「書きかけの歳時記」
2005/08版 その1

(since '05.04.25)

この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。

取扱上の注意

間違って検索サイトから来られた方へ(よくある検索 pattern)

アンテナ管理者の方へ


[前日へ続く]

2005/08/01 (月) 曇のち晴 <いろいろ入手>

あさ [日常]

11 時頃起きる。

支度をして出発。


ひる [日常 / 仕事]

客先へ。作成した資料を配る。とりあえずその方針で実装を開始することに。


ごご [日常 / 旅行準備]

早めに離脱。久々に 113 系に乗って東京へ。「走ルンです」と較べ、細かく小さい振動が多い代わり、周期の長い大きな揺れが少ない。椅子の座り心地が走ルンですより疲れにくいという点を除けば、この「揺れ具合い」が乗り心地に寄与する最も大きな違い。当たり前のように 113 系に乗れるのもあとわずかだ‥‥。

JR 北海道プラザでツインクルバスを予約。‥‥相変わらず他のお客さんは東海道新幹線の指定を買う人ばかり。これだから、JR 北海道固有のきっぷを買おうとすると妙に嬉しそうな反応が帰ってくるんだよな (^^;

秋葉原で乗り換えて浅草橋へ。先頭車輛に乗り、何気なく形式表示を見たら‥‥あれ、「クハ E231-901」の下に「クハ 209-951」の表示が浮いて見えている。改番してたのか‥‥知らなかったよ。興味なかったから(爆)。

TL 浅草橋できっぷ類を回収。乗車券に一部漏れがあったので、追加発券してもらう。そして、この段になって実は北海道ちほく高原鉄道の乗車券が JTB では発券不能であることが判明。うぐー。これはもう一度 JR 北海道プラザに行かないと駄目か‥‥。一方、現時点で WT になっている料金券に関して怪しげな相談をする。とにかく帰りの列車は〔北斗星 82〕号で fix。


機種変更 [買い物]

そのままアキバへ。WILLCOM PLAZA 秋葉原へ突入。

旅行へ向けて、AH-S405C(SII)へ機種変更。「サポートコイン」も 9 個溜まってるし、そろそろ antenna 欠落の card 端末を使い続けるのも厳しくなってきたし、そうこう言っているうちに CF type の card 端末も徐々に機種が減ってついに 1 機種になってしまったので、長崎行きを前に乗り換えることにした。

‥‥会計が現金のみというのは意外だった。S405C の場合、他の販売店で買うと価格は軒並 5,040 円。WILLCOM PLAZA や MC DiRECT で買うと 4,800 円と少し安いんだが、card 払いで買いたい場合は WILLCOM PLAZA で買ってはいけない。すぐに手元に欲しい場合、point 還元を考慮するならヨドバシなどがいいのかも。手元に到着まで数日かかってもよければ MC DiRECT で買うのがいいかもしれない(送料は無料)。

旅行中は別として、通常時の利用は主に客先に行くときだけなので、使用時間は週に 4〜5 時間程度。この状態だと、実は「つなぎ放題 [1x]」より「ネット 25」のほうが 4x(128kbps)が使える上に料金も安い。4x が利用可能な端末になったことだし、この際料金 plan を切り替えてしまおうかとも思ったが、旅行中はどうしても使用時間が普段より延びるので「繋ぎ放題」のままにし、旅行が終わってから切り替えることにする。


よる [日常 / みせ]

せっかく近くに来たので、以前から目をつけていたとんかつ屋「勝漫」(須田町 1-6-1)で大カツ丼(1,600 円)。実は「ロースかつ定食」(1,500 円)より高かったりするのだが、ものも価格相応。うまい。つーか、さすがとんかつ屋さんだけに、カツが厚くてジューシーでうまい。今度は普通の定食も喰ってみようかなー :-D

キコキコと帰宅。

帰ってみれば、客先の鉄分の濃い人(北海道出身)から帯広と札幌周辺の食い物についての mail が届いていた。‥‥うおー、すごい情報量だ! @_@; ありがとうございます m(__)m。ぬはー。


あさ [日常]

なんだかんだで、寝たのは 30 時頃。



2005/08/02 (火) <総仕上げ>

ごご [日常 / 旅行準備]

13 時頃起きる。

出掛ける前に乗車券類を check。‥‥うあ、かえり券の金額が以下略。どうしよう‥‥。

昨日きっぷを引き取りに行ったときに「JTB は北海道ちほく高原鉄道との契約がないらしい」という話になったので(とにかく発券ができないという)、キコキコと JR 北海道プラザへ出掛ける。‥‥ JTB では「北海道ちほく高原鉄道は通過連絡*1の扱いがないらしい」と聞いたのだが、それもどうやら契約がないために発券できないことから発生した誤解*2だったようだ。というわけで、当初のもくろみ通り通過連絡の乗車券を無事げっと。もっとも、JR 北海道プラザにもこんな客は滅多に訪れないと見えて(そりゃあそうだ)、「北海道ちほく高原鉄道とは連絡運輸の扱いがありますか?」と聞いた時点で窓口担当者がタリフを求めて右往左往するという事態が発生したわけだが (^^;

