「書きかけの歳時記」
2006/05版 その2

(since '05.04.25)

この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。

取扱上の注意

間違って検索サイトから来られた方へ(よくある検索 pattern)

アンテナ管理者の方へ


[前日へ続く]

2006/05/11 (木)


2006/05/12 (金) <準備など>

前回からのあらすじ [日記]

発作。いっそ「そっちも入院して直せば?」ちう感じだが。

気付いたら 10 日発の下り〔あけぼの〕と 11 日発の〔北斗星 2〕の寝台券と乗車券を手にしていた。

で、11 日に弘前と函館へ。

  • 〔あけぼの〕の「ソロ」は「彗星」のもの(現在は〔あかつき〕に転用)と同 type。上階の居住性はかなり悪い(下階はなかなか)。しかし、全く同じ「ソロ」車が 2 輛もついてるのに、なぜ片方を禁煙車にしねーのか。煙てーっつの。
  • 家を出るときには既に雨が降り始めていた。夜中、長岡でふと目が覚めると、バシャバシャという雨音が。山形県内を走っている間も結構なものだったが、秋田駅に着くころには小雨になり、弘前に着くころにはピーカン。
  • 弘前のレンタサイクルは、やっぱり「冬季休業中」であった。役立たず。一方、駅前と弘前公園方面を結ぶ 100 円 bus は、同様の bus が「30 分毎」という地域が多い中、なんと 10 分間隔で運転。素晴らしい。車輛は小型の観光 bus から路線車まで様々。この bus の起終点は「バスターミナル」で、駅前や弘前公園方面を一巡りして戻ってくると、乗務員交代を兼ねて「車両交換」を行なう。乗客はそこで「乗継」となり、すぐ隣に停まっている車に乗り換えて引き続き利用する場合、運賃を二重払いする必要はない(後払いなので、乗り換えた先の車を降りるときに払う。ちなみに「乗継券」などはない)。この bus terminal から駅までは歩いても 5〜6 分なので(駅からも見えるイトーヨーカドーの南隣にある)、乗り継がずに運賃を払ってそのまま駅のほうへ歩いて行く人も結構いた。
  • 5/3 に「咲きかけ」だった弘前のソメイヨシノは「もうすぐ散り終わり」というところで、少し風が吹くと桜吹雪がぶわーと。一方、弘前公園内では枝垂れ桜が真っ盛り。有料区画を中心に、東京ではあまり見ないほどの本数の枝垂れ桜が植わっていて、かなり新鮮。さらにはこれでもかといわんばかりの桜吹雪も相まって、なかなかのもの。この数日がソメイヨシノの散る peak だったらしく、しかも雨にもほぼ降られなかったようで、さらに開花の peak が休日から外れたせいか、地面は実にきれいに原形と元の色を保った花びらがフンワリと積もってピンク色に染まっていた。あまりにもきれいな花びらが降り積もっていたので、掌一杯にそれを掬ってバアッと散らして見せる女性を何人も見た。そうしたくなるのが実によく解る、今まで見た中でも最もきれいな花びらが積もっていた。
  • 前回同様〔リゾートしらかみ 1〕で青森へ。浪岡から大釈迦へかけて、沿線は桜が満開。こりゃあ日程を 1 日延ばして芦野公園に行けばよかったかなぁと思ったのだが、金曜発の上り〔北斗星〕が前日にとれる確率はそれほど高くないし、金曜のうちに東京に戻って入院の準備をしなければならなかったので、泣く泣く断念。‥‥しかし、もしも 1 日延ばしていた場合、結果的には「東京へ帰ると雨がお出迎え」という羽目になっていたので、延ばさなくて正解だったのかも‥‥。
