「書きかけの歳時記」
2004/08版 その2

(since '05.04.25)

この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。

取扱上の注意

[前日へ続く]

2004/08/11 (水)


2004/08/12 (木)


2004/08/13 (金)


2004/08/14 (土) 晴 <「2004 夏 長崎行」最終日/NEWS-13/『半落ち』>

あさ

黒磯を過ぎた当たりで目が覚める。ふにふにと食堂車へ行って洋朝食。そろそろ営業終了、という頃に行ったせいか、食堂車はがらがら。

小山付近で個室へ戻る。微妙に片付けをしたりしつつだらだら。大宮付近ではくれはさんから「迎撃しぱい」と mail が。いいひとでした! しかし、木古内付近からグーグー寝てたので、札幌で買った駅弁は結局喰わなかった。

そして、〔北斗星 4〕号は所定で上野に到着。車内はほどよく冷房が利いて快適だったのだが、ホームに降り立った途端、ぶわーと全身から汗が吹き出る。‥‥なんでこんなに暑いんじゃー!! 昨日はこんなに暑くなかったのに!!!(← 網走と較べるのが間違ってます)

〔北斗星 4〕号の引き上げを見送り、移動しようとしたところで、隣の方のホームから放送が聞こえてきた。〔F ひたち〕が停まっているのだが、どうやら線路内に置き石があったため抑止されていた模様。ふざけんな > 犯人

3・4 番ホームへ移動すると、ケホとヤテがちょうどほぼ同時にやってきた。「アキバ経由で帰る」という塩兄と別れてヤテに乗り込む。

おかちまちまちで降りて乗り換え。大江戸線の改札まで廻るのが面倒くさいので bus にしようかと一瞬考えたのだが、降りてから歩く距離を考えると結局 bus の方が遠くなるし、そもそも炎天下で bus を待つ気力が沸かなかったので、渋々大江戸線に乗り換える。北口改札前の歩道から直接地下に降りられるようにしてくれ、頼むから‥‥。

両国で降りて帰宅。これで今年の長崎行も無事に終了。それにしても、家の中が猛暑だ‥‥。急いで 口で吸え 空調を運転。

ひる

空調が効くにはまだ時間がかかるので、荷物を置いて軽装に着替えてから、用足しに出かける。銀行へ行って資金を移動した後、錦糸町のヨドバシへ。映画の DVD を何本か買い込む。そのあとアキバへ廻り、石丸でやはり映画の DVD を。Server machine の置き換えもそろそろ実施しないといけないので、ツクモで HDD を買いがてら、parts の価格調査なども。最後にソニーサービスに立ち寄って、旅行前に頼んであった部品を受け取る。

さて、mail の処理もしなければならないし、仕事もせにゃならん。家に帰り、昼食に駅弁を 1 つ喰ったあと、早速お仕事 machine の電源を‥‥あれ? 「ぶつ」と音がしたっきり、電源が入らなくなった。‥‥ぎゃああー!!!

あまり時間がないのだが、とにかくこれを復旧させないことには始まらない。仕方がないので、自転車に荷物を積載する準備をし、またアキバへ。以前内川さんが買ってハァハァしていた case をツクモで買い込む。自転車の荷台に縛り付け、大急ぎで取って返す。

いよいよ時間がないので、最後にいつもお世話になっている自転車屋に自転車を持っていき、後輪の振れ取りをお願いする。もういい加減振れが大きくなっていた*1のだが、さすがに振れ取りはやってもらったほうが早い。

既にやや遅延気味。仕方がないので、自宅付近まで bus で戻ろうと思ったのだが‥‥ちょうど停留所に着いたときが通過予定時刻。しかし、停留所に到着する前の数分間に通過していった記憶はないが、かと言って来そうな雰囲気もない。悠長に待っているような余裕はないので、とっとと歩き出す。

