「書きかけの歳時記」
2002/11版 その3

(since '05.04.25)

この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。

取扱上の注意

[前日へ続く]

2002/11/21 (木) 曇のち晴 <出発当日>

未明

急遽出発が早まってしまったので、急いで旅支度。宿の空き状況や料金の相場を調べたり、きっぷの運賃を計算したり、着替えの準備をしたり、装備品の点検・整備をしたり。

本当は 22 日発のつもりで、今日原稿を仕上げようと思ってたんだけど、こりゃあ今回も落ちたな‥‥。

あさ〜ひる

仮眠でも取ろうかと思ったのだが、寝付けないうちに結局夜が明ける。仕方がないので、医者が開くちょっと前に家を出て、文殊でそば。その足で医者へ。

終わる頃ちょうど JTB 浅草橋が開く時間になったので、朝一番で飛び込んで、宿の相談。「一人旅」で一番厄介なのは、この「宿の手配」なのだ。夜行列車を含め、全ての宿が取れないと、行程が確定しない。

まずは地域と設備、料金の希望を伝えて、それに叶うものを探してもらう。とはいえ、空き部屋がないものはいくら頑張ってもないし、あまり無茶な低料金を言ってみても始まらないので、予め状況を調べておくのは重要。そりゃあ、仕事だから、頼めば(特に忙しくない限り)いくらでも調べてはくれるが、無意味に手間をかけさせるのは避けなければならない。今回は、「鳥羽から紀伊長島付近まで(列車の到着時刻による制約)、地物の料理と、できれば露天風呂があること、料金は(料理がよければ)1 泊 25,000 円程度*1まで」と設定。まずは 1 名 1 室の設定がありかつ露天風呂があるところを探してもらい、その部屋が実際にどういう条件であるのかや、料理の内容などについて確認をしてもらう。

まあ、探せばあるもので、鳥羽はめぼしいところだけで何軒か引っ掛かる*2。あ とは端末に登録されている「過去の利用客に対する enquite 結果」や、電話 で訊いてもらった内容などを元に、宿を決定する。今回の鳥羽も、散々迷って、 結局「風呂自慢の宿だが、電話で訊いてもらったところ、料理の内容にも自信 のほどが伺える。さらに、眺望さえ目をつぶれば、格安の部屋がある」ということで「ホテルメ湯楽々」に決定。これで前半(東京 →大阪)の行程が確定。

ざっと調べてもらったところ、後半の 1 泊もどうにかなりそう。そこで、全区間の乗車券と、行程の中盤までの指定券を手配してもらい、その間にその「もう 1 泊」をあたってもらう。これも思いの外安い宿が見つかって、「1 名 1 室 7,800 円から。15,000 円? かなりいい料理が出ます」という、駅にも程近い「鯵ヶ沢温泉ホテル山海荘」に決定。ここまでで 2 時間近く経過しているが、今回はそれでも割とすんなり決まったほう。これで全部の行程が固まったので、残りの指定券の手配もお願いする。

出発の当日になっても集合場所と時間が知らされてこないので、こんな感じで一方的に決定。ところが、手配が終わって新大阪の着時を連絡したら、案の定「これは困る。予定と違う」と反応が帰ってくる。そんなことを言われても、その「予定」を私は全く知らされていない。だから 10 日前から「何日の何時頃、どこに行けばいいのか」と訊いていた*3のに。どないせえっちゅうねん。

*1: 大抵の宿は、和室の場合、1 室あたり 2 名以上の設定しか catalog に載っていないことが多い。しかし、pamphlet に載っているのは online 予約ができる部屋や宿ばかりで、実際には電話予約しかできない部屋とか、眺望などの条件が悪いため標準設備として扱っていない部屋もあるので、訊いてもらえば、宿によって 1 名 1 室でも受け入れてもらえる場合がある。その場合、2 名 1 室の値段よりも 2〜3 千円 up が相場。ちなみに、洋室の場合、single で 1 名 1 室の設定があるところもある。

*2: もちろん、地域や時期によっては、選択の余地がない場合や、全く空きがない場合もある。そういう場合のために、落としどころや回避策も、予め用意しておく。

*3: 先週、〔外房〕号の指定券を引き取りに行った際、「大阪・京都方面はむちゃくちゃ混んでいる」という情報を得ていたので、それも記した上で、訊いていたのだ。

ゆうがた

指圧を受けに行く。腰以外にも、左肩に「鉄筋が入ってます」。ぎゅうぎゅう。

何となく予定の変更を迫られそうな予感がしていたので、下着を買い出して、急いで帰宅。案の定、高松までの自力回送を求められた。関西組は、23 日の朝から出かけるらしい。で、現地で途中から合流してくれとのこと。まあ、いいけどね。最悪の場合、参加見送りでもやむを得ないと思っていたので。

またもや JTB 浅草橋へ。大阪から高松までの乗車券と、岡山→高松の快速の指定券を頼んでいると、午前中に手配をしていただいた方がたまたま奥から出てきて、「えっ?! どうしたんですか?!」と仰天している。「いや、結局『高松まで来てくれ』ということになったので、きっぷの追加を (^^;」というと、「そうなんですか‥‥私、なんか間違っちゃった かと思って、どきどきしちゃいました (^^;;;」。そうじゃないんです。すみません (^^;;;;;

アキバに行って、石○ SOFT ONE で「MOTOR MAN はやて&埼京線 WATERFRONT」を購入。Pass case が付いてきた。

ふと気付くと、なぜか帰りにASOBITCITYで「クモハ 40 トータルキット」を買い込んでいた‥‥。いよいよ営業線最後の旧国も、来年春に引退です‥‥。

出てきた切符の金額が、計算と違う。帰ってきてから、よーく確認。‥‥うあー、四国の加算運賃を計算するのを忘れてた。しかも、境界駅が児島だとは‥‥。それだけじゃなくて、本四架橋を通過する場合、さらに 100 円の加算額が適用とは。JR 四国おそるべし。鉄道で四国に入るのは初めてなので、勝手がわからない。

よる

準備をしながら、「MOTOR MAN はやて&埼京線 WATERFRONT」を聴く。‥‥これは、ネタとしてちょっとまずいんじゃないの?

2145 頃を目処に出発。自宅付近のコンビニで飲み物を買って、綿糸町で軽く飯喰って、総武本線経由で東京に向かう予定。それにしても、この時間って、総武快速線電車は 1 時間に 1 本の割でしか走ってないのね。使えねー。総武快速線、おそるべし。← こればっかり‥‥。

そういえば、tape の残り時間が心細かったな‥‥と思い、Tape を入れ替えようと‥‥うあ! 録画予約が走ってる‥‥。あうー、「逮捕」だよ‥‥。

もはやあまり観る気はないので、止めてしまおうかとも思ったのだが、じっと我慢‥‥。

Deck が停止するまでの間に予約作業を済ませて、停止した直後から tape の架け替え作業。

結局、家を出たのは 2158 時。2200 時の bus は 5 分遅れでやってきた。ともあれ、 2211 時頃に錦糸町駅前着。急いで至近の LAWSON に行って copy を取り、また駅前に戻って吉野屋で牛丼をかっこみ、駅へ急ぐ。

無事、2237 発久里浜行きに乗車。東京で延々登り、「銀河」の入線と同時にホームへ。

今日の〔銀河〕は 6 輛編成(機関車、電源車別)。私の乗る 5 号車は、後ろから 2 両目。ちょうど目の前に NEWDAYS がある*4ので、飲み物と夜食の sand を買い込む。

今日は定時に発車。品川を出たところで、車内改札。ゆき券の「都区内→五所川原」と〔銀河〕の「東京→大阪」の寝台券、それと「名古屋→大阪」の片道乗車券を提示する。車掌は一瞬、「東京→五所川原。」と口に出しつつ戸惑ったようだが、すぐさま経由が「トウカ・カンサ‥‥」であることを読み取り、それと「名古屋→大阪」の乗車券を照らし合わせ、納得した様子で「大阪までですね。ありがとうございます」と言いつつ 3 枚に stamp を押し、返してよこした。さすが、手慣れている*5 :-D

明日に比べれば空いているとは言え、それでも B 寝台車の下段はほぼ埋まっている。この分だと、間違いなく A 寝台車には空きが出ていないだろう。

後ろから 2 両目だというのに、発車の衝撃をほとんど感じない。やっぱり、東海道筋の東の機関士は、引き出しがうまいなぁ。

Mail を処理しているうちに、小田原を通過。小田原停車のために減速したとたん、横の貨物線から高速貨物に追い抜かれて、ちょっとどきどき (^^;

(ヨ)00555 から沼津の側線に運転停車。00593 頃、本線上を高速貨物が追い抜き。01041、発車。

まもなく沈没。

*4: 9・10 番線の NEWDAYS は、〔銀河〕の発車時刻まで間違いなく開いているので、たいへんありがたい。ただ、それだけに、発車間際はたいへん混みあうので、注意。

*5: 手慣れているのは、私のせいだけではありませんよ?


2002/11/22 (金) 曇、びみょーに晴 <うどん tour・1 日目>

続・〔銀河〕号

ばたん!と通路の椅子を出す音と、それに続いて響いてきた「あー、まだ夜だ、夜。真っ暗。」という声でたたき起こされる。隣の box のじじいだ。東京発車直後から遠慮なく騒音を出し、何かするたびに大声を出している。声を出すといっても、連れがいるわけではないので、単なる独り言。そんなにだれかにかまってほしいのか? 独り言を言ってもいいが、まだ夜で、真っ暗なのがわかっているなら、もっと遠慮してくれ*1。4 時だぞ?

そのじじい、通路の椅子に座っていたが、名古屋に運転停車中、通りかかった車掌に「今どこですか?」と、またも大声で尋ねている。深夜で、しかも停車中の客車列車の車内なので、物凄く声が響いているが、本人は全く気にする素振りもない。車掌が「名古屋です」と声をひそめて答えた意味もわかっていないようで、「ああ、どうも」と、また大声で答えている。

そうかと思えば、そのじじいとは私の box を挟んで反対側、私の寝台と壁を隔てた隣の寝台からは、これまた「がたん!」とか「ガサガサガサガサ」などと遠慮のない物音が聞こえてくる*2。本当に最近の中高年はたちが悪い。だれか何とかしてくれ‥‥。

眠れずにぼーっとしていたら、はたと気付く。「現地合流にしてくれ」という ことで急遽「大阪市内→(讃)高松」の乗車券を追加購入したのだが、よく考 えれば、「名古屋→大阪」の乗車券を「名古屋→(讃)高松」に乗変すればよ かったではないか。ためしに計算してみると、

現状: 名古屋→大阪 = 3,260 円、大阪市内→(讃)高松 = 4,500 円。合計 7,760 円
通しの場合: 名古屋→(讃)高松 = 7,020 円

実にほぼ 1 割安くなるのだが、後の祭。やはり、出発当日の手配は、余裕がなくて、だめだ。 急遽出発が早まったおかげで徹夜明けだったので、なおさら頭が働いていない。

さらに、多気←→鳥羽の往復も買い忘れていることに気付く。だめじゃん‥‥。

結局、眠れないまま、大阪着。

*1: 大声とはいえ、極端にがなっているわけではないし、ちゃんと車掌の声は聞こえているので、「難聴のために声がどうしても大きくなる」という感じでは全くない。

*2: ほかに客が乗っていないからこの人たちが目立つのではない。下段すべてと、上段の一部を客が埋めているが、ほかの人たちが静かなので、目立っているのだ。つまり、こいつら、やかましい。

大阪

〔銀河〕号の引き上げを見送ったあと、御堂筋線で心斎橋へ。御堂筋線は、梅田〜淀屋橋間で発煙事故があった影響で、遅れているらしい。

ともあれ、清水湯へ。‥‥OPA の EV は 8 時前だとまだ動いていないらしい。階段でぐにょぐにょと地上へ。をー、御堂筋の紅葉がきれいー。

そして、OPA ビルの脇を抜けて‥‥と、そのとき。ブツッと何かが切れる衝撃とともに、ずるっと何かが抜ける感触が‥‥。うあー、鞄の sholder belt の留め具が壊れました‥‥。〔銀河〕から降りるときに留め具にひびが入っているのを見つけて、いつまでもつか不安ではあったのだが‥‥。そもそも、鞄自体が大きくてそれなりに頑丈なのに、留め具がプラ製ってのはどうかと思うんだけど、まあ、安い鞄だからな。今回は日程が短いので、荷物が比較的軽めだというのも、不幸中の幸。何とかなる。東京に帰ったら、belt を調達しないと‥‥。

とにかく、風呂。いつものようにタオルとバスタオルを借り、490 円支払って、中に。

身体を洗っていると‥‥なんか、水風呂で暴れているじじいが。身体を派手に動かして、大波を起こしている。浴槽から水があふれまくっているのはまだいいとしても、じじいが来る前から水風呂に入っていた客が、頭から水をかぶる羽目になっている。元気なのはいいが、ほかの客に迷惑をかけるなよ。いい歳扱いて。

そのじじい、頻繁にお湯と水風呂をいったり来たりしては、水風呂で暴れている。やがて被害者がもう一人。挙げ句にそのじじい、洗い場で痰を吐き始めただけでなく、風呂場に響き渡る大きな声を出しながら、洗い場でうがいを始めた。もはや浴室中の注目の的(というか、顰蹙買いまくり)なんだが、本人はもちろん気にしていない。〔銀河〕の迷惑じじいとは明らかに別人なんだが、本当に、最近のじじいどもの暴走を、だれか止めろ。

0830 時付近になったので、風呂を上がる。まだ時間には余裕があるので、薬を塗ってから服を着る。

0844 時、清水湯を離脱。御堂筋の紅葉を眺めつつ、近鉄難波まで歩く。約 10 分。

〔アーバンライナー〕

0900 時発の〔アーバンライナー〕で名古屋へ。天気はそこそこ。もっとも、青山を越えたあとの伊勢湾側の天候は、結構不安。

現在、中川分岐点。今のところ、伊勢湾西岸地域もきれいに晴れている。が、12 時以降 18 時までの降水確率は 30% だそうな。微妙だな‥‥。

1104、名古屋着。

味噌とんかつ

以前にも一度行った「矢場とん」で早めの昼飯。わざと昼どきをはずれるようにして着く列車を選んだので、店はまだがらがら。

前回は鉄板ひれかつだったので、今度は店のおすすめの「わらじとんかつ」(1,600円)を。150 円増でとん汁もつけてもらう。

待つことしばし。‥‥出てきました。厚さは 1cm くらい、直径 30cm くらいのロースカツ。‥‥これは食いごたえがある (^^;