東京駅丸の内側の東北線高架下(旧国鉄本社ビル跡地の向かい)のチャンポン屋で皿うどんを喰ってみる。‥‥うーん(以下略)。

昨日乗車券の追加と共に「グランシャリオ」の予約を頼んであったので、途中で銀行に寄ったりしつつ、TL 浅草橋へ。‥‥「グランシャリオ」、敗北 (__;。久々にパブタイムかぁ‥‥。しかしそうですか、いつの間にかグランシャリオの予約は端末からできるようになってたんですか*3

謎の打ち合わせをして離脱。いろいろお手数をお掛けしてすみません m(__)m

一旦帰ってもぞもぞ準備。

*1: JR 線以外の鉄道の両側を JR 線で挟んだ経路の乗車券を発売できる制度。バラバラに買う場合と異なり、両側の JR 線のキロ程は通算して運賃を計算するので、遠距離逓減制の恩恵に預かることができるほか、通算部分のキロ程が 100km を越えれば JR 線区間での途中下車も可能になる。

*2: 元々国鉄池北線だった路線だし、今でも池田側では根室本線との直通列車が設定されてるくらいなので、当然連絡運輸はあって当たり前だし、通過連絡もあって然るべき。なにしろ、名鉄名古屋本線にも通過連絡の扱いがあるくらいだ (^^;

*3: 以前は「申込用紙に必要事項を書いて FAX で NRE の上野の担当部門へ送って回答待ち。『予約受付』の回答が帰ってきたらその予約番号を入力して予約券を発券」という手順だったのだが、今は「端末でまず予約を確定させて予約券を発券し、その番号を記入した用紙を FAX で送りつける」というものに変わっているそうだ。この変更は現場でも知られていなかったらしく、昨日頼んだときに申し込み手順について店員さん同士で揉めていた (^^;。その結果、「明日上野の担当箇所に訊いてみます」という話になっていた、というわけ。


よる [日常 / 旅行準備]

塩兄は 6 日発だが、私が明日出発してしまうので、とりあえず熊本ゾーンの周遊きっぷだけは引き渡しておかねばならない。

というわけで、玄そば 玄々で飯を喰いつつ引き渡し event。(う)さんと小林さんも合流して 4 人で定食。‥‥おかみさんがいないのを承知で来たのは久し振りだな (^^;。それでもやっぱり(中略)発生 (__;

「(きっぷは)何枚あるの?」と訊かれたのだが、面倒なので数えてなかった(爆)。とりあえず(う)さんが断面の写真を撮影 (^^;。「10mm は越えてるよね」「15mm くらいかな?」「1 円玉を当ててみよー!」とか、とても「きっぷの束の厚み」の話とは思えない会話が発生したりする(爆)。

あーでもないこーでもないと話しているうちにあっという間に閉店時刻。ぞろぞろと離脱。

みんなでぞろぞろとお江戸線の外回りに乗る。三々五々下車。

帰ってから、さすがに準備作業開始。もぞもぞもぞ。一部の料金券が諸般の事情で手元にないが、せっかくなので厚みを測ってみた。約 12mm。ついでに枚数を数えてみると、乗車券が 28 枚(うち出補が 1 枚/「ご案内」が 2 枚)、料金券が 33 枚。この他に手元にないのが乗車券 4 枚(うち出補が 1 枚/「ご案内」が 1 枚)、料金券 4 枚。このうち乗車券 4 枚と料金券 5 枚は私の単独行程で、この他に塩兄が自力で手配した料金券が 1 枚あるので、今回の旅行のきっぷの枚数は私が 39 枚(乗 18・料 21)、塩兄が 31 枚(乗 14・料 17)となった。このほか、宿泊関連の coupons が 6 枚(エース整理票 3 枚を含む)、宿泊予約確認証が 2 枚。

この他にじゃらんと楽天から予約をした分の確認画面を印刷している間に、ある意味一番肝心な参加券を入れ忘れていたことに気付く。あぶねーあぶねー (__;

行程のちょうど真ん中に当たる広島の宿に coin laundry があるのが確認できたので、着替えは予備を含めて 9 日分装備。


あさ [日常]

ほぼ準備を終えてみれば、今日もまた 30 時。とっとと寝る。



2005/08/03 (水) <2005 夏・長崎行き/第 1 日>

ひる [日常 / 旅行準備]

12 時半頃起きる。

準備作業の総仕上げ。

‥‥かなり手間取った‥‥。


ゆうがた [日常]

バタバタと 17 時少し前に荷物を背負って出発。

一旦浅草橋で降りて「森の治療院」へ。一応事前に電話をしてから向かったのだが、いきなり大荷物を背負って現れたので「こないだぎっくり腰をやったばかりなのに、そんな大荷物背負って!」と怒られる (^^;。時間がないので、massage 20 分+置き鍼。

施術を受けながら話をしていて、薬を持って出るのを忘れたことに気付く。取りに戻っている時間は当然ない。うあー、なんか忘れてるような気がしてたんだが、それか‥‥ (__;

1745 時に離脱。


出発 [移動]

秋葉原廻りで東京へ。

10 番ホームに上がったときには発車 2 分前。辛うじて弁当 1 個とお茶を確保。


初めての〔富士〕 [列車]