結局、bus は私が降りる予定だった停留所に歩き着いたところで追い付いてきた。乗降にかかる時間を考慮すると、僅差で勝利。あんまり嬉しくない‥‥。

ともあれ、両国駅へ。‥‥なんか列車が遅れてるな。そして遅れてきた列車に乗り込むと、果たして「途中駅多客のため遅延が発生している」とお詫びの放送が。普段がらがらにも関わらず安定して 1 分程度遅れて走っているので、ちょっと客が増えると捌ききれなくなるらしい。だめじゃん‥‥。

森下で乗り換え。結局、本来乗れるはずだった列車には逃げられた。その次の列車は‥‥うげ、急行待避列車だ。しくしく。なんつーか、元々待避駅が少なすぎて速達性はたいしてないし、そもそも馬喰横山以西ではほとんどが他線との乗換駅となっている*2ので、現行の運転 pattern では停車駅が少なすぎ、運転間隔が無駄に長くなる*3分かえって不便だと思うんだが、どうなんだろうね?

*1: 実に 3cm ほど。これだけあると、後輪の brake はほとんど締められない。

*2: 新宿〜馬喰横山間で乗換駅でないのは僅かに曙橋のみ。ちなみに、この間の急行停車駅は新宿・市ヶ谷・神保町・馬喰横山。

*3: 急行の待避が可能な駅は全線でも 2 駅しかない。森下以西では岩本町のみ。待避駅が少ないということは、急行列車の前後はその分運転間隔が開くか、もしくは急行のスジがあまり立っていないということになる。

NEWS-13

そんなわけで、5 分ほど遅れて会場着。

今回も盛り上がった。ていうか、時間のほとんどが自己紹介‥‥と言うか、ネタ披露。かく言う私もそのうちの一人なわけだが(爆)。

今回は 13 分強喋った (^^;。当然のように巻きが入り、焦った結果、オチを忘れて喋りが尻すぼみ(爆)。それどころか、最大のネタを言い忘れる(爆死)。まあ、いいか。

そして、free time。FIRST さんから「Net radio やって!!」と熱望される (__;
「30 分くらい喋れるでしょ?」
いや、多分余裕だと思いますが (^^;。でも、一人喋りはなー。
「今日も一人で喋ってたやん」
いや、そーでなくて。リアクションがないと喋りにくいんだってば。
「じゃあ、観客集めてやりましょうよ」
トークライブかよ!
「いや、大阪へ来てくれれば、いつでも」
しかもツアーかい。

挙げ句にはその会話を聞いていたおさかなさんまで「あー、streaming ならうちでいくらでも」。うーん、直接面識のないような人が俺の喋りを聞いてもたいしておもろないと思うけどなぁ。正直、やあ3に頼んだほうがいいのではないかと思うのだが、解散した帰り際にも「よろしくー!」とダメを押される。むー、挑戦は受けなくもないけど‥‥。

そのあとは例によってルノアールで二次会。「家に帰って仕事をしようとしたら machine の電源が飛んで、仕方がないから慌ててアキバに買いに行った」と話したら、塩兄が「だから、一緒にアキバに行けば良かったんですよ」。その前に家で電源を入れなければ、machine の故障という event が発生しないっちゅうに。だからそこっ、「フラグが立ってない」とかゆーな。

よる

帰って早速 machine の組み替え。逝ったのは電源だけだったようで、あっさり動き出す。やれやれ。それにしても、本当にこの筐体は静かだな。

「半落ち」

とりあえず job を廻しながら、昼に買ってきた「半落ち」を見た。そして泣く。

この映画は骨髄バンクからの繋がりで知ったし、実際骨髄移植は story の重要な要素でもあるのだが、映画全体の物語は、もっと幅広く「命とは何か」「人間とは何か」を問うていると思う。

映画は「妻を殺した」と主人公が自首してくるところから始まる。そして、主人公が嘱託殺人を犯すに至るその経過が次第に明らかにされていくのだが‥‥。原作は「ミステリー」という位置づけになっているようだが、映画のほうは「謎解き」よりも主人公の人間性や夫婦に起こった出来事を掘り下げることに主眼を置いており、「推理もの」という色彩は薄い。しかし、その描きかたから、主題となる「問いかけ」が一層色濃くなっていると感じた。

