「書きかけの歳時記」
2005/05版 その1

(since '05.04.25)

この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。

取扱上の注意

[前日へ続く]

2005/05/01 (日) 曇のち雨 <引き渡し>

ひる [日常 / 旅行準備]

12 時頃起きた。

旅行準備の続きを実施。


よる [日常 / 旅行準備]

少し早めに家を出て、錦糸町駅近くのコンビニへ copy を取りに行く。外は弱い霧雨が降り始めていた。

‥‥大量の手書き原稿を copy する先客が‥‥。Copy 本か? T_T

かなり待って、やっと先客が終了。急いで copy を取る。丁度終わったところで塩兄から電話が。‥‥なぜ第一声が「生きてます?」なのかと思ったら、こういうことだったらしい (-.-;

そんなわけで、ひさびさにしゃぶる。内川さんも増田様も実に久々。なぜか昨今の東アジア情勢の話題で盛り上がる。ちなみに、いつも比較的寡黙な内川さんはともかく、塩の字は決して静かではなかったことを書き添えておく。

閉店時間になったので、いつもの通り駅前の喫茶店に移動。増田様登場とあれば、当然ながら飛行機の話で盛り上がる。こうなると増田様は止まらない。いや、最初から全然止まってないデスガ。

合間に、忘れちゃいけない、今回もっとも重要な作業。乗車券類の引き渡し。今回は少ないなー。

そのあとはなぜか伝書鳩ネタで盛り上がってみたり。

「実は伝書鳩による伝送路って有向線分なんだよね」
「なんで?」
「あれってほら、鳩の帰巣本能を利用するわけじゃん。だから、巣箱に帰る方向にしか packet が飛ばないわけなので、」
「ああ、予め運んでおかなきゃならないのか」
「そうそう」
「でもさ、それだと‥‥一羽の鳩が運べるのって 1500g だっけ? 1542g だっけ?*1
「『MTU は鳩の体力に依存する』ね」
「うん、そうだよね。んで、1500g 前後? ‥‥とにかく、そんなに多くないよね。だから、大量の data を運ぶにはたくさんの鳩が要るよね?」
「大量の鳩を前もって運んでおかなきゃなりませんな」
「でもさ、難しいよ?」
「なんでよ」
「大量の鳩を運んでおくのは簡単だし、peak の帯域を確保するために必要な鳩を運んでおくのはいいとしても、いつもそんなにトラヒックがあるわけじゃないじゃない?」
「そうねぇ」
「で、帰巣本能を利用する以上、あんまり長いこと起点側に置いておくと、その鳩にとって今度はそこが『自分の巣箱』になってしまうので」
「ああ、expire しちゃうのか!!」
「そゆこと」
「う〜ん、難しいなぁ‥‥」
「その辺りって、例の RFC に書いてあるんでしたっけ?」
「わかんない」
「書いてないんじゃない?」
「誰か RFC にすれ」
「でもさ、4/1 に合わせて発表しなきゃいけないじゃん」
「今から頑張れば来年には間に合う!!」
「いや、ちょうどよく IETF やってるとは限らないじゃん」
「がんばれ」

そのあとはなぜか「対人伝送路の帯域拡大がもたらしたもの」という話になってみたり。増田様がこのところずっと思索していたらしい。

「今の電話って、高々 64kbps 相当*2の帯域じゃない?」
「そうね」
「で、以前なら何 bps? 4800?」
「一般家庭の MODEM なら、9600bps とかかねぇ。4800 ってのは、fallbackするのを除けば、規格としては半2重の『全銀協(手順)』くらいだよね」
「それが最低だっけ?」
「その前は 2400 とか、1200 とか。音響 coupler だと 300 とか?」
「それが最低だっけか?」
「まあ、そんなもんかな」
「で、それは computer 同士の通信だから、人間同士が直接する通信ってのは、もっと遅いよね。電信だと何 bps?」
「あれは『bps』っていうか、『一文字当たり数秒』かかるよね」
「そうだよね」
「その前には『光通信』(not 社名)もありますな」
「光なんて、一般家庭で使えるようになったの、最近じゃん」
「いやいや、『狼煙』」
「あとは『手旗』とか」
「‥‥‥まあいいや、とにかくさ、そういう低い rate だったわけじゃない。電信が、一文字を 8-bit とすれば、数 bps? それが電話の 64kbps になってさ、何が変わった?」
「速くなったじゃないですか」
「そういう表層的なことじゃなくてさ。それだと伝わる情報の質って変わってないじゃない」
「いや、速くなったので、情報の密度が」
「そういうことじゃないんだよ。それは『文章を伝える』っていう点では同じじゃん。そうじゃなくて、『革命的』っていうか、もっと違う layer で変化が起きてないのかってことだよ」

なんか、だんだん議論が袋小路に入ってきてるな。つーか、『議論』になってない。

「あのさー。『音声』を realtime で伝えられるようになったことで、単に『文字』を伝えるに過ぎない電信とは違って、同時に『感情』という要素も伝わるようになったんだよ」
「‥‥おお! :-D

いい時間になってきたので、「他地域や移動体から NTT の 116 にかけるにはどうすべか」という話をしながら店外へ。半蔵門線方面にいく内川さんと塩兄と別れ、増田様と一緒に江東橋方面へ。

