崎も近い。Toilet に行ったりして、降車準備開始。
・ 下り坂の長い tunnel を抜けた浦上では、上りの〔さくら〕と交換。この光景もいよいよ見納めだ。先に停まっていた〔さくら〕の横をあっという間にすり抜ける。
・ 所定より 2 分ほど遅れて、無事に長崎に到着。今日の長崎もきれいに晴れている。
・ まずは改札を出て、右手の観光案内書に突入。電車の 1 日乗車券と各種施設の入館権が set になったもの(『長崎観光パスポート』、1,500 円)を売っているそうなので、それを購入。電車の 1 日乗車券だけであれば hotel でも購入できるのだが、このような企画券が常備されていない可能性は高いので、今のうちに。日付は明日にしてもらう。
・ ついでに hotel への bus 路線について訊いてみると、「5 番系統の『シンフォニー稲佐の森』行ですが、本数が少ないので、taxi の利用をお奨めします」とのことであった。Bus の路線図などは置いていないかと訊くと、「ありません」とのこと。
・ 荷物を背負って駅前へ。せっかくなので、bus の時刻を確認してみることに。案内板を見ると 2 番のりばとのことなので、歩道橋を上がって、乗り場へ降りる。
・ 乗り場の狭い歩道を縫って歩き、目指す乗り場へ到着。‥‥1 時間に 2 本ですか。しかも、6 分ほど前に出たばかり。ちょうどほぼ 30 分おきなので、次の bus まで 20 分以上ある。目の前からは同じ 5 番系統の「稲佐山(悟真寺)」行が頻繁に出ていくが、これがどのくらい近くまで行ってくれるか分からない。地方に来ると、地域交通を bus に頼らざるを得ないにも関わらず、地図と一体になった路線図や乗り場の情報がまず手に入らないのは、どこでも同じ。実に困る*5。
・ 仕方がないので、taxi を利用することにする。taxi 乗り場は目の前に見えているのだが、横断歩道はないので、また階段を登って、降りる。‥‥我々でも荷物を背負っていれば十分きついんだから、この「deck を登り降りしないと公共交通の乗り場に到達できない」という駅前の構造は、足腰の不自由な人には苦行だよな。Deck も、駅舎寄りの「広場」を除いて通路や階段がむやみに狭いし。
・ そんなこんなで、またもとの場所に戻ってくる羽目に。‥‥いつもながら LUCKY ばっかりだが、やむを得ない。乗り込む。
・ 車は一旦北へ向かい、稲佐橋を渡る。稲佐公園付近に来たところで、前方を走る 5 系統「稲佐山(悟真寺)」行の bus に追い付く。運転士さんに「あの bus はどこまで行くんですか?」と訊くと、「もう、すぐそこまでしか行かんですねぇ」。我々は「稲佐山 →」とでっかい看板が建った交差点で右折したが、bus は直進していく。「(Bus は)そこの、突き当たりのところまでです」。んあー、そりゃあ麓もいいとこだってゆーか全然登ってないし。
・ 「Bus に乗らるっとですか?」「いや、最初は清風さんまで bus で行こうと思ったんですが、近くまで行く bus って、本数が少ないでしょう。で、あっち(= 悟真寺行)は結構出てるんで、どこまで行くのかと思ったんですが‥‥」「あ〜、あれじゃあ、全然ですねぇ」「ですよねぇ。『ここからが肝心だろう!』ってとこですもんねぇ」とか話している間に、車はぐんぐん登っていく。
・ 稲佐山観光ホテルの下あたりで登山道路は右に急 curve を切るが、我々の車はそこからわき道へ。せっかくここまで登ったのに、また結構な急勾配で少し下り、その後ずるずると登っていく。ホテル清風の建物はすぐ眼前の頭上にそびえている。「しぇーふーさんのすぐ前に停留所はあるとですが、本数が少なかですねぇ」「1 時間に 2 本ですもんねぇ」「そんぐらいですねぇ」と話していたら、ふっと目の前の崖下を指して言う。「ほら、ここが停留所です」。‥‥確かに建物の真下ではあるけど、ずいぶん高低差がありませんか? (-.-;
・ 停留所の背後にそびえる崖を blind curve で回り込むと突然でっかい看板が現われ、taxi はその横の車路へ乗り入れた。‥‥うわ、そーゆーことですか。確かに停留所からの距離はそんなにないが‥‥。車路は数 m 程度坂を登ると駐車場兼用の広場に入り、それに面して hotel の入口があった。特に出迎えなどはないので、とっとと降車して、トランクから荷物を降ろす。お世話様でしたー。
*5: どうしても自分の住んでいる地域を基準に考えてしまうからなのだが、逆に言えば、東京都交通局が配布している路線図がほかに類を見ない親切さであるということなのだろうか。‥‥もっとも、東京の場合、「街全体の代表駅」というものが事実上存在しない(さらには観光案内所も滅多にない)ので、ほかの地方都市のように「代表駅に着いたらとにかく観光案内所へ」という法則が通用しないという別の問題があるのだが(こちらは大阪も同じ)。これに関しては、「駅の主たる user が地元民かそうでないか」によって分かれるのだろう。
・ 玄関を入ると、そこには counter が。しかし、無人。「備付の電話でフロントを呼ぶか、エスカレーターで直接フロントへどうぞ」というような札が立っていたので、counter 横の扉を入ると‥‥おお、escalator が‥‥! JTB の site の施設詳細 page には「館内施設」の項に「施設の一例」として長〜い escalator の写真だけが載っていて「?」と思っていたのだが、ここでその escalator と対面するわけやね (^^;。
・ でもって、escalator へ。‥‥どんどん登るね。部屋に入ったあとで館内案内を見てみれば、この escalator で 1F から一気に 3F に登っているらしい。登山道路の方から見えていたのは、さらに上の 4F 以上に位置する客室棟。そりゃあ、上の方にあるわけだ。Escalator の壁にも窓があり、下界が一望できる。だいぶん夕暮れが近づいてきて、escalator から見た東の空にも夕焼けが訪れていた。
・ Front で早速 check in。部屋への案内がてら、宿の方が荷物を運んでくださった。案内された部屋は、一般客室としては最上階*6の 10F。12 畳の和室に床の間、そして 3 畳ほどの広縁がついている。広縁には大きな窓があり、長崎の街と港を一望できる。便所はシャワートイレ付。洗面所や便所、室内の木部などに造りの古さがかいま見えるが、室内はきれいに改装されており、古ぼけた印象はない。
・ 程なく仲居さんが現われ、館内の簡単な案内をしてくれた。食事の時間は 1845 時頃に設定してもらい、食事までの間にざっと風呂を浴びに行くことにする。
・ 風呂へ行く支度をしているうちに 18 時を廻り、窓の外には急速に夜の帳(とばり)が降りてきた。部屋の正面には大波止の謎のオブジェ。その右手には港と山手地区。そして、左手にかけては市街地を一望。きれいに晴れ渡っていることもあって、実に夜景が美しい。
・ EV に乗って 4F へ降りる。さっき部屋で館内の案内図を見ていた塩兄が言う。
「これが『シースルーエレベーター*7』ですよね」
「そうだねぇ」
「乗ってる人の服がだんだん透けて」
・ 大浴場は男女別。毎日 0 時から 5 時半まで清掃時間があり、その際に男女の浴室が入れ替わるのだそうだ。宿の設備説明によると男湯にはサウナがあるとのことだったのだが、今夜の浴室にはそれがない。おそらく、もう一方の浴室に付いているのだろう。浴室にも大きな窓があり、やはり夜景を望むことはできるが、窓の下には洗い場があり(洗い場の前は当然壁)、浴槽に漬かりながら夜景を眺めることはできない。‥‥もっとも、浴室内の湿気で窓が曇って、外はそもそもあまりよく見えないのだが。ともあれ、温泉でもないのに、大浴場があるのはありがたい*8。ゆったりと足を伸ばす。浴室もやはり造りの古さがにじむが、tile できれいに改装されていて、あまり気にならない。は〜、のんびり‥‥。
・ さて、風呂のあとは夕食です! ここは JTB の site で「風呂自慢」「料理自慢」の宿なので、大いに期待ですよ?! 今回は「九州宿泊大百科」の宿泊 plan を利用した関係で、夕食は「舟盛り付卓袱コース」と「会席コース」の 2 種類から選択でき、せっかく 2 泊するので、1 泊目と 2 泊目とでそれぞれを選んでみた。で、今夜は「卓袱コース」なわけですが!
・ ‥‥決してまずくはない。つーか、むしろ旨くはあるのですが、「これが卓袱か?」という疑問が。確かに献立に和・洋・中のすべてが入ってはいるし、「卓袱の作法」通り御鰭に始まって梅椀で終わるが、「洋」はグラタンだけ、「中」は東披煮まんじゅう。「和」の舟盛りはさすがに立派だし、一つ一つの料理にもそれなりに手間をかけてはあるものの、全体の balance が今一つ。宿泊代金からしても、普通の宿の夕食としては十分すぎるものなのだが、いかんせん期待がでかすぎた。ていうか、内容が名前に敗けている。「卓袱『風』舟盛りコース」とかにしたほうがいいんじゃないかなぁ‥‥。以前に浜勝で(昼食とは言え)卓袱を味わったことがあるのも敗因の一つか。
・ まあ、「卓袱コース」だとさえ思わなければ、質・量ともに十分すぎるものなので、そのつもりで味わう。さすがに「闇卓袱*9」にする気にはならなかったので (^^;、窓の側へ table をぎりぎりまで寄せ、照明は消さずにパクつく。‥‥旨かったんだけど、皿うどんは今一つだったな‥‥。江山楼の味に慣れちゃってるからなー。
・ ともあれ堪能して、front に連絡。ごちそうさまー。食器を下げ、布団を敷いてもらったので、しばらくは massage(食事の前に頼んであった)を受けたり TV を見たり日記を書いたりしてぐったり。
・ 私が「〔さくら〕の指定を取ってしまったからには〔いそかぜ〕に会いに行かないと‥‥」と言っていたら、塩兄も「〔いそかぜ〕には乗っておきたいですな」と何やらごそごそやり始めた。しばらくして、「〔出雲〕の B 寝台車で向かい側がないのは何番でしたっけ」「〔いそかぜ〕で海側になるのはどの席でしたっけ」「〔S まつかぜ〕は‥‥」と質問が。いつも「列車編成席番表」を見れば済むことなんで覚えてないぞ。家に帰ればわかるんだが。とりあえず覚えている範囲で伝える。なに、いつ買うのさ?