  • 今回こそと、青函フェリーで函館へ。前回のりべんじを達成。ちなみに terminal 内はがらがら。きっぷを買うときには「えーと、売店とか食堂とか、なんにもないんですけど、本当にいいんですか?」と念を押されてみたり。しかし、「乗船券」(実際には「航送指示書」)を渡されるとき、「いってらっしゃい!」と言われたのは、さわやかだった。‥‥で、「あさかぜ」は噂通りしょぼかった。「客室」は桟敷(っつーかカーペット敷)の小部屋があるだけ。室内には便所と shower 室の他に飲み物の自販機がある(定価販売なのは嬉しい)。つーても、「客室定員 55 名」ってのは、多分全員体育座りでも厳しい(ラッシュ並に立ってやっと?)という感じだし(shower 室部分が食い込んでいるので、実質 8 畳くらい?)、窓は 3 箇所にある扉に一つづつの他は 2 箇所に 2 つづつだけ(大きさもそれぞれ 30cm 角くらい)。しかも、甲板のへりには客室を取り囲むように様々な設備があるので、視界も決して開けてはいない。まあ、客室には私の他に 5 人くらいしかいなかったので(車輛甲板はトラックで埋まっていたが、これも噂通り、運転手は客室にほとんど上がってこなかった)、大の字になってぐーすか寝てたけど。天候はよかったが風があったせいで、まさに「天気晴朗なれど波高し」、海峡に出る頃には客室のほうまで波が「ザブーン!!」とかかってきて、甲板からは「ギャー!!!!」と悲鳴が (^^;。そして、函館に入港する頃には、きれいな夕焼けが。
  • 青函フェリーの函館側はすごかった。‥‥ただの岸壁。待合室もきっぷ売り場も見当たらない。ともあれ駅へ向かうと、100m ほど歩いた道端にポツンと 2 階建ての小さな建物が。これが事務所兼きっぷ売り場兼待合室なのであった。
  • さらにぽてぽて歩いて五稜郭駅へ。途中写真を撮りつつのんびり歩いたので、30 分ほどかかった。途中、国道に出た辺りに「港」BS があり、岸壁からそこまでは約 10 分といったところか。
  • 駅前郵便局の並びには coin laundry が。乾燥機が gas 式なのは嬉しいが、洗濯機は一番小さいものでも 22kg 洗い(「2.2kg」ではない)。なんでも、「ご家庭では洗えない毛布などに特化した」のだそうな。さすがぽっかいどー‥‥。
  • あまりにも真っ暗で思わず通り過ぎそうになってしまったほど、五稜郭駅前は何もなかった。ちうか、広大な空き地が拡がっている。手持ちの地図はおろか、近隣の商店などの案内地図にすら目標物として記載されている「交番」も「ロッテリア」も陰も形もない。以前に 1 度降りたことがあるが、そのときも、こんなもぬけの殻だったという記憶はない。どゆこと?再開発でもするのかとも思ったが、そんな素振りもない。
  • 無計画に出掛けただけあって、駅からすぐの「亀田温泉」は見事に定休日であった。しくしく。なんだかいろいろガックリきたので、珍しく taxi で五稜郭公園へ。沿道の桜がすごかったので運転士さんに訊いてみると、「昨日は 3 分咲きくらいだったんだけど、今日の日中がかなり暖かかったので、一斉に咲きましたねぇ」。うーん、いよいよ 1 日延ばせばよかった‥‥と思ったのだが、それこそ手遅れ。まあ(以下略)。