とん汁も、思っていたよりあっさりしていて、でかいとんかつのあとでもすんなり飲める。すばらしい。

堪能して、改札へ向かう。

名古屋駅

あまり時間がないので、急いで改札へ向かう。

発車 5 分前に改札を抜けたので、ほっと一安心したのだが‥‥関西線のホームはどこだ‥‥*3

行ったり来たりしている間にギリギリの時間になってしまったので、ちょうど通りかかった駅員を捕まえる。

「すいません、関西線のホームは何番ですか?」
「どこへ行くの?」
「いや、だから、関西線」
「で、どこへ?」
「‥‥桑名方面」

やにわにコンパス時刻表を取り出す駅員。そんな時間はないんだっつーに。

「43 分があると思うんですけど」(ちなみに、この時点で 2 分前)
「(時計を見て)ああ、もう出るねぇ」
「だから、ホームは何番線ですかっ!」

ようやく「12 か 13 番」という答えを得て、急ぐ。何とか間に合った‥‥。改札内に「何線は何番線」という表示をしておいても、罰は当たらないと思うぞ。 > 名古屋駅

*3: 「何々線は n 番」という表示もなければ、上野や大阪などの改札口にあるような集中表示案内板もない。

関西本線・その 1

313 の 2 輛編成に揺られて桑名へ向かう。165 の置き換え用の車のはずなんだが、やっぱりアコモは 113 相当だよな‥‥。新潟地区の 115 とあまり変わらない。

途中、信号場(名古屋起点 14km、永和〜弥富間)などで交換しつつ、桑名に。

近鉄北勢線

地図で見る分には北勢線西桑名は桑名駅のすぐ脇にあるようで、豊橋における豊橋鉄道の駅のような位置関係を想像していたのだが、ちょっと外れた。

まず、桑名駅の改札から駅前ロータリーまでが結構長い。東口の改札を出て、右へずっと行ったところにロータリーが現れる。さらに、そのロータリーを南へ縦断したところに西桑名がある。これは確かに、近鉄の桑名駅ホームからは 7 分くらいかかるかもしれない‥‥。間合いが 15 分くらいあったおかげで、発車 8 分前には西桑名に着いた。ちょうど折り返しの列車が入ってきたところ。

駅前に設置されているロータリーの屋根に取り込まれてしまっているせいで外見からはわかりにくいのだが、駅舎の造りが、またいかにも軽便鉄道風味。改札を入る前に駅舎内で飲み物を買っていたら、高校生くらいの女子学生が、駅員に「〜行はここでいいんですか?」と訊き、「ここは北勢線だから」と、桑名駅への行き方を案内されていた。地元の人でも間違うんだなぁ。

いよいよご対面。‥‥うははは、これは、何もかも小さい! 12 号線なんて、これに比べれば立派なもんだ。軌間がまた小さい! 遊園地の遊技施設の方がまだ広いかも。でも、車両の方は、いくら小さいとは言っても、軌間には不釣り合いなほど大きい。これは確かに、乗客が一斉に左右どちらかに寄ったら、こけるかも‥‥。さすが特殊狭軌。

立派なことに 3 輛固定編成。とりあえず先頭車両に乗る。M 車だった。釣掛が唸りまくる! 激しく萌え。

途中の交換駅で対向列車を見ていて気が付いたんだが、M 車は阿下喜よりの 1 両だけで、あとの 2 両は T 車。しかも、M 車に比べて、T 車は車両が短い。つまり、1M2T と言うより、M 車はむしろ、カマ。

むー、いかん。運転士がだんだんお猿さんに見えてきた‥‥ (^^;

終点の阿下喜(あげき)で、折り返しの発車を待つ間、駅前をぶらぶら。といっても、何もありませんが‥‥。

折り返しでは、かぶり付きで全面展望を録画する試み。しかし、睡魔に襲われ、camera を持ったままついうとうと‥‥。

それにしても、乗客の絶対人数はそう多くないながら(土曜で、しかも祭日であるということも関係しているかも)、閑散線区にありがちな「乗っているのは子供と年寄りばかり」ということがなく、いろいろな年代がまんべんなく乗っている。地元が必死に残そうとしているのもわかるような気がする*4

折り返しの発車を見送り、桑名駅へ移動。

*4: 一部鉄道誌の報道によれば、平日朝夕は桑名市周辺でもそれなりに渋滞が発生し、bus や車は通勤・通学の足としてはあまり当てにならないのだそうだ。

快速〔みえ〕(関西本線・その 2/伊勢鉄道/紀勢本線・その 1/参宮線・往き)

四日市行の下り普通列車をやり過ごし、〔みえ 13〕号の到着を待つ。そのあいだに、出札で「多気→鳥羽」の別途片道を購入。しまった、往復で買えばよかった。

先行の普通列車が 2 分延だったので、〔みえ 13〕号も遅れてくるかと思いきや、所定だった。1 号車に充当されていた車両は、キハ 75-2。

〔みえ〕の指定席は、1 号車の前半分。〔エアポート〕のように seat が特にいいということはなく、普通の転換 cross seat。つまらん。

さらに、前の席のおっさんのしゃべり声がうるさい。相方の女性は遠慮して声を抑えているのに、おっさんの方はまるで遠慮がない。ここでもか‥‥。

そして、後ろのほうでは子供が大騒ぎ。四日市を出たら、急に静かになったが。

四日市の先、河原田から、第三セクターへ移管した意味がいまだにわからない伊勢鉄道に入る。途中、鈴鹿サーキット稲生構内で、タイフォンを鳴らしつつ急制動。公衆立ち入りか? やがて支障物がいなくなったらしく、停止することなく再加速。

紀勢本線に入って、阿漕で上りの亀山行普通列車と交換。編成がキハ 40 + キハ 48 x 3 になっているのを見て、本当にキハ 58 が引退してしまったのだということを実感する。

かつて大勢の修学旅行生が犠牲となってしまった六軒事故の現場である六軒で交換待ち。今や、事故の痕跡を示すものは何も見当たらない。現場は、見通しこそいいものの、今でも近くには民家がなく、照明機材の発達していない時代のことでもあり、深夜の救助活動が困難を極めたであろうことは想像に難くない。

六軒を出ると、程なくして右手から名松線の線路が寄り添ってきた。信号場で合流したのち、松阪着。やはり単線のため遅延が波及し、5 分の延着。

多気発車は 1632。発車直後に日没したりまた顔を出したり。

伊勢市到着は 2 分延。停車時間を短縮して、発車は所定に。

鳥羽には所定で到着。

鳥羽

鳥羽に来たのは、かなり久しぶり。しかも、前回は近鉄で来て、そのまま国道フェリーに乗って伊良湖に渡ってしまったので、単に通過しただけに過ぎない。

何となく、階段を登り、近鉄側の改札から出てみる。実は参宮線のホームからはそのまま登り降りなしで地平の改札に出られるようになっていて、ホームには出口はそこだけのように書かれているのだが、近鉄との連絡通路には中間改札がなく、事実そちらの改札からも出ることができる。しかし、少なくとも表面(旅客案内)上は、参宮線は地平、近鉄線は橋上にそれぞれ専用の改札口を持っているようにみえる。ちょっとおもしろい。

それにしても、この駅の構造は変わっている。表玄関となるのは、海側に面した近鉄の駅で、大きなロータリーを持っている。改札はロータリーから階段か EV を上がった橋上にあり、改札の前には大きな待合所と観光案内所、土産物売り場などがあり、かなりの規模だ。

一方、参宮線の方は、線路を挟んだ反対側の地平にあり、これもごくごく小さなロータリーがある。駅舎は一応近鉄のものとは独立していて、近鉄の改札前の自由通路を大きなロータリーとは反対側(近鉄の改札に向かって左)に降りると、小さな建物が立っている。しかし、近鉄の駅舎の規模と比べると、どうしても裏口然とした感が免れない。駅舎の二階には、近鉄に対向するように土産物やが入っているようではあるが、どう見ても人気(ひとけ)がない。

その参宮線駅舎前の小さなロータリーの向かいには、大きな鳥居が立っている。「参宮線」というだけあって、ここは伊勢神宮への参拝客を輸送するために作られた駅だ。その目的からすると、鳥居の真ん前にある国鉄鳥羽駅は、まさに一等地。敢えて山側の線路一本を行き止まりにしてでもホームから階段なしで外に出られるようになっているのにも納得がいく。しかし、戦前こそ「お伊勢参り」は盛んだったろう*5が、今となってはもはや伊勢神宮は「数ある寺社仏閣のうちの一つ」に過ぎない。むしろ、鳥羽といえば今は「真珠」であり「水族館」であり「温泉」なので、観光資源は尽く海側にあることになる。両者の駅を見比べると、主従逆転の様が伺えて、感慨深い。

‥‥と思っていたのだが、翌朝、明るい中で鳥居を見てみたら、伊勢神宮とは全く関係なかった (__;

送迎は「駅に着いてからお電話下さい」と言われていたので、宿に電話を入れ、 指定された近鉄鳥羽駅側のロータリーで待つ。まもなく、迎えの車がやってき た。宿の方は、とても感じがよい。幸先よい start だ :-)

程なく、今夜の宿「ホテルメ 湯楽々(ゆらら)」に到着。Check in し、部屋に案内していただく。案内は若い女の子(20 代くらいか)にバトンタッチされたのだが、「お荷物お持ちします」と手を伸ばしたのを、「ああ、重いからいいですよ」と断ると、「あ、そうですか」とあっさり引き下がられて、拍子抜け (^^;。Counter の男性も苦笑していた。

部屋まで案内してくれた女の子は、一通りの案内を述べると、引き上げていった。その口調や、立ち居振る舞いから見て、まだあまり馴染んでいない様子。

部屋は 308 号。3 階の端の部屋だ。「狭い部屋」とのことだったが、8 畳間+広縁で、1 人で泊まるには十分すぎる広さ*6だ。眺望も、hotel が面している湾を見渡せて、決して悪くない。Toilet や部屋風呂などに構造の古さが感じられるが、それでもきれいに手入れされていて、十分及第点。唯一の難点は、部屋の前に給湯所があるせいか、3 階の廊下に生ごみの臭いが漂っていることだ。むーん。

夕食を 19 時半からにしてもらったので、1 時間半ほど余裕がある。浴衣に着替え、早速風呂へ。時間がやや中途半端だったせいか*7、そのとき風呂にいたのはほかに 2 人だけ。脱衣所の構造が妙だったり、脱衣かごのほかに鍵付きの locker があるものの肝心の鍵がついていなかったりと、戸惑いつつも浴衣を脱ぎ、宿ご自慢の浴室に入る。

「8 種類の風呂」が自慢だけあって、なかなかおもしろい。ちょっとした健康ランドのようだ。規模からして、ちょうど「江戸游」の風呂に近い。幅広の滝のような打たせ湯は、浴槽自体が 120cm の深さになっていて、風呂の中に立って肩や頭に浴びるようになっている。なかなかいい。

ほぼ貸し切りの状態で、のんびり。ゆったり漬かったり、打たせ湯を肩に当ててみたり、サウナに入ったり。

夜の入浴時間は 23 時まで、翌朝は 6 時から 9 時までで、朝になると男女の浴室が入れ替わるそうなのだが、今夜は海側の浴室が男湯だった。で、その海沿いに露天の浴槽があるのだが‥‥。なんか、冷たい。奥の方にも小さな浴槽があり、それは「水風呂」と書かれているのだが、その手前の浴槽も、水風呂ほどではないが、冷たい。なんででしょ? これはこういうものなのかな‥‥?

風呂から上がって、部屋でのんびり。時間になったので、2 階のお食事処「名水亭」へ。ここはきれいに改装されていて、建物の古さを全く感じさせない、明るくて、かつ落ち着いた雰囲気になっている。これで隣の宴会場の騒音(下手なカラオケ)が筒抜けでなければ、完璧なんだが‥‥。

案内された席は、壁沿いの counter 席。Counter 部分を含めた全席が堀炬燵構造+座椅子で、私のような腰痛持ちには実にありがたい。Counter の向こうには給仕用の通路があり、そのさらに向こうはすぐ壁だが、そこには大きな水槽(生け簀だろう)があって、圧迫感のないように配慮されている。

貝柱の煮付けや貝と蛸の酢の物、蛸の山葵和えがすでに据え付けられている。すぐにお作りと茶そばが運ばれてきて、各種貝の焼き物(大あさり、ほたて、さざえなど)に火がつけられる。次に海老 2 匹・獅子唐・れんこん・なすなどのてんぷらと、平目の煮付け(こちらは暖かい)が運ばれてきた。

私は酒を飲まないので、茶碗蒸しを持ってきてくれたところで、ごはんをお願いする。ごはんといっしょに、味噌汁とデザート(ミカンのゼリー)が運ばれてきた。これで標準料理が出そろった。宿の予約をするときに特別料理について訊いてもらったら「まずは標準料理を見ていただいて、もし足りなければ、そのときご注文いただければ結構です」ということだったのだが、確かに小食の人だと喰いきれないかもしれない品数だ。別注料理の一部の品目は標準料理にも含まれている。なるほど。しかも、よくよく考えると、肉類*8がいっさい出ていない。これも潔い。

しかしまあ、せっかくこの地に来たら、伊勢海老も喰っておきたいと思うのが人情。「風呂の評判は◎だが、全体的な評価では『鳥羽国際ホテル』のほうが上」といわれつつもこちらの宿に決めたのは、どちらの宿も標準料理の内容が不明だったのに加え、部屋代を安くしてくれるとのことで「もし料理の内容に差があっても、宿代の差額で別注料理代が出ちゃいますもんねぇ」という判断があったからでもある。というわけで、別注で伊勢海老を頼むことにする。

しかし、私のほかに 3 組しかお食事処にいない*9せいか、従業員は厨房に引っ込んだままで、なかなか捕まらない。ようやく通りかかった従業員(たまたま、部屋に案内してくれた女の子だった)を捕まえて、「別注料理を今からお願いすることはできますか?」と訊く。すると、なぜか怪訝そうな顔をして、「何を‥‥」と訊くので、価格の確認を兼ねて内容を確認しようと思い*10、「別注料理の menu はあります?」と言うと、「ですから、何をご注文で‥‥?」。

「伊勢海老ありますか?」と訊くと、「7〜8 千円しますけど」。ええ、というと、counter の下から menu を取り出し、放り出すようにして置いて、「決まったら呼んでください」と言って姿を消した。客を値踏みするような態度は取らないほうがいいと思うんだけどね。安い部屋に泊まったのも、酒を頼まないのも、単に「金がない」以外の理由があるんだから。まだまだ素人だな (^^;

結局、出てきた menu は、部屋に置いてあったのと同じものだった。しばらくしてから従業員が通りかかったので(今度はさっきとは別の若い女の子)、「別注料理の値段はこの(menu に載っている)金額でだいじょうぶですか?」と訊くと、そうです、という。それなら、と、「伊勢海老の活作り」(8,000 円〜)と「さざえのお作り」 (1,200 円〜)をお願いする。

