「書きかけの歳時記」
2006/01版 その3

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2006/01/26 (木) <発症>

アトピー性白内障 [体調]

私は眼が良くない。

原因ははっきりしている。ただ、病的なものではなく、生活習慣に由来するごく一般的な近眼と乱視だ。中学生のころにはもう立派な近眼で、それ以降も徐々に進行している。眼鏡も持っているが、日常生活に大きな支障を来たすほどではなかったので、車を運転するとき以外はかけていなかった。私の目付きが悪いのはこの近眼のせいだ。

私が眼鏡をかけない理由はいくつかある。一つは進行を抑えるためだ。「近眼は適正な眼鏡をかければそれ以上進行しない」と言われることもあるが、少なくとも私に関してはそれは当てはまらない。あるいは近眼の原因が全て排除されればそうなのかもしれないが、私の場合は職業柄 50cm 程度の距離の文字をずっと見つめることになる。この職業を継続する限り、近眼の要因を排除することは考えられない。

元々近眼は「近くを見続ける」という状態が継続することにより、いわば毛様体などの焦点調節機構に「癖」がつくことで発生すると言える。つまり、眼にとって「近くを見ることが日常」であるから近眼になるのだ*1。そこで、「近眼になる要因」を除去せずに視力を矯正すれば、どうなるか。眼の状態は以前と同じく近くを見ようとしているのに、眼鏡などによって遠くに焦点が合うようになると、眼の焦点調節機構はもっと近くを見ることを強制されることになる。それを続けるとどうなるかは、考えるまでもない。

実際、初めて眼鏡を作った高校生のころは、その代金を出した親によって「眼鏡に眼を慣れさせろ」という意味不明の理由で眼鏡をかけ続けることを強制されたため*2、無事に近眼が急速に進行した。以前にも書いたが、私の親はいくら子供(つまり本人だ)が「眼が疲れる」「遠くが見えなくなってきた」と状況を訴えても常に自分の考えを疑おうとしなかったので、実際に近眼が進行することを立証して見せるしかなかったのだ。案の定、1 年も経たないうちに矯正視力が元の裸眼視力程度にまで低下*3し、眼鏡が役に立たなくなる羽目になった。親は当然文句を言ったが、この結果は親の主張通り「眼を眼鏡に慣れさせた」ことによってもたらされたものなので、さすがに折れざるを得なかったようだ。それでようやく眼鏡をかけ続けることを強制されなくなったが、その代わりに新しい眼鏡が提供されることもなかった。次に眼鏡を作ったのは、二十歳になって家を出たあと、仕事上の必要性(会議中にホワイトボードなどが見えない)を感じてからだ。

そうして近眼が進行するのと同時に、以前からあった「左右の視力差」も拡大していった。私の親は夜遅くなって子供の部屋の電気がついているのが許せなかったので、どうしても読む必要のある本などは、部屋の電気を消し、布団に入ってから読む必要があった。当然真っ直ぐに本を掲げて読むとすぐに腕が疲れるのでどちらかを向いて読むことになるのだが、灯りが左のほうから差してくるので(そう、手元に電灯があったわけではないのだ)、勢い右を向いて読むことが多かった。そうすると、右目の視界の半分程度は枕に隠されることになる。そんなことを何年もしていたせいか、すっかり右目が悪くなってしまった。枕に圧迫されていたためか、乱視も右目のほうがやや強いようだ。さすがに高校受験を控えるとそんな馬鹿なことはしなくても済むようになったが、後の祭であった。

そんな経緯で、小学校低学年の頃に左右とも 1.2 だった視力はどんどん低下し、最初に眼鏡を作ったころには「左が 0.7、右が 0.3」という見事な「がちゃ目」の出来上がりとなった。眼鏡を作ってからはさらに視力が低下し、2 本目の眼鏡は「左 0.5/右 0.1」となった。その後、つるの破損によって運転免許を取る前につくり直したが、2 本目の眼鏡を作ってからの 10 年強の期間にあまり視力の変化はなかった。

