「書きかけの歳時記」
2005/06版 その2

(since '05.04.25)

この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。

取扱上の注意

間違って検索サイトから来られた方へ(よくある検索 pattern)

アンテナ管理者の方へ


[前日へ続く]

2005/06/11 (土) 曇のち一時雨 <うろうろ>

ひる〜よる [日常 / 買い物]

12 時頃起きた。

せっかくなので、久々にわかきに行ってみる。1345 頃出て、滑り込む。サーロイン 200g(salad 付)+ 御飯大盛ではぁはぁ。

その足でアキバへ。諸般の事情で、DVD+R DL な media を所望。DV tape を買うついでに、エフ商会で RICOH の 5 枚組を買う。1 層 media がなかなかよかったし、価格も国内 bland では一番安かったので。ついでに SmartBuy のも 1 枚買ってみる。

さらにテクノハウス東映へ。残りわずかとなった AthlonXP 3000+ (FSB 333) を買う。単純に CPU の価格だけを較べると既に Athlon64 のほうが安いんだが、M/B から全部組み直すとやっぱりかなり高くつくので、当面は今使ってる machine を延命して凌ぐことにする。でもあれだな、いい加減 Win98SE な machine も辛くなってきたし、Socket939 な M/B もようやく MicroATX のものが出てきたんで、そろそろもう 1 台組んでもいいのかもな‥‥。

ついでに I・O DATA の GV-MVP/RX2W を買い込んでみた。素材用 DVD を焼くための MPEG2 file をこれで作ってみる予定。後継機種は今ある driver では動かなくなるようだし、モノがあるうちに押さえておかないと。

帰りしなにツクモへ立ち寄る。‥‥ DVD+R DL media は@/f-shikai//よりこっちのほうが安いことを学習 (__;。しかし、ビビッとくる case がないなぁ‥‥。いわゆる HTPC 用 case って、今出回ってるのは分厚いか PCI が riser card 経由のものばっかりなんだが、「Low profile のみの対応でいいから、video deck 並みに薄くて、幅 430mm 程度(標準 ATX か MicroATX が入る)で、前面端子部の蓋が独立している case」って、そんなに変な要求かな? Capture card に low profile のものがないのも「low profile 対応 HTPC case」がない理由なのかもしれないけど、みんながみんな capture card を必要としてるわけじゃないだろうに。その上、「HTPC 用 case」はみんなすごく高い。中途半端なものに大枚払う余裕はないんだけどなぁ‥‥。適当な case を買ってきて、ガワだけ作り替えるってのが、一番いいのかな‥‥。

ぽつぽつ降り始めたので、撤収。浅草橋へ行って、いつものように鍼を打ってもらう。到着直前にボタボタと大粒の雨が降り始めたんだが、終わる頃にはすっかり止んでいた。

向かいのマクドで 3 つほど burger を買い込んで、帰宅。もふもふ喰う。


よる〜しんや [日常 / DVD 作成 / Multimedia]

Simulation をしつつ、debug 作業。‥‥つーても、時間がかかるので、割と暇。

‥‥なので、諸般の事情で片面一層な DVD+R を焼いてみたり。Drive は ND-3520A、media は RICOH の DRDD-24XPC。Writing software は例によって dvd+rw-tools

DL media を焼くときには「フォースを使え、ルーク。」ってなわけで、4gms だぞー、とおまじないを唱えつつ growisofs を実行。すると、


The pad was 16 for file VIDEO_TS.IFO
/dev/pass0: splitting layers at 1925072 blocks
:-( unable to SEND DVD+R DOUBLE LAYER RECORDING INFORMATION: Input/output error

と言われて終わってしまった。おりゃ? (-.-;

めげずに再実行。すると、


The pad was 16 for file VIDEO_TS.IFO
:-? L0 Data Zone Capacity is set already
/dev/pass0: "Current Write Speed" is 2.5x1385KBps.

と、ぶつぶついいながらも処理を開始してくれた。drive を IEEE1394 経由の箱に入れてあるせいなのか、media の容量に関する情報を送ったときに妙な status が返ってきてしまっているらしい。Bridge が対応しきれてないのかな。ただ、処理自体は正しく行なわれているらしく、もう一度繰り返すと続きをやってくれるようだ。

‥‥ってことはあれですよ、「あっ、error だ!」と media を入れ替えてしまうと、その media にはもう容量 data が記録されてしまってるので、うっかり別の data をその media に書き込もうとすると辻褄が合わなくなって大惨事‥‥という可能性もあるわけだ。くわばわくわばら。

ちなみに、この現象が ATA I/F に drive を直結した時にも出るのかどうかは未確認。

焼き焼きと平行して、日記など書いてみる。焼き終わった media を DVD player で check。‥‥どうやら大丈夫そうだ :-D。しかし、DL の media はまだ 800 円/枚程度するので、そうそう気軽には使えんな‥‥ (__;

28 時頃寝る。



2005/06/12 (日) <断固阻止>

あさ [日常]

‥‥7 時頃、鳩の鳴き声で起こされる (-_-#

数日前から寝室や仕事部屋の前のベランダで鳩が 1 羽鳴き声をあげながらうろうろしていて、目が合う度に逃げていってたんだが、今日は 2 羽で仕事部屋用のエアコンの室外機の上で寛いでいた。どうやらこれまで雄のほうが巣作りの場所を探していて、いよいよよさそうだというので番いでやってきたらしい。

Living の窓から身を乗り出したら向かいの屋根の屋根へ逃げていってそこで様子を見ながらうろうろしているので、そのままじっと睨みを効かす。しばらく互いの毛繕いをしながら漂っていたんだが、数分後に諦めて別の場所へ飛んでいった。

今のところはまだエアコンも運転してないし、通常ベランダに出入りもしないし、窓は遮光 curtain を閉めっ放しにしてるので、人気を感じなかったらしい。仕事部屋用の室外機の裏には建物の構造に起因する空洞(子供が入れるほどの大きさ)があって、巣を作ったりするには絶好の場所。とりあえず換気を兼ねて窓を細目に開けて換気扇を廻し、わざと風切り音が出るようにしてみたが、空洞のところにも網をかけるとかしないとまずいよなぁ。

なんか目が覚めてしまって眠れないので、そのまま仕事。


ひるま [日常]

DV-HRD20 の HDD が枯渇してきた。また吸い出さないと。‥‥と思ったら、D-VHS の tape も枯渇していた (__;

仕方がないので、またぞろエフ商会へ。さすがに D-VHS tape はヨドバシより安い、んだが‥‥ DF360 は 9 本 pack(3 本 pack を 3 つ束ねたもの)しかないんですか? (-.-; とりあえず 5 本くらいでいいんだけどな。1 本単位だとむしろヨドバシのほうが安いくらいだしな。むぅ。‥‥というわけで、見送り (__;

せっかくだから、ねぎしで飯。‥‥1 つしかない便所を延々塞いで何かやってるやつがいる。しょうがないから前で待ってたんだが、いつまで経っても出てこない。向こうのほうでは店員さんが空席だと思って座ろうとした他のお客さんに「ああっ、こちらはお客様がいらっしゃいます」と別の席を案内したり、店員さん同士で「こちらのお客様は?」「12 卓さんが toilet にずーっと入ったままで、9 番さんはそれが空くのをお待ちです」などと話していたり、「toilet はどこですか?」と訊いてきたお客さんに「左手奥なんですが、今他のお客様が順番をお待ちで‥‥」と案内していたり。なんだかなー。

15 分ほども待たされて、ようやく出てきた。なんか水を流す気配もなかったが、何やってたんだ、一体。中学〜高校くらいの男子だったが、憮然として待っていたこちらを一瞥しただけで歩いていってしまった。やれやれ。

こちらは「小」なので、あっという間に終わって、ようやく席へ。私の注文はわざと後回しにして、席に戻った途端にできたてを出してくれた。こういう気遣いはありがたいねぇ :-D

たんのーして、キコキコと帰宅。うーん、しかし D-VHS tape はどうしよう。


ゆうがた〜よる [日常]

ともあれ、作業の続き。‥‥相変わらず turn arround time が長いので、割と暇。

‥‥気が付いたら、机に突っ伏して寝ていた。‥‥うがあっ、NHK アーカイブス録りそびれた‥‥ T_T。楽しみにしてたのに‥‥ (__;

そのまま simulation を走らせながら、日記書いたり、調べ物したり。

29 時頃寝る。もう明るいよ‥‥。



2005/06/13 (月) <だるだる>

あさ [日常]

‥‥8 時半頃起きる。Shower を浴びて、出発。ちなみに、portupgrade は絶賛実施中。相変わらず時々 fetch もしてるらしい。

いつもの弁当屋でおにぎりを買い、近くの自販機で暖かいお茶を買う。そのまま駅まで行って、地下鉄でごー。

1030 時頃から会議。今日は下さなかった。車内は結構肌寒かったんだが、暖かい飲み物で腹を暖めたのが勝利の鍵。

F/W の仕事の時の相方さんたちとぞろぞろ社食へ。「(五)さんの只見線が大変ですね」とか言われてみる (^^;

午後も作業。F/W team から検証用 F/W をもらえることになったので、環境を整備してみたり。

そして、ひたすら simulation log を取る。‥‥が、どうしても途中で止まる。何でだろ、と見てみたら‥‥え? File system に「2GB / file」の壁が?! @_@;

仕方がないので、吐かれた log を gzip で圧縮しつつ file に落とす。gzip でも CPU power を喰ってしまうので、なかなか終わらない。しかも、今朝は 3 時間くらいしか寝てないので、眠いことこの上ない。なんせ、ただ待ってるだけだしな‥‥ (__)

‥‥夕方から log 取り始めて、21 時半過ぎにようやく終了。うぐぐぐ。帰ろうとしたら EV のところで元相方さんとばったりあって、「今日はずいぶん遅くまでいたんですね (^^;」とか言われてみたり (^^;。いつもは現場で済まさなければならない用が終わったら、さっさと帰ってるからな。

久々に (S) ガストで飯。値段相応。

品川行快特で離脱。やってきた成田行エアポート快特は座れたものの結構混んでいる。

浅草橋では止まらないので、どうせ東日本橋で乗り換えなければならない。その乗り換え相手が泉岳寺で向かい側に止まっていたので(西馬込発なんだろう)、さっさと乗り換える。こちらはがらがら。

落ちながら浅草橋まで乗り、帰宅。

帰ってから、若干作業。

29 時頃寝る。



2005/06/14 (火) <ごそごそ>

ひる [日常]

‥‥12 時頃起きる。

寝る前に取ってきた data で simulation を始めておいたんだが‥‥一向に終わってませんな。つーか、速度低下を少なくするために途中経過を表示しないようにしてあるから、ほんとに動いてるのかどうかもよくわからん(爆)。

今までは大抵どんな parameters を与えても動くようにしてあったので、実装としては割と冗長だった。Target の仕様ははっきりしているので、parameter check を真面目に実装してみる。前から他の部分ができあがったらやろうと思ってたんだけど。

Parameter をしっかり check するようにしたので、与えられる値も限られた pattern のみに限られたので、それを前提とした code に tune up。乗除算を排除して、shift と bit 積に置き換えて高速化を図る。ついでに、切りのいい行数(具体的には 1024 行)毎に処理済の行数を表示するようにしてみた。恥ずかしい bug も取った。(爆)

というわけで、実行中の simulation を中断し、新しい code で再開。


ごご〜しんや [日常 / MythTV on FreeBSD / Multimedia]

結局、D-VHS tape はヨドバシでポチっとすることにした。ドット・コムなら card でも point 還元率が変わらないし(店頭は現金時より -2%)、point 分を引くとエフ商会で買うより安い。ついでなのでほぼ使い果たした mini DV tape も補充することにして、1 万円を越えるようにした。これで送料も無料。