今度は、先ほどまでとは別の、ちょっと年期の入った女性(といっても、40 代くらいか)が、料理を運んできた。一気に上客の仲間入りを果たしたのか、今度はやたらと愛想がいい*11。「伊勢海老、まだ動いてますよー。あっ、ギーギー鳴いてる! こんなになっても、まだ生きてますよ。生命力強いですねぇー」と、賑やか (^^;

それはそれとして、「活作り」の名の通り、本当にまだ生きて動いている。そのうち、出てきたときにはピンと立っていた触覚が力を失って垂れてきたが、それでもしばらくしてからまたギーギーと音を出しつつ足を激しく動かして最後の足掻きを見せた。さすがにちょっと可哀想になって、すぐには箸を付けられなくなってみたり(← 弱気 (^^;)。ほかの生き物から命を貰って生きているんだなぁと妙に実感してみたり。

力を失った足が折り畳まれた状態になり、すっかりおとなしくなった*12ので、安心して (^^; 伊勢海老の身をつつく。ぷりぷりとしつつもこりこりとした感触があり、淡白な中にも甘みがある。実にうまい。大きさも結構ある。

さざえの方も、握り拳大くらいあるでかさ。身の表面の部分はこりこりと歯応えがあり、中の身はこりこりしつつも柔らかい。これもうまい。

「ごはんのお代わり、お持ちしましょうか?」というので、「じゃあ、ちょっとだけ」とお願いする。程なく、「暖かいのをどうぞー」と持ってきて下さる。‥‥なんか、さっきの女の子はすっかり出てこなくなったぞ (^^;

すっかり満喫し、「ごちそうさまー」と言いつつ「名水亭」を出て、部屋に戻る。満腹だー。布団に寝転がって TV をみていると、猛烈な睡魔に襲われる。もう一度風呂に行こうかと思っていたのだが、面倒くさくなってしまい、massage も頼まず、そのまま眠ってしまう。しばらくして、付けっ放しにしてあった TV を消し、暑くなってきたので空調も止め、電気を消して、本格的に寝入る。おやすみなさい‥‥。

*5: 緊急でない旅行や物見遊山が禁止された戦時中でさえ、「お伊勢参り」だけは奨励された。これは伊勢神宮が天皇を祀ったものだからで、一種の「聖地巡礼」だったわけだ。

*6: 予約の際、先方の部屋条件を確認した JTB の方が「8 畳間で、ちょっと狭い*13ですが、15,000 まで安くしてくれるそうです」と仰るので、「いやもう、それでいいです。『狭い』ったって、8 畳なら、自宅の部屋より広いですよ (^^;」と言うと、「‥‥そういえば、私もそうです (^^;;;」なんて答えが帰ってきたり。

*7: 和室の場合、「1 部屋当たりの収容人員が 2〜3 名で、10 畳+広縁」というのが下限の標準なので、それからすると、確かに狭いといえば狭い。

*8: 2 階の宴会場からはカラオケの音が漏れてきていたので、大口客はまさに盛り上がっている最中だったのだろう。ちなみに、3 階の宴会場は客がいない様子だった。

*9: もちろん、「魚肉」は除く。

*10: 大口客は宴会を続行中。

*11: 部屋にも別注料理の一覧表はあったが、写真がない上、すべて値段が「何円〜」になっていたし、JTB で訊いてもらったときには「はっきり言って、時価です」と言われていた。

*12: 別に、それまで全従業員が無愛想だったわけではない。男性従業員は押し並べて落ち着きがあって愛想もいい。女性従業員が両極端なだけなんだろう。

*13: それでも、まだ目はゆっくりとだが動いていた。胴体もほとんど身が掻き出された状態なのに、本当に生命力が強い。


2002/11/23 (土) 曇、朝のうち小雨、南紀方面はびみょーに晴 <うどん tour・2 日目>

あさ

寝入ったのが早かっただけに、4 時頃一旦目が覚める。が、6 時にならないと風呂も開かないので、二度寝。

6 時ちょっと前に目が覚める。熟睡したらしく、すっきり。まだ日は昇っていないが、徐々に空が明るくなってくる。

「三度寝」するほど眠くないので、6 時半頃、風呂に行く。昨晩とは逆の、山側の浴室。行ってみると‥‥をを、一番乗りだ。

入浴可能になって少し経っていたし、それまでだれも出入りがなかったので、浴室内は湯気が充満してえらいことになっている (^^;。数 m 先が雲ってみえない。まるでスチームサウナにいるよう。なかなかできない経験だ :-D

奥には露天風呂がある。こちらは暖かい。やっぱり湯気が溜まっているが、おかげでなかなかいい雰囲気。

露天風呂に出入りしているうち、浴室内の曇りが晴れてきた。やがて、ほかの宿泊客が 3 人ほど登場。しかし、まだまだがらがら。ゆったりと風呂を楽しむ。大浴場の設備は、昨夜の海側の浴室とあまり変わらない。ただし、どちらの浴室も、朝はサウナが利用できない*1

のんびり漬かったあと身体を洗い、満喫して上がる。浴衣を着ていると、続々と客がやってくる。7 時半を回ったので、そろそろ皆起き出してきたのだろう。

部屋でのんびりしていると、check in 時に指定した 8 時半になったので、「名水亭」に向かう。

朝食は和定食。焼き魚、温泉卵、味付海苔。根菜と鶏肉の煮物、山菜の和え物、いか刺し、salad、かりかり梅、香の物、味噌汁。結構豪勢だ。

力強く喰っていると、またお椀物が出てきた。伊勢海老の味噌汁だという。昨晩、伊勢海老の活作りを頼んだので、そのときの頭を使って味噌汁を立ててくれたのだそうな。をを! :-D

朝から満足して、部屋に戻る。ごちそうさまー。

食休みの後、支度をして、0945 を目処に front ヘ降りる。

清算。結局のところ、伊勢海老は 5,000 円、さざえの作りは 600 円だった。安すぎ‥‥ m(__)m

売店でみやげを‥‥買おうと思ったら、レジが無人 (^^;。声をかけて従業員に来て貰い、会計。

10 時の送迎 bus で、駅へ。お世話様でした m(__)m

*1: 「朝は利用不可」の旨の札がサウナ室の入り口の door ノブにかかっている。これは夜もかかっていて、一瞬ギョッとしたのだが、ほかに「朝は入れない」という注意書がどこにもないので、朝になって「そんな話は聞いてない!」ということにならないよう、ずっとかけてあるのだろう。

快速〔みえ〕(参宮線・帰り)

朝、露天風呂に入っていたときから霧雨が降っていたのだが、駅に着いてみると、ちょっとした小雨模様。傘が必要なほどじゃないけど。それも、駅前をうろうろしている間に、とりあえず止んでしまった。

駅周辺で適当に撮影。近鉄線改札前で追加のみやげを買い、せっかくなので JR 側改札からホームに入る。

今日の〔みえ 8〕号 1 号車に充当されているのは、キハ 75-1。Top number だ。それはそうと、指定席の客は、俺だけかい (-.-;。せっかくなので、座席を転換し、向かい側に足をのばして、のんびり。

鳥羽を出ると、「もういいでしょ」とばかり、また雨が振り出す。しかも、さっきの小雨よりも降りが強い。ううむ。

鳥羽発車は定時だったのだが、途中でなぜか徐行。時計を見ると、明らかに延着の見込み。ところが、多気での接続間合いはもともと 2 分しかない。念のため、車掌に〔南紀 3〕号の乗り場を訊き、さらに「〔南紀 3〕号は接続を取ってくれるのだろうか」と尋ねる。接続に関しては「待ちますよ」とあっさり答えが帰ってきた。あっさりしすぎていて、信用していいものやら‥‥。

多気には 2 分延で到着。すでに〔南紀 3〕号の発車時刻になっている。雨はまた止んでいたので、ホームを走り、急いで跨線橋を渡って隣のホームに行くと‥‥ちょうど〔南紀 3〕号が入線してくるところだった。やれやれ。

〔南紀 3〕(紀勢本線・その 2)

無事に乗り込み、席に向かう。1 号車 12 番 A 席。進行左側だ。‥‥結構混んでいるのはいいとして、前後ともに中高年 group だ‥‥。案の定、うるさいこと、この上ない。挙げ句の果てに、時々たばこ臭い。

たばこ臭い原因がわかった。前の席の group のうちの 1 人が、deck でたばこを吸っていた。たまたま便所の順番待ちをしていたら、客室から出て きて今まさに吸おうと火をつけるのをすぐ脇で目撃。すぐさま「禁煙車は deck も禁煙です」と声をかけると、本当に知らなかったらしく、こちらを振 り向いて「えっ、そうなの?」。うなずくと、何やら「そうだったんか、そりゃ 困った」というようなことを言いながら慌てて携帯灰皿*2でたばこの火を消し、 隣の車へ移動していった。やるじゃん ;-)。見直しました。知らなかったのでは仕方がないし、すぐさま行動を正すところなど、なかなかだ*3

それにしても、後ろの group のオバハンの声は、うるさいな‥‥。

まあそれはそれとして、キハ 85-5 を先頭とする 5 輛編成は軽快に走っていく。あまり揺れもない。線路も車両も、よく maintenence されているようだ。それにしても、今時、「5 輛編成中、自由席は 1 輛だけ」というのも珍しい。かつての「自由席中心の普通急行」に対する「指定席中心の特別急行」の姿がここにある。もっとも、この区間には普通急行はおろか普通列車ですらあまり設定がないので、単なる増収策のような気がしなくもないが。

紀伊長島を出たところで、車掌が改札に来た。乗車券と特急券を差し出すと、乗車券を見てギョッとしたようで、食い入るように見入っている。やがて、「河原田、津、紀勢線、阪和線‥‥」とつぶやきつつ経路を確認し、納得した様子で stamp を押して、「ありがとうございます」と返してよこした。そして、荷棚の席番 plate を見上げて席番を確認し、ノリホに記入しようとしたところで‥‥ふとこちらを見て、照れ笑いをしながら、「すみません、もう一度いいでしょうか。どちらまででしたっけ‥‥ (^^;」。しまいかけた券をもう一度見せながら「新宮までです」というと、「あ、新宮までですね。失礼しました (^^;」と頭を下げつつ、安心して記入。わけのわからない乗車券のせいで、かなり動揺させてしまって、どこまでの特急券だったかがすっぽり頭から抜け落ちてしまったらしい (^^;;;

尾鷲付近では一旦晴れ間が覗くが、依然として空は鉛色の雲に覆われている。今にも降り出しそう。

途中から海沿いに出る。後ろの席から「わーきれい! 海だ!」とオバハンの叫び声。ちなみに、小さな湾なのですぐ目の前に陸地があるし、曇っているので、お世辞にもきれいとは言えない。油も浮いてるし。ついでに、一言「これ、鳥羽?」。今まさに車内放送で「まもなく熊野市」と車掌がゆーておろーが。この手合いのオバハンはどこへ行っても人の話を聞いていないらしい‥‥。

しばらくして、新宮着。隣に〔オーシャンアロー〕用の 283 系が停まっているのを見た例のオバハン、「うわー、何あれ。変なの」。あー、それには思いっ切り同感だ‥‥ (-.-;。しかし、それに続けて、「どこ?ここ」。だから車掌がたった今「新宮に到着です」と(以下略)。

新宮ではそこそこ降りる人がいた。荷物を抱えて降り、発車を見送る。多気でもここでも停車時間に余裕がなかったので、結局〔南紀 3〕号の写真は撮れなかった。

*2: これを持っていたのを見た時点で、結構見直した。

*3: しばらくして戻ってくると、同じ group の人たちに、「隣の 2 号車が喫煙車である」ことを教えていた。すばらしい :-D

新宮

〔南紀 3〕号が着いたのは、3 番線。一方、次に乗る〔オーシャンアロー 20〕号は、隣のホームの 1 番線でに待機している。で、移動を開始したわけだが‥‥〔南紀 3〕号で乗っていたのは、最前の 1 号車。ホーム間の連絡通路は、改札口に程 近いホーム最北端にしかない。 そして、その通路を抜けたところには、〔オーシャンアロー 20〕号の最後尾、1 号車の頭がある。私が乗るのは、編成の前から 2 両目、8 号車。‥‥大変だ‥‥ (-.-;。雨が降っていなかったのが、不幸中の幸。

通路を抜けたところに立ち食いそば屋があり、そこで駅弁も売っていた。めはり寿司とさんま寿司を買い込む。そして、移動を継続。

間合いは 8 分もあったはずなのに、結局移動を終えたのは発車ギリギリ。何とかならないのかね、これは‥‥。

〔オーシャンアロー 20〕(紀勢本線・その 3/阪和線/梅田貨物線)

始発駅である新宮を発車したところ、8 号車の乗客は私のほかに 1 人だけ。実に静かなもんだ。

私の席は 4 番の A 席。同じ A 席だが、先ほどまでの〔南紀〕と逆に、進行右側の席だ。海が見えん。つまらん。

次の紀伊勝浦で、どっと乗ってくる。半分以上の席がここで埋まった。

車内が賑やかになったのはいいとして、すぐ後ろの席の家族連れの子供がうるさい。まずは、「あっちがいい! 海見る!」と言って暴れる。母親が「席は決まってるから、だめ*4」と諌めるが、子供は騒ぎ続ける。仕方がないというので、「ここの席の人が載ってくるまでな」と言って、いっしょに移動。ここまではまあいいが、はしゃぐ子供が本当にうるさい。時々両親が注意するのだが、抑えが効いていないようす。

それにしても、この列車は実によく揺れる。新宮から西日本管内に入ったので、保線の状況が東海管内とは違うのかもしれないが、それだけとは思えない*5。運転速度や線形の差だけとも思えない。強制振り子特有の強い大きな左右の揺れに加え、細かい揺れや振動が激しいのだ。下回りが軽量ボルスタレス台車で脆弱な上、車両の構体そのものがちゃちなように思えて仕方がない*6。しかも、座席があまりガッチリしていないので、椅子に座っていると、その振動が増幅されて伝わってくる。乗っていて、だんだん気分が悪くなってくる。

白浜でまたもどっと客が乗ってくる。ここで 8 割方席が埋まった。D 席側にも客が乗ってきたので、例の父子が戻ってくる。ここでまた、不服な子供が大騒ぎ。そのうち、疲れて眠い母親を気遣った父親が 3 号車の lounge へ連れていってくれたので静かになったものの、指定席がこれだけ混んでいるくらいなので当然のように混んできたらしく、しばらくすると戻ってきてしまった。退屈な子供は、大騒ぎするばかりか、私の席の枕部分を叩いたり、背凭れを蹴飛ばしてくる。さすがに親は「やめなさい」と言うのだが、こちらが気にしているのが解っているのかいないのか、一向に謝ってこないのはさすがと言うべきか。最近多い親のように、どこかで「子供のすることだから‥‥」と思っている*7のかも知れない。