個室に転がり込んで荷物を置き、camera を取り出して table に置いた頃に動き出す。いや、ぎりぎりでした‥‥。

‥‥実は〔富士〕号に乗るのは初めてなんだが、B1 の車自体は〔さくら〕と同じものなので、あまり代わり映えしない(爆)。

そしてガキがうるさい。ほとんどの場合その親もまたうるさいのでどうにもならん。

川崎付近では夕焼けが。鶴見を過ぎると山に隠れて一気に日没(爆)。

茅ヶ崎付近で本格的に日が暮れた。そして、国府津を通過中に隣に停まっていた 113 系にサロ 110 が組み込まれているのを見て萌え。うーん、それこそ今のうちに乗っておかないと‥‥。

熱海の 2 分停車で何か買おうかと思っていたが、到着がなぜか遅れてて停車時間が短くなった上、ちょうど乗っていた車がとまった位置の目の前にあった売店は既に閉まっていた。まだ 19 時半を廻ったばかりなのに‥‥ (*_*)。上りホームの売店がもう少し遅くまで開いているはずだが、当然そこまで行く時間はなし。次は名古屋の 3 分停車か‥‥。23 時前だと、もう売店は開いてないだろうな。

沼津を出たところで弁当を喰い始める。「愛知万博開催記念」だという「味噌カツ・ひつまぶし風弁当」(1,150 円)。名古屋の食い物ネタ 2 題、というところなんだが、作ってるのは NRE (^^;。中はというと、細長い容器が 2 つに区切られていて、片方が味噌カツ area、もう片方がひつまぶし風 area(といっても混ぜご飯の上に鰻の蒲焼きの切身(?)が 3 つ乗ってるだけ)。値段のことを置いておけば、そこそこうまかった。

さすがに疲れていたのか、弁当を喰い終わってすぐばたんきゅう。豊橋発車後の「おやすみ放送」で一度目が覚めたが、そのまま気絶。



2005/08/04 (木) 山陽路: ところにより晴だったり曇だったり/下関〜門司〜大分・別府: ぴーかん/湯布院〜鳥栖: 晴/佐賀〜長崎: ピーカン <2005 夏・長崎行き/第 2 日>

しんや [列車]

なぜか 3 時頃目が覚める。どこかで運転停車をしたらしい。ぼーっと外を見ていると、どこかの駅を通過中に上り〔ムーンライト九州〕とすれ違った。

飲み物でも買おうかと編成図を見たが、ここで自販機 space も shower room もないことに気付く。うーむ。もちろん A 個の車にも shower はない。〔あさかぜ〕や〔北斗星〕を知っていると、この格差にはガックリ。乗車時間も結構長いのだし、そういった設備を設置できる空間的な余裕は「鉄道ならでは」の強みでもあるので、それを生かさない手はないと思うんだが‥‥。乗車時間の短い〔銀河〕でも自販機くらいあってもよさそうなもんだろうといつも思うし、ましてや長距離の列車ではなおさら。このあたりでの手抜きが、九州方面の寝台列車の利用率が上がらない原因の一つでもあるような気がする。飲み物の自販機に加えて、京都駅 1 番ホームにあるような冷凍食品の自販機でもあるととても嬉しい。さもなければ、せめて途中である程度の時間停車してくれるだけでもありがたいんだが。東京を出てから下関(0833 着/0838 発)まで買い物の機会がないのは辛い。

ところで、このオハネ 15 2000、個室の構造自体は〔北斗星〕のものと類似なのだが、構造の違いなのか、それとも客層の違いなのか、冷房の吹出が煙たくない。循環用の吸気口は〔北斗星〕のものと同じく廊下にあるようなので(ただし位置は違う)、廊下が煙たくないのが大きいんだろう。〔北斗星〕の場合は廊下に灰皿があってそこが喫煙 space に指定されているのだが、よくよく見てみればこちらの車の廊下には灰皿が設置されていない(つまり廊下は喫煙 apace ではない)ので、この差が大きいんだろうな。〔北斗星〕にちょくちょく乗っていると個室ではいつも煙に悩まされるのですっかり「(禁煙指定のない)個室車は煙たい」という認識になっていたから、これはちょっと驚きであった。


未明 [列車]

0414 時、尾道を通過。4 時半を過ぎると、空が明るくなってきた。045845、八本松構内を徐行で通過。一気にセノハチを駆け降り、050830 に瀬野を通過。

東広島に「紅葉色」の電機がいた。今はこっちでつけてるのか。

052100 時、広島着。制定 1 分は停車時間があると思っていたが、これなら丸 2 分以上時間がある。そして、幸いにも 8 号車の deck の真正面に自販機が。〔富士〕の A 個(8 号車)か B 個(9 号車)に乗っていると、まさに best position。無事に 500ml PET bottle を 2 本確保してほっと一息。

052215 頃、軽い衝撃が。自弁を緩めて連結器を伸ばしたらしい。そして、052315、閉扉。そのまま deck から外を見ていたが、12 輛編成中 8 両目という位置でありながら、発車は全くの無衝動。やるな(ニヤリ)。そして広島駅をあとにする。また来るぞ、と心に誓う。‥‥そうね、6 日後くらいに(爆)。