「『電信から電話へ』の変化で『感情が伝わるようになった』じゃない?」
「そうだねぇ」
「それとはちょっと性質が違うかもしれないけど、生活 style が大きく変わった出来事は最近にもあったよね」
「それは?」
「一つは、『ある程度高速な IP 接続環境が手頃な料金で使えるようになった』こと。生活の tool として、調べものでも何でも、大量の情報を瞬時に得られるようになった。それが逆に、それを使える人と使えない人との間で『digital devide』と呼ばれる格差を産み出す結果になってるわけだけど」
「そうねぇ」
「まあそれは『非音声通信』なわけだから、さっきの話からはだいぶんずれてるかもしれないけどね。で、『音声通話』に関してだと、やっぱり『携帯電話の普及』」
「ああ、それはその通り! 今は待ち合わせなんかでも『この駅のこの辺り』で済んじゃうもんね。ついてから電話で『今どこにいる?』って訊いて合流すればいいから」
「そうそう。以前だったら事細かに指定しとかなきゃならなかったでしょ?」
「『渋谷駅のハチ公前』とかね」
「そう。『ハチ公で<反省>しとけ』とか」
「『待ち合わせ場所』って人多いからねぇ」
「で、行ってみたら何人も<反省>してたりして」
「今じゃあ(携帯が普及したので)<反省>しなくてよくなったわけだ」
「そーねー」
「でもそのせいでさ、公衆電話が減ったよねー」
「そうそう。前のマンションに越してくるとき、大変だったさ」
「なんで?」
「いや、5 年くらい前だったんだけど、越してくると同時にアイ*3を引いたのね」
「ふむ」
「で、加入電話なら工事日になったら電話を繋いでおくだけだけど、当時は工事時間になったら『出会い*4』に電話して(交換機側を)切り替えてもらわなきゃならなかったのよ」
「あー、そういう時代もあったねぇ」
「で、その番号が『フリーダイヤル』で、しかも携帯からの通話を受け付けなかったので、事前に電話して『携帯からかけられる番号を教えろ』って」
「ああ、なるほどね?」
「で、そのとき『公衆電話からならフリーダイヤルにかけていただけますが』って言われたんだけど、『あのー、現場から一番近い公衆電話まで、歩いて片道 5 分ほどかかるんですが』と」
「そんな感じになっちゃったよねー」

で、会話が進むうちにさっきの話題に戻っていったりする。

「移動体から『116』ってかけられないの?」
「Willcom の場合、自社の service center にかかっちゃうんだよね」
「ふーん。‥‥じゃあさ、『0000』で強制的に NTT 回線に繋いで『116』では?」
「それでうまくいくのかなぁ。そもそも『116』って、収容交換器で hook しちゃうじゃない?」
「そうなの?」
「うん。たとえば『177』なんかだと、『市外局番*5+177』って廻すと、他地域の天気予報が聞けるじゃない?」
「そうだよね」
「でも、以前東京都区部から和光市に引っ越したときに『事前に申し込んどこう』と思って試したんだけど、『048+116』ってかけても、電話が収容されている局にしかかかんなかった*6。まあ、近くの 116 にさえ繋がれば、むこうで転送して貰えるんだけどね」
「へえ、そういうアレなの?」
「うん」
「じゃあさ、市内局番までつけてみれば?」
「いや、収容交換機で引っかけちゃうんだろうから、」
「だからさ、市外局番に加えて市内局番まで付けて VC*7 張ってさ、それで『116』なら、繋がらない?」
「おお、なるほど! :-)

江東橋で別れて、キコキコ帰宅。喫茶店を出た頃はそれなりに降っていたが、家に近づくに連れ小降りに。

帰ってから、洗濯したり準備の続きをしたり。‥‥うあ、どうもこのところ服の数が足りないと思ってたら、前回の旅行の着替えが鞄にそのまま入ってた。道理で鞄が妙に膨らんでたわけだ。はっはっは。‥‥しくしくしく。即座に洗濯機に直行。袋に密閉してあったおかげで妙な匂いとかもしてなかったし、洗えば大丈夫か‥‥。

それにしても、明日〜明後日は車であちこち動き廻らなきゃならないんだが、雨が止んでくれるといいなぁ‥‥。

*1: 言うまでもないが、ここで上がっている数値は Ethernet 上での IP packet の MTU 値が元ネタ。

*2: 8-bit 非線型の 8kHz sampling。

*3: ISDN のこと。

*4: 局内工事を行なう部門の電話番号のこと。加入者宅と局内で同時に工事を行なう場合、現場から「出会い」に電話を入れて打ち合わせつつ工事を行なった。実績が蓄積されたのちにこそ ISDN 関連の工事は「お客様工事」が標準となり、加入者宅での NTT-ME による工事は option となったが、service 開始当初は、個人客であっても法人営業が担当したり、default では(C を外すなど)NTT-ME による宅内工事が必須であったりと、通信品質確保にかなり神経質だった。ISDN 回線を申し込んでから「経路設計」に数日を要したこともざらだったし(収容局からの距離が遠いと提供を断られることさえあった)、「お客様工事」を選択したにも関わらず「工事費は要りませんので、勉強させてください」と NTT-ME が切り替え工事に来たこともあった。