昨日不在票が入っていた荷物は近くの郵便局に回送しておいてもらったので、それを受取りがてら昼食。まずは郵便局で受け取り。で、いつもの弁当屋で弁当でも買って帰ろうかと思ったんだが、浪花家本店の並びの喫茶店の中が珍しく煙で曇ってなかったので、前々から気になっていた「茶房カレー」(¥600-./ coffee または紅茶付で ¥850-.)を試してみることにした。

Order を取りに来たおばちゃんは、またすぐ戻ってきた。「本当は『茶房カレー』はドライカレーにルーがかかってるんですけど、今日はドライカレーがなくなってしまったので、白い御飯でいいですか。ルーは同じです」という。ちょっと考えたのだが、また移動するのも面倒だったので、「それでいいですよ」。

弁当屋からここまで来る間の本屋で買ってきた時刻表(6 月号)で、夏臨の確認。‥‥今年も〔あおもり〕は無事に設定されるらしい。めでたい。つーか、時刻表の方が夏臨情報が速いとなると、いよいよもって「鉄道ダイヤ情報」の存在意義が‥‥。

ちなみに、肝心のカレーの味は、一般的な家庭用ルーの味でお馴染の、辛さより塩気のほうが目立つもの。ドライカレーでない分安くなるのかと思いきや、値段もそのままだった。なんか、騙された気分。ぐんにょりしながら帰宅。

さて、simulation は一向に終わる気配がない。どうせ暇なので、土曜に買ってきた CPU と capture card を video 編集用 machine に組み込む。‥‥久々に retail 品を買ってみれば、ずいぶん cooler がごっつくなってるんだな。放熱 fin の枚数が増えて密集してる type(そのかわり背は今までよりちょっと低い)に変わってて、持つとずっしり来る。I・O DATA の capture card は S/N が board の裏にしか書いてないようなので、もしもの時のために購入日・購入店名と一緒にメモに書き、添付品と一緒に元箱の中へ。

まずは起動。‥‥あれ、1600+ を使ってたときは「AMD Athlon(tm) XP 1600+」と表示されてたのに、今度は「AMD Athlon(tm) 」としか表示されない。実 clock も 1726.34-MHz となっている(XP 3000+ は複数あるいずれの type も実 clock は 2GHz 以上のはず)。おかしいな。BIOS が旧いのかな? M/B 自体は割と最近のものなので、対応してないってことはないはずなんだが‥‥。

ともあれ、driver と MythTV の port をいただいてきて、組み込み開始。F/W は念の為に最新版の driver を取ってきて、それを使うことにする。‥‥ほーら、早速書き留めておいた S/N が役に立った(爆)。Driver は loadable module として作るならどこに置いて build しても構わない(/usr/src 以下に展開しなくてもいい)が、5.2.1-RELEASE などでは一部の header file の path が違う(4 系列と同じ場所にある)ので、そのままだと compile できない。元々 driver の code は 4 系列と 5 系列の両方に対応した造りになってるので、その切り替え条件を以下のように変えれば OK。


--- dev/cxm/cxm.c.back  Sun Feb 27 12:45:00 2005
+++ dev/cxm/cxm.c       Tue Jun 14 22:48:44 2005
@@ -62,7 +62,7 @@
 #include 
 #include 
 
-#if __FreeBSD_version < 500000
+#if __FreeBSD_version < 502100
 #include 
 #include 
 #else

実は今回問題となった header の path の変更と __FreeBSD_version の bump は同期していないので(version の bump は別の理由によるもの)、この変更をしても約 1 日間 copmile できない timing があるんだが、たまたま踏み付けない限り大丈夫だし、-RELEASE を使ってる限りその隙間に引っ掛かることはないので、とりあえずこれでよしとする。この patch はそのうち作者さんに送るつもり。

裏で kernel も作り直してあったので、早速 module を組み込んでみる。こんなん↓出ました。


cxm0:  mem 0xd8000000-0xdbffffff irq 16 at device 8.0 on pci2
cxm0: 
cxm_iic0:  on cxm0
iicbb0:  on cxm_iic0
iicbus0:  on iicbb0 master-only
cxm0: Panasonic VP27s/ENGE4324D tuner
cxm0: SAA7115 rev 1 video decoder
cxm0: WM8739 ADC.
cxm0: encoder firmware version 0x2040020
cxm1:  mem 0xdc000000-0xdfffffff irq 17 at device 9.0 on pci2
cxm1: 
cxm_iic1:  on cxm1
iicbb1:  on cxm_iic1
iicbus1:  on iicbb1 master-only
cxm1: Panasonic VP27s/ENGE4324D tuner
cxm1: SAA7115 rev 1 video decoder
cxm1: encoder firmware version 0x2040020

認識成功。2 枚あるように見えてるのは、GV-MVP/RX2W だから(実際、board 上には全ての component が 2 つずつ載っていて、PCI-PCI bridge 経由で接続されている)。ちなみに driver の説明で「kernel configuration に device iicdevice iicbb が必要」と書かれているが(driver 同梱の patch も当てなければならない)、もしこれらの driver が含まれない kernel で今回の modules を load しようとすると、cxm_iic を load しようとした時点で「iicbb_callback_desc がにゃあ!」と言われて失敗します。

次いで、MythTV の install。当該の port は 0.17 向けなんだが、既に 0.18 系が release されていて、CVS で取得する最新版もその系列に切り替わっている。そのため、source のあちこちに patch を当てまくって compile を通す。しかし、「mysql 必須」ってのは、使いづらいなぁ。そのうち PostgreSQL でも動くようにしようかなぁ。

MythTV が使う DB の初期化(「mysql < /usr/local/share/mythtv/database/mc.sql」)は root で行なう必要がある。うちの地域は難視聴対策で CATV(「さくらケーブルテレビ」)が引かれているので、「General」の設定項目で「TV Format」を NTSC-JP に設定するほか、「frequency table」は「japan-catv」に設定する。

mythtv-setup で Input source を選択したあと progress bar が 50% のところで止まったままになるが、この時実は mythtv-setup を起動した terminal で入力を求められているので、そちらに移って作業を進める必要がある。MythTV は画面全体を専有してしまうので、keyboard 操作だけで window を移り渡れる window manager が必須ということになる。うちの地域は CATV なので 47 番を選択。これを選ぶと、番組表の取得源である ONTV JAPAN が持っている CATV 用番組表の地域 code の入力を求められる。これは ONTV JAPAN が番組表を提供する CATV 局の一覧から番組表へ link する URI を見れば判る(「tikicd=」に続く 4 桁の数字がそれ。さくらケーブルでは「2179」)。さくらケーブルの場合は top page から ONTV JAPAN の番組表への link があるので、これで見ても同じ。なお、CATV 局一覧表から番組表への link icon は orange と水色の 2 種類あるが、前者が analog 放送、後者は地上デジタル放送のもの。今回の capture card に搭載された tuner を使う場合は後者を選ばないように注意が必要だが、MythTV には外部 tuner を制御するための I/F も用意されているので(制御用 program は別途必要)、それを利用するときには活用できるだろう。Terminal での設定が終わると再び GUI 上の作業に戻るので、window を切り替えて作業を続行することになる。

mythfilldatabase での作業も注意が必要。これを実行すると、番組表や channel 情報を取得するために内部で /usr/local/bin/tv_grab_jp が呼び出される。これは perl の script で、socket 操作も p5-libwww を使って自前で行なうため、wrapper などを使った firewall 越えができない。番組表の取得を HTTP proxy 経由で行なわなければならない環境では、mythfilldatabase を実行する前に


setenv http_proxy http://192.168.1.1:8080

のように「http_proxy」という環境変数に proxy server を指定しておく必要がある(libfetch に対する指定と異なり、環境変数名が小文字であることに注意。また、protocol を指定する「http://」の部分は省略不可)。


あさ [日常]

いろいろ遊ばれているうちに、いつの間にか明け方。もう少し経つと弁当屋が開くので、日記を書いて時間を潰す(爆)。

そんなこんなのうちに 34 時過ぎ。外は結構本格的な雨が降っている。弁当屋に行ったらすぺさる弁当がもうできていたので、買って帰る。大盛を頼んだら、これでもかとばかりに御飯が積まれて、すごいことに (^^;


ひる [日常 / MythTV on FreeBSD]

編集用機の portupgrade を仕掛けていろいろ発生したり (__;、simulation が全然終わらなくてうがぁーとなってみたりしてるうちに、昼。

MythTV のほうは、実際に TV を見ようと思うと「ビデオの初期化に失敗した」というような message が出て、映像が表示されない。log を見ると「使用可能な video device がない」とか言われている。うーん、compile 時の log では「x11」が「yes」になってるんだが、これでは不満なのか? (-.-;

この machine では Xv が使えてるし、MythTVでもそれを support してるのだが、compile 時の log では「no」になっている。そこで、これが yes になるようにもぞもぞと configure script をいじってみる。ついでに、せめて CPU を Athlon と認識してくれるようにもしてみる。

どちらも一応成功。ただ、強制的に MMX support を on にしたりしたせいか、compile に失敗するようになってしまった(link 時に error になる)。条件を変えて試してみるが、同じ error になる。作り直す度に CVS から最新版を持ってきてたので、timing によっては compile できない可能性もある。それを踏んだのかなぁ‥‥。

そうこうやっているうちに 41 時になってしまった。さすがに寝ることにする。ちなみに、simulation は絶賛継続中。あうー。



2005/06/15 (水) 雨のち曇 <くうはくのいちにち>

そんなわけで [日常]

寝たのは 17 時頃。うっかり寝室の窓を開けっ放しにしていたことに寝るときになって気付いて焦ったのだが、幸い風がそんなになかったのと、curtain が引いてあったので、布団は濡れずに済んだ模様。やれやれ。

で、起きたのは 27 時過ぎですよ。Simulation は終わるそぶりもない。ていうか、gzip'd の状態でほんの 1.4GB 程あるんだが、この log、一体何行あるんだろう。別の machine で gzcat LOG | 前処理用 script | wc かけても一向に終わらないんで、そっちも 10 時間くらいで諦めてしまった (__;



2005/06/16 (木) 曇のち雨が降ったり止んだり <終わらない>

未明 [日常]

でまあ、3 時過ぎに起きたわけで。背中全体が汗疹からアトピーに進化している。仕方がないので、shower を浴びたあと、マイザーを塗りたくる。涼しいから風呂から出てすぐ汗が引くのはありがたい。その代わりと言ってはなんだが、ここ数日風呂場の換気扇がきゅるきゅるいっていたと思ったら、今朝になってついに「弱」では廻らなくなってしまった。つーか、風呂に入るので switch を入れたら「きゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅ」と激しい連続音がして、だんだんと速度が下がってきたなと思っているうちに、shower を浴び終わって出ようとしたそのときにピタッと止まってしまった。うがー。しばらくして switch を再投入したらまた廻り出したけど、何だか高速運転中の都営 6300 形のような音がしてうるさいです(爆)。こりゃあ、近々見に来てもらわないと駄目かな‥‥。洗濯物を干すのに専ら浴室乾燥機のお世話になってるから、これが止まると大変困るんだが。

MythTV に遊ばれたり日記を補完したりしてるうちに、7 時過ぎ。弁当屋に行き、久々に唐あげ弁当。一緒に酢の物とか。


追補 [FreeBSD/amd64]