DVD の package には「男はなぜ、最愛の妻を殺したのか」「男はなぜ、あと 1 年だけ、生きる決心をしたのか?」という言葉が keyword として書かれている。前者がこの映画全体の大きな theme であることは誰にでも判る。しかし、後者については、「なぜ犯人は妻と共に死ぬことを選ばなかったのか」を問うことによって間接的に示されてはいるが、映画の中で直接的に語られることはない。だが、この keyword から見えてくることは実に多い。犯人の梶はなぜ、一度は自殺しようとしながら最終的にそれを思いとどまったのか。なぜ生きるのが「あと 1 年だけ」なのか。そして、執行猶予が確実と思われ、かつ「求刑の 8 掛が普通」とも言われる判決が、なぜ求刑通りの実刑判決と一見非常に厳しく見えるものだったのか。

物語の根底に横たわっているのが骨髄移植の問題である一方、物語そのものが訴えているのは「痴呆」や「人間の尊厳」、そして「ひとにとって最も大切なものとは何か」ということだ。

主人公の妻は、息子が急性骨髄性白血病を発症し、骨髄の doner が見つからずに急逝したのをきっかけに、若くしてアルツハイマー性痴呆を発症する。だが、この作品における悲劇はそれに留まらない。彼女の痴呆の症状は、「息子が亡くなった事実を忘れる」という形で現れる。「最愛の息子を失う」という出来事が痴呆を引き起こすほどに辛く、しかもその事実は痴呆を引き起こすほどに受け入れがたいものだったのだろう。

言うまでもなく、「いのち」というのは何にも代えられない大切なものだ。しかし、痴呆の症状が、その引き鉄となった「最愛の息子を失った」という事実を忘れるという、言わば最悪の形で現れたとしたら? 彼女は、その症状を発する度に、「息子を失った」という事実を突きつけられる。それは、本人にとっては新たな事実としてあらわれるに等しい。

大切な存在を失ったとき、ひとは、その事実を受け入れることで、悲しみを「想い出」に昇華させる。しかし、その「事実」を受け入れたくないあまりに病を得、その病によって事実そのものを記憶できなくなった彼女は、いったいいつまで、そして何度、最愛の息子を失い続けなければならないのか。そしてその無限の悲しみから解放されるのが、最愛の息子の存在そのものを思い出せなくなったそのときであるとすれば? 最愛の存在そのものの記憶が自分の中から完全に失われるという悲しみは、いかばかりのものであるか。その絶望の中で「死にたい」「殺して」と懇願されたとき、それでもその人に対して「生き続けて欲しい」と言えるだろうか。彼女の実の姉が「私はあの子を殺してあげることすらできなかった」と泣きながら梶に謝り続ける姿こそ、妹の苦しみに終止符を打てなかった自らの不甲斐なさと、「最愛の存在を自らの手で殺めなければならない」という悲しい役目を梶に押し付けてしまったことへの悔恨の現れであったろう。

ヒトを「人間」たらしめているもの。それは人格だ。その人格が痴呆によって崩壊していく様を、作品中では「壊れる」と表現している。一般的に良く描かれる痴呆の姿は、本作における主任裁判官の父のようなものだ。もはや「理性」を失い、本能のみで行動する彼が、息子の号令を聞くと、記憶ではなく「職業的習慣」によって、一瞬だけ瞳の輝きと毅然とした態度を取り戻すその姿は、切なく、悲しい。しかしこの場合、本人はもはや記憶と共に悲しみや苦しみさえも失った「無邪気」な存在となっている。自分がかつて知っていたその人でないがゆえに、周囲はもどかしく、そして悲しい思いをするだろうが、本人にはそれに伴う労苦がないため、生き続けてもらうことそのものが周囲にとっての精神的安寧となることもあるだろう。だが、梶の妻はどうか。痴呆の症状によって、その症状を引き起こすまでに辛かった出来事を、最も大切だった存在そのものを思い出せなくなるまで繰り返し体験し続けるのだ。「ひと」が「ひと」でなくなるまで罰を受け続けなければならないほどの罪を、果たして梶の妻は犯したというのか。そしてその姿を見つめ続ける周囲の人々の苦しみは。事件後に姉が漏らした「妹は、梶さんのことを決して恨んではいないと思います」という言葉の陰に、どれほどの悲しみと苦しみが隠されていただろうか。

