この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。
取扱上の注意
・ 唐突に通常に戻してみたりして。昨日までの分は適宜補完予定。
・ 11 時頃起きる。
・ 寝汗が酷いので、shower を浴びる。そのあと仕事。‥‥じわじわと汗が出てくる。
・ 外を出歩いたり自転車に乗ったりすると猛然と汗をかく時期になった。私にとっては「初夏」の到来。私は元々汗をかきやすい体質なので、大変汗くさくなる。そのうえ、全身へのステロイドの長期連用の副作用で、すぐに「すっぱい匂い」が発生してしまう。梅雨入りを前に、「春」の終わりを感じる。みんなが汗だくであるのが当たり前である「真夏」が到来するまでの間は、あまり人前に姿を見せにくくなった。
・ 汗をかくようになったことで、寝ているときに下側となる背中の汗疹が悪化しつつある。肩口や腰の辺りは自分で薬が塗れるからまだいいが、背中の中心附近は薬が塗れないので、基本的には悪化する一方。どうにもならない。
・ 16 時頃、いつもの弁当屋に弁当を買いに行き、家に持って帰って喰う。部屋を出ると、頭上は薄く曇っているだけだが、北の空が真っ暗。家に帰ってから東京アメッシュを見てみると‥‥東京都の北辺や世田谷附近で雷雨と見られる激しい雨が。16 時頃からは、笹目橋(荒川)附近で激しい降雨域が発生し続け、それが東北東に流れていっている。こわいよーこわいよー
・ 17 時からの「首都圏ネットワーク」では「いいとこみつけた」の corner で「下落合」。おとめ山公園を取り上げていた。懐かしい。ここは神田川北側の深い傾斜を利用して作られている公園で、新目白通りと目白通りの中間附近に位置しているため目白駅にも近く*1、10 年ほど前まで池袋に住んでいたときはしばしば散策に行ったものだ。
・ しかし、現在そのわき水を利用して螢の養殖をしているとは知らなかった。この公園は夜間は閉鎖されるのだが、年に一度、養殖に取り組んでいる方々の主催で観賞会が行なわれているらしい。今年は 7/10 とのこと。行ってみようかな‥‥。
・ ちなみに、「おとめ山公園」の数百 m 西には、「野鳥の森公園」がある。この辺りの崖上が目白の高級住宅街に繋がる屋敷町だということもあり、附近は緑の多いところなのだ。この辺りから江戸川橋にかけては起伏に富んで高台からの眺めもすばらしく、緑や庭園も多いので、散歩にうってつけ。強くお奨めする。
・ 私はかつて、雑司が谷に 2 年、西池袋(の南端)に足掛け 5 年、計 7 年弱に渡って住んでいた。この界隈の神田川と目白通りに挟まれた傾斜地には当然坂が多く、「坂」と名が付く階段もある。この地形や風景に親しんでいたことが、長崎のそれに親近感を覚える原因になっているんだろうか。
*1: 所在地は「下落合」だが、駅としては下落合より目白や高田馬場のほうがやや近い。
・ 「時間が空きそうだったら、火曜か木曜の夜に電話を」と声をかけてあった人から電話が来たので、出発準備。多分かかってくるだろうと思い、予め shower を浴び終わったところに電話がかかってきたので、まさにないすな timing と言えよう。つーか、ちょうど部屋に戻ったところに電話がかかってきたので、「見てたんですか」という感じ。‥‥もし本当に見えてたら、さぞかし(以下略)
・ 止みそうだと思っていた雨は、「非常に激しい」という地域が減った反面、広い範囲でそれなりの降りに。しくしくしく。一応降雨対応に装備を組み替え、発車。結構本格的に降っているし、荷物も抱えているので、ゆっくり走っていく。
・ ‥‥結局、通常の 1.5 倍の所要時間で現着。相手の到着を待ち、合流後、一旦荷物を置いてから食事に行く。‥‥片手で荷物をぶら下げつつ自転車に乗っていったので、腰の上部の筋肉と、荷物をぶら下げていた方の肩が痛い‥‥。左右の balance が崩れたまま運転してたからだな。
・ 食事の最中、外は猛烈な雨に。どうなることかと思っていたら、食事を終える頃には小雨に。すばらしい。
・ 食事後、荷物を引き渡して、退散。持っていった荷物は大変喜んでもらえたようだ。こうも喜んでもらえると、持っていった苦労も吹っ飛ぶねぇ (^^)。
・ 先ほどよりやや降りは強くなっていたものの、行きに較べれば雨はかなり弱い。しかも、荷物を抱えていないので、両手でしっかり運転できる。路面が濡れていて走行抵抗が少なく、軽快に走れることもあって、帰路は結構早く着いた。
・ それにしても、雨が降ってから気温が急激に下がり、上着を着ていても汗をかく量はかえって少ない。服も濡れたわけだが、極端に寒くはないので、自転車を運転していると割とちょうどいい。‥‥むー、確かに「汗をかくのがイヤ」とは書いたけどねぇ‥‥ (-_-;。
・ ちなみに、食事はお好み焼きを喰いに行ったのだが、table 裏からの輻射熱が濡れたズボンを暖めてくれて結構気持ちよかったり(爆)。
・ 3 月に発生した竹ノ塚駅構内の踏切事故の公判が始まった。事故当時に遮断機の開閉を担当していた係員は起訴事実を認め、泣きながら詫びの言葉を述べていたという。
・ 踏切警手に「過失」があったのは確かだろう。そこに一定の責任はある。給与をもらって従事していた「仕事」なのだから、それに応じた責任が発生するのは当然のことだ。しかし、被害者や遺族の方の怒りを買うことを承知で敢えて書くが、「2 名の犠牲者を出した」ことの責任を全て一警手に帰するのはいささか無理があるのではないか。自分でもピッタリした言い方があまり思いつかないのだが、「責任はあるが『罪』があったとまでは言えない」という感じか。
・ 現在、遮断機のある踏切はほとんどが自動化されている。機械によって自動化した方が管理が楽だし、経費も安くつくからだ。しかし、現状の遮断機は「一定の距離まで列車が接近したら遮断竿を下げる」というもの*2で、運転速度や停車時間など「融通を効かせる」ことはできないので、運転密度や運転速度が極めて高い箇所では、次々と列車がやってきたり、踏切手前で列車が停車してしまっているなどで、遮断竿が下がりっ放しになってしまう。いわゆる「開かずの踏切」だ。ほとんどの踏切が自動化されたにも関わらず、竹ノ塚(東武伊勢崎線)や南新宿(小田急小田原線)などいくつかの踏切が有人のまま残されているのは、手動で上げ下げすることによって「隙を突いて踏切を開ける」ことを期待したものであって、安全性を優先したものではない。言ってみれば、「『絶対的な安全』を確保できる限界を越えて、必要最小限の安全を確保しつつ、ギリギリまで危険を犯す」ことが目的であり、一種の「必要悪」である。
・ この「綱渡り状態」を解決するには現状では 2 通りしかない。立体交差化して踏切を解消するか、自動化して「開かずの踏切」とするかだ(「列車本数を削減する」という解決策は非現実的すぎるのでここでは考えない)。しかし、何らかの理由によりそのどちらにもできないからこそ妥協策として「綱渡り」が行なわれているのであって、一歩間違えばこのような惨事が起こりうることは容易に予想がつく。逆に言えば、ほんの一歩足を踏み外してしまっただけだ。
・ 人間のやることには一定の割合で必ず間違いが発生する。それを補うために各種 system が存在し、事故を未然に防ぐようにする。たとえば、有人の踏切であれば、遮断竿を制御する人員とは別に、踏切で目視によって列車の接近や人車の通行を監視する人員を置くなどだ。そのような措置を取らず、遮断竿の操作員のみに全責任を負わせていたとすれば、それは system の欠陥であり、今回の事故を起こした係員は「たまたま事故を引き起こしてしまっただけ」と言えなくもない。System を整備するのは一警手ではなく会社の責任なので、当該係員や事故の被害者は「会社の経営方針の犠牲になった」と言える。
・ この事故に関して、当初は会社の責任を追求する動きも見られたが、その後その動きはすっかり鳴りを潜めている。事故の原因には根元的な部分で構造的な問題が横たわっており、事故の再発防止は「警手の教育強化」のみでは不可能だ。とりあえずの改善策として踏切附近に EV 付きの跨線橋を設置する予定だというが、これは根本的な解決にはならない。地元の町会を中心に高架化を求める動きもあるようで、併設されている電留線をどうするかという問題はあるものの、これも検討しなければならない選択肢の一つと言えるだろう。
・ 犠牲者のご冥福を改めてお祈りするとともに、この事故の責任追及が単なる「とかげの尻尾切り」になることなく、真に再発防止に結び付くことを心から願う。
*2:
以前から「接近する列車の種別や速度を判別して遮断竿を下げる timing を調節する」という遮断機を開発する必要性は叫ばれていたが、それが実用化されたという話は寡聞にして知らない。‥‥もしかすると既に存在するのかもしれないが、だとしたら遮断時間の長さが問題になっている中央線で実際に使われていてもおかしくない。
・ 新患受付が終了する頃合を見計らい、11 時直前に家を出る。少し雲が出てるが、とてもいい天気。その割に気温がそれほど高くないので、汗もそれほどかかないし。気候はすがすがしい。
・ ‥‥なんだか今日は耳鼻科も皮膚科も妙に空いている。いつもは耳鼻科の方が長くかかるし、皮膚科は「空いている」ということだったので耳鼻科を後廻しにしたら、なんと耳鼻科の方がさきに順番が廻ってきていた。
・ 皮膚科のほうは外用薬の使用頻度が低下してきているので(ステロイドがそれだけ強い薬だということ)、これまでにもらったものがまだ残っている。新規の投薬は見送り。漢方と保湿剤だけ処方してもらう。ステロイドで無理やり抑えつけている結果全体に皮膚の状態は良さげだが、やはり背中の中心のやや上方(肩胛骨の間からやや下にかけて)の状態が良くない。汗をかきやすい場所だということもあるからだが、
「やっぱりお薬を塗りにくいからですかね〜」
「そうなんですよねー。どうしても手が届きにくいので‥‥」