このへんで書いた会話内容に関して、CCS さんからツッコミの mail をいただきました m(__)m

  • cvsup(1) で binary しかないのは amd64 版。そりゃあそうだ、i386 版は手元で build している。日記を書いてたときなんか寝惚けてたらしいです (__;。で、その amd64 版の binary、「どうやって build したのかよくわからんもの」で、たとえ ports から入れても amd64 の場合だけはこの binary が入るらしい。そういえばそんなだったような気もするなー(遠い目)。実行すると、segmentation fault で落ちるらしいです。Modula3 が 64-bit 対応になってないんじゃないかという話。
  • CCS さんがやっている「耐久 make release 試験」は、「全 architecture 同時に」make release をかけているとのこと。1 つづつだと、大丈夫な場合もあるらしい。「それでもだめなときはだめだけど…」ってことですが。うーん、うちでも一度試してみるかなぁ。

あと、追加情報として:

  • 正しく lock しているかどうか検査する code が入ったそうで、make buildworld すると、どとーのように debug message が吐かれて、環境や machine spec によっては make kernel すら困難になるので、しばらくの間 -current は architecture を問わず使わないほうがいいらしい。Serial console で作業してると絶望的な状況になったり、i386 でも make buildworldmake kernel を同時にやると落ちてたりするらしい。ちなみに、担当者が現実世界で忙しくなってしまったので、しばらく直せないとのこと。
  • CCS さんがうめさんと帰りの電車の中で話していたところ、「amd64 に関しては M/B の出来/不出来も関係しているらしい」とうめさんが言っていたそうな。まあ、Athlon64 の M/B 自体がまだまだ出たての感もあるので heavy duty 下の安定性については関係してるかもしれないけど、「同じ program を走らせて Athlon64 3000+ より Athlon XP 1600+ のほうが速い」とか、「ruby18 が壊れてて pkgdb が落ちますよ〜?」とかってのは、何か別の要因のような気がするんだけどね。個人的には GCC の amd64 用 .md がまだまだ錬れてないような気がしてる。確認はしてませんが。ちなみに私が使ってるのは ABIT の AV8-3rd eye + Athlon64 3000+。M/B によっては状況が違う可能性はあるけど(特に安定性の面で)、どうなんでしょね。

まあ、あれだな。少なくとも s30 では 5.3-RELEASE はゴミ確定だし、5.4-RELEASE に変えてからは以前のような不安定性はないので(ただ CPU throttling が封じられてしまったので電池のもちが今一つ)、とりあえず amd64 のほうも 5.4-RELEASE か 6-CURRENT-20050606 に替えてみるかなあ。幸か不幸かでっかな ATX case なので(= M/B が MicroATX ではないから)、HDD をもう 1 台買ってきて両者を較べてみてもいいかも。せっかく ISO image をもらったことだし m(__)m


ひる [日常]

暇なので相変わらず MythTV に遊ばれたり日記を書いたりしているうちに、11 時半過ぎ。

Simulation は大絶賛実行中で、現在 83,914,752 lines processed。1,024 行処理するのにだいたい 1 秒弱の pace なんだけど、終わりが見えないのが何ともなあ。いよいよこれは改善策を打たないと。こういうとき、amd64 が速ければ‥‥ ;_;

MythTV のほうは、CPU が「i386」から「x86」に変わった点を除けば最初と同じ環境になってるのに、compile が通らない。何か根本的な部分がおかしいような気もするので、現時点の CVS 上の source tree が壊れてるのかもしれん。Stable な source tar ball を取ってきて試してみるかな?


ひるさがり〜よる [日常]

Simulation の遅さに音を上げて、従来 sh + perl で書いてあった format 変換 script を C で書き換えることにする。

Speed の低下を極力抑えるため、code の読みやすさより実行効率を優先。Library 関数も極力使わない方向で。

なんとなくそれっぽいものができあがったので、同じ log(今 simulation をしてるものよりはずっと短いもの)を script と C で書いたものと両方に喰わせてみる。結果を付き合わせたいんだが‥‥ C で書いたほうはすぐ終わったものの、script 版は 30 分経ってまだ 2/3 程度。うーむ、やっぱりこの部分で相当 power を喰われてるな (-_-;

そして、これの debug をしてるうちに重大なことに気付く。‥‥今 simulation かけてる log って、log を採取するときの実行 option が足りなくて、必要な data の一部が欠けてる。駄目じゃん‥‥ (__;

今から客先に log を取りに行っても終車までに終わるかわからないので、明日だな、それは。ぐぅ‥‥。

結局 script 版は 50 分かかってようやく終わった。‥‥ Size が違います。調べてみたら案の定漏れがあったので、C 版の source を修正。再実行して時間を計ってみたら、こちらは 20 秒ほどで終わっていた。今度は結果もびったり一致。はっはっは。

‥‥うがー!!!

いや、誰が悪いってものでもないし、元々暫定実装だったんだから、さっさと C で書き直せばよかったんだけどね‥‥。しくしくしく。

でもって、編集用機での compile 作業が一段落したところで、simulation を実行してみる。‥‥Athlon 1.33GHz と Athlon XP 3000+(ただし dmesg の表示は Athlon 1.73GHz)の違いがあるとは言え、主作業機で 33 時間を要してまだ継続中の処理量を 6 分足らずで追い抜いてしまった。1,024 行毎の count up も目に見えない速さで進んでいく。だうー。

‥‥次段階で使う code の整理をしているうちに、13 分半であっさり終了。しくしくしく。Total 行数も 215,257,088 行であることが判明。一方、34 時間前から開始した simulation は結局現時点でその半分も終わっていないことが判明したので、敢えなく中止。改めて C 版で実行してみると、こちらも中止時点の処理量を 9 分強で追い越し、全体も 20 分半弱で完了。うぅ。


MythTV の build [MythTV on FreeBSD / Multimedia]

MythTVがいつの間にか build できなくなった理由がわかった。

本家の site をよく探すと CVSweb I/F があったので、怪しそうな所がここ数日変更されたかどうか見てみたのだが、そのような形跡はない。そこで source そのものを追ってみると、「DVD 再生機能が有効になっているかどうか」で build 状況が変わるようになっていた。これは臭い。

そこで、configure script を読んでみたところ、明示的に指定しなかった場合は libdvdnav の存在の有無によって判断するようになっていた。つまり、この機能を明示的に禁止すれば、正常に build 可能。

ちなみに、なぜ途中で compile できなくなったかというと、寝てる間にやらせておいた portupgrade の結果、multimedia/gstreamer-plugins-coremultimedia/gstreamer-plugins-dvd を要求するようになり、これが multimedia/libdvdnav を要求したために install されたものらしい。うぐー。なんというか、不要な plugin は入れずに済ませられるようにして欲しいものだが‥‥。

一方、0.18.1 の tar ball も拾ってきて同様に build してみた。‥‥なぜか別のところで引っ掛かる。こっちはどうも time.hsys/types.h などを正しく読み込めていない模様。関連する files は最新のものと変わっていないように見えるんだが‥‥。今のところ、原因不明。


きぶんてんかん [日常]

倉庫にちょいと捜索に行ってみたり。電池がへたった s30 の battery pack とか(これはツクモ「バッテリーリフレッシュサービス」に持ち込む予定)、用途廃止のまま保管してあった 100Mbps の switching hub とか(これは客先での作業用に持っていく)、それを漁ってる途中で発見した IEEE 1394 cable とか (^^;

そのあと、思い出したことがあったので、6/11 分の日記を補完。メモ書きじゅーよー。

さらに、どうしても気になるので Athlon 系列の技術資料を漁っていたら、CPU の model number と実動作 clock と 外部 clock の対応表が見つかった。今回積んだ CPU は FSB 333 の 3000+ なので、資料で見る限り*1本来の実動作 clock は 2167MHz。一方、積み替える前に載っていた 1600+ の OPN は「AX1600DMT3C」で、これは Model 6, FSB 266 で実動作は 1400MHz。CPUID は 0x662 なので、辻褄は合っている。

ここで気になったのが、本来の実動作周波数と dmesg で表示される周波数の差。1600+ はほぼ一致。一方、問題の 3000+ だが、dmesg の表示値は 1726.34MHz で、これに 166/133 をかけると、ほぼ期待通りの値になる。もしやと思って M/B の manual を引っ張り出して見てみたら、CPU の base clock は jumper で設定することになっていた。ぐぅ、software 設定じゃなかったのか‥‥。

*1: CPUID が 0x6a0 なので、Model 10 なのは確か。そこで Model 10 の datasheet を見てみると、FSB 333 時の 3000+ は 2167MHz となっている。M/B に載せる前に OPN を見ておけばよかったんだよな‥‥。


よふけ〜しんや [日常 / PC]

なんとなく肉な気分だったので、加真呂へ行って中落ち 300g。

帰ってから、編集用 machine をいじる。Machine を引っ張り出して蓋を開け、M/B の FSB 設定 jumper を「166MHz」に変更してまた蓋を閉め、元の場所に戻す。

早速 boot。‥‥おお、POST 上の表示が Athlon(tm) XP 3000+ になったぞ。‥‥ということは、この VA-20(ABIT)って M/B、本来の設定と FSB が違っているときは、いわば「不明な Athlon processor」として表示してるってことか。むぅ。

CPUID 領域から model name を copy してきて表示している kernel boot 中の message も連動して変わった。ああ、すっきり :-)

当然動作も速くなった。BIOS を update しなければならないとしたら結構大事だったのだが、その必要がなくてほっとした。

せっかく machine も速くなったので、そのあとまた仕事。

27 時頃寝る。



2005/06/17 (金) 曇時々晴のち一時小雨 <6 月といえば>

あさ [日常]

8 時頃起きた。今日も目覚ましより 20 分ほど早く目が覚めてしまったが、熟睡したらしく、眠気はあまりない。

Shower を浴びたあと、せっかく早めに起きたので、いつもの弁当屋へ。すぺさる弁当があったので、買って帰る。9 時頃でもできてるときがあるのね。

0940 時頃出発。浅草橋から地下鉄に。一路青砥へ。


検査結果発表 [体調 / アレルギー]

葛飾区保健所へ到着。今回来たのは他でもない。HIV 抗体検査の結果を聞きに来たのだ。2 週間前に青砥に来たのも実は採血のため。なぜ HIV 抗体検査などを受けたのかといえば、これにも理由はある。血液製材からの感染の可能性を疑っていたからだ。

血液製材からの HIV 感染といえば、非加熱血液凝固因子製剤の使用による血友病患者へのものが有名だ。これは実際に AIDS を発症してしまった方もおられ、被害を受けた方の一部が実名を公表して責任追及に乗り出し、非加熱血液凝固因子製剤を製造したミドリ十字とクリオ製剤の使用を棄却して非加熱血液凝固因子製剤の使用をごり押しした厚生省エイズ研究班班長の安部 英らを相手取った裁判も起こされたが、非加熱血液凝固因子製剤の使用を続行する意思決定を行なった key person である安部被告は「このか弱い老人をまるで魔女のように糾弾して楽しいのか」というような迷言(妄言?)を残し、その後心神喪失を理由に後半が停止されたまま先日死亡、なんともすっきりしない結末を向かえた。

しかし、ちょうど非加熱血液凝固因子製剤が問題となっているそのころ、ひっそりと報じられた事件があった。ドイツで採取されたヒスタグロビンの原料血に検査漏れがあって HIV に汚染されていたことが判明、それを原料としたヒスタグロビンは国内にも輸入されており、そのほぼ全量が既に使用されていた‥‥というものだった。

「ヒスタグロビン」(ヒスタミン加人免疫グロブリン)とは、血液(血漿)から抽出されたガンマグロブリン(免疫グロブリン)に塩酸ヒスタミンを加えたもので、これをある程度の期間継続して投与することによってヒスタミンに対する抗体が作られ、allergy 反応を起こしにくくなる*1とされる。これを用いた allergy 疾患治療は免疫療法や非特異的減感作治療と呼ばれ、多種の抗原に反応するために個々の抗原にしか効果のない「減感作療法」を取りづらい allergy 患者にとって福音となると考えられたため、アトピーなどの治療に適すると一時期脚光を浴びたものだ。

