「書きかけの歳時記」
2006/05版 その1

(since '05.04.25)

この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。

取扱上の注意

間違って検索サイトから来られた方へ(よくある検索 pattern)

アンテナ管理者の方へ


[前日へ続く]

2006/05/01 (月)


2006/05/02 (火)


2006/05/03 (水)


2006/05/04 (木)


2006/05/05 (金)


2006/05/06 (土) <近況報告>

近況 [日常]

左目の症状が進行しつつあり、いよいよ日中のひなたを出歩くことが苦痛になりつつあることを除けば、体調は悪くない。ただ、先日の旅行の最終日に軽いぎっくり腰をやってしまったので、かがんだり、座りっ放しで仕事をするのが辛い。

で、その左目はと言えば、4/22 に行なった検査によって、最終的に 5/15 入院・5/16 手術ということで fix。通常であれば 5/18 に退院ということになるのだが‥‥ここ数日、肝心なその左目に数時間も経つと結構な量の膿が溜まるのが気になる。単なる炎症か、それともどこかの組織が傷付いているのか。ともかく、これを手術前までに抑え込めないと、感染症による合併症の危険性が高まる。もちろん最悪の場合は失明もありうるのだが、その前段階として、手術の延期や再手術などで schedule が延びることも考えられる。あんまり予断を許さない感じ。

仕事は忙しい。連続して 3 時間以上画面を注視していられないので効率が上がらないこと夥しい。そのせいで余計に作業が進まないので、時間ばかりが無駄にかかる。

そういえば、ニューファミリーからハイパーファミリーへの回線種別切り替え工事はなんとなく完了。まだ速度は測定していないが‥‥少なくとも速くなったような気はしない。国内の backbone が「last 1 mile」の整備状況に追い付いていないので当たり前と言えば当たり前だが、なんとなくかえって遅くなったような気がするのが気掛かり。ちなみに、工事担当者に「どのくらい(速度が)出てます?」と訊いたら、「今ちょっとこのパソコン調子悪くて(ちなみに tough book だった)、当てにならないんですよ。9M とかあり得ない数字が出てるんで。大体は 80M とか出てるはずです」ということだったんだが、ともかく定量評価はまだしていない。‥‥しかし、開通試験にそんな調子の悪い machine もってくんなよ‥‥。

そんなこんなで、相変わらず画面を長時間見続けるのが大変苦痛で、仕事以外では極力画面を見たくないので、mail の返事が最小限になっている他、日記を書くのはおろか、TV すらもこのところしばらくはほとんど見なくなっているのだが‥‥そうこうしているうちにいろいろとネタは蓄積されていっているので、忘れないうちに列挙だけしておこうかなと思って見たり。


そんなわけで前回からのあらすじ(兼備忘録) [日記 / 日常 / 旅行]

年明け早々に KNS 組に便乗して餘部でカニ。すばらしすぎると言えます。生で喰うともんのすごくトロッとしていて甘い。その「生で喰えるもの」を茹でたり焼いたりしゃぶったり。はぁはぁ。

1 月中旬には台湾旅行へ。わかったこと: 現地で静かに盛り上がる日本ブーム/そのせいで若い人達にも以外に日本語が通じる/台鐵の急行列車(に相当するもの)の車内はほとんど 14 系ハザそっくり/暑い/高雄でぎっくり腰/現地の人は鍼治療を信用していない/阿里山鉄道はぁはぁ/高鐵は台中以南で大絶賛土木工事中

その台湾旅行の準備に走り回っていたとき、しばらく乗っていた自転車が「rear brake の台座がもげる」という豪快な壊れ方で保留車に。しかたがないので、代わりに京都の QBEI という店から通販で GIANT の cross bike(CR3400)を購入。Tire は同時に購入した SPECIALIZED の '06 C.ROAD(700x38C)に交換。さらにこれも同時購入のハブダイナモを取り付け、運用開始。荷台も取りつけた。なかなか良好。以前に乗っていた自転車と較べると驚くほど車体が軽くて、その分漕ぐのは楽なんだが、重心が上がってしまうために低速時や停車時などの安定性は今一つ。そろそろ gear の調整をしないと。

「飯田線に乗ってみたいんですよぅ」といけがみさんにせがまれて (^^;、2 月中旬の週末に急遽東京口の 113 系とのお別れを兼ねて久々に飯田線へ。ついでに今回は初めて沿線(湯谷温泉)で一泊。割りとよかったかな。翌日の昼食にと入った天竜峡駅近くの蕎麦屋さんでは妙に気に入られていろいろと大根に関する話を聴いてみたり。

3 月初頭にぽっかいどへ。ムネムネ線 北海道ちほく高原鉄道に最後のお別れ。峠越えの湿原などは見事で、実に惜しい路線だ。一方、旭川では旭山動物園にて「ペンギンのお散歩」を目前で見る。まさか目の前 15cm(まさに「臭いすらわかる」距離)で見られるとは思わなかった。残念ながらペンギン舎では誰もプールに入っていなかったため「空を泳ぐ」姿は見られなかったので、夏にでも retry。あとクマ牧場も行かないと。とりあえず次回も「H まぶらほ まほらば まほろば」か。