「ご家族の方‥‥あ、独り暮らしですか?」
「はい」
「あー。そうですかぁ。‥‥んー、困りましたねぇ」
結局、汗をかかなくなるまでは我慢するしかない、という当たり前の結論に。あー、面倒くさい身体だ。鬱陶しい。
・ 耳鼻科に行ったら既に順番が過ぎていたので、既に診察室の queue に入っている患者さんの次に見てもらうことに。
・ Code を書きながら 10 分ほど待っていると、順番が廻ってきた。こちらも点眼薬と点鼻薬は投薬打切り。そして、前回聞きそびれた allergen test(CAP-RAST)の結果の説明を受ける。
・ 総 IgE 値は 5332.0 IU/ml。一言で言えば「極めて異常な値。こんな値、近年見たことがない」だそうだ。報告書に記載された「基準値」は「< 366」。一般的な値を訊いてみると、
「僕(= 医師)なんかだと 30 台だし、健康な人は数十。成人の allergy 患者で 300〜500 程度。子供の急性患者でも 1000〜2000 くらい、酷くても 3000 台」
ちなみに、ある分類によると、「基準値 = 165 以下/軽度: 165〜400/中等度: 400〜1000/高度: 1000〜5000/著増: 5000 以上」だそうな。
・ 一方、特異的 IgE はというと、
検 査 項 目 | クラス | 測定値 | 判定 | |
h1 | ハウスダスト 1 | 5 | 54.70 | 陽性(強陽性) |
d1 | ヤケヒョウヒダニ | 4 | 47.01 | 陽性(中等度陽性) |
t17 | スギ | 6 | 129.1 | 陽性(強陽性) |
w1 | ブタクサ | 2 | 0.91 | 陽性 |
g3 | カモガヤ | 3 | 4.62 | 陽性(中等度陽性) |
t24 | ヒノキ | 3 | 12.10 | 陽性(中等度陽性) |
mx2 | カビ | 2 | 2.03 | 陽性 |
ex2 | 動物上皮 | 1 | 0.53 | 疑陽性(軽度陽性) |
ちなみにクラス判定の基準は‥‥
濃 度 | クラス | 判定 | ||
〜 | 0.34 | 0 | 陰性(正常) | |
0.35 | 〜 | 0.69 | 1 | 疑陽性(軽度陽性) |
0.70 | 〜 | 3.49 | 2 | 陽性 |
3.50 | 〜 | 17.49 | 3 | 陽性(中等度陽性) |
17.50 | 〜 | 49.99 | 4 | 陽性(中等度陽性) |
50.00 | 〜 | 99.99 | 5 | 陽性(強陽性) |
100.0 | 〜 | 6 | 陽性(強陽性) |
報告書には判定が棒 graph で載ってるんだが、スギなんか振り切れてるっちゅうねん。そりゃあ、花粉症も酷いわけだ。「検出されたアレルゲン群」という指標では、「イネ科花粉」「雑草花粉」「樹木花粉」「真菌」「ダニ」「室内塵」に mark が。あまりの結果につい訊き忘れたんだが、真菌で陽性ということは、やっぱり発酵食品は避けたほうがいいのかな? 以前は「アスピリン系の薬も避けるように」と言われたことすらあるんだが。
・ でまあ、所見はというと、
「うーん、見事ですね。春・夏・秋と花粉に反応が出てるので、春から秋までずっとですね。スギは強陽性だし。(ないのは)冬くらいかな? でもハウスダストやダニも当然のように出てるし、ハウスダストも強陽性なので、やっぱり 1 年中ですね」
・ 今後の対応については、
「特異的 IgE がこんな状態だし、総 IgE の値がこれだけ高いと、こっちのほうは一生付き合っていかないとダメですねぇ。‥‥とにかくもう一つの蓄膿症の治療を 2〜3 ヶ月続けて、また CT 撮ってみましょう」
と匙を投げられてみる。ぽいっ。
・ これで死ぬまで周囲に迷惑を撒き散らすことに太鼓判が押されたわけで。まあ、今更指標値が高いことが改めて確認されたからと言って、過去のステロイド長期連用の副作用によって汗ばむと悪臭を放つ体質にとうになってしまっているので、性格の面でも体質の面でも生きてる限り周囲に迷惑を及ぼすことに変わりはない。つーか今すぐ死ねよ > 俺。別に俺がおらんでも誰も困んないし。いるだけ迷惑。
・ 投薬がだいぶん減ったし検査もなかったので、今日の会計は両方合わせて 5k 円。
・ 肉でも喰わなきゃやってらんないので、病院内の restaurant でヒレカツ定食(¥840-)を喰う。ここのヒレカツは揚げたてが出てくる上に肉がとても柔らかい。C/P 比は上々。さすがに病院内だけあって終日禁煙だし。空いてたおかげで診察は 1230 時までに終わってしまったし、薬を受け取った時点でもまだ 13 時前だったので、わかきに行ってもよかったんだが、分煙されてないのでタバコの煙に直撃されることも非常に多く、さすがにこんな気分の時に行く気にはならない。
・ 喰い終わり、げっそりしながら自転車で駅へ向かい、泉岳寺で 2100 形使用の快特に乗り継いで客先へ。
・ ひたすら simulation を廻して log を取る。Code は診察や会計を待ってる間にとりあえず終わったので、廻してる間は暇を持て余してみたり。
・ ‥‥なんとなく見えてきたので、打ち合わさってみたり。とりあえず簡単な資料をもらえた。ん〜
・ 引き渡し用の資料を作る。作り終わってふと見ると相手は既に帰宅済。しくしくしく。
・ 「土曜の全館停電に備えて金曜の 1930 時頃までにコンセントを抜いておくように」というお達しがあったので(復電時に突入電流が原因で事故が発生するのを防止するためだろう)、念の為に抜いておく。
・ 21 時頃離脱。風が涼しい。汗ばまないので非常にありがたい。
・ 2115 発の青砥行快特で北上。
・ キコキコと帰宅。
「ねこーねこー」
「おまえは猫アレルギーなんだから触るのやめとけって」
「でもねこだよー」
‥‥を現実にやるのはあまりお奨めしません (__;。
・ ちなみに 1 週間くらい前の news で「今年の東京に置けるスギ花粉の飛散量は昨年比で 42 倍」とか言ってましたな。もちろん地域差もあって、発生源に近い八王子では実に 97 倍近かったとか。Back にはまるで山に霞がかかったかのように花粉が朦々と飛び散っている映像が。‥‥ぶるぶるぶる‥‥
・ うお、南新宿の踏切の手動扱いは廃止されてたのか。最近小田急って新宿から乗ってなかったから、知らなかったよ (__;。
・ アトピー性皮膚炎に関連し、私が今のような体質になってしまったのには、もちろん因果関係がある。
・ 私がアトピーを発症したのは中学に入ってから('82〜'83 頃)だ。小さな頃から汗疹がちだったが、小学生のころは薄着だったので問題になっていなかった。ところが中学になって制服を着るようになると、体調に合わせて服装を変えることができない。おそらくそれが原因で肘や膝などの裏に湿疹が出始めた。
・ 親の方針で、関節の裏の湿疹は「そのうち直る」と放置され、足の指の間にできた裂傷などは「水虫だ」と決めつけられて熱した酢に浸けられたり水虫薬を塗られたりした。当然のように湿疹は悪化し、裂傷は歩くと激痛が走るほどに激化。1 年も経った頃ようやく近所の皮膚科に連れていかれ、アトピー性皮膚炎と診断された。親が施した「治療」の内容を聞いた医師が激怒したのは言うまでもない。
・ もっとも、医師の対応も「しばらくすれば自然に治まるので、ステロイド剤で症状を抑えて様子を見る」というものだった。当時はまだ「成人性アトピー性皮膚炎」などという言葉は一般化しておらず、アトピー性皮膚炎と言えば小児の病気で、一定の時期が過ぎれば自然に治癒するもの‥‥というのが世間の常識だった。小児性のものは確かにそういう経過を辿るものが多かったようで(もちろん初期対応を誤って慢性化した事例もあったかもしれないが)、そのような症例ではステロイドを外用してとりあえず悪化を抑えてほとぼりが冷めるのを待つのも失策とは言えない。アトピー性皮膚炎は基本的な特性として「症状を発症」→「皮膚組織が傷付く」→「allergen が侵入しやすくなる」→「症状が悪化する」という悪循環を辿るからだ。一定の期間を乗りきれば自然に治癒するなら、悪循環を断ち切ってさえおけば、症状はいずれ寛解する。
・ しかし、「成人性」の場合は慢性化する。ステロイド剤を塗っていても、「一定の期間が経過すれば自然治癒する」ということがないため、一向に良くならない。そうこうしているうちに症状はやがて全身に及ぶ。私の場合は足の裏から頭皮に至るまで、まさに全身症状となった。頭皮からはフケのように皮膚が剥がれ落ち、足は湿潤*1によって靴下にいくつもの染みができて靴下を脱ぐときはいつも癒着した患部をバリバリと剥がす羽目になった。掌にもかなりの部分に湿潤が出ていたので、ものを持つときは指先で持たないとリンパ液でベタベタになった。
・ 今であれば、同じくステロイドを使用しても、同時に抗アレルギー剤などを服用することになる。アトピー症状をステロイドによって押さえ込み、とりあえず悪循環を断ち切りつつ内服薬で症状の発現を抑えれば、ステロイドを外用しなくてもしばらくはしのげる。皮膚の状態が健全ならそのぶん allergen が体内に入りにくいから、症状を起こしにくくなるのだ。しかし当時は「アトピーが慢性化する」という考え方は一般的でなかったので、ひたすらステロイドを塗り続けるだけだった。
・ ステロイドを長期間、それも全身に使っていれば、だんだん効かなくなってくる。本来副腎で生成される物質を体外から大量に投与し続けると、副腎の働きが低下してくるから*2だ。治療をステロイドのみに頼っている場合、使用するステロイドをより強いものにするしかない。しかし、その効き目も次第に落ちてくる。そうなるとさらに強いものに‥‥と、これも悪循環に陥ってしまう。当時もっとも強いと言われた*3「リンデロン V」(主要成分は吉草酸ベタメタゾン)に到達するまで長い時間は必要なかった。