これほどに左右の視力差があると、妙な癖がつく。私は元々右が「効き目」なのだが、近くを見るときは右目で、遠くを見るときは左目で見るようになってしまった。特に、遠くを見るときはそれほどでもないのだが(遠近感を取るために右目も同時に使うからだろう)、近くを見るときには完全に左目が遊んでいるのがわかる。気にならない程度にボンヤリとした像が、右目によるくっきりとした像の他に二重写しになっているのがわかるのだ。もちろん、意識すればその「ボンヤリした像」も「くっきりとした像」に重ねることができるのだが、ちょっと気を抜くとすぐ元に戻ってしまう。この「ボンヤリとした像」は左目によるもので、焦点があっていないばかりか位置もかなりずれている。なにぶん焦点が全くあっていないので右目でものを見るのには何ら影響がないのだが(ちょっと視界がボンヤリする程度)、端からすると完全な斜視のはずで、人によっては生理的な嫌悪感を抱く場合もあるのではないだろうか。

近くを見るときがそんな状況である一方、遠くを見るときにも少々困った状況が発生するようになった。私は普段眼鏡をかけておらず、また日常の移動手段が自転車であることも割りとよく知られているので、「実は目が悪い」ということを知ると大抵「自転車に乗るときは?」と訊かれる。確かに眼鏡をかけたほうが視界は clear になるので(当たり前だ)、自動車を運転するときは眼鏡をかけている(もっとも、眼鏡をかけることが免許条件になる程度には目が悪いので、これは当たり前でもある)。ところが、眼鏡をかけると、遠近感が掴みにくくなるのだ。理由ははっきりしないが、普段眼鏡をかけずに遠くを見るときには左目で見る(右目は補助*4)のに、眼鏡をかけると本来効き目である右目で見るようになるので、うまく処理できなくなるのかもしれない。

また、自転車と自動車とでは、見なければいけないものの距離や範囲が違う。自動車の場合は移動速度が速いので、数十〜100m 程度前方を見ることが多い。また、ある程度の速度で走行している場合、正面を中心とした限られた範囲を見ることが圧倒的に多い。自動車はほとんどの場合走行する位置と方向が定められているので、なおさらそうなる。そうでないのは、住宅街の中などを低速で走らなければならない場合などだ。ところが、自転車の場合は、移動速度が低いこともあって、せいぜい数十 m 先までが見えれば問題ない。むしろ、数 m 先の動きや真横からの飛び出し(歩行者とか自転車とか自動車とか)に注意を払う必要がある。もしなにかが飛び出してきた場合、瞬時に彼我の距離を判断して反射的に回避行動を取る必要も多々ある。そのため、少々遠くが見えるようになることよりも、むしろ遠近感を得られないことのほうがより重大な結果を引き起こすのだ。これが、私が普段眼鏡をかけない、別の理由。

そのほか、眼鏡をかけることによって視野を制限されることも自転車の場合は大変困る。住宅街や歩道を通行している場合、直前での飛び出し(歩行者とか自転車とか自動車とか)や突然の進路変更*5が極めて多く、危険予測だけでは対応できない。可能な限り視野を広くして情報を収集しなければ、何度歩行者や自転車や自動車に衝撃されるかわかったものではない。車道を通行する*6場合も、左折 lane の存在*7や路上駐車などによって右側に出なければならない場合が多く、そのために右後方を振り返って目視確認をする必要がある。そんな状態で眼鏡によって視野を制限されると、もはや安全は覚束ない。最近は design を優先させて lens を小さくしている眼鏡がほとんどなので、なおさらだ。これも眼鏡をかけない理由の一つ。

長々と書いてきたが、ともかく私の場合は、裸眼のままで「近くを見るときは右目を、遠くを見るときは両目を使って見る」という style が定着していた。外出した場合は遠くを見ることが圧倒的に多いし、家にいるときも数 m 先を見ることは非常に多いので、日常生活のほとんどは左目に依存していたと言っても間違いない。

その左目が、見えなくなった。

兆候に気付いたのは、昨年秋頃だった。最初は寝起きのように視界がボンヤリしていた。上述の通り、ごく近くを見るとき以外はほとんど左目を使っているので、最初は単なる疲れ目かと思っていた。そのうちに右目と左目とで状況が違うことに気付いた。それでもしばらくは単なる霞み目と考えていた。昨年の夏以降、結構忙しかったので、その疲労が現われたのではないかと考えていたのだ。

ところが、今年に入ってから、左目の視野に異常を感じた。明らかに視野が白濁している。しかも、決して焦点が合わないわけではない。焦点はあっているのだが、全体に靄がかかったような状態になっているのだ。湯気の篭もった浴室やスチームサウナなどに入ると、視界が白く曇り、その向こうにうっすらと壁などが見える(この時、焦点は合っているので、霞んではいるがボケたりはしない)ことがあるが、ちょうどその状態に近い。

