この日記は不定期に更新されます。なんにせよ、大したことは書かれないはずですが。
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・ 昨日の蒸し暑さや大雨が何かの間違いだったかのようなからっとした暑さの中、「Masuda-sama」こと増田佳泰さんにお別れをしてきた。
・ 数年前から妙に疲れた様子が見えて気になっていたとはいえ、報に接したときは急なことに一瞬目を疑うほど驚いたのだが、ご両親にとっても突然のことだったようで、普段着でお迎えいただいた。「久々に顔を見るつもりで上京してきたら、こんなことに……」。いかに思いもよらないことだったかが伺われ、その心中は察するにあまりある。なんとお悔やみを申し上げてよいかもわからない。
・ あまりに突然だったこともあってか、30 人ほどのこじんまりとした会となった。御母堂は「言いたいことはポンポン言うし、なかなか友達ができない子なのに、こんなに大勢お集まりいただいて……」と仰有っていたが、むしろご本人は実績を鼻にかけることもせず気兼ねなく話せる人で(本来なら私のような者からすれば雲の上の人だ)、不思議な愛敬があっていつも周りには人が集まり笑いが絶えず、敢えて失礼を承知で言えば「とても偉い人なのに気さくで陽気なあんちゃん」という人だった。今日もあまりに急なことでやむをえず欠席せざるを得なかった人も多かったのではないか。
・ 事情により、最期のお別れは写真で、ということになった。そのせいか、「お別れをした」直後もなかなか信じられない思いだった。しかし、お骨を拾うまでの休憩の間や、解散後にうめさん・内川さんと 3 人でお茶をしている間に、いろいろああでもないこうでもないと雑談をしていると、「こんなとき、増田さんならどんなことを言うだろうか」とつい考えてしまい、むしろその度に「もう増田さんとバカ話をすることはできないのだな」と痛感することになった。そして、休憩室からお骨をお迎えに移動する際、「増田様……」と呼び掛けられた案内放送を聞いた ebijun さんがぼそっとつぶやいた。
「『増田様』って呼ばれると、きついっすね。」
・ 検死の結果「健康を害していた様子は見受けられない」とのことだったそうで、活動的な人だったこともあり、お骨は骨壷に納めるのに苦労するほどしっかり残っていた。おそらく御本人にとってすら不慮のことだったのではないか。ご両親に生前語っていたと聞くように、やりたいことがたくさんあったろう。「苦しんだ様子もない」というのがせめてもの救いであるとはいえ、44 歳。あまりにも早すぎる。骨壷を白木の箱にお納めし、いよいよ失礼する別れ際、御母堂が我々に向かって深々と頭を下げながら「お元気でお過ごし下さい。」とおっしゃったその言葉が胸に刺さり、やりきれなさが募る。
・ 外へ出てふと見上げると、まるで秋のような青空が広がっていた。御父君は増田さんの遺影に「もう、仕事に追われることもなく、好きなだけ趣味に打ち込めるな」と語りかけているという。グライダーが好きで、帰省には自分でセスナを操縦して故郷と行き来していた増田さん。今はどこの空を飛んでいるのだろうか。しがらみから解き放たれ、広い大空を思いのままに飛び回っているだろうか。
・
またしゃぶしゃぶをつつきながら、たわいもない話をしたかった。まだまだいろんな話を聞きたかった。宴会で漫談をしたかったよ。早すぎたよ、増田さん。
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