塩「明日、周遊ゾーンを乗りに行く前に JTB によって手配してこようと思うんですが。長崎の JTB ってどこにあるんですかね?」
五「時刻表の巻末に載ってるべさ」
塩「なるほど」
2 人して確認する。そして見事に食い違う(爆)。
塩「銭座町ってどこですか?」
五「こっちには大黒町って書いてあるぞ」
塩「なにー。‥‥私の時刻表は 12 月号ですが」
五「俺のは 1 月号」
塩「‥‥‥」
ふっ。勝った。(謎)
「移転したんじゃない?」
位置を調べてみると‥‥駅前じゃん。前はずっと浦上側にあったんだから、ちょうどいいってなもんよ。
五「まあ、席番については、東京に帰ってからでも間に合うなら、調べとくけど。明日買っといて、もしあれだったら乗変すれば?」
塩「お願いします」
五「あいよ」
・ そろそろ落ちそうになってきたので、寝る前にひとっ風呂浴びに行く。ところで、ここは温泉ではないのだが、浴室に掲出してある説明によると、「天然深層水を加熱して使用している」そうだ。
・ 24 時頃落ちる。ぐぅ。
*6: 建物は 11F まであるが、11F には lounge・restaurant と royal room があるだけ。この royal room も、平面図には記載されていなかったりする。
*7: Front のある 3 階から最上階の 11 階までを結んでいる EV が案内図には「シースルーエレベーター」と書かれていた。‥‥まあ、要するに展望 EV なわけですが。
*8: 実は、今回この宿を選択した理由の一つが「大浴場があること」だった。普段の「夏・長崎から」関連の行程では街中の宿の方が行動が楽で、そのような場所にある宿には大浴場が併設されているところがほとんどない(長崎ビューホテルくらいなもの?)。だったら、いっそ今回は街中から離れて「夜景がきれい」で「大浴場がある」宿にしようと思い、ここになった。
*9:
実はよっこさんも以前にこの宿に泊まったことがあるそうな。そのときにもやはり部屋食だったのだが、夜景がきれいなので、それを楽しみながら食事をしようと思ったが、照明が窓に映り込んであまりよく見えない。そこで部屋の電気を消して食事をしたところ、当然のように手元が暗く、確かに夜景は楽しめたのだが、結局いったい自分がどんなものを食べていたのか分からず仕舞。ご本人曰く、「あれがほんとの『闇卓袱』」 (^^;。
・ 0730 頃目が覚める。窓から見た東の空はどんよりと曇っている。風景も煙っている。真下を見ると、hotel の前の道は路面が濡れていた。
・ 朝食の時間は 8 時に設定してあるので、その前に風呂に行く。
・ 浴室は昨夜とは逆の側だった。こちらの方が脱衣所も浴室も広く、サウナも付いている。こっちが施設案内にある「男湯」なわけね。ともあれ、広い湯船でまったり。混雑しているわけではないので、どちらの浴室でものんびりできることに変わりはない。広い窓から空が見えるのが開放的。
・ 朝食は 11F の restaurant で、ということなので、服に着替えて上がっていく。案内されたのは窓際の席。やっぱり下界を一望。しかも窓に向かって座る席だ。目の前に街を見下ろしながら朝食。なんかぜいたくだなー :-)。
・ 部屋に戻る。今日は市内観光の予定で、別に check out するわけじゃないんだから、もうちょっと食事を遅くしてもらえばよかったかなぁ。かなり眠い。布団に倒れ込み、気絶‥‥。「私は周遊ゾーン内を乗りに行ってきます」という塩兄は 10 時頃出ていった。えぅー。
・ 1030 時頃復帰して、部屋を出る。Front に鍵を預け、1F へ。
・ 玄関を出る。車路は左へ延びていて、ちょっとした坂を下って公道に出ているわけだが、その車道は左から右への登り坂で、車路のどん詰まりに位置する玄関前付近では車道と車路との高低差はあまりない。なんとな〜く車道に出られそうだなーと公道の方へ行ってみると‥‥果たして、車路から公道の歩道へ降りる階段が見つかった。車路の入口付近では数 m 程度の高低差があるが、こちら側では 1m 程度。7 段降りると歩道に出られる。
・ その階段のすぐ斜向かいには、駅前からの bus の停留所と飲み物の自販機があった。車路の入口(というか、正式な宿への入口)へは taxi の運転士さんに教えてもらった「丸尾中学校入口」が近いようだが、玄関へは一つ先の「水の浦町高部」で降りたほうが圧倒的に近いようだ(むしろ目の前)。同じ停留所の駅方面への乗り場は、坂をさらに数十 m 登ったところにあるので、駅へ向かうときにどちらを使うべきかは微妙なところ。距離的には「水の浦町高部」のほうが近いが、坂を登らなければならないことを考えると、「丸尾中学校入口」まで降りていったほうが楽かもしれない。
・ 明日の朝に備えて、時刻表を check しておく。‥‥ 7 時代から 20 時代まで、毎時 10・40 分の完全 pattern ダイヤ(最終便のみ 2045 時)。非常に分かりやすい。‥‥まああれだ、1 時間に 2 本とは言っても、完全な均一間隔運転だと、それなりに利用しやすいな。ところで、案内所では「5 番系統」と言われたが、それは「稲佐山(悟真寺)」行の系統で、ここへ来るのは「10 番系統」(長崎バス)らしいですよ?
・ 時間はあるし、こんな機会もそうそうないので、写真を撮りながらずるずる降りていくことにする。いつまたここに泊まるかはわからないし、そのときに雨が降っていないとは限らないし、明日は明日で荷物を背負ってるから bus で降りちゃうだろうしな。当初は今日はへいふり坂をてっぺん(= 風頭公園)まで登るつもりだったんだが、天気もあまり良くないし、なにより長崎には来月また来るので(爆)、今日はのんびりうろつくことにする。
・ そんなわけで、てくてく歩いていく。しかし、急峻な地形だ。家屋は断崖にへばり付くように建っている。坂の傾斜は 45°を確実に超えている(もちろん階段付)。眺めは確かにいいけど、車がないと買い物一つする気にならないな。ていうか、通りから一歩住宅街(!)に入ると車なんか当然通れる道などないので、この急坂(くどいが、かなり急な階段)を登り降りせざるを得ない。日常的に登り降りする気にならないのはもちろんだが、病気などの緊急事態のことを考えると気が遠くなる。救命救急活動が大変そうだ‥‥。
・ 住宅地の中を抜けて降りていっても近道にはならないので、bus(というか車)の通り道に沿って歩いていく。丸尾中学校入口停留所を過ぎると、道は登山道路へ向かって登り坂に。これがまた結構急な勾配。横を通っていく車も low gear のままあえぎつつ登っていく。登山道路に合流すると、また急な下りになるんだが‥‥俺の位置 energy を返せ‥‥ (-.-;。
・ 登山道路への登り坂の途中、道の下に建っている民家の屋根に目が止まる。‥‥おおー、鯱が乗っている‥‥。
・ 登山道路に入り、またずるずる降りていく。右手はほぼ断崖。この道には路線 bus が走っていて、走っているからには当然途中に停留所があるわけだが、路肩なんてものを取る余裕はないので、「上曙」の谷側の停留所は人口地盤を作って設置していた。うひゃー (-.-;。
・ 途中で極めて弱い雨がぱらついたものの、まずまずの天候の中をてくてく降りていく。途中に「泰三寺」というお寺があった。登山道路に山門が直接面している。小さいが、立派な板塀があり、門構えにも風格があるな‥‥と思いながら前を通過しようとしたら、その門から taxi の鼻がにゅっと突き出てきた。ただでさえ道路は道幅が狭い割に交通量が多いし、門の幅も taxi の車幅ギリギリしかないので、そろりそろりと出てくる。危険だし、急いでいるわけでもないので、道から一段下がっている門に近づき、死角で待機。Taxi は車道ギリギリまで鼻を出した後、両方向の交通が途切れた隙を突いて逃げるように下界へ降りていった。
・ 泰三寺のすぐ先にある右 curve には商店が数軒並んで建っていた。その辺りから、道の両側に大きな高低差がなくなり、道の両側に面して民家が立ち並び始め、「麓に降りた」という印象になる。Curve を曲がると程なく下り坂も終わり、「稲佐山登山道路」も終点(起点?)となった。
・ 例の「稲佐山 →」という看板が立っている T 字の交差点を左折し、坂を下る。坂を下ったところ(谷底)にある「曙町」停留所がある信号から右の路地へ入り、国道 202 号へ抜ける。国道を南に戻っていくと、やがて旭大橋へ到着*1。‥‥駅のほうへ行くのだからと東側の歩道に渡っておいたのだが、旭大橋は南側にしか歩道がなく、歩道への登り口も西岸は車道の取付部の loop の内側にしかなかった。仕方なく、また西側の歩道へ戻る。
・ 橋に登り、てくてくと渡っていく。橋の上から長崎駅の留置線が見える。編成から切り放されて休んでいる客車に萌え。駅の向こうの山の上には hotel がいくつか(ホテル長崎とか長崎日昇館とか長崎紅葉亭とか長崎梅松鶴とか)建っているのが見える。ホテル長崎には今日か明日にも行ってみる予定ですよ?