「視野が白濁する」という症状でまず思い浮かべるのは白内障だ。白内障は水晶体が白濁することによって起きる病気で、水晶体の中に満たされた物質が蛋白化することによって起こるとされている。一般的には加齢によって引き起こされるものが多く、80 歳を越えると程度の差こそあれほとんど全ての人に症状が見られるという。これは「老人性白内障」と呼ばれているとおり、「老人特有の病気」と考えている人が多い。実際、web などで単に「白内障」と記して解説してある page は、ほとんどが老人性白内障に関するものだ。しかし、これは半分正しいが、明らかに誤っている。本当に老人にしか起こらないのであれば、わざわざ病名に「老人性」と冠する理由がない。

実は白内障は加齢以外によっても発生する。強い刺激(叩くなど)などによっても発生するようだが、アトピー体質の患者にも白内障の症状が現われることが知られている。これは体質によるものであって、「アトピー性白内障」と呼ばれている。発生する時期は年齢と関係なく、比較的若年でも発生するという。

「老人性」と「アトピー性」の違いは発生の時期や機序だけにあるのではない。症状の現われ方にも大きな差異がある。一般に白内障は「自覚症状がない」とされる。これは老人性白内障が視野の周辺部から内側に向かって進行していくことに由来する記述だ。発生当初は視野に影響が現われないので、ある程度の年齢になってかつ「以前よりまぶしさを感じる」(= 水晶体の周辺部に発生した病変によって光が散乱されるため)などの異常を感じたら検査を受けることが奨められている。一旦発生した白内障の症状が寛解することは(少なくとも今の医学では)あり得ず、治療は白濁した水晶体(の内部の物質)を取り除いて眼内 lens を装着する手術によるほかないが、点眼薬もしくは内服薬によって進行を抑制することはできるので、「薬によって手術の時期を遅らせることができる」ともされている。しかし、これもあくまで「老人性」の場合の話だ。周辺部に最初に病変が現われる「老人性」とは異なり、「アトピー性」の場合はまず視野の中心部に症状が現われる。そのため、症状は急速に進行するし、薬によって手術の時期を遅らせることもできない。「薬による進行の抑制」も、あくまで「進行を遅らせる」だけであって、進行を完全に止められるわけではない。だから、最後に視野に影響が及ぶ老人性の症状の「時間かせぎ」にはなっても、最初に視野に影響が現われるアトピー性の患者にとっては、単に「視野が白濁するのを遅らせる」だけに過ぎないからだ。ましてや、一定以上視野が白濁してしまってからは、引き延ばせる「時間的余裕」はもとよりないので、ほぼ気休めと言っていい。

私が明確な「視野の白濁」に気付いたのは、1 週間ほど前だ。その数日後にはもはや左目は使い物にならなくなった。外交にたいして眩しさを助長することはあっても、日常生活で主体となることはもはやない。ただ、視野が白く霞んでも、右目だけで見るよりは両目のほうがまだほんのわずかに見やすいので、宅内にいるときには「あったほうがまし」ではある。しかし、一旦外に出ると、日中なら白濁による光の散乱で視野が真っ白になって何の役にも立たなくなるし、夜間は白濁による光量不足でこれまた無用の長物だ。結局、外出時には眼鏡が手放せない。特に夜はほとんどなにも見えず、歩いていてさえ恐ろしい。自転車になど、眼鏡なしではとても乗れるものではない。もっとも、自転車に関しては、日中でさえ同じことだが。増して、今は自転車の rear brake が完全に破損しているので、なおさらだ。

この状態になっても、鏡で見る限り、左目の水晶体に濁りは見当たらない。‥‥もっとも、水晶体の濁りなんてものは真正面から見ないとなかなかわからないものだし、その左目は既によく見えなくなってしまっているので、実は確認できないだけかもしれない。

ともあれ、医師の診断を得るため、同愛記念病院へ出掛けた。ここ数年の各種治療は全て同愛記念で受けているので、医療記録は全て向こうにある。情報が一部電子化されているおかげで他科の投薬情報も参照できるので、何かの役には立つだろう。

まず最初は、視力や眼圧の検査。左目の視力は別として、とりあえず異常はない。その後、診察。もともとアトピー性白内障の存在は知っていたので、今回の症例がそれであるという確信を持って出向いたのだが、予断を与えないために現状や既往歴のみを伝えるにとどめる。‥‥問診の結果、やはり白内障の疑いありとのことで、散瞳薬*8を点眼。効いてくるまでに 30 分程度かかるとのことなので、その間に皮膚科の診察を済ませる。

