「書きかけの歳時記」
2002/08版 その1

(since '05.04.25)

この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。

取扱上の注意

[前日へ続く]

2002/08/01 (木) 晴 <行程決定>

やや良。

Routing

出発前日にして、ようやく経路が確定、手配を完了しました。予想外に行程が膨らんでしまっ て驚いていたり(ぉぃ)。また経路数超過で入力不能ですよ? てゆーか、 後半部分の経路は券面からはみ出て無表示だし。大丈夫か‥‥?

日程も予想外に延びてしまった。 〔SL やまぐち〕号が敗因だったような‥‥ (-.-;。あんなに前後の接続が悪いとは*1。読みが甘かった。 まあ、その分は料理と温泉で元を取るでせう。

クモハ 42 に会いに行く夢は、今回は諦めました。

*1: 「新幹線で来て、〔SL やまぐち〕で往復して、また新幹線で帰る」という pattern 以外は想定してないとしか思えない。


2002/08/02 (金) 晴のち雷雨のち曇 <旅支度/出発>

昨夜

すごい雷だったのう。早く battery のイカれた UPS を入れ替えないと‥‥。 このままだと、一度停電があると、server が落ちっ放しになる。

NEWS-9

うぐぅ‥‥。行程の調整をし損なって、出られなくなっちまいました‥‥。 正直、すまんかった m(__)m

片付け

少し家の中を片付けた。といっても、作業部屋兼寝室の床に散乱していたゴミ を捨てただけ。それでも 70l の袋 3 つ分‥‥。

かがんで掃除をしていた影響で、やや難。

買い出し

昼頃、医者へ。その足で銀行へ行き、さらに旅行を機に衣類の補充に走る。

さらに、錦糸町のユニクロで買い物をしたあと、その下のヨドバシで FinePix 6900Z の battery を買い足す*1

ここまでは順調だったのだが、下へ降りてみると、物凄いどしゃ降り。アルカ キット錦糸町で買い物がてら雨宿り。

1658 運転再開。遅れが発生しております。

*1: とにかく持ちが悪いので。これで合計 4 本。これだけあれば、何とかなるでしょ。ていうか、なって欲しい (-.-;

準備

支度もそこそこに、battery がイカれて役に立たなくなった server の UPS を入れ換える。今度のは APC の SU700J。

30 分程度で終わる予定だったのだが、cable がぐちゃぐちゃに絡まっていた せいもあって、40 分ほどかかってしまった (-.-;。とにかくこれで、 「不在中に停電したんで machine が落ちましたー。帰宅するまで、電源いれ る人がいないので server は動きませーん」という最悪の事態は避けられたは ず。

大急ぎで支度。あうー、もうこんな時間です‥‥。やっぱり、豪雨のせいで約 2 時間足止めを喰らったのは、痛かった‥‥。

結局、家を出たのは 2130 近く。

腹拵え

急いで上野燔楽へ。時間の許す限りしゃぶりまくる。

なんとか、予定通りに離脱。物足りなかったが、仕方がない (-.-;

出発

御徒町から蒲田行きの電車で東京へ。〔銀河〕の入線とほぼ同時に到着。 やぁーったよー!?

無事に寝台へ潜り込む。やれやれ。時間があるので、軽く撮影。

今日の〔銀河〕は 5 分遅れ。公衆立ち入り(またかよ! ふざけんな!)のせいで山手線外回りと中央線が遅れ、接続を取ったらしい。 御徒町では蒲田行きの直後に外回りが入ってきたのに、どうも東京では接近の 気配がないと思ったら、そういうことだったのねん。ケホに影響が出なくて、 本当によかった‥‥。

今日も A 寝台は上/下段ともに満席。家族連れや比較的若目の人の group 利用が多い。やっぱり、以前と比べて、だいぶん客層が変化してきてるなぁ‥‥。利用者の裾野が広がるのは、列車存続のためには非常によいことだ。ところで、やっぱり B 寝台を何両か減車してでも、A 寝台車を増結してくれませんかねぇ?*2 >西日本さん

*2: 西日本にはそれだけの車輛はないが、東日本に保留車が何両かあるはず。


2002/08/03 (土) 京都・曇/大阪・ぼちぼちのち晴/奈良・薄曇りだがむちゃくちゃあっつい <長崎行・1 日目>

あさ

0615、大津手前の「おはようございます」放送で目が覚める。

0718、定刻通り大阪着。不要な荷物をコインロッカーに突っ込み、近くの店で 朝食を取って、いつもの通り心斎橋近くの清水湯へ。さっぱりしました!

長堀鶴見緑地線と谷町線を乗り継いで上本町へ。そこから近鉄特急で奈良へ。 平地のあたりはいつでも見て廻れるので、今日は前回奈良に来たときに登れなかった*1若草山を攻略。 なんだか上空はどんよりしているが、まあ大丈夫でしょ。

近鉄奈良駅の上にある観光案内書で周辺の地図をもらい、ついでに教えてもらっ た 1 番 bus 乗り場へ。「内循環」に乗り、「大仏殿春日大社前」で下車。 奈良公園内をぽてぽてと横切って登山口に向かう。

教えてもらった登山口は 5 番 gate で、正式な入口ではない*2。そのため、さ らに 1 番 gate へ迂回。

入山料を払って山に入る。もらった「若草山イラストマップ」の裏面がスタン プラリーの台紙になっていたので、stamp を押してみたり。

1 番 gate から真っ直ぐ登る route は、途中まで はややなだらかな階段付きの坂、そこからは急な(階段も何もない)草地を一 気に一重目の頂まで登るというもので、大変にきつい。膂力に自信のない人は 避けたほうがいいかも。ハァハァいいながら登る。ハァハァ。

一重目の頂に到着。Stamp を押して二重目へ。ぱっと見にはこれまでに較べる と大した高低差には思えないのだが、これまた結構登る。ハァハァ。まるでサ ウナにでも入っているかのごとく、汗がだらだら滴り落ちる。

二重目で stamp を押したあと、さすがにへたばったので、少し座って休憩。三重目へ。 最後の登りがいい加減きつい。はぁはぁ。

無事に三重目の展望台へ。少し休んだあと、反対側の駐車場の方へも降りてみ る。

売店があったので、冷たい飲み物を買う。ハチミツレモン 500ml PET を一気 飲み。同じ route を逆に辿って再び一重目へ。今度は反対側の 5 番 gate 側 へ降りていく。こっちの道は、距離こそ長くなるものの、途中の大部分が林の 中の階段付き遊歩道風味。階段の整備状態もいい。

5 番 gate 付近で最後の stamp を押したあと、1 番 gate へ戻り、記念品の 絵はがきをもらう。写真のものは市販品とのことで、今回は手作り風味のもの を 1 枚もらった。

行きと同じ経路ではおもしろくないので、春日大社方面へ向かう。本殿入口に 到達するが、改装した交通科学博物館へも行きたかったので、今回はお参りはせずに駐車場へ。 ちょうど路線 bus が到着するのが見えたので、そこへ行って運転士に発車時刻を訊くと、2 分後の 15 時丁度だという。渡りに船とばかりに、その bus にのって近鉄奈良へ。

約 8 分で近鉄奈良に到着。無事に 15 分発の特急に乗車。難波から千日前線、 中央線と乗り継いで、弁天町へ。

交通科学博物館の屋外展示場は、場所を本館の東に移し、面積を拡大して、京都駅の上屋を使って駅に停車している状態を模すように改装されていた。 これまでの展示方法と異なり、型式写真風に写真を撮ったり、床下をじっくり 眺めるということはできなくなったが、プラットホームの高さの通路から車内 をじっくり眺めることができるようになった。

それにしても、さすが夏休み期間。そこいら中を子供が意味もなく走り回り、 屋内展示室に至っては動物園と化している‥‥。

閉館準備が始まったので、博物館を出て再び清水湯へ向かう。全身汗でびっしょ りで、パンツまでぐっしょり濡れていて気持ちが悪かったので、宴会前にひとっ 風呂浴びてさっぱりするですよ!

「『夏・長崎から』見送り宴会」へ。‥‥梅田の地下でおもいっきり迷う。こ こは何度来てもよくわからん‥‥。まあ、なんとか店に辿り着く。何人かの方とはじめまして。いわたさん とお会いするのも初めて。楽しい一時を過ごす。それにしても、隣の集団はす ごかった‥‥。けたたましく騒ぎまくるわ、襖にはぶつかりまくるわ、crush するわ、core は吐くわ。ここでも別の意味で動物園が‥‥。もうむちゃくちゃ。

23 時少し前に解散。大阪駅 4 番線に上がり、〔ハリウッドエクスプレス〕の 入線を待ち受けて、乗車。カタカナの列車名なのに、和風(お座敷)客車です よ!

乗ってみて驚いた。‥‥なんか、一人分の幅が狭い‥‥。60cm 程しかない。 しかも、連番で発売されている。これは、いくらなんでも無茶でない? >西日本

となりの人との間が 1 人分開いていたのだが、そこも三ノ宮で埋まる。どう すんだこれ、と思っていると、神戸を出たところで車掌から「もう明日の朝ま では誰も乗ってこないので、ゆったり使ってください」と案内が。皆ほっとし て車内に分散する。結局定員の半分以下しか乗ってこなかったので、隣の人と の間を 2m 程度空けて布団を敷くことができた。しかし、状況が確定するまで 気が気ではないし、そもそも落ち着いて座っていることもできないので、最初 から番号単位*3で発売するとか、適度に分散するように発売*4して欲しい。

途中、(陽)大久保の側線に運転停車。早速続行の列車に抜かれまくる。0035 から 0110 まで停車。その後も何度か運転停車していたらしいが、私はぐっす り‥‥。

*1: 前日が雨、当日も小雨が降ったり止んだりという天気だったので。

*2: 柵は開いているので、山に入ることはできるのだが、受付に相当する建て屋は無人。

*3: 急行型などの cross seat における 1 box に相当。

*4: 以前はマルスによる発売といえば「3 番から順に後ろへ発売し、最後に 1・2 に戻る」のが常識だったのだが、最近はある程度任意に発売順を設定できるら しい。以前特急に乗った際、意図的に千鳥状に発売したとしか思えない状況を 見たこともある。


2002/08/04 (日) 山陽路・晴/日豊線・晴/久大線・晴れたり曇ったり/二日市付近・かろうじて雨上がり/博多・晴 <長崎行・2 日目>

あさ

0615、西条手前の「おはようございます」放送で目が覚める。

広島、宮島口でぞろぞろと降車。岩国で最後の団体さんが降りて、車内は私一人に。4 号車を貸し切りですよ?