引き続いて 3 月中旬には〔出雲〕号と〔日本海 1・4〕(函館口)にお別れ。

  • なんだか〔出雲〕には立て続けに 2 度乗りに行って JTB の担当者に呆れられたような気がするけどキニシナイ。
  • 川戸屋では宿の方となぞの取引が。
  • 宿の方もそうだったのだが、沿線の人達は〔出雲〕のブームの加熱ぶりにかなり困惑した様子。途中で立ち寄った七釜温泉の「ゆーらく館」では施設の方に「(〔出雲〕のブームが終わったら)もう来られることはないんでしょうねぇ」と寂し気に言われ、「いえ、山陰は好きな場所なんで年に数回来ていますから、また寄りたいと思います」と答えたら「そうですか」ととても嬉しそうな笑顔を浮かべていたのが忘れられない。
  • 3/17 は大荒れの天気。我々の行程には何の影響もなかったが、〔はまかぜ 4〕から〔日本海 1〕に乗り継いだ直後、明石附近で強風のため山陽線が抑止。そして、〔日本海 1〕が大阪を出発すると、大変な大雨に。ビシャビシャと雨音がうるさいのはいいとして、B 寝台車の洗面所附近で盛大に雨漏りしているのにはまいった。
  • 不安だったので、車内で仕事をしつつ、その合間に翌日の函館の天気を調べる。との途中でふと眼に入ったこんな記事(tenki.jp)。
    • 北海道で4月前半の暖かさ。最高気温は札幌8度5分、帯広9度、釧路7度5分で今季一番。低気圧が暖気を運び、関東から西の太平洋側は15度を超えた所が多い。一方冷たい北風に変わった九州北部や中国地方は昼間10度を下回った所も。広島8度7分で真冬並
    同じ「8 度台後半」でも、片や春先、片や真冬並。日本は長いなぁ。
  • そして到着した 3/18 の函館はきれいに晴れた青空。夕方、最後の〔日本海 4〕号をお見送り。現場の警戒に駆り出されていた構内作業員の方となぜかのんびり雑談を交わしてみたり。やっぱり、函館の先行は暗いな‥‥。地元に益をもたらさない新幹線なんて、要らない。

GW 旅行の前に、只見線に乗りに行く。塩兄が「いつもより桜が早いのでは」と主張してのことだったが、肝心の只見線が一向に全通しない。昨年暮れに沿線の雪崩れのため運休区間が発生したあと、不通区間は当初の「小出〜会津坂下」(つまりはほぼ全線)から徐々に短縮されたものの、県境越えの「大白川〜小出」が最後まで残っていた。宿もきっぷも手配してしまったので、どうなることかと案じていたのだが、決行の 4 日前になって、ようやく我々が通過する前日の初列車から運転再開との報が。やれやれ。ちなみにその「只見の桜」はと言うと‥‥除雪が遅れていただけあってまだ辺りは真っ白で、駅横の滝神社へはそもそも近づくことすらできなかった。到着後、宿で自転車を借りて只見ダムへ。翌日は check out 後やはり自転車を借りて越後塩沢まで足を伸ばす。叶津の番所跡は修繕工事中。近隣の旧五十嵐家住宅はそれらしい建物が見えるものの雪で道がなく接近不能。1 駅あたり 15 分の pace で走り、たどり着いた河井継之助記念館は冬季の休館中(声をかけてくれた地元の方によると、4/29 開館の予定で、やはりいつもより遅めだとのこと)。近くにあるお寺まで行ってみるが、河井継之助の墓はやはり雪に埋もれていて判然としない。お寺の脇にある湧き水で喉を潤し、対岸の神社を覗いて、折り返し。只見駅近くの川沿いにある温泉施設で湯に漬り、駅近くの食堂で蕎麦を喰って、離脱。今回は郡山から初めて磐越東線で いわきへ抜け、415 系と〔S ひたち〕を乗り継いで帰宅。それにしても、只見はいつも通過してばかりだったが、降りて町を歩いてみると、町の人達が老若男女問わず気さくに声をかけてくれるのに驚いた。素朴な人柄が現われていて、好ましい。やはり歩いてみないとわからないものだ。宿は駅前の「只見荘」だったのだが、安い上に食事も旨い。特に、「自家製、手打ち、つなぎなし」という蕎麦と、陶板焼きの牛肉(どこのだろう?)が絶品。いい宿だ。


GW 旅行のあらすじ [日記 / 日常 / 旅行]

分量が増えてしまったので、この項だけは別建てで。

毎年恒例の GW 旅行は、6 月の改訂で大幅に運用が縮小されると言われている高知の 58 にお別れを。もちろん只見線にも乗る。

〔サンライズ瀬戸〕で四国入りし、そこから高知・道後温泉・高松と泊まりつつ、高松→阿波池田やら窪川→高知やら阿波池田→高松やら高松→伊予三島やら伊予三島→高松やらで 58 を堪能。

阿波池田→高松までは予定の行動だったが、そこで国鉄色にぶち当たってしまったので、急遽伊予三島までの往復を追加。フリーきっぷならではの機動性。ちなみに今回使用した「四国フリー」は(企)ではなく(契)だったので、当日時点で空きがあれば指ノミも取れる優れ物。途中「ダブりか?!」という事件も発生したが(相手が途中までの特急券しか持っていないにも関わらずその先も席に居座っていたというものだった)、取り立てて問題もなく。天気もよかった。