世界には、文化と宗教が密接な関係にあり、その結果として政治や法制度にも宗教が色濃く反映されている地域がある。そして、その宗教の中には「自殺は罪である」とされるものもある(無益な殺生を禁じる教えの下では、「自らを殺す」行為もおおむね禁じられているだろう)。しかし、そうした地域にあってすらも、「尊厳のある死」を実現するための安楽死を認めるかどうかで大きな議論が巻き起こっている。生活や倫理の原典となっているはずの宗教ですらももはや割りきれない問題だということを、その事実は表わしている。日本でも、肉体的苦痛を伴い、かつ一定の要件を満たした場合に限って、安楽死が認められている。また一方で、「いかに激烈な精神的苦悩があっても、肉体的苦痛が伴わない限り、死を惹起する行為は違法」とする判例もある。現行の刑法で殺人(刑法 第百九十九条)よりも同意殺人(刑法 第二百二条・現在の刑法では罪名における「嘱託」という言葉は「同意」に置き換えられている)のほうが罪が軽いとされているところにも、その迷いが現れているのだろう。この作品では、「人間の尊厳」や「尊厳死」についても問うているように思えた。

この映画では、事件の発覚から判決が下るまでの間を、事件が発生した経緯を紐解く形で淡々と描いている。殺人を犯した犯罪者としては真っ直ぐすぎる梶の態度に対し、県警の上層部がその行動や真意を理解できない様や、取材をする記者が戸惑う様も描かれている。だが、問題の根元そのものについては、決して雄弁ではなく、むしろ不親切であるとも言える。派手な action もなければ、過激な scene もない。しかし、ひたすら淡々とした描写から、この映画は、それを見るものに対し、静かに問うているように感じる。「あなたは、どう考えますか」と。

あなたは、どう思うだろうか。


2004/08/15 (日) 晴のち一時雨 <『解夏』>

ひる

昨日預けてあった自転車を取りに行く。振れは数 mm 以下に抑えられていた。すばらしい!

帰ってきてしばらくすると、雨が。ああ、買い物を昨日のうちに済ませていて、よかった‥‥。

というわけで、仕事。

よる

昨日に引き続き、今日は『解夏』を見る。泣く。

若干要素が追加されてはいたものの、原作にかなり忠実であるだけに、あまり語るべきことはない。元が短編なので、映画化するには丁度良い長さだったのだろう。映像化しづらい題材であるにも関わらず、かなり良くできていたと思う。とにかく見て欲しい。

個人的には、やはりあちこちに見覚えのある景色*1が現れるので、より一層現実感があったように思う。まだまだ行ったことがない場所も多いので、来年はもう一日早めに長崎に入って、あちこち廻ろうかな。大阪宴会もなくなりそうだし。

*1: 大浦天主堂横の坂道(主人公の隆之の家があるとされる)とか、南山手からの風景とか、江山楼とか (^^;

ところで

今年もまた靖国に参拝したかどうかで大騒ぎ。その一方で、東京都慰霊堂など、民間人の戦没者の慰霊施設を訪れたという話はついぞ聞いたことがない。辛うじて千鳥ヶ淵には参拝したらしいが、5 月に厚生労働省主催で行なわれた拝礼式に大臣は出席しなかったらしい。

沖縄・広島・長崎での平和祈念式典や武道館での追悼式の首相の挨拶は空々しい限りだが(言動不一致も甚だしい)、結局彼らの目は遺族会にしか向いていないのだろうな。


2004/08/16 (月) 晴 <こもる>

ひる

家を出る直前に客先が休みであることに気付いたので、急遽外出を中止。

ひたすら篭もって仕事。やや迷走気味。


2004/08/17 (火) 晴 <またこもる>

ひる

仕事。試行錯誤気味。

よる

仕事用の machine に portupgrade(8) をかける。X が 4.4 になった関連か、sawfish2 の動きがおかしくなる。今まで Crux で使っていたのだが、title bar が button 部分以外表示されなくなってしまった。気持ちが悪いので brushed metal に変えてみると、title bar は表示されるが、title 文字列が表示されないほか、window の resize ができない。あまり時間を浪費するわけにも行かないので、とりあえずこのままにする。