  • やはり、五稜郭公園やその近くの桜はすごかった。桜の下では今度こそ宴会が大盛り上がり。ますます、昼間の明るいうちに見てみたくなった(実は五稜郭の桜は夜にしか見たことがない)。とは言え(以下略)。
  • だいぶん遅くなってしまったし、日中暑くも寒くもなかったおかげでほとんど汗もかいていないので、風呂は諦めて直接駅に向かうことにする。電停に歩いていく途中、bus 停に通りかかったときに目の前でちょうど駅前行きの bus が停まったので、乗り口を完全に塞いだ自転車を掻き分けつつ (-.-; 乗り込む。途中で谷地頭行きの電車を追い抜き、駅前へ。‥‥Bus 案内所がまだ空いていたので(っていうか存在に今回初めて気がついた)、「路線 bus の路線図とか、配っているものはありますか?」と訊いてみたところ、しっかりした「時刻表」をくれた。路線図はおろか、市内の全路線・全便の時刻が乗っている。これは素晴らしい。‥‥これが web から見られれば‥‥。観光に訪れる立場からすれば、こういう情報は事前に入手できて初めて意味を持つんだけどなぁ*1
  • いつもの「うに むらかみ」で、久々にゆっくり飯を喰う。急かされずに好きなものをのんびり喰う飯はいいものだ。これぞ旅の醍醐味であると言える。しかも「スペシャルうに丼」や「ミニいくら丼」に「ししゃも」(雄と雌 1 匹づつが set になっているというのが珍しい)、「海鮮陶板焼き」とたらふく喰って 5 千円足らず。素晴らしすぎ。味はもはや言うまでもない。2030 時頃店に入って、2120 時頃退散。ちなみに、先客が 1 人いたが途中で喰い終わって帰ってしまったので、なんと店の中に客が私一人だけ、というここでは初めての体験も。
  • いつものよーにぽくとせー 2 号で帰京。Lobby のすぐ隣の「ソロ」だったのだが、馬鹿みたいに大音量で video を見る客がいない限り(これがいるのが困りものなんだが)、lobby の音は意外に気にならない。むしろ、lobby との間を仕切る自動 door の開閉音のほうが気になるっつーかそこに扉があることを忘れてた。この辺りの事情は他の「車端部の個室」と変わらない。
  • 朝飯はいつものように食堂車。今日はやっぱり空いていて、営業開始の 10 分後頃に行ったこともあり、無事に「和定食」にありつけた。前回のように順番待ちこそ発生していなかったが、私が行った時点で席は半分埋まっていたのだが、そのあとは意外に客が続かず、喰っているうちに他の客がほぼいなくなってしまった。継ぎ足してくれたお茶を飲みつつ、黒磯を通過する頃までまったり。
  • 上野でいつものように引き上げを見送り、さて撤収しようと歩き出したら、なんだか団臨が来るという。待ってみたら、これが国鉄色 183 の 6 連(ところで宮オオ っていつできたんだ?)。席は半分ほど高校生で埋まっていた。黒い集団が立ち去り、引き上げを見送って、さて(中略)、またも団臨が来るという。待ってみると、今度は国鉄色 189 の 10 連。中身はぎっしりの幼稚園児。挙動が読めないだけに、駅員は事故防止に必死。喧騒が彼方に去り、引き上げを見送って、今度こそ撤退。‥‥それにしても、高校の修学旅行にしては時季外れだし、そもそも身軽だった。幼稚園児に至っては、わざわざ集約臨まで仕立てる事情はそうそう思い浮かばない。この時期にそうまでして東京に来なければならない理由は‥‥やっぱ、交通博物館ですかねぇ?