自室に戻る。‥‥例のガキが 6 時前だというのにうるさい。なぜわざわざ廊下で喋らせてるのか、その神経が解らない*1。さすがにまいるので、苦情をいう。保護者はじーさまだったので、孫に甘くなるのもわからないではないが、それもたいがいにして欲しい。

*1: 少なくとも〔富士〕〔はやぶさ〕の B 個は廊下と個室内の間の遮音性がほとんどないので、廊下の喋り声や物音はほぼその車輛全体に筒抜けだと思っていい。


厚狭 あさ [列車]

岩国発車直後の 0602 時、「おはよう放送」が入る。次の柳井で下関行普通列車への接続案内が入ったが、わざわざ念を押すようにもう一度「田布施へお越しのお客様、6 時 27 分発の普通電車下関行をご利用下さい」。一般に主要駅でもない駅名を特に挙げることはないから、車内改札時に問い合わせが入ったんだろうか。

おはよう放送から程なく、ほぼ夜が明けた。発車前に編成を押さえることができなかったので、他のお客さんが大挙して起き出す前に、音に気をつけながら 1 号車から一回り。

1 号車〔はやぶさ〕6 号車7 号車〔富士〕12 号車
<EF66 48>(スハネフ 14 12][オロネ 15-3005][オハネ 15-2001][オハネ 15-1204][オハネ 15-1202][スハネフ 15-1)(スハネフ 14 11][オロネ 15-3006][オハネ 15-2002][オハネ 15-1246][オハネ 15-2][スハネフ 14-3)

実はオロネの下り方(便所側)に自販機があった。‥‥なぜか観光地価格だったが(すべて通常より 30 円高い)。さらに、〔はやぶさ〕側がほとんど売り切れだったのに、〔富士〕側はほぼ健在。

もうひとつ気付いたことがある。逆向きとなっている 1・7 号車は別として、B 寝台車は B 個を含めてすべて山側に寝台がある。しかし、なぜか A 個だけは海側に個室が。なぜだろう‥‥。

さらに、12 号車(スハネフ 14-3)にはなんと「日本国有鉄道 大宮工場 昭和 59 年改造」の銘板が @_@;。他の車には残ってないのに、なぜこの車だけ?

銘板を撮影してる内に徳山を発車。横浜発車後の車内放送では「車内販売の営業はありません」と言っていたが、@/AS-book/列車編成席番表/には「徳山→博多で車販あり」と書いてある。列車がホームを抜けたところで業務用室から車掌が出てきたので、「徳山から車販の営業はありますか?」と訊いてみると、「ああ、はい、あります。一番前から廻ってますので、お急ぎでしたら前のほうの車へおいで下さい」。ありがとうございます、といって、車内を巡回しに向かった車掌さんにくっついて (^^; 前へ。その途中で下松を発車。作業員の方とすれ違う。下松からはヒルネが始まるので、該当する寝台の片付けをしたのだろう。

自分の個室に寄って財布を持ち、さらに前へ。2 号車まで行ったところで車販のワゴンと遭遇。弁当はあなご飯と幕の内があるというので、一も二もなくあなご飯。暖かいお茶はない(冷たいのならある)とのことなので、ついでに coffee を。

自室に戻り、あなご飯(¥920-)を喰らう。値段も極端には高くないし、なかなか。これはやっぱし、宮島口でも喰わねば!! ‥‥ 5 日後くらいに(爆)。

喰い終わって、しばらくぐったり。‥‥それにしても、徳山や防府、小郡 新山口、宇部といった各駅で結構な人数が降りていく。〔あさかぜ〕の代替列車として機能しているようだ。

そうこうしているうちに、下関へ。「機関車付け換えのため 5 分停まります。〔富士〕号での車内販売は下関までとなります。この先、買い物をできる駅はございません。買い物をなさるお客様は、下関でお済ませ下さいますよう」という放送が入る。当然だとも! ‥‥というわけで、ふく寿司げっと。大分到着前の早めの昼飯用に確保。しかし、下関はいつ来ても晴れてるな。

さらに時間があったので、一旦弁当を個室に置いたあと、列車先頭まで走っていって関門用機の車番を押さえる。EF81 409(日立製)であった。‥‥このカマにも「日本国有鉄道 小倉工場 昭和 61 年改造」の銘板が。

到着が 1 分遅れていたのでどうなるかと思っていたら、発車は 2 分遅れの 084015 だった。ともあれ、一路九州へ。関門 T 進入前に、貨物更新色の EF65 と EF81 との重連単機とすれ違う。‥‥実は今回の mission の一つに「下関停車中の下り列車の ABB 作動/MG 停止の謎を探る」というものがあるんだが、直流機が入っていっているということは、やっぱり下りも門司転換のままなのかな‥‥。


九州上陸 [列車]

関門 T を通過。‥‥目を皿のようにして車窓を眺めるが、dead section の標識が見当たらない。

門司に停車。ここで結構な時間停車するので、前方へ行ってみる。‥‥EF81 が離れていき‥‥〔はやぶさ〕の HM をつけた ED76 87(東芝製)がやってきて、連結。カマが来るのを待ってる間に廻りを眺めていたら、隣の線(貨物線)に dead section の標識が。貨物線も地上切替は止めたらしい。ていうか、ここに下り向きの dead section があるということは、やっぱり門司構内で切り替えてるのね‥‥。

