「書きかけの歳時記」
2002/05版 その1

(since '05.04.25)

この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。

取扱上の注意

[前日へ続く]

2002/05/01 (水) 雨時々曇り <関西>

未明

ふと目が覚めた。時計を見ると、0100 時。列車は止まっていて、上の方から「ざざー‥‥‥ざざー‥‥‥」というさざ波のような音が聞こえてくる。覗き窓から外を見ると、音の正体は屋根に吹き付ける雨音。駅名票には沼津と書かれている。「まさか大雨で抑止か?!」と思っていると、横を高速コンテナが通過していった。単に待避のための運転停車であることがわかって、ホッとする。

それからしばらくゴロゴロしているが、雨が気になって眠れない。仕方がないので、mail を読んだり。

深夜の静岡駅下りホーム そうこうしているうちに、静岡着。ここでも高速コンテナを待避するためにしばらく停車するので、飲み物を買いにホームへ。自販機の最寄の 4 号車から列車内に入り、状況を見ながら 1 号車へもどる。で、ノリホ。

これなら、いっそ 2 号車あたりの B 寝台に乗った方がよかったかな。そしたら、荷物も置き放題だし‥‥(爆)

ちなみに、A 寝台車はというと、下段が満員、上段も空きは 3 席だけ。今日も若者が多い。心強い限り :-D

それにしても、本当は B 寝台車を 2 両程度減車してでも A 寝台車を増結して欲しいのだが‥‥。もうオロネ 24 の余剰車なんて残ってないよな‥‥。

おーさか

うとうとしているうちに、大阪に着く。雨が強い。

びわこライナー とりあえず、引き上げを見送る。以前に較べて妙に間合いが短くなったような気がしていたら、同じホームにほどなく〔びわこライナー〕が入ってきた。なるほど。

何はともあれ、到着ホーム直下の喫茶店でモーニング。大変に煙い。その後改札を出て、後の飲み会の集合場所に近いコインロッカーに荷物の一部を押し込む。

ホームにいたときに雨が結構降っていたので、傘を調達しにコインロッカー近くのコンビニへ。一旦ビニール傘を手に取ったが、後の行程で雨が止むことが予想されるため、折り畳み傘を手にとって商品を見定めていた。するとそこへ、横からすっとビニール傘が差し出され、

「持って行きます?」
(びっくりしつつ)「えっ、いいんですか?!」
「もう電車乗るだけやから」
「やぁー、ありがとう。助かりますー (^^)

傘を受け取り、にっこり笑いつつ、コンビニ前で左右に分かれる。ありがとう、見知らぬ小母ちゃん。コンビニの売り場であのやり取りは正直どーかなとも思ったりしたが、いくら合理主義な土地柄とはいえ、やっぱり人情だよねぇ。雨でやや沈んだ気分をさっぱり吹き飛ばしてくれた。

御堂筋線で心斎橋へ行き、清水湯へ。いつもより遅い時間(9 時頃)に着いたせいか、他に 2 人くらいしか客がいない。あまり奈良に早く着いても困るので、しばしのんびり。

ゆっくりしたあと、駅へ向かう。当初、天王寺まで地下鉄で出て、そこから関西線で行こうかと思っていたのだが、交通公社の奈良支店は近鉄奈良に近いはずだし、いつも関西本線の快速というのも芸がないので、心斎橋から程近い近鉄難波に歩くことにする。雨はほとんど上がっている。

途中で金龍に寄ってラーメン。出てくるのを待っていたら、となりの店が店内を掃除しながら路上に大量の水を流してきやがった。おかげで、荷物の一部が水浸しに。

出てきたラーメンを喰う。なんか、soup が薄くなって、その代わりに大量の胡椒が突っ込まれている。味、落ちたなぁ‥‥。

近鉄難波へ歩く。途中、御堂筋をしめきって行なわれている大規模なデモを見て驚く。

奈良へ

平日スジのため、日中は特急の運転がない。1022 発の快速急行で一路近鉄奈良へ。

東花園通過後、左側に車輛基地が見えた。配線がおもしろい。線路と直角に流れる川に阻まれて線路沿いに用地を確保できなかったのかも知れないが、それにしても、かなり苦労して基地を置いたのではなかろうか。