・ 橋を渡りきると、こちらの登り口は左右に分かれていた。何となく左(駅側)に降りる。降りた先は橋の真下の島で、信号のない横断歩道を渡って側道の歩道へ。
・ 駅のほうへ歩いていくと、「関係者以外立入禁止 長崎駅長」という横断幕が。貨物駅かと思いきや、そのすぐ上には「JR 貨物 長崎営業所」と看板が出ていた。あれ? 「長崎駅」じゃないの? と思いつつ建物を過ぎると‥‥奥に見えてきた貨物ホームらしきものは周囲の rail が撤去され、単なる container 置き場と化していた。うーん。ついでに書いておくと、JR 貨物の営業所の建物の向こうに日本通運の営業所があるのは予定調和*2。
・ ところで、その貨物駅跡地、「跡地」としては猛烈な違和感がある。‥‥よくよく考えてみれば、既に rail は撤去されているのに、架線柱がそのまんま(もちろん架線そのものは撤去済だが、桁はそのまま残っている)。なぜ架線柱を残したまま跡地を Times の駐車場として利用していますか? しかもあれですよ、それぞれ 2 つづつある出入り gate のうち、1 本の出口は単線用の架線柱(両持ち)の股座を潜ってます! 架線柱マニアとか架線柱の下を車で走りニストには実にたまりません! ‥‥なんでこんなことに? しかもこの単線用架線柱、結構新しい。うーむ。
・ 長崎駅(旧?)構内のとわいらいとぞ〜んはこれだけではなかった。「Times 長崎駅前」の入口の隣には「アミュプラザ長崎」と「JR ホテル長崎」の共用駐車場の入口があるのだが、これを入るとややこしいことになる。まず、右手に建物を見ながら進み、建物が切れたところで右にポキリ。曲がるとすぐに留置線にぶつかり、「アミュプラザ長崎 駐車場/P →」という看板が建っている。看板に従って曲がるとすぐに突き当たり。今度は右に曲がる。留置線の車止めを左に見つつ十数 m 進むと右から駐車場ので入口が近寄ってくるがこれとは交わらず(pole で区切られていて gate も独立)、押し出されるようにして左へポキリ。すぐ手前の路面には「立体↑」と書かれているのだが、ビルと一体の立体駐車場へは右から現われた道が接続していて、こちらの通路は建物の外の平面駐車場へ繋がっているらしい。実にややこしい。車止め脇の車路と公道との間には駐輪場があり、さらにその隣には運送会社の事務所が建っているので、それを避けて車路を通した結果、こんなにぐにゃぐにゃな通路ができてしまったらしい。路面の表記を見るに、元は立体駐車場に繋がっていたのかもしれないが‥‥(現在立体駐車場に繋がっている通路と公道に面した駐輪場は、あとでできたのかもしれない。立ち退きなどの関係?)。
・ 元の国道 202 号を進む。アミュプラザの 1 階には「kinko's」が入っていた。そして、店頭にはでっかな POP が。
‥‥カタカナで 3 文字だったらなんでも「冬の」をつければいいってもんじゃねーわさ (-.-;。まあ、アレよりはマシか。いくらなんでもアレはまずいだろ、いろいろと。(謎)
*1: 何となく旭大橋経由で山に登るときに taxi が通る道を辿ってしまったのだが、徒歩の場合、実際には悟真寺付近を通ったほうが近いようだ。
*2: 日本通運の前身は鉄道連携輸送の陸送部分を担当する国策会社。その関係で、かつては国鉄貨物の陸送をほぼ一手に引き受けていた。今でも駅構内や貨物駅跡地に日通の営業所が見られるのはその名残。
・
「アミュプラザ長崎」と「ホテルニュー 越谷 長崎」との間には謎の木立がある。それと道路を挟んだ向かい側にはヘロヘロと遊歩道が延びていた。元船遊歩道だ。ここは長崎本線貨物支線(通称 長崎港線)*3の廃線跡だ。
・ 遊歩道を歩いていってみる。遊歩道に入ってすぐ、水路を跨ぐ橋がある。橋の写真を撮り、足を踏み出そうとしたら‥‥下のほうで「ビクッ!」とした気配が。なんだろうと思って下を見
・ 猫のひとは白と黒のぶちが 1 匹、虎縞さんが 1 匹。先に近寄ってきたのは白黒のほうだったようだが、私が突然動いたもので驚いたらしく、こちらに歩いてこようとした格好のままで固まっている。数秒見つめあっていたが、そそそと 1 m ほど遠ざかる。その代わりに今度は虎縞さんが近寄ってきて、ズボンの裾に身体をす〜り。‥‥臭い付けされました (^^;。それを見ていた白黒さんもまた戻ってきて、周りでうろうろ。
・ 虎縞さんは耳の後ろの辺りを足に擦り付けてくる。頭を撫でてやると、「あああ、ここ掻いて〜〜」とばかりにいろんなところを押し付けてくる。さらには白黒さんも入り乱れて、そりゃあもう大騒ぎ。写真を撮りながらもみくちゃにされる。代わる代わる指を嘗められたり甘噛みされたり。挙げ句に虎縞さんは腹を見せて引っくり返ってるし。
・ バシバシ写真を撮っていたら、memory が一杯になってしまった。仕方がないので、次の card に交換する。東京で出発前に 512MB の card を 1 枚買い足しておいてよかったなぁ。‥‥あれ? 「空き容量がありません」?
とりあえずここは予備の 32MB と 64MB で繋いでおくか‥‥ (__;。
・ Card を交換している間も、「まだぁ〜?」とばかりに見上げてくる。‥‥だから、足の甲を前足で押さえ付けなくても私ゃ逃げやしないってば (^^;。
・ Card を交換し終わって、また構う。虎縞さん、「きゃああああ♪」とばかりにはしゃぎまくり。もお地面に完全に仰向けになって 4 本の足全部でじゃれ付いて大騒ぎ。まさにはぁはぁ状態。しばらくして起き上がったので飽きたのかと思いきや、またす〜りと身体を擦り付けたあと、物欲しげに見上げてくる。頭を撫でてやると、またいろんなところを擦り付けてきて「ああもう、きゃああああああ♪」と大はしゃぎ。足の周りをくるくる歩きまわったりじゃれてきたりスリスリしたりもう大変なことに。そのうち腹を出して引っくり返ったまま毛繕いを始めたので、前足を持ってにくきゅうをプニプニ。全くの無抵抗で毛繕いに専念する虎縞さん。にくきゅうを堪能。
・ しばらくしてさすがに飽きたらしく、近くにあったベンチの上で一足先に寛いでいた白黒さんの隣へ行ってちょこんと座った。「来ないの〜?」と言うようにじっとこちらを見ていたが、そろそろ行くわさ (^^;。また会えるかねぇ。
*3: 戦前長崎港(出島桟橋)に発着していた上海航路との連絡のために延伸されたらしい。1930 年 3 月 19 日開業。当時、上海→東京間は、日華連絡船(日本郵船)とそれに接続する門司行の急行列車(1934 年 12 月 1 日の有明線全通までは早岐経由)を乗り継ぎ、さらに関門航路を介して下関で連絡した特別急行〔富士〕号を利用して、54 時間 25 分かかったらしい。その後 1942 年 7 月 1 日の関門海底 tunnel 開業によって特急〔富士〕号が東京〜長崎港間を直通するようになる(所要時間は 23 時間 30 分、のち 1943 年 10 月 1 日に長崎乗り入れは廃止(博多止に)、翌 1944 年 4 月 1 日に戦時体制強化による特別急行列車全廃のため列車廃止)。上海航路には末期になると 3 隻の旅客船が就航していたが、「長崎丸」が 1942 年 5 月 17 日に伊王島沖で旧日本軍の機雷に触れて沈没(船長は割腹自殺)、同じ年の 11 月 11 日には東亜海運所有で前年秋に就航したばかりの「神戸丸」が東シナ海で日本郵船の貨物船「天山丸」と衝突して沈没、残る「上海丸」も翌年 10 月 30 日に揚子江沖で南方兵員輸送船の崎戸丸と衝突して沈没し、それをもって航路自体が消滅したとのこと(長崎港駅の駅機能もこの時消滅)。残された長崎港線は貨物線として活躍、終戦直後には帰国する米兵を長崎港駅まで輸送するのにも使用され、その後は松ヶ枝橋付近まで延伸されて高島炭鉱関連の輸送にも使われたという(1974 年当時の航空写真でこの線路は確認可能*4)。その貨物輸送も 1987 年(長崎大水害の年)11 月 14 日に長崎港駅が廃止され(日華連絡船の復活を期待して駅名が残されていたという)、線路だけが存続していたようだが、1987 年 3 月 31 日、公共事業体日本国有鉄道の消滅とともに正式に廃止されたという。出典: 「長崎みなとのはなし 第 2 話」(臨港鉄道記念 monument に展示)・参考: 「長崎年表」・Wikipedia「長崎本線」「山陽本線」など
・ そんなこんなで 15 分ほど猫のひとと遊んで(遊ばれて?)、遊歩道を先に進む。道ばたの港側には日通の事務所(そう、ここでも日通だ)や倉庫会社の建物、用途廃止になった倉庫を改装したと見られる飲食店などが立ち並び、いかにも貨物線跡と言った風情。
・ 途中「元船町児童公園」というものがあったが‥‥ただの草ボウボウの広場だよな (-.-;。まあ、近くに公園などはないので、遊べる場所があるだけマシなのかもしれないが‥‥。
・ その「公園」を過ぎ、道を渡ると、遊歩道の隣に道路が平走するようになる。元々側道として存在していたのだろうか。道路に面しては倉庫群の代わりに一般のビルや商店が立ち並ぶ。
・ お江戸線汐留駅の副名称と同じくあまり素直に名前を呼びたくない(つまり名前にあまりセンスのない)大規模商業施設の前の道を渡り、さらに進んでいくと、程なく中島川にぶち当たる。遊歩道はここでおしまい。川の護岸の遊歩道の延長に当たる部分には橋台がまだそのまま残されている。長崎駅側は単線用、旧出島桟橋側は複線用だ(実際には蒸気機関車の動輪が置いてある側の単線部分のみが使用されていたようだが定かではない*5)。玉江橋へグルッと迂回して対岸へ。長崎方の橋台が「何となくそのまま残しておきました」という状態なのに対し、長崎港方は monument として整備されており、川沿いの道の車道部分にもかつての路盤を表わすかのように線路を埋め込んである(本当に当時の線路をそのまま埋め込んだのかもしれない)。Rail は歩道から橋台の上まで突き出ていて、橋台部分には蒸気機関車の動輪が飾ってある(この動輪の出自は不明)。橋台の反対側はリンガーハットの建物の手前でブッツリ切れていて、この先の廃線跡は跡形もない。
*4: 原爆投下直後や 1974 年当時の航空写真を見ると、橋が単線であることは確認できる。
*5: 長崎港駅は今の出島ワーフ付近にあった(出島ワーフと JA 会館の間の道が廃線跡に近いが、実際の廃線跡は今 JA 会館が建っている場所のようだ)。松ヶ枝方面への線路は長崎税関の裏手付近で本線から斜めに分岐し、ビジネスホテル出島裏手のホンダクリオが入っているビルに沿って進んだあと防衛庁長崎支部と長崎港労働者福祉センターの間を抜けて現在ちょうど水路となっている辺りを通り、(現在の)長崎ビューホテルの向かい辺りまで延びていた。
・ Monument の写真を何枚か撮ったところでいよいよ予備の card も一杯になってしまった。‥‥実はこちらの方へ歩いてきたのには理由がある。散歩も目的のひとつなのだが、この先の出島跡の向こうには! かの有名な!!