*5: 正確には、俗に「市外局番」と呼ばれている番号の内、先頭の「0」は「市外識別番号」で、本当の「市外局番」は「市外識別番号」を除いた残りの番号なんだが、ここでは「俗に言う『市外局番』」を指している。

*6: 10 年近く前の話なので、今は事情が変わっている可能性もある。営業窓口が激減したという環境変化もあるし。

*7: Virtual Circuit。回線交換方式では、電話番号を辿って徐々に通信経路が延びていって、最終的に相手に繋がる仕組みになっている。大雑把に言えば、加入電話の場合、「市外識別番号」が廻されると市外中継局に繋がり、続く「市外局番」に従って相手の地域の中継局に繋がり(同一区域向けであった場合はここで fallback する)、さらに「市内局番」に従って収容局に繋がり、「加入者番号」によって目的の回線が選択される、という具合い。



2005/05/02 (月) 薄曇り <うろうろ>

あさ [日常]

‥‥なんか、ここのところ 1 日置きに眠れたり眠れなかったり。で、今日は眠れない日だった。

ともあれ、8 時過ぎに出発。森下で京王多摩センター行き(笹塚から快速運転)に乗り換えて、調布へ。

調布では「こちらがホームに停止する直前に同じホームの向かい側で扉を閉めて発車する」という絶妙な timing で本線系の普通を見送り(もはや嫌がらせ)、しばらくボーッとホームで待って後からやってくる急行に乗り継ぎ。

先ほど見送った普通を府中で追い抜き、分倍河原で下車。乗り換え専用の無人改札(橋上口)から南武線に‥‥あれ? 通れない‥‥。

仕方がないので中央口に廻ってみれば、「連絡改札機は ICOCA に非対応なんです(Suica のみ対応)」‥‥。しくしくしく。

そんなことをやっている内に当初予定の列車に乗り遅れる。次の列車を待っていると、‥‥をを! EF641000 重連牽引の上り貨物が!! これもだんだん貴重な光景に‥‥?

そのあとからやってきた普通列車に乗って南多摩へ。‥‥うあ、聞いてはいたんだが、ほんとに改札前の風景が一変してる。ラーメン屋は土台を遺すほかは跡形もない。その隣にも広大な空き地が‥‥。挙げ句に、小さいとは言え駅前ロータリーなんかできてますよ?!

というわけで、1015 時現着。車を借り出す。借りるときに某社長から「水間電鉄が倒産しましたね」と聞いてびっくり。なんですとー!

ともあれ、1025 時、出区回送開始。鶴川街道→国道 20 号→晴海通り→昭和通り→江戸通り→京葉道路→清澄通りと走行。所用約 1.5H でほぼ予定通りに到着。日中としてはまずまずだ。しかし、夜間ともなると高速道路かジェットコースターかという様相を呈する昭和通りの連続立交だが、さすがに日中は渋滞するなぁ。皇居前を経由して素直に永代通りへ抜けた方がいいのかも。


ひる〜よる [運転]

資材や器材を積み込んだあと、一旦アキバへ行って買い物。終了後の 1217 附近に仕業開始。コンビニで買ってあったおにぎりを信号待ちの間にパクつきつつ、まずは千葉へ。やはり日中は夜間の倍程度かかる。当たり前か。まあ、所要時間は予想通り。

荷物(と同乗者)を積み込んで都内へ逆戻り。某所へ立ち寄り、同乗者の用が済むまで仮眠してみたり。終了後にまた目的地へ走っていって、荷降ろし。

荷降ろし終了後、飯を喰いがてら買い物の下見へ。最後にまた千葉の現場へ行って同乗者を降ろし、今日の仕業は終了。

回送を終了して自宅に着いた 2654 頃。さすがに疲れたので、そのままばたんきゅー。



2005/05/03 (火) <うろうろ>

ひる〜よる [日常]

さすがにグーグー寝た。で、起きたのは 12 時過ぎ。うーん、いささか寝過ぎたか‥‥。

ズボンがぴんち風味*1なので、 UNIQLO へ。さすがに混み合ってるらしく、裾上げに 1.5H ほどかかるらしい。一旦先方に行って用を済ませてから戻ってくればそのくらい経つだろうから、まあいいか。

というわけで、用務先へ向かう。用を済ませて先ほどの UNIQLO へ取って返し、ズボンを回収。

さらに都内某所へ向かってそちらの用を済ませる。然るのちに買い物へ。折角車があるのだから、普段できない大物の買い物をこの機会に済ませておかないと。

飯を喰ったりなんだかんだして帰ってきたら、2653 時。昨日と 1 分違いかよ!(__;

コインパーキングに車を入れてモゾモゾしてたら、近くの部屋から「わん、わん、わん、わん、わん‥‥」と小型犬の鳴き声が聞こえてきた。こんな時間になんだべ、と思いつつ作業を続けていると‥‥件の声は「あん、あん、あん、あん、あん‥‥」と言っていることが判明。‥‥見るなとは言わんけど、

AV を見るときは音が漏れないように慮りやがってくださいね。

つーか、だだ漏れだっつの (__;

ぐんにょりしながら帰宅。

*1: サドルと摺れる内股が擦り切れて穴が開いたのに加えて、股間のファスナーのつまみが先日突然「ポキッ」と折れた (__;



2005/05/04 (水) <ねむ‥‥>

未明〜早朝 [運転]