ついでと言っては何だが、鳴門線と予讃線(海線)に初乗車。

土佐御苑の従業員さんたちは明るい :-D。駅にも近いし、風呂も広い。また泊まろう。

道後温泉では道後温泉本館の近くの H 茶玻瑠に泊まり、翌日は昼過ぎまで道後温泉本館の 2 階席でまったり。坊っちゃん泳ぐべからず。空いていたので(私が入ったときには 2 階席は無人)、大変のんびりできた。時間があったので、皇室専用施設も見学。かつて宿には温泉が引かれていなかったので「皇室の方にも温泉を楽しんでいただこう」と増築したものだそうで、警備などのために「如何にも」といった感じの工夫が凝らされていたが、その後各宿泊施設にも温泉が引かれたので、昭和 30 年代に用途廃止となったそうな。通算で 10 回も使われていないというのにも興味を惹かれるが、それより割と最近まで宿では温泉に入れなかったというのに驚いた。駅に向かおうとしたところで、「坊っちゃん」と「マドンナ」に扮装した男女を目撃。その後鰺ヶ沢でたまたま眼にした TV news によると、集客力向上 campeign のためのもので、行政の肝煎り(衣装代を半額補助)だそうなのだが‥‥まあ、これも一種のコスプレってことなんかなー。

高松ではできたばかりの「スーパーホテル 高松・田町」に宿泊。「天然温泉」だという大浴場は狭いが(カランは 3 つ、浴槽も 4 人程度で一杯)、深夜でも入れるのが嬉しい(ちなみに男女入れ替え制なので、深夜に入れるのは男性のみ)。なにより、大浴場の隣にある coin laundry の乾燥機は、gas 式! 料金も安い。素晴らしすぎる。朝食は触れ込みほど豪華ではないが、無料で提供されることを考えると十分すぎる。琴電の瓦町駅からは荷物を背負った足で 3〜4 分ほどで、1 階には 100 円 shop(キャン・ドゥ)も入っており、arcade に面しているので買い物などには便利だが(おかげで雨が降っていても駅からはほとんど傘要らず)、客室は arcade の屋根より高い 3 階以上にあるので、うるさいということもない。Bed も semi-double(っていうか double?)だし、なんといっても安い。これはいい。ライオン通りにも近いし(「こんぴらうどん」から徒歩数分)、うどん屋巡りの基地にはいいかも。高松駅から歩くと 30 分近くかかるのが欠点といえば欠点だが、逆にその程度で高松駅にも着けるということで。

宿へ向かう琴電は、狙ったわけでもないのに旧形電車にぶち当たり、はぁはぁ。翌朝、瓦町の窓口で 1 日乗車券を売っていたことを知り、高松築港まででは全く割に合わないことを承知で 120 型の券を買ったら、これまた偶然その 120 型がやってきて、びっくり。

高松から宇野までは本四フェリーに乗ってみる。築港駅から乗り場までは約 10 分。ちなみに宇高国道フェリーの乗り場まではさらに約 10 分かかると思われる。船内ではやっぱり風呂に漬ってまったり。フェリーの運賃は 390 円なので、銭湯に入っているついでに運んでもらうといった感じか。‥‥うどん? 言うまでもない。

往きには〔サンライズ瀬戸〕で通り抜けてしまったので、出入口駅でもない宇野駅でゾーン券に入鋏してもらう(最初は「どうぞー」とそのまま通されてしまったのだが、数 m 入ったところで引き返し、「まだ入鋏されてないんですけど、大丈夫ですか?」「え? ああ、本当ですね (^^;」と謎の会話を繰り広げる)。

区間運転の列車で茶屋町へ。もちろん、この区間に乗るのは初めて。その先は〔マリンライナー〕に乗る予定だったのだが、すぐの連絡で琴平からの普通列車がやってきたので(見落としていた)、何も考えずにそれに乗る。‥‥これが大失敗。やたら構内の端に着くので、荷物を背負ってひいこら歩いている間に当初乗る予定だった〔マリンライナー〕も到着してしまった。何の役にもたたん。これなら、茶屋町で一旦改札を出て駅の写真でも撮ってくればよかった。

岡山で荷物を coin locker に押し込み、一旦倉敷へ。美観地区をうろうろ。途中で雨がぱらついてきたのだが、ちょうど目の前にあった案内所に入り、出てみたら既に止んでいた。時間の関係で行かれなかったが、東古町の雰囲気がよさげ。‥‥実は駅にレンタサイクルがあるそうなんだが、気がついたのは既に鰺ヶ沢に着いたあと。ぐあー。

時間がなくなって走って駅まで戻ってみると、何と山陽線が遅れている。8 分遅れとか聞かされて、思わずへたりこみそうになる。ともあれ、予定より 1 本前の列車に乗り込む。これも遅れていたので、岡山で予定の列車に乗り継げるのか心配だったが(何しろ荷物を出さなければならない)、回復運転のせいもあって、何とか当初予定の列車に乗る継ぐことができた。

赤穂線で播州赤穂へ。吉良邸跡の近所に住み、客先との往復に泉岳寺を経由している身として、一度行ってみたかった赤穂城へ。駅近くのコンビニで妙なネタを発生させたあと、息継ぎの井戸(復元)やらその近くのお寺さんやらを覗きつつブラブラ。城の西側の壕は埋め立てられて道路や民地になっているのだが、発掘調査の結果、かつての壕の石垣や井戸が出てきたとかで、通りに面した一角にかつての石垣の位置が再現されていた。