・ というわけで、スパコン屋さんにやってきた。‥‥いや、なんのことはないベスト電器の支店なのだが、ビルにはでっかな「スーパーコンピューターストア」の看板が。我々の周りでは極めて有名です! ‥‥まあ、中身はふっつーの量販店系 PC shop なので、かつてアキバで「パソコン 25 万円」という値札を付けて Ultra 5 かなんかを売っていた某 shop に比べると店内の impact は今一つ(← 何を期待してるんだか)。
・ で、512MB の xD card を 1 枚買う。‥‥せっかくアキバで 9.5k 程度で買ってあったのに、ここで単価が上がってしまった。まあ、現金払いでなかっただけよしとする。
・ ところで、看板に店内に Cray 社製の椅子(つーかベンチ)が置いてあるという事実はなく、むしろ椅子は(少なくとも 1 階には)見当たらない。‥‥仮に椅子が置いてあったとしても、それに座るべき客が見当たらないのはいつものこと(爆)。てか、だいたいどこの店舗もそんな感じだけど、本当に大丈夫なのか‥‥? (__; > ベスト電器
・ 猫のひとに遊ばれてる間にちょうど正午になったわけですが、それはつまり、全国的にお昼なわけで。今回宿泊に tour(宿泊 plan)を使った関係で、特典として 1 人 1 泊当たり 1 枚、「チャンポン券」が付いている。江山楼で使えればいいのだが、使えない(まあ、当然っちゅーか)。昨夜塩兄が「利用可能個所一覧」を見ていて「この『真珠屋』ってのはなんだ。そこのチャンポンは真珠入りなのか?」とか騒いでいたので気になっていたこともあり、今日はとにかく懸案の原爆資料館に行こうと思っていたのだがそのすぐ近くであるということもあって、原爆資料館に入る前にその店に寄ってみることにする。チャンポンと真珠との間に相関があるようには思えないので、地方によくある「観光 bus が食事のために立ち寄ったりする食堂併設の土産物屋」だろう。
・ 築町から赤迫行に乗る。途中で「チキンラーメン号」とすれ違ったりしつつ浜口町へ。信号が変わるのを待って国道を渡り、セントポール通りの坂を登っていく。パラパラと弱い雨が降り出している。
・ 程なく公園の角に出た。木立の向こうには長崎原爆資料館と長崎市立博物館、長崎原爆死没者追悼平和祈念館がある。この公園と原爆公園との間の道沿いに目指す真珠屋があるはずなんだが‥‥あ、あったあった。「岡田真珠べっ甲工芸 パールレストラン 中華洋食 パールガーデン」と書いた建物発見。‥‥入口はどこだ? (-.-;
・ 建物の 1 階は駐車場のようなのだが、よ〜く見ると奥に「ホテル セントポール」の入口(front?)が見える。建物の中央付近には 2 階へ直接入れる階段があるのだが、登って中を覗いてみても真珠製品の売り場が見えるだけ。しかも店内に人の気配はない。明かりはついてるので、休みなわけではないようなんだが‥‥。
・ また下に降りて周辺をうろうろしてみるが、ほかに入口らしきものは見当たらない。また階段を登り、扉のところからよ〜く店内を見てみると‥‥あれ、奥のほうの薄暗いところに椅子と table らしきものが。
・ 意を決して店内へ。奥のほうへ歩いていくと、照明が消えて薄暗くなっている area との境界付近にようやく店員さんが。Coupon を見せて確認すると、確かにこの店でいいらしい。そして、その薄暗い area に誘導される。
・ 薄暗い area の奥のほうの table には厨房と食堂の staff と思しきおばちゃんたちが座って休憩中だったが、「お客さんが!」と蜘蛛の子を散らすようにいなくなる (^^;。そして、奥のほうへ案内される。一番奥の壁には窓があり、この建物が高台に建っていることもあって割と眺めがいい。窓の向こうに西洋館と長崎北郵便局の建物が見える席を奨められ、席に着くとほぼ同時に食堂部分の照明が一斉につけられた。
・ 「チャンポンまたは皿うどんのどちらか」を選べるので、チャンポンをお願いする。100 人程度は収容できそうな食堂に 1 人で座り、窓の外を眺めつつ待つことしばし。チャンポンが運ばれてきた。どんぶりではなく、チャーハンの皿のような割と浅めの器だった。味のほうは、まあそれなり。もちろん真珠は入ってませんよ?
・ 残らず平らげ、席を立つ。伝票は来ていないようなので、そのまま出る。ごちそうさーん。真珠製品の売り場を抜け、扉を開けて外に出て、踊り場に展示されている「真珠で作った長崎の鐘」を眺めていると、また食堂部分の明かりが消えた。‥‥このご時世だし、このくらい徹底して cost 削減を図っても、きっと苦しいんだろうなぁ‥‥。
・ 階段を降りて外に出ると、さっきより雨が強くなっていた。ちょっと傘が欲しくなる程度の降りかた。折り畳みの傘は持ってきているが、目的地は目と鼻の先なので、そのまま突っ切る。
・ なんとはなしに南側から回り込む。‥‥前方では公園内に大型 bus が続々と入っていく。いやな予感が‥‥。
・ 園内に入っていくと、長崎市立博物館の正面に行き当たった。原爆資料館は左手だが、さっき入ってきた bus から大勢の学生が大騒ぎをしつつ資料館のほうへ歩いていく。
・ 雨を避けるために一旦市立博物館の建物の中へ。こちらからも、屋内通路伝いに原爆資料館へ行かれるらしい。誘導標識に従って歩いて行ってみるが、奥のほうからとても平和祈念施設の中とは思えないほどの喧騒が聞こえてくる。このまま行ってもきっとげっそりしそうなので、先に追悼平和祈念館に行って時間調整をすることにする。
・ 市立博物館の前にある植え込みの中が追悼平和祈念館。入口は bus の駐車場のほうへ回り込んだところにある。市立博物館の玄関を出て、植え込み沿いに左へ。
・ 背の高い植え込みが切れているところに、淡いエメラルドグリーンの壁で仕切られた入口があった。緑色の正体は壁の表面に使われているガラス。透明感があるので、色と相まって、「水」を連想させられる。
・ 入口を入って、順路表示に従って右手へ。円形の敷地内には深さ数 cm 程度の皿のような空間が広がっていて、表面には水が湛えられていた。平和公園の「平和の泉」もそうなのだが、これも原爆犠牲者への鎮魂*6なのだろう。左に水面を見つつ、植え込みの内側に沿って歩いていく。
・ 円周を 3/4 回り込むと、円の中心方向へ降りていく階段があった。階段と背中合わせに、EV もある。入口から階段まで大回りさせるのは、その間に心を落ち着け、追悼への準備をして欲しいということだろう。
・ 階段を降りていく。地下まで降りたところに扉があり、さらに少し降りたところに地下 1 階の入口があった。「短時間コース」はここで右に入るらしい。急いでいるわけではないので、さらに下へ。
・ 階段を降りきったところに総合受付がある。Pamphlet を受け取り、案内に従って右手へ。Entrance hall から通路へ入る。通路の左手には遺影や手記の閲覧室がある。
・ 通路を歩いていくと、壁に突き当たる。順路通り右に曲がってさらに通路を進む。床や壁は石造りのような仕上げになっていて、天井も同じ色合いにされている。まるで pyramid の中を歩いているよう。Pyramid も墳墓である以上やはり追悼のための建造物であるので、それを意識して作られているのかもしれない。
・ やがて通路の左右に空間が見える。そこに警備員さんが立っていて、まず左側の広間に入るよう誘導される。この広間は追悼空間の前室。犠牲者の名簿を納めた追悼空間に入る前に心を落ち着けるための場所とされている。壁面にはこの施設の概要や犠牲者の遺影が展示されている。昨年 8 月 9 日までに名簿に記載された死没者は 134,592 名。‥‥これはあくまで「亡くなったことが把握できている」方々だ。原爆が投下されてからその年末までの推計死没者数は『70,000±10,000』名とされているが、他に例を見ない「誤差の大きさ」が、原爆による災禍の特殊性を如実に表わしているだろう*7。
・ 先ほど歩いてきた通路を横切り、追悼空間へ。地下 1 階までの吹き抜けになっていて、かなり広々とした空間。中心にはガラスで作られた柱(「光の柱」)が 2 列に立ち並んでおり、この柱で囲まれた部分の天井は天窓になっていて外光を取り入れている。天窓からの光が柱を照らし、天から光の柱が差し込んだようで、清浄な雰囲気を漂わせる。
・ 空間に入って柱の手前を左に回り込み、柱の間を進んでいくと、突き当たりに一際幅の広いガラスの柱(「名簿棚」)があった。この中には犠牲者の名簿が納められているという。柱の遥か上の方まで納められた名簿の高さに圧倒される。柱に向かって立つと、その柱の背後には爆心地がある。手を合わせ、冥福を祈る。柱の手前には table が置かれていて、千羽鶴などが捧げられていた。
・ 追悼空間を出て、通路を右手へ進む。突き当たりを、追悼空間の外壁に沿ってまた右へ。通路を抜けると、階段下の hall の向こうに広い lounge と吹き抜けの中庭が現われた。
・ Lounge と中庭を挟んだ両側には情報端末が並んだ「平和情報コーナー」がある。南側に比べて北側の corner の方が広く、そちらの中心には俳優による原爆詩の朗読音声を聴くことができる。
・ 朗読音声を聴いていると、背後を作業着姿の壮年が数人どやどやと歩いていった。どうも中庭に面したガラス戸か何かの調子が悪いので見に来たらしいのだが‥‥大声でゲラゲラと笑ったりしつつワイワイと会話を交わしている。そのうちこの施設の職員と思われる女性がやってきて、「騒々しい」と諫めるかと思いきや、一緒になってあーでもないこーでもないと話し始めた。確かにここで働いている人にとっては展示物に何の感慨もないだろうし、そのとき来訪者が私しかいなかったのも確かだが、一般訪問者がいるときはそれなりの気遣いがあって然るべきではないだろうか。ここは遊興施設ではない。犠牲者の方に思いを馳せ、冥福と平和を祈る「祈りの場所」だ。例え 1 人だけとはいえ、訪問者をないがしろにするのは、追悼施設としてのありようを冒涜する行為だ。何のために国費を投じて施設を設置・維持しているのかわからない。追悼空間の入口にわざわざ警備員まで配置している意味がないではないか。