瓢箪山を過ぎると、軌道が大きく左に(90 度近く) curve を切り、列車は生駒の山肌をぐいぐいと登っていく。ここは、戦後まもない頃、brake の故障で一切制動の効かなくなった列車が暴走し、花園で先行列車に追突して車輛が大破、多くの犠牲者を出すという痛ましい事故*1の舞台となったところ。今回近鉄奈良線経由を選んだのは、この連続勾配を体験してみたかったから、というのも理由の一つ。それにしても、すごい傾斜だ。線路端にある勾配票を見つつ乗っていたのだが、坂の途中にある各駅の構内だけはやや傾斜が緩められているものの*2、本線上は 35‰の勾配がずっと続き、みるみるうちに標高を上げていく。ふと気が付くと、左手に大阪平野を一望していた。このあたりに住んでいる人は、大変だろう。眺めはいいと思うけど‥‥。

石切を過ぎて、新生駒 T へ。やや勾配は緩くなったようだが、まだまだ急勾配が続く。それにしても、難波から上本町あたりの地下部もそうだったのだが、トンネルがかなり広々している。複線が丸ごと単一シールドで作られていることもあるが、そもそもかなり余裕をもった大きな断面となっている。普段見慣れている地下鉄や国鉄、東京の民鉄などの「車輛限界ぎりぎり」のものとはあまりにも雰囲気が違っていて、新鮮。

まもなく生駒停車。隣に東大阪線の第三軌条式電車が止まっている。東大阪線は生駒が終点なのだが、そこからさらに東へ単線の線路が奈良線の線路に平行に延びている。何だろうと思いつつ見ていると、奈良線東生駒駅の北東側に隣接して東大阪線の車庫があった。生駒駅の東方はすぐに山と谷が連続しているので、用地が確保できなかったらしい。やはり苦労して車庫を設置しているのを見て、つくづく大変だなと思ってみたり。

学園前停車。常々うめさんが「あそこはひどい。社長が住んでるというだけで、何もないところなのに特急が停まるんだ」とぶつぶつ言っているだけに、駅周辺の雰囲気が聖蹟桜ヶ丘*3とそっくり (^^;

菖蒲池駅付近に観覧者があるのを眺めたりしているうちに、列車が減速。前方を見ると、本線上を別の列車が横切っていく。やがて見えなくなり、列車が加速して、大和西大寺停車。京王線の調布や京浜急行の京急蒲田もそうだが、平面交差を抱えていると、スジ屋さんは苦労するだろうなぁ。京王や京急はそれぞれ交差する線同士が密接に関係しているからいいとして、ここの場合、そこまで密接であるとは考えにくい。その上、運転形態も複雑。どひー。

西大寺を出ると、いよいよ周囲に遺跡などが現われる。というより、遺跡の中を線路が横切っているという感があり、巨大な theme park の中にいるような気分にもなってくる。「単に緑地が広がっているだけ」ではなく、何か独特の雰囲気があるのだ。列車は古都の名残の草原の中をコトコトと快走する。空が広い。

新大宮構内に入り、まさに停まろうかという時に、うめさんから電話が。当初予告していた時間よりもだいぶん遅くなったので、心配になったらしい m(__)m。まもなく到着する旨を伝え、交通公社奈良支店並びの本屋で落ち合うことに。

「奈良漬」に「お」をつけても「奇麗な言葉」にはなりません

近鉄奈良で下車。地上に出て、交通公社へ行き、今夜の〔きたぐに〕号 A 寝台下段の空席照会をしてもらう。すると、「1 つだけ空いています」というので、早速乗変を申し込む。ところが、しばらく端末を操作したあと、「上段でよろしいですよね」という。思わず「えっ、下段‥‥」というと、またしばらく端末を操作。結局、下段が満席、上段が 1 席のみ空いている、という。仕方がないので、上段を取る。帰りもまた上段とは‥‥ T_T

何はともあれ乗変し、並びの書店で雑誌を物色しながらうめさんを待つ。ややあって、うめさんが登場したので、なぜか近鉄の時刻表を買いつつ、離脱。めし〜

うめさんの案内で、近鉄奈良駅前からアーケードを入ったところにあるお好み焼きや「おかる」へ。うめさんお奨めの豚モダン焼きと明石焼をいただく。うめー :-D==

その後、まだ時間はあり余っているものの、若草山方面は足下が悪くて無理だろうということで、奈良町へ。昔ながらの家並みを色濃く残していて、実に落ち着く。グルッと一廻りしたあと、帰り道にちょっと洒落た喫茶店があったので、一休み。屋内は禁煙ということで、庭に面した軒下の席*4で珈琲をいただく。ところが、さあ出ようか、と腰を上げたとたん、大粒の雨が。仕方なく、飲み物を追加で頼み、そのまま雨宿り。突然の雨に、庭のほうから猫が一匹私の座っている椅子の下に駆け込んできて、一緒に雨宿り。雑談をしながら、緩やかな時間が流れていく。