それにしても、若い女の子が多かった。高校生くらい? 4 号車は、家族連れ 1 組、大学生くらいの男性一人、それと私。それ以外はみんな女の子ばかり。

終着の下関で下車。車内にコンセントがあったおかげで、note PC も FinePix もお腹いっぱい。一方、携帯に充電するのを忘れたんだけど‥‥まあ、いいや。 何とかなる。

到着の数分後に発車する門司方面行きの列車は、当然のように見送り。荷物が 多いので、なかなか移動が間にあわん。ホームも別だし。

「旅路」の引上を見送ったあと、隣の、門司方面行きの列車が出るホームへ移動。さらにもう一本列車を見送る*1。立ち食いソバ屋が営業していたので、「ふくてんそば」*2を頼む。ついでに、「ふく寿司」(駅弁)を購入。出てきたドンブリを見ると、だし汁は関西風だった。うどんにしておけばよかったかな。とにかく、駅の立ち食いソバとしては結構うまかった。

喰い終わったので、予定より 1 本早い 1115 発の小倉行に乗り込む。All long seat で萎える。

関門海底トンネルを通り、トンネルを抜けたところにある交直セクションを抜 けて、門司へ。九州に来たのって、実に 20 年ぶり‥‥。

小倉で乗換。〔ソニック〕の到着を待つ。そういや、これもいつの間にか列車 名が変わったよね。最初は、〔にちりん〕系統のうち「ソニック」型車輛を新規投 入した列車を〔ソニックにちりん〕と称していたと思うんだが。まるで〔スーパー雷鳥(サンダーバード)〕が〔サンダーバード〕になったのと同じような‥‥。

到着したのは、「白いソニック」。まず、内装が豪華で且つ落ち着いているの に驚く。高級感溢れまくり。さらに、椅子がまるでソファーのようなのに驚く。 素晴らしい! これぞ特急型車輛の決定版、という感じ。初期の九州独自型式 の内装がかなりサイケだったのとは正反対でよい。Door も通路も車椅子対応 の一環で広くなっていて、大きな荷物でも楽々乗降可能。しかし、車内設備を うまく配置しているおかげで、車外や deck との分離度もよい。車内販売の 「高千穂牧場アイスクリーム」もうまい(← あまり関係ありません)。これ で窓際が(国鉄型のように)ちょっとした table 状になっていれば、完璧か な*3。下関で買った「ふく寿司」もうまい。この値段でこんなに豪華でいいん ですか? 車窓にはやがて海が見えてくる。素晴らしすぎです。頑張ってるなぁ 九州。

別府で下車。ひとっぷろ浴びよう。とりあえず、駅内の観光案内書へ行って、 近くに風呂に入れるところはあるかと訊いてみると、駅前の通りを少し降りた ところにあるという。早速行ってみる。

駅正面の道を 200m 程降りた右側に‥‥ありました、「駅前高等温泉」。何と なく明治の香りがする名前だなと思いつつ着いてみると、建物も風情たっぷり。 入浴料は、「並湯」が 100 円、「高等湯(shower付き)」が 300 円。 Default で「高等湯」に案内される。料金表には、貸しタオルが 50 円、貸し 石鹸が 30 円と書いてあったのだが、これらは無料 service だそうな。さら に有料のバスタオルを借り、計 350 円を払って中へ。

あまり広くはないが、いわゆる「共同浴場」の類と考えると非常に広い。ほか に客もおらず(入れ違いに帰っていった)、ゆったり。建物はそれなりに旧さ を感じさせるものの、清潔感があり、かなり良好に保守されている。

「ぬるい湯」という浴槽もそれなりに熱いです。「熱い湯」の方は、もはや入れない。

ここのオバサンたちは、寄ってたかって(?)とても親切だった。また立ち寄りたい。 ありがとう。

駅へ戻る途中の hotel の 1 階にある喫茶 corner で苺フラッペと iced tea。

危うく乗り遅れそうになりつつ、〔ゆふいんの森 4〕号に乗り込む。最前の 4 号車を指定して申し込んだところ、2 列目進行左窓際。Hi-decker 車で、窓も 広く、眺めがよい。車輛の作りも、総じてなかなかよい。九州、頑張ってるなぁ。 ただ惜しむらくは、台車廻りにガタが来つつあって振動が気になる。さらに、正面の展望が微妙によろしくない*4。 まあ、西日本の「エーデル」車のように本格的な前面展望構造にはなっていな いので、前面展望はあくまでおまけということなのかもしれない。

別府を出たときには定員の 1/4 程度だった乗客も、大分を出ると座席の半数 程度が埋まり、湯布院で満席に。結構乗ってます。ていうか、乗りたくなる気 持ちも解る。しかも、B 特急料金だし。こういう列車に乗ると、如何に束管内 では乗客が虐げられているかがよく分かる。

大分発車後、2 号車まで行って〔ゆふいんの森〕限定だという「ゆふいんの森」 弁当と「香草物語」(弁当)、それに暖かいお茶を買込む。まずは車内で「ゆ ふいんの森」を。うーん、最近の駅弁の類って、だいぶん水準が上がってきた のね。ていうか、これはすごい。さすがにリキの入りかたが違う。目に鮮やか なだけでなく、一つ一つの料理が結構良く仕上がっている。うめー :-D

博多に到着し、駅から程近い「八百治博多ホテル」へ。Double の部屋を選んだので、single の部屋のような圧迫感は全く感じない。1500 円しか違わないんだけど。ちな みに、ここの hotel の基本は素泊まりらしいんだが、JTB 浅草橋支店での予 約の際‥‥

「広いお部屋と狭いお部屋と、どちらがよろしいですか?」
「いくらくらい違うんでしょ?」
「えーと、1,500 円です」
「じゃぁ、広い方で」
「はい」
たかたかたか。
「ここは宿泊のみが基本で、食事はついてないんですが、朝食をつけることもできます。どうします?」
「んー、いくら違うんでしょう?」
「えーと、500 円です。500 円?! ほんとかしら (-.-;。‥‥つけますよね(^^;
「ええ、付けといてください (^^;

で、一泊(double)・朝食付で 8,400 円(税別)です。駅から数分だし、 安い。

「呼子いかツアー」へ出かけた皆さんの中の有志が、泊っている hotel の lobby で待ち合わせて 2 次会をする、ということなので、参加させていただくことに。 Lobby の自販機でめいめい飲み物を買い、盛り上がってみたり。

しばらく盛り上がったのち、AK さんがぼそっと「小腹が減ってきたね」と呟 いたのを逃さず、「ラーメン喰いに行きます?」と振ってみる。本当に喰いに 行くことになる ;-)。最初は近場で済ます筈だったのだが、気付い てみると中州にたどりついている罠。お目当ての店(屋台)はなくなっている ようなので、手頃な屋台に入って、牛さがり、明太いわし、きすを焼いてもら う。さらに、隣の屋台からラーメンを取ってもらったり。うまいよー T_T

2530 時、屋台の営業が終了ということで、撤収。「よかろうもん」の味とは かなり違っていた*5のだが、以前博多で働いていた中間さんによると、「博多 のラーメンとしては標準的な味」とのこと。やっぱり、本場は違うねぇ。

ぽてぽて歩いて、26 時過ぎに hotel に帰着。

選択をする前に、部屋に設備してある目覚しを設定しようとするが‥‥時計がずれまくっている‥‥。 ほんとに鳴るのか、これ?

*1: 通常なら十分間に合うのだが、階段が escalator 設置工事中で狭くなってお り、さらに荷物が大きいため、列車から降りてくる人達が途切れるまでホーム に上がれなかった。まあ、もともとその 2 本あとの列車に乗る予定だったの で、影響はない。

*2: 長さ 15cm くらいのフグのてんぷらが乗ったそば。

*3: 肘掛け収納の table があまり大きくなく、且つそれが隣の人との間にあるので、飲み物を置く場所にちょっと困るんだよね。

*4: ちょうど視線の中央に来るところに、横方向の太めの梁があって、目障りなの だ。

*5: 誤解のないように書いておくが、どちらもそれぞれの味わいで、うまいです。


2002/08/05 (月) 博多・晴/長崎・晴 <長崎行・3 日目>

あさ

0800、何とか目覚しがなったので、目覚める。‥‥が、二度寝してしまい、ハッ と気付いて起床したのは 0830 時‥‥。

急いで風呂に入り、朝食を取り、check out。何とか間に合いそうな時間に駅 に着いた。が‥‥改札前の混雑に巻き込まれ、結局指定を取っていた〔かもめ 9〕号には間に合わず‥‥ T_T

仕方がないので、続行の〔かもめ 11〕号の自由席車の乗車位置を目指して移 動していると‥‥背後から「五反田さん」と呼ぶ声が。振り返ると、長沢さん と Nakami さんが。こちらもたまたま予定を変更したらしい。

3 人で〔かもめ 11〕号の自由席に。しばらくすると、車掌が車内改札に廻っ てきた。「乗車券と特急券を拝見致します」というので、「博多→鳥栖」 「東京都区内→長崎」の乗車券と「特急券(〔かもめ 9〕号/博多→長崎)」 を差し出す。特急券は「ああ、乗り遅れたのね」という表情であっさり pass。 ところが、乗車券を見て、車掌はきっかり 3 秒固まっている。「都区内→長 崎」の乗車券なのに、別府駅の下車印が押してあるし。しかも、「博多→鳥栖 (かえり)」なんてきっぷがついてくるし。車掌氏は固まったあと、両方の乗 車券を見比べ、「‥‥えーと。鹿児島線・日豊線・久大線・鹿児島線‥‥」と 経由を確認し始めた。さらにもう一度両方のきっぷを見比べて、わかったよー なわからんよーな顔をしながら「はい、ありがとうございます‥‥」と返して きた。長沢さんと Nakami さんは声を殺して笑っている。

やがて車窓に諌早湾が見えてきた。薄曇りだが、天気はまあまあ。横では Nakami さんがどとーのように届く mail と圏外との闘いに苦心している*1。 送信したい内容というのが「今日のお昼ご飯に合流させてください」というものな ので、うかうかしていると間に合わなくなってしまう。そこで、本人が格闘し ている間に代理でさくっと mail を送ってあげて、散々悔しがられてみたり。

とりあえず昼食の意思表示は終った‥‥と思いきや、隣の Nakami さんが今度 は「トルコライス」に思いを馳せている。「それはどーゆーものですか?」と 訊くと、guide book を示されて、「これです」。ほほう、と思いつつ写真を 見ていると、Nakami さんから事細かに解説が。そして、おもむろに guide book の page をめくり始めると、違う page を指し示して、「これも『トル コライス』です」。Guide book を受けとって両方の写真を見比べてみると、 かなり違う。

「ずいぶん違いますね」
「いろいろあるらしいんですよ」
「ははぁ。で、どういう味なんですか?」
「どういう味なんでしょうねぇ」
「は? (-.-;
「まだ食べたことないんですよ (__;

毎年「今年こそ食べるぞ」と思ってるんですけど、と言いながら Nakami さんはじっと写真に見入っている。なんか、執念のオーラを感じるんですが‥‥ (^^;

長崎着。初めてなので、感慨もひとしお。改札を抜けたところで、おぐりさん と遭遇。4 人で hotel へ向かう。ふと見遣ると、目の前に見覚えのある風景 が。小説「精霊流し」の先行発売 event やったところって、改札の目の前な んじゃん。なんて迷惑なところでやるんだ‥‥ (-.-;

Check in はまだできないので、とりあえず front に荷物を預かってもらい、 昼食へ。ほかの member と一旦大丸で集合し、総勢 9 人で改めて「吉宗」(よっそう)へ向かう。

茶碗蒸し定食(← 今日の日替わり定食)をいただく。うまし :-D===

その足で思案橋電停近くのカステラ屋「福砂屋」(ふくさや)へ。皆お土産を発送したり、買い込んだり。 私の場合は東京に戻る前に賞味期限が切れてしまうので、宴会用に 0.5 号を 2 本買い込むにとどめる。

JAL シティー組と一旦別れ、トレディア組の 4 人は一旦 hotel に戻って check in を済ませた後、「自由飛行館」へ向かう。 長崎電軌の軌道ぞいにぽてぽて歩き、ちょっと坂を入って、崇福寺の山門前 へ。席に座ると、隣の table ではぎょーかい人の方々が名詞交換やら情報交換やら。かき氷に「コーヒー」 味があるのが面白い。

珈琲味のかき氷を喰ってまったりしていたら、電話が。あれ? 早紀さんだ‥‥。

「もしもし?」
「ああ、五反田さん?」
「はーい、お疲れ様ですー」
「えとさー、うめさんって、携帯の番号、変わった?」
「あー、Docomo の番号しか聞いてないです?」
「うん」
「じゃあ、変わってます」
「新しい番号わかる?」
「判りますけど、今電話を受けてる携帯に入ってるんで‥‥どうしましょうかね?」
「‥‥伝言お願いしていい?」
「いいっすよ」
「えとねー、『今、うめさんの職場のビルの 1F にいるんだけどー』って」
「はう (^^;。りょおかいです」