・ げっそりして早々に立ち去る。途中で地下 1 階の「短時間コース」も一応廻ってみた。こちらもやはり追悼空間の周りを一周する構造になっていて、地下 2 階の「遺影・手記閲覧室」の直上に「手記展示コーナー」(手記の一部が panel 展示されている)が、追悼空間後方(地下 2 階の会議室直上)には「追悼コーナー」がある。「追悼コーナー」には「追悼空間」を見渡すことができる窓があり、2 列の「光の柱」の間から名簿棚をのぞむことができる。地下 2 階と同じく、ここからも爆心方向を向くことになる。背後の壁にはこの施設の解説 panel が掲げられていた。通路の曲がり角などには水を湛え、流れ落ちる objet が置かれている。‥‥あんな目にあった直後だけに、この地下 1 階部分だけでも十分なんじゃないかという気分になる。来訪者が 1 人しかいなくても情報端末は full 稼働であった(もちろん操作している人は他にいない)が、その運営にだってそれなりの cost がかかっているはずだ。どうでもよいものであるのならば、それを動かす cost は無駄なだけだ。国立施設である以上は国費で運営されているのであり、その財源は我々の支払った税金だ(この追悼施設は入場料を徴収していない)。犠牲者を蔑ろにする追悼施設などに意味はない。
・ 本当は地下 1・2 階から地下伝いに原爆資料館に行かれるようだが、今回は一旦施設を出て、地上から改めて入ることにする。階段で地上に出て、残る 1/4 の円周を廻り、出口から外へ。
*6: 広島でもよく語られることだが、原爆の投下直後の火の海の中で多くの人が水を欲しつつ亡くなっていったということから、原爆犠牲者の慰霊は「水」がその象徴とされる。
*7: 熱には強いはずの岩石ですら焼け溶けるほどの高温の熱線や、爆撃によって発生した激しい火災によって、もはや性別すら判別できないほど炭化した遺体の写真が残っている。焼き尽くされて確認できる遺体すらなくなってしまった犠牲者もいただろう。実際に「骨しか残っていなかったので、その形や治療痕で遺体を判別した」という手記もある。直接判別できればまだいいほうで、「近くにあった遺品で判断した」という手記も。手がかりがなく、どこでどのように亡くなったか誰にも知られないままの犠牲者も多かっただろう。この追悼平和祈念館がある丘の北側の低地は現在「平和町」という町名になっているが(当時の町名は「山里町」)、ここと隣接し、松山橋で結ばれている旧松山町(現在の松山町のうち、長崎本線と「下の川」で囲まれかつ「平和の泉」辺りから南側の地域。爆心地はこの中に位置する)のように、1,860 名余りの住民のほぼ全員が即死してしまった(生存者はたまたま防空壕内にいた 9 歳の少女一人だけ)という町もある(松山橋袂の案内板による)。このような町ではもはやどこに誰が住んでいたのかすら判らなくなっていた。ガスタンクを崩壊させるほどの猛烈な爆風で吹き飛ばされてしまった遺体も多かったはずで、身元はおろか遺体の行方すら判らなくなってしまった犠牲者は相当な数にのぼるはずだ。
・ 小雨の降り頻る地上を歩き、爆心地や平和公園の丘を見渡せる展望 deck への入口の前を通過して、外階段から下に降りる。チャンポンを喰った岡田真珠前からの道へ降りたところに、原爆資料館の入口があった。入口の前からは目の前の道路の下を潜って爆心地方面に降りられる階段があり、階段の上にかかる橋の下には大勢の学生が蟠っていた。見学が終わったのだろうか?
・ ‥‥と思ったら、資料館の entrance hall 内は大変な喧騒に包まれていた。まだまだいるらしい‥‥。待っていると切りがなさそうなので、諦めて中へ。
・ Entrance は地下 1 階。展示室への入口は地下 2 階にある。吹き抜けになっている円形の螺旋通路を降りていく。前方には高校生の集団。ただでさえ吹き抜けは声が響くのだが、そのうえ声が響くからと男子学生が「やぁっほ〜〜!!」とか叫んでいて、入る前からうんざり。
・ 展示室の入口には自動改札機が導入されていて、入場券は自動券売機で買うようになっていた。しかし、私は無料入場できる『パスポート』を持っているので、普通に入場券を買うわけにはいかない。横には counter があるのだが、無人。Coupon を持っている人に対する注意書きもない。
・ どうすんだこれ、と思いながらうろうろしていると、やがて展示室の中から女性が出てきた。本来 counter に常駐しているはずが、何か trouble があって中に行っていた様子。「パスポート」を見せると、「お待たせしてすみません」と言いながら leaflet をくれ、「団体入場口からお入り下さい」と。
・
団体入場口から入ろうとしたとき、背後からただならぬ様子の足音が近づいてきた。何となく 側線に入って 横に寄って待避してみれば、作業服姿の男性と警備員。やはり何かあったんだろうか。
・ 展示室に入って最初の corner は、原爆投下の瞬間までの長崎。何度かの空襲を受けつつも平穏だった長崎の町並みの写真が展示されている。
・ 前方からは、当然のようにかなりの喧騒が響いてくる。それをやり過ごそうとゆっくり写真を眺めていると、先ほど駆け込んでいった男性が戻ってきた。‥‥体長 1m くらいの犬を抱えて(爆)。どうやらいつの間にか迷い込んでしまったらしい。そりゃ、係員が慌てるわけだ。その犬はというと、おとなしく男性に前足の付け根(「腋の下」というか)を背後から抱えられ、ぶら〜んとぶら下げられたままキョトンとしていた。どこかの飼い犬?
・ 「1945 年 8 月 9 日」と題された第 1 の corner の出口には、原爆が投下された 11 時 2 分を指したまま破壊された柱時計が展示されていた。若干の焦げはあるものの、破壊の原因はほぼ爆風のようで、爆心からは相当の距離がある地点のものであることがわかる*8。象徴的なものではあるが、原爆によって被害を受けたものの中では、かなり軽微なほうだろう。‥‥爆心地付近では、何もかもほとんど原形を留めていたものはないのだから。
・ そして、次の corner へ足を踏み入れる。‥‥原爆によって被害を受けた建造物の遺構に圧倒される。手前のほうに展示されているものは金属製の構造物。一番奥には石造りの浦上天主堂の側壁が再現造型で展示されている。通路脇の足下近くでは、原爆によって壊滅した街や被害を受けた人などの写真が TV monitor で繰り返し表示されている。
・ ‥‥それにしても、うるさい。前に入っていた集団はもう先に行ってしまったようだが、後から後から高校生と思しき学生が入ってくる。そして、ぎゃあぎゃあとけたたましくくっちゃべる喧騒の中から時折聞こえてくるセリフは、たいがい「うおっ、すっげえ! なにこれ! 本物?」。語彙が乏しいどころの話ではない。「すげー!」と叫ぶのは男子だけではない。そして、皆はしゃいでいる。こういった展示物を見て何を感じるのかは個人の自由だが、最低限「静かに廻る」ことすらさせられない学校はむしろ来るなと言いたい。本当に見たいと思う生徒だけにしてもらいたいものだ。他の見学者の迷惑なだけでなく、ろくに展示物すら見ずぎゃあぎゃあ騒ぎながら通過するだけで何かが伝わるとはとうてい思えない。
・ 学生は当然 monitor などには目もくれずに通過していくので、それを見ている間にほとんどの男子学生をやり過ごした。さらに遺構や天主堂の再現造型を見ている間に女子学生の大部分をやり過ごす。ようやく少し静かになってきたと思いきや、今度は中学生の集団が入ってきた。先ほどまでではないが、やはりうるさい。しかも不規則に動くので、落ち着いてみられない。
・ 次の corner では、原爆が投下されるまでの戦争の経緯が panel 展示されている。すぐ横には長崎市街の立体模型があり、解説を表示する monitor が逆(後で通る側)にあるので、本当は後で見たほうがいいのだが、ここで時間調整をして中学生の集団をやり過ごす。
・ 騒々しい連中が通りすぎると、比較的まじめに展示を見ている(見させられている)生徒が残った。さっきまでよりはかなりマシな状態になったので、先に進む。
・ 長崎型原爆の原寸大模型(カットモデル)を回り込むと、熱線による被害に関する展示がある。本来なら熱に強いはずの屋根瓦*9の表面が強い熱線によって泡立ってしまっている。想像もつかない高温。爆心からの距離によってその度合が異なることが、火災ではなく原爆が放射した熱線によるものであることを物語っている。しかもこの泡立ちは「瓦の表面が高熱によって沸騰したもの」だという。焼き物が沸騰するとはどういうことなのか。全く想像を絶する。
・ 「強い熱線によって梯子と監視兵の影が焼き付けられた壁」の有名な写真も展示されている。日光でできたもののように「影の部分が周りよりも黒い」というものなのだが、これは壁がコールタール塗りであったため、熱線を受けた部分が焼けてコールタールが剥がれ落ちてしまい、熱線を受けなかったところより白っぽくなってしまったのだという。