洗濯物を干したりしてたら、いつの間にか 4 時半。うーん、もう始発が動いてるな‥‥。元々は一眠りしてから車を返しに行く予定だったんだけど、貸し主からは「鍵をいつものところに置いといてくれればいいです」という mail が来てたし、駐車場代ももったいないし、眠くなくてあと 1 時間以上は寝付けそうにないし、いっそ先に返してくるか。朝なら道も空いてるだろう。

というわけで、0440 時、返却回送開始。閑散時間帯のいつもの route ってことで、行きと同じ経路を逆向きに走る。‥‥さすがに空いてるな。当たり前か。所要時間は 55 分。流れに乗って走ってただけなんだが、信号待ちにほとんど引っ掛からなかったこともあって、深夜並み。車も少ないし。

しょぼしょぼ歩いて南多摩駅へ。ぼんやり待って、やってきた立川行きに乗る。分倍河原ではギリギリのところで普通に逃げられ、しょんぼり快速を待つ。さっきの普通を途中で抜いたものの、笹塚で新宿線直通列車に乗り換えて発車を待っていたら結局追い付かれたっつーか接続待って発車。しくしくしく。

森下で乗り換えて帰宅したら、もう 7 時半ですよ! 奥さん!!


あさ [日常]

帰りの列車の中では眠れなかったし、今頃になってさすがに眠くなってきたので少しでも寝ようかと思ったのだが、以前から機会があったら土産を渡そうと思っていた人が「体調があまりよろしくない」とのことで集合直後に帰ってしまうかも‥‥という話もあるので、集合時刻に行かざるを得ない。とすると、風呂に入ったりする時間を考えると 10 時の集合に対して遅くても 8 時半には起きなければならないわけで。つまり、仮眠するとしても 30 分くらいしかないわけで。

‥‥で、こういうときは布団に入ってしまうと寝付けないのであった。悶々としているうちに起床時刻。むあー。

風呂に入って、予定通りに出発。携帯はどうしようかと思ったんだが、どうせ現地では Vodafone は圏外だし、そもそも連絡を取りたくなる相手はたいがい Nakami さん長沢さんなので(いつも 2 人で姿が見えなくなるからな)、H" のほうだけでいいか‥‥。


いけぶくろ [テーマパーク]

予定通りに出たつもりが、なぜか予定の 1 本前の地下鉄に間に合ってしまったり、御徒町では当然のように駅探の表示より乗り換えに要する時間が短いのでさらに 1 本前の列車に乗れてしまったりと、待ち合わせ時刻より 15 分も前に到着してしまったり。

‥‥誰もいませんな‥‥。もしかして、既にみんな集合して、先に行っちゃった‥‥てことはないよね? (-.-; 諸般の事情でNakami さんには「多分集合時刻には行かれない。多分昼頃になるんじゃないかな〜」と言ってあったので、他の member が全員揃ったとすれば、それもありうる。んー、とりあえず電波を飛ばして‥‥って、はっ! H" の端末には塩兄Nakami さんしか登録してないじゃん!!(爆)

しょうがないので、ともかくNakami さんを呼んでみる。‥‥ああ、まだでんさの中ですか。もうちょっとかかるのね。了解しましたよ。

程なくしてよっこさんが登場。「誰もいなかったから、もうみんな揃って先に行っちゃったかなーと思いましたよ。Nakami さんには『遅れるかもしれないから、もし現われなかったら先に行ってて』と言ってあったので」と言うと、「集合時間前に、それ(= 先に行くこと)はないですよ (-_-)」。いやいや、そういうタワケも現実にいるので、油断は禁物なわけです (__;

そして、三々五々集合。最後に「思ったより早く着きました! v(^^)」とご機嫌なNakami さんが合流して、勢ぞろい。忘れないうちに土産を引き渡し、「それでは‥‥」とずるずる歩き出す。‥‥しかしあれだな、今回の member のうちのある人と会うときは大抵寝不足だったりするんだが、なぜだろう‥‥ (__;

着いてみたら‥‥うあ、さすがに連休中日とあって、すんごい人。‥‥こんなに天気がいい日に屋内でモゾモゾしてないで、外に行け、外に!! ← おまえもな

明日の朝は早いし、こんなに人が多いと stamp どころではないし‥‥ということで、今日はいつもより早めに切り上げることに。そうすると、いくら 60% off とは言え、passport を買うと高くつく。とりあえず入園 free 権で入って、attraction を 2 つくらい現金でやった方が得だよね‥‥というわけで、今回は passport を買わずに入場。

中に入ってみたら、もっとすんごい人。昼時とかでも、こんなに混み合ってるのは見たことがない。Attraction も 30〜60 分待ち。これも初めて。今までは(1 日中いるのを逆用してもっとも混み合うものを避けてたこともあって)せいぜい「5 分待ち」くらいだったんだが‥‥。たとえ passport を買って入ってたとしても、とてもじゃないが数はこなせなかっただろう。