のんびりしすぎたせいで時間がなくなり、城内へ入った大石神社の鳥居辺りで駅へと折り返す。門の位置から駅まではすたすた歩いて 10 分ほど。意外に近いが、そこから奥に施設が点在しているので、全てを歩いて見て廻るには見学時間を除いて 2 時間程度欲しい。駅の観光案内所にはレンタサイクルもあるが、案内所が閉まる 17 時までには返さなければならないので、夕方からの見学には使えない。ちなみに、bus は便数が少なすぎて観光には使い物にならない(bus を待っているくらいなら歩いた方が早い)。同じ「連休中の週末」だというのに、倉敷の美観地区(特に川沿いの一帯)が人で溢れていたのに対し、こちらは歩いている人も疎らだが、駅前通りの「井戸」から城までの間は、沿道の建物の外観を古い町並み風にし(もちろん中身は普通の現代建築)、雰囲気を演出しようとしていた。この姿勢は観光を中心に据えようとした場合に有効な手段だろう。他の地域から来る観光客が何を求めて訪れるのかを考えれば、このような方針は理に適っている。‥‥ところで、井戸と駅との間にある地下道は入口が封鎖されていたのだが、帰りにしげしげと眺めてみると‥‥「人通りが少なくなり、利用者がほぼ皆無となったのに加え、治安上も危険な状況となったため、廃止して埋め戻す」ということだった。ちなみにこの地下道、道を挟んで 4 つの出入口がある「H」字型のものだが、道路は 2 車線でそもそも車もあまり多くなく(休日の夕方だったから?)、ついでに言うとその場所は交差点ですらない。何がしたくて作ったんだか‥‥。

赤穂線から直通列車で姫路まで。山陽線は既に高架に切り替えられていたが、姫新線と播但線は依然として元の位置。しかも 1 番ホームが今だ供用中なので、乗り換え客はホームから地平コンコースに降りた後「連絡通路」を歩いて旧 2・3 番ホームへ出て、そこから跨線橋か地下道を利用することになる。1 番ホームに level で接している北口駅舎の改札へ向かう場合も同様。2 番ホームが既に供用停止となっている以上、姫新線ホームとなっている 1 番ホームを途中で切って通路を渡せば旅客はわざわざ階段を登り降りしなくてもいいはずなのだが、そうなってはいない。現在姫新線から山陽線に直通する列車は存在しないので、1 番ホームを行き止まりにしても駅の西側にある車両基地を経由して山陽線との間の出入りは可能だし、播但線はと言えば駅構内の東側で従来通り山陽線と接続しているために何ら影響はない。姫路駅付近連続立交化には車輛基地の移転も含まれているのでその関係で残してあるのかもしれないが、仮設の通路であれば設置・撤去は簡単なはずで、こうまでして乗客に労力を払わせなければなければならない理由がよくわからない。ちなみに、こんな感じで構内がややこしくなっているせいか、コンコースには案内のための人員があちこちに配置されている。私も荷物を背負ってうろうろするのは嫌だったので〔はまかぜ〕の乗り場を訊いたのだが、上り列車の乗り場を訊かれたのは初めてだったようで(そりゃそうだわな (-.-;)、わざわざどこかに走っていって確認してきてくれた。その親切さには本当に頭が下がるんだが‥‥上の人間はもっと根本的なことを考えるべきなんじゃないか?

ともあれ、〔はまかぜ 6〕で大阪へ。G 車を奮発したが、G 車の客は私を含めて 2 名だけ。まったりとひとときを過ごす。きれいに晴れていたせいで、今回は明石海峡大橋がよく見えた。

大阪へ着くと、隣のホームから出る〔日本海 3〕号のカマがもはや希少となったピンク色の EF81。そのせいか、やたらと撮り鉄がたむろしている。

Pocket PC で使っていた SD card が高松で突然死んだので、高いのは承知で梅田ヨドバシで泣く泣く購入。もっと安い店はあるんだが、大阪到着が 20 時過ぎなので、とうてい間に合わない。しかし、一番痛いのは、朝高松を出てから日中うろついた履歴を全く取れなかったこと。Mio168 の構造上の問題(ちょっとした衝撃で SD card が抜けてしまい、そのたびに蓄積した GPS data を lost する)もあるので、もしもの時のために予備をもって歩かないと駄目だ。最初に買った SD card を家に置いてきてしまったのが悔やまれる。

店を出て、早速 SD card に MioMap の data を転送開始。こんなこともあろうかと地図 data を s30 に入れてあったのはいいんだが、600M を越える量の data を転送するにはそれなりの時間がかかる。その間は当然 MioMap を使えない。今回は新たな銭湯を開拓しようと思っていたのだが、その data も MioMap の中なので、当然参照不可。仕方がないので、前回と同様、法善寺近くの風風亭で焼肉を喰った後、清水湯でひとっ風呂。

〔きたぐに〕に乗る頃には MioMap も復活。もう遅いけど。とにかく、一路新潟へ。隣の車輛が喫煙の B 寝台である上に、deck でタバコを吸う奴が A 寝台車側の扉を解放したがるので(煙を逃がしたいからだろう)、煙たくて仕方がない。A 寝台車内の喫煙 space も上部に開口部があって寝台部分に煙がだだ漏れだし、いい加減に少し考えて欲しいものだが。

とにかく新潟着。〔きたぐに〕の引き上げを見送ろうとしていたら、先に発車していった米坂線直通の列車に国鉄色のキハ 52 が充当されているのを目撃。

新幹線で浦佐へ。いつも鳩の糞にまみれていた田中角栄の銅像にはいつの間にか透明な屋根がかぶせられている。

やってきた〔只見新緑号〕には、予想通り新潟の国鉄色キハ 58+28 が充当されていた。さらに、只見方には物販車として首都圏色のキハ 40 が。高知・高松地区の 58 と同様に近郊型改造されているのがやや興醒めだが(キハ 40 に至っては完全に long seat 化されている)、四国のものと違って便所が撤去されていないし(ただし 28 のほうは業務用室と化していた)、deck も健在なので、状況はややマシ。それにしても、車番が白文字で書かれているのには、どうしても違和感が‥‥。

