v 書きかけの歳時記 - 2004/11c Diary
「書きかけの歳時記」
2004/11版 その3

(since '05.04.25)

この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。

取扱上の注意

[前日へ続く]

2004/11/21 (日)


2004/11/22 (月)


2004/11/23 (火)


2004/11/24 (水)


2004/11/25 (木)


2004/11/26 (金)


2004/11/27 (土) 晴 <長旅の末の出区回送>

なんつーか

相変わらず腰の状態は予断を許さないのだが、このところ各方面から「日記が更新されてませんよ?」「1 ヶ月以上更新されてませんよ?」「腰が悪いか忙しいんだろうとは思ってたんですが、更新されてませんよ?」「巡回 route に入ってるのに、見に行っても更新されてませんが #-.-)」とツッコミを受けまくったので、ちょとづつリハビリ‥‥。

上記の最後の comment を寄せてくれた匿名希望のNakamiさんからは「『コメント』をつけられないので stress が溜まります #^^)」とのお言葉もいただきましたが、まあぶっちゃけ blog ではないので。ご意見・ご感想・不平・不満・愚痴等々は mail または link で、ということにてひとつ。いただいた mail は随時 ネタにさせていただきます 取り上げますです。

前回からのあらすじ

そのうちボチボチ書いていきます。ネタはないわけではないが、もはやそれが何日にあったかまでは覚えてないので、まあ、思い出したときにてきとーに書いていく方向で。

旅行方面

先月、大阪で BSDCon があった。砂原先生が喋るというので是非行きたかったんだが、諸般の事情*1とか、大人の事情*2とか、他人には言えない理由*3とかで、結局行くのをやめてしまった(Announce を目にしたののがすでに開催から 1 ヶ月を切ってからだったので、手配をする気にならなかった、というのも大きい)。で、その当日はアキバへ出かけて買い物をしていたのだが、秋月で kit を物色していたところ、結構大きな揺れが。慌てて買い物を済ませ、近くのテクノハウス東映へ駆け込んで TV の速報を待っていたら‥‥震源は小千谷付近のごく浅く、最大震度は 6 強‥‥。「新潟県中越地震」であった。

当初は現地の情報網が混乱したり途絶したりで情報がなかなか伝わってこなかったが、時間が過ぎるにつれ次第に被害のすさまじさが露になってきた。規模のわりには死者が少なかったのは不幸中の幸いだろう。時間帯が微妙に peak からずれていたせいか、大きな火災が発生しなかったことも被害をむやみに拡大しなかった要因に違いない。とはいえ、現に亡くなった方もあり、また命に別状がなかった方々も生活の再建までには程遠い現状を見るにつけ、胸が痛む。心からお見舞いを申し上げたい。被害に逢われた方にはなんの足しにもならないことはわかっているのだが。

主要な道路はしばらくして緊急車両が通行できる程度に復旧し、鉄道も北越急行と上越線の越後湯沢〜六日町間を皮切りに飯山線の森宮野原〜十日町間も運転を再開。2 週間ほど前には bus 代行を続けていた上越線の六日町〜小出間に続いて只見線の小出〜只見間も運転再開(只見線は 11/20。これで只見線は全通)。11/29 には信越線最後の普通区間であった柏崎〜長岡間も 45km/h 制限ではあるものの運転を再開。徐々に地域の足も復旧しつつある。地震の直後から影響のなかった新潟空港は陸路が全滅している間の人や救援物資の輸送に活躍し、被災地区の完全な孤立化を防ぐのに非常に大きな力となった。しかし、現在でも上越線の只見〜宮内間と飯山線の越後川口〜十日町間は復旧の目処が立たず*4、また生活道路も多くの個所で依然として寸断されたままだ。土砂崩壊によって発生した天然ダムに溜まった水で水没した山古志村の家屋の映像は記憶に新しい。一部の家屋は土砂の崩壊で変わった川の流れが建物内を通過するようになってしまったため、洪水の発生を防止するため、県が建物を買い取った上で撤去される羽目になってしまった。立派な家屋だったし、また多くの思い出が詰まっていたであろう。自然災害が相手であるとはいえ、自宅を取り壊されてしまう悲しみは如何ばかりのものか、想像することすらできない。川口町のある地域では、復旧の目処が立たないため、集落ごと放棄し、他地域への移転を決めたという。住み慣れた土地を意思に反して離れざるを得ない心情は‥‥。せめて、旧来の生活を一日でも早く取り戻すことを祈ってやまない。

新幹線も営業列車として初の脱線事故*5が発生して大騒ぎとなったが、この件はまた改めて。

そういったこともあり、夏に長崎に行って以来、全く旅行に出かけていない。

ながたび

久々にわりと遠出することになったので、いつもと違った経路を採ってみた。

目的地は南武線の南多摩。いつもだと中央線から西部多摩川線に乗り継いで是政で降り、是政橋を渡って行く。が、たまには変わった行き方をしようと思い、今回はまず自転車で錦糸町へ向かった。