ひどいときに時々咳払いして見せたりもするのだが、全く効果がない。もはや諦めの境地で耐えているうちに、藤波を通過。祭日なので、当然有田鉄道のハイモの姿はない。

和歌山でまたどっと客が乗ってくる。ここでついに全部の席が埋まった。後ろの子供はいよいよやかましい。退屈を紛らわせようと父親が子供の気を引いているが、結果として親子して騒ぐことになっている。やれやれ‥‥。

うるさくてかなわないので、天王寺を出たところで、荷物を順次 deck に運び、降車準備。まだ 20 分ほどかかるのだが、もはや耐えきれん。どうせ、新大阪ではあまり間合いがないし。

貨物線を通過して、淀川の手前から旅客線と平走し、1651、定時に新大阪着。11 番。

*4: 原語は関西弁ですが、標準語吹き替えでお送りしています。

*5: そもそも、東海管内の保線状態が極端にいいとも思えない。なにせ、幹線とは言え、閑散線区だし。

*6: 〔南紀〕や〔ひだ〕に使われているキハ 85 系もボルスタレス台車に軽量ステンレス車体だが、こちらは床下に重い diesel engine をぶら下げているために重心が低く、さらに構体がガッチリしているらしく、座席部分の床が嵩上げされて椅子の位置が高いにも関わらず、不自然な揺れや振動を(気になる level では)ほとんど感じない。

*7: このセリフは周囲が当該の子供の親を気遣って言うものであり、当の保護者は絶対に言ってはならないはずなのだが‥‥。

新大阪→高松(東海道本線・山陽本線・宇野線・本四備讃線・予讃線)

新大阪での間合いは 4 分しかないので、急いでホームを移動する。

16 番に着いて待っていたのだが‥‥55 分発の姫路行き新快速は 2 分遅れでやってきた。

車内に入ると、奇跡的に座ることができた。車内はそれなりに混んでいたのだ が、転換 cross seat の通路側に 1 人で座っている人がいて、窓側に座ろうとする人がいなかったらしい。どのみち次の大阪で乗客のかなりが入れ替わるとは言え、〔オーシャンアロー〕の乗り心地の悪さが意外に体に響いていたため、早く座れてほっとする。

明石海峡大橋を眺めつつ、姫路へ。姫路着はなぜか 2 分延。

地下通路を通って、隣のホームへ急ぐ。三原行はすでに発車時刻を過ぎているのだが、接続を取って待っていてくれた。階段を上がってすぐの先頭車に駆け込む。こちらは約 6 分延の 1807 に発車。車内は結構混んでいる。しばらくは立つことに。

網干で座ることができた。115 系の転換 cross 改造車。なかなかいい。

瀬戸発車の時点で定時に復帰。無事に岡山到着。荷物を降ろして一息ついていると、運転士が交代していた。それはよくある光景だが、「お疲れ様でしたー」と言っている声が、いわゆる「アニメ声」。ええっ?と思って振り返ると‥‥女性運転士だよ‥‥。ポニテで若い結構可愛い女の子。はぁはぁされないように気をつけてください。(← ?)

〔マリンライナー 57〕号発車までの間合いは 16 分もあるので、のんびり移動。指定席車は前から 2 両目だが、これもまた自由席車と全く同じ座席。まあ、転換 cross seat なので、まあまあだけど。で、実際に座ってみると、新快速や〔シティーライナー〕などの西日本車と比べて微妙に背もたれの傾斜が少ないような。いっそグリーンにしてやろうかとも思ったが、どうせ外は真っ暗だし、とりあえずは苦にならないので、このまま行くことにする。

途中の児島までは西日本の担当。6 輛編成だが、車掌は 2 人乗務の模様。というのも、改札に回ってきたのは男性だったが、車内放送は若い女の子の声だったから。しかも、声はアニメ声なのに、しゃべりは「バスガイド口調」で、例の独特な節回しだ。女性車掌については研修・指導を bus 会社に委託することがあると聞いたことがあるが、もしかしてそれなのだ ろうか。ううむ (^^;

瀬戸大橋線に乗るのははじめてだ。途中の茶屋町までは宇野線だが、本四備讃線の開業にあわせて全面的に改築されており、列車は contrete 高架橋の軌道を軽快に飛ばしていく。月明かりに照らされた瀬戸内海を見下ろしつつ瀬戸大橋を渡り、2039 時、定時に高松到着。

高松

改札口では矢野さんが出迎えてくれた。駅前で谷口さんの車に乗り込み、とり あえずはホテル(東急イン)へ。部屋に荷物を放り込み、lobby でぐんにょりしていた member とともに、全員で街に繰り出す。

関西組は日中既に 13 杯もうどんを喰っているとのことで、まずは飲み屋で一服することに。ところが、目指した店は既に暖簾をしまっていた。そんなわけで、別の居酒屋へ。

いよいようどん屋へ向かう。ところが、これまた行く先々で店が閉っている。ここで、植木さんが「今日は祭日である」ということを失念していたことが判明 (^^;

あそこなら開いているかも、という店を探しまわり、何とか「五右衞門」を発見。あと 1 時間ほどで閉店時刻だったが、「まだだいじょうぶ」ということなので、席が空くのを待って、早速店内へ。 入り口からは、目の前で麺を打っているのがみえる。

「同じ店の別店舗ではカレーうどんがおすすめだったが、以前にこちらの店舗で喰ったときは今一つだった」というので、親子うどん(600 円)を喰う。なかなかうまい。矢野さんがカレーうどんに revenge したところ、別店舗と同じ濃厚なカレーで、旨くなっていた、とのこと。

さらに、「こんぴらうどん」へ。今度はてんぷらうどんを頼む。えび天 2 本と若布・三つ葉・万能ネギが乗っている。これも旨い。

さすがに皆今日は燃え尽きているので、宿に戻って、解散。

Mail を check。未読を処理し、何通か返事を書いて、寝る。おやすみなさい‥‥。


2002/11/24 (日) 晴、大阪は夜小雨 <うどん tour・3 日目>

あさ

7 時半頃、目が覚める。Shower を浴びて、薬を塗る。鳥羽の弱アルカリ泉が皮膚に合わなかったのか、それとも鳥羽の宿で部屋が暑くて寝汗をかいたせいか、全身の皮膚に水脹れ状*1のぶつぶつができていて、猛烈に痒い。

*1: 実際には水脹れではなく、どちらかというと虫刺されに近い。よもや、虫刺されとは思いたくないが‥‥。もっとも、寝る前から痒くなってきていたので、やはり泉質が合わなかったような気がする。

饂飩行脚

予定時刻の 8 時半になったので、lobby に降りる。昨日のうどんがまだ腹にたまっているので*2、朝食は pass。早速出発。

まずは「根っこ」へ。温泉たまごうどん(260 円)が名物らしいので、それを頼む。うーん、うまい :-D==

次に「赤坂」へ。‥‥かなり年季の入った建物だ (^^;。道路に面した建物だが、店の入り口は橋の袂から狭い道を入った、建物の裏側。橋の側から走ってくると看板が目に入るが、逆のほうから走ってくる場合、判っていないと入り口に気付かずに通りすぎてしまう。

店のなかでは、おばちゃんがもっぱら麺を茹で客の相手をし、おっちゃんは奥で黙って生地を踏んでいた。おばちゃんのノリは独特。早速、冷やしのしょうゆを 1 つ。丼に茹でたうどん玉を入れて貰い、しょうゆを一廻し。置いてあるネギを、一緒に置いてあるハサミで刻んで乗せる。‥‥うますぎ :-D===。もちもちとしつつもつるっとした食感がたまらない。植木さんによると、きっとちょうど茹で上がりに当たったのでは、とのこと。茹で上がりから時間が経つと、次第にモチモチ感が失われていくらしい。これで百円とは、驚愕するほかない。思わずもう一玉。今度はだしで。120 円。‥‥たまりません T_T

すっかり堪能しきって、移動を開始。今度は、土器川沿いの「なかむら」へ。最近、川沿いの道から店の近くへ直接入れるようになり、「嫌がらせコンテナ」(植木さん談)でヒヤヒヤしながら入ってこなくてもよくなったので、かなり access が楽になったらしい。昼どきに近づいてきたので、行列発生中。

以前に TV で見たネギ畑は、砂利が敷かれた広場になっていた。客が自分でネギを刈り取ってくることはなくなったらしい。行列に並び、店内に入ると、店の奥で饂飩を打っているのがまず目に入る。

入ってすぐ右側には台があって、奥にてんぷらが、手前にネギを切ったまな板が置かれている。で、左側に積んであるどんぶりを取る。数歩進んだところで、おばちゃんに茹で上がった麺を丼に放り込んで貰う。饂飩を打っている台の手前にある tank からだし汁を丼に注ぐ。ぐるりと回り込み、てんぷらを取り、まな板からネギを貰う。もし刻んだネギがなければ、自分で適当に刻む。ネギそのものがなければ、台の下からネギを取って使う。

だしの tank の傍には生卵が置かれているので、1 つ割り入れる。麺を茹でている釜の奥へ行き、麺を打っている台の脇でお代を払う。饂飩が一玉 100 円、てんぷらが一つ 100 円、卵が 1 個 50 円。〆て 250 円。すばらしい。

お代を払い、その横の出口から外に出る。隣の棟の中にある椅子が空いていたので、座って喰う。うまい。ぬはー。

喰ったあとの丼は、入り口の行列の脇から店に入り、積んである丼の横の洗い場へ返す。ごちそうさまでした。

次は「宮武」へ。店に入り、counter の端に置いてある紙に代表者の名前と全員分の注文を書く。私は「ひやあつ」を。てんぷらは counter から勝手に持っていく。奥の座敷に空席があったので、そこへ座り、待つことしばし。名前を呼ばれたので返事をすると、饂飩が運ばれてきた。

うまい。すばらしい。値段は忘れたが、やはり 200 円前後。うあー。

ついで、「やまうち」。店に行く途中の道ばたに立っていた「ニュージーランド村」の看板に矢野さんが萌えまくる罠が発生。当然のように無視される。

店へと通じる道路に山のように駐車してあったが、店のすぐ前まで乗り入れられるようだったので、そのまま車で入る。ここも行列発生中。並んで順番を待つ。

店のなかに入り、「ひやひや」の小を頼む。すぐに丼発生。何となくコロッケをのせる。空いている席があったので、座って食す。うめーぜコンチクショー。

途中まで、来た道を引き返す。またもニュージーランド村に萌えている矢野さんを尻目に、車は帰途へ。それにしても、周囲の山を見ていると、大した高さでもないのに、稜線が急峻な山ばかりだな。地質のせいなのかしらん。見慣れていないので、ちょっと異様に感じる。

最後に、「讃岐の里」へ立ち寄る。力強く饂飩。しょうゆの小を頼む。谷口さんは「もう喰えません」ということで、おでんの串を 2 本。私も結構いい感じだったのだが、目の前で揚げているのを見ているうちに、ついゲソ天を topping (^^;。いや、うまいっす。

谷口さんが、妙にまったりしている。曰く、「久しぶりに『肉喰った』って感じ。‥‥おでんでこんなに癒されるとは思わんかった |-)(^^;

堪能して、いよいよ帰途へ。途中で宮脇書店へ立ち寄るが、明日発売予定の 2003 年版の攻略本は、まだ店頭に並んでおらず、みんなしょんぼり。私は饂飩関連の本を買いまくり。しかし、card が使えず、現金で 8 千円以上も出費してしまって、だいぴんち。がーん。

琴電の旧車に萌えたり新車に萌えなかったりしつつ志度を抜けると、地形が緩やかになる。何となく、見慣れた光景。

当たりが暗くなってきたあたりで、爆眠。明石海峡大橋の手前で一旦 SA に入り、清算事業団。植木さんは舞子で下車、残った面々は川西池田で降ろしていただいた。お疲れ様でした&ありがとうございました m(__)m

矢野さんといっしょに大阪行の快速に乗り込む。これにて饂飩 tour は終了。いつもはそば屋に行くとそばしか喰わないんだが、いや、本場の饂飩は旨かった :-D===。Chain 店もなかなか侮れないらしいので、今度、東京にできたという「はなまる」に行って見なければー。

*2: もっと言うと、昼飯が遅かった(〔マリンライナー〕の中で「めはり寿司」と「さんま寿司」を喰った)から。うどんが控えているのがわかっていてなぜそんな遅い時間にしかもそんな(岡山とは関係のない)ものを喰ったかというと、新宮で買い込んだのはいいものの、朝食が腹にたまっている上に〔オーシャンアロー〕の乗り心地が悪かったため新大阪までは喰う気にならず、新快速の中ではとても弁当を喰う雰囲気ではなく、乗り継いだ普通列車も向かい合せでほかの乗客がいたためにやはりそんな雰囲気ではなかったから。さらに言うと、〔マリンライナー〕車内でも、まだ腹はそんなに空いていなかった。やはり、鳥羽の宿での朝食とその前夜の晩飯がとても volume があった(それだけではなく、つい喰いすぎてしまうほど飯が旨かった、というのも大きい)、というところに行き着いてしまうのかもしれない (^^;。実に cost/performance 比の高い宿であった :-D

大阪

快速に使用されているのは long seat 車の 207 系。腰が痛い‥‥。

ふと気付く。貫通扉が車輛の左右方向の中心になく、横方向に offset している。こんな車輛は見たことない*3なー。

矢野さんは心斎橋あたりに用があるという。私は例によって〔きたぐに〕に乗る前に例によって清水湯でひとっ風呂浴びる予定。心斎橋まで一緒ですな。

大阪で快速を降りる。矢野さんに晩飯を誘われたので、荷物を駅構内の coin locker にぶち込み、Hi8 tape を買い足すためヨドバシに立ち寄る。‥‥うがー、何で SONY の箱入り 10 本 pack が品切れですか?!T_T

仕方がないので*4 TDK の 10 本 pack を買い、御堂筋線に乗り換え。

心斎橋に着く。「焼肉だから、風呂は後回しにしたほうがいいのでは」ということで、下着を買い足しすため OPA 内のユニクロに寄ったあと、ごく一部で非常に有名な焼肉食い放題の店「風々亭」(畳屋町店)へ。店の前の路地にたむろするみょーに馴れ馴れしいぽん引きの群れをかわしつつ店内に入り、上焼肉食べ放題(2,980 円)に飲み放題を set。‥‥むーん、値段からは考えない肉質の良さですな。これは良い :-D==

大いに喰う。力強く喰う。谷口さんがおでんの肉で癒されていたのに納得しつつ (^^;、とにかく喰う。

うはー、腹一杯です。ご馳走さん。

会計時、CAT と回線を共有している店の電話で店員が長話していたせいで延々待たされるという罠はあったが、いい店でした。うーん、池袋と新宿にあるという支店にも行ってみねば‥‥。