今回は珍しく最初に dessert。苺の魔力に取り付かれる私。はぁはぁ。

そのあとは、途中で食事をしたり休憩したりしつつ、「ナジャヴの大冒険」と「幸せの青い鳥」を。順番待ちの最中に落ちかかったりしつつも、動き出せばとりあえず眠気は去る。しかしもーろー。ツッコミを入れるどころではなく、ネタの回収も今一つ(爆)。つーか、のんびりと楽しむ余裕がなくて忙しなくなってしまったかも。すんません > 皆さん。挙げ句の果てには、あまりの人混みに他の人達とはぐれてしまうこともしばしば。しかも、今回はよりによって Nakami さんさんとばっかりだ。

Na「あれ、他の人達はどこに行ったんだろう‥‥ (-.-;
五「ああもう、だからっ、私ゃ今日は Nakami さんにしか連絡が取れないんだってば! あんたが一緒にはぐれたんじゃ、なんにもならねえっつーの!」(← やつあたり)
Na「うぅ、全然廻りが見えません‥‥」
五「まあ、あんた、ちんまいしな。私でもよく見えないんだから、(Nakami さんは)『人の壁』しか見えないでしょ」
Na「(ぷるぷるぷる)」

最近のお子様たちはほんとに発育がいいですな(溜息)。


今日の出来事 [テーマパーク]

そんなこんなで夕方には離脱してみたわけだが、睡眠不足(というかはっきり言えば徹夜明け)を押して行った甲斐があったかというと、「狼狽するよっこさん」という極めて珍しいものを見られたので、大豊作だったと言えよう。

実は初めて「ナジャヴの大冒険」とやったときに最後の祠で私の前にいたお子様が「上級 cource」なるものへ進んでいて、しかもそのお子様は当然のような顔をしていたので、一定の条件(回数をこなすとか)を満たせば出るものだと思ってたのさ。ところがよっこさんが今回それに進むことになり、何と経験豊富なはずのよっこさんがその存在を知らなかったそうで(私はむしろそっちにびっくり)、大騒ぎに。

「えっ、えっ、なんですかそれ」と慌てまくるよっこさんに「とりあえず『お話』button を」。何か近くのとある物体で button を押せとか言うのでその通りにすると、おもむろに説明の映像が流れてきた。Panic になるよっこさん。

よ「えー、えー、どうすればいいんですかぁ ;_;
五「何か、文様が入った石板を探して『BINGO』button を押すらしいですよ」
よ「せきばん」
五「で、縦とか横とかが揃ったら、そのあと赤い石柱に向かって button を押せとか何とか」
よ「せきちゅう」

何かが抜け落ちたような無表情でおうむ返し。そして「えー、全然わかんなーい <(;_;)>」と泣きそうな表情に (^^;。うーん、「新鮮」とかゆー次元を超越しているな(爆)。

途中まで全員一緒にうろうろして「石板」を探していたものの、時間切れ間近となっている他の面々は冒険局へ行って清算事業団。それが一段落ついたところで、捜索から一旦戻ってきたよっこさんと合流して、また全員でぞろぞろ。そして次々と石板を見つけるしょーこさん。まさに他の追随を許さない勢い。なんかすごいぞ (^^;

で、結局「すごい秘宝」をもらってよっこさんも終了。すごいとゆー割には大したもののような気がしなかったんだが、あとでよっこさんがさっさと (^^; 売り払ってみれば、すごい高値に! @_@;。一気に借金返済です! ばっざーい。

いやしかし、奥が深いな > ナンジャタウン。リピーターを惹き付けるネタの仕込みかたはさすが。芸が細かいというか。


戦いすんで日が暮れかけて [テーマパーク]

まあ、ともあれ「夕食にしましょう」と、みんなで東武百貨店の「SPICE」へ。‥‥うーん、池袋に住んでいたとき以来だな。なつかしー。

「どこにしましょうかね」「『店』の前に、何を喰いますかね」とうろうろした結果、中華料理店に吸い込まれてみる。あーだこーだと言いながら定食を喰い、適当に離脱。

行きは 1 階から建物に入ったが、帰りは EV で地下 1 階まで直接降り、中央通路へ。丸ノ内線で帰る@/nagasama//を切り放し、全員で中央大塚口改札を入って、赤羽線・内回り・外回りへそれぞれ解散。お疲れさーん。

「やっぱり 20 時頃になっちゃいましたねぇ」「まあ見込み通りですねぇ。晩飯喰わないわけにもいかないし」「それはじゅうようです! o(-"-)」「いや、そこまで力一杯言わなくても」「おなかいっぱいになりました! (^^)」「腹がくちてきたら swimmer 睡魔が襲ってきました」とか言いながら Nakami さんさんと日暮里へ。

五「あなたはこれからがまた長いんだよねー‥‥。大変だー」
Na「まあ、でも、これが最後ですから」
五「そーねー。明日からはもう延々と帰っていかなくてよくなるもんねぇ」
Na「あっ、そうなんですよねっ。そうか、明日からだ!」
五「‥‥あえてツッコまないよ? ‥‥今度は、どこに行くのも結構便利だよねー」
Na「ええ。ナンジャに行くのが便利になります!」
五「一番重要なのはそれかよ!」
Na「いや、だってぇ (^^;
五「で、引っ越しの準備は終わりましたか?」
Na「ええ、全然です!」
五「自信満々にゆーな!」
Na「いやもう、昨日まで生活してたまんまの状態です」
五「部屋の中が生活感に満ち溢れてるのね‥‥ (__;