一路只見へ。小出ではあまり体験できない転線(2 番→ 4 番)を味わう。4 番には定期用の 48+40 がいたが、それをわざわざ 5 番へ入れ換えての作業であった。

只見線沿線はやっぱり真っ白。それでも、物販車に乗っていた魚沼市の guide の方によると、「先週と較べると、まだ(雪の高さが)半分くらいにはなってるでしょう?」。一方の新緑のほうはといえば、「昨日だいぶん暖かかったせいで、昨日と較べても明らかにブナの新緑の緑が多く見える」とのこと。

只見で〔風っ子会津只見〕に乗継。ちなみにこの列車、JTB の端末では「カセアイ」で出てくるものらしい。4 文字の略号というのももうだいぶん苦しくなってきているのではないかと思う。指定を取ってもらうときもなかなか列車名が見つからずに窓口担当者が苦労していた。しかし、「『かぜっこあいずただみ』を 4 文字の略号で」というとすぐに思い浮かぶ「アイタタ」にはさすがにしなかったのね。

依然として只見も雪が多く、滝神社にはやっぱり近寄れない。駅前に出店を出していた地元の方によると、「連休中に咲き出せばラッキー、って感じですねぇ」。昨年も雪が多かったが、それでも雪が残っていつつも道は通れたし、桜も咲き始めていた。やっぱり今年は春が遅い。ところで、駅員さんの話で、滝神社へ通じる駅の脇にある踏切が実は構内通路扱いであるという事実を今回初めて知った。うーん、確かに場内信号機の内方ではあるのだが。

「昨日からだいぶん暖かい」と言うだけあって、駅周辺を歩いていると軽く汗ばむほど。なので、トロッコ風気動車に乗っていても寒いということはなく、さわやか。ただ、やっぱり車窓は白い。川口を過ぎ、川岸から里のほうへ線路が移っていくと、ようやく桜の花が見られるようになった。そして、宮下や塔寺の辺りではまさに満開。やはりいつもよりもだいぶん遅いようだ。

会津盆地に降りると、坂下や西若松附近では既にだいぶん散っていた。しかし、宿へ向かう途中に時間はあるので、「ハイカラさん」に乗って鶴ヶ城に寄ってみる。駅前にいるときに若干パラパラ降ってきたものの、bus から降りるころには止んだ。北口から入ってみると、壕の北側や本丸など日当たりのいい場所の樹はほぼ散っていたが、壕沿いや二の丸などは満開。特に、三の丸口へと至る壕沿いの桜は見事であった。案内板によると、平年の見頃は 4 月中旬だということなので(実際いつもはほとんど散ってしまっている)、半月ほど遅れていることになる。

再び「ハイカラさん」に乗り、東山温泉へ。武家屋敷周辺から温泉へかけての桜も今が盛りであった。東山温泉駅まで迎えに来てくれた宿の方も、「いやぁ、今年は春が遅いです」。東山温泉駅で車を待っている間に雨は結構本格的に。しかし、車寄は建物の 1 階部分にあるので、全く濡れることはなかった。

今回泊まったのは原瀧。露天風呂の雰囲気は今までの中で一番いいかも(入口へと降りる階段附近に下水っぽい臭いが篭もっていたのは閉口したが)。やや変わった造りだったが、部屋も広い。全体に古さがかいま見えたが、きれいに改装してあって、ほとんど気にならない。食事はハーフバイキングという珍しい形式。ローストビーフならぬ「ローストポーク」がやたらと旨かった。

翌日は 0920 の送迎 bus に乗って会津若松へ。喜多方で一旦降りていつもの「なまえ」で手打ちチャーシューラーメンを喰い、快速で新潟へ。微妙に雨がちなせいもあってか(しかし外に出ているときに濡れることはなかった)、阿賀野川は例年になく川霧がすごい。沿線のダム周辺ではやはり桜が満開。

新潟では 2 時間待ち。しかし、それなりに雨が降ってきているうえに同行の塩兄は「腹具合がおかしい」というので、買い物をしたり茶をしばいたりして時間を潰す。

〔いなほ 7〕号で象潟へ。‥‥間違って山側の席を取ってしまったが、禁煙の指定席は既に満席とのことで、そのまま乗車。村上でだいぶん降り、鶴岡に着くころには空席が目立ってきたので、適当に移動しながら車窓を眺める。第 2 最上川 B 附近では 40km/h 強での徐行。橋の南東の現場は整地され、砂利が敷かれていた。

象潟到着。翌日の指定券を窓側に替えてもらおうときっぷ売り場へ。‥‥何か見慣れない端末がある。なんと、MARS 端末を廃止し、指定券発売機で置き換えたらしい。しかもこの端末、東京附近の駅で見掛ける自動端末ではなく、有人応対のもの。身分証や割引券、変更前の原券などは原稿台の上に置いたものを camera で撮影、音声で center と会話をしながら center とやり取りを行な指示に従って現金の投入や受取りを行なう。ちょうど、旧 UFJ 銀店舗の店頭でよく見られるモビットなどの「無人契約機」に現金や書類の出納機能が付いたものといった感じ。‥‥でも、操作が煩雑なせいか、結局は横に駅員がいて代理に操作している。これなら直接 MARS 端末を叩いたほうが早いんじゃないかと思うのだが、ゆくゆくは完全に無人化するつもりなのだろう。