心斎橋筋のアーケードを南に行く矢野さんと分かれ、御堂筋を北上。雨が降り出していたが、傘が必要なほどではないので、助かる。清水湯へ着くと‥‥うわ、日曜は定休日か。がーん。

御堂筋線に乗って大阪へ。荷物を出し、11 番線に上がる。まだ 2308 時だが、〔きたぐに〕号は既に入線していた。やっぱり、入線から発車までの間合いが長いと、とりあえず荷物を突っ込んでから飲み物を買ったりできるので、いいやねぇ :-)。下り〔銀河〕号のように 10 分しかないと、ちょっと忙しない。

*3: 避難用の前面扉が中央にない例ならいくらでもあるが、幌のついた貫通扉の例は見たことがない。

*4: ほかの maker の 10 本 pack は箱に入っていないので、開封後はバラけてしまう。今まで全部 10 本箱で管理していたため、とても不便。

〔きたぐに〕

荷物を突っ込んで、ホームで飲み物を買い、また車内へ。‥‥あー、A 寝台の下段は、やっぱり広くていいやあ T_T

大阪は定時に発車。外では雨が強くなっているようだ。

新大阪を出たところで、車掌が改札に来た。乗車券と急行券を差し出す。車掌は乗車券を見てやはりギョッとして固まっていたが、気をとり直したかのように、「えーと、阪和・東海・湖西・北陸・信越」と呟きつつ経路を確認、ほっとした様子で急行券を check して、きっぷを返してきた。今回遭遇する車掌は、動揺する人が多いな。何でだろ*5 (^^;

それにしても、車内が暑い。むちゃくちゃ暑い。京都を出たあたりで送風が入ったが、とにかく暑い。

まあとにかく、A 寝台下段の広さを満喫しつつ、寝ることにする。おやすみなさい‥‥。

*5: 別に、そうさせたくてこういう切符を買っているわけではないのだが。


2002/11/25 (月) 雨 <うどん tour・4 日目>

あさ(続〔きたぐに〕)

5 時 40 分頃、目が覚める。何か最近、夜行に乗っていると、「おはようございます放送」の 10 分くらい前に目が覚めるようになってしまった。「おはよう放送」を録音するため、寝る前に廻しっ放しにしてあった tape を入れ換え、また廻す。0555 時、「おはよう放送」が入る。0603 時、定時に直江津着。18 分停車するので、ホームで飲み物を冷たい飲み物を買う。うめー。

またまどろむ。次に目が覚めたのは、新津発車直後。降りる支度をして、新潟到着を待つ。

新潟

0830 時、定時に新潟着。新潟は小雨が降っている。

とりあえず、〔きたぐに〕の編成を撮影。今日は〔きたぐに〕専用編成ではなく、〔シュプール〕編成でした。そんなわけで、編成は次の通り(京キト B2 編成)。

← 新潟
クハネ 581-35 + モハネ 583-78 + モハネ 582-78 + サロネ 581-6 + サロ 581-103 + モハネ 583-73 + モハネ 582-73 + モハネ 583-74 + モハネ 582-74 + クハネ 581-28
(10 号車)

1 号車側で〔きたぐに〕の引き上げを待っていると、0845 頃、隣のホームの 6 番線に上沼垂車の〔いなほ 1〕号が入線してきた。このあと秋田までお世話になる編成だ。Head mark には「エル特急」を示す mark が入っている。この「エル特急」という名称も、東日本管内では今月一杯で廃止。今後は単に「特急」という表示になる。他社と直通する急行を除くと、管内の優等列車は全て「特急」のみ、ということになる。

0853、〔きたぐに〕が引き上げていった。お疲れさん。

とりあえず、〔いなほ 1〕号の車内に荷物を置く。そして、ぴんちの財布を救済すべく、一旦西口改札を出て、改札近くのATM corner へ。‥‥うぎゃー、すごい行列だ‥‥。敢なく断念。

できれば西口改札前のヨドバシでSONY の Hi8 tape を買おうと思ったが、開店が 0930 で、間に合わない。これも断念。

改札へ向かう途中にホームで駅弁売りを見かけたので乗車前に買おうと思っていたら、ホームに戻ると、まだ列車が発車前だというのに、とっとと店仕舞いしていた。9 時までなんだろうが、あと数分開けててくれればいいのに‥‥。立ち食いソバを喰う時間はないし、こんなこともあろうかと荷物を置いて改札へ向かうときに車内で遭遇した車販に「弁当が積まれている」ということは確認済だったので、車販から弁当を買うことにする。

〔いなほ 1〕

〔いなほ 1〕号は、定刻の 0905 発。さっそく、廻ってきた wagon から「ひらめずし」(ひらめの押し寿司/税込 1,050 円)と「まさかいくらなんでも寿司」(「ますのすし」と同じように調理された鱒、鮭のフレーク、カニのほぐし身と足の身 1 本分、いくら、錦糸玉子と漬物が乗った、ちらし寿司状のもの/税込 1,000 円)を買う。うまい。

上沼垂の車輛は、背凭れがガッチリしていて、大きな table がついている。座面の位置も前後に調整可能で、なかなかいい。枕部分の左右にも適度な出っ張りがある。485 系に限らず、特急車輛全体でも、なかなかの水準の椅子*1だ。車輛自体もしっかりできている上に maintenance 状態もいいので、乗り心地もいい。下手な新車より、よほどいいですよ?

それにしても、平日のせいか、気の毒なほど乗っていない。指定席車はたった 2 両*2しかないが、私の乗っている 2 号車の乗客は、新潟発車時点で 10 人足らず。しかも、私のすぐ後ろに座っている背広族 4 人は坂町で降りてしまった。残りの人も三々五々降りていってしまい、あつみ温泉を出ると、車内の乗客は私を含めて 3 人だけ。前の座席を方転してのんびり。

北へ向かうと、雨が強くなってきた。窓を叩く雨音が車内に響く。やがて現われた日本海も、やはり雨に煙っている。しかし、風がないため、海は意外なほど凪いでいる。

それにしても、静かだ。Dead section を通過したあと、MG の起動音がはっきり聞こえる。あまりに静かなので、力行がかかる度に乗っている M' の brower が動作する音すら聞こえる。

しばらくして、象潟を通りかかる。座っていた 2 号車*3 8 番 A 席は進行左側なので、GW にお世話になった*4「たつみ寛洋ホテル」が線路端に見えた。宿の方々に思いを馳せる。

象潟を発車すると、車窓の右手に九十九島*5が見える。前に訪れたときと同じく、雨に霞んでいる。しかし、「九十九島」と呼ばれる区域は線路に沿って広がっているのに、線路端に人工物や視界を遮る小山があるので、車窓からはものの 10 秒足らずしかその風景を見ることができない。実際に歩いてみなければ景勝を満喫することはできないが、歩くと結構広がりがあるので、自転車が丁度いい。駅付近にレンタサイクルがあるといいのに*6ねぇ‥‥。

時々車販からコーヒーを買って飲みながら、日記を書きつつまったりしていると、1239、定時に秋田着。昨日は羽越線内で架線事故があったし、そうでなくともこのところ日本海側では強風や大雨による運休や遅れが多発していたので、ちょっと心配していたのだが、無事に着いたようだ。

*1: リニューアル〔はつかり〕に使用されているものに準拠したもの。

*2: しかも、そのうち 1 両の 1 号車は半室グリーン。

*3: モハ 484-1052。新カヌ T15 編成。車輛そのものはリニューアル車ではないが、椅子が同区のリニューアル編成(盛アオの〔はつかり〕用リニューアル編成に準拠して改造されたもの)と同じものに更新されている。私自身は〔はつかり〕のリニューアル車のアコモは網棚などの使い勝手が悪かったので、従来の国鉄車のアコモにこの椅子という組み合わせは、最高かも。

*4: しかもネタまでいただいた (^^;。日記、補完しないと‥‥。

*5: 一面に広がる田圃の中に小さな丘が島のようにたくさん浮かんでいる、象潟を象徴する風景。もともとは松島のように小さな島が点在する海だったものが、隆起によって陸地化され、できた風景だという。ちなみに、「松尾芭蕉が『奥の細道』の中で訪れた最北の地」としても知られているが、芭蕉が訪れた頃はまだ田圃はなく(干拓されていなかったらしい)、本当に海に島が浮かんでいるように見えたそうな。

*6: 前回は宿の方が荷物を預かってくださった上にご厚意で自転車を貸してくださったため、九十九島の風景を満喫することができた。もちろん、正式にそういう service をしているわけではないので、注意。

〔かもしか 3〕

〔いなほ 1〕号は 4 番着。次に乗る〔かもしか 3〕号は同じホーム向かい側の 3 番発。前回象潟から五所川原に移動したときと同じ乗り継ぎだが、階段を登り降りせずに乗り換えられるのはありがたい。しかし、本当は乗り換えがないと一番いいのだが。〔いなほ 1〕号の 6 両編成に対して、〔かもしか 3〕号は 3 両編成。「秋田〜青森間は 6 両編成では長すぎる」ということで運転区間を分割した*7のだろうが、それはあくまで鉄道会社側の都合であり、旅客は乗り換えを強いられた上、特急料金も(区間が分割されるため)割高になる。

9 分の待ち合わせで、1248 の定時に〔かもしか 3〕号が発車。今度の乗車時間は 45 分ほど。3 号車*8 9 番 A 席は進行右側。車内には 20 人くらい乗っている。編成、短いしな。

椅子は国鉄型をバケット交換したもの。さきほどまでのものに較べるとさすがに見劣りするが、下手な新車のぺらっぺらな椅子よりもよほど座り心地がいい。

すぐに東能代着。1333、定時。停車時間が短いので、荷物を抱えて、慌ただしく降りる。

*7: 実際、1 往復だけ新潟〜青森間を走る〔いなほ〕がまだ残っている。これは 6 両編成。

*8: クモハ 485-1005。秋アキ「かもしか 3」編成。

五能線・その 1

〔かもしか 3〕号は 2 番着、五能線の深浦行きは 3 番発。ここでも、同じホームの向かい側。とてもありがたい。

待っていたのは、キハ 40 の 2 連*9。いわゆる五能線色*10。海は進行左側に見えるので、ホーム側に席を取る*11

定時の 1343、321D 発車。相変わらず車窓は雨に煙っている。

列車はとことこと走って行く。やがて海沿いに出た。雨は相変わらずだ。

しばらく走ると、1429、岩館到着。交換待ちのため、20 分停車。前回通ったときは大雨だったが、今日はごく普通の雨だ。それにしても、すぐ東側に白神山地が広がっているせいか、いつ通っても雨が降っているような気がする。

岩館を出ると、いよいよ青森県に入る。前回は途中から深浦に近付くにつれて 空が明るくなってきたのだが、今日は相変わらずだ。

*9: キハ 40 529 ほか一両。

*10: ちなみに、男鹿線はこれの色違い。秋田駅では、男鹿線色(キハ 40 2089、暖地用)と五能線色(キハ 40 553、寒地用)の 2 両編成が男鹿線の列車として 1 番ホームに停まっていた。

*11: 五能線も北の青森県を目指すのだが、東能代からは一旦南へ走り、駅を出たところで西に進路を変えてしばらく走ったあと、海が近付いたら海岸に沿って北に進路を変える。そのため、青森行の〔かもしか 3 号〕とは逆方向に走り出すことになる。

深浦

深浦には 1543、2 分早着。接続の 1604 発はまだ着いていない。一旦改札を出る。改札にいた年輩の駅員さんに「川部方面行きはいつ頃入線します?」と訊くと、「あと 8 分くらいで来ます」という。

待合室に荷物を置く。‥‥待合室の観光案内所は 11 月から土・日・祝日のみの営業となっていた。これでは locker が使えません‥‥。

駅前に出てみる。小雨だが、雨は降り続いている。今日の日没時刻は 1614 時、1604 発の弘前行きに乗ると追良瀬付近で日没を迎えることになる。その次の列車となると、1913 発までない。との道雨が降っていては荷物を抱えて外をうろうろする気にもならないし、1913 発では宿に入るのが 20 時を過ぎてしまうので、今日は諦めて次の列車に乗ることにする。

駅舎に戻ると、さきほどの駅員さんが「あと 3 分くらいで(列車が)来ますよ」と声をかけてくれた。ええひとや T_T

1554、定時に弘前からの列車が到着。このところ五能線はここから北で波のため遅れや運休が多くてこれまた心配していたのだが、今日は大丈夫のようだ。風がないからなぁ。

荷物を車内へ突っ込む。ここでも進行左側を確保。外に出ると、さきほど乗ってきた編成が東能代に引き返していった。1557、定発。

五能線・その 2

2833D*12 は、定刻に発車した。深浦を出たところ*13で、右手に MaxValu ができているのを見つける。いつの間に‥‥。

五能線は、深浦を出ると、海岸線のすぐ横を走る。強風が吹くと高波で運休になる*14所以だ。晴れていれば、車窓からも奇麗な日没が見える*15のだが‥‥。

結局天候は回復せず、暗い曇り空から、そのまま夜の闇にかわってしまった。日記を書きつつ、しばし列車に揺られる。

こちらも定時より 2 分ほど早く、鰺ヶ沢に到着。停車時間が 10 分以上あるので、のんびり荷物を背負って、降りる。

*12: 先ほどまでと同じ、キハ 40 の 2 連(キハ 40 575 + キハ 40 530)。

*13: 駅から海岸沿いに北へ歩いて 20 分くらいのところ。

*14: 実際、これを書いている 28 日は、朝一番から波の影響で深浦〜鰺ヶ沢間の上下列車が運休中。

*15: ほかの地点でも海は見えるが、高いところ(台地の上)を走っている場所は、建物や樹木で視界が遮られてしまうことが多い。高度こそないが、海岸線のすぐ脇を並走していくこの区間がもっとも奇麗に見える場所。逆に言えば、この区間に日没になるこの時期(今ぐらいから 12 月末までの、一年でもっとも日が短くなる時期)が、ドンピシャなんだけどなぁ‥‥。

鰺ヶ沢

今夜泊まる「ホテル山海荘」は、駅から歩いて数分の距離。しかし、雨が結構降っ ているので、鳥羽の土産が入った紙袋が心配だ。仕方がないので、宿に電話を して迎えに来てもらう*16ことに。

迎えを待つ間待合室でブラブラしていたら、さっき乗ってきた列車が発車時刻 (1709)になったため発車していった。それを見送っていた女子高生の 2 人組*17の一人が、

「ああ、汽車が行ってしまった‥‥」(← もちろん津軽 accent)

すばらしい! よもや「汽車」という言葉が生きていようとは!!T_T*18 しかし、その発言をした女の子をふと見ると結構ケバ(以下略)。

その女子高生達に怪訝な顔で見られつつ、待合室でしばらく漂っていると、宿の名前が書かれたバンがやってきた。果たしてお迎え。お手数をお掛けしてすみませんです m(__)m