・ ステロイドの主な薬効は「抗炎症作用」と「免疫抑制作用」だ。また、「炎症を起こしている皮膚に塗ると、新しい皮膚が盛り上がってくる」と言われる。はっきりとした根拠は知らないが、炎症が抑えられることによって組織の復元が促進されるためだろうか。ステロイドには毛細血管を拡張させる作用もあるので、それによって代謝が活発化するのかもしれない。実際、アトピー症状を起こした部分にステロイドを塗ると、新しい皮膚が盛り上がってきてピンク色になるのが判る*4。
・ しかしその一方で、「ステロイドを塗り続けると皮膚が薄くなる」とも言われる。これはステロイドの代表的な副作用だ。矛盾する話だが、ステロイドには皮膚細胞の造成が抑えられるという作用もあり、皮膚組織が新たに作られる pace が垢となって剥落する組織の量に追い付けなくなるためだ。結果として、血管が透けて見えやすくなるため「赤ら顔」になったり、弾力が失われて突っ張ったり皺が寄ったりする。また、これも矛盾する話だが、皮膚が異様に柔らかくなってブヨブヨしてくることもあり(表皮が極めて薄くなる一方で真皮の血管が拡張してむくむためだと思う)、こうなると簡単に傷がついてしまう。
・ 皮膚は体内に有害物質や細菌などの侵入を防ぐ防壁の役割をしている。皮膚が薄くなったり傷がついたりすると、こういった効果が失われ、allergen や病原体が侵入しやすくなってしまう。この状態になると、ステロイドの「抗炎症作用」や「免疫抑制作用」が逆効果となってしまい*5、感染症を起こしたり皮膚組織の崩壊がかえって進んでしまう。これが「ステロイド皮膚症」だ。一種の薬害とも言える。
・ 感染症の原因となるのは外部からやってくる病原体だけではない。人間の体には「常在菌」というものが存在している。「大腸菌」はその代表例だし、俗に言う「虫歯菌」もその一種だ。虫歯菌などは新生児には本来いないもので、親から口移しで食物を与えられたり、一旦親が口にした食物を与えられたりなどで、親から感染すると言われている。常在菌は一般に身体の各部分でコロニーを形成しており、一旦形成されたコロニーに他の菌が入り込むのは菌の強弱に関わらず困難とされる。そのため、新生児の口の中に他の菌のコロニーが定着するまで親から虫歯菌が感染するのを防げれば、「極めて虫歯になりにくい」身体になるという。虫歯の例に限らず、常在菌はより強い毒性を持つ病原菌の繁殖を抑制する働きを持っていると考えられる。
・ 一般に、人間の体にいる常在菌は(その場にある限りは)無害に近い。人体の免疫機能にたやすく負けてしまうからだ(そうでなければ健康を維持できていないはずなので、当たり前の話ではある)。しかし、HIV の感染によって AIDS を発症したり、体力が極端に低下して免疫機能が低下すると、無害だった常在菌が突然牙をむく。いわゆる「日和見感染症」だ。カリニ肺炎やカポジ肉腫などといった重篤なものだけではなく、中耳炎が悪化して緑色を帯びた膿が出ることは比較的容易に起きる(これは典型的な日和見感染菌である緑膿菌によるものだ)。
・ 外用ステロイドを長期連用していると、皮膚が薄くなったり傷がついたりして病原体が体内に侵入しやすくなる上、ステロイドの作用として免疫作用が抑制される。そうなると、常在菌が病原性を持ち始めたり、外部からやってきた病原菌による感染症が発生するようになる。皮膚にちょっと傷がつくだけで膿が出たり、湿潤を起こしている部分が化膿したり、とにかく皮膚が化膿しまくる(感染ではなく腐生している場合もあるが)。そこで次に投与されるのは、抗生物質入りのステロイド剤だ。私の場合は「リンデロン V」から「リンデロン VG」に切り替えられた。これは「リンデロン V」に硫酸ゲンタマイシンを配合したものだ。
・ ゲンタマイシンは非常に強い抗生物質で、特に緑膿菌に対して有効であるとされている。この投与によって弱い常在菌が払拭されてしまうと、そのあとには黄色ブドウ球菌のような強い菌が繁殖してコロニーを形成してしまう(皮膚に検出される黄色ブドウ球菌のうち 50% 以上がゲンタマイシンに耐性を持つそうだ)。リンデロン VG を使い初めてしばらくすると、膿の色が目立って黄色くなり、さらには怪我もしていないし(見た目では)汚れてもいないのに突然毛穴が膿むようになった。
・ 黄色ブドウ球菌も常在菌の一つで、その毒素(トキシン)は T 細胞を抗原非特異的に活性化させるという(「スーパー抗原」)。つまり、T 細胞の過剰な活性化によって発症するアトピーは、黄色ブドウ球菌の増殖によって悪化することになる。また、黄色ブドウ球菌は汗に含まれる老廃物を分解して「すっぱい匂い」を生成する。いわゆる「汗臭さ」や「蒸れたような臭い」だ。
・ ある調査によると、常在菌に占める黄色ブドウ球菌の割合が、正常な人では 17% であるのに対し、アトピー患者の病変部では 75% だという結果もあるらしい。この「アトピー患者」がステロイド皮膚症の既往歴を持っているかどうかは定かでないが、ともあれ私のからだの大部分が黄色ブドウ球菌のコロニーに覆われていると考えることは不自然ではない(peak 時には病変が全身にくまなく現われていたから)。少し汗をかいただけでも悪臭が出るのは当たり前すぎる話だ。
・ アトピー性皮膚炎は見た目にも汚らしい。湿潤が出ていればじゅくじゅくしていて生理的嫌悪感を呼ぶし、乾燥していれば垢が浮いているように見える。皮膚組織が崩壊すると毛根も一緒に壊れてしまうので、私は一時期頭髪が薄かったし、顔面の症状が酷かった時期には左の眉毛が半分ほどなかった。そのうえ汗臭さや湿潤によるリンパ液の悪臭まで加わると、まさに身の置き所がない。通りすがりの人から「くせえ」「きたねぇ」と言われても、甘んじて耐えるしかない。その言葉を吐いたオヤジの息がいくら臭かったとしてもだ。ある程度慣れてしまっているはずの自分でも気になり、実の親にさえ「臭い」「汚い」と言い続けられるような状況を、赤の他人が何とも思わないと考えるほうがどうかしている。たとえ相手が事情を知っていたとしても、それを理解するのは「理性」の部分であって、結局最後にものを言うのは「感情」だ。いまだに「『アトピー性皮膚炎』などと言っているのは単なる甘えやわがままだ」と言われることもある。実際のところ様々な症状のせいで健常者に較べて生産性は低いので、そう言いたくなるのも理解できる。周囲の暖かい理解によって生活が成り立っている私は、実に幸せだ。
・ その後の経緯も一応書いておこう。私は幸いステロイドをあまり熱心に塗っていなかったこともあって、大きなリバウンドもなしに亜鉛華軟膏と保湿剤による治療に切り替えてステロイド依存から脱却した。独り暮らしを初めてから症状が自然に落ち着いていったのも追い風になっている。よほど親と一緒に済んでいるときの環境(stress やタバコ。ちなみに、私の家族は私以外全員 heavy smoker だ)が悪影響を及ぼしていたのだろう。
・ その後、「特に酷いところだけを外用ステロイドで落ち着かせ、内服の抗アレルギー剤や抗ヒスタミン剤で症状を抑えつつ、「エンビロンクリーム」で皮膚を回復(スキンケア)する」という方針を取る医師(今は cream の発売元の代表取締役になっている)と出会った。この cream は「化粧品」であるため保険も効かず経済的にはかなり大きな負担だったが(なので万人に進めることはできない)、「皮膚に大量の栄養を直接与えて皮膚自体の回復力を高める」という触れ込み通り、劇的と言っていいほどの効果を得られた(なにしろ、傷口に塗ると、通常より遥かに早い pace で皮膚が復元していくほどだ)。現在ぱっと見には健常者と同じような状態にまで皮膚が回復しているが、これは一重にこの cream のおかげで、その医師にかからなくなったあとも cream だけは使っていた。
・ さらにその後、駒込(動坂下)にある別の医院で「抗アレルギー剤と抗ヒスタミン剤に漢方を併用する」という療法と出会い(ちなみにここで初めて認可後間もない「プロトピック軟膏」を処方された)、何種類か*6試す過程で自分の体に「補中益気湯(ホチュウエッキトウ)」が劇的な効果を示すことを知る(ちなみにアトピーに対してこれを処方することはあまりないようだ)。
・ Cream は動坂下の医院にかかり始めてからも併用していたが、「基剤以外は全て vitamin で、防腐剤も入っていない」という製品なので、すっかり黄色ブドウ球菌の菌叢に覆われた身体に塗れば、当然猛烈な臭いを発生する(cream そのものの臭いに腐敗臭が混じっているため大変臭う)。身体の抵抗力が落ちているときなどは、糜爛部や湿潤部で患部がまっ黄色になるほど菌が繁殖し、まるで寒天培地のようになっていた。そのため、経済的な理由もあって、数年継続したあと使用を中止。一方、動坂下の医院も、診療そのものは数分で終わるのに待ち時間が数日から丸 1 日におよび、さらには受付の対応が最低だったこともあって、数年で通うのを止めた。ここ 1 年ほどは治療らしい治療をしていなかったが、思い立って先月から同愛記念病院に皮膚科で受診、本来「積極的には使用していない」という漢方をお願いして処方してもらい、耳鼻科で花粉症や副鼻腔炎の治療のために処方されている抗アレルギー剤などと併用している。
・ 現在では、かつての「とりあえずステロイドで抑え込め」という方針がステロイドの副作用が社会問題になったことで見直され、ステロイドに代わる薬剤を使用したり、ステロイドを使用する場合でも医師がしっかり control するようになってきているので、私のように「『治療』によって症状が重篤化する」という事例は減っているだろう。ステロイドは短期間にしっかり管理して使えば非常に効果的な薬だ。また、花粉症などの蔓延によって allergy 性疾患そのものの認知度も格段に上がっている。そういった意味では患者を取り巻く環境が以前とは全くと言っていいほど変わってきているが、その一方で allergen は増加の一途を辿っている。一旦こうなってしまった私の体質はもはや死ぬまで変えようがないが、これからも発生し続けるだろう新たな患者が同じ道を歩まないことを願うばかりだ。