なおしばらく停車時間があるので、改めて編成の車番を押さえてみる。ちなみに、各車両の帯と車号表記は‥‥

  • スハネフ 14 12・スハネフ 14 11 は白帯・切り文字
  • オロネ 15-3005・オロネ 15-3006 はステン帯・白文字(国鉄書体・カナがやや横長)
  • オハネ 15-2001・オハネ 15-2002 はステン帯・白文字(国鉄書体)
  • オハネ 15-1204・オハネ 15-1202・オハネ 15-1246・オハネ 15-2・スハネフ 15-1・スハネフ 14-3 は白帯・白文字

車番を撮って歩いている間に、下り回送でやってきた国鉄色*2+九州色の 415 系と出会う。萌え。

しばらくして、前半分の〔はやぶさ〕が発車。7 号車に戻って、〔富士〕単独の牽引機を押さえる。ED76 70(東芝製)であった。

飲み物を買い込んで、車内へ。

さすがに定時で発車。‥‥程なく小倉。鹿児島線ホームに塗色を変更した「青くなったソニック」が停まっているのが見えた。‥‥前面だけ塗り替えるのかと思ったら、全体を青く塗った*3のね‥‥。

西小倉で鹿児島線と判れて、日豊線へ。順調に大分を目指す。途中で捕虫網を持った子供達の集団を見掛けた。なんか懐かしいのう (^^;。‥‥ところで、宇佐駅だけ駅名票のローマ字表記がやたら大きいのは、やっぱりネタなんですかね? (^^;

杵築で運転停車したあと、別府を目指す。それにしても、いい天気だ。

別府では〔ゆふ DX〕と出会う。待ってろよ、2 時間後に乗ってやるからな(爆)

ほぼ所定の 1116 時、終着の大分に到着。降車中、上り方に DE10 っぽい diesel 機関車を連結。客扱い終了後の 1120 時、上り方に移動をはじめた‥‥が、80m ほど動いたところで停止。信号機手前で停まったらしい。一方、カマはというと、下り方に引き上げていった。

やがて隣のホームに別府行の〔九州横断特急〕が到着。1123 時にそれが発車したあと、1126 時に〔富士〕の編成は上り方に引き上げていった。

*2: 「ミレニアム記念」で国鉄色を復活させたアレ。

*3: 元の「白くないソニック」は、色が塗られている運転台付近を除いて、側板は無塗装(ステン地金)だった。


別府 [移動 / まち]

隣のホームに移動し、1136 発の日出行で別府へ戻る。待っている間に〔富士〕の編成が奥の方の留置線に押し込まれていく。その手前には 457 系が。もはや貴重品‥‥。

東別府の駅舎がとってもいい感じ。ところで、乗っていた普通列車は 815 系だったのだが、扉の内側に「体育座り禁止」のようなステッカーが貼ってあった。何かと思ってよく見てみると、「床に座らないでください」。ははぁ。

1147 時、別府に到着。一旦改札を出て、隣の観光案内所に入る。いつもはここで「駅前高等温泉」に行くのだが、たまには違うところに行ってみようかなーと思って、窓口の人に

「駅前高等温泉

と話しかけたら、そこまで聞いたところで立ち上がり、「そこの駅の前の道を‥‥」と指差す。

‥‥の次に近い温泉って、どこですかね (^^;」 「‥‥あー、『ふろうせん』ですね。『老いない泉』と書いて『不老泉』。」

うむ、案内地図にも載ってるこれだな。

「えーと、駅前の道を右に行けばいいんですか?」 「あのー、そこの角にファミリーマートがありますよね」 「ああ、はい」 「それを通り越してから右に入ってずーっと行ったところです」 「どのくらいですかね?」 「んー、歩いても 5 分くらいだと思いますよ?」

礼を言って離脱し、言われた通りにファミリーマートの東角を曲がって路地へ。ずーっと歩く。‥‥どこ? (-_-;;

てくてく歩いてる間に正午。‥‥おや、前方に教会のような建物が。鐘も鳴ってる。

行ってみると、カトリックの教会だった。正面へ回り込んで写真を撮り、そのまま東へ。時間がなくなりそうなので、「不老湯」は諦めることにする。

重厚なれんが造りの建物(児童館と「南部子育て支援センター」が入った市の建物らしい)の角を曲がって北へ。最初の交差点の角には「秋葉神社」と「秋葉稲荷神社」があった。ちなみに、この辺りの町名は「秋葉町」。さっきの教会やら児童館やらが建ってる辺りは「末広町」。ううむ(謎)

次の信号を過ぎると、路面の様子が変わった。‥‥あ、なんか看板が立ってる。「歩車共存道路」だそうだ。車道部分がスラロームになっていたり、ところどころにハンプがあったりと、車が speed を出しにくい構造になってるらしい。‥‥でも、車は結構な speed で走り抜けてくし、そもそも左右にばしばし路駐がいて、なんもしなくてもスラロームになってる。つーか歩道が塞がってて歩きにくい (-_-;