*1: 「Bus や電車はてきとーに行って来たのに乗ればいい」というのは、都会の一部の幸せな人達だけに成立する考え方だ。


前回までのあらすじ [日記]

‥‥なんか書き忘れてることがあるような。思い出したら書くかも。


さよなら [日常]

一旦帰宅し、夕方になって、買い出しにアキバへ。

途中でふと気が向いて、最後にと交通博物館へ行ってみる。‥‥平日だというのに、家族連れと痛いヲタと背広姿(!)で館内はエラいことになっていた。さらにはどこかで見たよーな制服の高校生の一団が (^^;

それでも「蔵出し模型」を眺め、いつの間にか simulator が増えているのに驚き、自販機がある休憩所が実は元万世橋駅中央階段の踊り場だったことにまた驚き、その奥の階段がガラス越しに見られるようになっていたのを眺め、panic になっている goods 売り場の脇を掠めて閉館時刻に外へ出た。外は記念撮影の嵐でやっぱり panic。

そのあとは何ヵ所かで買い物をしたりしたあと、鍼を打ってもらいに‥‥行ったら今日は鍼を打てる人が埋まってしまっているということで断念し、帰宅。



2006/05/13 (土)


2006/05/14 (日)


2006/05/15 (月)


2006/05/16 (火)


2006/05/17 (水)


2006/05/18 (木) 小雨 <退院>

シウツ [体調]

終わったよのさ。


で、 [体調]

帰ってきた。今のところは順調。

左眼は思っていたより遠方寄りに焦点があっている。右眼はというと立派な近眼なので、結果としてどちらの眼を使っても 1m 前後の距離がよく見えない。では遠方はすっごくよく見えるのかというと、これが元々ある乱視の影響でそうは問屋が卸してくれない。まあ、手術後しばらくすると近眼寄りに遷移して安定するでしょう、ということなので、そうなるとちょうどいいかもしれない。


はじめての××× [体調]

そんなわけで、手術はもちろん、入院も点滴も初めての経験。

手術は、予定通り約 40 分で終わった。事前に自分でできる限りの手は打ったし、失敗すれば失明の危険があるとはいっても、どうせ放っておいたところで左目はもう使い物にならないので、「入院が延びると転院の手間やら費用負担やらが‥‥」ということが心配ではあったものの、看護婦さんが驚くほど術前の気負いや緊張はなかった。

‥‥のだが、手術中にムチャクチャ沁みて痛かったのだけはまいった。もちろん点眼で麻酔をかけるのだが(全麻にしないのは risk 面の配慮だけではなく手術中に医師に指示された方向へ眼球を向けなければならないからでもある)、瞼を固定して眼球を露出させる器具を眼窩にぐりぐりと入れられるのがなかなか痛かったし、さらに手術中に(出血を洗い流すため)患部にバシャバシャと生食だか蒸留水だかをぶっかけられる度に猛烈に沁みる。あまりにも沁みるので(もはや「じんじん」という level ではなく「ずきずき」)、その痛みで吐気に襲われるほどであった。麻酔をかけるときに点眼液が眼窩の奥のほうまで入っていかないので、そこに刺激が加えられるとムチャクチャ痛いわけです(なんとか耐えられる程度にしか痛まないということは、全く麻酔が効いていないわけではないようだが)。

他には、肘の内側からラインが取れなかったので手の甲から輸液を入れる羽目になった以外は、取り立てて何事もなし。ああ、そうそう。手術室から lobby までのストレッチャーと、そこから病室までの車椅子も、初めての体験だったな。さらに手術室では手術台に横付けされたストレッチャーへ 6 人がかりで「せーの」で移されそうになったのだが、その看護婦さんたちは「どうかしら」「重いかしら」などと言いつつみんなで顔を見合わせており、主治医が「36 歳だっけ? まだ若いんだから、自分で移れるよね」と苦笑しながら言い、実際動くには支障はなかったので、自分でむっくら起き上がってそろりと移動したのだが(看護婦さんたちはなんだかハラハラしながら見守っていた)、そんなわけで「せーの」の初体験は当分お預けに。Default が「せーの」であるということは、やはり白内障の手術となると患者は主に老人であり、身体がスカスカである代わりにあまり体力がない人が多いのだろう。

手術終了後、点滴が切れるまでの約一時間は、bed から起き上がることも許されず、絶対安静。点滴が切れると同時に安静も解除。しばらくは瞼を閉じると違和感がありまくり(傷口の縫合糸が触れるため)で、ついでにある程度の時間瞼を閉じたあと眼を開けると視野の上の方で出血しているのがわかったり(傷口が瞼で圧迫されるから)、手術当日の夜は眼を閉じると眼球を圧迫されたとき特有の痛みがあってなかなか寝付けなかったりしたんだが、2 日も経つと糸はほぼ溶けてしまい、違和感も減りつつある。


にういんせいかつ [体調]

でまあ、初めての入院生活はどうだったかというと。

一言でいえば、「暇」。好きなだけ寝ていられるといっても、なかなかねぇ。別に眼以外はどこも悪くないので、身体も必要以上の睡眠を欲しない。それでも、手術翌日の午前中などは前夜の寝不足も手伝って診察以外の時間はグーグー寝てたし、それでも時間になるとちゃんと食事が出るのはありがたかった。

