「書きかけの歳時記」
2019/03版 その2

(since '05.04.25)

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2019/03/11 (月) 雨のち晴れ <8 年>

「忘れたい」こと、忘れてはいけないこと [雑感]

もう 8 年経ってしまったのか。

8 年前の、あの日。私は確定申告のため休みを取ってたまたま家にいた。そろそろ印刷して税務署に行こうかと思っていたとき、強い揺れが襲ってきた。

とっさに棚の上の PC が転げ落ちてこないように押さえ、ようやく揺れがおさまったところで部屋の中に崩れた荷物を最低限片付け、「いよいよ予想されていた首都直下地震が来たのか、震源はどこだ……」と思いながら TV をつけると、そこに映っていたのは、今まさに津波に飲み込まれていく名取の街だった。映像に釘付けになり、目を離せなくなる一方、まるで特撮の映像でも見ているかのようで、しばらく現実感を抱けなかったことを、昨日のことのように覚えている。

あれから 8 年。政府は「復興は進んでいる」と胸を張る。しかし、ハコモノの建設が進む一方、肝心な被災者の生活再建は政府が主張するほど進んでいない印象をどうしても受けてしまう。高台移転や「復興」に伴う開発方針などを巡る地域の分断も各地で問題視された。もちろん、被災した人たちの経済状況もそれぞれ異なるため、ある程度はやむを得ない部分もあっただろうが、自治体が「復興」を過剰に演出したいがゆえに住民を置き去りにするなど、もう少しどうにかならなかったのだろうかと思うような報道もあった。

最も顕著なのは、福島第一の事故で汚染された地域だ。国はとにかく住民を戻そうとする。そのためには、自分達に都合のいい「早く住み慣れた我が家に戻りたい」という高齢者の感情すら「住民の総意」として利用し、放射線被害に不安を感じる人たちに他の地域で生活を再建するという選択肢を与えず、切り捨てる。「とにかく住人を元の場所に押し込めて、あの事故をなかったことにすれば、自分達が責任を追求されずに済む」と考えているとしか思えない。

もう一つ、住民を分断する象徴的な存在になってしまったのは、「震災遺構」の問題だろう。いくつもの震災遺構が残された一方、大勢の犠牲者が出た施設を含む多くの遺構が失われた。ご遺族の「遺構を見ているとつらい。早く忘れたい」という想いは、当事者でない私には想像もできないほどのものだろう。 しかし、「余所者が勝手なことを言うな」「所詮他人事のくせに」と言われるのは承知の上で敢えて書かせてもらえば、犠牲となった方々の無念を考えたとき、やはり決して忘れてはならないものだと思うし、それこそが亡くなった方々に対する最大の鎮魂になるのではないだろうか。自らの悲しみを乗り越えて「遺構」の保存に動いてくださった方々を、心から尊敬する。

今年も、多くの震災関連番組が放送された。定期放送の番組も、震災に関連した内容を放送したものがある。そのうちの一つが「鶴瓶の家族乾杯」で、ラグビーの五郎丸選手が釜石市鵜住居地区を訪れ、今年行なわれるワールドカップの会場となる競技場でスピーチを読み上げた女子高生や、ワールドカップの釜石誘致に奔走した「宝来館」の女将に会いに行くというものであった。

鵜住居地区と言えば、防災センターでもあった公民館に避難した多くの住民が津波に飲まれて犠牲になったことでも知られる。ワールドカップの会場となる競技場は、高台へ移転した小学校・中学校の跡地に建設されたという。そんな地域にあって、女手一つで娘たちを育て上げ、地域復興のシンボルにとワールドカップ誘致を熱心に説いて廻り、「触れ合い」を求める五郎丸選手をまるで現地コーディネーターであるかのように案内して歩く女将の姿を、「明るく頑張っている人がいるなぁ」と心強く思いながら見ていた。

しかし、その週末の NHK スペシャル。タイトルは「崖っぷちでもがんばっぺ 〜女将と社長の奮闘記〜」。番宣では大漁旗を振り回して宿泊客を送り出す女将の姿が流れていた。そこから連想されるのは歯を食いしばりつつも明るく未来へ歩んでいる姿であったが、実際に番組を見て愕然とした。