ともあれ、そのまま駅前通りまでずるずる歩く。駅前通りに出てみると、ちょうどそこは駅前高等温泉のある十字路であった。狙い通り :-)

そんなわけで、いつもどおり駅前高等温泉に吸い込まれる。‥‥今更だけど、ここって公営だったのか。知らなかったよ‥‥ (__;

さくっと入浴し、ついでに着替え。今日も「あつい湯」は結構熱く、「ぬるい湯」は本当に温かった。「この中間があればなぁ」というのは、いつも抱く感想。

風呂から出て、2 回の休憩部屋で涼みつつ、下関で買った「ふく寿司」を喰う。‥‥前回もおんなじことをやってたような気がするなー。

13 時ちょうどに離脱。お世話様でしたー。途中、駅前のファミリーマートで飲み物を買う。車販があるとは思うけど、一応。


〔ゆふ DX 4〕 [列車]

駅に着いたら、既に〔ゆふ DX 4〕号は入線していた。

早速車内へ。‥‥おう、これも内装は木をふんだんに使っている。以前はこうじゃなかっただろうし、〔ゆふ DX〕に転用するにあたって内装を変更したということだったので、〔ゆふ森〕と同系に仕上げたんだろうな。

パノラマ席を取ってあったので、先頭車の前端へ。‥‥当該 space の入口に暖簾がかかってます (^^;。そして、乗務員室の下部は先頭に向かって右側の壁寄りに通路があり、「乗務員室」の扉から通路を挟んだ向かいには「非常扉」が。‥‥どっちかっつーと「業務用」って感じだよな。以下にも「運転士の乗り換え時に使います」といわんばかり。

荷物を置き、一通り写真を撮る。はー、大分方の連結器は双頭なのか。併結運用を考慮していた名残だな。

また中へ。‥‥「パノラマ席」は「2+1 の座席配置」ということになっているが、2 人席のほうも 1 人席と同じ独立した座席を 2 つ並べてある構造。しかも席の間には数 cm の空間が開いている。よほどのことがない限り、2 人席に座っても隣の人と身体や腕が当たるということはないだろう。その代わり、パノラマ席は背凭れも低いし、reclining もしない。Seat pitch もそれほど広くはない。腰にはあまり優しくないな‥‥。当然ながら荷棚がないので「非常口」近くに荷物置き場があるのだが、これまた大きめのものは入らない。こうなったらと、足下に bag を置き、靴を脱いでその上に足を置いて過ごす。

さて、前面展望はというと、これはさすがに〔ゆふ森〕よりよほどいい。〔ゆふ森〕ではちょうど目の高さに横方向のビームがあるので実は最前列に座ってもあまり展望がよくないのだが、こちらは高さこそ低いものの視界の邪魔になるようなものはほとんどない。大変視界が開けている。すばらしい。これで椅子がもうちょっとなんとかなってれば、最高だったんだが‥‥。

大分で 2 分停車。右手の 457 系の奥に〔富士〕号の編成が停まっているのが見える。ちなみに、お客は普通車指定席にぱらぱら、自由席はがらがら。パノラマ席に至っては私一人しかいない。どうせ由布院でぞろぞろ乗ってくるんだろうけど。

大分を発車。右手にカマがたまっているのが見える。建設が進む高架橋(大分駅高架化工事)を見つつ、その隙間を縫うようにして久大線に入っていく。‥‥えっ、車内販売、ないの?! 2 号車にある車販準備室は飾りですか。確かに自販機はあるが、これもやっぱり観光地価格なんだよなぁ‥‥。もしかして、JR 九州の車内の自販機って、全部こうなのかね‥‥。

しばらくして、車掌が改札に登場。‥‥乗車券を見て固まってます。そんなに不思議なもんじゃないと思うけど (^^;。10 秒ほど悩んだ結果、諦めた様子で入鋏して返却(爆)。

緑が鮮やかな山中へどんどん分けいっていく。重心が低い分だけ、乗り心地も〔ゆふ森〕よりいいかも。車販も売店もないのが痛すぎるが‥‥。

湯平を過ぎると、列車の正面に由布岳が見えてきた。この眺望は〔ゆふ森〕では味わえない。〔ゆふ DX〕の上り方のパノラマ席ならでは。山頂には少しだけ雲がかかっている。次第に大きくなってくる由布岳を眺め、左に大きく進路を取ると、程なく由布院。

湯平までは乗降がほとんどなかったが、由布院ではやっぱりどさっと乗ってくる。パノラマ席もいきなり満席に。そして、横に座ったオバハンが大変うるさい。なぜそんな下らないことを車内に響き渡る大声で叫ばなきゃならないかな。むしろ同行の男性がぐったりしている。

ぐんにょりしながら列車はなおも西へ。野矢で〔ゆふ 3〕号と交換。天ヶ瀬では若干乗降があった。〔ゆふ 3〕号と交換したときの遅れを取り戻すべく、ぎりぎりの回復運転が続く。‥‥自弁の air 音は頭上から聞こえてくるのに、タイフォンは車体正面の下部についているので、その音と振動は足下から響いてくる。なんか不思議な感覚 (^^;