そして、うめさんに電話を。

「もしもしー」
「あー、五反田ですー、お疲れ様ですー」
「どしたのー」
「えーと、早紀さんから伝言が」
「あれ? 番号知らなかったっけ?」
「いや、『会社携帯』から私物に変わったでしょ? その新しい番号を知らせてないみたいですよ?」
「あー、そうかー」
「で、内容なんですけど、『今、うめさんの職場のビルの 1F にいます』って」
「いや、俺も今いるんだけど」
「うひー (-.-;
「どこにいるのかなぁ。姿が見えないんだよねー」
「あうー T_T
「数十 m 以内にはいるはずなんだけどなぁ」
「ううむ (__;
「とりあえず、わかったー。探してみるよ」
「はーい」

‥‥数十 m と離れていない 2 人を千数百 km 経由して取り持つ罠。

夕食は江山楼に行くことになったので、散策がてら移動を開始。まずは八坂神 社へ。そこから正覚寺下電停を通り過ぎ、正覚寺山門前から「長崎茂木街道こ こに始まる」という碑を見つつそれとは関係ない路地に入り、一文字地蔵を過 ぎ、丸山オランダ坂を登り、料亭「青柳」前の石段(「山崎屋の坂」)を降りて丸山に抜ける。「長崎丸山華街跡の碑」 を見た後、偶然通りかかった地元の方のお勧めに従って、一旦丸山本通りから 路地に入り、「梅園身代り天満宮」と「中の茶屋」を門の外から眺め、また丸 山本通りに戻って花月の玄関を眺め、丸山公園の脇を通って、アヤシイ路地を抜けて、 集合場所の JAL シティーへ。そして、すぐ横の中華街の路地にある江山楼へ入る。

3,000 円の cource を頼む。うまい。すばらしい。喰うのに夢中になって、い くつかの料理は写真を撮り忘れるという罠が‥‥。ソフトボール大もありそうな芝麻球に恐れおののく。

一通り平らげて、まったり。閉店時刻が近付いたので、会計をすませ、店の前 でしばし待つ。やがて‥‥をを、「秘伝」が流れてきた! 店頭の speaker でも流しているせいか、結構はっきり聞こえる。

聴き終ったので、解散。Hotel に戻る。

部屋に戻ってひとっ風呂浴びたあと、s30 を NAT box にするべく作業を試み る。が、結局のところ、失敗。ざっと情報を洗った限りでは「-nat を起動時 option に指定する」くらいしか出てこないのだが、それだけでは駄 目なんだろうか?

こちらがそれで格闘しているうちに、部屋では更に別の問題が発覚し、騒ぎに なっていた。ある mailing list に投稿された mail のうちの一部で、 「Subject に『Date: 〜』と時刻情報が入ってしまう」というもの。その ML は Majordomo を customize して使っているので、「もしかすると、改変部分 に問題が?」という話になる。当該の mail を見ると、明らかに「Subject: 」のあとに Date: header の内容が連結されてしまっている。 早速、subject を加工している部分を中心に調査を開始。まず、発生条件の洗 い出しを行なった結果、「件名を設定しないで mail を発信すると、一部の mailer や Docomo の i-mode 端末では『Subject: \n』だけの行 (subject の中身が空)が生成され、そのような mail が ML handler を通る と当該現象が発生することがわかった。一方、問題の発生しない mailer では、 subject を設定しない mail を送信しようとするとそもそも Subject: header が付加されず、ML handler によって想定通りの処理が行なわれ ていることがわかった。前者が RFC 2822 に違反しているかどうかは確認でき なかったが*2、どうもこの現象は customize した部分とは直接関係のない部 分で発生しているようなので、Majordomo がそもそもそのような subject: header を想定していない可能性がある。そこで、もしそ のような Subject: を受けとると、その行はなかったことにする処 理を追加してみた*3ところ、期待通りの動作をするようになった。

ほっとして寝る。作業をされた AK さん、作業に御協力いただいて test 用 mail を送信して下さった皆さん、ありがとうございました m(__)m

*1: 使っている mailer の仕様で、POP server に蓄積されている全ての mail を 受信し終わるまで、送信 queue にたまっている mail を送ってくれないらし い。ところが、現地連絡用の ML が concert 前日とあってかなり活発で、さ らに沿線の電波状況があまりよくないので、「溜まりに溜まった mail を取り 込んでいる内に圏外になる」という状況が延々続いてしまい(圏外である間に もどんどん mail が届くため)、一向に mail を送信できなくなってしまって いたのだ。

*2: 「駄目」とは書いていないようなので、違反ではないらしい。

*3: 実際には、私は script の問題箇所を抽出し、「こういう処理に変更しましょ う」と言っていただけで、実際の改変作業そのものは AK さんが行なった。


2002/08/06 (火) 長崎・晴のち曇一時激しい雨 <長崎行・4 日目>

あさ〜入場待ち

4 時過ぎまで ML handler の debug をしていたのが祟って、8 時 15 分まで には目が醒めず。結局、起きたのは 10 時前‥‥。

昼食は江山楼へ。JAL シティー組とは 11 時にお店の前で待ち合わせ。Tredia 組は一旦 lobby で集合し、その後移動を開始。

とてとて歩いて JAL シティーへ。 ほぼ定刻に到着し、JAL シティー組とともに、JAL シティー隣の店舗へ。

皿うどんは昨日いただいたので、今日はちゃんぽん。うまいなぁ :-D==

喰い終ったあと、近くのダイエーに移動して、飲食物の買いだし。家を出る時 慌てて飛び出したために下着を一部持ってくるのを忘れたので、ついでにそれ も買う。それはそうと、「紳士用品」の売場のはずの 3 階に女性ものが溢れ ているのはなぜですか? 挙げ句の果てに、中央レジを取り囲むように女性下着売場 を置くのはやめて下さい (-.-;。>長崎ダイエー

買い出しの終った順に、タクシーを捕まえて稲佐山に登る。ぐいぐいと登る。 そらもう登る。

駐車場に到着。今日は駐車場への一般車乗り入れは禁止され、駐車場は専ら入 場待ちの整列と bus・taxi の発着場になっている。朝雨が降っていたせいか、 例年に比べて列の成長は遅いらしい*1。列の最後尾に並んで待っていると、リ ハの音が聞こえてきた。

日差しは強いが、気温はあまり高くなく、何よりも結構強い風が吹いて来るの で、あまり暑くない。しばらくすると、日が雲に隠れがちになってきた。あま つさえ、そのうち風が急に冷たくなってきた。これはいかん、と前日に 100 円 shop で買った上下の雨具を着込み、荷物に雨避けの cover をかけている と‥‥おお、きたきた。しかも、結構強い。仕方がないので、それまで荷物の 下に敷いていた敷き物を荷物の上にかける。が、地面に水が溜まり、結局一部 が濡れる羽目に。それでも上下の rain coat を来ていた私は足元がずぶ濡れ になった程度ですんだものの、雨は強い上に横殴りだったため、上だけしか着 ていなかった人やポンチョ type を着ていた人は、下半身までずぶ濡れになっ ていた。リハもしばらく中断。

雨はしばらく降り続いたが、やがて徐々にやみ、その後はまた強い日差しが戻っ てきた。おかげで、靴こそ乾かなかったものの、下半身が濡れてしまった人も 服が乾き、降った時間が比較的早かったせいで地面も乾いたので、会場で座る 際の心配もほとんどなくなった。リハも再開。雨の間発車を見合わせていたと 思しき bus も続々やってくる。

リハが 30 分ほど中断した影響もあり、30 分遅れで入場開始。櫓の右側やや 後方に陣取る。櫓の前にあるテントの屋根が邪魔であまり良く見えないが、 「テントの屋根は早晩撤去されるだろう」との読み。

会場内の特設売店で買い出し。‥‥なぜサーターアンダギーを売ってますか? しかも、売ってるオバァはウチナーグチみたいだし (^^;

*1: 実際、我々が着いた頃は山に登ってくる bus や taxi はあまりなく、しばらくしてから続々とやってきた。

開演

開始は定刻通り。「まだ雨が降るかもしれない」という判断をしたらしく、予 想に反してテントの屋根は外されない。しばらくはすき間からのぞき込むよう にして見ることに。

いやあ、しかし、やっぱり生はいいやね :-D

昨年 BS で見ていてがっかりした「募金の呼びかけ」は、案の定 claim がつ いたらしく、今回は生中継が news で中断している間にこっそりと。

最後の曲となった「小さな手」は、微妙に 2130 時を廻って終了。多分曲の途 中で中継は切られたのではないかと。

終了後

誘導に従って gate の外へ。とりあえず、岡松さんの「東京直行」のたれ幕の破棄と いう儀式をよってたかって撮影。これでつき物は落ちたかと思いきや、実は入 場前の雨のために携帯の端末が水没死していたという event が発生。やっぱ り呪われてたのかー。(爆)

送迎 bus で麓に降り、そこからてくてく歩いて hotel へ。やがて他室や JAL シティーからも member が集まり、宴会へ突入。

皆それなりに疲れているので、終了は早め。それでも、翌日にトルコライスを 喰いにいく打ち合わせだけはしっかり終了 :-D。隊長は半ば強制的に言い出しっぺの Nakami さんが拝名。それにしても、いつの間にか 10 名近くまで人数が膨らんでますよ?

飲物や喰い物が大量に余るという罠が‥‥ (-.-;


2002/08/07 (水) 長崎・朝のうち一時激しい雨のち晴/下関・薄曇り、夜は晴 <長崎行・5 日目>

あさ〜ひる

10 時の check out に対し、9 時 30 分頃起きる‥‥。

昼食はトルコライス。本当は 10 時に lobby で待ち合わせだったので、急いで支 度をして降りていく。1 回に降りる途中、とんでもない量の荷物を抱えている 私を見た EV の maintenance をしていた人に「何屋さんですか? (^^;」と訊かれてしまう罠。

JAL シティー組とは 11 時に先方の lobby で落ち合う予定で、「それまでのんびり散歩でもしながら行こう」と言ってい たのだが‥‥なんと外は大雨。しばらく lobby で天候の回復を待つ。

なんとか雨が上がったので、front に荷物を預かってもらい、移動を開始。とてとて歩いて JAL シティーへ。 ほぼ定刻。そのまま繁華街へ流れる。

目指す「ツル茶ん」へ到着。早速店内へ突入。5 種類あるトルコライスから、 めいめい好きなものを注文する。‥‥なんか、おもしろい食べ物だ*1 (^^;

ご馳走さまー、と店を出て、今度はみんなで岡松さんの機種変更の瞬間に立会 いに行く。Docomo shop に移動し、歴史的瞬間を目撃。

無事に目的を達し、皆でぞろぞろと JAL シティーの lobby へ。肉部へ 3 名 様ご案内とか。しばし盛り上がっているうちにいい頃合になったので、解散。 Tredia 組は荷物を取りに一旦 hotel に寄り、そのまま駅へ向かう。

長崎(九州)離脱

帰りの「白いかもめ」は自由席。ほかの 3 人はみやげを買うというので、私 は先に構内に入って座席を確保*2

無事に全員揃い、発車を待つ。みんな割と燃え尽きたようで、まったりと。

割とぐったりとした昼下がり。下りと同じく、諌早湾が見えてきたあたりで車 内改札が。行きに「困惑する車掌の図」を目の当たりにしていた同行者 2 人 が「お楽しみの時間が来ましたよ?」とわくわくしていたが、帰りの乗車券は 1 枚だけだし、長崎からどこかへ行く場合は大概その区間を通るし、まだアヤ シイ下車印は押されていないし‥‥というわけで、あっさりと終了。わくわく していた 2 人は肩透かしを喰らった格好でがっかりした様子。あんにゅい。

実家へ向かう Nakami さん、熊本へ向かう長沢さんの 2 人と、鳥栖で別れる。 残る我々 2 人は、そのまま博多へ。巡回中の車掌を捕まえて、博多→小倉間 の自由席特急券を買う。