その食事。入院生活といえば「味気がなくて量が少ない食事」という image があった(というかよくそう聞いていた)のだが、実際のところ、濃い味が好きな人にとってはそう感じるかもなという程度であり、定食屋などに較べれば薄味かもしれないというほどの、ごく普通の味であった(むしろおかずによっては味が濃いと感じるものすらあった)。最近では医療機関の側も「病気からの早い回復のためにはしっかりと食事をとってもらう必要があるが、そのためには『美味しい』と感じ、また食事が楽しみになるような献立や味付けであるのが望ましい」と考えるようになってきているという話も聞くし、糖尿病や高血圧などによる摂取制限がない限りは「普通の食事」を目指しているということだろう。唯一困ったのは「(普段の食事に較べて)量が少ない」ということだったが、これは自分が大喰らいなのがそもそもの原因であるといえ、それでも訊いてみたら「量は増やせますよ」ということだったので、めでたく手術後の夕食から全体的に量を増やしてもらった(「御飯のみ」とか「おかずのみ」という希望もできるそうだ)。

ともあれ、日に 1〜2 度診察のために外来に行くことを除けば飯を喰って寝ること以外にすることもなく、それに備えて予め家から 10 冊ほど文庫本を背負っていったもののそれも読みつくし、さらには院内のコンビニで 3 冊ほど買い足した本も手術翌日の朝までには読んでしまって、することもなくなったので持ち込んだ note PC(入院時に使用の許可を取ってあった。ただし AIR-EDGE は当然使用不可)で仕事をしていたら、「仕事は当分控えてくださいね」と釘を刺されてしまった。まあ実際のところ半日も document を書いていたら眼が痛くなってきたので事実危険ではある。消灯時に検温をしに来てくれた看護婦さんから謎の激白を受けたりしつつ(なぜだろう)、結局 note PC はその日の夜に使うのを止めてしまった。

そんなわけで、最終日は朝食後の朝一番に診察を受け、せっかくだから昼食を出してもらうことにしたので(「午前中には会計が上がってくると思うので、そうしたらいつでも退院できますが、どうしますか」と訊かれ、「もし昼食が出るならいただいていきます」と答えたら、「大丈夫ですよ。ではそうしましょう」ということになった)、それまではまただらだらと本を読み返したり、会計が上がってきてからは足りない金を下ろしに行ったり(事前に聞いていた額を越えていたのだ)、ついでに入院中に家に届いていた書類を持って戻って相談してみたり、無事に清算をしたりしているうちに昼になったので、昼食をいただいてから帰ってきた。

結局今回の入院では、差額室料 50,400 円(消費税込・4 日分)を含めて 12.2 万円ほどかかった。老人性の場合は保険の負担額の関係でもう少し安くなるようだが、つまるところ 3 割負担だとこのくらいになるということらしい。

それにしても、今回の日記はどうも 1 行にだらだらと書く体裁になってしまっているが、入院中に『涼宮ハルヒ』series を読み返していたからではないかという気がしつつも、まあどうでもいいことではある。


肝心の眼の調子はというと [体調]

今のところ経過は順調(らしい)。

手術は予定通り進んだということだし、左眼の視界も(期待より遠めに焦点があっていることを除けば)良好だ。

私の場合は症状が急に進行し、かつ発現から 4 ヶ月ほどしか経過していないので、「久し振りに視界が clear になった」とほっとしたというくらいのものだが、症状が(本人が気付かないほど)徐々に進行する老人性の場合だと、「世界が変わった!」と表現されるほどらしい。確かに、手術直前の状態から較べると、そういいたくなるのも解る。それほど、手術前後での視界の変化はすさまじいものであった。当たり前と言えば当たり前なのだが。

むしろ、驚いたのは「右眼の視界の白濁」。今朝の診察まで左眼には眼帯をしていたので、気付いたのは「退院に当たっての注意書」を受け取ったときだった。紙に印刷された文字の色が、近くで見るとやや灰色がかって見えるのに、遠くに離すと漆黒であるのに気付いて、愕然とした。