・ 余談だが、私の親は「民間療法」(特に金のかからないもの)が大好きで、医師の指示や本人の体感よりもどこかで聞き齧ってきたそういったものを絶対視し、それを私に強要した(「その方が医療費がかからないから」だというのが理由)。「民間療法」は allegry の多様性を無視して「これで必ず直る!」と主張しているものが多く、実際に私の症例ではどう考えてもかえって悪化するものも数多かった。それでも私の親は(私が 20 歳で家を飛び出して一人で生計を立てるまで)患者本人である私の意見を「子供は黙って親の言うことを聞いていればいいのだ」と歯牙にもかけなかったので、一度親が言い出したら、実際にそれを試してみせて症状が激化するのを見せつけなければならなかった(「皮膚病にいいから」と草津温泉に連れていかれ、「皮膚がヒリヒリする」と訴えたのも「それから良くなるんだ」と一蹴された挙げ句、全身の皮膚がボロボロになって 1 週間以上眠れなくなったことすらあった)。私が花粉症などに関する「民間療法」に嫌悪感を覚える原因はその辺りにあるのかもしれない。
*1: 皮膚がもろくなっていて、摩擦などによって表皮と真皮が簡単に分離してしまうので、あちこちに水泡ができる。そして、傷口や破れた水泡からリンパ液がじくじくと沁み出して(酷い場合は流れ出して)くることになる。この状態を「湿潤」という。
*2: 外部から大量にステロイドを投与すると、血中のステロイド濃度が上昇するため、「副腎皮質を刺激して副腎皮質ホルモンの産生を促すホルモン」(CRF や ACTH)の分泌が抑制される。そしてこの状態がある程度の期間継続すると、CRF や ACTH を生成する機能そのものが萎縮していく。すると、ACTH による刺激を受けなくなった副腎皮質そのものの機能も萎縮してくる(ステロイド依存症)。ステロイド剤の投与を中止しても一旦萎縮した機能はなかなか復旧しないので、長期連用ののちに突然ステロイドの使用を中止すると、消炎機能が働かないため症状が急激に悪化する。これが「リバウンド」と呼ばれている現象。
*3: ステロイド外用剤の強さはいくつかの段階に分類され、「リンデロン V」は「strong」とされている。もっとも弱いものは「weak」、これと「strong」の間には「mild」(または「medium」)が存在する。現在では「strong」よりもっと強い「very strong」「strongest」というステロイド剤が存在するため、「strong」でも「中程度」の強さでしかない。
*4: ステロイド剤の強さにも依るが、現在処方されている「マイザー軟膏」(ジフルプレドナート 0.05%、「very strong」)の場合、塗ってから数分で患部の色が変わってくる。
*5: 炎症を起こすのは本来身体が持っている防衛機能なので(免疫機能と深い関係がある)、炎症を抑えすぎたり免疫作用を抑えすぎたりすれば感染症に対抗できなくなる。
*6: 他に処方されたのは「荊芥連翹湯(ケイガイレンギョウトウ)」「三物黄ゴン湯(サンモツオウゴントウ/「ゴン」の字は草冠に「今」)「温経湯(ウンケイトウ)」「竜胆瀉肝湯(リュウタンシャカントウ)」「当帰四逆加呉茱萸生姜湯(トウキシギャク カ ゴシュユショウキョウトウ)」「温清飲(ウンセイイン)」などなど。これらの 1〜2 種ずつをしばらく飲み、身体の反応を見ていった。
・ アトピー性皮膚炎ネタついでに。
・ かつてステロイドの濫用が問題になったと同じように、最近は「プロトピック軟膏」(タクロリムス水和物 0.1%)の濫用が問題になってきているらしい。
・ 「プロトピック軟膏」はステロイド剤への忌避が進んだことに呼応して登場した比較的新しい薬剤だ。ステロイドと同じく免疫抑制作用があるが、ステロイドのそれが抗炎症作用によっているのに対し、タクロリムスは元々臓器移植の際の免疫抑制(経口投与)に使われていた純然たる「免疫抑制剤」で、allergy 反応を抑制する原理もステロイドとは異なる。
・ このプロトピック軟膏は「ステロイドほど急激な副作用がない」と鳴り物入りで登場した薬だが、免疫抑制作用はステロイドより強いと言われている。一見矛盾するようだが、一応根拠がある。それは、「ステロイドに較べ、タクロリムス水和物は分子量が大きいため、皮膚から吸収されにくい」というものだ。ステロイドに較べて血中濃度が一気に上がらないため、結果として「より mild」だという。実際、今回外用薬を処方されるにあたっても、「体のほうはプロトピックでは追い付かないので、強めのステロイドを使うように」と指示された一方、「顔面はプロトピックを使うように」と指示された。これは一般の体表面に較べて顔面や陰部の皮膚はステロイドの吸収性がいいからで、以前にステロイドのみで『治療』を受けていた際にも顔面用だけは弱いものを処方されていた。
・ 分子量が大きいことで効果が緩和されてはいるが、本来プロトピックは強力な薬だ。数年前に私が初めて処方されたときにはプロトピックはまだ「新薬」で、医師も maker もかなり慎重だった。注意事項はくどいほど説明されたし、maker 自身が作成した注意書も同封されていた。今回処方されるにあたっても、以前に使用していたため説明こそされなかったが、やはり注意書が同封されていた。この注意書には「発癌性が指摘されている」ことこそ明記されてはいないが、重篤な副作用が危惧されるような使い方にならないように留意する内容となっている(両者を較べてみたが、一部の文言に違いはあるものの、記載されている事項は同じ)。注記は筆者。
ちなみにこれらの注意事項は「できるだけ副作用の発現を避け、安全にご使用いただくため」のものだとしており、暗に副作用があることを示している。
・ 最近問題とされているのは、これらの注意事項の告知を十分行なわず、注意事項に該当するような場合でも安易に使用されていることのほか、注意書に従って使用した「臨床用量」でもリンパ腫は明らかに発生するということのようだ。実際、今回もむしろ顔面への使用を前提として処方されており、一般に「顔面は紫外線被曝を避けられないので使用は避けたほうがよい」とされているようなので、医師がこれらの留意点を十分把握していないということに尽きるのだろう。
・ アトピーのように根治が難しい病気の場合、普通は「特効薬」というものが存在せず(存在していたら「根治可能」になっていてもおかしくない)、どんな薬を使うにあたっても何らかの副作用を覚悟する必要がある。患者の側でも薬の使用法や特性を正しく理解して使わなければならない‥‥というのは簡単だし、実際に患者の側でもそう努めなければならないのは確かだが、人体のことはまだまだ未知であることが多く、よくも悪くも予想した通りの結果になるとは限らない。万一の事態に陥る可能性は常にある。それを覚悟した上で、効果も危険性も含めて、納得して使っていくしかないのだろう。「副作用のない薬」は厳密には存在せず、どこかで折り合いをつけなければならない。何かが発生したあとで「話が違う」と言い出したところで、結局困るのは自分自身だ。
・ Simulation を廻しながら日記を書いたりしてたら、いつの間にか 32 時過ぎ。
・ いつもの弁当屋で唐あげ弁当を買ってきて喰う。そして薬を飲む。花粉症の症状が治まっているということで、今回からセレスタミン(経口ステロイド薬)の処方が中止された。まだ以前にもらった残りが少しだけあるんだが、様子を見るために、残があるうちに服用も停止してみる。
・ 弁当を喰い終わったら 33 時直前になったので、銀行を廻って決裁関係を済ませる。
・ 帰ってきたら 33 時半。さすがに起きてから丸 24 時間近いので眠くなってきたし、おまけに頭が割れるように痛い。痛みの震源は後頭部と左副鼻腔のような感じ。激しい目眩もする。弁当を喰ってる間にも地震かと思って何度も動きを止めて確認してみたり。どうやら揺れてるのは自分だけっぽい(爆)
・
昨日の午前中に配達されて持ち戻りになっている荷物があるんだが、回収はあとにして、とにかく寝よう‥‥。ほんとは shower だけでも浴びたいんだが、その気力もない。
・ 結局 34 時頃寝て、18 時頃起きた。まだ偏頭痛が続いている。
・ 気温が上がったせいで、寝汗が酷い。Shower を浴びてみると、背中の中心(背骨沿い)がぶつぶつと汗疹になっているのが判る。ちくちくと沁みて痛い。
・ 夜などは窓を開ければ涼しいのが判りきっているのだが、そうすると今度は周囲の家から流れてくるタバコの煙が流入して、息苦しくなったり気分が悪くなったりするだけでなく、全身が痒くなる。仕事部屋にはわざわざ吸気を清浄化する機能を持ったエアコンを付けたのだが(おかげで普通の倍もした)、それでもタバコの煙が入ってきている(鼻がおかしくなる上にてきめんに頭痛がしてくるので、すぐ判る)。春や秋は気候がよくて喫煙者が窓を解放するから、煙も外へ垂れ流しだ。「タバコを自由に吸う権利」を主張する立場からすれば、「そんなに煙がイヤなら、俺らが住まないような山の中か離島にでも住めばいい」ということなんだろう。
・ 私のように皮膚が過敏な人間にとって、タバコの煙は「天敵」と言える有害物質だ。有害物質は排出者に除去責任があるのが普通だが、タバコに関しては自宅であろうが路上であろうが一方的に被害を押し付けられる(千代田区や台東区の「路上禁煙」「歩きタバコ禁止」は既に有名無実化している)。駅構内などでは禁煙化が進んでいるが、鉄道でも個室寝台に乗れば他の個室からの煙で全身のアトピーが一気に悪化するし(「禁煙車」がない*1ため)、飲食店でもまともに分煙できているのは私の知る限り「TULLY'S COFFEE」くらいなものだ(完全禁煙の店を除く)。権利を主張するときには本来それと競合する権利も同時に尊重されるべきなのだが、実際のところ、一般的に「タバコの煙を吸わされずにすむ権利」は極めて弱い。なにしろ、「禁煙箇所」以外では、問答無用で煙を出されるからだ。