常磐線に乗り換える Nakami さんを「寝過ごして、いわきとか、行かないようにねー」と見送り、直後に落ちつつおかちまちまちで降りる(ちなみに 1 周したり寝過ごしたりはしてません)。お江戸線に乗り換えて帰宅。

明日の朝が出発なので支度をすませなければならないんだが、いよいよ活動限界。続きは朝早く起きてやることにして、21 時頃沈没。ぐー



2005/05/05 (木) 薄曇り <長〜い片道切符で行く東北一周鉄道 2200km くらいの旅・1 日目>

未明〜早朝 [旅行準備]

4 時半に起きて準備再開。それなりに寝たので、とりあえずそこそこすっきり。

着替えを揃えて詰め込んだり、充電が済んだ電池を詰め込んだり、風呂に入ったり、旅行中の分の録画予約を仕掛けたり。


[旅行]

そうこうやっているうちに 6 時半を廻ったので、出発準備。

0645 時に家を出る。お江戸線でおかちまちまちへ。東北線ホームによじ登ると‥‥あれ、内回りが来るはずの時刻になってるのに、まだ秋葉原駅ホームにも見えませんな。ATOS 表示は所定のまま。‥‥まさか、どこかで何かあって防護無線発報中*1なんてことは‥‥。

内回りの数分後に来ることになっていた北行は、無事に所定でやってきた。そのころ、内回りの電車も秋葉原駅にホームに入ってきたのが見えた。どうやら突発の事態で遅れていただけらしい。急病人救護?

とにかく北行で上野へ。〔水上 1〕号は地上 16 番ホームからの発車。階段を降り、13 番に停まっていた〔あけぼの〕がちょうど引き上げていくのを見送ったあと、中央改札前の売店で弁当を買って、ホームへ。

乗車券と特急券を出して中間改札を通過。‥‥なんか、乗車券と特急券に割り印のように入鋏された。なんだかなー。こんな扱いはないはずだし、要するに単なる手抜きだよな。

*1: 元々列車の防護措置は現場の外方 600m 地点の rail 上に信号雷管を取りつけることによって行なわれていたが、大都市部では列車の運転間隔が数分程度と短くなっている上に平走する線路が多いため、このような方法では防護措置が間に合わない。そのため、特定の電波を発することによって周辺の列車に異常を知らせ、これを受信した列車は非常停止する。この無線を「列車防護無線」といい、列車を安全な距離で停車させるため電波は 2km 程度飛ぶようになっていて、これが発報されている間は直接関係のない線区の列車も全て停車してしまう。安全確保のためにやむを得ない面もあるのだが、これが原因で混乱を来たすこともまれにある。以前、中央本線国立附近で複数の列車が防護無線を受信して停車したが、指令が運転士に問い合わせても現場附近で無線を発報している列車は見つからない。しばらく原因が判らなかったが、しばらくして、南武線谷保附近で発報された電波を受信してしまったものだと判明した。谷保駅と国立駅との距離は約 2km。


〔水上 1〕号 [旅行 / 列車]

どちらかがアレしたときのために*2塩兄には日曜に乗車券と特急券を引き渡してあった。で、発車の 10 分前に所定の席番へ着いてみると、塩兄が席にひっくりかえって「やあ」と片手を挙げていた。

先日乗車券を引き渡したときに「間に合う時間にはまだ bus が走ってないんですよね」とぼやいていた塩兄、何と 30 分以上前に着いていたらしい。

「Taxi で駅まで行こうと思ったんですが、taxi が捕まらない可能性も考えて歩いても間に合う時間に家を出たら、ちょうど taxi の空車が通りかかったので」
「それを捕まえて駅に出たら、その分早く着きすぎたと」
「そうなんですよ」
「あのへん、ただでさえ taxi 少なそうだもんなぁ」
「で、そんなに早く着いても当然やることがないので、この辺りをうろうろ見て歩いて時間を潰してました」
「むこうに停まってた〔あけぼの〕を見てはぁはぁしてたのか!」
「‥‥ああ、停まってましたね。あれ、〔あけぼの〕だったんですか」

詰めが甘いな。(謎)

まあ、そんなこんなで、〔水上 1〕号は定刻の 0720 時に発車。新前橋までは〔草津 1〕号と併結。そこまでは東京圏で(新幹線を除いて)特急列車として最長の 14 輛編成。それにしても、土曜とは言え、朝一番の列車はやっぱり空いてるな。つーか、近くまでは席が埋まらないということを期待して一番大きな番号を取ったんだが(禁煙の普通車指定席は 7 号車のみ)、それどころか、この車には我々の他に客がいません! 自由席もがらがらだったし、わざわざ指定を取ることなかったなぁ。

さらに車内放送で判明したことに、車内販売は〔草津 1〕号と分割されたあと、〔草津 1〕号の方にだけ乗務するらしい。つまり、〔水上 1〕号の方は全区間車販なし。むぅ。まあ、そんなこともあろうかと弁当は 2 個買ってあるし(朝食と昼食)、飲み物も多目に買っておいたんだが。

一方そのころ、尾久には先日まで山手線で活躍していたと見られる黄緑 6 号帯の 205 系(1 次車含む)が留置されていた。既に横サボの幕は撤去され、蛍光灯が見えている。しくしくしく。

その向こうに停まっているちょーひたちの奥には、12 系ハザと EF60 の編成が止まっていた。今日は〔EL&EF55 奥利根〕号が運転されるらしいので、その編成かしら。しかし、昔は新宿附近でしばしば見掛けた EF60 *3も、気付いてみれば貴重な存在*4に‥‥。

さらにその先には寝台特急用の編成が休憩中。‥‥あっ、マニとかマヤ 34 2004 もいます!!