猿沢池から興福寺五重塔を望む しばらくして雨も上がったようなので、またブラりと歩き出す。「いつもなら、ここでわらび餅を喰いに行くところなんだけど‥‥」「私は喰えますよ〜 :-D==」ということで、猿沢池のほとりを通り、興福寺に面した菊水楼の喫茶で、わらび餅とお抹茶。おうすをいただいたのは、私、初めてでございます。緑に囲まれた境内を眺めつつ、しばしゆったり。なぜか鉄分の濃い話だったり、(ま)な話だったり、うめさんの数々の悪事 (^^;を聞いたり、これまたなぜか都バスの路線図を渡してみたり。奈良なのに。

移転のうえ保存が決まった奈良駅駅舎 ふと気付くと、結構いい時間に。駅としては近鉄奈良の方が近いのだが、集合場所が大阪駅構内なので、国鉄奈良駅まで歩く。途中、私が本屋に立ち寄っていたので、待ち合わせにぎりぎりで間に合う区間快速をのがしてしまう。うぅ m(__)m

ふたたびおーさか

1820 発の区間快速で、大阪へ。途中、天王寺手前で波田野さんから入電。遅延の旨を知らせ、先に店に行って貰う。

途中、福島手前で、短絡線から沸いてきた下り列車とすれ違う。一瞬〔はるか〕かと思ったが、おーしゃんあろーだった。ハァハァしません*5

大阪到着後、これもまた申し訳ないことに、ヨドバシでの買い物にうめさんを付き合わせてしまう。急いで、シェーバーと inverter 電源*6を買込む。Inverter をどれにしようかと悩んでいたのだが、「定評のあるのはサンワサプライ製」とのことなので、とりあえずそれにする。サンワサプライって、昔から「高い割にはあまりモノはよくない」という印象があった*7んだけど、最近は PC 用 bag くらいしか買っていなかったし、それらの bag はまあまあよくできていたので、状況が変わったのかしらん、と思いつつ。

途中道に迷ってしまったりしつつ、近在で矢野さんと波田野さんに pick up してもらい、無事店に到着。なんだか、店の周囲の雰囲気があまりに怪しいんですが‥‥ (-.-;

結構狭い店なんだが、2 回が丸ごと一部屋の座敷になっていて、そこを借り切り。これがまた丁度いい位置に concent があったので、すかさず s30 を充電 (^^;。とりあえず、ここでは inverter の出番、消滅。

料理をつつきつつ、大騒ぎ。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

ふと気付くといい時間になっていたので(何か、こればっかだな‥‥)、会計をして、一路大阪駅へ。途中、何人かは梅田方向へ分離。そして、改札前で解散、渡すものがあったmarkunさんにはコインロッカーまで付き合ってもらい、ブツの受け渡し。

発車を待つ〔きたぐに〕号 荷物を回収して、ホームに上がる。既に〔きたぐに〕号は入線している。急いで A 寝台車へ。〔きたぐに〕の A 寝台上段は初めてだが、車端部にあたったこともあり、極めて bed へ上がりにくい。上に登ったとき、(取っ手などの)手がかりになるものがないのだ。オロネ 24 では梯子が千鳥配置になっているのに、サロネ 581 では対向配置になっているのは、要するにそっち(通路を挟んで向かい側)のはしごも使って登り降りしろ、ということらしい。

やがて定時に発車。解散時に券売機に向かった皆とは挨拶ができなかったので、とりあえず今日一日お付き合いいただいたうめさんに電話を入れて、お礼を言う。

電話を終え、deck から bed に戻って、とっとと就寝。外も見えないしねー。

京都付近では、激しい雨が列車の屋根を叩いている音が聞こえる。明日は晴れるといいなぁ‥‥。

*1: 佐々木冨泰・網谷りょういち共著「続・事故の鉄道史」(日本経済評論社、1995 年初版発行/[ISBN4-8188-0819-9/bk:IS::JB:BO::AM:eS::])に詳しい。

*2: それでも、「勾配が緩い」というだけで、水平ではない。駅としては、結構な急勾配なんじゃない?