補助金を借り入れて津波の被害から何とか再建したものの、宿泊客の多くを占めていたボランティアが減り、その一方で観光客は増えない。宿の広間を使った語り部活動は無償で、ツアーバスが話を聞きに立ち寄るがなぜか宝来館に宿泊しないので収入に繋がらない。経営は悪化する一方で、支払いを猶予されていた補助金の返済が迫る中、返済してしまえば倒産する。 復興ムードを盛り上げようとワールドカップを誘致すべく熱心に活動していたのは事実だが、宿の先行を心配する従業員たちとの間には溝ができ、経営再建の頼みの綱だったコンサルタントが県に引き抜かれるに至って、「今まで外に向かっては夢を語り続けてきたが、従業員にはそれを語らず、つらい思いばかりさせてきた」と涙を流していた。「ワールドカップが近づけば観光客の宿泊が期待できるので、何とかそれまでは」と返済猶予を延長してもらえたが、もはや首の皮一枚すら繋がっているかどうか分からない……という、番宣やタイトルから受ける明るい印象とは正反対の絶望的な内容であった。

「地域のために」と走り回る人たちが報われない、そういった現実に胸を締め付けられる。その一方で、「災害への備え」を口実に茨城でも道路建設が加速し、「震災からの復興をアピールする」という名目で誘致した五輪に向けて、東京では建設ラッシュ。ただでさえ減ってきている建設工事従事者を奪い合う事態となり、被災地に事業費の高騰や工期の遅れといったしわ寄せを押し付けている。一体「震災復興関連事業」は誰のために行なわれているのか。

「復興」を高らかに謳うのは、もちろん悪いことではない。しかし、それは「復旧」を前提としたものでなければならないのではないのか。何事かをなすにあたって理想を語ることは重要で必要なことだが、それは本来「夢物語」とは異なるものだ。「仏作って魂入れず」という言葉があるが、「完成予想図」だけは立派で華美な、住民不在の「復興」には、何の意味もない。

私には力がない。本来なら是非とも東北を旅してわずかでも復興の一助となりたいところだが、最近目の調子がますます悪くなってきていて、遠出をする気力もなかなか湧かない。せいぜいできることは、不要不急どころか無駄金でしかない公共事業に現を抜かす地元自治体や国への税金を、ふるさと納税の制度を利用して東北や地震・豪雨の被災自治体へ政府に代わって一円でも多く渡すことくらいなのが、心苦しい。

ただ、何より大切なのは、「忘れないこと」だ。そして、何を考え、何を今後に生かしていくか、ということだろう。直接的な支援のみならず、間接的な支援も大切だと思う。


「ふるさと納税」とはそもそも何だったのか [雑感]

ふるさと納税といえば、最近話題となっていた泉佐野市。「高い返礼割合を継続した挙げ句に『閉店セール』と称して Amazon ギフト券を大判振舞いし、総務省を激怒させた」と報道されていたが、その一方、「一時期は財政健全化団体にまで指定されて破綻寸前にまで陥ったが、工夫をこらしてふるさと納税制度を活用し、危機を脱した。そのため、泉佐野市にはふるさと納税に対して特別な思い入れがある」という報道もあり、それにはなるほどなぁと思った。というのも、泉佐野市は寄付金の「お裾分け」をしているからだ。

私も泉佐野市の返礼品には何回かお世話になっているが、昨年の返礼品の案内に目を引く記載があった。「寄付金額の 3% を、大阪北部地震で被害を受けた高槻市の支援に使わせていただきます」というものだ。

返礼割合が高いということは、その分自治体の取り分が少ないということだ。もちろん、取り分を 1 割減らしたことで寄付金が 2 割増えれば結果的にはプラスになるわけだが、その目減りした取り分を一部とはいえ別の自治体に廻すというのは、「形振構わず寄付金を集めようと躍起になる金の亡者」と非難される姿とは相容れない。しかし、先述の報道に接すると、「これまでは助けてもらったので、今度はうちが少しでも助ける立場に廻りたい」と考えても不自然ではないのでは、と思うのだ。