博多に到着。新幹線に乗るおぐりさんとコンコースで別れ、「白いソニック」 へ。‥‥めちゃ混みだぁー T_T。仕方なく、談話 space へ。

小倉で、下関行きに乗り換える。いよいよ九州とさようなら。Dead section を通過し、関門 T へ突入。

下関(〜 hotel 入り)

下関に到着。taxi に乗ろうかとも考えたが、hotel の前までは bus も走って いるようなので、案内 system で乗場と発車時刻を検索。‥‥ 5 分間隔です か (^^;。Bus に大決定。サンデンバスさんありがとう。でも、 print out された乗場案内図は極めて解りずらい。間違えて、一度ロータリー のはずれのほうまでいっちまいました。またもとの場所まで戻ってよーく探す と‥‥目の前じゃん (__;

やがてやってきた bus に乗り、hotel を目指す。唐戸を過ぎると、道は海沿 いへ出た。道ばたには旧跡を示す標識や石碑がそこそこに建っている。数は多 いしそれなりに分散しているので、このあたりを見て廻るには自転車が便利かな*3

「マリン温泉パーク前」で下車。カートをひきずって hotel へ。ほどなく、 マリン温泉パーク内の「下関マリンホテル」に到着。天然温泉付きの hotel との ことだったのだが、温泉部分は別棟になっていて、「温泉だけ」という客も気 軽に入れるようになっている*4。まあ、要するに、「温泉パーク」そのものが hotel の設備の一部であるわけで。

Hotel の男性従業員は皆アロハを着ている。敷地内にはフェニックスも植えら れていて、全体として南国ムードを醸し出している。その一方、front の対応 には卒がなく、当たりも柔らかい。とてもいい感じ。

Business hotel ではないので、部屋まで案内してくれる。山のような荷物を 抱えていったので、台車が登場。しかし、これが全部は積み込めないという罠。 積めるだけ積んで、部屋へと向かう。

EV の button などや lobby 付近の作りなどに建物自体の旧さが見て取れるのだが、 建物内は奇麗に改装されている。部屋は西向きで、関門海峡(関門橋など)が 一望できる。部屋の中もかなり奇麗。Hotel ではあるが、8 畳の和室+広縁と いう和風の作り。落ち着いちゃいます。内風呂・トイレは大きめの 3 点 unit なんだが、床が tile 張りというのがおもしろい。トイレは washlet つきでお尻にも優しい(謎)。ただ、推薦便器は lever 式でなく button 式で、これが若干重いのが気になるといえば気になる。

何はさておき、温泉風呂へ。湯温は標準的。なかでも薬湯は温めで、じっくり 漬かるには最適。露天風呂からは関門海峡から豊後水道方面が一望できる。

時間になったので、上階にある restaurant で食事。ここでも table や椅子 に時代を感じるが、かなり奇麗に maintenance されていて、清潔感に溢れて いる。結果として、設備の旧さは全く気にならない。案内されたのは西向きの 窓際席で、夜の闇に包まれつつある関門海峡と、そこを航行灯をつけて行き交 う船が一望。

料理はふくその他の海産物中心で、和洋取り混ぜてさまざまに仕立てられてい て、とても美味しい。従業員の方も絶えず客席に目を配っているようで、実に timing よくお茶やご飯を持ってきてくれる。大満足。とても美味かったので、「今夜の献立はありま すか?」と訊くと、manager らしき方が「印刷したものは特に用意していない んですが、手書きでよろしければ‥‥」。恐縮しつついただくことに。

食事が終わってお茶を飲んでいるところに、直筆の献立表を持ってきてくださっ た。「手書きであまり格好がつかないんですが‥‥」と仰るのだが、ありがた くいただく。

「ごちそうさまでしたー」と部屋に戻ろうとすると、「手書きではあまりに格 好がつきませんので、今日の献立とは少々違うのですが‥‥」と、厨房向けの 献立(ワープロ打ち)を下さる。大変にご面倒をかけさせてしまったようで、 申し訳ありません m(__)m

せっかくいただいたので、献立を。ありがとうございました&ごちそうさまでした。

前菜千年貝 鯨ロース煮 煮凍り(河豚)
  烏賊明太和え 蛸柔煮 菊葉
吸物白味噌仕立
  玉子豆腐 海草 手毬麩 木の芽
造り平す 鯛 鮪 烏賊
  赤のり 大根 大葉 レモン 山葵
鱧チリ
  白菜 椎茸 葱 春菊 豆腐 生麩 薬味
焼物伊勢海老雲丹焼
  福久佐焼 はじかみ
洋皿河豚ソテー
  トンブリ 葱 トマト レモン
油物河豚唐揚げ
  青唐 レモン 葛切り
    天だし 薬味
変り鉢茶碗蒸し
  鶏 椎茸 かまぼこ 銀杏 若布
酢の物あらかぶ南蛮漬
  玉葱 胡瓜 人参 レモン 紅生姜
水物季節の物(西瓜)
香の物 浅漬け三種
食事白ご飯

深夜の長府散策

長府の町まで程近いので、散歩に出かける。まずは hotel の前の国道 9 号線 を東に。「美術館前」bus 停を過ぎたところで、台風の被害(だっけかな?) で閉館・移転を余儀なくされた水族館の gate が残存しているのを激写。歩道 橋で道の北側の歩道に移り、さらに東へ。「松原」停留所を過ぎたところで、 左に斜めに分岐する路地へ入る。突き当たるまで進み、道なりに左に曲がると‥‥ をを、左右に練塀が。

そのまま練塀の町並みを道なりに進む。なかなかよい雰囲気。日中にゆったり と歩いてみたい。

旧野々村家表門、長府藩侍屋敷長屋を過ぎて、壇具川へ。橋を渡り、今度は川沿いに上流へ。案内板によると、初夏のころには螢も見られるらしい。

やや行ったところで、右に折れる。ぽてぽて歩いていくと、何やら小さな駐車 場が。2 つのお店の来客用共同駐車場らしい。とりあえずその角を右に曲がっ てみると、右側にいい雰囲気の和風建築がある。下関駅でもらった「城下町長 府マップ」にも載っている「おもと」という和食処らしい。もしかして教えて もらった料理屋さんはここかしらん、と写真を撮る。道を挟んで斜向かいには 郵便局。

「おもと」の前の道をさらに進むと、もと入ってきた道に行き当たったので、 そこを右に。曲がってすぐ右側の和菓子やさんがいい雰囲気なので、写真を撮 る。さらにその向かいに、とても落ち着いた雰囲気の和風建築があったので、 これも写真を。雰囲気からは、料亭のような感じ。

さきほど曲がった橋の袂に戻ってきたので、今度は川沿いに南へ下る。川沿い の道も、そぞろ歩くにはいい雰囲気。

国道 9 号線に出たので、右に曲がって hotel へ向かう。道の左手には高校が あるのだが、塀が練塀風でこだわりが見られる。それはいいとして、塀の高さ が妙に低い。ほとんど胸の高さくらいまでしかない。さらに進むと fence に なったが、これも高さは変らない。それどころか、敷地内がすぐに盛り上がっ ていて、内側からだとひょいと飛べば fence を越えられてしまう。これは土 地柄なんでしょうか?

Hotel へ戻ったのは 2325 付近。ひとっ風呂浴びようか‥‥と思いきや、既に 大浴場は照明が落ちている。あれっ、と思って部屋に戻って案内をよーく見て みると、備え付けの案内書きが営業時間の短縮を反映していなかった。別の pamphlet や館内の掲出物では、「23 時まで」と書いてある。あぅー T_T

外出前にお願いしてあった massage を受けて、ちょっと mail を読み書きし、寝る。明日は 0830 時には hotel を出ないと。

*1: ヘンな意味ではありません。おいしい :-D

*2: 私はなぜかまだ旅程が半分残っているので(爆)、この時点でみやげを買い込 むと、えらいことに‥‥。

*3: それぞれの間は車で移動するほど離れておらず、それが海岸線沿いに転々と存 在しているので、車だとかえって小回りが効かなそう。

*4: ただし、宿泊客に較べて、外来の入浴可能時間帯はやや短い。なお、宿泊客は 無料で何度でも入れるが、24 時間ではない(さらに、最近風呂の営業終了時 刻が 23 時までに早まったらしく、一部の備え付け文書では 24 時までとなっ ているので注意)。


2002/08/08 (木) 下関〜小郡〜増田〜倉吉〜三朝温泉・晴 <長崎行・6 日目>

あさ

6 時には起きるはずだったのだが、やっぱり二度寝してしまい、携帯から響い た mail の着信音(気動車 chaim)で一気に目が醒める。普段自宅にいる時は こんなことないんだけど、やっぱり旅に出ると敏感になりますな (^^; ← たびてつの習性?

朝食までは若干時間があるので、朝風呂。浴室はほぼ毎日入れ替えなので、昨 晩とは逆の浴室。こちらもなかなか。朝靄の中で海峡を行きかう船を眺めなが ら露天風呂。

朝食もうまい。Restaurant を出しなに「ご馳走さまでしたー」と声をかけたら「行ってらっしゃいませー」と声が返ってくる。実にすがすがしい。

Check in の際、「0910 頃の列車に乗るのは何時頃出たらいいでしょうね?」 と訊いたら「0830 には bus に乗っていた方がいいと思います」と言われてい たのだが、支度が遅れて、front に降りたのが 0830 頃。荷物をひきずって道 路に向かう間に、目の前の道路を立て続けに 2 台 bus が通過。

結局 bus 停に着いたのは 0840 付近。これは taxi を拾って長府駅に向かっ た方がいいかな‥‥と思っていたら bus が来たので、とにかく乗る。

間に合うかどうかどきどきしつつ駅へ。なんとか発車 7 分前に駅前の降車場 に着き、bus を降りて改札へ‥‥向かってカートを引っ張っていると、「から からから」と音がする。点検すると‥‥ぐはぁ、カートが壊れてる‥‥ T_T

とりあえず移動に支障はないので、外れかけて引っ掛かっている部品を外して 回収し、そのまま改札へ。降車場は駅前ロータリーを挟んで駅舎と反対側なの だが、なんとか発車定刻の 3 分前には車内に。やれやれ‥‥ (-.-;(← よいこは真似しちゃいけません)。

下関→小郡

下関は所定より 2 分遅れで発車。幡生で山陰本線が under cross で分かれて いく。新下関駅周辺は山中に突然町がわいたような風情。以前の新横浜*1もそう だったけど、新幹線との接続のために新設した駅ってのは、大概こうだな*2

長府までは所定で十数分。Hotel からは長府駅のほうが圧倒的に近いので、結 局のところ、上り列車に乗るなら直接長府に向かった方が良い。まあ、間に合っ たからいいんだけど、もし間に合ってなかったら、今頃歯噛みしてたんだろー なー、と思ってみたり。

山側席でしばしのんびり。

〔SL やまぐち〕号

小郡着は所定。〔SL やまぐち〕号は駅本屋に接したホームから出る。この駅 も escalator がないので、全車指定で、且つ接続時間に余裕があるのをいい ことに、階段を利用するほかの乗客が途切れてからゆっくり移動。

取れている席は 3 号車進行左側前向き。この日の 3 号車は団枠だったらしい。 つまり、団枠解放の席ということ。同じ車輛の後ろ半分は実際に団体が乗って いる。逆に、前の方は box ごと空いている。そのうち乗ってくるのか? ま あとにかく荷物を置き、カマの方へ行って写真を少々。さらに時間があったの で、改札の並びにあるソバ屋兼売店で、駅弁を。

定刻に発車。以前長野で D51 498 牽引の列車に乗ったときには発車した途端に 「ぽぉー。♪汽車汽車しゅっぽーしゅっぽー‥‥」と車内放送が入ってげんな りしたものだが、さすがに国鉄時代から復活運転をやっている本家は、そういっ た過剰な演出がない。Olgol が電子音化されていたのは少々残念だったが、そ れでもお定まりの客車 olgol と肉声放送には旅情をそそられる。