・ まあつまり、私のような人間はとっとと死ねと。
*1: 客車列車の個室寝台には設定がない。「個室だから」かもしれないが、実際には空調ダクトや扉のグリルからだだ漏れだし、「自分の個室が煙たくなるから」と扉を開けてタバコをふかす喫煙者もいて、タバコが嫌いな客は身の置き所がない。唯一〔サンライズ瀬戸〕〔サンライズ出雲〕だけは禁煙車の設定があり(各 7 輛中 6 輛が禁煙)、逆にこれは「サンライズエクスプレス」がもつ唯一の利点であると言える。
・ 持ち戻りになっていた荷物の再配達をお願いする。
・ 20 時頃電話をかけ、21 時頃無事に配達。ちなみに届いたのは espresso maker の TH010(デバイスタイル)。以前からずっと欲しかったんだが、月曜にヨドバシに行ったら「在庫限り」となっていたので、火曜に思わずポチッとしたもの。
・ ‥‥しまった、豆のグラインダーを買うのを忘れた。つーか、豆も在庫がありません(爆)。牛乳と一緒に、明日買いに行くか。
・ 以前錦糸町ヨドバシに実演で来ていた方によると、赤羽橋に専門店があるという。確かにうちからはお江戸線で一本だが、なかなか豆だけのためにそこまで行く気にはならない(廻りに何にもないところだし)。うちの近所でも売ってくれないかな。せっかく工場が両国にあると言うんだから(爆)。
・ とりあえず錦糸町の伊勢丹へ見に行ってみることにしよう。気が向けば、有楽町でケーキ分の補給をしながらキコキコ出掛けるかも。
・ ‥‥とか書いているうちに、咳が止まらなくなってきた。風邪っぽいわけではないし、埃によるものとも感じが違う。空調の吸気や通風口から流れ込んできている煙による可能性が高い。どこに住んでいようと、毎年この時期には同じ問題で悩まされる。今年もそろそろ窓や通気孔を閉めきって除湿運転を始めなければならない時期がやってきたらしい。
・ 腹が減ってキュルキュルと鳴る。仕方がないので飯を喰いに出る。漢陽楼別館が空いていたので蒜苗肉絲定食を頼む。喰おうとしたところで続々と客が入ってきて店内はもくもく。大急ぎで喰い終わって離脱したが、身体中がタバコ臭くなり、ヒリヒリする。
・
帰ってきてからも頭痛が酷い。風呂に入って寝るか‥‥。仕事は明日にしよう‥‥。
・ 19 時頃起き、shower を浴びて、買い物に出発。
・ 錦糸町駅北口駐輪場に突入。そのままアルカキット錦糸町 B1 のクイーンズ伊勢丹へ豆を見に行く。
・ Espresso machine の取説によると「アラビカ種を深入りした豆」を使うのが一般的、とある。で、そのアラビカ種を blend した豆は何種類かあり、「すっきりロースト」「とっておきロースト」「朝のロースト」などと銘打たれているが、どう違うのかは書かれていない。命名からして主に違うのは blend ではなく roast なのだろうとは思うのだが‥‥。
・ で、結局よく分からないので、とりあえず「とっておきロースト」を買ってみる。あと、牛乳を 1 pack。とりあえずこれで第 1 の目的と無料駐輪権を get*1。
・ 牛乳を暖めるための容器(500cc 程度入る、ステンレス製の計量 cup やピッチャーのようなもの)を探しに 7 階のダイソーへ。‥‥ Mug はあるが、計量 cup はプラ製しかなかった。とりあえず mug を買うことにし、ついでなので文房具も一緒に買う。ちなみにステンレスの cup を使うのは、steam によって牛乳を暖める際、どの程度暖まったかを外から cup に触って確かめるためなので、薄手のものが望ましい。とりあえず購入した mug cup はそういう点ではバッチリなんだが‥‥普通に mug cup として使おうと思ったら、熱が伝わりすぎて大変なんじゃなかろうか (-.-;。
・ さらに足を伸ばしてヨドバシへ。Espresso 用に細かく挽けるミルを購入。‥‥会計の時に事件発生。ゴールドポイントカードが使えません! 店員さん、panic。で、すっ飛んでいった店員さんに連れられてきた別の店員さん曰く、
「すみません、現在 system 障害が発生してまして、他の店舗さんでお作りいただいた card が使えなくなっておりまして‥‥ m(__;m」
ちなみに、私の card はまだ錦糸町に店舗がなかった頃の旧 design なので、見事に該当。
・ 「とりあえず新しい card を発行させていただきますので、今日の分はそちらに入れさせていただいて、後日 point を移し替えていただけますでしょうか‥‥」という。それは構わないのだが、新規発行の取扱いになるので、また連絡先を書かされる羽目に。なんだかなー‥‥ (-_-;。
「復旧の予定はあるんですか?」
「ないんです!(^^) ですので、新しい card を‥‥」
あのな、平身低頭しろとは言わないが、客に余計な手間かけさせてるんだから、そんなに元気よく、しかも嬉しそうに言うな (-_-#。
「他の店舗の card が使えないってことは、新しく作った card を他の店舗に持っていくと、やっぱり使えないんじゃないんですか?」
「いえ、それはないと聞いてるんですが‥‥」
答えが曖昧な上に、おかしな話だな。てことは、何らかの理由で旧 design の card を使用停止にしたってことか? で、新 card は発行替えではなくあくまで新規発行で(もし想像が事実だとすれば card そのものではなく会員番号が問題なのでそうなるのは当然と言えば当然)、しかも旧 card の登録情報に access できないので一切情報を引き継げない、と。
・ そんなこんなで、高々 2k 円のものを買うためにやたらと手間がかかったが、とにかく第 2 の目標達成。
・ あとはステンの cup だけ。この時間に家庭用品を売っているところとなると、リヴィン錦糸町くらいしかない。「調理器具」売り場に行ってみるが‥‥品揃えがえらく片寄っていて、計量 cup すらありゃしない。Cake などを焼く型はやたらとたくさんあるんだが‥‥ 500cc くらいの計量 cup って、そういうときに使わないのかなぁ?
・ ついでなので地下一階の食料品売り場の「北京反転」で見切り品の弁当を買い、すごすごと退散。半蔵門線の改札前を通り、アルカイーストの地下伝いに駐輪場へ。きこきこと帰宅。やっぱりハンズあたりに行かなきゃ駄目だな。城東地区にもハンズがあればいいんだけどねぇ‥‥。
・ 帰ってから、台所の流しに溜まっていた PET bottle を一気に洗う。‥‥ 30 分ほどかかって洗い終わったら、腰が痛くなった。相変わらず「動かずに立っている」のが一番きつい。歩いているとなんということはないし、かがんだりしててもここまで痛くはならない。しくしくしく。
・ TH010 を箱から出し、仮設置。「最初に使う前に、filter holder や蒸気噴出口に塗布してあるグリースを取り除け」と書いてあるので、作業を行なう。取説では中性洗剤を使うように書いてあるが、うちにはそんなものはないので(皮膚がボロボロになるので使い物にならない)、とろとろ石鹸風味のものを湯で溶かして液体状にしてあるものを使ってじゃぶじゃぶごしごし。
・ その後、取説の指示通り、豆を入れずに抽出操作と steam 出しを練習がてら何度も行なう。Steam の供給経路に付着していた埃が出つくすまで何度も繰り返し、さらに何回か繰り返して出てきた湯や蒸気にグリース臭がしないのを確認。
・ ここまでで腰が限界に。Bed に倒れ込み、眠くなるまで本を読んで過ごす。
・ ‥‥窓を開けておいてみたりするが、暑いこともあってなかなか寝付けない。結局寝付いたのは 29 時頃。
*1:
予め駐輪時に「買い物」である旨を言い、アルカキット錦糸町内の 1 店舗で 500 円以上の買い物をしてそのレシート(または領収証、credit card 利用票など)に stamp を押してもらうと、出庫時にその stamp を提示することで 1 回分の駐輪料金が無料になる。
・ 19 時頃、ようやく出発。外はかなり涼しい。むしろ肌寒いくらい。‥‥それでも歩いていると背中に汗をかく。袖をまくっているのにこれだ。
・ 森下経由で新宿三丁目へ。てくてく歩いてハンズへ向かう。この辺りの明治通りは歩道が狭くて歩きづらい。2 人も並べば一杯なのに、そこに並んで歩いているアホ(面白いことに女性同士が圧倒的に多い*1)が結構いるので、なおさら。13 号線の駅は JTB 前の交差点から南側(ちょうどタカシマヤタイムズスクエアの前あたりまで)にできる予定で、開業前でも工事が完了したらその通路だけ先に解放してもらえるとありがたいんだが無理だろうな‥‥。
・ 目的のものは無事に get。ついでなので、抽出時に使う容器を物色。実は、家にある mug cup は背が高すぎて TH010 の抽出口の下に入らなかったのだ。もちろんデミタスカップなんか持ってないし、飲むのは主に cafe latte なので、ちみちみ飲むことはないだろう (^^;。‥‥結局、ガラス製の急須を購入。これなら、割と何にでも使えそうなので。
・ さらについでにボロボロになったものの交換用にゴム板を購入し、他に金具類をざらざら買い込んで、離脱。
・ Deck を渡ってずるずる歩き、西口方面へ抜ける。‥‥あれ、サンルート東京って、営業を終了してたのか (__;。「設備の老朽化のため、建物を改築し、2007 年頃に営業再開」だそうな。開業は 78 年だというし、確かに外観も古さが目立つ。最近になって周辺に新しいビルがかなり増えたので、なおさらそう見えるのだろう。
・ なんとはなしにヨドバシでいろいろ物色したついでに、昨日の card の件を処理しておこうと思い、空いているレジへ行って「ポイントをまとめていただきたいんですが」というと‥‥なんですか、その紙は。
「ポイントを移動するための届け出になります」
また住所とか書かされるんか (-_-#。で、移し替えると旧い card は?