大宮ではやはり黄緑 6 号帯の 205 系とか黄緑 6 号の 103 系とかが留置されていた。その奥には湘南色の 115 系のような何か、そのさらに奥には色あせた旧国と 301 系のような何かが。‥‥あそこって解体留置線? 架線、ないしな。しくしくしくっっ‥‥。

そんなこんなでびみょーにしょんぼりした空気を運びつつ、〔水上 1〕号は快調に‥‥快調に‥‥よく停まる(爆)。大宮まではそもそも普通列車もあまり停車駅がないし、その先もこまめに停車していく。

塩「よく停まりますな」
五「まあ、元々急行を無理やり特急に格上げしたものなんだけど、車輛が転換クロス*5の上に停車駅もあまり変わらないのに『特急』を名乗るのはいくらなんでもアレだってんで『新特急』なる不思議な category を新設して、『特急料金はびみょーに安くしておいたのでこれで乗りやがれコンチクショー!』‥‥て代物だしな」

この時設けられた「『新特急』料金」が現在の「B 特急料金」の元だったように記憶している。確認はしてないけど。

五「高崎線で国鉄特急型の走りを堪能したかったら、〔ムーンライトえちご〕に乗るべし。俺は 165 の頃しか乗ってないけど、すごかったぞ。大宮→高崎間を全力疾走」
塩「ほほう」

まあでも、なんだかんだ言っても、国鉄型の車輛の走りってのは乗ってて安心感があるね。

弁当喰ったりぐったりしたりしているうちに、高崎に到着。‥‥あっ、上り方に旧形客車が!! T_T

左に信越線が別れていくのを見送ってさらに北上。新前橋に到着。分割作業ののち、前に繋がっている〔草津 1〕号が先に発車。その間にホームで飲み物を買い足してみたり。

新前橋を出ると、急に山が迫ってくる。線路も結構な上り勾配に。蒸気機関車の時代は「ここからが一勝負!」というところだったろう。関東平野の北辺に位置する新前橋が基地になったのも頷ける。

時刻表の上ではほぼ各駅毎に停まっているようだが、そもそも駅間が突然長くなるので、今までと同じ pace でぐいぐい登っていく。互換の構内(下り方の東側)にはかつて D51 が静態保存されていたのだが、辛うじて痕跡らしきものは見られるものの、それもほとんど判らなくなっていた。その D51 はと言えば‥‥そう、本線上に復活した D51 498 だ。

やがて利根川の流れを眼下に見るようになると、その両岸に旅館が現われる。程なく終着の水上に到着。

*2: 特急券を渡してあると、〔水上 1〕号の発車時刻である 0720 時までに乗変すれば、差額のみで上越新幹線を使って追い付くことができる。

*3: 原形となっているだけあって後継の EF65(基本番台や 500 番台の一般色)と外観も塗色もよく似ているが、側面に大きな窓があり、正面の前照灯(前部標識灯)も中央に大きな白熱灯が 1 灯だけなので、容易に判別できた。ちなみに、現在 JR 東で唯一健在の車輛は白地に青と赤の細い帯が入った塗色に変更されている。

*4: 2003 年度末時点で、JR 東と JR 西にそれぞれ 1 輛づつが在籍。

*5: 185 系の登場当初は、deck こそあるものの、座席は転換クロス(リクライニングしない。関西の「新快速」と同じもの)だわ、窓は開くわと、おおよそ特急車輛らしからぬ仕様だった。それも当然で、最初から間合い運用で普通列車に使用することを前提としていたし(新車投入費用が抑制された弊害だろう)、なんといっても原形になったのは現在も関西や名古屋圏で活躍を続けている 117 系。言ってみれば 117 系の 100 番台車(一段下降窓)に deck を設けて特急マークをつけたようなもの。草津線あたりで緑帯の 117 系を見て「登場時の 185 200 みたい」と思うのは実は気のせいでも何でもなかったりする。ちなみに、現在は reclining seat に換装のうえ塗色も変更されている。


上越国境越え [旅行 / 列車]

跨線橋を渡って隣のホームへ。待っていたのは新潟色(緑)の 115 系 3+2 連。

← 長岡水上 →
(クモハ 115-1061][モハ 114-1087][クハ 115-1061)(クモハ 115-1535][クモハ 114-1506)

クモハ 114 は短編成化のためにモハ 114 を先頭車化改造した形式。1500 代は国鉄末期以後モハ 114 1000 から改造されたもの。ちなみに、クモハ 115 は元々あった形式だが、1500 代はやはり国鉄末期以後モハ 115 1000 から改造されたもの。つまり、2 連の方はどちらも先頭車化改造を受けた車輛だが、JR 西のように片手間の不格好な改造をしなかったため、新製時から先頭車として落成した車輛と並べて見ても全く違和感はない。

車内へ入ってみると、3 連の方はモケットが更新されていた。一方、2 連のほうは未更新。新潟地区では未更新車のほうがかえって珍しいので、2 連のほうに落ち着いてみる。