ことが公となった当時、私もこのヒスタグロビンによる治療を受けていた。そこで当時かかっていた医師にそれを問うたところ、「そんなことを心配する必要はない」の一言のみを得られただけであった。当時はヒスタグロビンの製法に関する情報もほとんど得られず(私が「エタノール分画法により HIV が混入する可能性は低いらしい」と知ったのは最近のことだ)、不安を払底するに足る納得できる説明を得られなかったので、その医師のところへ通うこと自体を中止した。「Cost は高くつくがそれなりに効果を得られる方法を提示してくれた」にも関わらずその医師にかかるのを止めた理由はこの一点に尽きる。

その後一度 HIV 抗体検査を受けて陰性の判定が出ていたのだが、最近になってアトピーの症状が「汗疹が出なければ激しい反応が出ず、薬なしでもどうにか乗りきれる」という状況になってきていた。HIV の感染による潜伏期間は約 10 年とされており、ヒスタグロビンの投与を受けていたのも約 10 年前。そこで「もしや」と思って再度検査を受けることにしたのだ。

で、その結果は「陰性」。ついでだからと、希望すれば同時にしてくれる STD の検査結果も陰性。とりあえずこれで HIV 感染の危惧はほぼ払底されたと考えていいだろう。別に自分自身が困るだけなら放っときゃいいのだが、万一傷の手当てや何らかの miss(採血針の誤刺など)で他の人に感染させるわけにはいかない。しょっちゅう鍼を受けに行っているので、自分が carrier であった場合鍼の誤刺によって感染させてしまう機会が多いから、なおさらだ。こんな体質を持ってしまったがために本来無用な気苦労が多くて困る。

ところで、「10 年以上湿疹が続いていると IgE 値が急激に増加する」のだそうだ。つまり、症状が長期化すればその分重症化が進むことになるので、初期の段階で適切な手だてを打っておかなければならない、ということになる。その面でも、私の場合はまさに手遅れにされてしまった感がある。これだけ状況が悪化していると、骨髄の提供はおろか*2、死後の臓器提供すらできるかどうか怪しい*3ものだ。全く役立たずな身体だ。

*1: I 型 allergy の基本機序は次のように考えられている。まず、allergen が体内に侵入すると Th 細胞や記憶 B 細胞によって IgE 抗体が 産生され、これが肥満細胞上の受容体に結合する。その IgE 抗体に allergen が結合すると、「攻撃すべき異物」の侵入を伝える伝達物質としてヒスタミンなどの顆粒が遊離し、これが免疫反応(炎症)を亢進して allergy の諸症状を引き起こす。このヒスタミンに対する反応を抑制するための薬が抗ヒスタミン薬であり、一方でヒスタミンに身体を「慣らす」ことによってヒスタミンに対する反応(感作)そのものを弱めようとするのがヒスタグロビンによる療法だ。いわゆる「減感作療法」は Th 細胞や B 細胞に対して作用し、特定の抗原の存在に「慣れさせる」ことでその抗原に対する IgE 抗体の過剰な放出を抑えようとするものだが、ヒスタグロビンによる療法では種々の抗原に対する感作の結果として産生されるヒスタミンそのものに対する感作を抑制しようとするもので、抗原の種類によらないものなので、「非特異的減感作療法」と呼ばれる。

*2: 骨髄液を提供する場合、提供された側の人の造血機能は提供した骨髄液内に含まれる造血芽細胞によって行なわれることになる。その場合、その人が本来持っていた免疫系は当然邪魔になるので(激しい拒絶反応を引き起こして死に至る可能性がある)、骨髄移植を行なう前に無菌状態においた上で放射線照射などを行ない、その人の免疫機能を完全に破壊してしまう(「一旦移植を承諾して最後の準備を開始するとそのあとは中止できない」のはこのためだ)。従って、移植後の体質は提供された骨髄液の持ち主のそれを継承することになるので、アトピーなどの allergy 疾患の患者は doner になれない。

*3: 素人考えだが、免疫機構が過剰に働いてしまう allergy 患者が提供した臓器はそれだけ拒絶反応を起こしやすいのではと考えているのだが、どうか。


花菖蒲(掘切界隈) [ / まち]

4 月に、5 月に薔薇ときたら、6 月は花菖蒲でしょ。「薔薇」って書ける? 「醤油」って書ける? ‥‥ってキッコーマンの CM があったよね、昔 (^^;

てなわけで、せっかくこの時期に葛飾に来たんだからってわけで、花菖蒲を見にうろうろ。

ホームの花菖蒲 健在 まずは青砥から堀切菖蒲園へ(写真はこちら)。堀切菖蒲園駅で下車。‥‥おお、ホームに「行商専用車」の表示がちゃんとあります! 上りホームの階段附近には季節がら花菖蒲(本物)が飾られていた。階段を降りていくと、踊り場には去年の「写真コンクール」の受賞作も展示されている。否が応にも「菖蒲まつり」moode が盛り上がる。

改札を出て、目の前の大通りを左へ。実は堀切菖蒲園に行くのは初めてなんだが、掻き入れ時 (^^; ということもあり、そこいら中に菖蒲園への道案内が取りつけられていて、道に迷う心配はない。

100m 程歩くと、大きな交差点に出る。看板に従って、そのまま直進。急に道幅が狭くなる。交差点の角に面した和菓子屋さんに懐かしい佇まいを感じる。二十歳まで過ごした下赤塚駅界隈にもこのような店があったのを思い出す。

邪魔な路駐をかわしつつ商店街を進む。道すがらの商店には菖蒲まつりに関連して店の名前が書かれたちょうちんがぶら下がっているのだが‥‥「キッチン フライパン」という店名に惹かれてみたり (^^;。なぜか頭をよぎっていったのは「Ah! SKI」であった。(爆)

次の信号で道は右に曲がっていくが、そこから「堀切菖蒲園通り」へと左へ斜めに入る。いよいよ道は狭くなり、代わりに昔ながらの商店が軒を連ねるようになる。やはり季節がらか、菖蒲に関連した商品を売っている店が多い。酒屋さんでは「花菖蒲」という銘柄の酒を売っていた。その店限定らしいんだが‥‥「大分麦焼酎」って‥‥ (^^;

くねくねと曲がる道を進んでいくと、道すがらの医院の玄関先では燕が巣を作っていた。近くには荒川の河川敷もあるので、巣の材料には困らないだろう。その先の酒屋さん(先ほどの酒屋さんとは別の店)の店先にはアウトドア用の table が置かれていて、なんとなく beer garden 風味。

その酒屋さんの先に、南北に細長い五差路があった。向かい側の角には八百屋さんがあり、「堀切菖蒲園通り」はその八百屋さんの左側へ延びているが、中央線のある本線は八百屋さんの前を右へと曲がっている。案内看板もそちらを指しているので、道なりに右手へ。八百屋さんの一角では花が売られていて、花菖蒲の切花(つぼみや開きかけ)も売られていた。

花菖蒲の柄の手ぬぐいなどを売っている小物屋さんの向かいには、屋台が絶賛準備中。やきそばが 300 円と、最近の相場に較べると結構安めだが‥‥焼きそばの屋台で「お食事処」を名乗るってのも、すごいな (^^;

そのすぐ先で左に路地が分岐していたのでなんとなく視線を遣ると、緑の植え込みに紫陽花の花が咲いているのがちらりと見えた。近寄ってみると、その緑の正体はいままで歩いていた道と平行して延びる緑道で、様々な種類の紫陽花が見事に咲き乱れていた。

緑道の紫陽花 緑道の紫陽花 緑道の紫陽花 せっかくなので、緑道を歩いてみる。‥‥いろいろな形や色の紫陽花が競うように咲き乱れていて、実に楽しい。薄曇りの柔らかな明るさも紫陽花にはおあつらえ向き。辺りでは何人もの人が写真を撮っていた。

紫陽花が咲き乱れているのは 15m ほどの区間だが、緑道はその先にも続いている。アザミのような花には揚羽蝶が舞っていた。その先ではなぜかビワを売っている人も。

その先にも、紫陽花をはじめとして様々な花が咲いている。それを眺めつつ進んでいくと、やがて緑道が終わって道に突き当たった。左には堀切菖蒲園の正門が見える。振り返って右を見ると、すぐそこに先ほどまで歩いてきていた道が見えた。

左に曲がって正門へ向かう。‥‥左手の駐車場の一角にはかるめ焼きの屋台が出ている。最近では滅多に見なくなってしまったが、まだやってる人はいるんだなぁ。頑張って欲しいと思う。

そんなこんなで、堀切菖蒲園に到着。ごった返しているというほどでもないが、平日にも関わらず結構な人出。入口右手の喫煙所の前には臨時に売店が出て、絵はがきや文献などを売っていた。左手には事務所があるのだが、その窓には「菖蒲園のパンフレットはございません!!」と大書した紙が貼ってあった。よほど問い合わせが多かったんだろうな (^^;

堀切菖蒲園 堀切菖蒲園 「順路」に従って園内を歩く。面積はそれほど広くないが、20 近い菖蒲田に様々な花菖蒲が植えられている。手入れも丁寧にされていて、大変きれい。街中にあることから民家やマンション、首都高などの人工物が背景になってしまうが、やむを得ないところだろう。園内に入ってすぐのところには、「花菖蒲」についての解説板があった。私は今まで花菖蒲(はなしょうぶ)と菖蒲(あやめ)と杜若(かきつばた)の区別がよくついていなかったのだが、説明板を読んで、思わずううむと唸ってしまった。注意点を列記しておくと、

  • 花菖蒲・アヤメ・カキツバタはいずれもアヤメ科に属しており、近縁関係にある。一応見分け方はあるが、非常に区別がしづらい。
  • さらに、菖蒲園にも植えられている「黄菖蒲(きしょうぶ)」は、同じアヤメ科に属するものの、花菖蒲とは別の種類。
  • 非常によく似ていて区別がつきにくいものを指す表現として「いずれ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)」というものがあるが、この表現は「アヤメ」を花菖蒲・アヤメ・カキツバタの総称として用いることがあるという用語上の混乱の現われでもある。
  • 観賞用の花菖蒲がアヤメ科の植物であるのに対し、菖蒲湯(しょうぶゆ)に使われる「菖蒲(しょうぶ)」はサトイモ科の植物で、全く別のもの(ショウブの葉や茎には独特の芳香がある)。名が似ているのは葉の形や色がよく似ているからだが、逆に「花菖蒲」の名の由来が「菖蒲(しょうぶ)に似ているが、美しい花が咲く」というところから来ているのは想像に難くなく、興味深い。
  • 壁を塗るときはシンナーに気をつけるように。

具体的な見分け方も書かれていたのだが‥‥写真では見辛いかな? 表を転記しておこう。

アヤメ・カキツバタ・花菖蒲の見分け方
種別花の色花の特徴と適地開花期
アヤメ紫、稀に白主脈不明瞭・網目模様外側の花びらに黄色い模様がある
乾いたところに育つ
5 月上旬〜中旬
カキツバタ青紫の他
紫・白・絞など
主脈細小・網目なし水中や湿ったところに育つ5 月中旬〜下旬
花菖蒲紅紫・紫・絞り
覆輪など
主脈太い・網目なし花の色はいろいろある
湿ったところに育つ
6 月上旬〜下旬

こうしてみると、結構違うもんだな。特に生育環境が全然違う。ちなみに、このほかイチハツ・キショウブ・ニワゼキショウなどもアヤメ科に属するが、いずれも別の種類だそうな。