〔ゆふ 3〕号と交換したときの遅れを取り戻し、なおかつ 1 分早着で日田に到着。指定席からは結構な人数が降りていった。

夜明けで日田彦山線と別れ、列車はまもなく平地の縁へ出る。右手に広大な田園風景を見ながら一路西へ。ここから久留米手前までは線形に直線が目立つ区間で、少し曲がっては長い直線が延びるという pattern が続く。

うきはで交換待ちのためしばらく停車。駅員に「下車印はあるか」と訊くと「そんなものは特にない」 (^^;。一旦駅舎を出て自販機で飲み物を買う。車内に戻ってしばらくすると、〔ゆふいんの森 5〕号が通過していった。約 2 分遅れで発車。

さらに田園風景の中を走っていく。筑後吉井、田主丸と続けて停車。田主丸を過ぎると、それまでの水田に代わって果樹園のようなものが多くなってくる。線路は平地の縁を走っているのでやや高台にあり、緑越しの遠くに町並みが見える。途中で通過した善導寺の駅舎がなかなかいい感じなんだが、何かの案内板が立っていたところを見ると、謂れがあるのかしらん。

御井の手前で急に車窓は住宅街に。そこから先は宅地の中を右へ左へと縫うように走っていく。久留米大学前では学生っぽい一団が乗車。

久留米手前で信号停止。下り〔リレーつばめ〕の通過を待つ。久大線から鹿児島線上り本線に進入するには一旦鹿児島線下り本線に入ってから渡りを通っていくのでどうしても本線を支障するし、一方スジは以前から本線特急が優先されるので、これもまたいつもどおり。どうしても到着は遅れ気味。

久留米 3 番に到着した頃には既に発車時刻。だが、ホームには乗務員が立っている。どうやら運転士が交代するらしい。また遅れが拡大するかと思いきや、車輛が停止するや否や、マッハの乗り換え。そして、乗り換えた運転士が乗務員室に消えた直後、自弁を緩める音が。そして 1 分遅れで発車。いやはや、大変だ‥‥。

筑後川橋梁の脇には新幹線の高架橋の脚が姿を現していた。重軌道の本線を快調に飛ばして列車は北へ。

元々限界運転のスジなので、遅れを引き摺ったまま鳥栖に到着。


鳥栖 []

上り〔有明〕を見送ったあと、時間があるので、一旦改札を出る。‥‥階段はホーム両端にあって、それをくぐった先、駅舎はその中間にある。すげー不便な構造だな‥‥ (__;

駅前に出てみれば、ごく小さなロータリーがあった。駅舎を振り返ると、なかなかいい感じ。歴史を感じさせる、立派な木造の建物だ。入口右上に財産票があるのを見つけたので見てみると、「鳥栖建第 1 号 駅本屋 明 44.3.30」と書いてあった。そりゃあ歴史を感じさせるわけだ‥‥。

一番奥のホームへ。5 番線で下り〔かもめ〕を待つ。


〔かもめ 31〕 [列車]

やってきた〔かもめ 31〕は「白いソニック」編成。定刻の 1622 時に発車。

鳥栖を出て 3 分ほど。車窓左手に工事現場が現れた。よく見ると「九州新幹線 新鳥栖駅(仮称)」という看板が立っていてぐんにょり。こんな田んぼの真ん中に新幹線の駅なんか作ってどーすんだとも思うが、こんなところに作ってくれたおかげで、鳥栖駅の駅舎は当面安泰だろう。

列車は快調に西へ‥‥と言いたいところだが、やっぱり 885 系はよく揺れる。振子も効いているので振り回されて大変。というか、直線区間の安定性が悪すぎる。Coffee におちおち milk も入れられない。むしろ rail に押し付けられるために curve の方が横揺れが少ないってのは、なんかが間違ってるぞ‥‥。

横には振り回されるは、前後には急加減速で振り回されるはで、大変疲れる。‥‥肥前山口を出て肥前鹿島に向かう途中、くれはさんから入電。暇を持て余したのでどこにいるのかと電話をかけてきたらしいのだが、長崎に着くのは 1 時間後 :-p

多良の信号場で上り「白いかもめ」と交換。‥‥ 885 系の編成を遠目に見るとお蚕さんに見えるのは俺だけですか? 白いし、断面が丸いし、頭の部分がちょっと太くなってるあたり、そっくりだと思うんだが‥‥。(爆)

普賢さんを車窓に見たりしつつ、西へ。モゾモゾしてる間に諌早着。喜々津で上り列車と交換し、長崎への tunnel に突っ込む。坂を転がり落ちて tunnel を抜けるとすぐに浦上に停車。そしてすぐに終着の長崎。場内の手前で下り列車の発車を待ったため、1 分延で到着。


長崎 [ / まち]

外へ出ると、やっぱり暑い。‥‥でも、夕方に近いせいか、昼の別府よりは楽かな。同じホームの向かいにはこれまた「ミレニアム記念」で原色に復帰したキハ 66 1 +キハ 67 1 の編成がいて萌え。SSL 色の編成と併結した 4 輛編成。はぁはぁ。