それはさておき、隣の box がやかましい。いかにも「2 人の孫が来たので、 SL を体験させてやろうと連れてきた」という 4 人連れなのだが、小学校高学 年くらいの女の子がぎゃあぎゃあ騒いでうるさい。引率している爺様は、孫の 暴走を抑えられないばかりか、むしろ自分が率先してはしゃぐ始末。孫を甘やかすの も結構だが、列車内は公共の場であるということを完全に忘れている。そうい う馬鹿騒ぎは自宅か自家用車の中でやってくれ。もう一人の小学校低学年くら いの男の子はあまり興味がないらしくて静かに弁当を喰っている。列車そのも のに興味がないのは女の子も同じなのだが、静かな分だけ下の男の子のほうが 周囲としてはありがたい。婆様は完全に「お付き合い」といった様子で、爺様が女 の子を連れて展望車の方へ行ったあとは、席でぐったりしていた。こういった 復活運転の列車(特に SL 牽引のもの)では、nostalgie を感じるのは専ら年 長者で、さして興味もない子供や孫を「よかれと思って」連れてきて自分の価 値観を押し付けている図をかなりよく見かける。だいたいそういった場合、連 れてこられたほうはすぐに飽きてしまって大騒ぎを始めるので、廻りとしては いい迷惑だ。特に SL 列車の場合は運転速度がどうしても遅くなるので、 speed 感に慣れた今の子供は一層飽きるのが早いように感じる。 背もたれが高くなっている*3せいであまり気にならないが、実際車輛の 後ろ半分にいる団体客のあたりはすっかり動物園状態だ。こういった復活運転 の列車は実際のところ「客寄せパンダ」的存在で、このような客は実質的に (足となる線区を含めて)乗車人員を水増ししてくれる貴重な存在であること は鉄道会社の立場から見れば明らかなことではあるが、興味のない子供を乗せ て自己満足に浸っている保護者や、どんなに大騒ぎになっていても注意すらし ない乗務員*4には、一考をお願いしたい。結局のところは、躾の問題なわけだ が。最近〔銀河〕や〔きたぐに〕などの夜行列車に乗っている親子連れなどは 非常に静かで感心させられること頻りなので、いっそうその感を強くする。

しばらくして、乗車客が一段落ついたので、車内を歩いてみる。ごく稀に、 「目を輝かせて窓の外に流れる景色やたなびく煙に見入る子供と、それを見守る若い両親」 という光景を目にしてほっとする。が、車内は総じて飽きた子供で騒然として いる。もはや tunnel 内の走行音すら喧騒にまぎれて聞こえなくなるくらいだ。

篠目にかけては、登り連続勾配の難所。機関士にとっては最大の腕の見せどこ ろで、カマは足下を踏みしめるようにじっくりじっくり登っていく。 しかし、今にも止まりそうな歩みに、周囲のお子様共はますます飽きて大騒ぎ。 それはそうと、車内で買った記念オレンジカードに付いていた勾配表によると、 その「難所」の最大勾配は 15‰ なんだそうな。現在の山陽本線を敷設した山 陽鉄道の社長が「本線での最大勾配を 10‰ 以下に抑える」ことに執着したの も頷ける。電車全盛の今となっては、本線上に 15‰ の勾配があるのは当たり 前、下手をすれば 15‰ の勾配上に駅があったりする。粘着性能の違いを見せ 付けられる思い。

長門峽に停車。便所に行って戻ってくると、これまで空席だった私の box の 残り 3 席に人が座っている。それはいいのだが、なぜかそこに車掌ともう一 人若い女性が集まって、鳩首会談をしている。近寄ってみると、窓際に置いて あった video movie の存在が問題になっていたらしい。車掌が「どかしちゃっ ていいですよ」と言うのに対し、座っている客が「でも、撮影してるみたいな んですけど」などと言っている。「それ、私の何ですが」と声をかけると、女 性が「ああ、こちら(といって、私が座っていた場所を指す)の方ですか?」。 車掌がぶっきらぼうに「指定券は?」というので、「ありますよ?ほら」と言っ て、乗車券と指定券を差し出す。車掌は私をじろりと一瞥したあと、女性に向 かって「席番の照合を」と言いつつ券を受け取り、「えっと、あのー‥‥」と 何かいいたげな女性を置き去りにして券面の表示と車輛の席番表示を何度も見 比べている。当然ながら一致している。車掌はしばらくキョロキョロ見比べた あと無言で券を私に返して寄越し、ノリホに記入しながら「おかしいなぁ、こ こ団体さんでしょ?」とぶつぶつ。すると、その女性が「あ、ここ御相席なん です」。どうもその女性は添乗らしい。もっと早くから「相席だ」とはっきり言えよ。 車掌は結局無言でどこかに行ってしまった。これだけ混んでれば団枠の解放は 当然ありそうなものだし、そもそもどうも車内改札に来ないなと思っていたの は、どうやらその車掌が「この車輛は団体」と決め込んで廻らなかったのが原 因だとここで判明。この頭の悪すぎるやり取りを誰かなんとかしてくれ。

しばらく自分の席に座っていたのだが、この相席の家族連れもどうにも具合が 悪い。なんだか、「人前なので、しっかりものの保護者と物分かりのよい子供 を演じています」という空気がビシビシと伝わってくる。居心地が悪いこと、 この上ない。普通の親子連れではこんな気分には普通ならないのだが、このと てつもないぎこちなさは一体なに。

地福に接近。後方の団体のあたりからは、「はーい、降りますので、みなさん 支度してくださーい」と添乗の声が聞こえてくる。果たして、その団体は地福 で降りていった。発車後も誰も乗ってくる気配がないので、そちらの席で汚れ ていないところを探し(そう、探さなければならなかったのだ)、移動。なん だか解放されたような気分になる。何なんだ‥‥。

終着の津和野に到着。もう多客期には乗りません、ええ。もっとも、この列車 は休みの時期か週末にしか基本的に運転されないので、もう二度と乗ることは ないのかも。

*1: 今は office ビルが建ち並ぶ駅前も、少し前までは広い駅前道路を挟んで田圃 が広がっていて、まるで「A 列車で行こう」series の「発展途上の駅」を見 ているようであった。

*2: 現在の新青森駅(新幹線との接続駅として奥羽本線に設置された「既成事実」) を見れば、歴然。まあ、接続駅に限らず、岐阜羽島(東海道新幹線)や安中榛 名(北陸新幹線)なんかは、もっと酷いけど。

*3: 今の〔SL やまぐち〕号用の客車は改造車で、5 輛の客車はそれぞれ異なった 時代を motif としている。3 号車は「昭和風」。

*4: 自分だけが離れた席に座って寛いでいる団体の添乗員を含む。

機廻し

ほかの乗客が降り終わるのを待って、ホームへ降りる。乗継ぎの〔S おき 4〕号の発車までは 1 時間以上あるのだが、この炎天下で町中へ出る気にはな らなかった‥‥というより、階段の登り降りをする気にはなれなかった*5ので、 〔SL やまぐち〕号の機廻しを見物することにした。大量の家族連れが改札口 から吐き出されていき、急に静かになった駅構内で、淡々と作業が続けられていく。

まず、着線の下り本線*6から列車ごと下り方向に引き上げ、そのまま推進運転 で駅本屋に接した側線に。

次に機関車が切り離され、単機で一旦下り方に出て、下り本線を通過して構内の上り方に移動。編成最後尾で展望車に連結。

今度は展望車を切り離し、展望車+機関車の状態で上り方に引き上げ、本線を 横断して北側の側線(ホーム横付近)に。

さらに側線を下り方に移動し、転車台に展望車を乗せる。

展望車の方転後、それを引き出して側線上に留置。

展望車を切り離し、側線にある機廻し線を通って展望車の下り方に回り込む。その際、一旦転車台に足をかけるのだが、ここではカマの方転はせずに、後ろ向きの推進運転で側線のホーム横付近に移動。

展望車を牽引して側線から本線下り方に出、そこから推進で編成下り方に展望 車を連結。

同じ経路を逆に辿って転車台へ。ほぼ 90 度方転し、建屋脇の給水所へ消えていった。お疲れさん。

*5: 津和野にも escalator の設置はない。それどころか、昔はあったであろう構 内踏切も見当たらない。車椅子の乗客が来たら、どうするんだろう? 駅員総 出で抱えあげるんだろうか。津和野ほど列車密度が低い駅なら、わざわざ客に 跨線橋を登り降りさせる必要はないのではと思うんだが。構内踏切でしのいで いる駅はたくさんある。

*6: 津和野駅のホームは島式の 1 面 2 線のみ。

小郡→米子→倉吉

ホーム上には自販機がないので、一旦駅舎を出て、駅前で飲み物を買う。津和 野の駅前には何件かレンタサイクルの店があり、そこでは手回り品を無料で預 かってくれるらしい。もうちょっと時間があって、なおかつ階段の上り降りが 苦にならなければ、是非廻ってみたいところではあるのだが。どのみち、1 時間ほどでは、町中を一巡りする程度。

ほどなくしてやってきた〔S おき 4〕号に乗車。今度も進行左側。山口線をさ らに進んで益田へ。改札で廻ってきた車掌は、なぜか乗車券にも入鋏していった。

益田を過ぎ、ほどなく車窓に日本海が広がった。燦々と降り注ぐ陽光に、美 しい海が紺と emerald green の gradation を見せている。周囲の乗客から思 わず歓声が上がる。日差しの強さに冷房の効きが悪く、座っているだけで汗だ くになる陽気ではあるものの、美しい景色を眺めつつ列車の揺れに身をまかせ ていると、なんとものどかな気分になる。何といっても車内が静か。津和野ま での喧騒が嘘のようだ。野生の王国から帰ってきたという感じ。

やがて列車は海から離れ、今度は宍道湖に沿って走っていく。のどかな風景。 うとうととしているうちに、列車は米子へ。

3 分の待ち合わせで慌ただしく乗り換え、〔とっとりライナー〕で倉吉へ。このあたりは国鉄色がよく残っており、紀勢本線亀山口での滅亡後、全国でも最大の国鉄型王国となっている。私が乗っているのは原色のキハ 58 + 28。近くには local 運用の(いわゆる)首都圏色*7のキハ 40 系や、全国でもほぼ唯一の存在となった原色のキハ 181 系ががいたりする。激しく萌え。

懐かしさを感じさせる走りに約 1 時間揺られて、倉吉に到着。ここでも escalator はない。宿の方が駅ま で迎えに来てくださっていたのだが、重い荷物を引きずるようにしての階段の 昇降に手間取り、少々お待たせしてしまった。すみません m(__)m

*7: 「タラコ色」とも呼ばれる。着色料で着色されたタラコの色(つまりは食紅と か)に似ているので。

三朝温泉

そんなわけで、今夜お世話になる「木屋」さんのご主人の車で宿へ。最初は無 言だったのだが、「いつものとしもこんなに暑くなるんですか?」と話しかけ てから会話が止まらなくなってみたり。「温泉地だと、やっぱり冬の方が混み ます?」なんて訊いたし、そもそもとんでもない量の荷物*8を抱えていたりし たので、「もしかして取材ですか?」とか訊かれてみたり。実際、宿の方には それと知らせない「お忍びの取材」なんてのが結構あるらしく、そういうのに 感化された馬鹿な客が傍若無人に振る舞って宿に多大な迷惑をかけているらし い。「俺は客だ!」なんて尊大に威張り散らしたって、なにもいいことはないのにねぇ。 そういう連中は、むざむざいろいろな chance を逃しているようなものだ。そ もそも客商売において「どちらが絶対的に偉い」なんてことは決してなくて、 対価を払って service を提供してもらうという関係は基本的に対等のはず。 どうせ仕事をしてもらうなら、気持ちよくしてもらったほうが、双方にとって シアワセだ。どーでもいいことで怒りをぶつけたり、日頃の憂さをぶつけたり するような無駄な energy があるなら、もっと別な方向に使えばいい。日常の ギスギスした空気を持って歩いてどうすんの。 私の知り合いでも、何かというと必ずぶつぶつ文句を言っている人がいるが、 そういう人と一緒に旅行をすると、周りも本当に疲れる。何でわざわざ金と時 間を使って疲れ果てに行かなきゃならんのか。

