「書きかけの歳時記」
2003/08版 その3

(since '05.04.25)

この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。

取扱上の注意

[前日へ続く]

2003/08/21 (木)


2003/08/22 (金)


2003/08/23 (土)


2003/08/24 (日) 晴 <ぎっくり腰、再び>

にっちゅう

日記の補完をしたり、仕事をしたり。

ゆうがた

きた。腰に。おもいっきり。

仕事中、物を取ろうとして、ふと左を振り返ったとき‥‥「ごき」。

そのまましばらく倒れていたのだが、今回は会心の一撃だったらしく、なかなか状況が改善しない。

よる

ただ横になっていても、腹は減る。腰はまだかなり痛むが、仕方なく起き上がる。激痛に思わず息が詰まりつつ、台所へ。

激痛をこらえつつ湯を沸かし、パスタを茹で、傍らでソースを暖め、皿にもって、喰らう。パスタを口に運ぶとき、身をかがめる度に激痛が走る。

喰い終わって、そのまま横に。今回は、なかなかよくならない‥‥。便所に行くのすら、かなりの苦痛を伴う。


2003/08/25 (月) 晴 <ぎっくり腰継続中>

ゆうがた〜よる

炎症を起こした患部を冷却しながら寝ていたのだが、今回は全然よくならない。仕方がないので、鍼を打ってもらいに行く。先週後半もやばげだったので、土曜に打ってもらったばかりなのだが、手遅れだった風味です。

昨日 pasta を喰って以来、何も飲み食いしていなかったので、腹が絶え間なくきゅるきゅる鳴っている。というわけで、行き掛けに銀行で金を降ろし、松屋で並 set を喰らう。

そんなこんなで、じっくりやっていただいた m(__)m。腰はいつもそうなのだが、今のところ、目立った効き目は現れていない。

とりあえず、またもや「絶対安静」を言い渡される。うぅ、仕事が‥‥ ;_;


2003/08/26 (火) 曇 <用足しの日>

ゆうがた

なんとか呻かずに布団から起きられるようになったので、夕方から用足しに出かける。明日引き落とされるものもあるし、天気がいいのも今日までらしいし。

まだ普通に歩いていても腰が痛いのだが、そんなことも言っていられない。そんなわけで、日本橋へ。自宅から一番近い横浜銀行の支店がここなので、不便なのだが、仕方がない。今度川崎に行くときでは間に合わないし。

帰りに用を足しつつ、帰宅。朝御飯として、亀戸ぎょうざ両国店で、餃子ライス。

よる

仕事を少し。だが、腰が痛くて挫折。痛みのせいで、考えがまとまらない。


2003/08/27 (水) 雨のち曇 <腰痛継続中>

ひるすぎ

鍼が効いたようで、普通に直立して歩いているぶんには呻かずに済むようになった。しかし、依然として屈むと腰に激痛が走る。

ゆうがた〜よる

足りないものがあったので、買い物に出かける。

途中、ヨドバシで massage chair を試してみたり (^^;。‥‥「リアルプロ」に新型が出たのかー。早速試してみると‥‥をを、謳い文句通り、肩を真上から押してくれます! これはいい! ‥‥ただ、従来機よりも動作音が耳につくようになったなぁ。それから、肩位置がずれて検出されたせいか、リアルプロ最大の特徴である「手でぎゅう〜ッと押されてる感じ」が減ってしまったような。ファミリーの massage chair も試してみたが、一度リアルプロのもみ味を知ってしまうと、やはり物足りない。いかにも「機械に揉まれている」って感じがするんだよなー。

一旦帰宅して荷物を置き、鍼を打ってもらいに行く。‥‥打つと、筋肉は確かに緩むのだそうだが、痛みはすぐには軽減されず、効いても半日以上遅れて効果が現れるので、施術の有効性がその場で確認できない。これはいつものことではあるのだが、施術者の方は頭を抱えている。

漢陽楼で晩飯を喰って、帰宅。少し仕事をしながら、安静に。仕事が全く捗らない‥‥。


2003/08/28 (木) 曇 <腰痛なおも継続中>

今回はあまり鍼が効いていない。椅子に座っていてもうつむいたりすると激痛が。

ごご〜よる

客先で打ち合わさる。

泉岳寺から湧いて出たとき、品川の電留線に国鉄色の 183 系らしき編成*1が停まっていたので「あれ?」と思っていたのだが、客先で(私は何も言ってないのに)「品川に行ったの?」と訊かれた (^^;。あぅー、ぎっくり腰に気を取られて、「わくわく品川鉄道探検隊」の存在をすっかり忘れてたよ‥‥。Mail で知らせてくれてた人もいるってのに (-.-;。それどころか、大井工場の公開もいつのまにか終わってるし。ううむ。