咲き具合いは田によっても若干差があるが、ほぼ見頃。平日とあって人出もごった返すほどではなく、割とまったり。園内の南端には見晴台(「あづま家」)があり、数 m 高いところから園内を一望できる。

うろうろと一巡りした辺りで、全国的にお午。園内でもベンチで弁当を展げる人が目立ってきた。そろそろ退散しようかな。

入口脇の売店で文献を何冊か買い込む。ついでなので訊いてみると、四ツ木駅までも歩いて 15〜20 分程度だという。今回は青砥で用事があったので堀切菖蒲園駅から歩いてきたが、都心(浅草線・押上方面)から来る場合は四ツ木駅で降りて川沿いに歩いてくるといいかもしれない。この菖蒲園から荒川土手に出たところにも菖蒲田があるそうなので、それを見てからここへ廻ってきてもいいだろう。ちなみに、「掘切」という名の駅が東武伊勢崎線にあるが(「3 年 B 組金八先生」によく登場したので見たことがある人も多いだろう)、これは荒川を挟んだ対岸にあるので、菖蒲園への足としてはあまりお奨めしない。

で、せっかくなので、その「掘切水辺公園」にある菖蒲田も見に行ってみる(写真はこちら)。売店で聞いた話によると、数年前から地元の方が整備し、手入れをされているそうだ。

正門を出て左へ回り込み、菖蒲園の塀に沿って川を目指す。程なく塀は直角に折れて塀沿いの道も分岐するが、そのまま直進。途中わんこに懐かれたりしつつ、川沿いの道に出る。

100m 程先の信号のある横断歩道を渡り、その間近の土手につけられた階段をよじ登る。土手上からさらに階段を登って綾瀬川を橋で越えると、荒川の土手に。橋の袂にはでっかな「荒川」の看板が。‥‥「ここは葛飾区です」と大書されているのに苦笑 (^^;。対岸にはカネボウの建物も見える。あの辺りは「鐘ヶ淵紡績」発祥の地(鐘ヶ淵)なんだが、まだ建物があるんだねぇ。

堀切水辺公園 堀切水辺公園 正面の河川敷に菖蒲田が見えた。思いの外小さなものだったが、とにかく降りていく。規模はあまり大きくないし、品種もそれほど多くはないが、ともかく結構な本数の株がびっしりと植えられていて、圧巻。手入れの状態もいいし、何より間近でじっくりと見られるのがいい。Show case のような感がある堀切菖蒲園とはまた違った趣きがある。‥‥昼時ということもあってここでも弁当を展げている人がいたが、周囲に遮るものが何もないため、風がやや強いのが唯一の問題だろうか。周囲の草むらからは鳥の鳴き声も聞こえる。

行きに通った道を逆に辿って駅へと向かう(写真はこちら)。階段を降りて、横断歩道を渡る。‥‥うちの近所もそうだが、この辺りの土地も綾瀬川の水面より明らかに低いな。

横断歩道を渡って左手へ。100m ほど歩き、斜めの路地へ入る。晴れ間が覗いて気温が上がってきたので、さっきのわんこはぐったりしている。

菖蒲園の正門前を通過。‥‥行きに気になっていたかるめ焼きの屋台に吸い寄せられてみる。何でも今まではおじいさんがやっていたらしいのだが、体調が優れなくなってしまったので、代わりにこの女性がやっているそうな。「本当に手作りでやってるので、まだまだ失敗が多くて‥‥」と苦笑しているが、今や滅びつつあるだけに、頑張っていただきたいと思う。2 つ入りの袋を買ったら、「これは失敗作なんですが、よろしければどうぞ」と 1 つおまけをもらった :-D

行きと同じく緑道を通る。気温が上がってきたせいか、緑道の途中にある水遊び用の水路には水が流されていた。紫陽花の花が咲き誇る区間を通り抜ける。行きはここで緑道に入ってきたのだが、帰りはこのまま緑道を通っていってみることにする。‥‥紫陽花の茂みはもうないが、沿道に植えられた花がきれい。

やがて緑道は左に折れる。交差点に出たところからは道幅が拡がって普通の路地に。そのまましばらく歩き、適当なところで左に折れて行きに通った道に戻る。‥‥途中で「旅行会社を兼業する美容院」という不思議なものを見た (^^;

元の道を駅へと向かう。‥‥やっぱり気になって、「キッチン フライパン」に吸い込まれ、日替わりの「サーモンフライと豚生姜焼」をお願いする。‥‥なぜか店の人は妙におどおどしていたが、いざ調理を始めると見事な手つき。出てきた料理も旨い。店内は外観から連想するよりも狭く(横に長くて奥行きが狭い)、counter 席が 7 席程度あるだけなんだが、私がいる間だけでも常連さんらしきお客が 4 人ほど来ていて、timing によっては入れないかもしれない。便所だけは罠だけど (^^;。「お手洗い」と書かれた扉は店内側から施錠するようになっていて、「?」と思ったんだが、開けてみて疑問が解決。‥‥店外に出ちゃうのね‥‥ (^^;。しかも正面にある扉には「お手洗い→」と書かれているのだが、便所は右手ではなくその扉そのものだったりする。うっかり表示に従って右に行くと道路に出てしまうのでちうい(爆)

てくてく歩いて駅へ。次は金町へ向かうのだが‥‥ありゃ、今は日中の直通列車がないのか‥‥。まあ、博物館動物園駅は休止になっちゃったし、本線に 4 連を入れる必然性がない*4からなぁ (__;。高砂では金町線からの上り列車が下り本線を支障するし。

*4: 以前は日中でも京成上野⇔金町間の列車があったが、金町線は有効長の問題で 4 輛編成までしか入線できず、一方で博物館動物園駅も 4 輛分しかホームがなかったため(それでも両端の車輛はそれぞれ半分が tunnel 内にはみ出た step のようなホームで乗り降りする状態)、金町線直通の列車のみが博物館動物園に停車していた。


花菖蒲(水元公園) [ / まち]

次は水元公園へ向かう(写真はこちら)。

水元公園 やがてやってきた普通列車で高砂へ。‥‥しかし、「普通 うすい」という行先表示を見ると、何か違うものを連想して以下略。

高砂で同じホームの向かい側に停まっていた金町行きに乗り換え。発車すると間もなく本線とわかれ、検修庫の左手へと踏み行っていく。

程なく柴又。ホームの雰囲気もどこか下町っぽい。ホームの有効長*5が 4 輛と短いことも雰囲気の醸成に一役買っているような気がする。ホーム上屋から下がっている公告には映画「男はつらいよ」の舞台となった店のものも。

柴又を発車すると、線路は単線に。右手に道路を挟んで金町浄水場を見つつ、真っ直ぐ北上していく。

水元公園 終点の金町に到着。終着駅だけに、駅名票の隣駅の表記は 1 つだけ。屋根から下がっているものの表示はあっさりしたものだが、ホームに建植された駅名票は「次は 柴又」となっているのが面白い。

行き止まりの小さなホームの佇まいは相変わらずだが、駅舎は商店と一体化したものにやや大型化していた。改札を出たところに出ていた看板に従って国鉄金町駅前の広場の 2 番乗り場から戸ヶ崎操車場行きに乗り込む。目の前の高架線路を、余命わずかとなった白地に青帯の中距離電車が上野へ向けて駆け抜けていった。

定刻に発車した bus は、金町線の線路に沿って一旦南へ。国道 6 号に入って東へ進み、金町広小路から旧水戸街道へと北に逸れ、常磐線の線路を潜ってすぐこんどは岩槻街道へ入る。いかにも旧い道らしく、道幅はとても狭い。

駅を出てきっかり 10 分後、水元公園前 bus 停に到着。交差点に設けられた連絡地下道の公園側出口の上には菖蒲まつりの看板と共に水元公園の 40 周年を祝う提灯の飾りつけがあった。その周辺に演歌歌手の poster がベタベタ貼ってあるのは、地域柄なのか客層ゆえなのか単に主催者の一部の趣味なのか。「菖蒲まつり」の guest も演歌歌手ばっかりみたいだし。ううむ。

水元公園 地下道を通って道の反対側へ。一旦駅方向への bus 停に行って時刻を確認したあと、水元公園へ向かって歩き出す。程なく内溜の池尻。道も二股に分かれるが、なんとなく左へ。「内溜水辺のみち」を歩いていく。

左手に釣具屋や貸し舟屋を見つつ、狭い歩道を歩いていく。途中で釣り場へ入り、さらに北上。ちなみに、ここでも鯉ヘルペスが出たそうで、鯉の持込みや釣った鯉の持ち出しは禁止されているらしい。

10 分ほど歩いて、内溜北端に到着。外溜との高低差を使って作られた「さくら大滝」が涼しげ。

堤の道路によじ登る。交差点の正面には水元公園の gate があった。左手のほうでは菖蒲まつりに関連して「大陶器市」が開かれているらしいが、今日のお目当ては花菖蒲なので、菖蒲園へと進む。‥‥今回は外溜と内溜の間の堤を走る道路に沿って南下したが、あとから考えれば、ここから園内に入って水元大橋を渡ったほうがよかったかも。

ともあれ、道を渡り、外溜に面した歩道をてくてく歩く。結構日が出て暑くなってきたのだが、道路の両側に植えられた桜並木のおかげで木陰になっていて、やや涼しい。

5 分ほど歩くと、菖蒲まつり会場への入口に到着。‥‥と言っても、会場は特に仕切られていないので、どこからでも入れるのだが。ともあれ、園内へ。

園内に入るとすぐに周囲は緑で満たされる。とても心地好い。植え込みの間を抜けると、早くも左右に花菖蒲の花が拡がる。背景は湖水や木立で、雰囲気は大変いい。

歩道がやや広まったところには園内案内図が建てられていた。花菖蒲園は主にここから南へ拡がっているらしい。‥‥都の水産試験場の跡は金魚展示場やらハス池やらになってるのか。

園内案内図には公園周辺の案内も記載されている。‥‥池尻を右へ行き、景観水路に沿って歩いてくると、この近辺に出てくるようだ。「水元公園」停留所から真っ直ぐ菖蒲池を目指すなら、その方が 1/3 ほど近道になるらしい。一方、水元公園の gate を目指す場合は、一つ先の「水元中学校」で降りたほうが微妙に近いらしい。内溜に沿って突き出た先っぽに接しているからとはいえ、水元公園本体に access するには、「水元公園」停留所は実に中途半端な場所にあることがわかる。‥‥もっとも、公園自体がここから北と東へかなり細長く広がっているので、そのうちのどこに行きたいかによって近い停留所も全く違う*6のだが‥‥。もし全域を廻りたいなら、もはや自転車でもないと非現実的だろう。レンタサイクルがあると便利なんだが、「水元公園」停留所近くでやらんかな?