再び眼科に戻り、検査。‥‥やはりアトピー性白内障とのことであった。既に支障が出ている以上、慌てる理由はなにもない。ただ、同愛記念では「日帰り手術」は行なっておらず、3 泊 4 日になるという。仮に「日帰り」であっても、仕事は術後 1 週間程度、旅行は 1 ヶ月程度できなくなるようなので、とりあえず症状の進行を抑える薬を出してもらい、しばらく先伸ばしにする。当面は実質的に片目だけの生活だ。

ちなみに、同愛記念病院での 3 泊 4 日手術の場合、費用は被保険者本人(3 割負担)で 8 万円前後とのことであった(老人医療ではもっと割安になるらしい)。ちなみに、日帰り手術の場合、医療機関によっても異なるが、おおよそ 3〜6 万円程度のようだ。どうせ「日帰り」でも風呂には数日入れないし(shower も不可)、外にいればタバコの煙の暴露を受けることもままあるので、いっそ入院してしまったほうがいいかもしれない。術前や術後の control も楽だろう。

院内で昼食を採ったあと、慎重に歩いて帰る。散瞳薬が効いているため画面すら眩しくてみていられないし、そのまま布団に直行。6 時間程度で効果が切れるということなので、日が暮れる頃には元に戻るだろう。

それにしても、全く面倒くさい身体だ。金も手間もかかる。ろくでもない。ほとほと嫌になる。

*1: もちろん、病的な要因によって発生する症例はこの限りではないだろう。

*2: 実際のところは、「せっかく(親が)金を出して作った眼鏡を(子供が)かけずにいるのが気にくわなかった」だけだろう。

*3: いくら私でも親の目の届かないところでまで近眼を進行させる行為を続けるほど自虐的ではなかったので、眼鏡をかけていたのは家にいる間だけだった。その分だけ近眼の進行は抑えられていたことになるのだが、そのかわりに家で勉強をしているときなどは眼鏡の着用を強制された上に「電気代がもったいない」と机か部屋の電灯のどちらかを消させられていたので(言うまでもなく眼には大変良くない)、どれだけ時間を稼げたかは怪しいところだ。事実、見る見るうちに視力が低下していくのを体感できたほどだ。

*4: 右目を隠すと裸眼でも遠近感が掴めなくなるので、右目も働いているのは間違いない。

*5: 歩行者や自転車が周辺の交通を確認しながら行動することはほとんどない。自分の曲がる方向と逆側に一旦寄ってから大回りで曲がっていく自転車や、よそ見をしながらそれとは逆方向に進行してくる連中などは日常茶飯事だし、最近では携帯の画面を見つめて周囲を全く見ずに行動する連中も多いので、なおさらだ。

*6: 言うまでもないことだが、自転車は道路交通法で定められた「軽車両」であり、その通行位置は「車道の左側端」である。

*7: 法律の定めによれば、たとえ左折 lane が存在してもその左側端を通行し、交差点ではそのまま直進することになる。しかし、実際にそんな走り方をしているといつ事故にあってもおかしくないので(実際、追い抜きざまに左折していく車輛など数回外出すれば 1 度は遭遇する)、左折 lane がある場合は周辺の自動車の通行を妨げないように timing を見計らい、交差点進入時には「左折 lane の右側端」にいるようにしている。こうすると、後方にいる自動車も私の進行方向がはっきりとわかる。実際、よく通る交差点で左折をするために左側端を走っていると、後ろから近寄ってきた車が「果たして追い抜いていいものか」と迷っている様子なのにもしばしば出会ったりするし、直進時に左折 lane の右側端にいて後ろから脅されたこともないので、おそらくそれなりに合理的な行動なのではないかと思っている。当該交差点の左折 lane 区間のど真ん中には蔵前警察署があるが、そのように行動して警察署の目の前で信号待ちをしていても、なにも言われたことはないし。

*8: 瞳孔を開かせ、水晶体や眼底の検査をしやすくする薬。元々眼下の診察室が暗いのは瞳孔を開かせて検査をしやすくする意味もあるのだが、通常は検査のために光を当てるとどうしても瞳孔が狭まるので、部屋を暗くしたくらいでは対応できない場合に使用する。これを使用すると、カメラで言う「絞り」が開いたままになるので、日中のひなたにいると目が眩んでほとんどなにも見えなくなる。



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