・ この他にも「熱線によって焼け焦げ、一部が割れてしまった石」や「溶けてただのガラスの塊になってしまったガラス瓶の束」、「金属の塊になってしまった硬貨の固まり」、「火災で蒸し焼きにされて御飯やおかずの形を残したまま炭化してしまった弁当」など、熱線や火災の熱によって変質・変形したものが展示されている。完全に肉が焼け落ちた手の骨にこれも熱で溶けたガラスが完全にくっつき、塊になってしまっているものもある。爆心地付近で見つけたものだそうだ。犠牲者は何が起こったのかもわからぬうちに一瞬で焼けてしまったことだろう。それは不幸には違いないが、生き残って放射能による後遺障害に苦しんだ果てに亡くなった人も多かったことを考えると、どちらがマシだったのかはわからない。
・ ようやく中学生もいなくなったのでじっくり展示物を見ていると、今度は韓国人の集団が現われた。Guide の案内を受けながら声高にしゃべりつつ、展示物を立ち止まってみている私にガスガスぶつかりながら追い抜いていく。‥‥決して通路が狭いわけではなく、向こうが 10 人くらいで団子になって歩いているからなのだが、日本人も最近とみに中国人や韓国人になりつつある*10ので、そう遠からず珍しいことではなくなるだろう。既に繁華街や駅の通路などではわざわざぶつかってくる馬鹿も多いし。
・ 熱線や火災と同じく、爆風や放射線の被害についても、展示物や映像によって解説されている。映像では、原爆が炸裂した瞬間からその後に辿った経緯を、調査の結果に基づいて解説している。映像の上映は基本的に endless だが、sensor によって近くに人がいることを検知できなかった場合、一通り上映したところで休止するようだ(人が近づくとまたはじめから上映する。近くに人がいなくなっても、途中では止まらない)。通りかかったときに途中であればそこにいるといずれ最初から見られるし、もしも上映が止まっているときは近づいていくと(故障していない限り)最初から見ることができる。
・ 被害に関する展示の最後は、原爆投下直後から有志によって始められた救援・援護活動の様子や、被爆者の interview 映像、「長崎の鐘」などの著書でも知られ、献身的な治療活動の果てに若くして亡くなった永井 隆博士に関する展示がある。Interview 映像は自分で選択したものを座って見ることができる booth 型式になっている。
・ 最後の corner は、原爆が投下されるに至った日中戦争と太平洋戦争の経緯の他、ヒロシマ・ナガサキ以後に行なわれた核実験や「核戦争になる直前だった事件」、反核・平和活動についての年表がある。‥‥実に馬鹿らしい。為政者やそのような者の君臨を許してしまっている人類の愚かさには鬱々とするばかりだ。
・ Slope を登って地下 1 階へ進むと、video room と平和学習室への入口がある。出口への通路上にも休憩所を兼ねた video 上映 corner があり、ヒロシマ・ナガサキ以後の平和運動の盛り上がりとそれに目もくれぬ核実験競争の video が上映されていた。ますます鬱々とする。
・ Entrance hall への出口の横には、原爆関連の書籍を豊富に扱った物販 corner がある。7 冊ほど購入。
・ 展示物などについて文章で詳しく書いても意味はないので、行ったことのない人は、是非自身の目で見、そして何かを感じていただきたいと思う。写真展示の一部と実物展示の一部の写真は、物販 corner で扱っている「ながさき原爆の記録」(長崎平和推進協会刊)にも収録されている。また、展示されている写真(静止画によるものを含む)の多くは、原爆資料館が監修した「原爆被爆記録写真集」(同)に収録されている。記録映像や証言映像なども含めてじっくり見るには、半日程度かかることを見込んでおいたほうがいいと思う。
・ 電停に向かいながら思ったことがある。映画の製作技術(特に特殊効果)が発達したため、最近は戦争映画や horror 映画などで凄惨な scene を real に表現できるようになった。学生にとって実際の戦争の悲惨な写真や遺構を目にしても現実感が乏しいのは、そのような映像に日常的に触れることにより、ある意味で感覚が麻痺してしまっているのではないか。映画の制作者を責めるつもりはない。意図通りの映像を作るための技術追求は当然だと思うからだ。また、それに現実感を感じられない若者にも、それそのものを責めるつもりはない。戦争とは(少なくとも今の日本では)間違いなく非日常の光景だ。ただでさえ現実感のない光景を目の当たりにし、そのような光景を TV や映画でしか見たことがなければ、どことなく作り物のような感を受けるのも不思議ではない。私も、WTC に航空機が突っ込んでいく映像を見たとき、現実感を感じることができなかった。問題はその先にあり、その映像の下で起こっている(いた)ことを想像し、現実のものとして理解しようとするかどうかにかかっている。
*8: 説明によれば、爆心から約一キロ離れた山王神社(現在も片足だけの姿となった「二の鳥居」が原爆による被害のすさまじさを今に伝えている)の近くの民家にあったものだという。
*9: なにしろ、元々が土を練り固めて焼き、さらに釉薬をかけて焼いて作ったものだ。それが泡立ったり沸騰したということは、その高温が珪素化合物ですら耐えられないものだということになる。解説によると「1,800℃ で 4 秒間加熱すると同じ現象が現われる」という。
*10: 中国などでは「家族>友人>>>>>>>通りすがり、つーか石ころ?」という価値観なので、最低でもまずは友人関係を構築しないと仕事の話もできないし、通行人は押し退けて通るのが普通(いいとか悪いとかではなく、あちらはそういう文化なのだからしょうがない)。韓国では(事実上)国策として国民に反日感情を植え付けているようなので、こんなところにいる日本人などはむしろ「いい気味だ」と思われていたとしても不思議ではない(当時の経緯を考えれば、無理からぬことではある)。最近では日本人でも自分(家族や仲間を含む)の都合だけを最優先する「俺様」な輩が非常に増えてきている(必ずしも若い世代ばかりではなく、一般的にはむしろその親の世代が最も目に余る)。自分が他人を尊重することなくして他人から自分が尊重されることがないことなど、ちょっと考えればわかることだと思うのだが、もはやそういった「日本人の美徳」は過去のものになろうとしているのだろう。
・ 14 時前に死没者追悼平和祈念館に入り、原爆資料館を出てみれば、もう 17 時前。あまり時間がないので、急いでグラバー園に行くことにする。
・ 浜口町電停から正覚寺下行に乗る。雨は無視できる程度まで弱くなっていた。
・ 築町で石橋行きに乗り換え‥‥ようとしたらちょうど行かれてしまったので、しばらく待つ。待っている間に 3000 形の「教習車」が浜の町方向に走っていった。
・ 10 分ほど待って、ようやくやってきた石橋行に乗る。205 号。なんつーかこう、やっぱり original 塗色はいいなぁ。ちなみにこの 205 号、車内の「経歴書」によると、昭和 25 年製造の日立製。今は亡き西鉄北九州線の 500 形と同型(ただし限界の関係で幅は 120mm 小さい)で、長崎電軌初のボギー車として投入された自社発注車とのこと。頑張ってるなぁ。末長く頑張って欲しい。
・ グラバー園というと大浦天主堂下で降りる人も多いと思うのだが、入口まで結構歩く上、園内に入っても最初は動く歩道で一番上の第 2 ゲート付近に移動するだけ。終点の石橋電停で降りて「グラバースカイロード」で上がっていったほうが早く着くので、今回はそちらから廻ることにする。
・ 大浦海岸通り電停を過ぎ、路面電車には珍しい単線区間*11を終点まで乗って、石橋で下車。
・ 2 年前に来たときはできたばかり(というかまだ一部できていなかった)ということもあってか「グラバースカイロード」への案内がわかりづらく、1 つ手前の路地から住宅街に突入して遠回りをしてしまった*12のだが、今回は無事に最短経路で到着。電停の先にある交差点を右に入るのが point。
・ さすがに工事は終わっていた(あれから 1 年以上も経っているのだから当たり前だが)。斜行 EV で上に向かう。ちなみにグラバー園に向かうには要は一番上(5 階)まで乗ればいいのだが、付近の傾斜があまりにもアレなので、地域住民の足としても利用できるよう中間階(2・3・4 階)が設置されています。最上階で降りると、孔子廟から活水女子大、さらには市街中心部と港、そして対岸の稲佐山まで一望できる。もちろんホテル清風も見える (^^;。
・ 斜行 EV を降りたところから通路を奥へ歩く。ここも前回はまだ絶賛工事中で、「ほんとにここ通っていいんですか」状態だったのだが、すっかり広々とした通路ができあがっていた。ほとんど空中に突き出ている塔のような柱のようなものがあるが、これが第 2 ゲートまでの垂直 EV。通路から少々奥に入った根本のところに乗り場がある。ちなみに、乗り場を右に行ったすぐのところに「南山手レストハウス」があり、900〜1700 時の間無料で休憩できる。
・ EV を降り、橋を渡って地上に出ると、そこはもう第 2 ゲート。「パスポート」を提示して中へ入る。
・ 日も落ちつつあるので、急いでグルッと一回り。建築物の中にも興味があるのだが、ゆっくりみる時間がなくなってしまった。残念。園内で最も高いところにある(そして順路で一番最初に見ることになる*13)「旧三菱第 2 ドックハウス」の館内は、船好きにはたまらないかもしれない展示がたくさん。そして、その前の庭には電球で形作られた動物の objet がいくつも置かれていた。数々の建物の他、二つある壁泉も light up されている。途中でいよいよ暗くなり、couple 連れに頼まれて camera の shutter を押して上げたりしつつ、急ぎ足で回る。