前の人が発券し終わり、次は自分の番‥‥と思ったら、「応対中」とかでずいぶん待たされた。その間に駅員さんに希望を伝えるが、「1 号車の D 席か 2 号車の A 席」というと、中年の駅員さんは即座に「ああ、海側ですね」。さすがだ。で、待たされている間に「これは、秋田辺りの扱いになるんですか?(※ 象潟駅は秋田支社管内)」と訊くと、「いえ、盛岡です」。なんでも、東京・横浜・長野以外の全ての支社を全て盛岡の center で一括して扱うのだそうだ。‥‥そりゃあ、待たされるわけだ‥‥。

延々待たされ、ようやく処理完了。「明日の 1 号だと、まあ空いてると思いますけどねー」と駅員さんが言っていた通り、無事に海側を確保。ようやく「たつみ寛洋ホテル」へ。

何年か前に泊まったときは岩牡蛎づくしで大変なことになっていたのだが、どうもその年はたまたま(水温の上昇が早くて例年以上に繁殖したなどで)漁が早く始まったということのようで、本来 6 月までは禁漁中なのだそうだ。というわけで、今回も岩牡蛎はなし。その代わり、table に溢れんばかりに海の幸が並ぶ。「マグロとハマチが食べられない宿」(= たとえお造りの定番でも地元で上がらない魚は出さない、という意味)というのが謳い文句だが、地元の新鮮な海の幸がこれでもかと並ぶ。堪能。食事を挟んで二種類のお湯(天然温泉と光明石温泉)も楽しむ。時折雨が降るほどの天気だったので我々は大変過ごしやすかったのだが、東京は真夏日だったとのこと。たいへんだ。

翌日は駅の観光案内所で自転車を借り、象潟を巡る。今まで 2 度来たときはいずれも曇っていたり小雨がぱらついたりという天気だったのだが、今回は気持ちいい晴天。東京は機能と打って変わって一気に 15℃ 程も気温が下がるということだったが、象潟はというとむしろ軽く汗ばむ陽気。そんなこともあって、そろそろ駅へ戻ろうかという頃、そこいら中の道が田植え作業の車やら農耕機やらで塞がれてしまい、大迂回して駅へ。何とかギリギリ間に合った。列車が 2 分ほど遅れてきたおかげで若干余裕すらあったが、危なかった‥‥。

昨日とは変わって海側の席で秋田へ。途中、車販が廻ってきたので coffee を頼もうと思ったら、なぜか wagon ではなく手で弁当などをぶら下げている。それでも頼んでみたら、一瞬顔色を変えたあと、「今お持ちしますので、少々お待ち下さい」と言って deck へ消えた。その直後、まだ客室との間の扉が閉まっていない deck から東北弁の罵声が。‥‥どうやら他の車輛に通路を荷物で塞いでいる客がいるらしく、wagon が通れないらしいのだが‥‥その罵声の最後の「馬鹿共が!!」というセリフは俺に向けられたものじゃないだろうな。こちらはそんな事情は知らないし、もしそういう事情があるなら説明すればいいだけの話だ。そもそも当たり散らすくらいなら車掌に言って荷物の対処をしてもらうのが筋で、いずれにしても客に当たるべきものではない。しばらくしてにこやかに coffee を持ってきたが、なんといっていいものやら。久々に気分を害した。しばらく秋田附近の NRE ではものを買うのを止めておこう。

秋田では 2 時間弱の間合い。観光案内所で訊いたところ、レンタサイクルは駅付近にはなく、千秋公園からずっと先に行った自転車屋まで行かなければならないらしい(しかも当日の火曜日は定休だという)。せっかくだし、できれば千秋公園以外の桜も眺めてみたいと思ったのだが、「bus は 1 時間に 1 本あるかないかだし、bus を降りてからも 10 分以上歩く」ということだったので、断念。結局、「車がないとどうしようもありませんねぇ」という結論に。せっかく駅構内に観光案内所があっても、これでは役に立たない。しかたがないので、弁当を確保し、荷物を coin locker に押し込んで、徒歩で千秋公園に出掛ける。‥‥満開。ちなみに、つい先日まで桜まつり(4 月末)をやっていたようだが、何と延長もせずに終わってしまったようで、無人とまではいかないが、公園内は静かなもの。そのおかげで、ゆっくりと満開の桜を楽しむことができた。

秋田からは〔リゾートしらかみ 5〕号で鰺ヶ沢へ。たまたまではあったが、つい先日 debut した「くまげら」編成であった。‥‥とは言っても、2 号車は青池編成から引っこ抜いて転用したものなので、乗ってしまえば基本的に代わり映えはしない。秋田を出るときにはやや曇っていたが、能代を過ぎるころからは晴れ始め、日本海沿いを走る頃には眩しい日差しが。

鰺ヶ沢到着。5 号はやや運転時刻が早めなので、この時期だと海が見える時間帯には日没が見られない(真冬なら何とか、と言ったところ)。宿についてからでも日没の 1834 頃まではまだ間があるので、一旦荷物を置いてから夕日を見に出掛ける。‥‥といっても海沿いの公園から見るには逆に時期が早すぎ、公園をどんどん東に歩き、日本海拠点館の裏手の端まで行ってようやく堤防に邪魔されずに夕日が沈むのを見ることができた。通常は海面近くになると靄がかかって太陽の輪郭が判然としなくなるものだが、今日はくっきりと見ることができた。きっとすぐ上にある「グランメール山海荘」からもきれいな夕日を眺めることができただろう。一方、鰺ヶ沢で交換した〔リゾートしらかみ 6〕号は、天気には恵まれたが間がよくなかった。今日の日没の 1834 頃はちょうどウェスパ椿山に停車中。あの辺りは前後の区間と違って海が見えづらい。海が見える区間では微妙に陽が沈んでおらず、再び海が見えるようになった頃には既に沈んでいたのではないだろうか。