錦糸町から総武本線で東京へ。降りてみると、同じホームの向かい側に潮騒として到着したと思われる回送列車が。189 系が混じっておらず、表示器も LED 化されていない、純然たる国鉄色の 183 系 6 連。思わず写真を撮りまくる。もはやこの姿も来年秋には見納め‥‥。

B1F の改札階へ。京葉線とはこの階で乗り換えられたはず‥‥と思っていたのだが、連絡通路は改札外にしかないのであった。使えん。諦めて中央コンコースへ。

例によって延々と歩いて京葉線ホームへ。普通に歩いていると、総武地下ホームと京葉地下ホームとは 10 分では乗り換えられないということが良く判った。ともあれ、ちょうど 2 分後に武蔵野快速が。乗り込む。

205 系なんだけど、走り出してみると、音が変。‥‥よくよく考えてみると、VVVF 化されているのであった(205 5000)。‥‥どうせなら、103 系が良かったなー(爆)

新木場手前の橋の上からは、富士山が見えた。思わず激写。‥‥あんまり良く写っていなかった。

新木場発車直後に京葉線用の 201 系(青 22 号)とすれちがってよだれをたらす。いーなー。それにしても、東京発車場面では結構がらがらだったんだが、新木場からは結構混むのね。

新浦安で海浜幕張行の普通と接続。若干乗客が入れ替わる。

西船橋で数分停車。ここでまた結構入れ替わる。

新松戸でまた車内はがらがら風味。西船橋〜新松戸間はもし都心を迂回すると結構な時間がかかるので、by-pass route として重宝されているのだろう。総武線と常磐線のどちらも快速が停車しないのがアレだが、千葉方面と柏方面との移動であれば、それなりに利用価値はある。昔と違って運転間隔も狭いし*6

新三郷は以前上りと下りのホームがとんでもなく離れている*7ことで知られていたのだが、今回通って隣り合わせになっているのにちょっとびっくり。‥‥そういえば、移設したんだっけ。

新越谷と南浦和でやや混んでくる。中曽根首相(当時)の鶴の一声で不便な構造にされてしまった武蔵浦和では、そうでもなかった。

新座の発車 melody が「鉄腕アトム」でややびっくり。‥‥何か関連あったっけ?

やがて地下区間を爆走して、西国分寺着。さらに T 芝の工場を右に見つつ、終着の府中本町へ。

ホームから改札前のコンコースに上がり、時刻表を確認すると、2 分の接続でちょうど南武線の列車が来る。早速 escalator を降りると‥‥「南武線川崎方面行は通路の先の階段下です」と掲示が。‥‥なにおう。

そんなわけで、小走りに通路を走る。危ないと思われるかもしれないが、すでに列車が入ってくる音が聞こえるせいもあって周りもみんな爆走しているので、のんびり歩いているとかえって危なかったりする (__;。50m ほど通路を走って escalator を降りると、ちょうど扉が開くところであった。‥‥この乗り換えは、どーなんだ?

まあ無事に乗り込んで、発車。多摩川を鉄橋で渡り、多摩丘陵の山に押し出されるようにして左に curve してちょっと行くと、南多摩。東京駅を発車してから実に 2 時間かかっていた。

立川方面に数分歩いて戻り、車を借りる。早速発車。多摩沿線道路へ入り、ひたすら川崎を目指す。途中何カ所かの橋の手前で渋滞があったが、およそ 1 時間で川崎へ到着。

客先へ行って、自宅で作業した source を commit。その足でヨドバシカメラアウトレット京急川崎へ。10 日ほど前に購入し、保管をお願いしてあった MFC-3820JN(Brother)を受け取る。

駐車場を出たあと、うっかり京急の高架沿いに北上してしまって、第一京浜に真っ直ぐ出られなくなってしまった*8。仕方がないのでぐるっと回って元に戻ろうかと思ったのだが、ふと気づくと第二京浜まで目と鼻の先。こうなるとわざわざ第一京浜まで戻るのは馬鹿馬鹿しいので、第二京浜経由で帰ることにする。国道 1 号を赤羽橋まで走り、赤羽橋から都道 301 号(愛宕通り・祝田通り・内堀通り)へ入り、二重橋前交差点で右折。京葉線東京駅の上を通過して、鍛治橋通り・昭和通り・江戸通り・京葉道路・清澄通りを経由して自宅前へ。約 1 時間。

一旦部屋へ荷物を置きがてら配達記録郵便の不在票を取りに行き、再び車に。本所郵便局で受取り、自宅近くの coin parking に車を入れ、今日の運用は終了。0037 時。