いろいろと話が盛り上がり、とてもここでは書けないような話も聞きつつ、あっという間に宿に着く。 着いた宿は、こじんまりとしつつ、それでもどっしりとした風格を持つ、ちょっ と懐かしい感じの二階建ての和風建築。玄関は川に沿った路地に面しており、宿の裏手は すぐに川。宿のご主人は、夜になると宿の向かいの喫茶店のマスターに変身す るらしい。のちほど顔を出すことにする。

案内された部屋は、玄関を入って帳場の前の階段を上がったところにある部屋。 建物自体はそう新しくないはずだが、部屋は小綺麗で、全く古さを感じない。 すっきり効いた冷房が心地好い。 トイレは広縁にある。もとは洗面所があったところらしいが、丁寧に改装され ており、清潔感に溢れている。川を挟んだ反対側にはかなり大きな hotel が 建っているが、どちらがいいかは好みによって分かれるところだろう。少なく とも、温泉街の中心はこちら側(左岸)だし、温泉街そのものがあまり大きくないこともあって、「昔ながらの温泉宿の風情」は対岸の hotel では味わいにくいと思う。「温泉街」ってのは、中にいるものであって、 上から見下ろすもんじゃないと思うんだよねぇ。

宿の風呂は 2 個所。まず、帳場の前の階段(部屋に入るときに通ったもの) の裏から半地下に降りたところにある「元湯」。ここはどこかからお湯を引い たものではなく、浴槽の下から直接湯が湧いているらしい。浴室の床が地熱で 熱い*9し、湯船に漬かっていると、時折「ボコッ」と気泡が浮かんでくる。ここ は浴室が一つしかなく、誰かが入っているときには入口の扉そのものを閉めて しまうので、入れない。洗い場と言えるようなものも特にない。もう 1 つは、帳場から正面の方向に進んだ左側にある風呂場。こちらは川に面して 大きな窓があり*10、露天風呂ではないもののそれに近い雰囲気が味わえる。こ ちらは男女で浴室が分かれており、洗い場には shower もある。湯温も元湯に 較べるとやや低め。最初はこちらの浴室でからだを洗ったりゆったり漬かった りし、その後元湯でさらに漬かるのがいいだろう。元湯には「飲泉」もある。 ただし、結構熱いので注意。

ひとっ風呂浴びてさっぱりしたあと、食事。場所柄*11、蟹が出るかな?とちょっ と期待していたのだが、時期が時期なせいか、それとも値段のせいか、蟹は出 なかった*12。しかし、食事の方は、高級食材こそそんなにないものの、じっくり 手を掛けて丹念に造られた懐石料理で、品数も多く、大満足。

夕食が終わり、部屋に布団を敷いてもらっている間*13に、温泉街を歩いてみる。 といっても、そんなに大きくない街なので、川の対岸まで含めてのんびり歩い ても 1 時間とかからない。温泉街の入口にある橋の袂の河原には誰でも自由 に入れる露天風呂があるのだが、橋の側によしず張りの脱衣棚があるだけ*14なの で、夜陰にまぎれて入浴している人が多数。そこから一つ上流側の橋の袂には、 キュリー婦人の碑が。三朝温泉がラジウム泉であることにちなんだものらしい。 夜空には星が瞬き、川幅の割に水量の少なめな川がさらさら流れている。都会の喧騒とは遠く離れた別世界。

一旦部屋に戻ったあと、今度は宿の向かいの喫茶店へ。宮沢賢治と親交のあっ たこの土地出身の人にちなんだ店だそうで、土蔵を改装したらしい店の奥はちょっとした資料室になっている。 珈琲を入れてもらう間に眺めて廻り、その後珈琲を飲みながらまた一頻り盛り 上がる。喫茶店の閉店の 23 時にあわせて massage をお願いしてあったのだ が、いつの間にかその時間を過ぎていて、宿のほうからかかってきた電話に慌 てて戻る始末。

Massage 士の方は、視覚に障害を持つ、まだ若い人。今まであちこちの宿で massage をお願いしてきたが、目の不自由な方が来られたのは初めて。私の体が意外にガッチリして いたらしく、一頻りさすってこり具合を探ったあと、「からだを使う お仕事の方?」と訊かれてみたり (^^;。最近では読み上げ software の改良や入力方法の改善などで PC を持つ人が増えており、ご本人 を始めとしてお仲間もほとんどの人が使っているらしい。もっとも、spec は それほど要求されないので、専ら数千円の junk を拾ってきて使っているらし いのだが、それでも生活環境を劇的に改善する効果はあるはずで、いい時代に なったものだと改めて思ってみたり。

Massage のあとは、ちょっと mail を check して、早々に寝る。それにして も、山間の温泉宿でも、Air-H" はちゃんと使える。本当にいい時代になった もんだ。深浦(青森県)がまさかの「圏外」だったので、ちょっとどきどきし ていたのだが。

*8: 特に、車に荷物を積むとき、カートを指して「機材ですか?」と訊かれた。実 際、衣類がつまった鞄の上には video movie 一式が入ったリュックが乗っかっ ていたので、実に鋭い (^^;

*9: 入口付近では、じっとしていると足の裏が熱くてたまらなくなるほど。ただ、天井が高く、明かり取りを兼ねた天窓から熱気が逃げていくようになっているので、サウナのような蒸し暑さはない。

*10: もちろん塀があるので、川沿いに歩いている人から覗き込まれることはない。 塀によじ登られたら別だけど。

*11: あとで宿の向かいの喫茶店でご主人に聞いた話によると、主に蟹があがるのは、 鳥取県内ならまず倉吉、ついで鳥取。あとは、兵庫県内の浜坂なのだそうだ。 これらは「松葉ガニ」として有名。品種としては「タラバガニ」なのだが、同 じくタラバガニで有名な「越前ガニ」の多くは、実は山陰で採れた物を持って いっているのだということを聞いてびっくり。「魚沼産コシヒカリ」の大部分 は茨城県土浦周辺で採れたものだ、というのと同じ?

*12: 冬場であれば、予めお願いしておけば 1 万 5 千円から 2 万円ほどの追加料金で出してもらえるらしい。この金額も、市価よりはかなり 低めだとか。

*13: 食事は各部屋でするので、布団は食事の片付けの際に敷いてくれる。

*14: つまり、丸見えってことです。ちなみに、水着は禁止(と注意書きに書いてある)。


2002/08/09 (金) 三朝温泉〜倉吉〜鳥取〜智頭〜上郡〜岡山〜大阪〜北陸路・晴 <長崎行・7 日目>

あさ

朝食は 8 時にお願いしてあったのだが、その 30 分前に起こされる。あー、 そうかー。布団を片さないと朝食ができないのね‥‥。

せっかくなので、風呂に行く。朝風呂ー

朝食をいただく。これもまた、微妙に手が込んでいる。芸が細かく、うまい。

明るくなった町中を歩いてみる。夜とはまた違った雰囲気が。しばし下駄を鳴 らしてブラブラ。

汗をかいたので、また風呂。出発前の入り納め。

10 時になったので、check out。またご主人に駅まで送っていただく。 カートはいい加減ブッ壊れてるし、どうせ荷物は駅に着いたら組み替えるつも りなので、バラのまま積み込む。

帰りの 車の中でも、またここには書けないような話が大爆発。業法がー、とか、某国 内通信最大手の元公社は本当にやくざよりたちが悪い、とか、束と違って経営 が楽ではない西日本はなかなか紳士だ、とか。

倉吉→鳥取

駅に着き、余分な荷物を送ろうと思って駅周辺を見回すと、駅舎内にコンビニ がある。「あそこは宅配便、扱ってます?」とご主人に訪ねると、「ちょっと 訊いてきます」と訊きに行ってくださった。あぅー、すみませんー m(__)m。で、その答えは「宅急便を扱っている」とのこと。何か送 るんですか、とご主人に聞かれたので「もうこのあと宿には泊まらないので、 要らない着替えを自宅に送っちゃおうと」と言うと、「うちでも扱ってたんで すが‥‥」。何ですとっ!*1 それは便利な。じゃあ、宿で荷物を組み替えて頼 んでしまえばよかった。うーん、次回は利用させていただこう (^^;

どうもお世話になりましたー、とご主人と分かれ、駅の待合で荷物の組み替え。 時間にはまだまだ余裕があるので、間違いのないようにゆっくり作業を行なう。 もうこのあと宿には泊まらないので、万一のための充電用器具と最低限の着替 えだけを鞄から小リュックに移し、逆に不要なクスリやら本やらを鞄へ。一通 りの作業が終わり、改めて荷物の確認をしたのだが‥‥どーもなんか忘れてい る気がする‥‥。が、考えても思い当たらないので、「きっと大したことはな かろう」と、荷物を預ける。基本的に急いで必要になるものは入っていないの で、東京に帰った当日は避け*2、その翌日の夜に配達してもらうことにし、着日・ 時間帯指定。

荷物をまとめている間に、上りの特急を一本見送る。荷物を送り終わったあと も、時間はまだまだある。鳥取からは、今日の目玉、国鉄色キハ 181 系によ る〔いなば 4〕号の走りを堪能する予定。当初は、〔いなば 4〕号にぎりぎり で接続する〔とっとりライナー〕を利用するつもりだったのだが、どうせ時間 もあるし、せっかくなので鳥取で昼食を、と思って、一本前の〔とっとりライ ナー〕に乗る。うーん、国鉄色の 58 + 28 萌えー。

当初乗る予定だった〔とっとりライナー〕は鳥取まで快速運転のスジなのだが、 その一本前の〔とっとりライナー〕は各駅に停車。のんびりと鳥取を目指す。 発車後、deck に移動して、以前鳥取に住んでいた友人に電話をかけ、駅の近 くにいい店はない?と訊くと、「駅から高架沿いに 15 分ほど歩いたところに、 うまいうどん屋がある」とのこと。それだ :-D===

心地好い揺れに身をまかせてうとうとしている間に、列車は鳥取へ。しかし、 到着が微妙に遅れ、〔いなば 4〕号の発車までは 40 分足らずしかない。敢え なくうどん屋は断念。駅弁を買い込むことにする。お目当ての〔いなば 4〕号 は同じホームから出るので、荷物は置いたままで地平階の改札口へ。

*1: 宿にいるときに「どこかで宅配便を扱ってます?」と訊けば、分かっていたん だろう。こちらは宿で扱っているとははなから思っていなかったし、向こうも こちらが荷物を送ろうと思っているとは(そう言わなければ)分からないしねぇ。

*2: 帰着の当日は、もし起きられれば午後 T-shirt を受け取りに湾岸地区某所へ行く予定だったし、そうでなくとも夜には迎撃しゃぶをやる見込みだったので。

鳥取駅

一旦改札を出ようとしたところで、事件が。例によって乗車券を示しながら 「下車印、あります?」と訊くと、改札口の駅員は券を受け取って、一言。

「あぁ、今日の分、まだ押してないんやねぇ」

は? 「今日の分」? なにそれ? と思っていると、駅員氏はその後そのま ま固まったように実に 5 秒程じ〜っと乗車券を見つめ、それから慌てたように、

「あ! はい! はい! わかりました! 結構です! すいませんすいません」

と券をそのまま返してくる。

「いや、だから下車印」
「あ、はいはい、下車印ですね」

さらに慌ててごそごそ下車印を探し、押してくれた。‥‥どうやら、乗車券が 大型なのに加え、長崎駅での入場時に押された「7 日」の入鋏と、その横に 〔S おき 4〕号車内で押された「8 日」の入鋏を見て、その件が「青春 18 きっ ぷ」であるかのように誤解したらしい (^^;