*3: 東京都日野市にある京王線の駅。京王帝都電鉄(現京王電鉄)の本社を新宿付近から移すにあたり、大規模小売り店舗の入った複合商業施設などを置くなどして大規模な開発を行ない、企業城下町として駅周辺を人工的に発展させた。

*4: といっても、軒はかなり張り出しているので、横殴りの風でも吹かない限り、雨に濡れることはない。

*5: 〔はるか〕でも、私はしません :-p

*6: s30 の battery の残量がぎりぎりになっていたため、店にいる間、携帯していった鉛蓄から充電を行なおうと買ったのだったが‥‥。

*7: サンワサプライはその名の通り supply 品の総合 brand として結構古くからある会社で、かなり有名でもあり、かつては競合する会社が事実上なかったのだが、それにも関わらずある時期以降完全に分野の重なる他社(ELECOM や LOAS など)の参入と share の拡大を許してしまった理由の一つに、C/P 比の低さがあったと思う。


2002/05/02 (木) 気持ちいいまでの晴れ <新潟・会津界隈>

あさ

ふと、鉄道唱歌のおるごーる音で目が覚める。

「ご乗車ありがとうございました。まもなく、終点の新潟に到着致します」

がーん。全然目が覚めなかったぞおい。

慌てて下車の支度。服を着込んでいる間に、列車は新潟に到着。大急ぎで着替 えを終え、カーテンから首を出すと、もうほかの乗客はほとんど下車してしまっ ている。荷物をまとめ、終わった順に通路に投下。Camera の類や s30 はさす がに落とすことができないので、通路側に置く。ほとんど飛び降りるように梯 子を降り、とりあえず 2〜3 個づつホームに運び出す。通路では、降車を点検 していた作業員の方が搬出を待っている。すみませんすみません m(__)m

終着の新潟で引上を待つ〔きたぐに〕号 全ての搬出を終えて、ほっと一息。やれやれ。〔きたぐに〕の新潟での間合い は割と長いので、助かった。ややあって、降車終了が確認され、扉扱い。さー て、ホーム先頭に行って、撮影でもするかな‥‥と荷物を背負い出して、‥‥ げっ。鉛蓄の搬出を忘れた‥‥ @_@

ちょうどホーム上に作業員の方が見えたので、急いで声をかける。ダイヤが変 わっていなければまだ時間に余裕はあるが、万一上沼垂に引き上げられてしまっ ては、回収が大変だ。

「すみません! 7 号車に忘れ物をしてしまったんですがっ‥‥」
「えっ!(時計を見て)ちょっと待ってて」

編成最後尾に走っていく作業員さん。ごめんなさいごめんなさい m(__)m

やがて駆け戻って来て、「前から開けるから」と言い残し、今度は編成最前へ。 「最前部の扉だけを開けるのかな」と思い、慌てて荷物を背負い込んで、あと を追う。

最前に着くと、運転士と言葉を交していた作業員さんが、運転士に「じゃあ、 合図するから」と言ったあと、「7 号車開けるから、一緒に来て」と駆け戻っ ていく。運転士に「すみません」と言い残し、荷物をそこにおいて、再び作業 員さんのあとを追う。

7 号車前部の扉に到着。作業員さんが運転士に「開けて!」と叫ぶと、その扉 だけ単独で開扉。急いで 2 番上段を覗き込むと‥‥ありました、壁際に。直 ちに梯子に登り、回収。

扉に戻ってくると、他の人が立ち入らないよう、作業員さんが立ち番をしてい た。

「すみません、ありがとうございました〜」
「あった?」
「はい〜」

作業員さんに礼を言って、編成最前に戻る。

ちょうど運転士が外に出てきていたので、礼を言う。

「どうもすみません。お手数をお掛けしました m(__)m
「いえいえ (^^)

捜索が極めて短時間に終わったので、ホッとした様子。あぅー、間合いが長く て、本当によかった‥‥ T_T

ようやく一息つき、撮影を始める。引き上げまでの時間は、まだたっぷりある。 しばらくして、〔きたぐに〕は上沼垂へ引き上げていった。

また降車地点(8 号車乗車口)付近まで戻って、ホームの立ち食いソバで軽く 朝飯。いつものように天玉そばを頼むと、いつの間にか、海老天かかき揚げを 選ぶようになっていた。一瞬迷ったが、結局かき揚げに。

喰い終わったあと、少々時間があったので、一旦東口を出て、駅舎内のヨドバ シへ。しばし開店を待ったのち、早くも残り本数が心細くなってきていたので、 Hi8 の tape を買い足す。うーん、結局飲み屋では inverter 使わなかったし、 梅田での買い物はここで買ってもよかったといえばよかったんだが、ここにヨ ドバシがあるのを思い出したのは新潟についてからなのであった(← ばか)。