改めて確認してみると、右眼で見ると灰色っぽく、左眼だと真っ黒に見える。さらに外の景色を注意しつつ見ると、確かに右眼の視界は foggy であった。今まで右眼の視界のぼやけは近眼のせいだとばかり思っていたのだが、そればかりではないことが明らかになった。

これが白内障の走りなのか経年による自然な白濁*1なのかは判然としないが、幸い視界が不自然に霞んだり近くにあるものがぼやけて見えたりといった「左眼で経験した症状」が右眼には出ていないし、診察でも「一応現時点では右眼に兆候は出ていない」と言われているので、今のところはそれほど心配するほどではないのだろう。まあ、なんだかんだで最後に右眼の検査をしてから数ヵ月は経っているので、念の為に相談してみようとは思っているが。

それにしても、片眼が「未発症」の状態でもう一方だけ lens を入れると、こんなに違うものなのか‥‥というのは正直言って驚きだった。まさに「いつの間にこんなに視界が曇っていたのやら」という思いだ。老人性だと両眼とも大体同じ経過を辿るものだろうし、これはこれで貴重な経験ではある。

その他、斜め方向からの光線に対してはハレーションの発生を感じる。おそらく眼内 lens の直径が本来の水晶体のそれより小さいことによるものだろう(一般的な状態の瞳孔の広さよりは大きいが、厚みも直径も水晶体本来のものよりは小さいので、隙間から入った光が回り込んでいるものと考えられる)。あと、自動車の light の光や街灯の灯りなどを点光源を見たときの散乱の仕方がなんとなくアクリルかクリスタルガラスっぽい (^^;。実際の材質が何なのかは知らないが。

ともあれ、久し振りに眼鏡なしで生活できることと、遠近感が戻ったことが、最も嬉しかった。

*1: 水晶体が濁ること自体は老化の一環として誰にも起こることであり、40 代では数割、80 代になるとほぼ全ての人に何らかの形で白内障の症状が現われているという。つまり、「白内障」と診断されるかどうかは、「白濁の有無」ではなく、「白濁がどの程度視界を遮っているか」、言い換えれば「日常生活に与える支障の程度」によって判断されることになる。よく「子供の眼は透き通っている」と言われるのは、「子供の心が純粋だから」ではなく(爆)、この「水晶体の白濁」がほとんど発生していないから。


帰宅後 [日常]

てくてくと帰宅。不在中に届いていた荷物を回収してみたり。

首から下だけは風呂に入ってもいいということなので、早速風呂の準備をして入る。手術後は蒸し towel で身体を拭くことしかできなかったので、ややさっぱりした。

「やや」なのは、頭を洗えないから。切開した傷口が塞がるまでには約 2 週間かかり、その間は洗髪はおろか洗顔も不可。それを予測して日曜に髪を切りに行ってはいたものの、やはり最後に頭を洗って 2 日も経つと頭皮が痒くて仕方ないし、当然臭う。「美容院で洗うように、眼に水が絶対に入らないならいい(のだが普通は無理なので洗髪禁止)」ということらしいので、潜水用の水中眼鏡でも買ってこようかなと思う。水泳用の goggles では眼球に圧力がかかってしまうので、絶対に使用できない。しかし、調べてみたところ、最近 sports 洋品店で扱っているものはどうも smart な小振りのものが増えているようなので、昔のようなでっかいものが手に入るかどうか。とにかく、眼圧に変化が出るようなものは絶対に避けなければならない。せっかく手術がうまくいったらしいのに、それをわざわざ自分で台無しにするほど馬鹿なことはない。

とにかく、このままではどんどん状況が悪化するので、早急に手を打つ必要がある。頭皮のアトピーが悪化することも疑う余地がないし(既にその傾向がある)、なにより臭いがすごいので、下手をすると外出が不可能になってしまう。特に飲食店には早晩入れなくなるだろう。