改札外の弁当屋へ。あまり悩むこともなく、「あご寿し」と「元祖かに寿し」を購入。 それを抱えて再び改札へ。改札口には、さっきとは別の駅員が立っている。乗 車券を示しながら「〔いなば 4〕号の入線は何時頃ですか?」と訊くと、駅員 氏は乗車券を受け取ってこれまた 5 秒ほどじ〜っと見入ったあと、

「‥‥山陰、因美、智頭。‥‥えーと、特急券はお持ちですか?」

はいはい、と差し出すと、それに入鋏して何やら釈然としない面持ちで乗車券 と特急券を返して寄越し、入線時刻を教えてくれた。また悩ませてしまったら しい (^^;。それにしても、列車別改札をやっている駅に来ると、 「大都市圏を外れたんだなぁ」と妙な感慨が。

ホームに上がって、しばし待つ。やがて教えてもらった入線時刻が近付いたの で、下り方を眺めていると、かすかに前照灯の明かりが見えたような気が。 Movie を望遠にして覗いてみると‥‥おお、来た来た。ほどなく、ホームに列 車の接近を知らせる放送が。

本日の目玉その 1、〔いなば 4〕号が入線。早速乗り込む。指定の座席は、編 成の先頭車輛の前より右側窓際。当日充当されていたのはキハ 181-20 + キハ 180-41 + キハ 181-24(上郡方から)という編成であった。もはや 全国でも数少ない国鉄色のキハ 181 系編成だが、現在進められている山陰本 線の高速化対応工事*3が完了すると、姿を消してしまう予定になっている。 車齡は結構高いはずだが、車内の状態はかなりよく、最新車に対してもあまり 遜色はないような。

*3: 線形の改善や、軌道の強化というのが中心になる。軌道の強化が必要なのは、 振り子式車輛を投入すると rail にかかる横圧がかなり強くなる*4ので、それに 耐えられるようにしなければならないため。最近では「1 線スルー*5」化 工事をする事例も増えているらしい。

*4: 時々誤解している人がいるが、振り子式車輛の merit は「curve で重心を内 側に振ることによって、高速通過路の転倒を起こりにくくし、通過速度を向上 することができる」点にあるのであって、「振り子式車輛の投入で乗り心地が よくなる」ことは普通ない。むしろ、今まで以上に振り回されることになるの で、逆に乗り心地は悪くなる。最近の車輛は制御つき振り子なので減ってきて いるが、初期の振り子車では「振り子酔い」が頻発していたのはよく知られて いる。今でも、振り子制御中に通路を歩くのは至難の業。

*5: 一般に単線区間の交換駅などでは「左側通行」や「右側通行」の配線になって いるために両開きの転轍機が使われることが多く、どちらの線に入る列車も速 度制限を受けてしまう。そこで、両方の線路ともどちらへも走れるようにし、 片方を通過用、片方を停車用として使い分けるようにし、通過線を定位(直線) とする片開き式の転轍機を使用することで、通過列車の速度制限を撤廃(もし くは緩和)する例が現われた。これを、「構内の本線線路のうち 1 本はスルー 運転ができる」ことから「1 線スルー」と呼んでいる。いわゆる「秋田新幹線」 がこれを全面的に採用している。

鳥取→岡山(特急〔いなば〕)

やがて発車。キハ 181 は engine 音を響かせながら快調に因美線を登ってい く。機械室に近いため、engine 音がよく聞こえる。といっても、さすがに特 急型だけあって、それなりに静か。キハ 187 系と較べても、特にやかましい 感じはしない。

早速、駅弁を。まずは「あご寿し」をいただく。ネタがかなりしっかりと乗っ た押し寿司だ。うまい。

もぐもぐ喰っているうちに、智頭へ着く。ここから先は鉄建公団建設線を引き 継いで工事を続行、開業させた智頭急行へ入る。まあつまりは北越急行(ほく ほく線)と同じ pattern なわけなのだが、乗客からするとどちらも(「高速 化」のために)鉄道会社側の都合で強制的に第 3 sector の運賃を払わされる ことになるわけで、なぜ何の見通しもなく全国一律に公団線の建設を凍結してしまっ たのか、理解に苦しむ。といっても、実際のところは、「なぜ」も何も、「永 田町の論理」がまかり通ってしまっただけで、解りやすいことこの上ないのだ が。乗客が割高な運賃を払わされることも「建設費の償還」の大前提であるわけだし。

智頭急へ入ると、山間部を直線的に結んだ結果として、tunnel ばかり。これ も北急と同じ。下り方向に較べると勾配もさほどではないのか、列車は快調に飛ば していく。

ぐーすか寝ている間に、上郡に着いてしまう。ここからは山陽本線を岡山へ向 かう。End 交換が行なわれるため、座席の向きを変える。

智頭急の線路が右手上方に分かれていくのを見つつ、岡山へ向けて発車。山陽 本線の線路はさすがに状態もかなりよく、複線区間でもあるので、キハ 181 はご機嫌で飛ばす。しばしキハ 181 の力走を楽しむ。

さんざっぱら堪能し、岡山へ到着。8 番線に到着。お世話になった〔いなば 4〕 号は下り方に引き上げていった。これがキハ 181 系とのお別れになるのかな。

岡山駅

〔いなば 4〕号を見送っていると、突然「いい日旅立ち」が聞こえてきて驚く。 よく聞くと、どうも隣(山陽線下り)のホームかららしい。その後も聞いてい ると、岡山駅では列車接近の際に「orgol 風に arrange した曲+音声」で警 告放送を流していて、しかもその曲がホーム毎に異なる*6らしい。なかなかお もしろい。が、少なくとも 14・15 番ホームの arrange は奇抜すぎ。周りに も「何これ?!」とギョッとしていた人が少なからずいたので、私の感覚が特 殊なのではないらしい (-.-;

そんなわけで、15 番ホームで待つことしばし。 途中、久々に「一部荷物室扱い」の列車を見送ったり、〔やくも〕の到着を出 迎えたり。そして、やってきた姫路行きは、湘南 色の 115 系。先頭の何両かは通常の cross seat 車。ところが、私が待って いたところに止まったのは、なんと転換 cross seat の 2 扉車。中に入って みると、どうにも内装が 117 系っぽい*7。蛍光灯には照明カバーが付いてるし、 妻面がマホガニーの木目調だったり。Seat は焦げ茶色だし。んー、いい感じ です。

岡山→大阪

発車して早々、もう一つの弁当「元祖 かに寿し」をいただく。これもまたう まい。駅弁は汽車旅の醍醐味だよねー。川沿いののどかな風景を見つつ、しば し味わう。

岡山を発車して数駅で、席はいっぱいに。弁当は混んでくる前に喰い終わってい たので、やれやれ。しかし、多くの人は和気までで降りてしまって、そこから 姫路までは空いた車内でのんびり過ごせたのであった。ちなみに、和気駅到着 直前には、山陽線を over cross する場所を含めて cycling road として整備 された片上鉄道跡が見えた。

姫路に到着。新快速に 3 分の接続で慌ただしく乗り換えたのだが、こちらは既に席が 埋まり、立ち席も発生している。仕方がないので、deck 付近に立ち、揺られ ていく。

*6: 6・7 番(山陽線下り):「いい日旅立ち」、8・10 番(伯備線): 唱歌(「今は山中/今は里‥‥」)、11〜13 番(瀬戸大橋線):「瀬戸の花嫁」、14(赤穂線)・15(山陽線上り)番: 唱歌「線路は続くよ」

*7: 控えておいた車番(モハ 115-3504)を帰宅後に調べてみると、岡山所属の車 輛で、果たして 117 系からの改造車であることが分かった。

おおさか(ネタ発生〜うどんすき)

1744 大阪着。向かいの 10 番線には 47 分発の〔日本海 1〕号が停まってい た。ついでなので、発車を見送る。頑張れよー。

待ち合わせは 1830。若干時間がある。一旦ホーム下の喫茶店でお茶をし*8、 そろそろだ、と改札を出る。で、

「下車印お願いしまーす」
「‥‥今日の分まだ押してませんねぇ」

ざ・でじゃぶ。またかいな。駅員氏、10 秒ほど食い入るように乗車券を眺め たあと、

「あ、いいです! いいです! すみません」
「いや、だから下車印」
「あ、そうか! 下車印、下車印‥‥」

ごそごそと探して下車印を押し、返してくるのへ、

「今夜の〔あおもり〕号の入線は何時ですか?」

と訊くと、すっかり取っ散らかった様子で

「ええと、〔あおもり〕ですね? 〔あおもり〕、〔あおもり〕‥‥(ごそご そ)‥‥えーと、10 番線です」
「で、入線時刻は」
「え? あ! 入線時刻‥‥えーと、2034 ですね」

そんなに慌てなくてもいいのに (^^;。それにしても、大阪駅では普 通在線時間には割と余裕があるのに、さすが golden time の臨時列車。発車 5 分前の入線とは。

荷物を coin locker へ預けるべく、荷物の整理を‥‥整理を‥‥。あれ? 家の鍵がないんですが? ガサガサと探しまわる。散々捜索した結果、見つか らない。そこでハタと思い当たった。

うがぁー! 荷物と一緒に送っちまったぁー!!

ネタ大発生。そういや、家を出てまもなく、ズボンの pocket に入っている鍵 の束が邪魔で、一番大きな bag の side pocket にしまっておいたんだよね。 もう Nakami さんのことを「ねたベンダー」とか言えません。うぅ。

結局、自分から言い出したにも関わらず、待ち合わせには 30 分遅刻。申し訳ない‥‥ m(__)m

何はともあれ、うどんすきへ。店に案内していただいたのはいいが、あまりに 鍵の件で動揺していて、camera を locker にしまってきてしまった。あぅー。 かわりに、波田野さんにうどんすきを激写してもらう。うぅ。

どたばたしていて、Hi8 の tape を集合前に買うのを忘れていたのに気付く。 いつもの pattern なら新潟に立ち寄るのでそこで補充が効くが、今回はこの あと東京に帰るまで補充が効かない。少し早めに店を出て、慌ててヨドバシへ。 結局、皆を引っ張り廻してしまった。申し訳ないっす‥‥。

*8: これが、あとにして思えば敗因だった (__;

大阪→青森(急行〔あおもり〕)

そんなこんなで、発車 2 分前にホームへ駆け上がる。荷物を送っていないで 抱えていたら、間に合わなかった。しかし、荷物を送っていなかったらこんな に大騒ぎすることはなかったはずで‥‥あぅー。

車内へ入ってみると‥‥あー、やっぱり上段は上段だった。「サロンカー」と して解放されているグリーン車へ行ってみると、車輛の前後 6 列分が saron space に改造されていて、座席は 6 列しか残っていない。これで、使用され ている編成が〔きたぐに〕の予備編成などではなく〔シュプール〕用編成であ ることが分かる。むー。席番表の編成、見事に逆順だょ‥‥。席番指定で「どー も変だ」と思ったら、A ネの号車番号を確認しましょう‥‥。

上段寝台へ潜り込む。寝台の脇の壁際に若干空間があり、そこに荷物を置ける のは助かる。が、しかーし! いかんせん天地の空間が狭すぎる。最大寸法は それなりにあるのだが、屋根の R に制約されているので、結局真っ直ぐには 起き上がれない。腰痛持ちには辛いっす‥‥。上段は初めてだったので、いい 経験にはなったけど、もう多分 2 度と乗りませんです。