2 分とかからずに、宿に到着。‥‥うーん、JTB で渡された地図には書かれていない道を走ってきましたよ? しかも、明らかに宿と川の位置関係が逆*19です‥‥。迎えに来てもらって良かった‥‥。

早速 check in。部屋に案内していただく。部屋は 3 階の角部屋。お食事の時間は、と訊かれたので、昨夜風呂に入れなかった分早くひとっ風呂浴びたいことも考慮し、約 2 時間後の 19 時にしてもらう。

「かなりいい料理が出ます」とは聞いていたのだが、実際にどのような料理が出るか、詳しいことは分からなかったので、「何か、別注料理で『これは頼んでおいたほうがいい』というようなものはありますか?」と訊くと、案内してくれた女性は慌てたように、

「いえいえ、15,000 円で承っておりますので、地の名産や、幻の魚「イトウ」が名物なんですが、そういったものは全て入っておりますので、それで万一何か足りなければ、食事をお持ちしたあとにでも仰っていただければ」

むふー、期待、期待 :-D==

部屋は「和室 6 畳 + 洋間」というものだが、造りがおもしろい。宿の部屋というより一般の民家のようで、妙に落ち着く。部屋は到着前からほどよい温度に暖められていた。まったくもって、暑くもなければ寒くもない。まさに適温。寒い地域は建物も人も寒さへの対処がうまい*20が、単にそれだけではなく、宿の方の細やかな心遣いが感じられる。

さて、まだ 18 時までには間があるので、絶賛だいぴんち中の財布を救済しなければならない。幸い、部屋に備え付けてあった鰺ヶ沢の guide book*21 を見てみると、近くにみちのく銀行があるらしい。念の為に front に降りて訊いてみると、確かに地図に書いてある場所にあって、歩いて 5 分くらいだというので、早速出かける。

8 分ほど*22歩いて、無事に増資完了。引き返してくるとき、持ち帰り専門の焼鳥屋があるのを見つける。強く惹かれるが、夕食で敗北するといけないので、我慢。

部屋に戻り、風呂に行こうと準備。で、館内案内を見ると、front 前にある浴場のほかに、「別館の大浴場」というのがあるらしい。ところが、敷地内の施設案内には「別館」という建物はない。Pamphlet などを見較べていると、どうやら少し離れたところ*23にある「水軍の宿」のことらしい。

Front で確認したら、その通りだった。しかも、車で送迎してくれるらしい。こちらの建物の風呂は深夜でも常に入れるが、そちらの風呂は 21 時まで。食事の時間を 30 分遅くできるか訊いてみたところ大丈夫だということなので、早速出かけることに。雨が降っていなければ歩いていってもいいのだが、相変わらずの雨模様だし、ありがたく送っていただく。

「浴衣ででもどうぞ」ということなので、浴衣に着替えて 1 階に降り、車に乗る。駅の西にある跨線橋で五能線の線路を渡ると、すぐ左手に「水軍の宿」がある。

宿の方に繋ぎを取っていただきつつ、建物の中へ。洗い場と浴槽はちょっと大きめの銭湯くらい。男湯と女湯を隔てる壁は上の方が吹き抜けになっていて、屋根を支える太い天然木の柱が何本も立っている。壁と一緒にたわしで擦られた部分の削れ具合が年季を感じさせる。浴槽や浴室内は奇麗に手入れされている。高い天井が気持ちいい。

浴室に入ってすぐ右には、ドライサウナがある。浴室の一番奥から外に出て、ちょっとした庭園を歩いていくと、露天風呂*24がある。早速漬かる。ふいー。

内風呂とサウナも堪能する。ちょっと熱めだが、なかなかいいですなぁー‥‥。「Na 塩化物泉」ということだが、ほのかに硫化水素の匂いもする。ふー。

服を着て売店に戻ってくると、既に迎えに来ていただいていた。というわけで、車に乗り、本館へ戻る。

部屋に戻ったのは、1929。部屋に入ると、すぐ電話が鳴った。食事につける飲み物を訊かれたので、例によって例のごとく烏龍茶をお願いする。

やがて食事が運ばれてきた。「かなりいい料理」ということだったので、どれだけすごいものが出てくるかと思ったら‥‥ををぅ、これは本当にモノスゴイ。うまそうな海の幸がてんこ盛り。品数もなんだかエラいことになっていて、和室のちゃぶ台のかなりを占めてしまった。もし 2 人で泊まってたら、載りきらないところです‥‥。

早速喰い始める。‥‥うまい。これはうまい。うにー。かにー。イカにさざえさん。‥‥このコリコリしたのはなんだろう (^^;。もちろん、幻の魚「イトウ」のお造りもある。イトウ以外にも、新鮮なお造りがいっぱい。鮟鱇のとも合え。ハタハタの姿焼。海老と巻き貝の煮付け。山菜やらイカの塩辛やら。茶碗蒸し。そうめん(pot に入れられた暖かいつゆをかけていただく)。香の物。そして、ハタハタの鍋と、鮑のバター焼。鮑がでかい。

お造りは新鮮で、油が乗っている。イカは透き通っている。カニは身がプリプリ。うおおおおお!!

新鮮な海の幸に舌鼓を打っているうちに鮑が焼き上がったので、手元に取り、身を剥して、knife を入れると‥‥弾力がありつつも、すっと切れる。さっくりと噛みきれるのにプリプリとした弾力がたまりません :-D==

やっぱり冬の北東北日本海岸といえば、ハタハタだよねー。というわけで、ハタハタ鍋を堪能。

仕上げの dessert はぶどう。‥‥ぬはー、堪能しました。これは、追加なんて要らないわ。喰うのにかかった時間、1 時間半‥‥(^^;

Front に電話を入れ、下げに来ていただく。ごちそうさまでしたー。布団を敷いてもらっていると、「こっちは寒いでしょう?」。「んー、思っていたほど寒くありませんねぇ」と答えると、「あー、そうかもしれませんねー。雨が降ってますから(^^;」。どういうことかというと、数日前までは雪が降っていたのだが、ここ数日は暖かくて、雪ではなく雨になっているとのこと。いや、実際、上着を着ないで外をうろうろしていても、あまり寒くありません。

腰がちょっと痛くなってきていたので、massage を呼んでいただく。30 分で、3,500 円。相場よりはちょっと高めですな。

本館の風呂に入るのは朝にして、沈没。うーん、布団がフワフワで、気持ちいい。おやすみなさい‥‥。

*16: 送迎は「1 名様以上・要予約」だが、宿泊の予約時に申し込んだら、「駅に着いたらお電話下さい」とのことだった。

*17: 仲間の一人がその列車に乗っていったようで、2 人とも出ていく列車に手を振っていた。

*18: 「気動車しかない土地ならでは」と言えなくもないのかもしれないが、近頃はそういうところでも「電車」という言葉が多く聞かれるので‥‥。

*19: 地図によると、駅の正面から左右どちらかに回り込んで一旦海沿いの道に出て西に行き、橋を渡ったところで左に入った川沿い、ということになっているが、実際には駅正面の道を進んで信号と川の間の十字路を左に入った右側だった。

*20: 鰺ヶ沢や津軽西部の観光名所などの案内のほか、鰺ヶ沢周辺の銀行や飲食店などが記載された地図も掲載されていた。とてもありがたい。

*21: よく聞く話だが、北海道の人は、東京の冬が寒くて仕方ないという。気温自体は(冬場になると単に「何度」と言った場合 default で氷点下を指すというくらい)北海道のほうが寒いのだが、それだけに北海道の建物は寒さに対する備えが万全で中にいると暖かく、出かけるときは厚着をしてしまうため、東京のように「壁が薄くて寒い建物」はなかなか辛いらしい (^^;

*22: 地方に行くと、地元の人は車で動いてしまうため、「徒歩でどのくらいかかるか」ということについてはこの程度の誤差は普通にある。

*23: 線路を挟んで反対側にある。

*24: こちらの入浴時間は、15〜20 時と、内風呂より短いので注意。また、危険防止のため、子供は入浴不可となっている。


2002/11/26 (火) 雨 <うどん tour・5 日目>

あさ

5 時半頃、目が覚める。7 時に目覚しをかけておいたのだが、それより早く目が覚めてしまった。

「洋間」の sofa に座って、mail を処理したり、日記を書いたり。‥‥それにしても、この sofa は座り心地がいい。固くもなく、柔らか過ぎもせず、体を柔らかく受け止めてくれる。

7 時を過ぎた頃、朝風呂を浴びに行く。‥‥おー、まだ誰もいない。ゆったり漬かる。ぬはー。

一旦部屋に戻ったあと、朝食会場へ。‥‥んー、正しい日本の朝ごはんだー。しかし、何気なく海の幸が。うまい。無着色のたらことイカの塩辛ハラショー。「しじみの味噌汁は何杯でもお代わりしてください」ということなので、おかわりをいただく。朝食と一緒に出していただいたりんごジュースが、またうまい。

つい喰いすぎた (^^;。それにしても、この宿でも、海の幸以外の動物性蛋白は、朝食に出た、生卵と、マカロニサラダの中のハムだけ。実に潔い。もっとも、あれだけ豊富に海の幸があれば、無理に肉を出す必要なんか、ないわな。

支度をして、front で check out。また車で駅まで送っていただく。お世話になりましたー。

五能線・その 3

0858 時発の 827D に乗る。岩館から走ってきたキハ 40 の 2 連(521D)に鰺ヶ沢始発の 1 両(キハ 40 594)を増結した、キハ 40 の 3 両編成だ。送っていただいたおかげで、発車 10 分前には車内へ。進行左側の box は既に埋まっていたが、どのみち鰺ヶ沢を出るとすぐに海は見えなくなるので、進行右側の box に席を取る。

席に座って発車を待っていると、重大なことに気付く。‥‥携帯を部屋に忘れた(__;。取りに戻っている時間はない。早速携帯で宿に電話を‥‥って、だから、その携帯を忘れたんだってば! T_T

仕方がないので、宿にはあとで電話を入れることにし、発車を待つ。しくしく。

定時に発車。車内は平均して box あたり 2 人程度の乗車率。今日も朝から小雨が降っている津軽半島の付け根を横断しつつ、列車はとことこ走って行く。

五所川原で、乗客のかなりが入れ替わる。今度は box あたり 2.5 人くらいの乗車率。

川部に到着。0959、定時。列車はここから弘前に向かうので、end 交換のため、8 分停車。乗降もそんなにない。ゆっくり荷物をまとめて、降りる。

地獄の 701(奥羽線・その 2)

827D が到着したのは、奥羽線下りホームの 3 番。これから乗る 641M は、隣のホーム、奥羽線下り 2 番に来る。荷物を担いで跨線橋を登り、また降りる。

やってきたのは、701 系 2 両編成。判っていても、やはりぐんにょりする。

36 分の苦行に耐えて、1040、青森着。ちなみに、この列車はこのまま 1053 発の蟹田行 329M に化けるらしい。できれば時刻表にそう書いておいて欲しいが、おそらく非公式の扱い*1なのだろう。車内放送で「蟹田方面へおいでの方は、そのまま車内でお待ち下さい」と announce が入るのは、とても親切だ。

*1: 一つの列車としてダイヤを組んでしまうと、停車時間中も乗務員を拘束することになってしまうため、実質的に一つの列車であるのに、別の列車番号を割り当て、表面的に別の列車にしてしまうという例は、ほかにもある。もっとも有名な例は、かつての「上諏訪夜行」の末期だろうか。深夜の甲府駅で 2 時間半停車するので、甲府を境に列車番号を変え、別の列車として扱っていた(もちろん、乗客はそのまま乗っていて良い)。

青森(あさ)

乗り継ぎの〔海峡 5〕号までは 30 分近くあるので、一旦改札を出て、着替えや土産など、持って帰るだけの荷物を coin locker に入れておくことにする。帰りは青森で 1 時間以上間合いがあるので、荷物を出す時間は十分ある。

そんなわけで、改札へ。連絡橋を歩いていると、

盛岡発函館行の〔はつかり 1〕号は、東北線内での大雨の影響により、13 分ほど遅れて運転しております*2

と不吉な放送が入る。‥‥大丈夫か?

改札で「下車印あります?」と「青函ゾーン」のゾーン券を差し出すと、駅員は一瞬固まったあと「‥‥せいかんぞーん。」と呟き、その後急に電源が入ったかのように動き出して、下車印を押してくれた。いや、自由周遊区間内の、しかも券面に駅名が記載されている駅の改札駅員に固まられても (-.-;。よほど「周遊きっぷ」の利用者が少なくて、今まで「青函ゾーン」のゾーン券を見たことがなかったとか?

ついでに「〔海峡 5〕号は、所定*3ですか?」と訊くと、「〔海峡 5〕号は‥‥所定ですね」という返事。りょおかいだ。

改札を出て直進。まずは外に出る直前の弁当屋で駅弁を買う。これは帰りの〔はくつる〕で喰うためのもの。〔はくつる〕発車間際になって買い出しに来ると、必ず閉まっているので、今のうちに買っておくのだ。今回は「とりめし」(税込 820 円)を買う。‥‥なんか、720 円でいいという。受け取ってからよく見てみると‥‥ああ、消費期限が近付いている*4のね (^^;。まあ、死にゃあしません。安く上がって、ありがたい。

そのまま外に。屋根続きの駅ビルとの間に coin locker を発見したので、荷物を突っ込む。傍らでは、林檎を売っている。甘い香りがたまらないが、とても持っては帰れないので、横目で眺めるだけ。ああ、いいにおい‥‥ :-O===

*2: あとで調べてみると、三陸方面を中心に、かなり広い範囲で影響が出ていたらしい。その他にも、白石付近で強風による速度規制が実施されていた模様。

*3: 「ダイヤ通り」ということ。

*4: 誤解のないよう書いておくと、期限は 16 時なので、販売時点ではまだ余裕がある。期限切れのものを売っていたわけではない。

〔海峡 5〕(津軽海峡線・その 1)

身軽になって、また改札へ。またもや連絡橋をてくてく歩き、5 番ホームへ。発車まで 5 分もないので、既に〔海峡 5〕号は停車している。‥‥あれ? 相変わらず、機関車や客車には、「ドラえもん」の画が書かれてます‥‥。「ドラえもん海底列車」って、10/27 までで終わったんじゃなかったっけ?