2004/08/18 (水) 晴 <まだこもる>

ひる

仕事。この期に及んで方針が固まらない。結構全面的な書き換えが必要だな‥‥。

よる

ふと思い立って、しばらく放置してあった副回線用の FW 用 machine をまたいじり始める。

まず、時期的な理由で 4.9-RELEASE が入っていたのを、4.10-RELEASE-p2 に update。

「そういえば、こないだ Realtek 製の driver が話題になってたっけなー」と思い、VIA の site を見に行く。あまり期待してはいなかったのだが、driver の page を見ると、予想に反して FreeBSD を support している旨の記述があった。

driver の page には複数の archive が置かれている。今回の mother board は EPIA V10000 で、board 上には VT6103 が搭載されている。この型番から、最初は VT6102 用の driver を download して試してみた(実際のところ、これは誤り)。Driver の readme を読むと、3 系列と 4 系列に対応しているとのことなので、指示通りに試してみると、compile で error が。FreeBSD 側の source tree を調べてみると、

というのが原因だったので、変更を加えて build。

早速試してみる。‥‥異様に遅いな。

何かが間違っている気がしたので、もう一度調べ直し。結果、以下のようなことが判った。

そんなわけで、現時点で最新のものとなる「VT6107/8231/8233/8235/8237 用」で再挑戦。Compile error はなく、通信自体も行なえる。そこで、65MB 程度の大きさの file 1 個を scp(1) で転送してかかった時間を測定してみた。当該 M/B には riser 経由で dc(4) な NIC も積んであるので、それとも比較。

dc0 経由                       4:46
内蔵 NIC(vr driver)       1:50:08
内蔵 NIC(fet driver)      1:52:55

「fet」というのが純正 driver。誤差ですな。つーか、かえって遅くなってんじゃん。念のために半二重に固定して計ってみたが、2 秒速くなっただけ。こうも歴然としすぎてると、他の方法で試したり複数回試して平均を取ってみたりという気にはとてもならん。ダメすぎ。

せっかくだから、netperf でも試してみた。

dc0:

TCP STREAM TEST to mobile6 : histogram
Recv   Send    Send                          
Socket Socket  Message  Elapsed              
Size   Size    Size     Time     Throughput  
bytes  bytes   bytes    secs.    10^6bits/sec  

 57344  32768  32768    10.01      28.29   

fet0(全二重):

/usr/local/netperf/netperf -H mobile4
TCP STREAM TEST to mobile4 : histogram
Recv   Send    Send                          
Socket Socket  Message  Elapsed              
Size   Size    Size     Time     Throughput  
bytes  bytes   bytes    secs.    10^6bits/sec  

 57344  32768  32768    14.40       0.06   

fet0(半二重):

TCP STREAM TEST to mobile4 : histogram
Recv   Send    Send                          
Socket Socket  Message  Elapsed              
Size   Size    Size     Time     Throughput  
bytes  bytes   bytes    secs.    10^6bits/sec  

 57344  32768  32768    14.40       0.06   

話にならん。ISDN 用に使おうと思っていたのだが、それすらも覚束ない。


2004/08/19 (木) 晴 <あせりまくり>

ひる

仕事。

ゆうがた

予約してあったので、16 時にカイロへ。

帰りにちょいと遠回りしてみると、天下一品の錦糸町店が復活していた。‥‥入ってみると、店は確かに小綺麗になっていたが、定食類の構成が変わっていた。早い話が、値上がり。しばらく行かないだろう。いい店でした‥‥。