・ 最後は長崎伝統芸能館の中を通り抜けて出口へ。館内にはおくんちで使われる曳物(ひきもの)などの実物が展示されている。
・ まあ、感想をひとことで言うと、なんとゆーか、あれです。建物や庭園自体に興味がある場合は別として、男が一人で行くところではないな。‥‥他にも何人か一人で廻ってる男性がいたんだけど、みんななーんとなくしょんぼりしてたよーな (-.-;。
*11: しかも道が狭くて線路を敷く余地がないので、運河上に人口地盤を作って敷いていたりもする。
*12: 電停のすぐ横にある路地に入るとそうなる。電車を降りて路上に出るところの案内板(「グラバー園入口(グラバースカイロード)」と書いてある)だと電停横の交番の手前を突っ切りたくなるが、その上の poll についている「グラバー園(第 2 ゲート)」という標識に従って一旦車止めのほうに進み、交差点に面した肉屋の角を曲がると良い(この曲がり角にも案内板が出ている)。
*13: もし下の「第 1 ゲート」から入ると、階段と動く歩道(しかも 2 本)を使い、最初に第 2 ゲートの目の前まで連れてこられる。動く歩道を通るかどうかを除いて、どちらの gate から入っても順路は同じ。また、出口は園内を見ながらずるずると一番下まで降りたところにある。
・ 帰りはわざわざ上に戻る理由がないので、そのまま下へ。おおかた店じまいもすんだ土産物屋の前を通りつつ坂を下り、light up された天主堂の写真だけ撮り、またずるずる坂を下って、大浦天主堂下電停から電車に乗る。
・ 築町で乗り換え。1744 頃の bus で塩兄は既に宿に戻っている(グラバー園を歩いているときに電話があった)。その次の 1811 頃の bus で宿に戻ろうと思っていたのだが、どうにも間に合いそうもない。
・ 大波止付近で bus の発車時刻になる。もう間に合わないことは確定なので、taxi を拾うことにする。先に戻った塩兄から「夕食は何時に?」と電話があったので、昨日と同じ時刻にしてもらう。
・
駅前まで行ってしまうと LUCKY しかいない 稲佐橋経由になりそうな気がしたので、五島町で降りる。大通りに出るが‥‥taxi 来ないね。
・ 大通りにいなければ、横の路地でも探さねばならない。交差点の北東角に立ち、路地から出ようとする車と大通りを走ってくる車の両方を監視。
・ やがて、路地の奥から走ってくる taxi を発見。‥‥あらら、右折 lane に入ってしまった。左側には車がいないから、出られるかなぁ‥‥。路肩に立っている私には気が付いていないので、近寄っていって窓を叩く。扉が開いて乗せてくれたので、「これ、左に出られます? ホテル清風までお願いしたいんですけど」。
・ 運転士さんが左車線を伺っていると、折悪しく車が走ってきて塞いでしまった。どうしようかと思っていると、微妙に切り返して右へ U turn (^^;。「大通りも混んでるので、こっちから廻ります (^^;」。
・ そして、期待通り旭大橋経由で山へ向かう :-)。橋を降り、左へ。いつもの路地を抜けて登山道路へ向かっていく。道すがら雑談を交わす。
「もうこの時間は大通りは混んでかなわんですよ。横道から出るのも一苦労です」
「ランタンフェスティバルが始まるともっと混むんですかねぇ?」
「ん〜、あんまり変わらんですねぇ」
「え、そうですか。観光客が結構来ません?」
「いやぁ、もう、最近はみんな飛行機で来て、日帰りですね。旅館とかホテルの経営者も困っとります」
「あ〜、なるほどねぇ‥‥」
「そのうえ新幹線なんか作ったら、ますます酷くなりますよねぇ」
「あー、新幹線はねぇ。やめといたほうがいいと思うんですがねぇ。」
「そうでしょう? それがもう、よその県の分までお金出して、どうするのか」
「そんな金があったら、自分の県にもっと使えって感じでしょう?」
「ほんとですよ」
とか話しているうちに、登山道路を登っていく。‥‥新幹線のネタを振ったのは私ではありませんよ? (^^;
・ 運転士さんはますます heat up。よほど腹が立っているらしい。正直、「新幹線は要らない」と判断した佐賀県の判断は正しいと思うねぇ。「だったらうちがその分も出す」とまで言って新幹線を望む長崎県は、本当にそれが地元のためになるのか、もうちょっと真面目に考えてみたほうがいい。「よそにあるからうちにも」という発想はもう古すぎて腐っている。‥‥まあ、財政的に決して豊かではないはずの長崎県が佐賀県の分も建設 cost を負担すると言い出したことで、初めて「スーパー特急方式のまま完成」という前例ができるかもしれない*14。FGT*15 での運転を予定しているらしいが、実用化に目処がついてきたことも大きいのかもしれない。新水俣に実験線も作ったことだし。
・ 話で盛り上がっているうちに hotel への道の分岐点に近づく。当然道に入ると思っていると、
「上に登られるですよね?」
思わず「はい?」と訊き返すと「はい!」と言って本線をそのまま登っていく。いや、肯定したんじゃないんだけど @_@;。
「いや、下です、下。今の下ですよ。清風さんですっ」
「あっ、そうですか (^^;」
そして、「いやあ、前の車、ずいぶんとのんびりさんですね。私らはあれじゃ商売にならんですよ」といいながら慌てたように左に入る。U turn するのかな。
・ ‥‥と思いきや、奥のほうへ猛然と走っていく。ここはどう見てもルークプラザの車路だ。ここで U turn させてもらうのかな。えらい勢いで走っているのは、私有地で方転させてもらうことに対する遠慮かしら。
・ と思っていたら、きゅ〜〜〜っっっと U turn して、きゅっと玄関に付けた。
「お疲れ様でした!」
・ 当然のように front から人が出てきた。女の子。Taxi が玄関に止まって扉が開けば、そりゃあ出てくるわな。
五「いや、だから、(目的地は)『清風』さんですって、『清風』さん!」
そしたら運転士さんはびっくりして振り返り、
運「えっ、ここ『清風』さん?!」
視線を受けた女の子もびっくりしてブンブンと手を振りながら
ル「いえ、ここは けいさつじゃないよー 『清風』さんじゃないです!! @_@;」
・ 「いやだから、下です、下! さっきのところ下ですよ!」というと、ようやく運転士さんは目的地を勘違いしていたことに気が付いたらしく、「あっ、そうですか!!」。すみませんねー、と言いながら私が女の子に頭を下げた刹那、また扉を閉めて脱兎のごとく走り出した。やれやれ (-.-;;。
・ 運転士さん曰く、「実は 6 年前に引退していたのだが、今日乗るはずの運転士が休んでしまったので、急に引っ張り出された」とのこと。うーん、それはまあ大変だよなー。
・ 分岐へ戻って横道に。運転士さんは苦笑しながらぼやいている。「6 年も経つと、信号の timing とか一通の状況とかが全然違っとります」。ながさき出島道路ができたりして車の流れも全然違ってるだろうしなぁ。どことなく声にもやつれが (^^;。やたらと恐縮して、「私が勘違いしましたんで、料金は安くしますから (^^;」と何度も言う。‥‥怒ってるわけじゃないんだけどなぁ (^^;。
・ ようやく到着。メーターは 1,300 円強を指していたのだが、「1,000 円で結構です」。最初に分岐を通ったときには既に 1,000 ちょっとになっていたので、確かに安くなっている。ありがたく甘えておく。
*14: 今までは、「スーパー特急方式で建設する」ということで切り替え区間を着工し、その後いつの間にか「全区間フル規格」に化けるという例ばかり。
*15: 「Free Gauge Train」(軌間可変車輛)のこと。客車としては欧州でかなり前に実用化されていて、実際に営業運転もしている。日本が開発しているのは「電車(動力車)として初めて」で、欧州のものとは運転速度も全く違うため、その関連で技術開発をしているもの。
・ そんなこんなで、ようやく部屋に到着。なんとか夕食の時間に間に合った。
・ 浴衣に着替えつつ塩兄に taxi の件を話していると、ちょうど着替が終わったときに係の方が部屋に現われ、夕食の準備開始。下界は雲で煙っていてあまりはっきりと夜景が見えないし、まあ夜景は昨日堪能したので、table の位置は敢えてずらさずに。
・ さて、今日は「会席コース」です。‥‥普通にうまい。ていうか、満足。そう、決して C/P が悪いわけではないのだ。ただ、「卓袱」に関しては期待が大きすぎただけで (-.-;。
・ 食事を堪能し、布団を敷いてもらう。‥‥なぜか 2 人もやってきた。食事の準備をしてくれたのは若い女性だったのだが、今度はもう少し年上の方も一緒。‥‥ Taxi の話題を出してきたので、どうやら食事の準備をしてくれた人がその話題を聞き咎め、それが伝わったらしい。回り道をしたということはそれだけ時間も距離もかかっているわけで、当然料金も高くなるはず。「同じ長崎もんとして、それでお客さんに長崎を悪く思われたらたまらんです」ということだったが、結局かえって安くついた*16と知り、「ああ、それならよかったです〜」と安心した様子。「それにしても、うちを間違えるとは‥‥」とぶつぶつ言っていた*17が、まあ、blank があったということなので、許してやってください (^^;。
・ それより、長崎の印象云々の件では、長崎駅の観光案内所をどうにかしたほうがいいと思うぞ。そりゃあ、最近はなんかよくわからんやつが多いから(客室乗務員をナンパしたりとかな)、counter の若い女の子が神経質になるのも解るんだが、それで客に対してつっけんどんな対応を取るくらいなら、おばちゃんや男性を配置しておいてもらったほうが、よほどいい。「訊いたことに対しては辛うじて答えが返ってくる」という観光案内所は、負の効果の方が大きいのでは?