水元公園 水元公園 水元大橋を背に ともあれ、花菖蒲を見て歩くことにする。会場はここから南へ拡がっているようなので、まずは外溜に近い通路からやや北上して水元大橋の袂まで行き、そこから今度は小合溜沿いに南に下って元の場所へ。次に睡蓮池の西を通って南へ下り、さらに南東側の一番大きな area へ。

北側の一帯は、広い園地を活用して敢えて密植していないように見えた。とくに水元大橋の南詰附近では菖蒲田とその周辺の境界が曖昧で、菖蒲田の中自体も緑が繁っており、背後に控える湖水も相まってまるで水郷地帯に自生しているかのような趣き。

一方、睡蓮池の南東側は結構な密度で花菖蒲が植えられ、園地の広さから、北側とは逆に広々とした園内一杯に生い茂っているように見える。睡蓮池の南東に隣接した最大の池には木道も設置され、間近で花を見ることができる。木道周辺には堀切菖蒲園のように銘入りの株も植えられていた。

広い園内だけに、うろうろ歩きまわっているうちにいつの間にか 16 時近く。日差しに薄く雲がかかっているので、この時間なのにもう夕暮れが近づいて日差しが黄味を帯びてきた。歩き疲れても来たので、そろそろ退散することにする。ちなみに、睡蓮池の蓮の花はまだ咲いていなかったが、もうすぐ咲きそうな程につぼみが膨らんでいて(実際ごく一部は既に咲いていた)、池は白い玉をちりばめたようになっていた。あと、園内には鳩がたくさん落ちていた。

花菖蒲が植えられた一帯の南端からは、「水元公園」停留所まで戻るより、一つ駅寄りの「しばられ地蔵」停留所のほうが近い。せっかくなので、そちらへ行ってみることにする。

この辺りの園地は道路と柵で仕切られているので、近くの出口へ向かう。「しばられ地蔵」への案内看板に従って歩くとすぐに堤上の車道に上がる階段があったので、それを登って車道を渡る。向かいに堤から降りる道路があったので、そちらへ歩いていく。すぐにお寺の壁が目に入るが、でっかな看板が出ているのでそれが「しばられ地蔵」のあるお寺だということがわかる。

お寺の壁を左に見つつ真っ直ぐ進む。しばらく行くと十字路に突き当たるが、そこを左へ。すぐにお寺の門前に到着。このお寺は「業平山南蔵院」というのだが、門の右に建てられた由来の案内板を読むと、元は今の吾妻橋 3 丁目にあったのだという。然も有りなん。江戸時代からの名所だとのことだが、当時は吾妻橋にあったとなれば納得もいく。‥‥そういえば、「本所工業高校」も水元公園停留所近くに移転してきてるが、「本所」の名に反して東京の端にある*7とは、ちょっと紛らわしすぎるよな‥‥。

水元公園 このあとの予定もあるので、境内には入らずに停留所へ。門の正面の道を南へ向かう。‥‥岩槻街道へと向かう途中にある十字路の角に、そこに立つアパートの敷地へめり込むようにしてお寺の石柱が建っていた。まるで開発の波にこの数 m 四方だけが抗っているかのよう。「周囲を建物に囲まれてしまった一里塚」のような風情だ。昔はこの辺りに山門があったのだろうか。

さらに直進すると、左手に「東水元公園」が現われた。といってもこちらは普通の街中の公園だが、木立の日陰にベンチがあるので、bus を待つ間そちらで一休み。公園の一角には「縛られ地蔵尊入口」の石碑が建っている。‥‥公園の角に面した信号のところにもでっかな案内看板があるし、その数 m 向こうには「しばられ地蔵」停留所があるので、目立つことだけは間違いないのだが‥‥案内表示がびみょーな感じで、わかりやすいんだかわかりづらいんだか。

*5: 停車可能な列車の長さ。駅によっては必ずしも有効長とホームの長さが一致しない場合もある。

*6: そのせいか、園内案内図には近隣の停留所の位置も記されているのだが‥‥見当違いの場所で降りてしまって這々の体でたどり着いた果てにこの地図を見たら、どっと疲れが増すこと請け合い (__;。それだけこの公園は細長い。

*7: 小合溜の対岸は埼玉県三郷市。


花菖蒲(小岩菖蒲園) [ / まち]

最後の目的地である小岩菖蒲園(写真はこちら)への access を確認する。‥‥あと 25 分ほどで金町駅を経由して小岩駅まで行く最後の便が来る。それに乗って京成小岩駅から江戸川駅まで鉄道を利用するのが一番素直なんだろうが、歩いていっても 15 分ほどで着きそうだ。「柴又新道」停留所はおそらく蔵前橋通りの近くにあるだろうから、そこかもしくは一つ手前の「北小岩二丁目」で降りて街中を歩いても同じくらい。

方針が決まったし、通過予定時刻も近づいたので、停留所へ。‥‥あれ? 今走っていったのは金町駅行きだよな。とすると、前の便は 5 分以上の遅れですか? (-.-;

‥‥目当ての bus は 3 分ほど遅れてやってきた。乗り込んでみると、地元の人やら如何にも「菖蒲まつりに来ました」という感じの人やらで結構混んでいる。空がだんだんと曇ってきているので、切り上げて帰ろうという人が増えてきたのかもしれない。

8 分ほどで金町駅へ。一旦降車場でここまでのお客さんを降ろし、そのあと何食わぬ顔をして 1 番乗り場につけて、小岩駅行きに。

定刻に発車。京成金町線の線路に沿って南下していく。左手には金町浄水場。線路が右へ遠ざかって間もなく、柴又帝釈天の参道を横切る。

しばらく走ると前方に高架線路が見えてきて、新柴又駅(北総鉄道)に着く。‥‥意外に近いといえば近いが、やっぱりここを「柴又」と呼ぶのは違和感があるなぁ‥‥。

さらにしばらく行くと、京成本線の踏切に行き当たった。左奥に京成小岩駅がある。踏切の手前までは商店が散在するものの緑の多い住宅街の風情だったが、踏切を渡ると一気に中層の耐火建築が立ち並び、「商店街」へと変貌する。踏切の前後でこれだけ街の雰囲気が変わるのも珍しい。京成小岩よりはやはり総武線の小岩のほうが栄えている印象があるので、京成線の線路がその町並みの外壁のような形になっているのだろうか。開発の波をせき止めてしまったともいえるが、逆に北側の落ち着いた町並みを守っていると考えることもできる。

狭い商店街をぬるぬると進んだ bus は、やがて「北小岩二丁目」停留所に到着。そのまま bus の進行方向(南側)に歩き、目前の信号を左に折れる。周辺は完全に住宅街。その割に車は結構多いし、歩道も狭い。それでもさらに数分歩くと車も歩行者も減り、歩道も段差がなくなってガードレールだけになった。京成線の線路の北側ほどの緑はないが、閑静な住宅街が拡がる。

静かな住宅街の中をひたすら歩く。途中で左に二股がある五差路に差し掛かるが、路上に書かれた点線に沿って道なりに右前方へ。左から京成本線が近づいてきて、途中から江戸川駅に繋がる高架へと駈け上がっていった。歩いているうちにポツポツと弱い雨が降ってきたが、すぐに止んでしまった。しかし、空は相変わらず暗い。

Bus を降りてから 10 分ほどで、T 字路に突き当たる。それを左に折れると、20m ほど先に京成のガードが見える。ガード手前に信号があるのでそれを渡り、ガードは潜らずに高架線路沿いの小道へ。

さらに数分歩くと、高架下に入ったスーパー「リブレ京成」の店先に行き当たる。一旦店舗の入口前まで踏み込み、建物の壁に沿って右へ。右側から現われた道に入ってさらに線路沿いに進むと、すぐに「江戸川」駅。

改札前に小岩菖蒲園への道順が掲示されていたので、確認する。‥‥改札から右へ線路沿いに回り込んだところらしい。

早速その方向へ‥‥ああ、土手を越える階段が見えた。どうもあの向こう側らしい。辺りには犬やら猫やらが落ちている。

土手に上がると、すぐ眼下に入口が見えた。‥‥といっても、手前寄りには広場があって、菖蒲田はその向こう側。どうも資料によって駅からの菖蒲園までの所要時間が「3 分」のものと「5 分」のものとがあると思ったら、このあたりの計りかたによるらしい。

とまれ、土手から降りる。手前の広場ではどこかの学校の部活と思しき集団が体操をしていた。その横を通って菖蒲園へ。広場にも所々花菖蒲が植えられていた。

小岩菖蒲園 小岩菖蒲園 小岩菖蒲園 小岩菖蒲園 小岩菖蒲園は堀切菖蒲園や水元公園よりも遥かに高密度に植えられていた。園内には結構幅の広い通路が巡らされているのだが、普通に立っていてもその通路が目に入らないほどの密集度。それだけに人工感も強く、また周囲に全く遮るものがないので背景には鉄橋やビルなどがそのまま目に入ってくる。もちろん右岸の土手を向けば土手しか目に入らないし、上流に向けば対岸の建物が目立ちにくい方向もあるが、やはり広々とした場所の割には妙な圧迫感がある。そのうえ、目の前の京成線ばかりでなく、少し離れた総武線からも引っ切り無しに鉄橋を通過する列車の轟音が聞こえてくるので、あまり落ち着いた雰囲気にはなりにくい。直前に行ったのが水元公園だったので、なおさらそう感じるのかもしれないが‥‥。

とはいえ、あまり広くない範囲にびっしりと花が咲いているさまは、まさに圧巻というほかない。迫力を感じたければ、今日廻った 3 箇所の中でもおそらく群を抜いているだろう。手前側は密植されているが、奥のほうに行くとやや間隔を空けて植えられている場所があり、他の菖蒲園のように銘入りの花が咲いていた。

一頻りうろうろ見て廻り、そろそろ引き上げようかという頃、小雨がやや強くなってきた。時刻もいい感じになってきたので、退散することにする。

しばし待ち、上野行きの上り普通列車に乗り込む。京成小岩で特急と Sky Linear の 2 本に抜かれ、もぞもぞと高砂へ。高砂では金町線からも上野行きが全く同時に入線してきた。同じホームの両側に行先・種別とも全く同じ営業列車が同時に入ってくるというのも、あまりない光景だよなー。

金町線からの列車を置き去りにして先発。青砥では同じホームの向かい側で待っていた始発の羽田空港行き特急に乗り込む。京急蒲田で三崎口行き特急に乗り換えて、客先へ。


花菖蒲(まとめ) []

そんなわけで、今回の写真はこちら。葛飾の花菖蒲の傾向と対策は‥‥

  • 水元公園がもっとも規模が大きく、かつ野趣も豊か。駅から遠いのが唯一の問題だが、金町駅北口から歩けない距離でもない。Bus で行く場合、菖蒲まつり会場へ直行するのであれば、停留所は「水元公園」より「しばられ地蔵」のほうが便利(しばられ地蔵のある南蔵院の裏へ回り込む)。
  • 駅からもっとも近いのは小岩菖蒲園。ただし、かなり密集して植えられているうえ、背景にはビルや鉄橋などの人工物が否応なく目に入り、また近在の鉄橋から引っ切り無しに轟音が聞こえてくるので、河川敷という広い空間でありながら野趣はあまりない。反面、狭い範囲にかなりの密度で植えられているので、迫力はかなりのもの。柵や門などはないので、見られる時間帯に制限がなく、「朝露に濡れる花菖蒲」を気軽に見ることができる(これは近在に住んでいるか足が確保できれば水元公園も同様)。最寄り駅の江戸川は優等列車が停車しないので注意。
  • 堀切菖蒲園は駅からもそれほど遠くなく、また周辺は昔ながらの商店が残っているため、街の風情を含めて楽しむことができる。周囲を住宅に囲まれ、綾瀬川の土手の上には首都高の高架もあり、また園内はきれいに整えられているので、野趣を楽しむというよりは美術館か見本市を見に行く感がある。逆に言うと、周囲の景観を別とすれば、花菖蒲を美しく見るための努力が払われているということもできる。入場は無料であるものの周辺とは柵と門で明確に仕切られているので、早朝や夕暮れなどは特別に開演時間が延長される日を除いて見ることはできない。小岩菖蒲園よりはかなり小さな規模だが近くの河川敷に密植された菖蒲田があるので、堀切菖蒲園で迫力に物足りなさを感じたり間近で花を見たいという向きにはそちらへも行ってみるとよい。都心方向から押上経由で行く場合は四ッ木で降りて歩いていったほうが早く着くでしょう。
  • 花が終わった花菖蒲の葉を風呂に入れても菖蒲湯にはなりません。
  • 家に帰るまでが花菖蒲鑑賞です。
  • おやつは 500 円まで。
  • バナナはおやつに入りません。