そのまま document 書き。腰がつらくなってきたので、21 時近くに離脱。アゼリアで飯喰って、とっとと帰宅。

頭も痛いし、今日はさっさと寝よう‥‥。

*1: なぜ「らしき」かというと、車番が赤の書き文字だったから。189 を塗り替えたもの以外に書き文字の車って、いたっけかな? 松本色の車かしらん。

池田小児童虐殺事件

よく思うのだが、なぜ日本には「終身刑」がないのだろうか。

時折「無期懲役」を「終身刑」と表現する人がいるが、この両者は明らかに異なる。終身刑が「死ぬまで刑が続く」のに対し、無期刑は文字通り「期限が設定されていない」だけであって、実際模範囚と認定されれば比較的早く出所する場合もあるはずだ*2。本来釈放があり得ない「終身刑」は、それだけ重い刑になるはずである。

同じように、同時に複数の罪を犯した場合、その中で最も重大とされる犯罪に対する刑罰のみが検討される。これもおかしいのではないか。このような場合、America のようにそれぞれの犯罪についての刑罰は単純に累積するべきではないのか。「一人殺したら、あとは何人殺しても同じ」ということはあり得ない。

今日、池田小の児童虐殺事件に関して、宅間被告に死刑が言い渡された。「極刑」ではあるのだが、この事件に関しては、これは現行の法制度、そしてそれを支持している今の社会の敗北であると思う。死にたがっている人間をあっさりと殺してしまうのは、犯人にとっては「思う壷」だからだ。「死にたがっている人間ですら嫌がるような残虐な死」を求める声もあるようだが、気持ちは解らないでもない。

刑罰には、「因果方法」という意味合いはもちろん、「犯罪に対する抑止力」という側面もある。そういった面で、いくら「社会通念上は最も厳しい刑」であったとしても、それが被告の望むものであった場合、「どうせ死ぬなら、多くの人間を巻き添えにしてやる」と考える馬鹿が現れても不思議ではない。そもそも犯罪を自ら犯す人間は社会通念から外れているので、「社会通念上の刑の重さ」が当てはまらない場合があるのは当然だ。

長崎の事件に関する議論でも感じたのだが、もし「抑止力」としての効果を刑罰に求めるのであれば、最初から選択の余地を狭めるべきではない。妥当と思われる範囲内で、考えうる限り幅広い可能性を持たせておくべきだ。特に、年齢によって一律に取扱の範囲を狭めてしまう現在の刑法や少年法は、もはや時代に取り残されつつある。法による救済を「当然の権利」と見なし、それをかさにきて犯罪をなす人間にとっては、まさに「罰せられることなく犯罪を行なう権利」を与えられていることに他ならない。年少者を保護するべく定められた法の精神の根拠となる社会的背景は、法の制定当時とはかなり変わっているはずだ。刑の重さや取り使いは個々の事情によって決められるべきで、一律に制限するべきではない。

社会通念上「弱者」と言われる者の傍若無人さは、年少者に限らない。女性や老人にもかなり目立ってきている。道路交通においては、「歩行者」一般もそうだ。他者に対する気遣いを一切することなく、保護されることを当然の権利と見做し、自分の都合だけで行動している。社会の参加者が他のすべての人に向けるべき気遣いの共通項である「manner」が崩壊した現在、本来は社会からの気遣いであったはずの「弱者保護」も、制限せざるを得ないのではないかと思う。「気遣い」は相互になされるべきであって、一方的にすべてを享受する存在は、一種の醜悪な権力者だ。

親や保護者が「保護」の意味を見失い、子供を正しく保護育成するのでなく単にあまやかすだけで、子供の教育を行なう能力を失いつつある今、この傾向がますます加速していくのは明らかだ。「コドモ」が子供を正しく導けるはずなどないからだ。社会を構成する市民が自制することができないのであれば、「法」の形で一定の枠をはめざるを得ない。皆が自分の権利だけを主張して他者の権利を踏み躙るなら、そこには当然摩擦が発生する。自分の判断で他者に対する気遣いができないのであれば、権利の限界を制度化するしかない。「権利には義務が伴う」ということを法で定めるしかないのだ。

もちろん、いきすぎた制限がよくないのは当然なことだ。「社会通念上当然」と思われる最低限度、つまりは「manner」を rule 化する程度が望ましい。それでも、「道を歩くときは他の人の邪魔にならないようにする」という単純なことすら守れない現状では、「道や通路を歩くときは、その左側 1/3 からはみ出てはならない」とでも法制化するしかないのだろう。弱者保護も、それに準じて制限せざるを得ない。歩行者対自動車の事故でも、「たとえ歩行者であっても、十分注意せず飛び出した場合、無条件で過失を認める」ということを、単に保険上の扱いだけではなく、法律で定めるしかあるまい。