「臭い」の問題については以前ある人に「被害妄想である」というようなことを言われたことがあるが、これは実体験に基づいてのことなので(というか、つい先日の GW 旅行中にも遭遇したし、今夜本屋にいても既に臭いと通りすがりの見知らぬ客に言われた)、気のせいなどではない、重大な問題だ。世の中なんて、そんなに優しいものではない。赤の他人の「事情」なんてものはそうそう斟酌してくれないし、自分がいくら悪臭(猛烈に汗臭かったり化粧や香水の臭いが強烈だったり口臭がむちゃくちゃ臭かったり)を放っていようが他人の臭いにはそれほど寛容ではないものだ。当人が気にしないでくれることはありがたいのだが、それをもって「廻りもそう(であるはず)なのだから、気にしすぎだ」と御注進下さるに至っては、申し訳ないが、そのような扱いを受けたことがないことによる想像力不足であると言わざるを得ない。本人が気にしているのに、なおかつ聞こえよがしに(あるいは睨み付けながら)「臭せえな」と言われる気持ちが、解るかい? それとも、「おめえもくせえんだから、黙ってろ」とでも言えというのだろうか。さもなきゃ、「眼の手術をしたばかりで、頭を洗えません」とプラカードを下げて歩けとでも? 必要がないのに眼帯をつけて歩くなどは、手術をした左眼にもよくないし、右眼だけだと眼鏡なしには生活できないので、論外だ。



2006/05/19 (金) 雨一時曇り <ごろごろ>

日中 [日常]

本を読みながらごろごろ。


ゆうがた [日常]

雨が止んでいたので、買い物に。

近所に流しのパン屋(謎)が来ていたので、夕食用に買い込んでみる。

その他、細かい日用品をちょぼちょぼと。


よる [日常 / 体調]

さらに夜になって、きんしちょおへ。ヨドバシで cable を買ったあと、LIVIN に水中眼鏡を探しに行ってみた。商品整理をしていた女性店員さんにまずシャンプーハットがあるか訊いてみたのだが、「お子さんがお使いですか?」。‥‥ああ、そういう解釈もあるのか (^^;

「いや、私が使うんですけど‥‥」
「あ、そうなんですか。すみません」

なんだか怪訝そうな顔をしているので、「眼の手術をしたばかりなんで、目に水を入れられないんですよ」というと、「あらら、それはたいへん!」と懸命にいろいろ探してくれたのだが、シャンプーハットやその代わりになるようなものは置いていないらしい。

「この floor の奥に 100 円 shop(= ダイソー)があるので、そちらならあるかも‥‥」

と、せっかくの客を逃がすことに繋がりかねない案内もしてくださったのだが(誤解のないように書いておくと、決して「面倒くさい客はそちらに押し付けてしまおう」というような対応ではなかった)、

「ああ、さっき行ってみたんですが、なかったんですよ」
「そうでしたか‥‥。介護用品の corner にもありませんし、薬局でお訊きになったほうがいいかもしれませんよ?」

でも、この時間に開いてる薬局はないしな。

「もしないなら、水中眼鏡とかでもいいんですが‥‥」

というと、今度は floor を走り回って他の店員さんにも当たってくれた。結果、水中眼鏡が並んでいるのを発見してくれた。‥‥うーん、Sports 用品店では駄目っぽいのでここに来たんだが、ここも goggles type ばっかりか‥‥。あ、でもシュノーケルと set のものはちょっと大きめだな。でも、set しかないのか。

親身になって探してくれたのだが、どうもしっくり来るものがない。「もしよろしければ、眼鏡売り場で訊いてみてください。お役に立てなくて申し訳ありません」と恐縮されていたが、こちらこそいろいろややこしくて申し訳ありません m(__)m。そういう店員さんがいるのは、嬉しい。正直言って LIVIN 錦糸町は品揃えが結構中途半端なのだが、こういう店員さんがいるからこそ時々探し物をしに行っているという面があるのは事実。

1 階下だというので早速行ってみたのだが、眼鏡売り場は既に閉まっていた。仕方がないのでまた元の階に戻り、件の set を買う。シュノーケルは余分なんだが、set でも 2k 円しないしな。

家に帰って、早速水中眼鏡を当ててみる。‥‥大きさはちょうどいい。眼球にも直接の圧力は加わらない。しかし、固定bandがやや短い(水中眼鏡としては標準的だけど)。試しに一番伸ばした状態でつけてみたら‥‥なんか、目に危険な感触が。慌てて外したが、左眼に妙な違和感がある。‥‥もしかして、やっちまったか‥‥?