よる [日常]

成果物を先方に引き渡し、さらにもそもそと相談。

Simulation に 3 時間ほどかけ、log を取得。23 時過ぎに退散。

24 時頃都心に帰ってきてみれば、路面が濡れていた。どうも列車で移動している間に雨が通っていったらしい。地下鉄だと周辺の状況がわかんないんだよねー‥‥。

サドルも濡れ濡れなんだが、きこきこと帰宅。さすがに疲れて、そのままばたんきう。‥‥ああ、飯喰ってない‥‥まあいいか‥‥



2005/06/18 (土) 薄曇り時々晴 <どぜう>

ひる [日常]

‥‥ 13 時頃起きる。Mail を check すると、「昼前に電話する」という mail が。携帯を見ると‥‥うあ、着信履歴が‥‥。

慌てて電話をして、詳細を打ち合わせる。

さて、昼はわかきにでも行くか‥‥と出掛けたのだが、ぎりぎり out。なれば Checken Place へ‥‥あう、こっちも間に合わなかった‥‥。


浅草橋・サッポロラーメン「天竜」 [みせ]

醤油チャーシュー 外観 仕方なく駅前のほうへ流れていく。‥‥ああ、ここは前から気になってたんだよな‥‥と、浅草橋駅西口近くの「天竜」へ。札幌ラーメンの店なんだが、芳しいトンコツの匂いに呼ばれつつ、なかなか timing が合わなかったのだ。

店内は土曜の昼下がりにも関わらず結構混んでいる。Counter 席があいていたので、店内へ。なんとなく醤油チャーシュー(¥1,000-.)を頼んでみる。出てきたのは‥‥これ、大盛じゃないよね?! (^^;

Soup は結構こってり。かといって背脂を浮かせているわけではない。チャーシューはというと、soup に沈んでいてあまり目立たないのだが、引き上げてみると厚みが 10mm 前後ある。かといってパサパサしているわけでもなく、ジューシー。店頭に出ている看板ではチャーシューにも自信があるようだったが、然も有りなん。

結構空腹だったのに、喰い終わってみればたらふく (^^;。小食の人だと 2 人で 1 杯でも多いかも。味もいいし、大満足であった。醤油の他には味噌と塩バターがあり、またチャーシューメンでない普通のラーメンは 600 円。平日でもあまり遅くまでは開いていないが、土曜は 1100〜1500 だけの営業らしいので要注意。今度は塩バターを喰ってみようかな。


あやしいいべんと [日常 / みせ]

すっかり満腹になり、そのまま鍼を受けに「森の治療院」へ。‥‥ほんとはあんまり満腹の状態で行っちゃいけないんだけどねー(爆)

‥‥今日はいつにも増して混んでいる。いつもだとあまりそんなことはないんだが、今日は鍼を施術できる人が軒並施術に入ってしまっているようで、「1630 時からでよろしければ‥‥」。まあ、多分いい感じだろう、ということで、予約しておく。

幸か不幸か時間ができてしまったので、一路アキバへ。ちょうど 15 時からあやしいいべんとをやるそうなので。

‥‥というわけで、ツクモ eX. へ。Athlon64 X2 の発売記念 event なわけで。まあ「event」つーても PR を聞きながら enquite に答え、終了後にそれと引き換えに記念品と割引 coupon をもらうだけ(^^;

ともあれ、変なガイジン(← 事実誤認)のアヤシイ日本語(← これは事実 (^^;)で PR を聞く。‥‥ははぁ、日本 AMD の社長って、こんな人なのか。しかしあれだな、以前よりもかなり知名度が上がってきているとはいえ、やっぱり Intel に対する闘志は大変なものだな。何とか AMD の processor を使ってもらいたいという気迫が伝わってくる。がんばってください。‥‥いや、ほんとに応援してるんだってば。AMD 派(というか anti Intel)としては!! :-D

さて、無事に割引券ももらった*1んだが、いかんせん Athlon64 X2 は高すぎて手が出ない。一方の Athlon64 もおいそれと出が出せるほど安くはなってない。一番遅い 3000+ で辛うじて 17k ほどだが、他は 20k を越えるし‥‥。先日 Socket939 初?の MicroATX M/B も発売されたのでちょっと呼ばれてるんだが、ATI の chipset ってのがかなりびみょー(特に S-ATA 廻り)。‥‥結局、今日は見送り。だって、「ticket で 10% 引だから」と慌てて買わなくても、いざ実際に必要になった頃には実売価格自体がそのくらい下がってそうだもんな‥‥。

さらに 1F の商品も割引対象だったんだが‥‥ DIMM の買い置きをする必要もないし、drive も充足してるし、media は欲しいものが売り切れだった。いい店でした!

‥‥というわけで、時間になったこともあって、すごすご退散。ちなみに、やっぱりぐっと来る case はなかった。唯一、AOpen H360 の write type が気になってるんだが‥‥FDD 部の蓋が外せるなら、そこをとっぱらって別の板で塞ぎつつ液晶 panel をつけるといい感じ風味。うぐぐぐ‥‥。あ、そういえば MicroATX case が 1 つ余ってるんだっけ(爆)。

*1: ちなみに、いつものように「先着 100 名様」とは言っていたものの、やっぱりこれもまたいつものようにあまりまくって event に参加していない人にも配りまくっていた。さすがに記念品は蒔いてないようだったが‥‥。ついでに書いておくと、この「記念品」、AMD の販促グッズのようで、3F で AMD 関連製品を買うと希望すればもらえます。


ゆうがた [日常]

所定時刻より 5 分ほど遅れて、「森の治療院」へ。前が塞がってるときはたいがい若干遅れるもんだが、この時もやっぱり前のお客さんが終わってなかったので、着替えをしつつ数分待つ。

‥‥施術を受けてる間に、くれはさんから電話が。今解放されたらしい。これからこちらに向かうと、ちょうどこちらも終わって戻る頃だろう。

続きが終わって、家に戻る。蔵前橋を渡り、あと数分で到着というところで、くれはさんから「着いたよー」と電話が。


どぜう [日常 / みせ]

帰り着いてみれば、マンションの前にくれはさんの車が。駐輪場に自転車を押し込み、早速店へ向かう。

駒形橋を渡って台東区へ。一旦江戸通りを越え、1 本先の路地を入る。江戸通り沿いには駐車場がほとんどないが、カーナビによればこの路地沿いには結構ありそうだったからだ。

路地に入ってすぐ、空きを見つけた。スコンと駐車。ここからなら店へも割と近い。日本信号の管理装置萌え。

さて、店に近づいてみれば‥‥なんですかこの馬鹿でっかい建物は‥‥実はここに来るのは十年ぶりくらいだったのだが、すっかり店からの視界が遮られてしまったのね‥‥。バンダイの本社ビルが新しくなったのは知っていたが、よりにもよってここだったとは‥‥。ちなみに、「店の正面にバンダイ本社ビルが立ちはだかってる‥‥ ;_;」とガックリ来ていた横で、くれはさんは「その向かいにはバンプレストが‥‥ w」とおおウケ (^^;

‥‥というわけで、今日は「駒形どぜう」にお邪魔しました! :-D 店頭には十数人ほどのお客さんがベンチに座って順番待ち。どんくらいかかるのかな? と思い、queue を管理してたおっちゃんに突撃いんたびゅー。

「今、どのくらい待ってます?」
「んー、こんくらいだけど」

廻りを見回しつつこう言われてしまった。‥‥「時間」を訊こうと思ったんだけどな (^^;。するとおっちゃん、困っていた顔を見てピンと来たらしく、

「‥‥ん〜、だいたい 10 分から 15 分くらいかな〜」

そのくらいだったら待つサー。早速 queue に。

「じゃあ、お願いします。2 人なんですが」
「あい、2 名様。お名前は?」
「ゴタンダと申します」
「‥‥えーっと、『五反田』さん。‥‥『これ』じゃないよね?」(と書いた名前を見せる)
「ああ、『それ』っす」
「おお、『これ』でいいの! ‥‥『これ』なんつっちゃって、失礼しました f(^^;
「あははー (^^)

そんなわけで、座って待機。辺りはだんだんと薄暗くなってきた。その間に inkjet printer の品定めをしてみたり。「(印刷出力が)水濡れに強いもの」をいうのが希望らしいんだが‥‥今は顔料系 ink を使ってるのってあんまりないんだね。まあ、全体として高解像度や「写真画質」を追求する方向に走ってるから、どうしても粒子を細かくできる線量計に片寄ってくのも頷けることではあるんだが‥‥。置き換え元が「マイクロドライ」となると、相当するものはねぇ (^^;。むしろ誰か ink と set で引き取る人はおらんかね? まだ動くらしいんだが。

やがて名前を呼ばれたので、店内へ。入口のところで、

「はい、2 名様、お二階へどうぞ‥‥おお、さっきのお兄ちゃん。どうぞどうぞ (^^)

とおっちゃんに送り出されてみたり (^^;

それにしても、店内の佇まいは以前と全然変わってなくて、ほっとする。もう外は暗くなってきてるので、視界に立ち塞がるビルもそんなに気にならないし。(爆)

くれはさんは柳川定食、私は昔と同じく鍋定食。それに単品で蒲焼と「鯨の竜田揚げ」を頼む。

料理を待ったりつついたりしながら会話で盛り上がる。あまりにも盛り上がりすぎて、写真を撮るのすら忘れてみたり (^^;

しばし盛り上がったのち、退散することに。ちなみにここの会計手続き (^^; は昔の通りだった。


うろうろ [日常]

帰るにはちょっと早すぎるらしいので、錦糸町に printer でも見に行って、そのあとお茶でもするか‥‥ということに。

車を出し、路地から春日通りに抜けて、一路東へ。‥‥大横川を越えようかという頃、

「ここって、押上、近い?」
「割とこー、目と鼻の先」

なんでも、以前に友だちを送ってきたことがあるので、なんとなく雰囲気的に見覚えがあるらしい。

「でも、道も真っ直ぐだし、何かさっきっから景色が変わんないんだけど。どこにいるのか全然わかんない (-.-;
「そのかわりあれだよ、『何本目の通りをどっちに曲がって‥‥』で話が通じるのは、北海道を除けば京都とこの界隈だけだよ」
「‥‥あ〜、そうか‥‥」

何か、以前に増田さまとも同じ会話をしたような (^^;。実際、慣れるとかえって楽なんだけど、特徴的な建物や線形なんかで現在位置を把握する癖がある人(地図が読める人はたいがいそうかも)は「ここどこー T_T」な状態に陥りやすいだろうなぁ (^^;

そうこうしているうちに、「某所の下見をしたい」ということになり、目的地を変更。この位置からだと明治通りに抜けた方が良さそうだな‥‥じゃあ、君に「春日通りのなれの果て」を見せてあげよう!ちうわけで、そのまま東に向かうことに。

「あー、そろそろ左の車線に寄っておいてね」
「‥‥って、なんか、全然車がいないんだけど! (-.-;

ふっふっふ。この辺りは 20 時を過ぎたらもはや深夜なのだよ(← ほぼ事実)。ちなみに、この時点で 2010 時頃。土曜とはいえ、横川附近の春日通りで、信号待ちをしてる車は他になし。都心を嘗めてはいけない(爆)

「<都道の>春日通りの終点」「<区道の>春日通りの終点」と通過し、オリンピック墨田文花店の前を通って、明治通りへ。さらに北上して、水戸街道に入る。

某所を現認し、建物をしげしげ眺めたあと、また都心へ。‥‥まだちょっと早いとのことで、京葉道路沿いの Jonathan's に吸い込まれて、お茶。‥‥話で盛り上がっているうちに、いつの間にか明け方ですよ!(爆)

「夜明けの晩御飯」(爆)を喰い、家の前まで送ってもらって、解散。その途中もくれはさんは「‥‥なんか、路駐が全然いないんだけど〜 (-.-;」とぼやいている。商店の車も居住者の車も車庫に入っちゃってるし、郊外と違って公共交通で来てもたいして不便じゃないからなぁ。日中は車で来るとかえって邪魔だったりするし (^^;

家に帰って、mail だけ処理して、寝る。



2005/06/19 (日) <篭もる日>

ゆうがた [日常]

‥‥ 13 時頃起きる。

そのあとはもぞもぞと仕事。

午後の「NHK ニュース」で「福知山線が今日の初電から運転再開」との報が。一方、夕方になって「JR おでかけ NEWS」の配信 system を介して『【お詫びとご報告】脱線事故についてのお詫びならびに運転再開についてのご報告について』という mail が配信されてきた。内容はここに掲出されている*1文章から「安全性向上計画」に関する記述を除いたもの*2とほぼ同じ。

それにしても、何だかなーと思ったのは、TV news の映像。初電を空撮で追っていたんだが、列車が例の curve を通過中、現場附近の curve の内側で線香花火のように「びかびかびかびかっ」と白い何かが散った。‥‥走ってる列車に発光すんな、ボケ。アキバのエロ看板撤去の件で取材に来たテレ朝関係者がタバコを吸ってて顰蹙を買ったり、ワイドショーは相変わらず傍若無人だし。自分達のやってることを冷静に振り返れ‥‥というのも昔から言われてることで、それも全く改善されないんだから、マスコミには「JR 西の体質」を批判する資格がないんじゃないか?