泉佐野の話題で持ち切りになってしまってその陰に隠れてしまった感があるが、茨城県境町も「返礼割合が高すぎる」と名指しされた自治体だ。こちらもかなりの財政難だったようだが、そこに関東・東北豪雨(2015 年 9 月)が追い討ちをかけたという。

3 年前の豪雨災害では常総市が大きな被害を受け、その空撮映像は未だにしばしば流される。しかし、あの豪雨で被害を受けたのは常総市と大崎市(宮城県)ばかりではない。常総市周辺では、市街地の大規模な浸水こそなかったものの坂東市や下妻市でも被害が出ており、最大浸水深が最も大きかったのは境町から古河市の方面であったと記憶している。

ひとたび大きな災害に見舞われると、被災自治体は避難した住民の支援や安否確認、罹災証明書の発行やそれに必要な建造物の調査に忙殺されることになる。このうち、住民の支援については社協を中心としたボランティアの活動に依存することができるが、安否確認には個人情報が絡むので委託が難しいし、罹災証明に関する事務手続きは役所が行なうしかない。寄付金はもちろん復旧や被災者支援に役立つのだが、発災からしばらくの間は自治体にそれを受け入れている余裕がない。

常総市の水害では私もわずか 4 回ではあったがボランティアに参加し、被災地のすさまじさを目の当たりにした。対応する自治体職員の負担は計り知れない。水害の直後、建物の修繕を依頼しようにも業者や職人さんも被災してしまったためにいつになったら順番が回ってくるか判らないというぼやきをあちこちで耳にしたが、役所の職員も被災者である可能性が高く、心労もすさまじいだろう。

豪雨災害の体験を元に、熊本地震や西日本豪雨では被災自治体に代わって代理寄付を受付け、先頃の北海道胆振東部地震に対しては「安平町の農家が一日でも早く農業を再開して生活を再建できるよう、トレーラーハウス型の仮設住宅を贈ろう」とガバメントクラウドファンディングを募っていた。

今後総務省は、返礼割合を規制するのみならず、「地元産品以外の返礼品を認めない」などふるさと納税の締め付けを強めるらしい。さすがに外国製高級腕時計や PC などを返礼品とするのはどうかと思うが、「地元産品」に限定するのはやりすぎではないかと思う。 群馬県草津町などは「金券の配布は罷りならん」とお叱りを受けて返礼品から外した、という報道があったと記憶しているが、現地へ行かなければ使えない金券を観光客誘致を目的として返礼品とするのは、そんなにおかしな事ではないと思うし、「観光資源には自信があるが、めぼしい地元産品は得にない」というような自治体などは、「おまえらは指をくわえて眺めていろ」と言われているも同然ではないか。そのうち、代理寄付やガバメントクラウドファンディングの類いにも何かいちゃもんを付け始めるかもしれない。

元々ふるさと納税は「都市部に人口が集中することによる住民税収の偏りを是正する」という意味合いがあったはずで(そのため制度名に「ふるさと」の語が含まれている)、つまりは地方自治体に対して「安易に地方交付税に頼らず、創意工夫で税収を増やす努力をせよ」ということでもあったのではないか。都市部の自治体(杉並区とか世田谷区とか。……あれ、いずれも左派勢力が強いところだったような……)がポスターまで作って猛反発しているらしいが、それらの自治体の税収が減るのもそもそも制度の意図したところだったはずなのだ。

なんでも、地方交付税を交付されている自治体がふるさと納税によって税収減があった場合は国から補填を受けられるそうで、地方へのふるさと納税が増えれば増えるほど、所得税収が目減りするだけでなく国の支出が増えることになる。自分達の支出増を減らしたいがために、税収減の補填を受けられない都市部の「裕福な」自治体からの苦情を口実として規制を強化しているようにも思えるのだが、どうなんだろうな。

まあ、「金持ちほど得をする」という逆進性のある制度であることは確かだし、大体そういう富裕層は都市部にいるような気がするので((偏見)、納税者一人当たりの控除対象上限額を設定すればいいんじゃないですかね。ていうか、「9,000,000 円の寄付でもらえる屋久杉のテーブル」(鹿児島県屋久島町)とか、「8,000,000 円の寄付でもらえる若手クリエイターの絵画 1 点」(茨城県境町)とか、一体何なの。「返礼割合」って、一体……



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