よる

ふと思い立って、firewall 機の maintenance を行なう。

まずは portupgrade を実施。そのあいだに、ずっとほったらかしになっていた mergemaser を実施。

Mergemaster そのものは程なくして終了。しかし、その直後から mail の送受信ができなくなって焦りまくる。試行錯誤を重ねながら 1 時間ほど調べた結果、smapd から呼び出した Sendmail が sendmail.cf でなく submit.cf を使って mail を配送しようとして、loop が発生してしまったらしい。以下、備忘録としてやや詳しく書いておく。

FWTK の smap/smapd を使用して配送 system を構築している場合、

  1. Smap が 25 番 port で SMTP を待ち受け、受信した mail を一旦専用の spool に落とす
  2. Spool に落とされた mail を smapd が polling し、見つかった mail は Sendmail を使って配送する

という 2 つの stage を経て中継される。

一方、現在の Sendmail では local 配送用の process(MSP: Mail Submission Program)としての動作と MTA としての動作が分離されたため、/usr/sbin/sendmail を使って mail を流し込むと、その process はまず MSP として動作し、自 host 上に配送先 address が存在していない場合は localhost の MTA に配送を依頼しようとする(default の場合)。Sendmail を MTA として使用している場合、通常の 25 番 port の他、MUA や MSP からの受信(MSA: Mail Submission Agent としての動作)用に 587 番でも接続を待ち受けることができるのだが、default の submit.cf では通常の SMTP port に接続しにいく。

この両方の動作が同時に起こると、こんな↓状態に。

  1. FW の内外から SMTP の接続要求が入る
  2. Smap がそれを受け付けて spool に落とす
  3. Smapd が spool から mail を取り出し、/usr/sbin/sendmail を使って送り出す
  4. Sendmail は submit.cf を使用して MSP として動作しようとするが、address が local にないので localhost の 25 番 port に接続して配送を依頼する
  5. 2. に戻る(以下繰り返し)

もちろんこの loop が無限に続くようなことはなく、loop が発生していることが検出された時点で error となるのだが、どちらにしても配送されないことには変わりない。

これを避けるには、submit.cf を削除しておくか、/usr/sbin/sendmail を呼び出す際に command line option で sendmail.cf を使用するよう指定するかして、とにかく sendmail.cf が使用されるようにしておかなければならない。今までは submit.cf を削除して対応していたのだが、それをうっかり忘れるとこういうことになる。

だいたい mergemaster は忘れた頃にやるものなので、今後もうっかりする可能性は結構大きい。なので、smapd の source に手を入れて /usr/sbin/sendmail-Am が渡されるように修正。やれやれ‥‥。

そうこうしているうちに Apache2 の update も終わっていた(→ 2.0.50)。そりゃ終わるわな。念のために firewall machine を reboot する。さて、確認を‥‥あれ? Apache が動いてませんよ?

どうやら mod_proxy.so をはじめとした proxy 系 module がなく、読み込みに失敗しているらしい。これがないと、mod_rewrite による redirect が機能しない。慌てて port の履歴を調べてみると、最近 mod_proxy 系の module は default で install されないようになったらしい。なんだとう。

Port の履歴や files 群を読んでみても、それを install しない方法は書いてあるが、「するようにする」方法は書かれていない(つまりは document が追い付いていない)。そこで、「install するようにする」場合の記述を参考に、port の Makefile やらなんやらを読んでみると、Makefile.3rd にそれらしい記述が見つかった。試しに make WITH_PROXY_MODULES=yes show-modules としてみると、proxy 系 module が enable になっている。で、WITH_PROXY_MODULES=yes を指定して際 install。‥‥無事に元通りの動作に。やれやれ‥‥。


2004/08/20 (金) 晴 <なやみまくり>

にっちゅう

仕事。むぅ。

それにしても、旅行から帰っていきなり腰痛がぶり返したな。机に向かって座っていると覿面に痛みが強くなるので、机と椅子が身体に合っていないのは疑う余地もない。机の嵩上げと椅子の交換を実施したいが、前者はまだしも、後者は場所の問題が‥‥。

よる

気付いたら 22 時近くになっていたので、加真呂で中落ち。


[後日へ続く]

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この日記は、GNSを使用して作成されています。作製者の GORRY さんに感謝 m(__)m