公園やら街中やらをうろうろしつつ、「水軍の宿」へ戻る。さすがに身体の表面が冷えたので軽く shower だけ浴び、夕食。象潟ほどではないが、いろいろな海の幸が並ぶ。久々に「幻の魚 イトウ」を味わう。

翌日は予定より 1 時間ほど早く宿を出れば弘前に寄ることができたので、桜の開花状況を check。‥‥しかし、まだ咲き始めらしい。しかも弘前城は弘前駅から徒歩だと 30 分程度かかる。最近流行りのコミュニティーバスも走ってはいるが、30 分後とという本数では 2 時間程度の間合いではあてにはならない。そもそも桜まつりの開催中(こちらは秋田と違って会期を延長)ということもあって、会場周辺は渋滞が予想されているという。そうなるとますます bus は当てにならない。で、レンタサイクルがないか調べてみたら‥‥商工会議所が NPO と組んでやっている service がある(しかも駅前で借りられる上に無料)らしいのだが、商工会議所の site からは該当 page が削除されており、他の情報を当たっても貸し出しを行なっている期間の記述がまちまちでどれが正しいのかわからない。結局、信用できる一次情報に行き当たらなかったのと、どのみちそのまちまちな情報を総合しても service は早くて 6 月以降でないと再開されない(冬季休業中)らしいので、あっさり断念。やる気あるんかな。こういう時期こそ自転車が威力を発揮すると思うんだが。まあ、「会場周辺は混むので、少し離れた場所にある無料駐車場の利用を」と呼び掛けておいて、その無料駐車場と会場とを結ぶ shuttle bus の停留所から会場まで 10 分以上歩かせる、というよくわからないことをやっているくらいなので、果たしてどこまでやる気があるのかさっぱりわからない。町の中心部は駅側ではなく弘前城周辺なので(つまり国鉄の駅が街の中心部から離れている)、既に道路が飽和していてどうにもならないのかもしれないが。

予定通り〔リゾートしらかみ 1〕号で青森へ。こちらは元祖の「青池編成」。車体に書かれた logo は新しくなっているが、その下から当初の「Shirakami」の logo が浮かび上がっていた(車内では free space などにまだその logo が見られる)。早朝に深浦の南側で発生した車輛故障の影響で 10 分ほどの遅れで発車したが、元々折り返し間合いが多かったこともあって、青森到着はほぼ所定。

せっかくなので今回は船で北海道に渡ってみようと思っていたのだが、乗り場までは行ったものの、「満員です」と断られて敢なく断念。仕方がないので、〔白鳥〕の自由席で函館へ。ホームに並んでいたおかげで、なんとか席は確保。

こりゃあまだ咲いてないだろうなぁと思いつつ、五稜郭公園へ。‥‥案の定、蕾はまだ固く閉じていた。1 輪たりとも咲いていない。いつもならここも「散り始め」でもおかしくないのだが。そういった事情を反映してか、公園内にはムキになって宴会をする group が多数。いつもの時期に較べると少ないが、それでも半分くらいはいる。花が咲いていないだけに日が暮れてくると急に冷え込んでくるが、吹いてきた風に「寒〜〜!!」と震え上がりながらもなお酒盛を続けているのは、さすがと言うべきかなんというべきか。

桜が咲いていない分逃げ込む人が増えたのか、新装なった五稜郭タワーは結構賑わっていた。3/18 に旧タワーに登ったときは他に数人しか人がいなかったのだが、今回は割と混んでいる。既に建物部分は撤去され、タワー部分のみとなった旧タワーのつむじを頭上から見下ろしてみるぷれい。

風呂に入るべく谷地頭へ。‥‥どっく前行きが走り去ってから待つことしばし。ちっとも電車が来ない。10 分以上待ってようやく来てみれば、どうやらつり銭不足に陥っているらしく、客扱いに異様に時間を取られ、どんどん増延していく。挙げ句に、宝来町の交差点では函館山に向かおうとする車の列が軌道にはみ出し、電車が動けなくなるという事態まで発生。谷地頭方から左折で山に向かおうとする側などは、車が完全に軌道内に乗り入れてしまっている。軌道内乗り入れ禁止もへったくれもあったものではない。

ようやっと谷地頭温泉に到着。大急ぎで体を洗い、軽く漬かって、また飛び出す。次の電車までは時間が開いているし、そもそもこの状況では当てにならないので、電停前で taxi を捕まえる。‥‥宝来町交差点の状況はだいぶん落ち着いてきていたが、taxi の運転士さんは「あの人達はあのまま 10 時まで山の上で待つんですかねぇ」と首をかしげている。さっき谷地頭へ向かうときの電車にも「10 時まではまだだいぶんあるなあ」と話しながら青柳町で降りていった若者連れもいたので、きっとそうなんだろう。天気がいいこともあるが、桜が咲いていない分、こっちに集中してしまったんだろうか。