本来ならこれは恥ずべき事なのだが、社会秩序を守る最低限度の自主規制である「manner」が失われてしまったら、それを「rule」として明文化して強制しなければ、今後ますます秩序は失われていくことだろう。

‥‥実はこういった動きの一部が、路上喫煙を禁止する条例であったり、「健康増進法」であったりするわけなのだが。結局のところ、他者の権利を無視した行為をすべてを法律で禁止*3しなければ社会秩序は保てない、ということになるのだろうか。実に情けない。

*2: もちろん、刑期の下限はある。刑法第百九十九条で、殺人は「死刑又は無期若しくは三年以上の懲役」と定められている。一方、同二十八条で、「有期刑についてはその刑期の三分の一を、無期刑については十年を経過」すれば、仮出獄を許すことができると定められている。つまり、最も重いとされる無期刑であっても、「裁判が確定した日から」(二十三条)最長 10 年経てば(ただし、二十一条の定めにより、未決勾留日数を刑期から差し引くことができるので、もっと短くなる可能性がある)、仮釈放される可能性があるということだ。

*3: 喫煙車の内、法規制に反対する人は、決まって「我々にはたばこを吸う権利がある」というが、私から言わせれば、その権利が認められるのなら「意に反してたばこの煙を吸わされない権利もある」はずだ。Manner を守れない身勝手な喫煙者のせいでこういったことが法制化されれば、割を喰うのはそれ以外の良識のある喫煙者。良識のある人は往々にしておとなしいのだが(当然だけど)、もっと怒っていいと思うんだよね、身勝手な連中に対して。「結局は、喫煙者の manner がなってないからなんだよね」と恐縮する必要は、その元凶に対してだけはないと思うです。


2003/08/29 (金) 曇 <腰痛さらに継続中>

今日の馬鹿

客先へ 12 号線で移動中、森下から乗ってきた 20 台前半と思しき馬鹿女。ちなみに、痩せ型。

ホームから携帯で大声で話しつつ車内へ。私の隣にどっかりと座り、そのまま話し続ける。横から通路を人が歩いてきたちょうどそのとき、周囲の確認もしないで足を組む。当然、歩いてきた人をもろに蹴飛ばす。これまた当然ながら、謝りもしねぇ。

さらに。駅を出ると電話で話せなくなって暇になったのか、身繕い開始。まずは何らかの液体を掌に取り、髪の毛に塗り始める。肘がガスガス私に当たるが、もちろん気にもしなければ、謝りもしない。すぐ隣でバサバサ払われる髪の毛が鬱陶しいことこの上ない。

一度終わって落ち着いたかと思った次の瞬間、満足いかなかったらしく、またやり始める。肘もまたガスガス当たる。一頻り塗りたくって満足したのか、今度は化粧を開始。

門前仲町で車内が空いたので、耐えきれなくなって向かい側の空席に移動。馬鹿女は作業の手を止めて、キョトンとした顔でこちらを見ている。なぜわざわざ私が席を移動したのか全く解っていないらしい。さすがに睨み付けてやったが、全く意に介さず、また化粧を再開。なんなんだ、この女。

最後のとどめ。大門到着直前、door の正面に陣取る馬鹿女。Door が開き、その女が降りたので、後ろに続いて降りようとしたら、door から出たところで突然立ち止まり、携帯を操作し始めた。当然、後ろの人は降りられないし、乗る人も乗り込めない。これ以上ないほど邪魔なので、荷物を介して押し退ける。だれかこの馬鹿をどうにかしてくれ‥‥。

ごご〜よる

今日も客先で打ち合わさる。

20 時頃離脱。一旦家に帰って荷物を置き、鍼を打ってもらいに行く。また今日も、じっくりやっていただいた m(__)m

前々回、足にも鍼を打っていただいたら結構効果があったので、今回も足に打ってみていただいた。結果、いつもは打った直後には効果が見られないのに、今回は早くも腰の痛みが緩和。こういった打ち方を「足に引っ張る」と言うらしいが、これが私の場合かなり効果を得られることが判明。要するに、足の筋肉の疲労や緊張が腰にかなり悪影響を与えているということ。しくしく。


2003/08/30 (土)


2003/08/31 (日)


[後日へ続く]

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この日記は、GNSを使用して作成されています。作製者の GORRY さんに感謝 m(__)m