「廃止になりますので、回収させていただいて、廃棄することになります」
「それは困りますねぇ、この card を『ドット・コム』に登録してあるんで」
先日「ドット・コム」で購入した分の point が反映されたかどうか、まだ確認していない。通販では出荷後に point が付くので、その point が付く前に廃止してしまうと、1500 円強の point が無駄になる。
・ ついでなので、訊いてみよう。
「この card は新宿で作ったものなんですが、」
(Design を見て)「そうですね」
「昨日の夜、錦糸町で買い物をしたときに、『system 障害のために他店で作った card が使用できなくなっている』と言われたんですけど」
「あー、結構遅い時間ですよね。そうなんです」
「そのとき『復旧の予定はない』と言われたんですが、どうなんです?」
「あ、もう復旧しました」
「そうですか。じゃあ、今まで通り全店舗で使えるんですね?」
「はい、大丈夫です」
「ああ、わかりました。じゃあ、このままで」
一時的なものなら、昨日そういってくれればわざわざ余計な手間を書けずに済んだのに (-_-##。なんなんだ、この梅田店のようなムチャクチャな対応は。げっそりしながら離脱。
・ とぼとぼ歩いて玄々へ。‥‥ギリギリだったのだが、入れてもらえました (^^;。すき焼き御膳と salad を喰らう。満足満足 (^^)。そしてまた以下略 (^^;。今日は割と空いていて、あまり煙に巻かれませんでした! :-)
・ ホームで「蔵前と門仲に行くにはどっちに乗ればいいのか」ととほーに暮れていたお客さんに飯田橋廻りを案内したりしつつ(爆)、お江戸線で帰宅。
・ 「旅行中に撮った写真を見て『行った気』になりたい」という要望があったので (^^;、とりあえずこの間の GW 旅行の分を上げておいてみたり。全然整理してないんで、よくわかんないかもしれないけど。
*1: もちろん並んで歩いている couple もいるんだが、誰かが近づいているのに気付くと、男性が女性側に寄るか、男性が女性を引き寄せるかして、大抵片方に寄る。この傾向は escalator でも非常に多く見られる(今日のタカシマヤタイムズスクエアでもたくさん見られた)。なんというか、まあ。
・ 夜の news で、JR 西日本が来月 13 日からの運転再開を目指して明日(30 日)から現場の復旧作業を開始する、との報に接した。
・ この事故では、発生から約 15 時間後に辛うじて生存者として救出された女性が入院中の 30 日に亡くなったことで、犠牲者数は最終的に 107 名となって桜木町事故('51.4.24)を上回り、単独列車の事故としては八高線脱線事故('47.2.25)に次ぐ戦後最悪のものとなってしまった。犠牲となった方々のご冥福を改めてお祈りする。一方、事故発生から 1 ヶ月経った 5/25 現在、怪我人 549 人(男性 217 人/女性 332 人)のうち 139 人(同 50 人/89 人)が入院中で、そのうち男性 2 人と女性 4 人がいまだに重体であるという。これ以上亡くなる方が増えないよう切に願う。
・ そのような状況の下、国土交通省の特別査察でも運転再開への支持が得られたことから、JR 西は四十九日法要が終わり次第の運転再開を目指しているらしい。法要を「節目」と捉え、明日がその 2 週間前となることから、復旧作業を開始したいのだろう。
・ JR 西は事故後から「遺族・怪我人や現場のマンションの住人の理解が得られるまで運転は再開しない」としていた。しかし、25 日には事故現場で遺族が献花を行ない、マンションの管理組合も敷地内に献花台を設置したことから、「運転再開への理解は得られた」と判断したという。しかし、それらはあくまで犠牲者の追悼を行なったのであって、JR 西へ「事故を忘れるな」という message はあったにせよ、「運転再開を了承した」と捉えるのはいくらなんでも無理があるのではないか。
・ 福知山線の利用者からの「早期復旧」を望む声がある一方、阪急電鉄は従前よりの利用者から「混雑が酷い」という苦情が相次いで悲鳴を上げているという報道もあり、それらが福知山線の早期復旧を後押ししているのも事実だろう。しかし、事故を起こした当事者として、やはり事故によって生活を一変させられた方々への気遣いを蔑ろにするべきではない。公共交通機関であっても‥‥と言うより、公共交通機関であればこそ、その責任は重大で、自らの立場に関する傲りがあってはならない。
・ 運転再開へ向けての報に関して interview を受けたマンションの住人は、「利用者などの要望があるだろうから、JR 西が運転を再開したいのは理解できる。しかし、マンションの住人に対して一方的に『再開する』という紙を送りつけてくるのは話の筋が違う」というようなことを語っていた。事故の犠牲者や怪我人には定まった代表がいないようなので(事故の衝撃やこれからの生活などのこともあってそれどころでないという事情もあるだろう)、一軒一軒廻って賛同を得ることが大変であろうことは容易に予想がつく。しかし、現場のマンションに関しては代表者がはっきり決まっているのだから、打診することは非常に容易なはずだ。あいにく TV の報道では住民代表の発言をみることができなかったが、もし打診すら行なっていなかったとすれば、それはまさに「筋が違う」と言われても仕方のないことだろう。
・ JR 西の社長がマンションの住民へ直接謝罪したのは、事故から 1 ヶ月後の 25 日に現場の線路上に献花台を設置したその日であったという。住民は謝罪まで 1 ヶ月待たされ、その間 JR 西への不信感を露にしていた。その献花台設置ですら、JR 西が予定していた「合同慰霊祭」の開催を遺族に許してもらえなかった結果によるものだ。「当事者に慰霊してもらうことには抵抗がある」という遺族の反発には首をかしげるところもあるが(もし JR 西がその提案をしていなかったら「当事者なのに何の反省の動きもない」と批判が出ていたのではないかという気がする)、事故に対する気持ちの整理がまだついていないことに加え、会場の選定(遺体安置所となっていた尼崎市記念講演総合体育館を予定していた)や事故後の JR 西の対応にそれだけ遺族の不信感が強くなっていることの現われと考えることもできる。
・ 早期に運転を再開したいのも理解できるが、それであれば、JR 西はまずこれらの不信を取り去るべく最大限の努力をしなければならない。もしこのまま「運転再開を最優先している」という認識が強まれば、簡単には解決することのできない凝を残すことになるだろう。四十九日法要を「禊」と考えているなら、それは甘いと言わざるを得ない。「遺族に慰霊すらさせてもらえない」という現状を、もっと重大に捉えるべきだろう。
・ 事故の発生原因に関しては「JR 西の企業体質」が注目され、「信楽事故の教訓が全く生かされていない」という批判もある。しかし、事故後の遺族や被害者に対する対応に関しても、信楽事故の教訓が生かされていないように感じられる。結局、最後まで JR 西が主張したように「あの事故は信楽高原鐵道に全原因があり、JR 西はそのとばっちりを喰っただけの被害者」と考えていたのだろうか。だとすれば、それこそが JR 西の「企業体質」を如実に表わしていると言える。
・ 以下は余談。信楽高原鐵道列車正面衝突事故('91.5.14)では、「出発信号が停止を現示しているにも関わらず、特殊閉塞手続きも完了しないまま、信楽高原鐵道(SKR)が列車を無閉塞で発車させた」ことが直接の原因とされている。衝突を起こしたもう一方の列車は JR 西から乗り入れた臨時快速列車(キハ 58 系使用)で、運転士も JR 西の社員が直通で運転していたことから、遺族からは「JR で切符を買い、JR の列車に乗って死んだのに、JR に責任がないというのはおかしい」という批判もあるが(そしてこの発言は今回の事故に関していまだに報道で引用される)、残念ながらこれは少々ピント外れだ。列車が乗り入れた以上、その運行管理責任はあくまで SKR にあり、また乗務した JR 西の運転士は信号の現示*2に従っただけ*3で、運転士にも責任はない(信号の管理もまた SKR の責任)。むしろ JR 西が負うべき責任は他に明確にあって、一つは「SKR との間で列車無線の扱いを統一しなかったこと*4」、そして最大の問題は「『自社の都合のみを優先し、SKR の信号系統に重大な影響を与える改造(方向優先梃子の設置)を SKR に無断で行なった*5』ことにより、SKR の保安 system に重大な障害を発生させた*6こと」だ。「JR で切符を‥‥」というような批判は遺族の感情を如実に物語るだけに注目を集めやすいが、感情論であるのも確かで、それをことさらに取り上げることは真の事故原因(とそれを招いた企業体質)を隠してしまうことがあり、かえって危険だ。
*2: 「進行」(いわゆる「青信号」)を現示していたとされる。
*3: 道路に設置されている「交通信号機」とは異なり、鉄道の信号機は運転士に対する「命令」の意味合いが強い。「停止」(いわゆる「赤信号」)が現示されていれば止まらなければならないだけでなく、「進行」や「注意」(いわゆる「黄信号」)が現示されていれば、特に理由がない限り進まなければならない。交通信号機の灯火が「表示」されるのに対し、鉄道のそれが「現示」であるなど、用語にもその違いが現われている。
*4: 周波数が異なっていて、乗り入れ列車の運転士がいつもと異なる信号現示に疑念を感じても確認の手段がなかったという。ちなみに、事故が起きた信号場には「運転士呼出」という lamp(黄色回転灯)が設置されており、それが点灯している場合は列車を停止させてそこに設置された電話機で指令に連絡を取ることになっていたと言うが(事故時は点灯していたそうだ)、事故列車の運転士はそれを知らされていなかったという。
*5: 事故後の調査で、この「方向優先梃子」の操作によって、SKR 側の出発信号が「停止」に固着してしまっていたことが明らかとなっている。この梃子は JR からの乗り入れ列車を優先的に発車させるため「下り方向の信号を強制的に『進行』にする」というもので、さらに SKR には無断で設置されたため、事故当時やその数日前に信号固着が発生したときに SKR は原因を把握できなかった。
*6: SKR には信号系を管理する責任があると同時に「自社内の信号を管理する権利」もあったはずだが、JR 西は、それを一方的に、かつ無断で踏み躙ってしまった。これは当時「地域を牛耳る巨大企業としての傲り」と批判された。