大阪駅で飲み物を調達しそびれてひもじかったのだが、京都で 3 分停車。し かも 0 番線。すげー! 改札前に横付けだぜ! などと現在の駅舎で感慨に耽 ることができるわけもなく、真っ直ぐ売店に直行して飲み物を買い込む。ふぅ。

考えてみたら、この列車は湖西線経由。いつもの〔きたぐに〕は米原廻りなの で、湖西線経由の下り列車は初めてだ。というわけで、買い込んだ飲み物を寝 台に放り上げ、deck で東海道線との分岐部分を観察。Tunnel を抜けたところ で寝台に戻り、さっさと横になる。〔きたぐに〕だと大阪を出てすぐに放送が 打ち切られるのだが、さすがに発車時刻が早いだけあって、しばらく放送が入 る。なに? 羽後本荘で寝台解体の作業員が乗車? 寝台の解体なんて、定期 の〔天の川〕で見て以来*9ですわよアータ。それは見るしか。

それにつけても、荷物のありかが心配だ。東京に帰ったその日は湾岸地区某所 に行かなければならなかったし、夜は寺本さんの迎撃肉を挙行予定。というわ けで、翌日の夜に配達を頼んであった。配達日指定の荷物の場合、普通は発送 元では抱えずに配達地域の営業所に送ってそこで保管するのだが、確認してみ るに越したことはない。というわけで、ヤマト運輸の site で確認を‥‥げげ、 s30 の battery が切れてる! だめじゃん‥‥ T_T

*9: 今走っている定期列車では、寝台の解体を行なわなくても済むように上段の位 置が高くなっている車輛が使われていたり(客車列車)、そうでない場合はそ もそも寝台の解体を行なわない(〔きたぐに〕など)ので、寝台の解体作業を見る 機会はほとんどない。


2002/08/10 (土) 北陸路・晴/秋田付近〜青森・雨/函館・小雨 <長崎行・8 日目>

大阪→青森(急行〔あおもり〕)(続き)

寝台解体。583 系の寝台解体は初めて。すげー。 大阪から青森まで 16 時間 10 分もの時間をかけて走る列車ならではですな。

列車は主要駅に到着する度に数分から十数分も停車し、時々特急に抜かれてみ たりする。〔あおもり〕は寝台急行で、(特急ではないために)ヒルネ*1の扱 いもないのだが、やや空席の目立つ車内はすっかり昼行急行の様相を呈してい て、まるで往年の急行列車を髣髴とさせて、実に懐かしい。

1251、2 分遅れで終着の青森(4 番線)に到着。お疲れさん。

*1: 寝台特急には座席車がないが、前後の運転間隔が開いているなどの理由で、寝 台利用時間外(おおよそ 22 前及び 8 時以降)に号車を特定して「立ち席特 急券」で乗車できる扱いをしている列車があり、このような扱いのことを「ヒ ルネ」と呼んでいる。ただ、この扱いは「寝台特急」に限られており、「寝台 急行」に適用されることはない。

青森→函館(快速〔海峡〕(臨時))

周囲には〔あおもり〕を撮ったり、〔海峡〕を撮ったりといった撮り鉄がたくさん。うーん。

それにしても、前日まで東北各線では「大雨のため遅れが‥‥」「運転を見合 わせ‥‥」といった状況が続発していたし、秋田あたりでは結構雨足も強かっ たので心配していたのだが、青森に着いてみると、降ってはいるものの、そん なに強い雨というわけでもない。ちょっとほっとする。

ホームで立ち食いソバを喰い、荷物を抱えて一旦改札を出る。乗車券は「青森 経由」で購入したのだが、券面には記載経路数の上限の関係で「北陸線・信越 線・羽越線・奥羽線・東北線」が記載されていない。一体どうなることかと わくわくどきどきしていたのだが、

「下車印、お願いします」
「はい」
ごそごそ。ぺたし。

なんじゃそりゃ。本当に券面見てるのか? (-.-;

とりあえず、改札外の売店で弁当を買う。何にしようかと迷った挙げ句、お約 束ということで「津軽海峡弁当」(1,020 円)を購入。ほかにも 2 段のお重 の弁当が気になったのだが、それは帰りに買うことにする。何となく売店がし まっていそうな気もするけど。

今度は「青森→函館」の乗車券で入場。5 番線へ向かう。あれ、電話だ。慌て て出ようとするが、両手に荷物を抱えていたためもたつき、切れてしまう。発 信者を確認すると‥‥猿丸さんですと。折り返し電話をするが、繋がらず。

臨時快速〔海峡 85〕号に乗り込む。車内は家族連れだらけ。発車前から既に 動物園状態。発車を待っている間、2 番線に国鉄色の〔はつかり〕が入ってき たので、車内から激写。ホームに撮り鉄が山ほどたかっているのを見たとなり の席のご老人に「なぜだ」と事情の説明を求められたり (^^;

〔海峡 85〕号は 14 系であった。14 系ハザに乗るのは久しぶり。よくよく考 えると、東日本管内を営業運転している最後の 14 系ハザではないか。周囲の やかましさを無視して、しばし堪能。それにしても、車内放送。「本日、5 りょうごりよう いただいております。列車、前寄りから 1 号車、2 号車、3 号 車、5 号車、6 号車の順でございます。4 号車は連結しておりません」‥‥う ひー。

雨は降り続いている。前回東北に来たときは晴れていたので、あまりそういう 感じもしなかったのだが、どんよりとした空に覆われ、前方の視界は遠くの山 に遮られ、人家も疎らな風景を見ていると、何やら地の果てに来てしまったか のような不思議な感覚に襲われる。

Tunnel に入ってしまうと暇なので、車内をうろついてみる。車内放送による と、5・6 号車は吉岡海底駅を見学した客が乗り込んでくるとのことなので、 行ってみる。見事にからっぽ。5 号車の入口付近には車掌が座り込み、入って きて座ろうとする客に睨みをきかせている。構わず入り、空っぽの車内を激写。 行き掛けの駄賃とばかりに「ナポリン」を買って引き上げる。

北海道に上陸しても、空は依然としてどんよりと雲に覆われている。しかし、 雨は青森方よりも弱い。

何度も交換のために比較的長時間の運転停車を繰り返しつつ、函館に到着。停 車駅は定期列車よりずっと少ないのに、所要時間はかなり長いのであった。

函館(海鮮丼・連絡船)

函館の駅は、連絡線の廃止によって線路が完全に行き止まりになったのをいい ことに、跨線橋を廃止し、上野駅地上ホーム南端のようにホーム端の通路づた いに階段なしで行き来できるように改造されていた。大荷物を抱えている人間 にとっては、実にありがたい。雨は小降りで、なんとか傘なしでも歩けるくら い。途中で「マウントレイク大沼」が入ってくるのが見えたので、ついでに激 写。

改札外の locker に荷物を押込み、朝市へ。お目当ては海鮮丼。さすがにほと んどの店がしまっているが、開いていた何軒かの中から「恵比寿屋食堂」さん を選び、中へ。「すぐできます?」と訊いたら、「すぐできます」と返事が返っ てきたので、ほたて三色丼(2,000 円也)を。‥‥本当にすぐ出てきた (^^;。店頭の写真より微妙に具が控え目なような気もするが、やは り喰いごたえがあり、うまい。

北海の味覚を堪能したあと、まだ少し時間があったので、旧桟橋跡に係留・展 示されている「摩周丸」を見に行く。内部に入るほどの時間はないので、外か ら眺めるだけ。それにしても、同様に旧青森桟橋で展示されている「八甲田丸」 が「北海道連絡という重責を全うした(国鉄時代の)連絡船の姿を後世に伝え る」という姿勢であるのに対し、ずいぶんと雰囲気が違う。もはや、言われな ければ「これが連絡船である」とは気付かないほど。何のための「メモリアル シップ」なのか、理解に苦しむ。これなら、青森の「八甲田丸」に行くか、船 の科学館*2にでも行った方がよほどいいのではないか。内部は見てないけど。

*2: 同じように、青函航路廃止の際の連絡船のうちの一艘が展示されている。

函館→青森(快速〔海峡〕(定期))

発車時刻が近付いたので、駅に戻る。荷物を取り出して、列車へ。

定期列車であるせいか、行きの列車以上に車内は動物園。ぎゃあぎゃあとやか ましいことこの上ない。特に、前の列の A〜D に座っている家族連れがやかま しい。父親が子供と一緒にはしゃぎ、母親がぐったりしている図は、どこかで 見たぞ*3。あまりにやかましいので、tunnel に入ったあたりで車輛後方の空 席に退避。すると、しばらくしてその親子連れも私の後ろに移ってきて、また も大騒ぎ。あまつさえ、小さい方の子供が自席に残ったままの母親との間を 「ごめんなさ〜い! ごめんなさ〜い!」と叫びながら*4ドタバタと行ったり 来たり走り回っても父親は全く注意しないので、ついに堪忍袋の尾が切れた。 ちょうど背中合わせに座っている父親に、背もたれ越しに

「いい加減に、静かにしてもらえませんかね」

と一言。もちろん、ドスを効かせるのは忘れない。その瞬間、言外に「わかっ たよ!」というような nuance を含んだ口調で「はいっ!」と威勢のよすぎる 返事が聞こえてきて、ようやく静かになった。やれやれ‥‥ #-.-;

*3: 答え: 〔SL やまぐち〕号車内。

*4: おそらく、母親の口癖なのだろう。謝りながらなら何をしてもいいというもの では決してない。

青森駅

交換列車の遅れの影響を受けて、やや遅れて青森に到着。列車は折り返し〔海 峡 15〕号になったのだが‥‥写真を撮ろうと最後尾に行ってみると、なんと 集中豪雨が発生していた。地域にして半径約 80cm ほど、場所は最後尾車輛前 寄り deck 部分にどんぴしゃり。どうも、屋根の雨樋からの雨水管が詰まって 屋根に水が溜まり、雨樋が最も低くなっている場所から溢れているらしい。 バチャバチャと音を立てて滝のように降り注ぐ雨、というか水。たちまち車内 の deck 部も水浸しに。車掌や通りかかった作業員は「なす術もない」といっ た様子で溜息を付くばかり。ううむ‥‥。

弁当を仕入れに改札外へ。‥‥悪い予感が的中した。売店は既に閉店。まだ 21 時前だぞ? やる気あんのか? 主要都市だというのに、20 時前に〔はく つる〕以外の定期優等列車がすべていなくなってしまう*5駅は、これだから困る。 仕方がないのでホームの売店へ行くが、こちらも当然のように弁当は売りきれ。 やむなく飲み物だけ買い込んで車内へ。移動の途中、時間があったので、 猿丸さんに電話。やっと繋がった。「今日は(某所に)来ないんですか?」 という電話だったらしいのだが、なにぶん今青森にいるので‥‥ (^^;

青森→上野(特急〔はくつる〕)

指定された 9 号車は、なんとオハネフ 25-1! Top number ですよ! がん ばってるなぁ (^^)。しかし、ちっとも古さを感じさせません。最近 の 231 系に代表される(209 系以後の)「走ルンです」なんかよりよほどしっ かり走ってくれる。

発車してから、s30 を洗面所で充電。急場をしのげるだけ充電して、ヤマト運 輸の site から荷物を追跡。‥‥をを、発送した翌日には最寄の営業所に届い ている。というわけで、東京へ帰ったらまずは荷物を取りに行くことにする。

久々の解放 B 寝台であったが、向かいの下段には野辺地から客が。‥‥うぅ、 engine 回されちゃいました‥‥機械室です‥‥。

小腹が減ったので、稲佐山に上がる直前の買い出しで買ったパンをかじる。あ りがたやありがたや。

ねる。機械室だ‥‥ T_T

*5: 1942 時に〔日本海 4〕号が発車してしまうと、定期列車では 2106 発の〔はくつる〕のみ。一方、これ以降の定期列車は、運転停車しかしない。


[後日へ続く]

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この日記は、GNSを使用して作成されています。作製者の GORRY さんに感謝 m(__)m