*1: 腰の状態が悪かった。今もだが。

*2: 仕事がわりと忙しい。今は落ち着いている風味。

*3: 金がなかった。いつもだが。

*4: 上越線は隣を走っていた国道諸共かなりの長さにわたって路盤が流出し、新たな構造物を設置することなしに復旧は難しいと思われる。また、後に震度 7 を観測していたことが判明した川口町にある越後川口駅は、地下通路が完全に使用不能になった映像が報道されている。

*5: わざわざ「営業列車として初の」と前置きするのは、非営業列車では以前に事例があるから。73 年 2 月 21 日に東海道新幹線大阪運転所(大阪第一運転所、通称「鳥飼基地」)で出区しようとした回送列車が分岐器に乗り上げて脱線した(この事故は参議院の交通安全対策特別委員会でも取り上げられている)のをはじめ、JR 化後の 97 年 5 月 6 日には山陽新幹線岡山運転所構内で車止めを冒進して脱線している(その事故に関する TASK の要望書)。ちなみに、国鉄時代は営業列車については完全な「無事故」を維持していたと記憶しているが(自殺については不明)、JR 化後に三島駅で初の人身事故を起こしている。また、いわゆる「山形新幹線」も踏切事故を起こしているが、あれは新幹線ではないので以下略。予断だが、この項で例に出した「TASK」(鉄道安全推進会議)は、信楽高原鐵道事故の遺族らが中心となって設立された NPO。

*6: 私の小さな頃は完全に貨物が優勢で、1 時間に 2〜3 本しか列車がなかった。まぁ、元々貨物線だし。

*7: 貨物ターミナルのヤードを挟んだ外側に本線があり、当初はその本線上にホームが設けられた。現在、ヤードは撤去され、ヤードの南端を走っていた上り線は、同じく北端を走っている下り線の隣に移設された。ヤードの跡地は現在再開発中。

*8: 元々ヨドバシ京急川崎から国道 15 号方面へはすんなり出られる道がないのだが‥‥。


2004/11/28 (日) 晴 <歌会>

あさっ

予定通り 830 時頃起きる。一旦車を coin parking から出庫して自宅前へ回送。そのあとで風呂に入ったり、荷物をまとめたり。

宮前平へ向かう前にまずは普段車なしで運ぶのが大変な大物を買いに行かねばならない。目星はすでに着けてある。というわけで、0930 時に出発。目的地は猿江の島忠。そのままだと当然開店の 10 時よりも早く着いてしまうので、時間調整がてら亀戸駅北口の松屋で飯を食い、錦糸町駅南口の 24h 営業な GS で給油。

1015 時頃島忠に着いてみれば、すでに駐車場はほぼ一杯。幸い EV の近くに空きを見つけたので、車を停めて店内へ。

そんなわけで、closet用の衣装 case やら、カラーボックスやら、エレクターの部材(特に 1.5〜2m の長物)をいろいろ買い込む。そのまま cart に荷物を積んで駐車場へ。

駐車場へ上がったところで、背後から突然声をかけられる。

「あのー、ライフの通用口ってどこですか?」

あまりにも唐突な物言いだったので、最初はだれかほかの人に話しかけているのかと思ったのだが、だれからも返答がないし、そもそも周りには私しかいないようだ。足を停めて振り返ってみれば、案の定目があった。同年代と思われる女性だ。

EV 内の表示で、この階に「ライフ通用口」があるらしいことは気づいていた。が、実際の場所は知らない。島忠とライフの敷地は隣り合っているのだが(北隣にライフがある)、少なくとも外観上建物が直接つながっていた記憶はない(島忠の建物はライフの建物よりちょうど一段奥にある)。ともあれ北側を見てみると、そこには H 500 × W 1500 くらいの大きなライフの看板が。

「あれじゃないんですか?」と指さすと、「どれ?」と怪訝そうかつ剣呑に聞き返してくる。いい加減うんざりしつつ「あの突き当たりにライフの看板が見えてるでしょう」というと、ようやく気づいたのか「あー‥‥」とか言いながらそのまま行ってしまった。‥‥通りすがりの赤の他人に無礼極まり無い態度でものを訊いておいて、ほかに言うことはないのか。ろくでもねぇオバハンぶりだな。自分が粗忽なのを棚に上げて見ず知らずの人間に当たり散らすんじゃねえよ。きっと親もああなんだろうな。そして子供はあれに輪をかけていることだろう。

ともあれ、車まで荷物を運んでいき、荷台に積み込む。この車、いわゆる軽ワゴン車なんだが、後部 seat を畳むと full-flat になり、1900mm 程度までの長さのものなら真っ直ぐ積める。斜めにすれば 2000mm でも大丈夫。一旦組んだらばらせないことの多い木製の本棚なんかも一度に 4 本くらい積める、買い物や引っ越しの力強い見方だ*1 :-D