・ ついでなので、「実はランタンフェスティバルの頃にまた来るかもしれないんですが、その頃って天気は例年どうなんですか?」と訊いてみる。すると、「えーと、だいたいこの時期はあんまり天気は良くないですねぇ‥‥」。そーなのか‥‥。
・ ねこのひとの件を話しつつ風呂へ。塩兄から「猫とおばちゃんにはモテモテですな :-D」と言われる。以前にも友だちの家でメロメロにさせたことがあるしな > 猫。むぅ。
・ 浴室は昨晩と同じ側であった。どうやら朝と夜とで入れ替えをやるらしい。ゆったりと足を伸ばして寛ぐ。ふぃ〜。
・ 部屋に戻って、塩兄から話を聞く。武雄温泉駅は既に新幹線対応の構造に変わってしまっていて、なんかもーどーでもいい感じらしい。それと、出がけに JTB 長崎で切符の手配をしたところ、移転と同時に端末が変わってしまったとかで、やたらと待たされたらしい。「こんな切符で 1 時間もかかるとは思いませんでした!」。うーむ。
・ なんかやっぱり疲れてたらしく、25 時頃には寝る。ぐぅ。
*16: 前日は稲佐橋経由で駅から宿まで 1,150 円かかっていた。
*17:
「長崎ホテル清風」は長崎の宿の中でもかなりの老舗。しかも、市内中心部を見下ろすところに建っているので、大変目立つ。‥‥知っていないと、登山道路からどこで逸れたらいいか判りづらいが。
・ 8 時頃目が覚める。宿の方は「朝日がきれいなので、是非ご覧を」ということだったが、残念ながら今日も曇っている。
・ 朝食の時間は 8 時半に設定してあるので、今日もその前に風呂に行く。今回も、昨朝と同じ側。
・ 服に着替え、11F の restaurant で朝食。案内されたのはやはり窓際の席。今日は昨日とは違って窓際の対面席。だが、やっぱり下界を一望。いやあ、いいねぇ。眼下ではとんびがくるりと輪を描いていた (^^;。ふつー、あんまり上から見下ろすことはないと思うんだが‥‥。
・ 部屋に戻って check out の準備。モゾモゾと支度をし、0945 頃 lobby へ。Bus の時刻にはびみょーに早かったので、front の隣の土産物やで買い物。
・ 宿の方が荷物を台車で 1F まで運んでくださった。どちらから bus に乗ろうかと思ったが、やはり距離的には上の停留所のほうが近いということなので、「水の浦町高部」から乗ることにする。お世話様でしたー :-)。
・ Bus 停には所定時刻 3 分前に到着。ほぼ所定にやってきた bus に乗り、駅前で下車。ひーこら言いながら歩道橋を渡り、降りたところの coin locker に荷物を突っ込む。
・ Bus に乗ろうとしたところで由布院の宿で買ったお土産の紙袋の取っ手がもげてしまった。何となくそんな予感がしてたので一昨日お土産用の手提げ袋を買おうかと思ったんだが、何となく見送っちゃったんだよな。駅ビルの土産物屋にその手の袋がありそうだと塩兄が言ってたので、観光案内所で一日乗車券を買うついでに行ってみる。無事に発見し、購入。
・ さらにアミュプラザ 2F の ATM corner で reload。ATM corner は改札前広場の escalator を登った奥にあり、駅前の deck には登り降りせずに行かれるので、そのまま駅前へ。‥‥それにしても、よりにもよってこんな奥に escalator を作らなくても、よかったんじゃないかねぇ。もう少し場所を考えれば、deck に登り降りするにも使えたんだろうに‥‥。
・ 電車に乗り、まずは大波止へ。くれはさんイチオシ(← やや事実誤認)の「伊王島日帰り温泉ツアー」の正体を確認せねばなりません!
・ 大波止電停から西へ入る。正面には夢彩都。‥‥正直、もうちょっとどうにかならなかったのかなぁ、この名前 (-.-;。
・ よく判らなかったので、「旅客ターミナルはこっち」という標識に従って歩いていたら、夢彩都の 3 辺を回り込むように歩く羽目になってしまった。どうやら案内標識は自動車用のもの*1らしい (__;。そのかわり、ホテルサンルートの禁煙 floor である 3F は「港を一望」という割に眺望がない*2ことが確認できた。なんだかなぁ。
・ 謎の objet を見ながらペタペタ歩き、港のターミナルビルへ。‥‥正面玄関から入ったつもりなんだが、異様なほど人気がないな‥‥。
・ 玄関附近にも人影がない。奥へ歩いて岸壁側の待合所へ出ると‥‥それなりに賑わっている。‥‥どっから沸いたんだ、この人たち (__;。
・ 待合 lobby の南側に ticket 売り場があるようなので、そちらへ廻ってみる。えーと、伊王島、伊王島‥‥。あー、あった。一番端っこですな。時刻表を見ると‥‥おお、便数は結構あるんだね。1.5〜2H に 1 本か。島までは 20 分弱。1 便ずらして帰ってくると島で 1.5H 程度時間が取れる。最短で 2〜2.5H くらいあれば行って温泉に入って帰ってこられる見当。
・ ところで、その「日帰り温泉ツアー」なるものは? Guide book にも「往復の乗船券込み」と書かれている以上、乗る前に申し込めないと意味がないはずなんだが。しかも、Tour 料金は普通の往復運賃(1,200 円)より安い(980 円)し。
・ 乗船券売り場は自動券売機。有人窓口も併設されているが、人影はない。ふと気付くと、券売機の横に「日帰り温泉パック・ご宿泊をご利用の方は、向かい側のやすらぎ伊王島サービスカウンターをご利用下さいませ」と書かれていた。えっ! と振り返ると‥‥なんか、隅に有人のでっかな booth がありますね? ‥‥あっ! これじゃん! 逆光になってるから気が付かなかった (^^;。しかし、専用窓口かよ! しかも、結構大々的。うーん、おら、むらむらと行きたくなってきたぞ。しかも、今からだとちょうど便があるし、行ってまったりして帰ってくると、〔さくら〕にもちょうどいい。むむむ。
・ ‥‥結局、怖いので次回に繰越(爆)。万一船が止まったら、帰れなくなるしなぁ。どうせ来月また来るんだし(爆死)。
・ しばらくぐったりした後、岸壁にちょうど船が着いたので、その写真を撮りつつ外へ。次回は必ず島に渡ることを決意して港をあとにする(大げさ)。船着き場からは「あんなの作っても通る人はおらんですよ」と taxi の運転しさんがぼやいていたでっかい吊り橋の工事現場が見える。‥‥しかし、船着き場からはターミナル内を通らずに外に出られるのか。しかもそのまま真っ直ぐ歩くと、夢彩都の建物の南に沿って中島川の河口に抜けられる。そりゃあ、Bus や車で来ない限り、誰もターミナルビルの玄関なんか通らないわけだ。
・ てくてく歩きながら夢彩都の建物を見ていた塩兄がぶつぶつとぼやく。「あの logo はどうにかならなかったんですかね」。見ると、「you・me saito」とでっかい看板が。前半分が意味もなく英語なのに、
いっそ「you & me site」くらいにしておいてもよかったんじゃないかなぁ‥‥。
*1: 歩行者は岸壁に沿って short cut できるが(夢彩都の南側を通る)、一般車輛の駐車場へはこの標識に従って(つまり夢彩都の北辺に沿って)入ることになっているらしい。
*2: 目の前に港の建物(C 棟)が立ちふさがっている。眼下には駐車場の屋根が。
・ 「ホテルニューポート」の建物を見つつ(確かに大波止に一番近いなぁ)、大波止橋を渡る。そして、臨港鉄道記念 monument へ。どうせ塩兄はまだ来てなかっただろうし、私も昨日は memory が足りなくなってしまって写真が撮れなかったので、りべんじがてら。
・ 満足して、一路新地へ。絶賛復元工事中の出島を抜け、「ミニ出島」の写真を撮りまくり、スパコン屋さん(← 事実誤認)の横を抜けて北側の玄武門から中華街に入る。ちょうどあと 15 分で正午になるので、今日はここの桃華園さんでチャンポン券行使。塩兄はチャンポン、私は皿うどんを order。
・ 喰い終わって外へ。銅座を抜けていく。玄武門の前の橋の袂ではなぜかあわびを売る親子が。そして、銅座のダイエー前の路地は、お馴染の露天の列が出ていて、昼時でもあり、買い物をする人たちで大賑わい。‥‥さっきの親子は、ここの場所が取れなかったのかな。利権が絡んでそうだしなぁ‥‥ (-.-;。露天で商売をする人たちも必死だろうし。
・ そのまま観光通りへ抜け、観光通りを西へ。西浜町から蛍茶屋行に乗る。
・ 諏訪神社前で降りる。自分がどこに向かっているのかわからなくなりそうな複雑な経路の地下道*3を抜け、諏訪神社側へ出る。
・ 目の前の鳥居をくぐり、石段を登っていく。三の鳥居の手前にある石灯籠のところに猫さんが。最初は裏の方にいたのだが、近寄っていったら表に出てきて、私の肩くらいの高さの台座の上によじ登って座り込んだ。頭を撫でてやったら、擦り寄っても来ないが、嫌がって逃げもしない。まるで借りてきた猫のようだ。(← 用法が微妙)。
・ さらに石段を登っていく。途中で写真を撮りながら登っているのだが、立ち止まったときに背後で何か気配がするので振り返ってみると、さっきの猫さんがあとをついてきていた。「まよひ子志らせ石(迷い子知らせ石)」の由来を書いた案内板を読んでいると、ついてきていた猫さんが足下で座り込む。頭を撫でてやると、じっとこちらの顔を見上げたまま、大人しく撫でられていた。
・ 参道を横切る道を渡り、さらに石段を登っていく。猫さんも絶賛追尾中。いくつ目かの鳥居をくぐり、参道の左脇にある「祓戸神社」へ。「ここで見も心も清めて御本殿へ」ということなので、お詣りをし、清めの砂を遣う。猫さんは近くをうろうろ。
・ 参道に戻ると、猫さんは神社への入口の脇に建てられている石碑の裏の隙間にすぽっと挟まっている。塩兄が「猫は狭いところが好き。」とぼそっとつぶやく。
・ さらに先へ進み、いよいよ急になってきた石段をさらに登る。登りきったところにある大きな門をくぐると、立派な本殿が目の前に。ちなみに、門の左右には「唐人船」と「御座船」が納められていた。
・ まずは門をくぐって右手に回り込んだところにある手水を遣う。手水の奥には御神輿庫があり、御輿が納められていた。さて、手水の上には清め方の説明が書かれていたのだが‥‥えーと‥‥。
・
本殿に詣でて、籤を買おうと思ったら、小銭がなかった。一旦本殿前の広場に降り、西側にある社務所へ。お守りを買って小銭を作り、戻って籤を買う。なぜかここでも恋みくじを売っていたので、川越の八幡神社と同じかと思って買ってみた。‥‥やっぱり同じだった (^^;。ただし、こちらは 式神 紙製の小さな人形つき。
・ 本殿の右手から奥に行かれるらしい。そちらにはお稲荷様がおわすという。一旦階段を降りて本殿前の広場から通じる通路に出、すぐその奥の石段を登る。
・ 本殿と同じ高さに登ると、鳥居の右脇奥に小さなお社があった。
*3:
まるで浅草橋交差点の地下横断道のようだ。
メールはこちらへ...[五反田 秋彦 as (五)/ Akihiko GOTANDA (a-gota_AT_agt.ne.jp)]
この日記は、GNSを使用して作成されています。作製者の GORRY さんに感謝 m(__)m。