・ 事故発生後、様々なことが報道された。直接の事故原因はいまだに特定されておらず*7、当該運転士が死亡していることもあってか、報道の中心は「JR 西日本の企業体質」に集中していったようだが、首をかしげたくなる報道が数多くあった。
・ ATS に関連する報道については、各鉄道会社毎に方式が違うと言っても過言ではないので理解が大変で、ある程度やむを得ない面もあるかと思う。詳細な内容については片桐氏などが既に論じているためここでは書かない。しかし、「現場に速照*8機能付きの ATS さえ設置されていれば絶対に事故は起きなかった」のかと言えば、やはり疑問が残る。福知山線事故の間接的原因として「余裕時分の無さ」が指摘されているが、それを「運転士を締め付けることによって無理やり cover する」という手法が取られている限り、「回復運転ができない」ことの歪みが別の形で事故を招いていた恐れがある。
・ 「都市の大動脈だと言うなら、新幹線並みに金をかけてしっかりとした信号 system を整備するべきだ」とする指摘も nonsense だ。新幹線は高速運転をする代わりに「駅間が長い」「最小曲線半径が(在来線と較べて)極めて大きい」「本線は全て立体交差で、軌道内への人車の出入りはないのが前提」という構造上の大きな違い*9があり、同一に論じることは不可能だ。法規上も在来線とは運転方式が異なり、駅構内での停車を除いて運転士は「加速」操作と安全監視以外することがない(だから運転中に携帯で写真付き mail を送れちゃったりする*10し、運転士が気絶しても駅構内で手前に止まってしまう*11ことくらいしか問題が発生しない)。運転士の技能に頼って限界運転を行なって定時を確保しているような過密*12路線では、そんな悠長なことをしている余裕はとてもない。
・ 「飲み会」「ボーリング」「ゴルフコンペ」の件に関しても、何か方向が変だ。「何もそんなものまであげつらうことはない」という声は既にあちこちから出ているし、古金崎不老ふ死温泉に泊まったときの仲居のおばちゃんまで「あんなのまで大騒ぎするのはおかしいと思うんですよねぇ」と言っているほどだ(なぜそんな話になったのかはいまだに自分でもよく判らないけど)。社長名の通達が出たあとに近場でそういったことをやったのはさすがに批判されても仕方がないと思うが、「参加者のうち、やめたほうがいいと思ったのは n 名だけ」「上司に『やめたほうが』と言うことができない風土は問題」というような報道は数多くあったものの、「そういった行事に参加することが勤務評定で minus 評価を受けないために必要」と報道された事実はその後あまり大きく騒がれていない。この「勤務評定云々」というのは分割民営化前後に「職場への帰属意識を評価する」として実施された「増収活動*13」や「QC 活動*14」に構造が類似しており、「日勤教育」と同じところに起源を持つものではないだろうか。JR 西日本が国鉄分割民営化の過程における悪弊を色濃く引き摺っている証左の一つに思えてならないのだが、「日勤教育」があれだけ注目を集めている一方でこちらがあまり注目されないのは何だか不思議ですらある。
・ ちなみに、井出相談役が朝日新聞の interview に答えている(http://www2.asahi.com./special/050425/OSK200505240056.html)が、彼は記事中にもある通り旧国鉄で「改革 3 人組」と呼ばれたうちの 1 人で、当時の中曾根総理の意向を受けた杉浦総裁の元で分割民営化を「成功」させた「功労」により JR 西の重要 post を得た人間だ。「分割民営化で成功した」彼が今の JR 西の風土を作り上げたわけだから、JR 西がそういう企業体質を持っているのも実に納得のいく話だ。しかも、自身が「たまたま」事故当時相談役に退いていたからといって、「今回の事故は『たまたま』ATP-P の導入前に起こったのだ」とする発言は、もはや放言と言って差し支えないのではないかと思う。発言には反省のハの時も見られない。もちろん、掲載されているのは全文ではないので恣意的にそのような発言が抜き出されている可能性は高いが、いずれにしても無神経と言わざるを得ない。掲載から 5 日経っても記事が取り下げられていないところを見ると、少なくとも強く抗議をして記事を取り下げさせるほど発言の真意をねじ曲げられているわけでもないのだろう。「今度は三洋電機の社外取締役になれるはずだったのに、余計な事故を起こしやがって」と苦々しく思っているのかも知れない。自分の蒔いた種とは露ほどにも思わず。
・ いまだに批判し続けている報道機関があるので、これも書いておこう。「事故列車に乗り合わせていながら救出活動に参加しなかった 2 名の運転士」のことが批判されていた(一部ではいまだに批判されている)。彼らは会社に連絡を入れた際に職場に向かうことを指示されたことが明らかになっているが、このことで運転士本人やその直接の上役が批判されるのは少々かわいそうではないかと思う。2 人がどこの線区で乗務していたかははっきりとしていないが*15、不通線区以外で乗務していた場合、その運転士が乗務するはずだった列車は運休となる可能性が高い。一般的に運転士は単独乗務で、またどの列車にどういう順番で乗務するか(これを「行路」という)はきっちりと決められているため、予備の要員をすぐに確保できるとは限らないからだ。もしそうなっていれば、それはそれでまた批判されただろうし、もし救助活動に参加する(させる)ことができないのが問題であるとすれば、その責めは人事権を持つ post か、その上の役職が受けるべきだ。この件で現場長が批判されるべき点があるとすれば、それは事故に遭遇して動揺しているはずの運転士をそのまま乗務させたことだろうが、これも交代要員がいないことによるやむを得ない措置だったのかもしれない(それでも他の乗客を危険に晒したことは否定できないが)。
・ また、一時は事故の発生後に他の電車区等で非常呼集をかけなかったことが問題とされた。これもおかしな話だ。そもそも、他線区を担当する乗務員を呼集しても、平素の交番を乱して運行の安全を確保できなくなること以外に何ら影響はない。トラックの運転手などと違い、鉄道の運転士はある線区で乗務する前に必ず習熟運転を必要とする。運転速度や速度制限箇所の存在位置など、安全かつ正確な運行の確保には乗務員の経験に頼る部分が大きいためだ。車掌に関してはそこまで大変ではないかもしれないが、やはり旅客に対して的確な案内を行なうには全く予備知識のない状態では使い物にならない。また、人員にそれほど余裕があるとも思えないため、他線区に人員を派遣してしまっては本来影響を受けないはずの線区まで運行がガタガタになってしまう。改めて言うまでもないが、乗務員は多くの乗客の安全を背負っている。通常の勤務以外に応援に駆り出されるようなことがあっては、本来その乗務員が担当する列車の乗客までを危険に晒す恐れもある。信号の現示などについても同じことが言えるのだが、鉄道の運行は極めて systematic にできあがっており、その明確な指示系統と職務分掌は軍隊のそれに近い。それを「組織の硬直」と呼ぶ向きもあるかもしれないが、極めて専門性が高く、また経験に頼る部分の多い職場では、そういった構造が確立されていないとあれだけ大きな組織を運営していくことなど不可能だろう。そもそも、ちょっと考えれば、他の電車区で非常呼集をかけることが無意味であることは、事故後にマスコミの大攻勢に対応するため「相次ぐ過走を避けるためにベテラン運転士を添乗させて指導させる」という対応をとったことを見てもすぐに解りそうなものだが‥‥。
・ 当該列車に乗っていた乗客数が正確に把握されていなかったことも繰り返し報道された。しかし、それは無理からぬ話だ。通常、乗客数は車掌が数え、それを区間毎に報告することになっている。この報告を「ノリホ」といい、主な駅にはそれを入れる「ノリホ入れ」が設置されていることがある(ノリホ入れの例。写真がやや大きいので注意)。特急列車などでは車内改札で把握できる*16し、地方線区では車掌が車内を巡回して直接数える*17こともある。しかし、都市部の通勤線区でいずれも不可能なので、そもそも正確な人数を把握できるはずがない。せいぜい一部の線区で「乗車率測定装置」が設置されているくらいだ(当然あまり正確ではないし、そもそもその値を車掌が見られるようになっているかどうかもわからない)。人数が訂正されることはやむを得ない話で、逆になぜそれを鬼の首を取ったかのように大騒ぎしなければならないのか理解できない。
・ そのほか「暴言記者」の件や、広島・米子両支社などまでが「けしからん」とつるし上げを喰らった件など、「正義の名を借りたマスコミの傲慢」についても、既に各所で反発が拡がっているので改めては書かない。しかし、あれだけ大騒ぎしていたのに「邦人誘拐」の報が入ったと単にパッタリと止んだところを見ると、やっぱり単にネタがないので重箱の隅をつついて憂さを晴らしていただけなんだろうなと溜息が出る。まあ、件の記者の暴言に関して「お詫びする」としながら「職務に熱心であるがあまり」などとぬけぬけと言ってしまうような厚顔無恥さを見れば、なにをかいわんや。それにしても、そもそも旅客会社を 6 分割したのは「地域会社に分割することによってその地域に密着した経営を目指す」というのが理由だったわけだが、それにも関わらず「同じ会社というだけであんなに離れた地域の社員が批判されるのは何かおかしい」と感じさせるような状況があるってのは、何か矛盾してませんかね。まあ、旅客会社を 6 分割するにあたって特別に根拠があったわけではないのは最初から判っていることなんで、それこそ「何をいまさら」なんだが。
・ いまだに何かというと「国鉄時代の体質が‥‥」と口にする「評論家」や「評論家を気取ったタレント」が多いのにも閉口した。本当に「JR になって、よくなったことはあっても、悪くなったことはない」と思ってるんだろうか。むしろ、国鉄分割民営化の騒動で失われたものはたくさんあっても、JR になって本当によくなったことはあまりないように感じているんだが。そして、そういう連中はこれまた何かというと「国鉄=親方日の丸」ということを口にする。何かもう、極まり文句すぎてぐんにょりする。国鉄の長期債務が何を原因として発生したのか、またその債務がどこに埋められてうやむやにされたのか、調べてから言って欲しい。それを調べれば、むしろ「JR という仕組み」こそが親方日の丸であることが解る。なぜ道路公団や運輸族議員のことは「親方日の丸だ」と批判しないのだ?