自宅に戻り、荷物の積み替えを行う。とりあえず買ってきた荷物を家の中に突っ込み、代わりに歌会用の荷物を車へ。

*1: 前回の引っ越しの際にはすべてこの車と台車だけで荷物を運んだ。

ML 15 周年記念歌会

別に「〔ムーンライト〕運転開始 15 周年記念鉄ネタ限定カラオケ大会」というわけではなくて。

ほぼ所定の 1115 時に発車。所要時間は 90 分程度を見込んでみた。

まずは清澄通りへ出る。海岸通りへ抜ける予定なので、このまま南下して森下から新大橋通りを走っていこうかともふと思ったのだが(通行量はそちらの方が少なそう)、やはり日本橋〜新橋間の連続 under pass の魅力には勝てず、当初の予定通り両国橋→浅草橋交差点→江戸通り→本町交差点→中央通りと走っていく。途中江戸橋の手前で若干渋滞するが、ここはいつも混むので、折り込み済。

江戸橋を渡り、連続 under pass を快調に走っていく。都心では珍しい、地下鉄よりも車の方が早い区間だ。あとは終点で左に曲がって海岸通りに入るだけなんだが、久々に走ったせいで勘が鈍り、少し早めに under pass から出てしまった。側道に出てしまえば、この道はほかの道以上に直進に時間がかかる。新橋交差点手前では楽ができた*2が、10 分以上は loss してしまった。

海岸通りに入ると、何やら沿道が物々しい。怪訝に思っていると、程なく外交官 number の車の大群と遭遇。‥‥だれか偉い人でも来てたっけ? ところで、それ自体はどうでもいいのだが、警備の都合か中央寄りの車線を走り、かつ(普段左 handle 車を運転しているのか)左側の車線に完全にはみ出して走るのには参った。片側 3 車線の道路の右側 2 車線を使ってそんな走り方をするものだから、事実上道路を専有されてしまい、変に混んでしまっている。むぅ。

それでもなんとか軽の車幅を活用してかわしつつ南下。当初の予定では潮路橋から旧海岸通りに入り、札の辻橋を渡って札の辻交差点を直進、三田 2 で国道 1 号へ進むつもりだったのだが、間違えて手前で曲がってしまった。南浜橋を渡り、芝浦 1 で左折すれば recovery できたのだがそこも曲がり損ねてしまった。仕方がないので、芝 4 で 15 号を左折*3。札の辻は右折禁止なのでそのまま泉岳寺まで走り、魚籃坂を通って、魚籃坂下で左折。ようやく当初予定の route へ。途中の道はわりと空いていて順調に走れた*4ので、どの程度の loss になったかは微妙なところ。

清正公前で目黒通りへ。権之助坂でちょっとした渋滞があったが、順調に走る。わりとあっという間に多摩川への坂を下る。等々力不動前交差点以南は絶賛拡幅中。‥‥しかし、こんなところを 4 車線道路にしても、意味あるのかしらん。上り方は効果があるかもしれないが、下り方は行き着く先が多摩堤通り*5なので、ここだけ拡げても仕方ないような気がするが‥‥。

多摩堤通りへ入って、ひたすら西へ。二子玉川で左折して二子橋を渡る。二子橋南詰でちょっとした渋滞があったが、平日や混雑時間帯に比べれば遥かに空いているんだろう。

二子橋交差点で右折。新二子橋南詰から 246 へ。極めて順調。梶ヶ谷手前でやや混んでいるが、これはまあいつものこと。

梶ヶ谷で右折、すぐの二股を左へ。本当は宮崎団地前交差点で直進できれば short cut になるのだが、そちらへの進行は禁止されているので、道なりに坂を下る。田園都市線をくぐって最初の大きな T 字(「長坂下」)を右折、再び田園都市線をくぐり、道なりに走って程なく宮前区役所着。実所要時間は 75 分程度。途中の loss がなければ、60 分くらいで着いていただろう。鉄道利用と比べても遜色ない早さだ。しかも、荷物をえっこら運ぶ必要もないし、駅前からの地獄の急坂を登る必要もないし、何と言っても「long seat に延々と座らされる」という苦行*6も味わわずに済むのが、すばらしい。

地上に停めようと思ったらなんと一杯だったので、地下 1 F に車を停め、台車に荷物を積み替えて 2F の視聴覚室へ。楽器隊は絶賛練習中。‥‥ぐあ、せっかく荷物の量に制限がないのに、三脚を持ってくるのを忘れた‥‥。仕方がないので、locker の上に camera を仕込む。‥‥とうさつ(← なぜか変換できない*7)ではありませんよ‥‥?