編成をよく見てみると、なんか短い。4 両しかありません。‥‥編成図をよく見ると、「ドラえもんカー」が連結されていないことに気付く。ああ、そういうことか。私ゃ、てっきり開業当初の塗色に戻すのかと思ってたよ‥‥。

〔海峡 5〕号は、定時の 1108 から 1 分遅れで発車。津軽線と江差線という単線区間を抱える「津軽海峡線*5」では、交換列車の遅れによって慢性的に 5 分程度の遅延が発生することがあるので、事実上遅れはないと言っていいだろう。

そんなわけで、今日の編成。

← 函館(1 号車側)
ED79 8 + オハフ 50 5006(帯なし)+ オハ 51 5003 + オハ 50 5010 + オハフ 50 5005(帯なし)

2 号車の「ゆったりカーペット車*6」では、車輛中でオバハン集団が宴会中。うるさいことこの上ない。久しぶりにカーペット車で寝転がっていこうかと思ったが、この喧騒は耐えられないので、断念。3 号車(自由席)には、そこそこ客が乗っている。5 割程度だろうか。1 号車は海底駅見学専用車輛で、今日は見学客がいなかったらしく、見事なまでに 1 人も乗っていない。座席は折り返しの際に必ず係員が方転するにも関わらず、一部の座席が逆を向いているということは、「あっ、空いてる」とこの車輛に座り、その後車掌に追い出された客がいるという証拠だろう。

で、私が乗っている 4 号車(指定席)はというと、これまた客が少ない。全部で 10 人くらい。前回(9 月末)と較べると、雲泥の差だ。車内はとても静か。落ち着く‥‥。5 番 A 席は海側なので、蟹田に近付くと車窓に海が見えるはず。

車内放送が入る。Chime は original のもの(電子音ではない)。まだ残ってたのかー。よく見ると、灰皿にも「JNR」の logo が。懐かしい‥‥。

まったりしているうちに、海が見えてくる。今日も青森付近は風がないので、海は凪いでいる。小雨は相変わらず降り続いていて、空はどんよりと雲に覆われている。

蟹田では、同じホームの隣に、川部から青森まで乗った 701 系の編成が停まっている。青森到着後、そのまま蟹田行の列車に化けて一足先に発車していったものだ。

東日本と北海道の境界駅である中小国は通過するので、蟹田で乗務員が交代。線路より一足先に北海道の管轄下に入る。蟹田を発車しても、「ドラえもん」な車内放送は聞こえてこない。車内にいる限りは、開業当初に戻ったかのようだ。

列車は粛々と走って行く。うとうとしているうちに、青函 tunnel へ。見学客がいなかろうが、律儀に吉岡海底にも停車して、北海道を目指す。

寝ているうちに、いつの間にか五稜郭へ。函館に近付くと、車窓右手には車輛が群れているのが見えてくる。‥‥〔北斗星〕色の DD51 が停まっているのはいいとして、その手前にいる真っ黒な DE15@f はなに? これが噂の「ブラックバージョン」か?*7 オレンジの帯を入れろー! ← そうじゃありません

函館に到着。1350、定時。いやー、客車列車ならではの静けさを堪能。夜行とはまた違った雰囲気がいい。これもあと数日でお別れか‥‥。

*5: 津軽線の青森〜中小国間、海峡線(中小国〜木古内間)、江差線の木古内〜五稜郭間、函館本線の五稜郭〜函館間を直通して運転される列車に対する通称で、東京の「京浜東北線」や「埼京線」と同じような名称。ちなみに、津軽線と海峡線の分岐点は、正確には中小国の北にある新中小国(信)。海峡線は、新中小国(信)の構内で、まずは一旦単線のまま津軽線から分岐し、その直後に上り線と下り線が分岐する。そこから木古内駅構内まではずっと複線で、木古内構内(五稜郭方)で江差線の本線と合流して単線になる。

*6: 青函連絡船時代の「桟敷席」の伝統を引き継いだものだろう。ほかの線区では、このような造りの車輛はまず「お座敷」扱い(当然グリーン車)になるが、連絡船から輸送の人を引き継いだ快速〔海峡〕では、当初から普通車自由席扱いでカーペット車が連結されてきた。

*7: 数日後 (^^;、たまたま間近で実写を見る機会があったのだが、DE15 ではなくて、DE10 でした (__;

*8: 別に「バトル用」ではなく、DE15 は除雪用を兼ねた機関車(前後に russel unit を連結し、それを制御することが可能)なので、除雪作業中に雪景色の中での視認性を高めるためのものだろう。一種の警戒色か? ‥‥と思っていたのだが、前述の通り、DE15 ではなく DE10 だったので、「除雪作業中に」という推測は誤り。しかし、ある時期入れ替え作業中に車輛の接近に気付かず接触する事故が相次いだので、やっぱり警戒色なのかもしれない。でも、だとすると、夜間の視認性は? > Black version

函館

函館はさすがに寒い。青森より明らかに寒い。ただ、空はどんよりと暗いものの、雨は降っていない。雨が降っていると行動が制約されるので、これはありがたい。

機廻し後の連結作業を撮影したり、編成を外部から撮影したあと、改札へ向かう。同じホームの隣には、やたらと派手な〔北斗〕が停まっている。それにしても、キハ 183 系も〔北斗〕の運用に入っているとは、知らなかった。

何はともあれ、朝市へ。単に「〔海峡〕に乗って、温泉に入る」というだけなら宿をもう一本あとの列車で出てきても良かったのだが、わざわざ早く出てきたのは、朝市の営業時間に間に合わせるためだ。

ぐるぐると朝市の中を歩き回る。で、今回は「あけぼの食堂」へ。ウニとイクラとカニとボタンエビが喰いたかったので、「海鮮グルメ丼」の 6 番(ウニ・カニ・イクラ/2,000 円)に topping でぼたん海老(400 円、2 本)を乗せてもらう。さらに、肌寒かったので、標準 bundle の味噌汁を三平汁(550 円増)に変えてもらう。

出てくるのを待つ間、便所に行きがてら、公衆電話から昨夜の宿に電話。既に携帯電話は回収されていた。「すみません、着払いで送っておいていただけると大変助かるんですが‥‥」とお願いすると、快諾してくださった。お手数をお掛けしてすみませんです m(__)m

店に戻って少し待ったのち、丼が出てくる。びみょーに安めなだけに volume 感が今一つだが、うまい。三平汁で温まる。にゅー。

堪能して、駅前へ。今回は時間がまだ 2 時間くらいあるので、谷地頭ではなく、湯の川温泉に行ってみようと思う。観光案内所で「日帰り入浴可能な施設はありますか?」と尋ねると、温泉街の入浴施設が記載された地図をくれた。裏面には各施設の営業時間や towel 販売・貸出の有無などが料金つきで表になっていて、一目瞭然。大変にありがたい T_T/。こういう資料は、ほかの温泉地でも真似して欲しいなぁ。

記念にもなるので、市電の一日乗車券を買って*8、乗り場に行く。ほどなく電車がやってきた。‥‥ VVVF 車でちょっと萎え。車内は割合混んでいる。そういえば、乗り場や車内の放送を聞いていて気が付いたんだが、市電のことは単に「電車」と呼んでますな。函館では、単に「電車」というと default で市電のことを指すんだろうか。もっとも、青函 tunnel の開業まで、函館本線の函館口は全く電化されていなかったので、納得はいく。

徐々に日が暮れてきた街を眺めつつ、30 分強。終点の湯の川へ。地図で見ると、入浴施設は終点の「湯の川」とその一つ手前の「湯の川温泉」の南側一帯に広く分布している。今回は、湯の川電停からもっとも近い「大盛湯」へ。

電停を出たところの大きな交差点から、電車の進行方向に向かって右のやや細い道へ入る。道なりに曲がりつつ、2 分くらいで到着。ここは温泉の源泉を利用した銭湯なので、料金もごく普通の銭湯と同じ 370 円。ちなみに、銭湯の前の道は、道幅の割に車の量が多いので、注意。

貸しバスタオルはなかったので、小さな towel を 1 本買って、それで体を拭くことにする。中は、ごく普通の小さめの銭湯という感じ。脱衣所には貴重品用の locker があり、100 円玉を使用するので、用意しておいたほうがいい(解錠時に返却されるので、結果的に無料)。

風呂でまったり。ふいー。ここのお湯は無色透明だ。谷地頭の濁った湯とは対照的。

しばしまったりした後、駅に戻る。1634 発の「どっく前」行は、昔ながらの電車。釣掛萌え。1705、定刻に函館駅前着。やっぱり、自動車の軌道内乗り入れを認めていない街では、路面電車の運転時刻は正確だ。

〔海峡 10〕号は 1719 発。まだ時間があるので、駅舎に入ったところの弁当屋で「鮭弁当。」を買う。イクラとハラス入り。それにしても、この名前はどーにかならないものか‥‥。

ホームへ向かう。6 番線の発車案内には、0144 発の札幌行〔はまなす〕が既に表示されている。現在の時刻は 1710。実に 8 時間半後の発車‥‥ (^^;

*9: 600 円。ちなみに、函館駅前〜湯の川間は 240 円なので、一往復した場合、得はしないが、たいして損もしない。運賃の支払いに手間がかからないのもいい。Naming だけはどうにかして欲しいものだが‥‥。

〔海峡 10〕

駅に着くまでは雨は降っていなかったのだが、ホームに着いてみると、雨が振り出していた。むむ、いつの間に‥‥。

今日の〔海峡 10〕号の編成は次の通り。ちなみに、車内放送の orgol は電子音。

← 函館
(1 号車)
オハフ 50 5009 + オハ 51 5001 + オハ 50 5003 + オハフ 50 5012 + ED79 19

いきと同じ 4 号車の A 席。進行方向が逆になるので、今度は進行左側だ。4 号車(指定席)の乗客は、〔海峡 5〕号に輪をかけて少ない。6 人くらいしか乗っていない。早速、前の席を方転して、box 状態でのんびり。

本当は〔はくつる〕の中で喰おうと思っていたのだが、小腹が空いたので、「鮭弁当。」を五稜郭を出たところで開けて喰ってしまう。中には器が 2 つ入っていて、片方が錦糸卵が乗ったごはん、もう一方に焼いたハラスとイクラが入っている。なかなか具だくさん。ただし、ハラスだけに脂がすごいので、器のふたを開ける前にあらかじめ標準添付のおしぼりを使える状態に準備しておくことをおすすめしたい。

弁当を喰いつつまったりしていると、茂辺地に運転停車。木古内に着くまでには弁当を喰い終わって、一息。ごちそうさま。手が生臭い‥‥ (^^;

まったりしたりうとうとしたりしているうちに、青森 5 番着。1 分早着。

青森

〔はくつる〕の発車までは約 1 時間ある。せっかくなので、隣の 4 番に着いた〔かもしか〕の引き上げを見送ったり、〔海峡 10〕号の折り返しとなる〔海峡 13〕号の発車を見送ったり。

一旦改札を出て、荷物を回収する。途中、連絡橋の壁に国鉄色に復元されたキハ 58 と キハ 52 のオレンジカードのポスターを見つける。‥‥うーん、欲しいけど、今手持ちがないなぁ。まあ、売り切れてたらあきらめるということで、また今度にしよう。どうせまた数日後に来ることだし(謎)。

改札を出ると、例の弁当屋はまだ開いていた。あれ? 20 時までだったのでは? まあいいや、開いているなら、もう一つくらい弁当を‥‥と思いつつ荷物を出していると、shutter が閉まる音が聞こえてくる。どうやら、2030 に閉めているらしい。ううむ。

荷物を背負って、また改札内へ。3 番ホームで入線を待つ。

〔はくつる〕

2055、入れ替え用 diesel 機関車に引きずられるようにして、〔はくつる〕が入線。早速荷物を突っ込んで、撮影に出る。私の席は 3 号車 7 番下段。

今日の〔はくつる〕の編成。

← 上野
(1 号車側)
EF81 135 + オハネフ 25 205 + オハネ 25 152 + オハネ 24 54(白)+ オハネフ 25 121 + オハネ 25 220 + オハネ 25 213 + オハネフ 25 116(白)+(8・9 号車連結なし)+ オロネ 25 701 + オハネ 25 148 + カニ 24 102

車内に戻り、発車を待つ。‥‥同じ号車に乗っている親子連れの子供がはしゃぎまくって、うるさくてしょうがない。 父親は一応諌めているのだが、全く歯止めが効いていない。

「だれにうるさいって言ってるの?」「おまえ」「ぼく以外のだれかに言ってるんだー! だれだうるさいのはー!」「静かにしなさい」「‥‥パパなんかきらい。ねー、ママー!」

‥‥つい数日前にも聞いたようなやり取りだ‥‥ (-.-;

接続列車が遅れたため、発車は 6 分遅れ。とりあえず、朝方の大雨の影響はないようなので、ほっとする。

例の子供はまだ騒いでいる。ぎゃあぎゃあ叫んだり、歌を歌ったり。野辺地を出てもまだ騒いでいるので、着替えに行きがてら、通りかかってふと目があったところで睨み付けてやった。‥‥着替えを終えて席に戻ると、ようやく静かになった。やれやれ。本当はこんなことしたくはないんだが、親が抑えられないんじゃあ仕方がないわな。

それはそうと、私の乗っている 3 号車は、さすがに車齢が高いせいか、台車の蛇行動が激しい。床下から、物凄い音と振動が伝わってくる。今までこういう経験はなかったのだが‥‥。よもや「もうおわり」ということで保守の手を抜いてはいないだろうな?