ちなみに、手術後 1 ヶ月間旅行が禁止されているのは、「安静を図る」という他に、「眼圧への影響を避ける」というのがかなり大きな理由であるという(航空機は上空で減圧があるし、新幹線などでは tunnel 突入や列車の行き違い時に強い圧力がかかる)。実際、白内障手術の合併症の中でも網膜剥離や緑内障は警戒すべきものとして挙げられている。

水中眼鏡を試着してから 2 時間ほどが経ったが、やはり左眼には違和感が残っている。うーん、危険な感触‥‥。



2006/05/20 (土) 晴一時大雨 <さがしもの>

あさ [日常 / 体調]

「1030 時に受付を」と言われていたので、病院へ。‥‥なんか、すげー混んでますな‥‥。11 時頃に診察を受けられる予定だったが、karte が上がってくるのに時間がかかり、結局 12 時近くに。

検査をして、診察を受ける。眼圧も測ったが、今のところ順調。ちょっとほっとした。左の焦点もやや近めによってきているらしい。次の診察は金曜日。

会計の順番を待っている間に院内の restaurant でカツ丼を喰らい、会計をして、離脱。

家に戻り、もぞもぞ。


ゆうがた〜よる [日常]

シャンプーハット探しの旅の続きに出る。今回は御徒町界隈。うちの近所である程度の大きさの薬局が集中しているところというと、真っ先に思い浮かぶのがあの辺り。

まずは近場でコクミンへ。‥‥惨敗。近くに置いていそうなところは‥‥と訊くと、多慶屋を勧められる。

次に近くのコクミン(別の売り場)へ。‥‥惨敗。近くに置いていそうなところは‥‥と訊くと、多慶屋を勧められる。

さらにマツキヨへ。‥‥惨敗。近くに置いていそうなところは‥‥と訊くと、多慶屋を勧められる。

結局、「多慶屋くらい大きな売り場でないと、置いていないのでは」というのが、共通した返事であった。むむむ。

仕方がないので、多慶屋へ。近くにいた店員を捕まえて訊くと、「洗髪関連なら、shampoo がたくさん並んでいる『レディース館』では」と言われる。早速行ってみるが、見当たらない。そこでまた店員を捕まえて訊くと、「日用雑貨売り場では」。電話もかけてみてくれたのだが、先方は忙しいらしくて出ないとのこと。

そんじゃあと、日用雑貨売り場へ。‥‥やっぱり見当たらない。また店員を捕まえて訊くと、「うーん、今は扱ってませんねぇ。以前はレディース館にあったんですが‥‥」。判決が確定しました。しくしくしく。

しょんぼりしながら森の治療院へ行き、鍼を打ってもらう。

腹が減ったので、近くで飯を喰うことにする。‥‥ふと、路地裏にある中国料理店に入ってみる。やたら暇そうだったのだが、どうやらそれは閉店時刻間近だからということもあったようで、値段は安いのに味はなかなか(というか台湾で喰った麺の soup の味にちょっと似ていた)で、店員さんも中国系の人達(言葉に訛りもある)なのに結構親切。ちょくちょく行ってみてもいいかな。チャーハンはあまりうまくないが。

キコキコと帰宅。


余談ですが [その他]

洗髪時に頭にかぶるものと言えば「シャンプーハット」の他に「シャワーキャップ」があり、どちらも馴染みのない立場にとっては非常に紛らわしいのだが、それがなぜ間違えずに覚えていられたのかというと、「松山千春のシャンプーハット事件」のおかげである。わはは。さださん、ありがとう。



[後日へ続く]

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