昼食に行っていた member も戻ってきた。始まる前に城田さんと怪しい取引を済ませる。いよいよ始めようという頃、だれかに歌詞を見せてもらおうと思ったら、以外に大事になってしまい、慌てて projector を setup (^^;。開始が 20 分ほどずれ込んだが、おかげで安心して歌えましたよ m(__)m。それにしても、5.3-RELEASE + X.Org で外部 monitor に映像を出力できないのはなぜだろう。acpi_video(4) がうまく動いてない雰囲気がプンプンする*8んだが‥‥。

まあとにかく、よっこさんの選んだ曲が(選んだ本人を含めて)だれも歌えなかったりして没になったり (^^; しつつも、アンコール(!)を含めて合計 42 曲歌いまくり。たんのーしました :-)。楽器隊のみなさん、本当にお疲れ様でした m(__)m

二次会は駅近くの居酒屋。それが終わる頃には屋内駐車場が閉まってしまうので、荷物を積み込んだあと、車を地上の駐車場に移動。駅付近にはあまり車を停められないとのことで、徒歩で店に向かう。店に着いてみれば、目の前に coin parking があったのだが、まあ、区役所に停めておくぶんには無料だし。あと、話によると、駅付近では車上荒らしが結構深刻らしいですよ?

そんなわけで、地鶏の網焼きと鍋をたんのーしまくる。席の関係で、鍋はNakamiさん仕切りだったんだが‥‥自分で制御しなくていい鍋がこんなに楽だとは‥‥!(爆) ‥‥そういえば、ずいぶん永いことしゃぶってないぞ。長崎への出発直前にしゃぶって以来か‥‥。

たんのーしまくり、二次会の延長戦に突入する人々を放置 (^^; して、離脱。列車班と改札前で別れ、我々は区役所へ戻る。うぅ、地獄の坂‥‥。

とんとんさんに見送られつつ m(__)m、家路へ。乗客は岡松さん・よっこさん・Nakamiさん(降車順)。乗車率は 100%‥‥だが、車内 space は 40%ほど空いている。まあ、何と言うか。

駅前は通過せず、宮崎団地前交差点まで short cut。交差点手前は急な登り坂。こちらへの(直進での)進入が禁止されているのは、この坂のせいもあったりするんじゃないかなーとか思ってみる。

車内の BGM はご要望にお答えして(?)MOTER MAN。ともあれ、梶ヶ谷で 246 へ。行きと同様、新二子橋は渡らず、多摩沿線道路へ。本当はこのままガス橋まで行く予定だったのだが、うっかり二子橋を渡ってしまい (__;、多摩堤通りを下流へ。

「この先は真っ直ぐガス橋の袂へ行かれたかどうか判らない*9」ということなので、中原街道を経由して環八通りへ。‥‥うぅ、イヤな area だ*10‥‥。

指示に従って「多摩堤通り方面」に右折。3 つめの信号で左折。‥‥ここもまた「多摩堤通り」ですか? 不思議な routing*11‥‥。

そんなわけで、大田区某所にて岡松さんが降車。お疲れー。我々は第二京浜を北上したあと環七通りを南へ*12。車内では「山手線 Loop Complete!」が。聴いていた女性陣は「聞き慣れた melody と 中途半端に似てて気持悪いぞ‥‥! 微妙に違うのでいらいらする」とご不満の様子。はっはっはっ。

それはともかく、東海道線を越えてしばらく走り、これまた大田区某所でよっこさんが降車。お疲れー。

第一京浜に出て、北上。ここから先は走り慣れた道だ。山手通りを右折し、天王洲アイルで海岸通りへ。昭和通り→江戸通りと走っていく。このまま 6 号を北上していってもいいのだが、浅草駅周辺は taxi が多くていやだし、帰りにちょっと大きなものを買うかの知れなかったので、一旦家によって荷物を下ろしてしまう。どうせほぼ通り道だし。というわけで、浅草橋交差点で右折、ごく一部で非常に有名な緑 1 で清澄通りへ。

荷物を下ろしたあと、三つ目通りへ‥‥向かう途中で落し物に気が付いたので一旦戻る。無事に回収し、改めて三つ目通りへ。北上し、言問橋東詰での国道 6 号*13が合流してきて水戸街道に。深夜で車も少なく、信号の timing もいいので、快調に走っていく。

都県境を越え、松戸付近に来ると信号すらない (^^;。おかげで距離のわりにはかなりすんなり柏へ。家の前でNakamiさんを降ろす。お疲れー。

目の前にあった駐車場に入らせてもらって m(__)m、U turn。やや東京寄りに戻ったところにあるドンキに立ち寄ってお買い物。‥‥なんか、不思議な構造の建物だな。店内もなんか不思議。‥‥いや、ドンキの店内はそもそもたいがい不思議なんだが、ここは同じ floor にドンキとは関係のない店舗(本屋とかゲーセンとか)が同居している関係で、一種独特の雰囲気。