水上を出ると、沿線の山肌には桜がちらほら。さすがに標高が高くなってきたことを感じる。

利根川を渡り、程なく湯檜曾。‥‥あれ、下りホームって前から完全に新清水 T の中にあったっけ? 昼間に通るのは 15 年ぶりくらいだから、すっかり忘れてる‥‥。

そして、かの有名な土合に停車。ここも、以前に来たときはまだ駅員がいた。20 分以上も前から駅にいたにも関わらず下り列車の発車 5 分前に「土樽まで」と切符を買おうとして「もう改札は締め切りました」と追い返された*6 couple 連れを駅舎のところで目撃したのも、今は昔。一応下りホームまでの所要時間は「約 10 分」ということになっているが、人によっては当然もっとかかるし、早めに来た人や tunnel 風を避ける人のためにか、ホームにも待合室がある。

土合を発車すると、ひたすら新清水 T を突っ走る。車窓はさすがに真っ暗だし、時々軌道の関係か走行音の質が変化するが、基本的には真っ暗な中をひたすら駆け抜けていくだけ。峠越えなので当然 T 内にも勾配はあるのだが、機関車牽引の列車が平然と通過していくくらいなので、115 系には苦にもならない。線形もほぼ真っ直ぐで、しばらく変化のない状況が続く。‥‥関西方面の人には、「北神急行に乗っているよう」と言えば解ってもらえるかも? (^^;

*6: 上り線は単線時代の本線で、ホームは地上にあり、駅舎も地上ホームに併設されている。この上り線は tunnel の掘削距離を短縮するために両端で loop 線を使って高度を稼いでいるのだが、のちに掘削された新清水 T は掘削技術の進歩もあって loop 線の外方から一気に谷川岳を抜いている。下りホームはこの新清水 T の中にあり、駅舎とは連絡通路(駅舎前を通っている道路を跨いでいる)と 486 段の階段(連絡通路の駅舎寄りに 24 段、連絡通路とホームの間に 462 段)で結ばれている。このため、有人の頃は下り列車については発車の 10 分前に改札が締め切られることで知られており、このことは時刻表にも注意書があった。現在は無人化されていて改札自体が行なわれていないため、「土合駅は下りホームまで約 10 分かかります。」という注意書に変わっている。ちなみに、駅舎とホームの標高差は 70.7m。階段の脇には謎の slope があるが、ここは escalator を設置しようとした痕跡らしい。あまりにも階段が長いので escalator を設置する予定にはなったものの、そもそもこの駅は(単線だった蒸気機関車時代に山越えの基地だったことを除けば)谷川岳登山の玄関口として機能していたため、「これから登山をしようてえ人間に escalator が要るんか?」という話になって中止されたという説が (^^;


新潟県突入 [旅行 / 列車]

国境の長いトンネルを抜けると、そこはまだびみょうに雪国であった。「真っ白」とは言わないが、景色があちこち白いぞ‥‥ (-_-;

左に殉職碑と慰霊碑を見つつ、土樽に到着。日当たりの悪い場所を中心に、数十 cm 程度の深さの雪がまだけっこう残っている。

土樽を出ると、日当たりの悪い場所が多いのか、かえって車窓が白くなってきた。しかし、人家が見え始めると、雪をどけて積み上げたところが溶け残っているほか、雪はなくなってきた。越後中里附近ではいろいろな桜が一気に満開。実にきれい。晴れてれば、もっときれいだったんだろうけどなぁ。

越後中里を発車した直後、広場の向こうに「青地に太い白帯」という快速〔海峡〕用 50 系を髣髴とさせる塗色となった旧形客車が何輛も連結されているのが見えた。どうも 6 連× 4 本が「無料休憩所」として置かれているらしい。塗装はさすがにあちこち剥げているが、かなりの年数が経過していると思われる割には状態は結構よさそうだ(遠目なのでよく判らないだけかもしれないが)。目の前にあるゲレンデの休憩所として使われているらしいので、season には喜ばれているのではないだろうか。保存用として引き取られたはいいがろくに手入れもされずに鉄屑と化していった車輛たちが多い中で、彼らは明らかに幸せな部類に入るだろう。どうか末長く sky 客に親しまれ続けて欲しい。

越後湯沢に近づくと、残雪もだんだん減ってきた。それと引き換えに様々な花が目を楽しませてくれるようになる。

越後湯沢に到着。隣には SRE な〔はくたか〕が停車していた。ここでしばらく停車する*7ので、駅前に出てみることにする。

西口に出てみると、ロータリーの向こうの民家の裏に大きな山桜の樹が。折しも満開。写真を撮りに行ってみる。‥‥うーん、晴れてれば、すごく美しかったろうになあ。日差しがないこともあって、曇天を背景に撮ると逆光気味で、直接目で見た感じとは全然違う。

特急と普通の 2 本を先に出し、再び北上を開始。小出に近づくと、だんだん晴れ間が出てきた。時々頭上に青空さえ拡がり始める。桜を始めとして、沿線で咲き乱れる花が美しい。

*7: 北越急行に直通する金沢行〔はくたか〕号と直江津行普通列車に接続し、それらの列車をあとから追い掛けて発車する。



2005/05/06 (金)


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