ヨドバシは西口改札の脇にあるのだが、その付近にはコンビニがなかったので、 またもや東口改札付近に舞い戻り、「COM KIOSK」で爪切りを買って、東口改 札から入場。到着した 4 番線とは隣のホーム、6 番線で、長岡行きの普通列 車に乗り込む。115 系なのだが、モケットが交換されているほか、door 脇の long seat のはしに透明のアクリル版が付けられて、座っている人と door 付 近に立った人とが直接接触しないようになっているなど、車内は若干いじって あった。列車は 6 両編成で、Tc-M'-Mc の unit を 2 本連結したものだった が、両 unit の外観(塗色)が異なっている。単に塗色が異なっているだけか と思っていたら、アコモも微妙に違う。屋根上を見ると、片方の unit はシン グルアームパンタに交換されていた。両者の違いが興味深い。

旧塗色 新塗色 新旧塗色の違い 旧塗色車の座席 新塗色車の座席

只見線へ

1005 に発車。途中の上沼垂で〔きたぐに〕編成が体を休めているのを見つつ、 一路南へ。うとうとしているうちに、1118 長岡到着。小腹が空いてきたので、 一旦コンコースに上がり、立ち食いソバ屋*1で豚カツそばとおにぎり。ここを 出ると、夕方に宿に入るまで何も喰えないので、しっかり喰っておく。ついで に、ホームで PET bottle の飲み物を調達。

同じ番線から出る 1200 発の高田行を見送ってしばらくして、越後湯沢行の 列車が入線。乗車して、発車時刻を待つ。やがて、同じホームの向かい側に、 新潟からの次の列車が到着。本当はその列車に乗ってきてもよかったのだが、 荷物が多くて重いので、3 分の接続時間では不安があったため、一本早い列車 に乗ってきたのだった。しかし、同一ホームでの接続なら、そっちでもよかっ たかな。

1224 に長岡発車。隣の宮内から上越線に入り、南へ向かう。うとうとしてい るうちに、1259 小出着。目指す只見線の列車は、既に engine をかけ、乗車 を開始している。早速乗り込み、発車を待つ。

只見線の気動車 1308、キハ 48 とキハ 40 の 2 両編成で発車。空は奇麗に晴れて日差しが暖 かく、風は爽やか。絶好の行楽日和だ。列車は分水嶺を目指して、山道を登っ ていく。ここ最近はキハ 58 系列に乗ることが多く、またそれらは大抵高出力 engine に換装されていたりするので、昔ながらのゆったりとした加速の列車 に乗るのは、実に久しぶり。久々に「DC に乗っている」という感覚を楽しむ。 沿線の民家の庭先では、桜を含め、いろいろな花が一斉に咲いている。山国で は春が短いので、こういった現象が起こる。実に賑やか。

桜が全く咲いていません ところが、期待して只見に着いてみると、駅から程近いお社の境内に植わって いる桜は、全く花をつけていない。早かったのか? それとも、遅かった? いずれにせよ、最も楽しみにしてきた光景が見られなかったので、DaKaRa 飲 んでふて寝。前の座席に足を延ばし、そのまま上体を横に倒して、L の字になっ て寝る。一般型は急行型よりも seat pitch が狭いので、こういう寝方をする にはかえって楽。こうして寝るのも、考えてみれば、かなり久しぶりだ。

心地好い揺れと穏やかな日差しの中、気持ちよく眠る。やがて目が覚め、むっ くり起き上がってみると、しばらくして会津高田に到着。終着の会津若松も近い。

*1: 「立ち食い」とはいっても、店のすぐ前には丸太材で作られた table と椅子 があるので、よほど混んでいない限り座って食べられる。

東山温泉

日の落ちてきた会津若松駅 天守閣を模したような駅前地下通路の入口 1659、会津若松着。改札を出て、駅前の bus 乗り場へ向かう。今日は平日な ので、1730 発の東山温泉行がある。駅前を撮影しつつ bus を待つ。発車時刻 が近付き、bus が到着。乗り込んでまもなく、発車。町中を縫うようにして、 bus は一路東山温泉へ。


2002/05/03 (金)


2002/05/04 (土)


2002/05/05 (日)


2002/05/06 (月)


2002/05/07 (火)


2002/05/08 (水)


2002/05/09 (木)


2002/05/10 (金)


[後日へ続く]

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この日記は、GNSを使用して作成されています。作製者の GORRY さんに感謝 m(__)m