当初見込んでいたほど大きな買い物は結局しなかったが、わりといい感じの商品を見つけて、購入。自転車では運べないからなー。結局、両手でようやく抱えられる程度の買い物になったのだが(← 着ぐるみを買ったわけではありませんよ?)、レジに持っていくと、「お車ですか?」と確認した上で、「お車までお持ちしましょうか?」。すばらしい!! ほかのドンキでこんなことを言われたことはもちろんありませんよ? 是非もなくお願いすると、会計を済ませる間に店内放送でほかの店員さんを呼び出し*14、支払いを終えると同時に、やってきた店員さんが一緒に運んでくださった。ありがとう m(__)m

再び一路自宅を目指す。帰りは新四ッ木橋を渡っていこうかとも思ったのだが(橋の幅はあちらが本線かと思えるほど新四ッ木橋のほうが広い)、橋を降りてからの道が今一つだし、その道も業平橋駅北方という微妙な場所に出されてしまうので、素直に四ッ木橋を通っていく。

水戸街道から三つ目通りへなだれ込み、蔵前橋通り→清澄通りと通って自宅前へ。0130 時。‥‥買い物をしていた時間を引くと、柏から実質 30 分程度で着いてしまったような気もするが、気にしたら敗けです (^^;。荷物を降ろし、近くの coin parking へ入庫。これで本日の仕業は終了。

*2: Under pass を直進してきて海岸通りへ入る場合、側道や左の道から合流してくる車と動線が交錯するため(車線を 2 本乗り越えなければならない)、混んでいる場合は一番左の車線(常時左折可)に入るのに少々苦労することがある。もっとも、今朝は日曜だけあって空いていたので(ぶっちゃけ側道も交差道路もがらがらだった)、さして苦労しなかったはず。

*3: ここで直進すればそれはそれでなんとか recovery できたんだが、何となく曲がってしまった。

*4: Recovery のために地図を確認するのもままならないほどには順調だった (^^;

*5: 2 車線道路。いわゆる「土手上道路」なので、拡幅のしようもない。

*6: 腰の状態が悪いので、加減速の多い列車に 30 分も乗っていると、てきめんに腰が痛くなる。

*7: ほんとに変換できなかった(Wnn7)。なぜ?

*8: Fn key での操作は効かないし、sysctl(8)sysctl hw.acpi.video.*.active を書き換えることもできなかった。ちなみに、5.2-RELEASE + XFree86 のときは切り替えが効いていた。

*9: 帰ってから地図を確認してみたら、多摩堤通り自体は丸子橋北詰を過ぎると土手から離れ、沼部駅構内で東急の線路を渡ったあと、線路に沿って蒲田方面に進み、下丸子駅付近(「区民プラザ前」交差点)で環八に合流していた。Short cut にはなったろうが、多摩堤通りのような道路は事実上交差道路がなく信号も少ないから通る merit があるのであって、道幅が狭い上に住宅街の中を抜けていくという状況は、走りやすさの上でも所要時間の面でもあまり merit はなさそう。ちなみに、土手上の道路は一応地図で見る上では繋がっていそうだが、非常に幅が狭そうだし、抜けられるかどうかたしかに疑わしい。

*10: 付近に昔の客先(散々辛酸をなめさせられた (-.-;)があった関係で、このあたりには何度か来たことがある。

*11: 我々が右折した信号が「千鳥 3」で、その手前が「区民プラザ前」。「区民プラザ前」で環八と合流した多摩堤通りは、1 つ東の「千鳥 3」で再び環八と別れ、我々が曲がった「下丸子」交差点で左折、住宅街の中を東に進み、第二京浜と環八通りを横切ったあと蓮沼駅構内を通過、蒲田駅北方を通って京急蒲田駅のすぐ北で第一京浜にぶつかって終わっている。

*12: あとで地図をみたら、池上通りを抜けていった方が良さそうであった。

*13: 「江戸通り」として北上してきた国道 6 号は、言問橋西詰(言問通りの終点)で右折して言問橋を渡ったあと、言問橋東詰で左折すると同時に「水戸街道」と名称が変わる。ちなみに、国道 6 号の起点は日本橋(日本橋〜室町 3〜本町 3 は 4 号と重複)だが、江戸通りの起点は総武本線にほぼ沿って南下した永代通りとの交差点(「丸の内」交差点からガードを挟んだ反対側)。

*14: 放送の内容は「定型文」のようなもので、かつすぐに店員さんがやってきたので、わりといつものことなのかも。すばらしすぎ T_T


2004/11/29 (月) 晴 <返却回送>

あさ

予定通り 0900 時頃起きる。一旦車を coin parking から出庫して自宅前へ回送。そのあとで風呂に入って、支度。

返却回送

1040 時付近に発車。行き先は南多摩。これまでは蔵前橋通り→壱岐坂→牛天神下→大曲→目白通り→新目白通り→山手通りの経路か、もしくは京葉道路→靖国通り→目白通り→大久保通り→抜弁天通り→都庁付近と抜けて甲州街道に向かうことが多かったのだが、今回はふと思い立って別の経路で行ってみることにする。