写真を撮ったあと、改札を出る。一旦観光案内書に寄り、パンフをもらう。いつもならここで電車の一日乗車券を買うのだが、今日は買わないことにする。

電車の乗り場へ向かう。Deck を歩いていると、「ビール電車」を目撃。てくてく歩いて乗り場に行き、正覚寺下行に乗る。360 形。

築町で降り、中華街方面へ。‥‥あっ、長崎名物(← 事実誤認)のスパコンショップ(← 語弊あり)がなくなってます!! @_@; 今回の hotel のすぐ近くだから、買い物に行こうと思ってたのに‥‥ (__;。まあ、今までいつ行っても客より店員の方が少なかった試がない店だったし、いつかはなくなるだろうと思ってたけど‥‥。

しょんぼりしながらワシントンホテルへ。今回はここの新館シングル(スーパー早割)。部屋に入ってみれば、ごく普通の business hotel。これで@5,500- ならまあまあだな。つーか、「出島の木」に較べれば、天国です!!

しばらく涼んだあと、下だけ履き替えて、外へ。浜の町アーケードまでてくてく歩き、ベスト電器で買い物。晩飯はどうしようかと思ったんだが、1 人で卓袱を喰いに行くのもなんだなーと思ったし、前回は確か行ってなかったので、ツル茶んへ。チキントルコはぁはぁ。チキンカツに cream sauce がかかっていた。ちなみに「ランタントルコ」なるものもあったが、これはエビフリャアに sea food sauce がかかっているのだそうな。

そのまま思案橋から丸山方面へ漂ってみる。唐人屋敷へ続く道から湊公園の角へ抜け、セブン・イレブンに立ち寄ったあと、新地のダイエーで「ぷるぷるプリン」とかを買い込んだあと、hotel へ戻る。

さすがに疲れていてもーろーとしている。22 時過ぎには気絶。



2005/08/05 (金) 長崎: むやみに晴、時々曇 <2005 夏・長崎行き/第 3 日>

あさ [日常]

4 時半頃一旦目が覚めるが、そのまま二度寝。

6 時半頃目が覚める。すっきり。

Shower を浴びたり日記を書いたりしてるうちに 10 時頃になったので、出発。今日の最大の目標は「幣振坂(へいふりざか)を風頭公園まで登ること」。実はここ数回ずっと果たせないでいたのであった。

時間があったら片足鳥居を見に行こうとも思ったので、とりあえず hotel を出るときに電車の一日乗車券を買う。銅座のダイエーまで歩いて飲み物を買い、一旦電車通りに出て郵便局の ATM で軍資金を引き出す。

西浜町で電車を待ってみたが、どういうわけか 3 本続いて正覚寺下行ばかり。いっそ歩いてしまおうかとも思ったが、せっかくなのでなおも待っていると‥‥あれ、「リトルダンサー」が来たぞ。しかもなんか幕が白い*1んですが。‥‥よくよく見てみたら、なんと幻の 2 号系統*2(浦上車庫?〜大波止〜蛍茶屋)だった。

次の賑橋で下車(爆)。寺町へ向かうと、避溢水路構築工事のため袋橋付近は通行しにくくなっており、歩行者用通路は隣に仮の橋が架けられていた。迂回路に沿って歩いていくと眼鏡橋の袂まで連れていかれてしまったので、ついでに写真を撮ってみたり。

東へ入り、諏訪小学校の横を歩いているときに城田さんから召喚され、「note PC の AC adapter を忘れたので調達したい」ということで一旦アーケード内のベスト電器まで戻る。合流してみると、まさに敗北が決定したところだった (__;

13 時前にまた落ち合って昼食を取ることにし、11 時頃、一旦解散。アーケードを北に抜け、誰かが機種変をやった DoCoMo ショップの前から本古川通りを東へ。信号を北に折れ、寺町へ向かう。場所柄、周辺には仏具屋さんが多い。

幣振坂の下へ戻り、1110 時に登り始める。一番下の部分は車が入れる区間で、傾斜がやや強い坂道。腰に来ますな‥‥。

コウ台寺*3さんの横を抜けて 2 分ほど登ると、車道は直角に右に折れ、いよいよ石段が始まる。ここからは腰には割と楽。てくてく登っていく。

時々立ち止まって写真を撮りながら 4 分ほど登ると、左手に「楠本 瀧/楠本イネ/二宮敬作」の顕彰碑があった。そこからさらに十 m 程登ると、同じく左手に「楠本家之墓」が。

さらに十 m 程登ると、右手に小さな案内板が。右手に 70m ほど入った奥に、市指定史跡となっている「荒木宗太郎墓地」があるというので、行ってみる。

*1: 長崎の路面電車の行先幕は地色が系統ごとのものになっていて、
1 号系統(赤迫〜大波止〜正覚寺下):
3 号系統(赤迫〜桜町〜蛍茶屋):
4 号系統(正覚寺下〜西浜町〜蛍茶屋):
5 号系統(石橋〜西浜町〜蛍茶屋):

となっている。

*2: 2 号系統は路線図に載っておらず、多客時などに臨時で運転される。

*3: 「こう」の字は日偏で「牛」の下に「口」。



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