青森発車場面では、3 号車は下段の 2/3 程度と上段のごく一部*9が埋まっている程度だったのだが、三沢で外人さん(家族連れ)が大挙して乗り込んできた。会話は英語。米軍関係者か? ともあれ、これで今まで空いていた下段が私の向かい側を除いてすべて埋まった。平日だというのに、結構な乗車率だ。夜中に近隣の車輛を回ってみたが、やはり下段はほとんど埋まっている。果たして、このうちどの程度の人が JR 東日本の目論見の通り新幹線に転移*10するのだろうか。‥‥ほとんど夜行高速 bus に逃げるような気がするが。

向かいの 8 番下段には、八戸から乗ってきた。中年男性だ。仕事らしく、背広姿。

八戸発車場面で、約 5 分延。列車は 11 月いっぱいで廃止になる区間を快走していく。やがて盛岡着。2 分延。停車時間を短縮して、発車時刻はほぼ定時。

寝る。

*10: 客車 2 段式 B 寝台の場合、上段と下段の料金は同額なので、普通は皆下段に乗る。なので、上段はたいがい空いている。ちなみに、上段と下段では、A 寝台とは違って天地方向の寸法はほぼ同じだが、上段は梯子の登り降りがある上に窓がない。

*11: 新幹線と夜行列車は明らかに性格が異なるので、「新幹線があれば、夜行列車は要らない」という議論は、本来成立しない。そもそも直通列車には「新幹線がない地域と東京や大阪との間を乗り換えなしで直通できる」という利点があるが、そればかりではなく、「夜遅く出て(最終の新幹線より遅い場合すらある)、朝早く着く(これも、始発の新幹線やそこからの乗り継ぎより早い場合もある)」という夜行列車ならではの特徴がある。実際、(周囲の人に勧めるとほとんどの場合「新幹線でいいじゃん」と一蹴されるのだが)東京〜大阪間の〔銀河〕号などは、全区間が新幹線と競合しているのに、一定の根強い需要がある(もっとも、〔銀河〕号の場合、東海道新幹線は東海、〔銀河〕の受け持ちは西日本なので、会社間の競争も存続の一因のような気もするが)。実際のところ、〔はくつる〕や〔あけぼの〕に寝台料金不要の〔ゴロンとシート」が登場したのは、「もはや歴史的使命を終えた」として夜行急行〔八甲田〕や〔津軽〕を廃止した結果、多くの人が高速 bus へ流れてしまったからではないだろうか(「ゴロンとシート」が高速 bus への対抗策であるというのは定説だ)。


2002/11/27 (水) 晴 <うどん tour 終了/しんくろ>

あさ

5 時 45 分頃目が覚める。どうも最近、目覚しを set していないにも関わらず、「おはようございます」放送の 10 分ほど前に目が覚める体になってしまった。当然時刻は列車毎に異なるのだが。なぜだろう‥‥。

というわけで、video camera の tape を掛け替え、放送を待つ。5 時 55 分頃、おはよう放送。ちょうど東の空が明るくなり始める。

浦和付近を通過するころに、降りる準備を始める。赤羽付近で、上野到着を告げる車内放送。それにしても、〔能登〕号の電車化や〔あさま〕号の廃止、急行〔東海〕の廃止の時には、廃止の何日か前から「永らくご利用いただきましたこの‥‥」という「さよなら放送」が行なわれていたのだが、最近は最終日の運転を〔さよなら〜〕と銘打って東日本自身が煽るようになってきたせいか、何も言わない。本来ああいう放送は、単なる哀愁の現われではなく、旅客への列車廃止の周知徹底*1という意味合いが第一義のはずなので、何かが間違っていると思うのだが。

上野には定時。今日は編成前寄りの車輛に乗っていたので、一旦機関車側に行ってみる。‥‥すごい人だー。

電源車側に行って引き上げを撮影しようと思ったら、歩いている途中に発車してしまった (^^;。機関車側での撮影に思いの外時間を取られてしまったらしい。

ついでに、直後の〔あけぼの〕号の到着も撮影してみたり。昨日(11/26 発)の上り〔あけぼの〕号の編成は‥‥

← 上野(1 号車側)
EF81 137 + オハネフ 24 15(白)(レディースゴロンと)+ オハネ 25 38(白)+ オハネ 24 29 + オハネフ 24 13(白)+ オハネ 24 553 + オハネ 24 552 + オロネ 24 552 + オハネフ 24 20(白)(ゴロンと)+ カニ 24 504

小腹が空いたので、大連絡橋に上がって立ち食いソバ。‥‥うーん、「文殊」に行くようになってから、舌が肥えちゃったなー‥‥。

ケホで御徒町へでて、〔都 02〕で帰宅。

*1: 電車化や種別変更などの場合は運転時刻の変更が伴うし、列車廃止の場合はそもそも以後の旅行が不可能になる。

ひる

以前の仕事に使っていた machine(K6-3/450)を回収しに来るということなので、data の backup 作業 と、不要な program 類の uninstall を。ごりごり。

ゆうがた〜よる

例によって医者へ。

帰ってみると、塩兄ちゃんから mail が。あとで聞いたら、「そろそろ帰ってくるころかなと思ったので」。素晴らしい洞察 :-D

というわけで、作業を切りのいいところまで済ませて、しんくろ。久々の肉を堪能する。いや、本当に久々だったんだってば (^^;。ハンバーグうまい。

台所で一服して、順次解散。Keyword は「しまっとけ」。


2002/11/28 (木) 晴 <ひきとり>

さぎょー

昨日の続き。

ゆうがた〜よる

例によって医者へ。

その後、例によって指圧。

Machine の引取りの件で連絡が。24 時頃になるらしい。

客先に提出する書類を用意しつつ待つ。NEWS23 たけなわな頃、引取りの車が到着。物を引き渡す。お疲れさんですなぁ。


2002/11/29 (金) 晴 <あれ?>

乗るの?

日記を補完していて、ふと気付く。あれ? 出発、明日じゃん! (-.-;

下着が絶賛欠乏ちうなので、慌てて買い出しに。

ゆうがた

なぜか JTB 浅草橋へ。‥‥なんか、買っちまいましたよ? 〔海峡 13〕号と〔はまなす〕号の指定券*1

たまたま今日も前回宿の手配をしていただいたかたが窓口に。先日の宿がどんなところだったのか気にされていたので*2、簡単に報告しつつ、指定券をお願いする。窓側席をお願いしたら、全然空いていなかったらしく、探しまわっていただいたようだ m(__)m。「なんか、全然空いていなかったんですけど、何かあるんですか?」と訊かれたので、「いや、いよいよ〔海峡 13〕号を最後に日本から客車普通列車が姿を消すので」と答えると、「ああ、この間仰ってましたよね。窓側が全然空いていなくて、探しちゃいましたよ」。お手数をお掛けしてすいませんでした、といいつつ出てきた券を見ると、‥‥ 8 号車?! 〔海峡 13〕号って、所定は 4 両のはず*3なんだが‥‥ (-.-;。やっぱり混んでるんですかねぇ、などと。

「乗車券はよろしいんですか?」と訊かれたので、「発車時刻に青森にいること自体は間違いないんですけど、まだ実際に乗るかどうかは決めてないんです。現場の状況を見てから決めようかな*4と‥‥」と答えたら、「五反田さんなら、まず乗ると思いますけど」(^^;。私もそう思う‥‥ (__;

帰りしな、なぜか PET bottle 入りの coffee をもらってしまったり。ううむ。

しかし、いざ指定は取ったものの、どうするかなあ。今回は tour なので hotel も set なのだが、〔海峡 13〕号の発車までの間合いは 16 分しかないので、hotel に行って荷物を置いてくる時間はない。しかも、深夜の函館で間合いが約 4 時間*5あり、さらに、青森に戻ってくるのは 0535 だ*6。朝 hotel に滞在できる時間はおよそ 2 時間程度しかなく、風呂に入ったり朝食を取ったりする時間を考えると、bed で寝られる時間は 1 時間程度と考えたほうがいい。これで車内で眠れなかったら、まさに地獄なんだが‥‥。

とにかく、その足で医者へ。

*1: 参加する tour は、青森着が 2008(〔さよならはつかり 583 系〕号)で、翌朝の宿への迎えの bus が 0805 に来るので、一応〔海峡 13〕〜〔はまなす〕での往復は可能。

*2: 窓口の端末では、これまでの評判や簡単な施設一覧などは見られるのだが、写真が見られないので、店頭に置いてある pamphlet に記載されていない宿については、様子が全く判らない。特に「山海荘」は「Net 予約」ができない宿なので web にも記載がなく、実際に行ってみるまで全く様子が判らなかった。

*3: 実際、先日函館から帰ってきたときの〔海峡 10〕号と、その折り返しの〔海峡 13〕号は、4 両編成だった。ちなみに、10/27 までは、〔ドラえもんカー〕が連結されていたので 5 両編成。

*4: 周り中で鉄が大騒ぎしているようであれば、乗車を見送ろうと考えていた。騒々しいなかで乗っていても、感慨も何もあったもんではない。

*5: 11 月まではもう 10 分短かったのだが、12/1 の改訂で後ろにずらされてしまった。

*6: 同様に、11/30 までは 0518。

よる

一旦アキバに行ったあと、指圧を受けに浅草橋まで戻る。その後、さらに上野駅へ。

下り〔はくつる〕を見送ることができるのも、今夜が最後*7。というわけで、撮影に。

いやー、結構人がいるなぁ。とにかく、なんとか撮影。しかし、ここでも「おっさん」暴走中。Video camera を持って現われたおっさん 2 人組、ほかの人が camera を構えて待機しているのにその前に出るは、良くわからんことを叫びつつ駈けずり廻ったりで、周囲の顰蹙買いまくり。「単なる酔っぱらい」にしては、たちが悪すぎる。挙げ句に、いよいよ〔はくつる〕が入線してくると、編成端の貫通扉を開いて係員がう○こ座りしているのを見て、

おい、マーク隠れてるのに、鉄は撮影しても意味ねーんじゃねぇか?

などと周囲で撮影している人達に向かって叫んでいる。大きなお世話だ。Video camera 回している人が何人もいるんだから、静かに見てろ。日本でもここだけでしか見られない「推進運転」にあんたが興味がないのは勝手だが、それを廻りに押し付けるな。

例のおっさんがどこかに走り去ると(どうやら編成の前のほうを撮影しに行ったらしい)、実に静かになった。ちなみに、今日の下り〔はくつる〕は‥‥

← 上野
(1 号車)
オハネフ 25 205 + オハネ 25 152 + オハネ 24 54(白)+ オハネフ 25 118 + オハネ 25 220 + オハネ 25 213 + オハネフ 25 116(白)+ オハネ 25 6(白)+ オハネフ 24 201 + オロネ 25 701 + オハネ 25 148 + カニ 24 102
(特記なきものは金帯車)

26 日の上りの編成と較べると、4 号車の車が入れ換えられているほか、8・9 号車が連結されている。

〔はくつる〕の発車後、早速 15 番では乗車位置目標の撤去準備が始まっていた。

ついでなので、13 番にやってきた〔北陸〕と、時刻変更前の〔能登〕も撮影しておく。金曜ということもあって、〔能登〕号は結構混んでいる。電車化当初*8の「ぎゅうぎゅう」という状況ほどではないが、座席は 9 割ほどが埋まっている。

今日の〔北陸〕号:

← 上野
(1 号車)
スハネフ 14 28(白)+ スハネ 14 701 + オロネ 14 702 + スハネ 14 756 + スハネフ 14 27(白)+ スハネ 14 758 + オハネ 14 89(白)+ スハネフ 14 31(白)+ EF64 1053
(特記なきものは金帯車)

客車は全て G mark つき。碓氷峠越えの名残がここにある。一部の車輛は全検出場直後と見え、車体が非常に美しい。

ついでに、今日の〔能登〕号:

← 上野
(1 号車)
クハ 489-503 + モハ 488-14 + モハ 489-14 + サロ 489-27 + モハ 488-206 + モハ 489-21 + モハ 488-15 + モハ 489-15 + クハ 489-3

当然ながら、全車 G mark 入り。しかし、何度見ても、雨樋が赤く塗られていない*9のが画竜点睛を欠くなぁ‥‥。

〔能登〕号の発車は、発車時刻になっても続々と乗客が現われるため、今日も順調に遅れた。来週からは、もうこの時間には列車はありません*10よ〜?

駅前で牛丼喰って、帰宅。

*7: 明日の晩は青森にいるし、そもそも最終日は運転時刻が変更される*11こともあっ てか〔さよならはくつる〕号として運転されるので、通常の

*8: 下り列車については盛岡〜八戸間の通過が 0 時を廻っているため、当該区間を通過するときには既に「IGR いわて銀河鉄道」及び「青い森鉄道」に経営が移管されている。そのため、通常であれば停車する一戸・二戸・三戸は通過となり、同時に(なぜか)盛岡以北の運転時刻が後ろにずらされる(盛岡発車が 4 分、青森到着に至っては 32 分遅くなる)。ちなみに、上り列車はついては(当該区間の通過が 24 時以前であるため)運転時刻の変更はなし。

*9: それまでは 21 時頃発車していた。24 時前発というのは、〔能登〕号の電車化と同時に廃止された急行〔妙高〕号が使っていたスジ。

*10: 「国鉄色モドキ」と言われる所以。金サワ車は全てこうらしい。

*11: 〔能登〕号の発車は 2332 に繰り上げられ、2342 発の高崎行普通列車の発車が 3 分繰り下げられて 2345 発となる。〔能登〕号停車駅の利用者にとっては、終車が 9 分繰り上げられることになる。ちなみに、金沢到着時刻は変わらない(0632)。そうそう、赤羽・上尾・桶川・鴻巣は通過となるので、じゅんじゅんさん方面は要注意(爆)。


2002/11/30 (土) 晴 <また青森>

あさ

6 時に目覚しを set しておいたのだが、4 時頃目が覚める。むう。寝たのは 26 時近くだぞ‥‥?

さすがに 2 時間あるんじゃねぇ、と二度寝を‥‥しようとしたのだが、眠れない T_T。仕方がないので、起き出して、準備とか。

そんなわけで、今日はまた青森・函館に行ってきます‥‥(爆)。たぶん、これが(しばらくの間は)最後。

上野

集合時刻までは時間があるので、上野駅に行って上り〔はくつる〕を出迎える。

うひー、7 時前だってのに、すごい人だよ‥‥。

定刻に到着。これで通常の〔はくつる〕は終わり。お疲れさん‥‥。最後の上り編成は‥‥

←上野(1 号車側)
EF81 139 + オハネフ 24 23(白)+ オハネ 24 19(白)+ オハネ 25 32 + オハネフ 25 117 + オハネ 25 140 + オハネ 25 5(白)+ オハネフ 25 1(白)+ オハネ 25 215 + オハネ 25 211 + オロネ 25 702 + オハネ 25 4(白)+ カニ 24 116(白)
(特記なきものは金帯車)

オハネ 25 4 は、錆や、それによる塗料の剥れが酷く、見ていて痛ましい。下手な保存車輛よりも痛んでいるのではないか。一方、カニや、オハネフ 25 1(top number!)の美しさが印象的であった。出場直後だったのか?

〔はくつる〕の引き上げを見送ったあと、13 番に到着した〔あけぼの〕を撮る。今日の編成は‥‥

←上野(1 号車側)
EF81 138 + オハネフ 24 25(白/レディースゴロンと)+ オハネ 24 3 オハネ 24 20(白) オハネフ 24 2(白) オハネ 24 555 オハネ 24 554 オロネ 24 551 オハネフ 24 22(ゴロンと) カニ 24 111
(特記なきものは金帯車)

こちらも、オハネフ 24 22 の美しさが際立っていた。床下機器の汚れのなさから言って、明らかに全検出場からまだ日が浅い。そういえばこの車、24 系(25 型ではない)の一般車(改造型式ではない)なのに、金帯をまとっていた。オハネ 24 3 も金帯で、こちらも(床下は貨物ホームに隠れて見えなかったが)車体は実に美しかった。最近は、24 系の一般車でも、全検にはいると金帯になって出てくるのかしらん。ふうむ。

一方、こちらの編成は、さきほどの〔はくつる〕とは逆に、カニがかなり痛々しい。満身創痍といった感じ。

よく見ると、ここまで牽引してきた EF81 は、続き番号だ(しかも、両方とも日立製)。鶯谷あたりで、兄弟同士の顔合わせが実現していたのかな。

頃合になったので、撤収。大連絡橋のソバ屋で朝飯でも喰おうかと思ったのだが、思い直して、東京駅に向かう前に「文殊」へ寄ることにする。


[後日へ続く]

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