まずは蔵前橋を渡り、江戸通りを南下。新橋を廻っていくか日比谷を抜けていくか悩んだんだが、日比谷の under pass の効果を確認すべく、三原橋で曲がって日比谷へ向かう。

‥‥11 時付近でも、すでに日比谷はやっぱり混んでるな。これなら次回は新橋を抜けていった方が良さそう。数寄屋橋の手前からは地下道の存在もあって結構速いんだが、そこまでが詰まっているので意味があまりない。三原橋で曲がるために途中で側道へ出てしまうから、昭和通りの連続立交のご利益も半減。

新宿通りはそこそこ順調。しかし、新宿御苑 T の中ほどから新宿 4 交差点(明治通りとの交差点)までが全然動かない。まあ、ここについては最初から諦めてるんだが。ただでさえ 13 号線建設工事と新宿駅南口の陸橋かけ替え工事でぐちゃぐちゃだし、ほかの道に逃げてもどこかで詰まるし。もし逃げるなら、外苑西通り→靖国通り→明治通り→新宿高校グラウンド北側と廻るか、いっそ四ッ谷から権田原へ抜けて神宮外苑→千駄ヶ谷駅前→代々木駅前→代々木 3 と抜けていくかだな。でも、あっちも権田原の手前で混むんだよな‥‥。

新宿を抜けてからは取り立てて渋滞もなく、西へひた走る。極めて順調に調布大前にたどり着き、鶴川街道へ入る。多摩川原橋の手前からはいつも通りの渋滞。これも橋の拡幅工事が終わるまではどうしようもない。国道 20 号との交差点から橋の北詰までは京王線との立交を含めてほぼ完成しているが、矢野口側は南武線の立交化が済んでいないだけでなく、拡幅のための用地買収があまり進んでいないため、橋の拡幅もあまり進展していない。せめて取付部と橋の上だけでも早く拡幅してくれれば、多摩沿線道路に曲がる車は渋滞に巻き込まれずにすむようになるんだが‥‥。

橋の上の右折 lane に入ってからは、比較的速い。程なく右折し、土手上の道路を西へ。程なく南多摩へ到着。1215 時、ほぼ予定通り。荷物を降ろし、事務所に鍵を返して、駅へ向かう。

「小汚い中華屋には思わぬ穴場がある」と言うが‥‥

さて、飯はどうしようか‥‥と思っていたのだが、駅へ向かう踏切を渡ったところにあるラーメン屋に目が止まった。平日の昼間とは言え、あまりにも人気が少ない(そもそも周りの町並み自体がわりと閑散としてはいるのだが)。外観はあまりきれいではない。雰囲気としては、「町並みからちょっと離れた主要道路沿いにあるラーメン屋」という感じ。‥‥「町並みから離れている」という点だけは一致してるな (^^;

店頭には「月曜日サービス ラーメン(正油・みそ・塩)300 円」と貼り出してある。その隣には「肉ラーメン 20 食限定 500 円」の張り紙が。んー、挑戦してみるか‥‥。

店内に入る。なんか薄暗い。昼時なんだが、先客は 1 人だけ。そこはかとなく不安。すぐに店のおっちゃんが水を出してくれたのだが、陰気なじい様が出てくるかと思いきや、穏やかだがわりと明るいおじさん。

何となくしっかりと喰いたい気分だったので、肉ラーメンを頼む。すると、「肉ラーメンは安くならないけど、いい? 普通のラーメンは月曜だけ 300 円でやってるんだけど」。商売っ気ないなぁ (^^;。せっかく奨めてくれていることだし‥‥と少し考えて、「じゃあ、普通の塩ラーメンで」。そう? と言って、おじさんはすぐに作り始めた。

何となく店内を見回してみる。薄暗いが、不潔な感じは全くない。薄暗いのはコンクリートが打ち放しなのと照明が少なめだからで、むしろ小綺麗であった。

ぺ様騒ぎでけが人が!と叫ぶ TV を BGM に地図を眺めているうちに、ラーメンが出てきた。塩ラーメンは味にごまかしが効かないので、敢えて頼んでみたのだが‥‥結構旨いですよ? @_@

基本的に鶏ガラ base らしく、挽き肉や干し海老などでコクを出してある。屋台のラーメンのように脂がやや多めだが、しつこいほどではない。具の叉焼もそこいらの店よりよほどしっかりしている。月曜限定とはいえ、とにかく 300 円では安すぎ :-D==

Soup まですっかり飲み干してどんぶりを counter に置くと、思わずそれを覗き込んだおじさんに満面の笑みで両手まで合わされてしまった (^A^)。いやー旨かった。