とにかくいつもの「うに むらかみ」で晩飯。今回は到着が遅くなったこともあって、丼物でさくっと済ませる。相変わらず雲丹が絶品。ああ、「活ぼたん海老刺」は本当にまだ生きてる状態で出てくるので(しばらく皿の上で暴れていた)、そういったものが駄目な人は気をつけましょう。かく言う私も、殻から身を抜こうとすると暴れるのがかわいそうで(やっぱり痛みは感じるだろうし‥‥)、動かなくなるまでしばらく放置してしまった。

〔北斗星 2〕号で帰京。割と混んでいた。黒磯では大量の EH200 に遭遇。6 重連(6 連単機)の状態で転がっていたので、近々運用に入るのだろう。いよいよ赤ベコの往く手に暗雲が。しゅしょーが悲しみそうだなぁ、と思いつつ、食堂車で洋朝食をモグモグ。

ところで、今回のかえり券は久々に手書きになってしまった。播州赤穂では駅員がギョッとしていた。1 度目の新潟駅ではかえり券に加えて「宮内→新潟(ゆき)」「新潟→宮内(かえり)」「小出→浦佐(ゆき)」と新幹線の特急券を提示し、「これ(『宮内→新潟』)は記念にいただきたいんですが。他のはここから使います」と言ったところ、中年の駅員さんが panic に。浦佐ではかえり券と「浦佐→小出(かえり)」を提示しつつ使い終わった乗車券類に無効印を押してもらっていたら、横からヒョイと覗き込んできた年輩の駅員さんが珍しそうに「おおー、出補(しゅっぽ)だぁ〜」。〔風っ子会津只見〕の若い車掌さんは、指定券に入鋏したあと、「‥‥これ、どうしましょう。入鋏しましょうか。しない方がいいですか?」。どうやら券面に stamp が押されないほうがいいのでは、と気を遣ってくれたらしいのだが、「どちらでも構いませんよ。押すことになってるのなら押してください」と言うと、「では‥‥」と隅の方に遠慮しつつ薄く押してくれた。会津若松では改札の駅員さんが 5 秒固まった。喜多方では年輩の駅員さんが「‥‥ほぉー‥‥」と 10 秒くらい眺めていた。2 度目の新潟では駅員さんの目が点になったあと、「よくわからん」とばかりにやや投げやりに下車印を。青森では年輩の駅員さんが「えーと、周遊きっぷ、かえり。ほうほうほう。こりゃあすごいねぇ」とニヤリ、「どのあたりに押しましょうかねぇ。じゃあ、この「経由」のところでいいですか?」といいながら丁寧に下車印を押してくれた。そして、〔北斗星 2〕号の若い車掌さんはどうも出補の実物を見たのが初めてらしく、なんじゃこりゃと仰天したり、「周遊きっぷ、かえり。えーと‥‥」と悩んだり、「経由は裏に書いてあります」と言ったら引っくり返して裏を見て「‥‥ああ、目時経由になってるから、大丈夫なんですね。‥‥えっ、すごいですねぇ」と感心したり、「日生(ひなせ: このかえり券の発駅)ってどこですか」というので「岡山のほうです」と言ったらまた panic になったり、「えぇっ、どうやって‥‥」と目を白黒させているので経由を説明したら「はー」とおもしろがったり。御徒町駅では中年の駅員さんが「はぁ〜」と感心しつつ丁寧に無効印を押してくれた。今回も様々な反応が。

それにしても、東北地方は全般に 1〜2 週間程度桜が遅れているというのに、東京は真夏日。象潟では絶賛田植え中、高知では既にあやめが咲いていた。改めて、「日本は『長い』なぁ」と思った次第。



2006/05/07 (日)


2006/05/08 (月) 晴のちところにより霧雨 <一段落>

客先作業 [日常]

旅行から帰った 4 日の午後から日曜までちまちまと虫取作業をやったおかげで、大きな問題は片付いた。

で、午前中の会議が終わったあと、それを commit したり、履歴書いたり、細かな問題を片付けたり。

最終的に、6/中の mile stone に相当する状態に持っていくことができた。手術から 1 ヶ月は安静にするように言われている*1ので、これで安心して休養できるというもの。

朝の 10 時に客先に行って、結局客先を出たのは 23 時過ぎ。疲れた疲れたよ。

*1: 最近は白内障と言えば「日帰り手術」が一般化してきているが、実際のところは傷口が塞がって状態が安定するまで 1 ヶ月ほどかかると言われており、その間に感染症や緑内障などの合併症が発生すれば、最悪の場合失明の可能性もある。


入院中のおかず

客先の「五」の字が、「GW に帰省したときに宝箱から発掘してきた。きっと(五)さん好みだと思うので、入院中のおかずにどうぞ」と、2 冊の本を手渡してきた。

‥‥しょうじき、たまりません。うひはー

今となってはレアものなのであまり意味はないのだが、一応書名を書いとこう。

  • 国鉄気動車ガイドブック(誠文堂新光社)
  • 国鉄ディーゼル機関車ガイドブック(誠文堂新光社)

はぁはぁ

ちなみになぜディーゼルものばかりかというと、「ぽっかいどー人だから」。解りやすい (^^;



2006/05/09 (火)


2006/05/10 (水)


[後日へ続く]

[最新版へ] [2004 年までの一覧へ] [今年の目次へ] [今年のカテゴリ一覧へ]

メールはこちらへ...[五反田 秋彦 as (五) / a-gota @(at) agt .(dot) ne .(dot) jp]

この日記は、GNSを使用して作成されています。作製者の GORRY さんに感謝 m(__)m