ところで、この日記を書いてて気が付いたんだが、web に掲載されている文面では犠牲者が 106 名となってるな。6/19 付となってるのに。ちなみに、6/1 に配信された mail では正しく「107 名」となってたし、6/19 付の mail では「多くの」という表現になっていた。文章を使い廻しているうちに正しい人数がわからなくなったのか?*3

*1: 6/28 現在。

*2: 「安全性向上計画」の提出に関しては別途 6/1 付で mail が配信された。

*3: この件に関しては、bugbird さんから「運転士を除いた数字では」とツッコミをいただいた。確かに発表された文章では「106 名のお客様」となっているので、表現上から数字はこれで正当ということになる。うっかりしてました。


しんや [日常]

‥‥ぐあ、『NNN ドキュメント '05』の録画を仕掛けるの、忘れてた‥‥。結局、ほとんど録りそびれ。今回は楽しみにしてたのにー (__;

しょんぼりしながら吉野家で牛焼肉定食。

帰ってから DV-HRD20 の状況を確認したところ、先週録り逃したと思っていたNHK アーカイブスが録れていたことが判明。DV-HRD20 は EPG からの予約に対して前後の margin を指定できないので、先々週の予約をかけるときに「繰り返し録画/毎週」に設定してあった*4のだった。瓢箪から駒。

それでもやっぱり今回の『NNN ドキュメント '05』を録り逃したのは痛い。再放送は NNN24 のみだが、契約していないので見られない。

がっくししながら 29 時頃寝る。

*4: 民放だと、前は digital 放送特有の遅延(映像・音声が 2 秒程度遅れる)によって辛うじて余裕が出るし(実はこれとても D-VHS に move することを考えると全く足りない)、後ろは次の番組が始まるまでに CM が入るので大抵大丈夫だが、NHK の番組はピッタリ始まってピッタリ終わるものがあるので、「繰り返し録画」に設定の上で前後に 1 分ずつ拡げておかないと、頭はともかく尻が切れてしまう。



2005/06/20 (月) <ぐったり>

あさ [日常]

8 時頃起きる。

0845 時頃出発。いつもの弁当屋に寄ったら 2 個入りのおにぎりがあったので、買い込む。ついでに近くの自販機でお茶を。

所定の列車で客先へ。車内でもふもふ。

午前中は会議。ふにふに。


ひる [日常]

元相方さん一味(爆)と社食へ。

‥‥社食で 1k 円越えの偉業を達成。食い過ぎです > 俺


ごご〜よる [日常]

もぞもぞと F/W の code を調整する。ついでに、それまで log のより分けに grep を使っていたので、実験的にその代替品を作ってみたり。

で、log の取り直し実験。‥‥実は grep のほうが早かった。入出力のところで手抜きをしたのが悪かったらしい。あと、これ以上ないほど simple な正規表現で行を切り出していたので、わざわざ専用の code を起こさんでも元々それなりに速かったらしい。というわけで、書いた code は封印。

改めて log を取る。‥‥余分な message 出力があったのを削除したので少しは速くなることを期待してたんだけど、17 時頃から取り初めて 1.5H 経過しても一向に終わる気配はない。ぐぅ‥‥。とにかくこれを持って帰らないと 1mm も作業が進まないので、終わるまではひたすら待ち惚け。


新ダイヤは本当に「安全性を確保」してくれたのか(福知山線事故) [災害]

暇なのでうろうろと檻の中の熊になっていたら、たまたま用事で我々の floor に来ていた某部長どのに声をかけられた。

「あー、何か、あの事故で止まってたとこ、近々運転再開するらしいじゃないですか」
「ああ、もう昨日の初電から再開しましたね」
「あ、もう動いたんですか」
「ええ」
「おめでとうございます。よかったじゃないですか」
「‥‥あんまりよくはないですねー。状況はあまりよくなってないので」
「なんかあれでしょ? 装置を新しくしたとか」
「『ATS』でしょ? いや、それも問題なんですよ」
「え、なんで?」
「確かにそれで速度超過はできなくなったんですが、その一方で『ダイヤも余裕のあるものに見直した』って言ってるでしょ? ここが曲者なんですよ」
「ええ、言ってましたねぇ」
「確かに運転時分は長くなりましたけど、報道で伝えられた JR 西日本の説明だけから判断すれば、その所要時間の増加は運転速度の低下によるものです。で、直線区間だけでも最高速度が据え置きであれば遅延が発生しても回復できるんですが、最高速度自体を落として、さらに ATS でガッチリ縛っちゃったでしょ。『停車時間を延ばした』と言ってるのも、元が短すぎたのを若干延ばしただけだから、そこで遅延を吸収できるほどじゃない。結局『余裕』はないままなんですよ。新 ATS の設置によってかえって運転士の裁量による回復運転を完全にできなくしてしまった分、速度超過による脱線は起きないでしょうけど、違う形で歪みが吹き出してくるんじゃないですかね」
「それは‥‥根本的な解決になってないってことじゃないですか」
「なってませんねぇ」
「‥‥だめじゃん。」
「駄目でしょう? だから、あんまりおめでたくないんですよ」

実際のところ、14 日の「JR 西が福知山線の新ダイヤを国交省に提出した」という news の中では、宝塚〜尼崎間について、「最高速度を、直線は 120km/h から 95km/h に、曲線は 70km/h から 60km/h に、それぞれ下げた」「停車時分は 5 〜 15 秒拡大された」とし、当該列車(ちなみに事故前の当該区間においてこの列車は最速列車だった)を例に出して以下のようにダイヤが変更されたと報じられていた。

  事故前事故後
列車番号5418M5818M*1
宝  塚090345090215
中 山 寺090700090530
090715090550
川西池田091025090905
091045090925
伊  丹091435091340
091450091400
猪 名 寺
塚  本
尼  崎092010092010

確かに所要時間は延びている。また、特に停車時分が短いと指摘された中山寺・伊丹の停車時間(赤い字の部分)を 15 秒から 20 秒に拡大している。「所要時間を延ばしました」「停車時間を延ばしました」というのは、決して嘘ではない。

しかし、所要時間の延びがそのまま運転のゆとりに結び付くかといえば、同時に最高速度も引き下げられているので、ゆとりがないのは相変わらずだ(「最高速度」ではなく「通常の運転速度」が引き下げられたのであれば余裕に結び付いたのだが)。また、一部で「尼崎では他線にギリギリの timing で接続しているため、『ここで延着するとその遅延が他の線区に伝播して責任が重くなる』という焦りが事故の遠因の一つでは」と指摘されていた件に関しては、尼崎の到着時刻に全く変化がなく、また接続相手となる東海道線についても早朝の 1 本を除いてダイヤに変更がないため、実はなにも事情は変わっていない。曲線だけでなく直線区間についてまでギッチリと縛りをつけてしまった結果、かえって回復運転が不可能なダイヤになってしまっているのだ。これで「改善」といえるのだろうか。

また、報道では「最高速度がどの区間について引き下げられたのか」を明言していなかったため「危険が予想される箇所全てだろう」という誤解を与える結果となっているのだが、発表された変更内容を見る限り、「実は危険箇所は他にもたくさんある」と指摘されていた場所を含め、他の線区ではほとんど全く手が入れられていない(福知山線との接続の関係でごく一部の関連列車に変更があった程度)。

結局、今回の「ダイヤ見直し」は、直接槍玉に挙げられていたところだけは安全側に倒したように見せ、それでも接続は確保したいので尼崎場面の時刻には変更がないようにし、その分の所要時間増は宝塚場面の発着時刻で辻褄を合わせて、それをもって「安全性に配慮してゆっくり運転するようにしましたよ」とお茶を濁したようにしか、私には見えない。

報道で問題になった後も依然として従前の「内勤教育」が行なわれていたことが明らかになったり、非番の社員が自動車の暴走行為で憂さを晴らしていたことが問題となったり(しかもそれは、事故後間もない、まさに JR 西全社が避難囂々だった頃だ)、本当にこの会社が「体質を変える」ことは可能なのか、甚だ疑問だ。

まあ、はっきり言ってしまえば、今の JR でそれなりの地位にいる社員は、その過程で職場内の人間関係が崩壊してしまった国鉄分割民営化における「勝ち組」だ。いくら世間から見ておかしいことでも、その組織内にあってはそれが当たり前のことであって、むしろ「正義」ですらあったろう。事故後の対応に関しては JR 西に対して同情できるところもないではないが、それとても被害者やその家族との communication すらまともに取れないことが原因だと言える。そうした現上層部のズレた対応や、井出相談役の「私のやってきたことは間違っていない」という何の反省もない態度やらどこまでも他人事としか捉えていない言動を見るにつけ、一度 JR 西そのものでも解体して「国鉄解体」の悪弊を払拭しない限り、あの会社の体質は変わらないんだろうな、と思う。

余談だが、私はこれでも JR 西(特に現場の社員)に対しては同情的で、海や束はもっと嫌い。九州はどうも「一般列車の指定席の好条件の場所*2を他社には売らせず独占する」という行為に出ているという情報があるので、もしそれが事実と確認した場合、二度と利用しなくなるかもしれない。北は‥‥〔北斗星〕が廃止されたら多分行かなくなるでしょう。新幹線なんていらねぇ。新幹線に乗らされるくらいなら飛行機で行くよ、私ゃ。

*1: 会社の方針で「事故を起こした当該列車番号は欠番とする」と決定されたのを受けて、この列車だけ元の列車番号に +400 された。

*2: 具体的には、〔ゆふいんの森〕号のうち前方展望のある「先頭車の前寄り」など。


よる [日常]

きっちり 2.5H かかって log 取り終了。ようやく 20 時頃に離脱。

晩飯をどうしようかと思っていたんだが、元相方さんが「大戸屋でも行きませんか」と声をかけてくれたので、ソリッドスクエアのそれへ吸い込まれてみる。あーだこーだと情報交換しながら飯。

22 時少し前に解散。特急で帰宅。

さすがに帰ってすぐばたんきう。



[後日へ続く]

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この日記は、GNSを使用して作成されています。作製者の GORRY さんに感謝 m(__)m