・ とにかくまあ、マスコミとか「評論家」って気楽な商売だよな、とつくづく思った 1 ヶ月であった。「JR が現在の体質になったのはそれを支持した国民の責任だ」とも言えるが、国鉄を「ポカ休・ブラ勤」などと campeign を打って徹底的に悪者にし(これも sensationalism の発露だ)、分割民営化を支持し(国鉄の分割民営化に疑問を投げ掛ける報道は「11PM」を除けば全て法案が可決したあとに行なわれた)、JR を「儲れば儲るほど誉められる」会社に仕立て上げたのはマスコミや「評論家」の世論誘導の寄与するところがかなり大きかったはずだが、そのことをおくびにも出さずに JR 西日本叩きに奔走する姿勢にはほとほと感心する。
・ そういえば、こんな site を見つけた。ここを読んで、どう思われるだろうか。
*7: 明らかとなった一部の「数値」などを除き、事故の mechanism について述べられていることは全て「推測」の域をいまだに出ていない。
*8: 「速度照査」の略。狭義には「地上子(信号動作の基準点の線路上におかれた装置)から指示された速度と列車の現在速度を比較する」ことを指すが、鉄道の場合信号 system が閉じていて「速度照査を行なうだけで、そのまま何もしない」ということはあり得ないので(必要がない場合は速照自体を行なわない)、「速度照査の結果、指示速度を超えていた場合は自動的に指示速度まで減速する」という動作を含めて「速度照査」ということもある。
*9: いわゆる「ミニ新幹線」は在来線の rail の間隔(「軌間」)を新幹線と同じに合わせただけのものなので、法的には新幹線ではない。そのため、最高速度も在来線並み。
*10: 在来線の運転士は四六時中神経を張り詰めさせていなければならず、とてもそんな余裕はない。都市部では 1 分間にいくつもの信号を通過するし、踏切もかなりの数に上る。いつ線路上に誰かがフラフラと入ってくるかも知れないし、ホームでは端を歩いている人が落ちやしないかとハラハラだ。
*11: たとえば 270km/h で走行している場合、1 秒間で 75m も進んでしまう。減速を開始するのが 6 秒も遅れると、列車 1 編成分以上過走してしまうことになる。そこで新幹線では、それまで在来線では backup の役割しかなかった ATC を積極的に使用し、駅手前での減速を自動化してしまった。停車駅が近づくと、30km/h までは ATC によって自動的に減速し、その後は停止位置に合わせて手動で停車する。30km/h まで速度が落ちたときには運転士が「確認」操作をすることが必要で(駅の通過を防止するためだろう)、運転士の意識がないなど何らかの理由でそれが行なわれなかった場合、そのまま停止してしまう(多くの駅では正規の停止位置の手前で停まることになる)。
*12: 「列車の運転間隔はそんなに短くない。福知山線は『過密ダイヤ』ではない」という論調もあるようだが、いくら運転間隔が開いていようが、各列車の余裕時分が少なければ、それは運転間隔が短いのと何ら事情が変わらない。結果的に状況は同じだからだ。
*13: 駅員や乗務員にノルマを課し、休憩時間や非番の時に「オレンジカード」の販売や「企画きっぷ・tour の営業」を「自主的」に行なわせ、それを「仕事への熱心さ」の現われとして勤務評定の対象としたもの。
*14: 勤務終了後などに「職場をよくするための提案活動」を「自主的」に行なわせ、その「成果」を「仕事への熱心さ」の現われとして勤務評定の対象としたもの。
*15: 一人は森ノ宮電車区ということだったので、大阪環状線だろう。もう一人は尼崎とのことだが、私は尼崎電車区がどの線区を担当しているかを知らない。
*16: 料金が発生する列車ではどの席の乗客がどこからどこまで乗るのか check しているし、車内改札に使用するスタンパーに counter が入っているのではないかと思われる光景も見たことがある(「特急の自由席に乗り放題」というきっぷで特急の自由席に乗り、車内改札できっぷを差し出したところ、「はい、結構です」といいながらスタンパを人数分「空打ち」しているのを何度か見たことがある)。
*17:
車掌が後ろ手に counter を持ち、それをカチカチ言わせながら車内を歩いていく光景を目にする。
・ Shower だけ浴び、徹夜のまま客先へ。
・ 何かもう、それなりに雨が降っていてとてもじゃないが自転車で出掛ける気にはならない。諦めて最寄りの両国から地下に潜ることに。しくしくしく。往復 100 円高くなる上に時間がかかるんだけどなぁ‥‥。
・ さらにもうひとつ問題が。地下鉄に乗る前におにぎりでも買おうと思っていたんだが、うちから地下鉄の入口までは近すぎて(走れば 30 秒)途中にコンビニもない。うぅ。‥‥と思っていたら、いつもの弁当屋で 1 つだけおにぎりが残っているのを発見! 無事確保 :-)。朝だけしか売ってない上にいつも結構早くなくなっちゃうんだよー。
・ てなわけで、お江戸線。‥‥をを、席が前部埋まってる‥‥。朝はそれなりに混むようになってきたのねぇ、と思ってたら、清澄白河あたりからは結構びっしり。隣の人と接触するほどではないが(もちろん圧縮はされない)、座っていて反対側の窓が見えなくなる程度には乗っている。‥‥で、「焦るほど混んではいないが、それなりに運んでいる」という微妙な状況で、かえって乗降に時間がかかっている(爆)。「扉が閉まりま〜す。これからのご乗車はご遠慮くださ〜い」と、ホームの駅員が放送するセリフもまた微妙。
・ そして、勝どきや築地市場、汐留でどばーと降り、また立っている人がほとんどいなくなる。うみゅー、なるほど‥‥。ところで、いつも思うんだが、「ナショナルセンター」って聞いて「松下電器の showroom のことだ」とピンと来ないのは、俺だけか?(別のものを連想してしまう)
・ 途中駅での「多客による遅延」のおかげで、大門到着も微妙に遅延。‥‥ギリギリで京急線直通に逃げられる。仕方がないので、そのあとの直通を待ち、品川へ。‥‥ぐえ、なんか遅れてますが。え? 「京成線内の事故と、横浜での急病人救護」の combo? がーん
・ ‥‥結局、いつもより 10 分早く家を出て、10 遅く着いてみる。しくしくしくしく。
・ 打ち合わさる。暫定とは言え、細かい仕様が上がってきた。今後 1 週間程度で実装することに。またらいしゅー!
・ 昼前に打ち合わせが終わり、その後は走らせてる job が終わるまでうだうだ。F/W 書いてたときの相方さんと「そのうち温泉旅行とか沖縄とか行きますかぁ」などと。
・ 特に現場でしなければならないこともないので、14 時過ぎに離脱。ついでなので浜銀までてくてく歩いていき、資金を移動。明日の loan 引き落としもこれで大丈夫。
・ 隣のドスパラを冷やかしたあと、天一へ吸い込まれてみたり。‥‥空いてること(客は 4 人だけだった)と誰もタバコを吸ってないことを確認して入ったんだが、注文してから出てくるまでの間に 3 人ばかり続々と入ってきて(バラの客が 3 人)、左右と後ろから猛然と燻されてみたりする。げほげほげほ。喉は痛いわ、鼻は痛いわ、身体は痒くなるわ。つまり、「もう来るな」と。おとなしく大戸屋かはなまるうどんにでも行っておけばよかった‥‥。
・ さて、川崎と言えば一応ハンズがあるわけだが‥‥念の為に上がってみるが、やっぱり欲しかったものはなかった。やっぱり新宿か池袋か渋谷に行かなきゃ駄目だったのね。‥‥で、その代わりに EMS machine に吸い寄せられてみたり(爆)。別に腹筋が 6 つに割れてる必要はないんだが (^^;、腰痛緩和のためには腹筋を鍛えなければなりません!
・ 泉岳寺行き快特に乗り込む。上りで 2100 形に乗るのは始めて。泉岳寺で高砂行きに、大門で内回りに乗り換えて、帰宅。両国界隈は、傘が要らない程度の弱い降り。
・ さすがに活動限界なので、一眠り。グウ。
・ 21 時頃一旦起きる。雨が止んでたら鍼を打ってもらいに行こうと思ってたんだが、どうもそれなりに降っている模様。そのままふて寝。‥‥行くのを諦めたら、にわかに雨が強くなってきたり(爆)。
・ で、結局 24 時頃起きた。外気温が 16℃ くらいまで下がっているおかげで、室温もそんなに高くない。結構快適。‥‥うちの部屋はベランダの窓に庇がないので、仮に暑くても雨が降ってるとどのみち窓を開けられないんだが(爆)。骨組みの材料は買ってあるんだし、やっぱり結露防止を兼ねて風避け室を作らないと駄目かなぁ。
・ 気が付いたら DV-HRD20 の HDD が一杯になっていた。うぎゃー。慌てて D-VHS へ dubbing 開始。まず何を吸い上げるかと言えば、やっぱり「鉄道乗りつくしの旅」(爆)。前後に余裕を持って録画してあった分をちょんちょん切っていく過程で、間違って「奥多摩駅」の回の末尾をびみょーに切ってしまって大しょっく。うぅ。ほんとはあと 15 秒 trail を付けておくつもりだったのに‥‥。しかも、title 消去には undo があるのに、編集には undo がないのね‥‥ T_T。
・ ついでに mini DV で録り溜めた N スペなどを標準 cassette に集約したり、TH010 で初めて cafe latte を作ってみたりしつつ(初めてだったので出来は今一つ。もっと頑張りましょう)、仕事。外はバシャバシャ言っている。ちょっとした台風並みだな‥‥。
・ 気付いたら、もう 29 時過ぎですよ! いつの間にか雨も弱まっている。
・ ここで、外部への access ができなくなっていることに気付いた。そういや maintenance があるとか言ってたっけか‥‥と思って mail を調べてみると、案の定「5/31 0300〜0500」で収容されているビル内の maintenance 予定が告知されていた。既に終了しているはずなのに access 出来ないままなので、router に login して一旦 link を落とし、再接続。‥‥無事に復旧。
・ D-VHS への move が終わったので、dubbing されたものを見てみたら‥‥おお、数 frame の差で切れてなかった (^^;。DV-HRD20 の編集画面で stream 末尾の数 frame を再生できなかっただけらしい。なぜ? (-.-;
・ そんなこんなで、もう 31 時近く‥‥。
・
仕事を続けているうちに 33 時になったので、寝る。また雨が強くなってきたらしい。
・ 17 時頃起きる。
・ Shower を浴び、チャリチャリと出掛ける。
・ エフ商会のラジカンショップが今日限りなので、買い物に行く。‥‥以前に中に入ったのは Bit-INN があった頃で、ヲタな店が沸く前だったんだが‥‥久々に入ってみれば、ビル内はすっかりカオスであった。いや、それが分かってたから近づかなかったんだけど‥‥
・ ともあれ、DV270RM を 10 本と DVD-R (x16) を購入。DM 効果で 10% off。はらしょー。
・ 本屋に寄って、それから浅草橋へ。‥‥鍼を打てる人が空いていないということなので、一旦出直すことに。向かいのマクドで burger を 2 つ買い、帰宅。
・ もふもふ喰い、video の録画予約を仕掛けてから出掛ける。今夜の『ガイアの夜明け』は福知山線事故関連(「安全神話の崩壊 〜効率主義の先に見えたもの〜」)。
・ というわけで、「森の治療院」へ。なぜか「歴史小説」ネタで盛り上がる。何でそんな話になったんだっけかな‥‥ああ、おさがり関係だ。両国に BOOK OFF が‥‥という話。で、なんでそんな‥‥ああ、「川崎には古本屋が多いですよね」「古本屋っても神保町のような専門店じゃなくて‥‥」って話からか。なぜ「川崎」かというと以下略。
・ 鍼を打ってもらって、帰宅。録画を check すると‥‥録画設定を間違えて、DV deck は 30 分で止まってた。しくしくしく。DV-HRD20 で救済(爆)。BS-J では明日と明後日に放送があるけど、地上波の再放送はいつやるのかなー‥‥ ;_;。今の pace だと、9 月初め頃?
・ 『ガイアの夜明け』といえば、「しがらみを断ち切れ 〜赤字第3セクター再建への道〜」('04.11.30 放送分)も見たいんだけど、もう再放送は終わっちゃったんだろうな。ちなみに SR のネタなんだけど、開業から 3 年で累積赤字 275 億円ねぇ‥‥。さて、TX はいつまでもつことやら。
・ 今日もまた TH010 で cafe latte を淹れてみる。‥‥まあまあ。目安がなんとなくわかった。とりあえず DOUTOR 並みのものを飲むことに成功 (^^;。
・ つーわけで、今日の昼飯は買い置きのパン 1 個と 1 杯の cafe latte。
・ ところで、今日は涼しくて助かったんだが(それでも自転車に乗っていると汗まみれ)、明日は夏日になるという。あぅ。
・ mixi で足跡がついていたあちこち踏んで歩いている人の記事から、「あなたがつぶやく最期の言葉」(← 一種の占い)を試してみたら、
だと。
ふーん。「崇高な魂の持ち主」というあたりが胡散臭さ 1,048,576%(爆)。そうですか、眠剤の飲み過ぎで死ぬですか。日常的に眠剤を使う予定はないので、つまりそれは「自殺する」ってことですな。しかし、瞑想癖も妄想癖もないけどなぁ。あと、恋愛運は正直なとこどーでもいいです。あ、「金にシビアな星回り」ってのだけは当たってるかな、過去の実績から言って。(大笑い)
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