「忘れ物がないように〜」と声をかけてくれるおじさんに礼を言って店を出る。屋台風のこってりした soup が苦手でなければ、力強くおすすめしたい。「めん喰ラーメン やなぎ」という店。南武線南多摩駅下車、改札を出て線路沿いの細い道を 10m ほど立川寄りに歩いた踏切の向かい(道沿いに白地に赤文字で大きく「ラーメン」と書いた電照式の看板が出てます)。ラーメン専門店らしく、定食やごはんものはなかったような。

家路

車を借りに来たときはほぼ全区間で日が暮れてしまっていたので、帰りも同じ経路を辿ってみることにした。

南多摩駅の改札が立川方の端にあるのをいいことに、やってきた列車の運転台の後ろにへばり付く。多摩川を渡り、府中本町駅構内の配線を観察しているうちに、程なく到着。武蔵野線に乗り換える。ちょうど次の列車は東京行き(武蔵野快速)であった。

沿線を眺めながら北→東へ。新座駅はやっぱりアトム*1だった。「そういえば、志木駅(東部凍上線)って、所在地が新座市なんだよなー」とか思っているうちに北朝霞。

南浦和辺りまでは沿線風景も以前とあまり変わらない。しかし、東川口周辺は埼玉高速鉄道が開業した影響か、結構開発が進んでいた。南越谷〜吉川間(越谷市の南東隅にあたる一帯)でも都市機構*2主体でかなり大規模な開発が行われていたが‥‥いくらなんでもちょっと無理があるんじゃないか‥‥? 開発地域が線路の南北に広がっているようなので、開発と set で武蔵野線に新駅を設置してもらおうというのだろうが‥‥。都心方面で以前と比べて格段に値頃間のある住宅が結構潤沢に供給されている現状と照らし合わせると、かなり微妙な気がする。

新三郷駅周辺では、越谷市内での開発区域と広さがあまり変わらないのではないかと思われる貨物ヤード跡地が、巨大なススキ野原と化して横たわっていた。貨物駅跡地は線路に沿って長細いので開発がやりづらいとはいえ、わざわざ上り本線の線路を移転して場所を空けたにも関わらず、開発が進んでいる気配はほとんどない。一方で、駅の南方に敷地を一歩出た辺りには、結構ビルが立ち並んでいる。かつてあの辺りは(上りホーム限定とは言え)駅前の一等地だったわけだが、駅が遠ざかったばかりかその駅との間に広大な空き地が広がっている現状をどんな思いで眺めてるんだろうな。‥‥ちなみに、ここまでは駅の南側についてばかり触れてきたのだが、北側はというと住宅街が広がっていて、大規模な再開発を行う気配はない。せっかく巨大な空き地があるわけだし、住宅街を潰してまで再開発をやる必要はないと思うが、ヤードの跡地にちょっとした商業施設があってもいいもんだろうになぁ、とは思う。

ところで、一部の区間で時折立つ人が現れるものの、全体に車内は結構閑散としている。まあ、平日の日中だし。それでも、座席はほぼ埋まっていて、郊外線区としては結構乗っているほうだろう。東京では数少ない横断路線だからだろうな。そもあれ、駅間距離が(これも東京には珍しく)わりと長いので、次第にまったりしてきて、新松戸辺りからうとうと。

あっという間に東京着。延々歩いてヤテに乗り換える。アキバで乗り換えて両国で下車。‥‥京葉線東京駅を利用する唯一の merit がある。いつもは総武線両国駅は遠い*3のであまり利用しないのだが(徒歩約 8 分)、京葉線東京駅を利用したあとはその距離があまり気にならない(爆)。

*1: 古関さんから、「たしか市内に手塚治虫一味の studio があったから。アトムの戸籍も新座にあったような」とツッコミをいただいた。ありがとー m(__)m

*2: 都市基盤整備公団(日本住宅公団→住宅都市整備公団)が独立行政法人化するのに併せて地域振興整備公団の地方都市開発整備部門と合併・改組したもの。

*3: 大江戸線両国駅の最寄りの出入口まで走って 30 秒しかかからない、というのが効いている。もっとも、それだけ近くなければ、大江戸線は絶対に利用しないだろう。不便だから。

帰ってからは

ぐったりしたり仕事したり。

よる

あまりにぐったりしすぎて video 録画を軒並忘れた‥‥。


2004/11/30 (火) 晴 <とりたててこともなし>

一日

家に篭って仕事。


[後日へ続く]

[最新版へ] [一覧へ]

メールはこちらへ...[五反田 秋彦 as (五)/ Akihiko GOTANDA (a-gota_AT_agt.ne.jp)]

この日記は、GNSを使用して作成されています。作製者の GORRY さんに感謝 m(__)m